捨てられた平民メイド、実は伝説の魔女でしたって今さら気づくな!

タマ マコト

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第10話 包囲、星の檻、決断

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 昼と夕の境目は、刃の背中みたいに鈍く光っていた。
 村の畑の縁に、白と黒の線が引かれる。祈祷師団の外套の白、騎兵の胸甲の黒。揃いの旗が風を拾い、祝詞は刃の鞘鳴りみたいに低く擦れる。輪が狭まるたび、土は逃げ道を忘れていく。

 囲まれている——村の人たちの呼吸が、同じ音程で浅くなる。
 戸口の鍵は役目を奪われ、犬は吠えるのをやめ、子どもは声のある泣き方を忘れた。広場の中央、石積みの井戸だけが昔の姿勢のまま立っている。私とノアは、井戸の影に寄り、互いの体温を“基準”にして立ち位置を決めた。

 馬蹄が石を踏む。輪から一歩、前へ。
 王子セオドールは昼の光を背に受け、端正な影を地面に落とした。笑っている。氷で作った果実みたいな笑顔。甘く、冷たい。彼の左右に祈祷師長と近衛。祈祷師団の先頭は祝詞の頁を広げ、騎兵は槍尻で地を軽く打つ。音が拍となって、彼の演説のリズムを支える。

「村の諸君——秩序は恐怖を解く。秩序は日常を守る。ここに『魔女』が紛れている。彼女を差し出せば、村は救う。鍵は不要、祈りは味方だ」

 言葉が石と石の間を滑り、土に吸われ、耳に残る。
 「差し出せば、救う」。救いと交換条件が同じ皿に置かれるとき、人は小さく首を傾けてしまう。私の胸の湖に立ったさざ波が、白い髪の根元へ冷えを運ぶ。ノアの指が私の背で軽く動いた。触れない距離。けれど、合図には十分。

「リリア」

「わかってる。——でも、私が決める」

「違う選択をしろ」

「私が選ぶ。命令じゃなくて」

 祈祷師の列の奥、祝詞の矢が「威嚇」の角度で高く掲げられる。矢じりは光。矢羽は祈りの句読点。村の誰かが短く息を呑み、別の誰かが鍵の幻に手を伸ばす。鍵はもうない。鍵の音は心の中で鳴るだけ。

 私は井戸から一歩、前へ。
 白い髪が風に触れて、村の背中がざわめく。子どもの手が母の袖を掴む音。鍬の柄が地面に落ちる音。私は掌を見せ、肩の高さでゆっくり上げた。降伏の形に似た、約束の形。

「——私が行く。みんなは逃げて。家に鍵を。火を絶やさないで」

 声は大きくない。けれど、村のどの戸口にも届く。
 祈祷師団の前列に、ほっと安堵の薄い笑いが走る。セオドールは唇の端を、美しく上げた。

「賢明だ」

 彼の賢明は、冷たい。
 ノアは、吠えた。
 声は低く、森の根の方角からやってくる。人間の喉で鳴らせる最低の高さに、竜の短い咆哮が混ざる。

「違う選択をしろ、リリア」

「ノア。……ごめん。これは、私の選択でなきゃいけない」

「理由」

「“守る”って言ったから。怖くても守りたいって。——守るには、戦う場所を選ばなきゃ」

 広場の真ん中で、私たちの視線がぶつかる。
 銀の瞳に、白い髪の反射。
 胸の湖は静かに深くなり、底の光が形を変える。私はうなずいた。ノアは首を振る。互いの否に、互いの肯を見つける。

 セオドールが馬上で片手を上げる。
 祈祷師の列から、聖紋の鎖が三本、空へ広がる。今度の鎖は物理ではない。形に意味を過充填してある。名を欲しがり、定義を欲しがり、従属を前提にしている。「汝、ここに捕らわる」。
 私は一歩、鎖の方へ。呼吸は背で吸い、三つ数える。喉に「ほどけ」を載せかけ、飲み下す。禁じ札は切らない。代わりに、胸の中の湖の縁に、細い光の線を立てる。

「——檻」

 私の声が私の周りを円に結び、空に薄い結界が花のように開く。
 星の粒が集まり、見えない格子が立ち上がる。
 星の檻。
 外から見れば、祈祷師の鎖が私を捕らえたように映る。内側から見れば、私が私を包んだ。矛盾する二つの真実が、同じ光で塗りつぶされる。

 村の人たちが一斉に息を吸う。
 セオドールは軽く顎を引いた。
 祈祷師長が喜色まじりに祝詞を重ね、鎖は檻に絡みついて「御用」の名を得る。見える者にはそれが正義。私には、それが演技。

「捕縛、完了」

 祈祷師長の声が空気を固める。
 ノアは一歩、出る。角の影が地面に刺さる。
 私の檻の縁が、ふっと輝いて、彼の足を止める。止めるのは力ではない。合図だ。
 彼の眉がわずかに動く。
 私は右手の指先を、檻の内側、足元の“縁”に落とした。誰にも見えないほどの微細な刻み——runes。薄い光の針で、地面の埃に縫い目をつける。
 〈信じて。鍵は“共鳴”〉
 竜の目にだけ見える、古い竜文の欠片。
 ノアの喉が、微かに鳴った。返事の代わりに。彼は拳を下ろす。祈祷師団の視線は檻の中の私に集まり、誰も彼の喉の音を聞かない。

