アイスを買ってあげるよ

高遠 加奈

文字の大きさ
上 下
1 / 6

君にアイスを買ってあげるよ

しおりを挟む

会社の飲み会で、業績の良かった先輩が居酒屋の支払いをカードで済ませてくれた。

「じゃ、また来るから」

片手をあげて店を出てくる。

「森田先輩、ご馳走さまでした」
「ゴチになります」

店の外には、僕と沢田さん。他の人は二次会へと繰り出してしまっていた。


「薄情だな、お前たちだけかよ」

先輩は少し淋しそうな顔をした。肩に担いだ上着が揺れる。ネクタイを取って、シャツの第二ボタンまで外すと大人の色気があった。

「みんな二次会にいっちゃいましたよ。追いかけますか?」

「いや…いい。帰って休むわ」

残業、残業で仕事を詰めてきて契約を取れたお祝いだった。気をゆるめた今は疲労が浮いている。

「…気をつけて帰ってくださいね」

「おぅ、沢田も気をつけろ橋田に送ってもらえ。俺は逆方向だからな」

男でも憧れる。

まして女の子なら…同じ部所なら想わないわけはない。恋しないはずがない。
明らかな落胆と諦めをみせて、僕に向く。

「じゃ、いこっか橋田クン」


街灯の明かりに微かな風に舞う桜が浮かぶ。ちらちらと映画のワンシーンのように。

また、こうして桜をみることがあるのだろうか、ふたりで。

「先輩、彼女いるのかなぁ」

「仕事人間だからね、いたら大変だよ」



俯きながら、他の男のことを話さないでよ。
ここにいるのは僕なのに、独り言みたいに。



明るいコンビニが見える。

「アイス、買ってあげましょうか」

「うん、食べたい」



君が好きなものくらい知ってる。落ち込んだときに食べる、とっておきのアイスも。






君にアイスを買ってあげるよ。

ずるい僕は君がなんで笑うのか知ってる。

「じゃあね、ハーゲンダッツね」




君にアイスを買ってあげる。



「どうしよう、橋田クン…どうしよう」

目をいっぱいに見開いて、こぼれそうな涙が目尻に居座っている。
彼女は同じ課の沢田美月。ランチの間に、いったい何があったっていうんだ?

「まぁ、まぁ落ち着いて下さいよ」

とりあえず、座りなさいよと休憩室の椅子に連れてくる。落ち着くように、紙コップの紅茶を持たせる。

考えこみながらも、紅茶に口をつける。



「どうしたって言うんですか」

「赤ちゃんができたって」

「えっ」

誰といつの間に

「あたしじゃないわよ、森田先輩がそう話していたから…」

小さく息をつく。それでビックリして、確認する勇気もなくって、そんな顔してるんだ。

何して欲しい

僕の気持ちは透けて見えてないみたいだ。こんな相談に乗るなんてね。

「聞いてみましょうか、そのこと」

ぱっと顔が明るくなる。座らせていた彼女から熱のこもった視線で見上げられると、急に緊張してきた。

「ありがとう、いいの橋田くん」

「いいですよ、ただし覚悟はしといてくださいよ」

釘は刺しておく。たとえ本当に森田先輩が誰か付き合っている彼女を妊娠させてしまったのだとしても…泣かないで欲しい。きっと泣くんだろうけど…

僕はどうやって慰めたらいい?そんな時に告白なんて出来ない。ただ泣くのに付き合うしかできないよ。

「本当に本当にお願いね」

彼女の言葉を聞きながら、背を向ける。携帯を取り出して、外回りの森田先輩にメールを入れる。

『今日、飲みませんか』

ジョッキのデコメがちかちか点滅する。
待つ間もなく、すぐにリターンが来る。

『おっ、いいねぇ。この前のとこでどうだ。7時には行ける』

『了解です。席取ってますね』





先輩行きつけの居酒屋で、つまみを突きながら待つことにした。ここは、串焼きが旨いんだ。炭をおこして焼いた煙りが充満して、お腹がぐぅとなった。

先輩が来たら、注文しよう。勢いで聞くことになったけど、どう切り出すのか迷っていた。

「おう、早いな」

声に振り向くと、機嫌のいい森田先輩が笑っていた。
「早く喰わせてくださいよ、腹ぺこにこれはキツイですよ」

「注文すれば良かったのに」

嬉しそうに、おしぼりで顔や首をぬぐう。おっさんくさい仕草なのに、ちっともそう見えないのは、機嫌がよくて若く見えるからかもしれない。疲れた森田先輩は、老けて見える。

思いがけなく、機嫌がいいので聞きやすいのか悪いのか困ってしまう。

彼女の妊娠が嬉しい?
できちゃった婚が嬉しいとか?

