悪役令嬢に転生したけど、破滅エンドは王子たちに押し付けました

タマ マコト

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第13話「魔導士の塔、崩れ始める」

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 朝、王都の角という角に、黒い棘が生え始めた。
 壁という壁に、斜めの字で――「レティシアは魔女」。
 焦った炭の匂い。石灰の粉。子どもが指でなぞり、大人が目を逸らす。風がそれを拾って、路地から路地へ、耳から耳へ運ぶ。

 始まりはたぶん、酒場の午後だ。吟遊詩人に銀貨を、町絵師に銅貨を、噂売りに甘い葡萄酒を。ルシアンは、舞台の裏から糸を引く。彼は“言葉の縫い目”を知っている。刺繍の裏側から糸端を引くだけで、表の花はほどける。

「“悪役令嬢の正義面”――だって。見出しの字が踊ってます」

 ベラが震える手で紙片を差し出した。安物のインクが滲んで、私の名前だけがやけに黒く太い。市場の掲示板の下、子どもたちが「まじょ?」と首を傾げ、パン屋の娘が唇を噛む。魚屋の女将は舌打ちを飲み込み、鍛冶屋の少年が拳を握る。

 私の胸の奥が、ぴん、と軋んだ。
 前世の夜が、古い傷の裏側で目を覚ます。
 悪評の矛先から、守れなかった誰か。紙面の炎上、SNSの潮、匿名の石――私は小さな机で、何度も歯ぎしりして、救えなかった。
 ――守れなかった。
 声にならない言葉が、喉の奥で砂利になる。

「レティシア様……」

 ベラの目は、今にも泣く準備を始めていた。従順な瞳のいちばん奥で、火がじゅっと弱る。私はその火を両手で囲うように、彼女の手を握った。

「泣かないで。泣くなら“嬉しいときの分”を残して」

「でも、壁が……あちこち、汚されて」

「……私が守る」

 自分でも驚くほど素直な声が、胸の底から上がった。
 守る。
 過去の机に置き忘れてきた約束を、今日の石畳の上に拾い直す。

 私は市場の真ん中――一番太い通りに面した壁の前へ立った。そこにはすでに大きく、幼い字で、ひどく確信めいて――「レティシアは魔女」。
 炭の粉がまだ指につく。書いた手は近い。怒りは近いほど、温度がある。

「ベラ。バスケット」

「はい!」

 彼女は走って戻り、大きな柳のバスケットを開く。布の中から湯気の立つパンが現れた。表面はきつね色、底は粉をはたいた白。小麦とバターの匂いが、壁の炭の匂いを押し返す。

「こっちにおいで」

 私はしゃがみ、子どもたちと同じ目線になった。
 わらわらと、五つ、六つ、七つ。小さな靴音。小さな腹の音。
 パンを半分に割って渡す。中から白い湯気が、指と指の間をくすぐる。

「おねえさん、まじょ?」

「そう見える?」

 子どもの目は、世界でいちばん精密な鏡だ。私は笑ってみせる。角砂糖みたいな笑い方じゃなく、夜更けに自分だけに向ける笑い方で。

「まじょはね、森で悪い人を食べちゃうの」

「じゃあ、わるいひと、たべる?」

「食べない。お腹こわすから」

 くす、と笑いが生まれる。笑いは壁の炭を乾かす。乾いた炭は、剥がれやすい。

「ねえ、ここに絵を描こうか」

「え?」

「“まじょの壁”の上に、“おはなしの壁”。――誰か、チョーク持ってる?」

 鍛冶屋の少年が「ある!」と駆けていき、職人の店先から白と青の粉チョークを持ち帰る。私は子どもたちに配り、指を真っ白にしながら、壁の上から順に下塗りを始めた。炭の字の上に、白い帯。白の上に、丸。丸の上に、木。木の上に、鳥。
 絵本の一頁を、壁にひらく。
 ベラも袖をまくり、花を咲かせる。パン屋の娘が草を描き、魚屋の女将が川を描き、鍛冶屋の少年が橋を描く。炭の「魔女」は、いつの間にか、森の“影”になった。影は物語に必要だ。だが、主役じゃない。

