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ルーテシアの王女と暗殺者

12話 嘆きノ森の鬼

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 森は闇に染まっている。
 時折梟の鳴き声が遠くに聞こえる。

 狼の遠吠えは何処か他人事ではないような、そんなざわめきを覚えさせた。

 リタの持つ日光石は褐色瓶に納められ、今は打ち石と綿でつけられた焚き火の灯りが唯一の光源であった。

 三匹のコヨーテ達は暗殺者の女が持つ短刀とリタの手によって毛皮、肉、内臓と綺麗に三昧下ろしになっている。

 内臓は日持ちしないからと土へ返し、肉はジタの実を大葉で包んで燻し焼きに。
 段々と漂い始める爽やかで香ばしい香りは野山の小さな生き物をも虜にしているようだった。


「で、例の策だが」

「だからそんなものは無いと言っている!!」

「じゃあ何の為にわざわざ姿を現したんだ?」
「だからそれも話した。お前達が食われた後は確実に私だと思ったんだ。そもそもワーウルフは危険度Bの魔獣だ、冒険者ならC以上のパーティで相手をしてやっとの筈だ!それを何だ、ついでみたいな感じで殺ったな?お前は一体何者だ」

「ねぇ、これ本当に食べれるの?」
「あぁ、そろそろだ。煙が白煙から透明の水蒸気に変わったら食べ頃だ」

「はくえん?ほんっと何言ってるかわかんないんだけど」
「何故」

「ってこら!私を無視するな、今大事な話をしてるだろ。おい馬鹿王女、少し黙れ」

「誰が馬鹿ですって!?アンタだってリタにやられたくせに」
「いや、ミュゼが馬鹿と言うのあながち間違いではない。あまりに知識がなさすぎて何かの病気を疑うレベルだ。アンナさんもだが。その実力で暗殺者とは、虚言癖か何かだろうか?確かに似たような癖を持つ同郷がいたが……」

「お前は黙れ!!」
「アンタはうるさいっ!!」


 この一帯だけは賑やかで、最早狼の遠吠えも宴の一興にしか聞こえなかった。



 女暗殺者はアンナと名乗った。
 暗殺者であるのに名を名乗るのかと言うリタの疑問はこの際置いておく。

 アンナはやはり悔しかった。
 自分もその腕を買われ、暗殺に身を置いていた分際。

 常に死と隣り合わせで生きてきた。
 それを訳のわからない数個も下の少年に為す術もなく。
 挙句、死を覚悟するような魔獣を相手にそれを食料としか見ていないその態度。


 たった一人の少年の出現で、最早自分では手に負えない仕事になってしまったと感じる。

 せめてこの少年が何者なのかぐらいは知りたかったのだ。



 ミュゼ王女は恐る恐るといった様子でコヨーテの燻し焼きを頬張っている。
 何だかんだと文句を言っていた割に、一口咀嚼した後は余程腹が減っていたのか黙々とそれを食べ進めていた。


 アンナは既に全てを諦めたようにそんな王女から視線を外し、リタの目的を尋ねる事にした。
 一体あんな所で何をしていていたのか、何処から来て、どこへ向かっているのかと。


 リタの答えはだが単純明快なものだった。


「そうか、魔王を。その若さでお前も……ってなるか!!ったく、こっちは真面目に身の上を話しているのになんだそのふざけた態度は。真面目過ぎる奴かと思えば仕様もない」


 アンナはこれから魔王を倒しに行くと言うリタに呆れ返る。つまらない冗談ではぐらかされたと思ったからだ。

 だがリタの目は真剣そのもので、どこか憂いすら帯びているようにも見えた。


「いや、真面目に言っている。嘘は無い、と言うか申し訳ない。俺のせいで魔王が世界に影響を与え、そのせいで皆が苦しんでしまったら……やはり急がないと」

「なかなかおいひいわねほれ。ふーぷはないろ?」


 口をほふほふとさせながらミュゼがそうリタに問う。
 リタは数秒考えた後、ミュゼの文言を察した。


「湯がないからな。何処かに水でもあればいいが、この辺りに川は無さそうだから難しい。妹がいれば魔法で一瞬だが、生憎と俺は魔法は苦手なんだ」


 またもや妹の存在の偉大さが身に染みたリタである。だがこんな事ではいつまで経っても兄として情けない。

 魔王に手間取っているようでは、と自分の未来に憂いながらリタはミュゼのおかわり分の肉を取り分けてやった。



「馬鹿馬鹿しい……魔王等昔のお伽噺だ。そんなものがいたらとっくに世界は魔獣やら魔族やらにやられている筈だろ。と言うかミュゼ、お前も国の権威を受け継げるなら魔法の一つぐらい使えないのか?魔力量は貴族の証だろうが」

