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十三
山にはうっすらと雪が積もっていたが、春の兆しが見られた。地面は黒く柔らかく、せっかちな植物の芽が点々と顔をのぞかせている。空はよく晴れていたが、澄んだ青に思いを馳せる余裕は璃央になかった。士鵠は道なき道を軽やかに歩いていく。璃央は足を滑らせないようついていくのがやっとだ。士鵠のもとで働き始めてそろそろ三か月が経とうとしている。水汲みや麓の村との往復で足腰が鍛えられたと思っていたが、気のせいだったかもしれない。
士鵠はたびたび振り返り、遅れがちな璃央を待ってくれた。初めて二人で村に薬を売りにいったときは、璃央がどんなに息を切らしていても歩みをゆるめてくれなかった。気遣ってもらえるようになったのはうれしいが、足手まといになっているのがわかって情けない。
「休むか」
「大丈夫です」
冬の間減るばかりだった薬草の補充に来ている。できるだけたくさん採って帰りたい。璃央の返事は聞こえていただろうに、士鵠は手近な倒木に腰を下ろした。
璃央は水を飲み、息をついた。川の音が聞こえないほど山奥まで来ている。たまに鳥の声はするが、姿は見えない。
「すいません」
「謝らなくていい。疲れ果てる前に休むのは山の基本だ。それにしても、お前だいぶ無駄なく歩けるようになったな。思っていたより奥まで来られた」
褒められた。璃央はにやにやしそうになる顔を必死に引き締めた。足腰が鍛えられたのは気のせいではなかったようだ。
士鵠が背負っていた籠から厚い樹皮を取り出し、小刀で表皮を削り始める。
「外皮の下の白い層が見えるか。必要なのはここだけだ。不用意に触るな。手がかぶれるぞ」
「毒なんですか」
「このままではな。水にさらして乾燥させると薬になる」
「毒が薬になるんですか」
「毒も薬も人間の都合で呼び分けているに過ぎない。本来、明確な境はない」
「前に教わった金丹が毒って話と同じっすか」
「行きつく先は同じだが、過程が違う」
仙丹は毒性の弱い銅丹から始めて徐々に人間の耐性を上げる。樹皮は表面を削って水にさらし、乾燥させて毒素を抜く。
「結局は人と毒とのせめぎ合いだ。どちらかに手を加え、釣り合いが取れる点を探す」
「士鵠様には釣り合いの点がわかるんスね」
「俺の知識は先達の受け売りだ。わかるとは言えない」
どうすれば毒でなくなるのか。どうすれば毒を飲んで大丈夫なのか。多くの医師や薬師が試行錯誤して積み上げた。不老不死を求める道士や仙人たちが加わり、幅を広げた。書物で、口頭で、連綿と受け継がれてきた。
「金丹の話も、お師様から教わったのをそのまま話しただけだ。俺は銅丹さえ飲んでいない」
樹皮はずいぶん硬いらしく、小刀が当たるたびにガリガリと音がした。
「俺は、何も知らない」
「士鵠様が何も知らないなら、俺はどうなるんスか」
「葉の見分けがつくだろう」
さっき笹のような葉の植物を採ったとき、璃央は葉の裏に黄色い筋が入っているものだけを摘んだ。同じ場所によく似た植物がいっしょに生えているが、そちらには筋も薬効もない。
「だって、書物に書いてあったから」
「学ぶとはそういうことだ。知識を得、使う。そのうち身につく……まあ、これもお師様の受け売りなんだが」
受け売りでも、士鵠は多くの知識を持っていて、自在に使える。そのうえで何も知らないと言えるのだから、士鵠は立派だ。
樹皮は次第に削られ、白い層が増えてきた。士鵠は不要な部分を捨てていく。樹皮も、猪の内臓も、少女の好意さえ。士鵠の手に残っているのは、彼が必要とするものだけだ。士鵠の「必要」の中に璃央は入っているだろうか。士鵠が捨てて、捨てて、捨てていったら、どれくらいあとまで残してもらえるだろう。
「やってみるか」
ふいに士鵠が樹皮と小刀を差し出したので、璃央は勢いよく首を振った。
「無理っす」
「俺よりお前の方が器用だ。冬瓜の皮を薄く剥くより簡単だろう」
「俺は欲が深いから駄目です」
冬瓜の皮を薄く剥くのは、実をたくさん食べたいからだ。璃央は捨てられない。士鵠のようにはできない。
「どこから欲の話が出てきた?」
士鵠は怪訝な顔をしつつ、樹皮を削る作業に戻った。
薬草や山菜を採りながら帰路につく。いつもの山道に戻るとほっとした。踏み固められた道は歩きやすい。この急な坂を登ったら家だ。
「なんだ、今のは」
聞き慣れない音がして、璃央と士鵠は顔を見合わせた。馬のいななきだ。この辺りには士鵠の老馬しかいない。日がなうとうとしている老馬がいななくなんて、どうしたのだろう。