…あまり例のない、自分の友達だって、彼女が妊娠したら大騒ぎだった。いずれ結婚するつもりだったとしても、結婚の申し込みだとか挙式だとか煩わしいことが沢山ある。

どうするんだろ、森田先輩…。



店員を捕まえて、メニューを指して注文している先輩からは、そんな悩みなんてカケラも見つからない。

「まずは、お疲れさん」

「お疲れさまです」

生ビールのジョッキを軽くぶつける。

「橋田さ、なに悩んでんの」

じっと森田先輩が僕を見ていた。


「どうして…」

「橋田が飲みに誘うなんて、珍しいからさ。今も考えこんでたろ。俺で良かったら相談に乗るよ」




森田先輩の言葉に息が詰まる。

確かに悩んでますけどね。誰が原因だと思ってるんですか。

「森田先輩みたくモテたらきっと悩みませんよ」

「俺?モテないね。彼女、絶賛募集中だよ」

熱々の焼鳥を、はふはふ言いながら頬張っている。本当に旨そうに食べる人だ。見ていて気持ちがいい。

「赤ちゃん出来たって噂になってますよ」

「誰に?」

串がだらんと垂れさがる。じとっと睨みつける。

「……俺かぁ!?」

くしゃくしゃと髪を掻き回す。落ちつこうと、ビールを煽ってから口を開く。

「どこでそんな噂が出てくんだか」

緩めたはずのネクタイにまで手をやる。一気に酔いが回ったらしい。顔に朱がのぼる。

「誤解されるようなこと言ったんでしょ」

「身に覚えがない、オカシイだろ」

案外照れてるのかもしれない。
ふっと真面目な顔をしたかと思うと、聞いてきた。


「橋田は自宅だっけ」

「そうですよ」

「アレルギーないよな」

「まぁ…ありませんね」

ふうんと考えて、

「帰り、付きあえよ」

そう言ってきた。








体格のいい先輩は、足も長くて一歩が大きい。標準的に少し足りない(自己申告)男子としては、ちょこまか纏わり付くように追いかける。

急いでるみたいだった。いつも気のつく先輩なら、連れに合わせる配慮をしてくれるのに、目指す場所へ一目散だ。

公園を抜けると思ったら、砂場のそばの薮に向かって声をかけた。


「おい、出てこいよ」

がさごそと鞄を漁ると、コンビニ袋から餌を取り出した。
音に釣られてか、茂みからひょこひょこと子猫の頭が覗く。

白のぶちと、トラ猫、白い靴下をはいた黒猫だった。

「俺の子供」

皿にあけられた固形餌を、一生懸命食べている。まだ餌が少し大きいのだろう、時折頭を揺すりながら夢中になっている。

「俺さ、アパートだから飼えなくて引き取り手を探してたんだよな。今日、取引先で貰ってもいいって言ってもらえて、スゲー嬉しかったんだ」

それはオンナじゃない?聞いてみたくなったけれど、そのことに関心はないみたいだ。
彼女候補に入ってないみたいですよ、と教えてやりたい。

「でさ、どう橋田も」

期待した顔で聞いてくる。見せたからって情が移ると思ってるのか。

小さくてみーみー泣いて、一匹だったら生き残れないだろう。三匹いたから寄り添って生きてこれたんだ。
「じゃ、靴下はいた奴」

ふうんと言ってから笑った。

「よく見て決めたんだろ」

「一番美人だからですよ」

三匹のなかで、一番痩せっぽちだった。ぴんと立てたしっぽはお情けみたいな毛がチョロチョロ生えているだけだったし、後ろの右足は引きずっていた。

ただ、気性は穏やかで自分とは合いそうだと思った。

「いい男だな、お前」

「今頃わかったんですか」





帰ったらメールをしよう。猫の写真を添えて。先輩の秘密をばらしてやることにした。



しおりを挟む

処理中です...