「まおお?ん……何よ!げほっ、げほ。そ、そんな勉強もさせられたわよ。でも全ッ然解かんないしつまんないんだもん」

「馬鹿王女が。やはり殺しておくほうがこの国の為か」



 アンナの言葉にミュゼは自分が暗殺される立場だった事を思い出し、僅かに身体を硬直させてリタの横にチョンと座り直す。

 アンナはそんなミュゼを見て深く溜息をつき、片手を振った。
 下らないとそんな合図だろう。


「殺気か……ミリアムが暴れている」
「え?」

「何、みりあむだと?」


 突如リタはポーチにある小瓶を取り出し、中で暴れる月光蝶を見るやそう呟く。
 ミュゼもアンナも不思議そうにリタの小瓶に目をやったその直後、一つの鳴き声によって和やかであった場は一気に緊迫へと変わった。


 ビリビリと打ち響くその鳴き声。
 狼の遠吠えよりも低く、唸るような叫び。それはまるで三人の侵入に怒りを向けているかのように森中をかけ巡る。

 気付けば先程まで香ばしい匂いに誘われていた小動物も蜘蛛の子を散らしたようにその場から消え失せていた。

 場に暗雲が立ち込める。


「こ、この声は……まさか、お、鬼が」
「ちょ!ちょっと何よ!!今度は何なの、って言うかオニって何よ!り、リタ」


 アンナはふと思い出したように辺りを見回し、改めてここが嘆きノ森深部だと言う事を実感した。
 ミュゼもまた、おかしな獣のような太いその鳴き声に恐怖するしかない。


 嘆きノ森には恐ろしい化物が住むと言われる。
 昔この森の奥で恐ろしい声を聞いたと言う話があった。
 そしてその声は後に自らが嘆く声に変わるのだと。

 それが嘆きノ森の名の由来。
 そしてそこに住むと言われる主を鬼と呼んだ。



「鬼とは東端の島国の話に出てくる化物か。何かの比喩だと前に妹と討論した覚えがある。そんなに怯える程危険な生物がいるということか?」

「わ、私がそんな事知るか!!とにかくこの嘆きノ森をこんな奥まで入った人間を聞いた事がない。この森の主に皆食い殺されると聞いているだけだ!ああクソ、何だって私はこんな所で」

「だだ、大丈夫よ!リタ、あんた強いんだから何とかしなさい!その剣だって一回も抜いてないじゃない、余裕なんでしょ?本気でやっちゃって」


 僅かに怯えながらもリタに絶大な信頼を寄せるミュゼ。  
 だがその手は必死にリタの服を引っ張り、盾にしようとしていた。


「そういえば、そうか。お前の腕は悔しいが確かに実力者のそれだ。はぐらかす理由があるんだか知らないが、今度こそは本気で掛かった方がいい……死にたくなきゃ鞘で戦おうなどと舐めた真似は」
「これは木刀だが?」

「ああそうか、木刀の鞘で戦おう等、と?」

「え、ぼくとうって、何?」


 ふとリタの言葉に二人の時間は静止したようだった。

 一陣の風が吹き、再度の咆哮が森を覆う。


 リタは腰に下げた木刀を目の前に掲げると二人に見せた。

 荒削り等一切見られない美しい湾曲美。
 艶もあり、焚き火の灯りを浴びて一層幻想的な装いを見せる。が、どう見ても継ぎ目等はどこにも見られない一本の木から作られた剣であった。


「馬鹿なっ!?」


 アンナの罵声が飛ぶ。


「え、ねぇ!何が違うのよ!ぼくとうって何!?」
「木刀と言うのは木を削って作る。所謂鍛錬用の棒だ」

「棒っ!?馬鹿なの!!」


 二人から浴びせられる馬鹿と言う言葉に少なからず苛立ちを感じるリタ。
 ただそこは成人だ、一人の妹を持つ兄でもある。簡単に怒りを顕にしたりはしなかった。


「お、お前今までそんなもので……何故折れない」

「確かに妹が作ろうとしている神々の剣だか何だかには遠く及ばない。だがな、物は使いようだ。魔法は使えなくても魔力コーティングは出来る、これで十分だ」

「何言ってんだがさっぱりわかんないわ!ど、どうするの、そんな木の棒でどうやって化物倒すのよぉ」



 再三に渡って響く咆哮は段々とだが着実に三人がいる此処へ近づいているように思えた。
 ミュゼは泣きそうになる恐怖を必死で堪えながらリタの背中にピッタリとくっつく。


 だがリタはふと逡巡した。
 こんな木刀ごときで魔王が倒せるのだろうかと。


「……些か不安だな」

「そりゃそうだろうっ!!鬼を舐めるなよ、噂じゃ鬼と言うのは」
「ばばばば、ば」

「どうした、食あたりか?これを飲んでおけ」


 リタは突然アワアワと震えだすミュゼを見て、なれない野生の食事に当たってしまったのかと考えた。
 肝臓は全て取り除いた筈だが、わずか毒素が抜けきらずに耐性のない者は体に異常をきたす。

 もともとはそんな事の為に作ったリタの丸薬だ。
 調理のついでに森で回収しておいた薬草から既に予備は調合済みである。



――ブグォォォ


 刹那、背後からとてつもない咆哮が衝撃波となって三人に襲いかかった。 
 焚き火の火が消え、黒い影が視界を覆い尽くす。

 そこにはただ一つの目がギラリと三人に向けられていた。
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