嫌な予感がしたのは士鵠も同じだったらしい。二人は走り出した。士鵠の方が足が速く、徐々に引き離される。開け放たれた門扉が見えたときには、士鵠は門をくぐっていた。扉は出かける前に閉めたはずだ。嫌な予感が強くなる。陶器が壊れる音がした。続く怒声は士鵠のものではなかった。
璃央が息を切らせて門に飛び込むと、士鵠の部屋から文字通り人が転がりでてきた。向かいの壁に頭をぶつけて鈍い音がする。打ち所が悪かったようだ。立ち上がろうとして転び、うめいている。見覚えがある。沈圭の取り巻きの一人だ。
士鵠が右手をさすりつつ自室から顔を出した。
「璃央、お前は外にいろ」
士鵠の命令を聞かず、璃央は中庭へ向かった。どの部屋も扉が開け放たれている。金丹の部屋からは黒い煙がもうもうと立ち上っていた。何かが壊れる音と、罵声が聞こえた。
「沈圭、こっちにはねぇぞ」
書庫から別の男が現れ、金丹の部屋からは沈圭が出てきた。沈圭は璃央と目が合って束の間身を固くしたが、すぐに顎を引き、いつもの下からにらむような体勢を取った。柄の長い鉄槌を引きずっている。
「おい、帰ってきてんじゃねぇか。どうするんだよ、沈圭。まだお宝見つかってねぇし、金目のものだって何も」
「黙ってろ!」
沈圭は書庫の男を怒鳴りつけ、璃央に向き直った。
「金丹はどこだ」
璃央は声が出なかった。まだ肩で息をしていたし、驚いてもいた。沈圭が仲間と何をしているかはすぐにわかった。幼い頃住んでいた下町では窃盗も暴力沙汰も茶飯事だった。それでも、璃央は無関係でいられた。窃盗されるのは裕福な家で、暴力を振るったり振るわれたりするのは酔客や仲の悪い隣人同士ばかりだった。武器を持った泥棒と対峙したのは初めてだ。
「金丹を出せ!」
沈圭は書庫の仲間に顎で合図し、こちらに歩いてくる。沈圭の目は血走っていた。
「沈圭、落ち着けよ。金丹なんかいらないだろ」
吐く息のすべてを使って声を出す。固まってしまった舌をなんとか動かす。みっともなく震えているが、これが精いっぱいだ。
「おじさんが帰ってきたら出世できるんだろ。こんなことして、出世できなくなったらどうするんだよ」
「叔父貴は風土病で死んだ」
璃央は息を飲んだ。
「いい気味だと思っただろう。かわいそうな奴だと思っただろう。自分と同じお先真っ暗の仲間ができたと思っただろう」
「思ってない」
嘘だ。思った。自分と同じだと思った。沈圭も追いつめられたのだと思った。いい気味だとは思わなかったが、かわいそうに思った。
「僕はお前とは違う! いっしょにするな!」
沈圭が鉄槌を振りかぶった瞬間、璃央は襟首を強く引かれた。鉄槌が胴をかすめ、うなじの産毛が逆立つ。
「あ、ありがとうございます」
「お前の説得で穏便に済めばと思ったが、無理そうだな。外へ出るぞ」
「でも、放っておいたら家がめちゃくちゃになります」
「もうめちゃくちゃだし、俺たちがめちゃくちゃにされるよりはましだ」
沈圭が鉄槌を横に振る。璃央はまたも士鵠に引っ張られた。士鵠に腕をつかまれたまま、沈圭と一定の距離を保ちながら後退する。
「士鵠様、走って逃げた方がいいんじゃないですか」
「あいつと距離ができたら他の奴が来る。間合いぎりぎりにいた方がいい」
確かに、書庫にいた仲間が加勢しようとしているが、沈圭が鉄槌を振り回すので近づけずにいる。細身の沈圭には鉄槌は重すぎるらしく、今もそのまま一回転してしまった。士鵠の部屋と客間の間の通路は狭いので、沈圭も鉄槌を使えないだろう。そこまで行けば、少しは逃げやすくなるはずだ。
あと少しで通路というところで振り返ると、先ほど士鵠の部屋から転がり出てきた男が歩いてきていた。まだふらついているが、手には棍棒を持っている。璃央は咄嗟に足元の砂をつかみ、棍棒を振り上げた男へ投げつけた。
「くそっ! くそっ!」
男は目を擦りながら棍棒を振り回す。攻撃は防いだが、通路が通れなくなってしまった。
「うわっ、すいません!」
「謝ってないで頭を下げろ」
沈圭の鉄槌は斜め右上に大きく振られた。身を屈めて鉄槌を避ける。
「あっぶねぇな! おい、沈圭! 俺に当たりそうだったぞ!」
「うるさい!」
じりじりと厨の方へ追い詰められる。沈圭はそろそろ動けなくなってもよさそうだが、怒りのせいで疲労を感じていないのかもしれない。仲間たちは士鵠と璃央を逃がさないよう、沈圭の鉄槌が当たらない位置で二人の逃げ道をふさいでいた。