「もっと色を」

 私は青鷺紙舗の主人の店に目で合図を送る。主人は顎で「わかった」と返し、染料の粉の小袋を抱えてやってくる。青、緑、黄、朱。指で混ぜる。水で溶く。布で叩く。壁に、空の色が、草の色が、火の色が宿る。

 人だかりは、いつの間にか笑いの輪になっていた。落書きを見に来た顔が、絵を描きに来た顔に変わる。噂話の口の形が、「そこ、もうちょい左」の口の形に変わる。
 パンは、みるみるうちに減った。
 お腹が満ちると、人は悪意のために余計な力を使わない。

 ノアは輪の外――壁の角と角の影を見ていた。灰の瞳は、人の流れを測り、背伸びする悪意を早めに摘む。剃刀みたいな視線で誰かを切るのではなく、風の角度で押し流す。
 やがて彼は、私の背に近づき、声を落とした。

「あなたは、悪役ではない」

 絵の青が指先に残ったまま、私は振り返らない。振り返らずに、彼の一枚だけ薄い声を、胸の真ん中にしまう。
 否定しなかった。
 “悪役じゃない”と、口では言わなかった。
 ただ、心が少し、ほどけた。胸の紐の結び目が、やさしく緩む感じ。

「ノア」

「はい」

「ルシアンは、どこで糸を引いてる?」

「酒場二軒、教会裏庭の講義所、そして宮廷の文書係二人。噂の“芯”は文書係から。彼らは“それっぽい紙”を作れる」

「“耳印”で弾く」

「すでに青鷺紙舗と段取り済み。偽紙の見分け方を、今夜の市で配布」

「ありがとう。――職務?」

「職務です」

 私は笑って、指に付いた青を彼の手の甲にちょんとつけた。ノアは珍しくわずかに目を瞬かせ、すぐいつもの灰に戻る。
 彼の手に青。壁に空。子どもの頬に小麦粉。世界が、一瞬だけ安全な色調に揃う。

 昼過ぎ、壁はほぼ絵本になった。
 炭の黒は、森の陰へ吸い込まれ、文字だったものは、樹洞の奥で眠る動物に変わった。
 ベラが袖を汚したまま私の肩を叩く。目はもう泣かない準備を片づけ、笑う準備を広げている。

「レティシア様、こっち見てください!」

 子どもが指差したのは、壁の中央――そこには大きな丸い顔。金の髪、碧い目。私だ。
 ……私に、角は描かれていない。代わりに、手に大きなパンを持っている。

「これ、だれ?」

「“まじょじゃないひと”!」

 笑い声が、ひとつ、ふたつ、みっつ――数えきれない数になって、通りを満たす。笑いは、噂より速い。笑いは、炎上より強い。甘いだけじゃない。ちゃんと塩気がある。

「絵、上手だね」

「うん! ノアおじさんは青! ベラおねえさんは花!」

「わたしは?」

「パン!」

「それは役割が偏ってる」

 小さな手が、私の指を掴む。指先に残った青が、子どもの手に移る。色は分け合える。怒りや悲しみより、ずっと簡単に。

 そのとき、背の高い影が路地の入口に立った。
 ――ルシアン。
 黒の上着に、薄い灰のベスト。口もとに笑い、目元に刃。遠くから、絵に背を向けたまま、こちらだけを見る。
 彼は何も言わない。
 ただ片手を上げ、指をひらひらと振った。
 その仕草は、舞台裏で照明を落とす合図に似ている。

「来たわね」

 私は小さく呟く。彼は近づかない。近づけば、今日は火傷をするとわかっている顔。
 代わりに、彼の“手”が動く。
 通りの逆側の壁。そこにも「魔女」の炭が滲む。新しい。まだ濡れている。
 私は一歩、歩き出した。子どもたちがついてくる。ベラがバスケットを抱える。ノアが風を整える。

