捨てられた平民メイド、実は伝説の魔女でしたって今さら気づくな!

タマ マコト

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第14話 街路の祈り、口づけの誓い

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 光槍の残光が、空の高みに薄く刺さっている。
 王都は、音を取り戻しながらも、まだ咳をしていた。瓦礫が道にうずくまり、崩れた屋根の影が午后の光に縁取りされる。焼け石の匂い、濡れた灰の匂い、そして人の汗の塩気。私は息を吸い、背で三つ数え、離す。胸の湖は浅く、しかし波はまっすぐに伸びていく。

「大丈夫、聞こえる? ……うん、指、握って」

 転んだ少年の膝下。擦りむけた皮膚に砂が噛みついている。私は掌をかざし、言葉にしない言葉で「楽」を渡す。筋のこわばりがほどけ、熱の縁だけがやわらぐ。少年は涙と鼻水でくしゃくしゃの顔を私に向け、ぎこちなく笑った。

「おねえちゃん、白い」

「染め直しサボっただけ」

「うそだ」

「事実だ」

 背から影が覆う。ノアが少年を抱き上げ、崩れた石段の安全な縁へ移す。彼の肩はいつも通り硬く、いつも通り温かい。彼の呼吸は一定で、私の三拍子の脇を、一拍子で支える。

 路地を曲がる。
 倒れた棚、破れた幔幕、散らばる小麦。パン屋の若主人が口の端から血を滲ませ、両手で窯の扉を抱えている。私はその手を包んだ。骨は無事、皮は裂け、誇りは傷だらけ。

「窯、守ったの?」

「パンは、朝になれば人を起こすから」

「じゃあ、あなたを起こす。今は座って、吸って、三つ数えて、離す」

 彼は従い、肩の力が落ちる。日槍の熱は、こういう場所に巣を作る。焦りの隙間、正しさの溝。私は一人ずつ、その巣の縁を指で崩していく。祈りを刃にしない祈り方で、声を低く。
 老女の背に布を当て、赤子の足裏をこすり、井戸の縁に「戻れ」と囁く。石は冷たさを思い出し、水は落ち着きを取り戻す。日槍の余熱が一枚、二枚と剥がれ、風が私の髪を撫でるたび、白の糸に夜露みたいな冷えが滲む。

「リリア」

「うん」

「背、貸す」

「借りる」

 私がしゃがむより早く、ノアの膝が地に着いている。私はその背に体を預け、倒れた梁の下へ腕を伸ばした。下敷きの女の子の瞳が涙で大きく、喉がうまく音を選べずに「あ」と「う」の間で足踏みしている。

「見て、ここ。……そう、私の指。吸って、三つ——ひとつ、ふたつ、みっつ。離す」

 梁の意味が軽くなる。力じゃない。重さの文法の書き換え。ノアが肩で梁を持ち上げ、女の子をするりと引き抜く。小さな胸がひとつ大きく動き、泣き声が形を取り戻す。泣くことは生きている証。私は背中を撫で、「泣いて、今は」と言う。

 広場を抜けると、廃塔が見えた。
 王都の古い見張り塔。半分で折れ、残った半円が空をすくう貝殻みたいになっている。壁に蔦、足元に割れた銘板、階段は三段目から崩れていた。風が塔の空洞を通り抜け、低い笛の音を作る。星井戸の歌が、その音に細く混じっている。変調のはしり。

「ここだ」

「うん。ここがいい」

 塔の影は涼しく、瓦礫は重なって小さな祭壇の形をしている。私は破片を寄せ、平らな円を作った。ノアは周囲の石を均し、人の気配が来ないよう、崩れた入口に倒木を一本置く。二人で目を合わせる。頷く。座る。

「共鳴陣、組む」

「指示を」

「私、北。あなた、南。円は小さく。私たちの鼓動に合わせる」

 土の上に指で輪を描く。
 輪の縁にrunicの針目を、音符みたいに置いていく。
 〈息——三〉〈拍——一〉〈間——薄〉〈縫——緩〉
 ノアの指が反対側から同じ針目を重ねる。私の線と彼の線が、触れて、重なって、光をほんの少しだけ滲ませる。塔の笛が高くなり、星井戸の歌が一拍遅れて追いかける。追いかけっこ。そう、今日は追いかけっこでいい。捕まえない。捕まらない。

「手」

「うん」

 指と指が触れる。
 冷たい指先に、彼の温度が移る。
 血の流れが触れ合い、拍が近づく。
 私は息を吸う。背で、三つ。離す。
 彼の胸が、同時に沈む。
 共鳴陣の縁が、淡く脈打つ。塔の空洞が応答し、遠い地の底——星井戸のほうに、うっすらと“新しい調律”の糸が投げられる。