厨の壁まであと十歩もない。
「士鵠様、走るの速いですよね」
「なんの話だ」
「がんばって速く走ってください」
璃央は一歩前に出た。沈圭が鉄槌を振りかぶる。璃央はさらに踏み出した。
「逃げて!」
璃央は鉄槌の柄を腕で受けとめた。沈圭自身の力は大したことはないが、鉄槌の重みがまともに来た。単純な痛みは単純だからこそ痛烈だった。指先がしびれる。璃央は歯を食いしばった。
勢いを失った鉄槌が地面に落ち、引きずられた沈圭が体勢を崩す。士鵠が沈圭と仲間の間を走り抜けた。速い。そのまま中庭を突っ切って、厩へ向かっていく。
「士鵠様! そっちじゃない!」
外へ逃げてほしかったのに、何をしているのだろう。士鵠はぶつかるように横木に取りついた。士鵠は気にかかるが、再び沈圭が鉄槌を持ち上げようとしている。璃央は沈圭の手を抑えた。沈圭がにらみつけてくる。璃央もにらみ返す。
「おい、やれ!」
近くにいた仲間が棍棒を振りかぶった。痛みを覚悟したとき、ごとん、と重い音がした。
輝きが璃央の目を射る。
棍棒の男はもんどり打って地面に転がった。きらめきとともに悲鳴が上がり、もう一人の仲間が弾き飛ばされた。悲鳴を上げたのは沈圭だ。鉄槌を放り出して逃げようとしたが、途中で腰が抜けたらしい。通路の近くでしりもちをついている。
「来るな! 来るな!」
中庭に銀色の動物が立っている。馬に似ているが、馬ではない。馬よりずっと大きく、体全体が銀色の鱗で覆われている。たてがみと尾は緑色で、水の中にいるようにたゆたっている。頭には鉄紺色の角が二本生えていた。馬のような生き物は、沈圭の足すれすれに蹄を打ち下ろした。すさまじい音が響き、地面が蹄の形に陥没する。美しい足が再び高く持ち上げられた。
「駄目だ!」
璃央は走り、鱗に覆われた胴に抱きついた。首に腕を回して体重をかけ、足を下ろさせる。銀の動物は不服そうに鼻を鳴らした。
「そうじゃない。お前が人を殺すのが嫌なんだ。助けてくれてありがとうな。もう大丈夫。俺は平気だから。な」
苛立ちもあらわな足踏みが止まり、銀の動物は璃央の頬に顔を寄せた。
「沈圭、出てってくれ。こいつがまた機嫌を悪くする前に」
沈圭はしばらく呆けたように璃央を見上げていた。目の焦点が戻ると同時に、顔から血の気が引いた。立ち上がろうとしたが立てず、四つん這いになる。二本の腕がよたよたと体を引きずっていく。
「お前らも出てけ。早く」
仲間の二人は壁にへばりついて銀の動物から距離を取り、通路に至ると沈圭を置き去りに走っていった。沈圭の罵声が響く。璃央は沈圭の姿が見えなくなるまで動物のたてがみを撫で、銀色の首に頬ずりをしていた。振り返った厩は横木が落ちていて、空っぽだった。士鵠が駆けてくる。
「璃央、腕を見せろ」
士鵠に袖をまくり上げられた。鉄槌の柄を受けた箇所は赤黒く変色し、腫れ上がっている。見るからに痛いし、実際に痛い。
「どうした。他にどこかやられたか。顔色が悪い」
「え、あ、いや、違うんです。なんか、急に怖くなってきて」
冷静になってみれば、沈圭は武術の心得がない。鉄槌も持て余していた。技量としては恐れる相手ではない。ただ、沈圭は璃央を攻撃する気があった。その感情が怖かった。
「殺されてたかもしれないって思ったら」
今になって体が震える。みっともない。
「遅いんだ、馬鹿。もっと早く気づけ」
「す、すいません。あ、士鵠様はけがしてないですか」
「していない」
銀の動物が鼻を鳴らし、激しく首を振った。
「うるさい。言うな。そんなの俺が一番わかっているんだ」
「あの、俺、何も」
「お前じゃない。そいつだ」
銀の動物は美しい姿に不釣り合いな唸り声を立てたが、士鵠が璃央を引きずるように自室へ向かったので、やり取りはそこで終わった。
士鵠の部屋はひどい有様だった。棚に置かれていたものがすべて落ち、村人たちからあずかった容器も、保存用の壺も割れていた。小型炉の炭が散乱し、干していた薬草はざるごと潰されていた。士鵠が採ってきて、分類して、刻んだりすり潰したりした薬草だ。喉が詰まる。積み上げたものが無残に崩されるのは、胸が苦しくなる。
「すぐ薬を作る。座って待っていろ」
「別にいいっすよ。これくらい放っといても治ります」
幼い頃は薬どころか血が出ても当てる布すらなかった。
「前に、兄さんたちの狩についていって馬から落ちたときにも同じくらい腫れたけど、放っておいたら治りました」
手当はしてもらえなかった。馬上から愚鈍と笑われた。義母にはまったく情けないと叱られ、父は何も言わなかった。
