悪魔の頁

kawa.kei

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第18話

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 「よっちゃん!」
 
 卯敷の声に伊奈波は即座に応えた。

 ――<第二レメゲトン:小鍵テウルギア 58/72アミー
 
 伊奈波の魔導書によって悪魔が現れる。
 炎の塊で特定の姿を持たないその悪魔は火球を躊躇なく女に放つが、命中前に女の背後から飛び出して来た悪魔によって叩き落される。
 
 豹の頭に巨大な翼をもった悪魔は火球を迎撃し、卯敷達に狙いを定めようとするが二人の姿は既に遠く離れていた。 

 「ガキだからって簡単に騙せると思ってんじゃねぇぞクソ女! 見え見えなんだよバーカ! バーカ!! くたばっちまえ!」
 「うえーい! 硬い友情で結ばれた俺達にオメーの臭い演技なんて通用するかよバーカ!」

 二人は少ない語彙で女を罵倒し、卯敷に至ってはスマートフォンで女の写真を撮っている。
 距離が離れた事で罵倒が徐々に小さくなり、闇の中へと消えて行った。
 女は当初の怯えた表情はどこに行ったのか表情に怒りを滲ませて拳を握る。

 「――ガキが、優しくしてやっていればつけあがりやがって……」

 ――<第二レメゲトン:小鍵テウルギア 12/72シトリー

 女――櫻居さくらい 虹子こうこは舌打ちした。
 彼女の使役する悪魔『12/72シトリー』は情欲を司る異能を操る。
 単純に性欲を増大させるので自分の身体を餌に男をこき使い、使えなければ魔導書を奪って放り出せばいい。 そんな考えで二人に近寄ったのだが、万が一に備えて背後に控えさせていたのが幸いした。
 
 一つ間違えば今の火球で殺されていた可能性を考えると、逃げた二人に対する殺意が湧き上がる。
 自分が体よく利用しようとしていた事は棚に上げてはいたが、一応は殺すつもりはなかったので殺そうとしてきたあの二人は絶対に許さない。 次に出くわしたら殺すと固く誓った。

 ただ、今の段階では正面から戦って勝てないので、どうにか都合のいい男を探さなければ。
 彼女は怒りと冷酷さの混ざった視線を二人の逃げた方へと一瞬向けた後、小さく鼻を鳴らして踵を返し、その場を後にした。


 「ふぃー、危なかったなぁ」

 櫻居から逃げ切った二人は追って来ない事を確認してから足を止めた。
 小さく息を切らしながら壁にもたれかかる。

 「待ち構えて演技とかヤベー女だったな。 ってかトッシーいつ気が付いたんだ?」
 「割と最初から。 あの女、中学の頃に俺を馬鹿にしてた女子に似てたからビビッときたべ。 とんでもねぇクソ女だってな」
 「馬鹿にしてたクソ女に似てるで草ぁ!」
 「こう見えても人を見る目はあるべ? 任せとけって」
 「賢くて勘も鋭いとかトッシー神かよ!」
 「よっちゃんこそすぐに反応してくれて助かったべ。 やっぱ女は信用できねー。 ヤりたくなったら金払って風俗行くべ」

 卯敷はそれ以外の女はイラネーと言い切った。
 彼がそう断ずるのは自身の経験によるところも大きい。 
 母親が男と逃げ、再婚した相手も金を持って消えたという過去があって、彼は基本的に女という生き物をあまり信用していなかった。 単純に父親の見る目がなかったとも取れるが、卯敷の中では騙す奴が悪いに決まっているとシンプルな結論が出ているのでやはり二人の母親が悪い。

 そして母親と同じ性別の生物イコール怪しいといった図式が成り立っていた。
 結果、彼は女を見るとまず疑うようになったのだ。
 だからと言って彼は同性愛者ではない。 その為、女が欲しければ金銭を介したやり取りを行えば最低限の信用はできると謎の哲学にまで目覚めていたのだ。

 卯敷が女を見るとまず目を確認する。 目は口程に物を言うとはよく言ったもので、彼の二人目の母親は金を見ると視線が吸い寄せられた。 以降、言葉ではなく、視線で相手の考えを読もうとする癖がついたのだ。 無論、学のない彼は考えてやっておらず、本能に近い行動だった。

 その本能に従って彼は櫻居を強く疑った。
 彼女の演技も大抵の相手は騙せるレベルではあったが、最初に彼等ではなく魔導書に視線を送った事が致命的でその時点で卯敷はこいつは悪い女だと結論を出したのだ。
 
 割と早い段階でボロを出したので後は逃げるだけだった。
 彼も伊奈波も殺人に対しての忌避感は強く、殺すつもりではなく、最悪死んでもいいといった気持ちで放った攻撃だったので殺意という点では薄かったのだ。

 何故なら彼等は魔導書を持ってここから脱出し、大金持ちになるという野望があった。
 卯敷は父親の抱えている借金を清算し、育ててくれた恩を返して高級マンションに住んで無駄に高い家具を揃え、無駄に高い食事を毎日食べるという野望がある。 その過程でしなくていい殺人なんてしてしまえば気持ちよく生活できないと考えていたからだ。 かと言って不殺を貫く事をするつもりもないので必要に迫られれば殺害も選択肢には入る。

 こう見えて割と物を考えている卯敷と対照的に伊奈波は本当に何も考えていなかった。
 卯敷は喋っていて楽しい相手で、見下さず対等に付き合ってくれるから信用できる。
 そしてここに来るまで色々と頼りになる事を口にしており、信頼できると根拠もなく確信していたので任せておけば安心で完全に思考停止していた。

 良くも悪くも舎弟気質な彼は長い物には巻かれる傾向にはあったが、裏切るとよくない事が起こるとこれまでの経験で理解しているので裏切られるまでは裏切らないと決めている。
 そして卯敷は伊奈波を切り捨てるつもりもなかったので、この二人は性格的には非常に噛み合ったパートナーと言えた。

 「ひゅう! 流石トッシー、ヤッベーぐらいカッケー!」
 「褒めんなって照れるべ?」

 ひたすらに褒め称える伊奈波に卯敷はちょっと照れながら上機嫌に笑って見せる。

 「ここ出たら俺も風俗行っていい? 女とズコバコしてぇよ」
 「行け行け、金なら魔導書で作ってやるからそいつを売り飛ばせば無限にいけるべ。 なんなら一回十万とか訳分かんねーぐらい高い所に行け」
 「ひゅう! サイコー! 後はなんか高そうなステーキ食っていい? 超分厚いやつ!」
 「おぉ、食え食え、ついでに大した量もないのにクッソ高いデザートとかサラダも付けちまえ。 金なら作れるからな!」

 取りあえず高級イコールステーキの図式が成り立っている伊奈波はそれを聞いて全身で喜びを表現する。

 「マジかよ。 ヤッベー、ヤッベー、トッシー神! トッシー神!」
 「ってもまずはここから生きて出るところからだ。 よっちゃん、頼りにしてるぜ!」
 「任せとけって! 俺、マジで頑張るから!」
 
 二人は笑い合いながら肩を組んで歩き出す。
 迷宮の闇は深いが、彼等の心は明るく、未来は輝いていた。
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