「私は“守る魔女”になる」

 囁いた言葉は、私自身への命名だ。
 魔女は、いつも誰かに名付けられる。恐怖のために、秩序のために。今日は自分で名付ける。守る、と。刃じゃなく、布で。締め付けじゃなく、包むことで。

「お前は、もうそうだ」

「まだ途中」

「途中は、いい」

 彼の親指が私の指の背を一度だけ撫でる。
 それだけで、胸の穴の縁に熱が集まる。
 私は笑い、目を閉じ、額を少し傾けた。
 短い口づけ。
 音はしない。風の音だけが背景。
 触れたのはほんの一拍。けれど、その一拍のために、今日のすべての呼吸があった気がした。

「生きよう」

「うん、生きて選ぶ」

 合図のように、塔の笛が三度鳴る。
 共鳴陣の光が、輪郭をはっきりさせる。
 私はrunicの針目を増やし、星井戸の歌へ「変調」の提案を送る。
 〈主旋律、降ろす〉
 〈裏声、持ち上げる〉
〈“正しさ”を、“暮らしやすさ”に転調〉
 祈祷師が嫌う、しかし子守歌が微笑む構成。王都の地の血は頑固だ。だが、頑固なものほど、最初の一歩だけ支えてやれば、歩き出す。

「来てる」

「歌が?」

「ああ。……古い歌が、眠そうだ」

「じゃあ、毛布」

 私は笑って、共鳴陣に「やわらげ」をひと匙。
 塔の石が温度を落とし、空の白が柔らかくなる。街路の祈り——瓦礫のあいだから聞こえる「助けて」「ありがとう」「水を」「ごめんね」——が、星井戸の歌の裾に引っかかり、刺繍になっていく。上から押し付ける祈りじゃない。下から生える祈り。

「リリア」

「なに」

「名前、少し、戻った」

「誰の」

「あの踊り場の子。……“ミレ”」

「ミレ……」

 口にした瞬間、胸の湖に小波。
 涙が、勝手に生まれて、すぐ乾く。
 全部じゃない。けれど、糸口。
 街へ薄く散らした私の欠片が、ほんの少し、戻ってきたのだろう。ノアが鼻で笑い、私の額に軽くキスを落とす。

「匂いで辿った」

「便利」

「事実だ」

 共鳴は続く。
 私たちの指は離れず、拍は乱れない。
 ひとり、またひとり、広場に集まる足音がある。手を合わせる者、背をさする者、ただ見つめる者。彼らの祈りは刃じゃない。体温を持った布だ。その布の端を私は結び、ほどけた場所にそっと重ねる。
 日槍の熱が、街路の石から抜けていく。
 鉄の味が薄まり、パンの甘さが鼻腔を撫でる。
 鐘は壊れたままでも、鍋の蓋が代わりにリズムを刻む。

「星井戸、どうだ」

「歌、変わり始めた。……ちょっと、照れてる」

「井戸が照れるのか」

「照れるの。たぶん」

「事実だ」

「適当言わないで」

 笑い合って、私は最後の針目を置く。
 〈間を残す〉
 完璧にしない。余白は呼吸の居場所だから。星井戸の歌が完全に“正しく”なれば、また誰かの喉が締め付けられる。私はそれを嫌う。だから、少し不格好に、少し眠たげに、少し笑っている調律を選ぶ。

 共鳴陣の光が落ち着く。
 塔の笛は、低く、長いひと息に変わる。
 空の残光はさらに薄く、白から優しい灰へ。
 人々の声は散らず、集まりすぎず、適度に擦れ、適度に重なる。街は、やっと“生活”の拍子を取り戻した。

「終わり?」

「区切り」

「次は」

「眠る。少しだけ」

「賛成」

 ノアが私の肩を抱き、崩れた壁にもたれかかる。風が白い髪を撫で、指の間で光がひとつ弾ける。私は目を閉じ、背で吸い、三つ数える。離す。
 胸の湖は静かで、底に小さな火の粒。
 星井戸の歌は遠くで、新しい主題を試し始める。
 高すぎない高さで、低すぎない低さで。
 誰かの鍋と、誰かの笑いと、誰かの小さな口づけに、混ざれる音域で。

「守る魔女」

「うん」

「俺は、その魔女の背骨になる」

「言い方、好き」

「事実だ」

 口づけは短く、言葉は少なく、呼吸は長い。
 瓦礫の街路に、祈りが布のように広がり、そこに私たちの足跡が軽く縫い付けられる。
 “生きて選ぶ”。
 たぶん、この言葉を何度も言う。
 何度も言って、何度も現実にする。
 星井戸の歌が変調し、王都の空は初めて、昼間なのに夜空の深さを少しだけ思い出した。
 その深さは怖くない。
 私たちは二人で、そこへ息を合わせる準備ができているから。
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