「董の家に人間はいないのか」
「俺が鈍臭かっただけです」
「どうしてそうなる。おかしいだろう」
「なんで士鵠様が怒るんですか」
「お前こそいいかげん怒れ。打ち所が悪かったり馬に蹴られたりしたら死ぬかもしれないんだぞ。お前の命が軽んじられているんだ。わからないのか」
士鵠に力説されても怒りはわかなかった。悲しかったのは覚えている。恥ずかしかったし、惨めだった。一言、誰かに大丈夫かと案じてもらいたかった。
「でも、俺は庶子だし、愚鈍なのは本当だし」
軽んじられても仕方がない。
「手柄を立てれば、いつか大事にしてもらえるかもしれないし」
「璃央」
士鵠の双眸は黒々として、映り込んだ自分とすら視線が合うかと思った。
「いつかじゃない。お前は、今、大事にされていいんだ」
士鵠は思っていないことは言わない。きっと心底、璃央は大事にされていいと信じている。
「何を笑っている」
「なんでもないです」
なんでもなくなんかない。うれしかった。
「なんでもないならさっさと座れ」
士鵠が通路を指した。銀の動物が脚を折りたたみ、誘うように首を振る。璃央は腰を下ろして鱗に覆われた胴に背をあずけた。士鵠は筵を敷き、磨り石と薬草を何種か部屋から運び出し、水を持ってきた。普段の三倍くらい不機嫌そうな顔で薬草をすり潰しはじめる。
士鵠を危ない目に遭わせてしまった。璃央が沈圭の仲間に砂を投げたせいで、道をふさがれてしまった。その前に、沈圭をうまく説得できればよかった。追い詰められているとは知らず、叔父の話をしてさらに怒らせてしまった。いや、それ以前の問題だ。沈圭に金丹の話をしなければよかった。璃央は肩を丸めた。
「こいつはお師様の乗騎だ。龍馬という生き物らしい」
「えっ、あ、はい」
「俺の目付け役だ。監視される覚えはないが、お師様が置いていった」
龍馬が頭を振る。
「お師様に言え。俺は頼んでいない」
「何言ってるかわかるんですか」
「お前だってわかるだろう」
「なんとなく」
こう思っている気がする、くらいの感覚だ。とんちんかんな返事をしているときもあるだろう。龍馬がふすんふすんと鼻から息をもらす。
「俺の理解が遅いんじゃない。璃央が異様に早いんだ」
士鵠は龍馬と意思疎通ができるまでに十年かかったそうだ。はじめは話しかけられているのすら気づかなかったらしい。
士鵠は龍馬を目付役と言ったが、璃央には友だちのように見える。泛蕩もそのつもりだったのではないだろうか。幼い士鵠がさびしくないように、慣れ親しんだ家畜に近い形の動物と暮らせるよう取り計らったのだと思う。
龍馬が普段老馬の姿でいるのは、訪ねてくる村人を驚かせないためだそうだ。哀れな姿に騙された璃央が一生懸命に世話をして親しく話しかけたので、すっかり気に入ってしまったらしい。
「俺、ここに来てから騙されてばっかりだ」
泛蕩は士鵠の弟子だと言ったし、龍馬は老馬のふりをしていた。
「俺は騙していない」
士鵠の主張に老馬が鼻を鳴らす。
「でも、俺も嘘をついたんです。沈圭に金丹があるって言ったんです」
金丹がないのを沈圭に知られたくなかった。おしゃべりな沈圭の向こうに皇帝と父の姿が透けて見えた。怖かった。
「正直に作ってる途中だって言えば、こんなことにはならなかったのに……すいません」
「嘘をついたのが悪くなかったとは言わないが、金丹を奪おうと考えたのは奴の性根の問題だ。お前がすべての責任を負う必要はない」
士鵠は湿布薬を布にべっとりと塗り、患部に貼った。手がかすかに震えている。包帯の端をうまく結べず、悪態を吐く。
「士鵠様、大丈夫ですか。やっぱどっかけがしたんじゃ」
どん、と胸を拳で叩かれた。
「……二度とするな」
息が詰まるような声だった。顔を伏せているので、士鵠がどんな表情をしているかわからない。怖い思いをさせたのだと気づき、璃央は小さく謝った。
奴隷狩りから士鵠だけが逃げられた。士鵠だけが助かった。
さっき、璃央はもちろん自分も逃げる気でいたが、士鵠はそうと思わなかったようだ。
「助けてくれてありがとうございます」
龍馬が抗議するように頭を振る。
「お前が助けてくれたのはわかってるよ。ありがとな。でも、厩の綱を切ってくれたのは士鵠様だから、士鵠様にもお礼言ったっていいだろ」
もう一度、胸を叩かれた。今度は力が入っていなかった。顔を上げた士鵠の目はうっすらと潤んでいる。
「士鵠様」