「二枚目、行こうか」

 私はチョークを掲げ、炭の上に白を、白の上に丸を、丸の上に雲を描く。雲の中に紙の耳印。見える化の印。
 指が疲れる。腕が痺れる。けれど、痺れは“現実”の証。
 ルシアンは相変わらず、遠くから見ている。
 彼の目は退屈を笑い飛ばす少年の目であり、祈りを冷笑する学者の目でもある。

「ルシアン!」

 私は声を投げた。届くか届かないかの距離。彼は顎だけで返事をする。

「今のところ、あなたの勝ちは“速さ”ね。噂の速さ。私は“手”で追いかける」

「手は疲れる」

「疲れるほうが、眠りはよくなる」

「眠り……君は眠るのか?」

「眠る。あなたは?」

「実験の合間に」

「なら、夢は見ない」

「夢は、物語の温床だ」

「物語、嫌いなんでしょう?」

「君のは特に」

 会話はそこで終わった。彼は目を細め、踵を返して路地へ消えた。
 その背を見送りながら、私は胸の深いところ――前世の机があった場所に、布をかける。
 今度は守る。
 “誰かの評判”という壊れ物に、新聞紙一枚でも巻いて渡す。

 夕方、壁は三枚の絵本になり、パンは空になり、子どもたちの頬は粉と絵の具でまだらに染まった。
 ベラが小さく伸びをして、嬉しそうにため息をつく。

「きれい……」

「きれいね」

 私は壁から半歩下がり、出来上がった街の顔を眺めた。
 炭の刺青は、物語の挿絵に変わった。
 傷跡は、誰かの手で触れれば、風景になる。

「レティシア様」

 ノアが呼ぶ。彼の手の甲には、まだ青が一滴。
 彼は言葉を選ぶ人だ。人を断罪する刃の言葉は、ほとんど使わない。
 だから、その一言が、良く響いた。

「あなたは悪役ではない」

 私は、やっぱり否定しなかった。
 沈黙を、肯定のかわりに置いた。
 沈黙は、いつもより柔らかい手触りだった。
 胸の中の紐が、もう一度、ほどける。

「ノア」

「はい」

「明日、紙芝居。題は“うわさの作り方”。作り方を知れば、飲み込まれにくい」

「台本、今夜」

「お願い」

「職務です」

 夜風が、粉をさらっていく。
 壁の絵は、月の光で浅く浮かび上がる。
 通り過ぎる人が足を止め、笑って、また歩く。
 笑いは、盾だ。
 物語は、剣になる前に、まず盾になれる。

 私は両手の絵の具を見下ろす。
 青、緑、黄、朱。
 指先の小さな世界地図。
 指をこすり合わせると、混ざる。
 混ざる色は、簡単に黒にならない。
 黒になる前に、無数の色がある。

 ルシアンの塔は、まだ立っている。
 でも、塔の足元の土は、今日、少し柔らかくなった。
 子どもの笑いと、パンの湯気と、絵の具の指跡で。
 崩れ始めた塔は、最初に音を変える。
 音の変化は、彼の耳にも届くはずだ。

 帰り道、ベラが腕に絡み、うとうとと欠伸をした。
 「眠っていいわ」と言うと、彼女は「ねてません……」と、いつもの嘘。
 私は笑って、肩に額を預けさせる。
 守れなかった机の夜へ、指で薄紙をかける。
 今日の街は、少し守れた。
 明日の街も、もう少し守る。

 悪役という名札は、便利だ。
 時に剣になり、時に盾になる。
 でも、私は、名札で自分を縛らない。

 壁の絵が遠ざかる。
 “魔女の壁”は、“おはなしの壁”になった。
 物語は、上書きできる。
 それを、私は知っている。
 だから今日も、書き続ける。
 指で。
 言葉で。
 街の真ん中で。
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