「王都へ連行する。裁断は城で」

 セオドールは馬を返し、輪が動く。
 村の人々は道端に退き、鍵の幻に手を当て、祈りと謝罪のあいだの顔をする。あの老人が毛布を抱えたまま、目だけで“すまない”と言った。私は頷く。頷き方は、笑いに似せる。泣き方は、火の側で隠す。

 檻は歩く。
 檻は私の脚に軽い重さを貸し、外形だけを鎖に合わせて見せる。鎖の人たちは満足げで、騎兵は形式的に槍を掲げ、村は息を止め、道は王都へ伸びる一本の線に戻る。

 半里ほど進んだところで、列が森の影に入った。
 陽は斜め、葉は裏返り、風は細い。
 私は檻の内側で、深く息を吸い、三つ数えて、離す。
 檻の縁に刺しておいたrunicの糸が、ひとつ、かすかに震える。
 遠く——村の反対側、見張りの届かない小丘の、その下。
 ノアの心拍。
 私の心拍。
 二つの鼓動が、森の根を通ってかすかに揃う。
 共鳴。鍵穴に差し込んだ鍵が、一度だけ、回る感触。

 「何をした」

 祈祷師長が振り向く。
 私は首をかしげ、無邪気の角度を借りる。檻は揺れず、鎖は満足に軋むだけ。何も起きていない。何も、まだ。

 王都までの道は長い。
 私は檻の内側で、runicを増やす。
 見えない縫い目を、足の運びに合わせて刻む。
 歩幅。石の継ぎ目。影の濃さ。
 〈北の合図で、ひと呼吸〉
 〈東の鐘で、ふた拍〉
〈“日槍”の歌、いまだ眠る〉
 意味の糸を、檻の内側だけに張っていく。祈祷師の祝詞は外側で歌い、鎖は表面だけをなぞって満足する。内側は私の歌場。昔の誰かの歌でも、今の私の歌でもある。

「お前、笑っているな」

 馬上からセオドールの声。
 見る。彼と目が合う。刃より冷たい青。
 私は言う。

「王都の風、懐かしくて」

「出自を調べておこう」

「名は、もう渡したよ」

「名は鎖だ。鎖は手に馴染む」

「私の手には、馴染まない」

「試そう」

 試す、という言葉が、昼の光を一段冷たくした。
 セオドールは視線を前に戻し、行軍は速度を上げる。祈祷師は満足を隠せず、騎兵は退屈をごまかすために鞍上で姿勢を直す。私の首筋を風が撫で、白い髪が檻の光に細い影を作る。影の模様がrunicの針目と重なり、わずかに増幅する。

 夕刻、城壁が地平の端に姿を見せた。
 黒石の塔、東の封印陣、寝返りの亀裂。
 胸の湖が一瞬、冷えきる。
 その冷えを、呼吸で温める。
 吸って、三つ。離す。
 runicの糸が全体に渡って震える。
 遠く、森の陰のさらに向こうで、銀の鼓動が一度、強く鳴る。
 共鳴が、鍵穴を確かに撫でた。

 「……ノア」

 檻の内側で、誰にも聞こえない声。
 返事は来ない。
 けれど、返事はいらない。
 runicの針目に彼の気配が絡み、私の声がそこに結ばれる。

 城門の前、行列が止まる。
 祈祷師長が儀礼の言葉を口上し、近衛が形式に従って確認を取る。城下の民は遠巻きに集まり、遠い噂が目の形に変わってここへ集まる。——魔女。
 私は檻の内側で、微笑む。演技の笑い。戦争の笑い。
 セオドールは馬上で、わずかに頷いた。
 私の笑いが、彼の予想の図に収まる笑いであることに、満足した頷き。

 その瞬間、塔の上で鐘が一度——ほんの一度、微かに鳴った。
 東でも、西でもない。封印の塔の、一番高い縁。
 runicの糸が全身に走る。
 共鳴。鍵は、ここで回る。
 私は息を吸い、三つ数えて、離す。
 檻の内側にだけ、別の檻が起動する。
 外からは見えない、内側からしか触れない格子。
 星の檻の中に、星の檻。
 重ねた檻と檻の“あいだ”が、扉になる。

 私は掌にそっと書く。
 〈信じて。鍵は“共鳴”。開くのは“間”〉
 runicの糸が、指先から足元へ、足元から城門の影へ流れる。
 城門の影が、ひと呼吸だけ濃くなり、また薄くなる。
 誰も気づかない。
 セオドールも、祈祷師長も、騎兵も。
 ただ、城壁の裏のどこかで、銀の瞳が一度だけ、細く笑った。
 見えていないのに、見えている笑い。
 私も笑う。檻の中で、表面だけを冷やして。

「さあ——王都へようこそ、星の魔女。裁断の席は用意してある」

 セオドールが言う。
 私は軽く会釈する。
 ——演目の第二幕。
 私が選んだ“捕らえられたふり”。
 私が起こした“檻の便乗”。
 ノアだけが読めるrunicの囁き。
 鍵は共鳴、扉は間。

 村は背後に沈み、火の匂いは遠ざかる。
 広場の井戸の影が、夕暮れの中で深くなる。
 私は背で吸い、三つ数え、離す。
 心拍は、低く、強く。
 檻は歩き、檻は閉じ、檻は“開く準備”をやめない。
 選んだのは私。
 命令じゃなくて、選択として。
 そして、選んだ責任を、事実に変えるために。
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