触れようとしたら避けられてしまった。士鵠は薬の残った磨り石を持って自室へ入っていった。璃央は立ち上がり、筵の砂を払って丸めた。背を押されて肩越しに振り返ると、龍馬が額を押し付けている。角が硬くて少し痛い。
「うん、士鵠様はやさしいな」
璃央が答えると、龍馬は鼻を鳴らして首を振った。
士鵠はたびたび振り返り、遅れがちな璃央を待ってくれた。初めて二人で村に薬を売りにいったときは、璃央がどんなに息を切らしていても歩みをゆるめてくれなかった。気遣ってもらえるようになったのはうれしいが、足手まといになっているのがわかって情けない。
「休むか」
「大丈夫です」
冬の間減るばかりだった薬草の補充に来ている。できるだけたくさん採って帰りたい。璃央の返事は聞こえていただろうに、士鵠は手近な倒木に腰を下ろした。
璃央は水を飲み、息をついた。川の音が聞こえないほど山奥まで来ている。たまに鳥の声はするが、姿は見えない。
「すいません」
「謝らなくていい。疲れ果てる前に休むのは山の基本だ。それにしても、お前だいぶ無駄なく歩けるようになったな。思っていたより奥まで来られた」
褒められた。璃央はにやにやしそうになる顔を必死に引き締めた。足腰が鍛えられたのは気のせいではなかったようだ。
士鵠が背負っていた籠から厚い樹皮を取り出し、小刀で表皮を削り始める。
「外皮の下の白い層が見えるか。必要なのはここだけだ。不用意に触るな。手がかぶれるぞ」
「毒なんですか」
「このままではな。水にさらして乾燥させると薬になる」
「毒が薬になるんですか」
「毒も薬も人間の都合で呼び分けているに過ぎない。本来、明確な境はない」
「前に教わった金丹が毒って話と同じっすか」
「行きつく先は同じだが、過程が違う」
仙丹は毒性の弱い銅丹から始めて徐々に人間の耐性を上げる。樹皮は表面を削って水にさらし、乾燥させて毒素を抜く。
「結局は人と毒とのせめぎ合いだ。どちらかに手を加え、釣り合いが取れる点を探す」
「士鵠様には釣り合いの点がわかるんスね」
「俺の知識は先達の受け売りだ。わかるとは言えない」
どうすれば毒でなくなるのか。どうすれば毒を飲んで大丈夫なのか。多くの医師や薬師が試行錯誤して積み上げた。不老不死を求める道士や仙人たちが加わり、幅を広げた。書物で、口頭で、連綿と受け継がれてきた。
「金丹の話も、お師様から教わったのをそのまま話しただけだ。俺は銅丹さえ飲んでいない」
樹皮はずいぶん硬いらしく、小刀が当たるたびにガリガリと音がした。
「俺は、何も知らない」
「士鵠様が何も知らないなら、俺はどうなるんスか」
「葉の見分けがつくだろう」
さっき笹のような葉の植物を採ったとき、璃央は葉の裏に黄色い筋が入っているものだけを摘んだ。同じ場所によく似た植物がいっしょに生えているが、そちらには筋も薬効もない。
「だって、書物に書いてあったから」
「学ぶとはそういうことだ。知識を得、使う。そのうち身につく……まあ、これもお師様の受け売りなんだが」
受け売りでも、士鵠は多くの知識を持っていて、自在に使える。そのうえで何も知らないと言えるのだから、士鵠は立派だ。
樹皮は次第に削られ、白い層が増えてきた。士鵠は不要な部分を捨てていく。樹皮も、猪の内臓も、少女の好意さえ。士鵠の手に残っているのは、彼が必要とするものだけだ。士鵠の「必要」の中に璃央は入っているだろうか。士鵠が捨てて、捨てて、捨てていったら、どれくらいあとまで残してもらえるだろう。
「やってみるか」
ふいに士鵠が樹皮と小刀を差し出したので、璃央は勢いよく首を振った。
「無理っす」
「俺よりお前の方が器用だ。冬瓜の皮を薄く剥くより簡単だろう」
「俺は欲が深いから駄目です」
冬瓜の皮を薄く剥くのは、実をたくさん食べたいからだ。璃央は捨てられない。士鵠のようにはできない。
「どこから欲の話が出てきた?」
士鵠は怪訝な顔をしつつ、樹皮を削る作業に戻った。
薬草や山菜を採りながら帰路につく。いつもの山道に戻るとほっとした。踏み固められた道は歩きやすい。この急な坂を登ったら家だ。
「なんだ、今のは」
聞き慣れない音がして、璃央と士鵠は顔を見合わせた。馬のいななきだ。この辺りには士鵠の老馬しかいない。日がなうとうとしている老馬がいななくなんて、どうしたのだろう。
嫌な予感がしたのは士鵠も同じだったらしい。二人は走り出した。士鵠の方が足が速く、徐々に引き離される。開け放たれた門扉が見えたときには、士鵠は門をくぐっていた。扉は出かける前に閉めたはずだ。嫌な予感が強くなる。陶器が壊れる音がした。続く怒声は士鵠のものではなかった。
璃央が息を切らせて門に飛び込むと、士鵠の部屋から文字通り人が転がりでてきた。向かいの壁に頭をぶつけて鈍い音がする。打ち所が悪かったようだ。立ち上がろうとして転び、うめいている。見覚えがある。沈圭の取り巻きの一人だ。
士鵠が右手をさすりつつ自室から顔を出した。
「璃央、お前は外にいろ」
士鵠の命令を聞かず、璃央は中庭へ向かった。どの部屋も扉が開け放たれている。金丹の部屋からは黒い煙がもうもうと立ち上っていた。何かが壊れる音と、罵声が聞こえた。
「沈圭、こっちにはねぇぞ」
書庫から別の男が現れ、金丹の部屋からは沈圭が出てきた。沈圭は璃央と目が合って束の間身を固くしたが、すぐに顎を引き、いつもの下からにらむような体勢を取った。柄の長い鉄槌を引きずっている。
「おい、帰ってきてんじゃねぇか。どうするんだよ、沈圭。まだお宝見つかってねぇし、金目のものだって何も」
「黙ってろ!」
沈圭は書庫の男を怒鳴りつけ、璃央に向き直った。
「金丹はどこだ」
璃央は声が出なかった。まだ肩で息をしていたし、驚いてもいた。沈圭が仲間と何をしているかはすぐにわかった。幼い頃住んでいた下町では窃盗も暴力沙汰も茶飯事だった。それでも、璃央は無関係でいられた。窃盗されるのは裕福な家で、暴力を振るったり振るわれたりするのは酔客や仲の悪い隣人同士ばかりだった。武器を持った泥棒と対峙したのは初めてだ。
「金丹を出せ!」
沈圭は書庫の仲間に顎で合図し、こちらに歩いてくる。沈圭の目は血走っていた。
「沈圭、落ち着けよ。金丹なんかいらないだろ」
吐く息のすべてを使って声を出す。固まってしまった舌をなんとか動かす。みっともなく震えているが、これが精いっぱいだ。
「おじさんが帰ってきたら出世できるんだろ。こんなことして、出世できなくなったらどうするんだよ」
「叔父貴は風土病で死んだ」
璃央は息を飲んだ。
「いい気味だと思っただろう。かわいそうな奴だと思っただろう。自分と同じお先真っ暗の仲間ができたと思っただろう」
「思ってない」
嘘だ。思った。自分と同じだと思った。沈圭も追いつめられたのだと思った。いい気味だとは思わなかったが、かわいそうに思った。
「僕はお前とは違う! いっしょにするな!」
沈圭が鉄槌を振りかぶった瞬間、璃央は襟首を強く引かれた。鉄槌が胴をかすめ、うなじの産毛が逆立つ。
「あ、ありがとうございます」
「お前の説得で穏便に済めばと思ったが、無理そうだな。外へ出るぞ」
「でも、放っておいたら家がめちゃくちゃになります」
「もうめちゃくちゃだし、俺たちがめちゃくちゃにされるよりはましだ」
沈圭が鉄槌を横に振る。璃央はまたも士鵠に引っ張られた。士鵠に腕をつかまれたまま、沈圭と一定の距離を保ちながら後退する。
「士鵠様、走って逃げた方がいいんじゃないですか」
「あいつと距離ができたら他の奴が来る。間合いぎりぎりにいた方がいい」
確かに、書庫にいた仲間が加勢しようとしているが、沈圭が鉄槌を振り回すので近づけずにいる。細身の沈圭には鉄槌は重すぎるらしく、今もそのまま一回転してしまった。士鵠の部屋と客間の間の通路は狭いので、沈圭も鉄槌を使えないだろう。そこまで行けば、少しは逃げやすくなるはずだ。
あと少しで通路というところで振り返ると、先ほど士鵠の部屋から転がり出てきた男が歩いてきていた。まだふらついているが、手には棍棒を持っている。璃央は咄嗟に足元の砂をつかみ、棍棒を振り上げた男へ投げつけた。
「くそっ! くそっ!」
男は目を擦りながら棍棒を振り回す。攻撃は防いだが、通路が通れなくなってしまった。
「うわっ、すいません!」
「謝ってないで頭を下げろ」
沈圭の鉄槌は斜め右上に大きく振られた。身を屈めて鉄槌を避ける。
「あっぶねぇな! おい、沈圭! 俺に当たりそうだったぞ!」
「うるさい!」
じりじりと厨の方へ追い詰められる。沈圭はそろそろ動けなくなってもよさそうだが、怒りのせいで疲労を感じていないのかもしれない。仲間たちは士鵠と璃央を逃がさないよう、沈圭の鉄槌が当たらない位置で二人の逃げ道をふさいでいた。
厨の壁まであと十歩もない。
「士鵠様、走るの速いですよね」
「なんの話だ」
「がんばって速く走ってください」
璃央は一歩前に出た。沈圭が鉄槌を振りかぶる。璃央はさらに踏み出した。
「逃げて!」
璃央は鉄槌の柄を腕で受けとめた。沈圭自身の力は大したことはないが、鉄槌の重みがまともに来た。単純な痛みは単純だからこそ痛烈だった。指先がしびれる。璃央は歯を食いしばった。
勢いを失った鉄槌が地面に落ち、引きずられた沈圭が体勢を崩す。士鵠が沈圭と仲間の間を走り抜けた。速い。そのまま中庭を突っ切って、厩へ向かっていく。
「士鵠様! そっちじゃない!」
外へ逃げてほしかったのに、何をしているのだろう。士鵠はぶつかるように横木に取りついた。士鵠は気にかかるが、再び沈圭が鉄槌を持ち上げようとしている。璃央は沈圭の手を抑えた。沈圭がにらみつけてくる。璃央もにらみ返す。
「おい、やれ!」
近くにいた仲間が棍棒を振りかぶった。痛みを覚悟したとき、ごとん、と重い音がした。
輝きが璃央の目を射る。
棍棒の男はもんどり打って地面に転がった。きらめきとともに悲鳴が上がり、もう一人の仲間が弾き飛ばされた。悲鳴を上げたのは沈圭だ。鉄槌を放り出して逃げようとしたが、途中で腰が抜けたらしい。通路の近くでしりもちをついている。
「来るな! 来るな!」
中庭に銀色の動物が立っている。馬に似ているが、馬ではない。馬よりずっと大きく、体全体が銀色の鱗で覆われている。たてがみと尾は緑色で、水の中にいるようにたゆたっている。頭には鉄紺色の角が二本生えていた。馬のような生き物は、沈圭の足すれすれに蹄を打ち下ろした。すさまじい音が響き、地面が蹄の形に陥没する。美しい足が再び高く持ち上げられた。
「駄目だ!」
璃央は走り、鱗に覆われた胴に抱きついた。首に腕を回して体重をかけ、足を下ろさせる。銀の動物は不服そうに鼻を鳴らした。
「そうじゃない。お前が人を殺すのが嫌なんだ。助けてくれてありがとうな。もう大丈夫。俺は平気だから。な」
苛立ちもあらわな足踏みが止まり、銀の動物は璃央の頬に顔を寄せた。
「沈圭、出てってくれ。こいつがまた機嫌を悪くする前に」
沈圭はしばらく呆けたように璃央を見上げていた。目の焦点が戻ると同時に、顔から血の気が引いた。立ち上がろうとしたが立てず、四つん這いになる。二本の腕がよたよたと体を引きずっていく。
「お前らも出てけ。早く」
仲間の二人は壁にへばりついて銀の動物から距離を取り、通路に至ると沈圭を置き去りに走っていった。沈圭の罵声が響く。璃央は沈圭の姿が見えなくなるまで動物のたてがみを撫で、銀色の首に頬ずりをしていた。振り返った厩は横木が落ちていて、空っぽだった。士鵠が駆けてくる。
「璃央、腕を見せろ」
士鵠に袖をまくり上げられた。鉄槌の柄を受けた箇所は赤黒く変色し、腫れ上がっている。見るからに痛いし、実際に痛い。
「どうした。他にどこかやられたか。顔色が悪い」
「え、あ、いや、違うんです。なんか、急に怖くなってきて」
冷静になってみれば、沈圭は武術の心得がない。鉄槌も持て余していた。技量としては恐れる相手ではない。ただ、沈圭は璃央を攻撃する気があった。その感情が怖かった。
「殺されてたかもしれないって思ったら」
今になって体が震える。みっともない。
「遅いんだ、馬鹿。もっと早く気づけ」
「す、すいません。あ、士鵠様はけがしてないですか」
「していない」
銀の動物が鼻を鳴らし、激しく首を振った。
「うるさい。言うな。そんなの俺が一番わかっているんだ」
「あの、俺、何も」
「お前じゃない。そいつだ」
銀の動物は美しい姿に不釣り合いな唸り声を立てたが、士鵠が璃央を引きずるように自室へ向かったので、やり取りはそこで終わった。
士鵠の部屋はひどい有様だった。棚に置かれていたものがすべて落ち、村人たちからあずかった容器も、保存用の壺も割れていた。小型炉の炭が散乱し、干していた薬草はざるごと潰されていた。士鵠が採ってきて、分類して、刻んだりすり潰したりした薬草だ。喉が詰まる。積み上げたものが無残に崩されるのは、胸が苦しくなる。
「すぐ薬を作る。座って待っていろ」
「別にいいっすよ。これくらい放っといても治ります」
幼い頃は薬どころか血が出ても当てる布すらなかった。
「前に、兄さんたちの狩についていって馬から落ちたときにも同じくらい腫れたけど、放っておいたら治りました」
手当はしてもらえなかった。馬上から愚鈍と笑われた。義母にはまったく情けないと叱られ、父は何も言わなかった。
「董の家に人間はいないのか」
「俺が鈍臭かっただけです」
「どうしてそうなる。おかしいだろう」
「なんで士鵠様が怒るんですか」
「お前こそいいかげん怒れ。打ち所が悪かったり馬に蹴られたりしたら死ぬかもしれないんだぞ。お前の命が軽んじられているんだ。わからないのか」
士鵠に力説されても怒りはわかなかった。悲しかったのは覚えている。恥ずかしかったし、惨めだった。一言、誰かに大丈夫かと案じてもらいたかった。
「でも、俺は庶子だし、愚鈍なのは本当だし」
軽んじられても仕方がない。
「手柄を立てれば、いつか大事にしてもらえるかもしれないし」
「璃央」
士鵠の双眸は黒々として、映り込んだ自分とすら視線が合うかと思った。
「いつかじゃない。お前は、今、大事にされていいんだ」
士鵠は思っていないことは言わない。きっと心底、璃央は大事にされていいと信じている。
「何を笑っている」
「なんでもないです」
なんでもなくなんかない。うれしかった。
「なんでもないならさっさと座れ」
士鵠が通路を指した。銀の動物が脚を折りたたみ、誘うように首を振る。璃央は腰を下ろして鱗に覆われた胴に背をあずけた。士鵠は筵を敷き、磨り石と薬草を何種か部屋から運び出し、水を持ってきた。普段の三倍くらい不機嫌そうな顔で薬草をすり潰しはじめる。
士鵠を危ない目に遭わせてしまった。璃央が沈圭の仲間に砂を投げたせいで、道をふさがれてしまった。その前に、沈圭をうまく説得できればよかった。追い詰められているとは知らず、叔父の話をしてさらに怒らせてしまった。いや、それ以前の問題だ。沈圭に金丹の話をしなければよかった。璃央は肩を丸めた。
「こいつはお師様の乗騎だ。龍馬という生き物らしい」
「えっ、あ、はい」
「俺の目付け役だ。監視される覚えはないが、お師様が置いていった」
龍馬が頭を振る。
「お師様に言え。俺は頼んでいない」
「何言ってるかわかるんですか」
「お前だってわかるだろう」
「なんとなく」
こう思っている気がする、くらいの感覚だ。とんちんかんな返事をしているときもあるだろう。龍馬がふすんふすんと鼻から息をもらす。
「俺の理解が遅いんじゃない。璃央が異様に早いんだ」
士鵠は龍馬と意思疎通ができるまでに十年かかったそうだ。はじめは話しかけられているのすら気づかなかったらしい。
士鵠は龍馬を目付役と言ったが、璃央には友だちのように見える。泛蕩もそのつもりだったのではないだろうか。幼い士鵠がさびしくないように、慣れ親しんだ家畜に近い形の動物と暮らせるよう取り計らったのだと思う。
龍馬が普段老馬の姿でいるのは、訪ねてくる村人を驚かせないためだそうだ。哀れな姿に騙された璃央が一生懸命に世話をして親しく話しかけたので、すっかり気に入ってしまったらしい。
「俺、ここに来てから騙されてばっかりだ」
泛蕩は士鵠の弟子だと言ったし、龍馬は老馬のふりをしていた。
「俺は騙していない」
士鵠の主張に老馬が鼻を鳴らす。
「でも、俺も嘘をついたんです。沈圭に金丹があるって言ったんです」
金丹がないのを沈圭に知られたくなかった。おしゃべりな沈圭の向こうに皇帝と父の姿が透けて見えた。怖かった。
「正直に作ってる途中だって言えば、こんなことにはならなかったのに……すいません」
「嘘をついたのが悪くなかったとは言わないが、金丹を奪おうと考えたのは奴の性根の問題だ。お前がすべての責任を負う必要はない」
士鵠は湿布薬を布にべっとりと塗り、患部に貼った。手がかすかに震えている。包帯の端をうまく結べず、悪態を吐く。
「士鵠様、大丈夫ですか。やっぱどっかけがしたんじゃ」
どん、と胸を拳で叩かれた。
「……二度とするな」
息が詰まるような声だった。顔を伏せているので、士鵠がどんな表情をしているかわからない。怖い思いをさせたのだと気づき、璃央は小さく謝った。
奴隷狩りから士鵠だけが逃げられた。士鵠だけが助かった。
さっき、璃央はもちろん自分も逃げる気でいたが、士鵠はそうと思わなかったようだ。
「助けてくれてありがとうございます」
龍馬が抗議するように頭を振る。
「お前が助けてくれたのはわかってるよ。ありがとな。でも、厩の綱を切ってくれたのは士鵠様だから、士鵠様にもお礼言ったっていいだろ」
もう一度、胸を叩かれた。今度は力が入っていなかった。顔を上げた士鵠の目はうっすらと潤んでいる。
「士鵠様」
触れようとしたら避けられてしまった。士鵠は薬の残った磨り石を持って自室へ入っていった。璃央は立ち上がり、筵の砂を払って丸めた。背を押されて肩越しに振り返ると、龍馬が額を押し付けている。角が硬くて少し痛い。
「うん、士鵠様はやさしいな」
璃央が答えると、龍馬は鼻を鳴らして首を振った。
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