港の街より愛を込めて

藤和

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第九章 聖堂での祈り

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 日差しも強くなってきたある日のこと、その日は安息日では無かったけれども、暇を貰えたのでマリユスは修道院と併設の教会へ足を運んだ。ユリウスも暇を貰えていたのなら、一緒に街の商店を見て歩いたのだろうけれど、あいにく今日はソンメルソの友人であるデュークがやってくるという事で、給仕を任されている。
 教会と修道院を囲っている塀に備えられた門をくぐり聖堂へ向かう途中、鮮やかな葉を付けた植物が植わっている畑を通りかかった。この植物は、どうやらハーブのようだ。それらの手入れをしている修道士様に、声を掛けた。

「すいません、少しお時間よろしいですか?」

 すると、少し離れた場所ではあったけれども一番近くに居た、赤毛を頬辺りで切りそろえた修道士様がマリユスの声に応えた。

「はい、何かご用でしょうか?」

 収穫したハーブの入った籠を持ったままその修道士様が歩み寄ってくる。よく見ると彼は丸眼鏡を掛けていて、見覚えが有った。この修道士様は、いつだったか、聖体拝領の時に大きいパンが良いとだだをこねていたユリウスを窘めていた方だとマリユスはすぐに気づき、少し気まずさを感じる。ただ、あれ以降ユリウスは特にやらかしていないので、もしかしたら向こうはあの事を忘れているかも知れないけれど。
 マリユスは緊張しながら、修道士様に話しかける。

「聖堂でお祈りをしたいのですけれど、案内していただけますでしょうか?」

 その言葉に修道士様はにこりと笑って、聖堂まで案内してくれることになった。

「今日は特に何もない日ですが、そう言う日でもお祈りにいらっしゃるだなんて、熱心ですね」
「そうでしょうか。
でも、お祈りをすると落ち着くので」
「普段お忙しいのですか?」
「忙しい日と、そうでない日がありますね」

 そんな話をしながら歩いていると、すぐに聖堂に辿り着いた。礼を言おうと改めて修道士様の方を向いたが、そう言えば名前を知らないと言う事に気づき、マリユスは言葉を引っかからせる。

「どうなさいました?」

 不思議そうに自分を見上げる修道士様に、マリユスはおずおずと訊ねる。

「えっと、ここまでありがとうございました。
ところで、差し支えなければお名前を伺いたいのですが」
「名前ですか? 私の?」

 きょとんとしている修道士様を見てマリユスは、そう言えば自分から名乗っていないのに名前を訊ねるのは失礼だった、やらかしたと思ったが、口から出してしまった物は取り返せない。なので、慌てて言葉を重ねた。

「えっと、僕はマリユスと申します。
それで、お礼を言うのにお名前を知らないままと言うのも失礼かと思って、あの」

 しどろもどろになるマリユスを見て、修道士様はくすりと笑う。

「そうなのですね。
私の名前はマルコと申します。以後お見知りおきを」
「はい、では改めましてマルコさん。ここまで案内ありがとうございました」

 マリユスがマルコに礼をいい頭を下げると、マルコは聖堂の入り口に手をかけ、扉を開く。

「お祈りが終わった後は、ちゃんと人がいなくなったのを確認しないといけませんから、私も同伴させていただきますね」
「あ、お手数おかけして申し訳無いです」

 思ったよりも時間を取らせてしまうことに申し訳なさを感じはしたけれども、親切にして貰えることに感謝した。

 聖堂に入り、マリユスとマルコは長椅子に腰掛ける。マリユスが座っているのはいつもミサの時に使っている辺りで、マルコはそこから少し離れた場所にいる。
 色硝子を通った鮮やかな光が聖堂の中を照らし、物音がしないこの空間は荘厳その物だった。静かな空間の中で、マリユスは持参のロザリオを一珠ずつ、目を伏せて祈りながら手繰っていく。忙しいことはあっても、この平和な日々が何時までも続くよう、そんな些細なことに神様の加護が欲しかった。
 きっとこれは、祈るほどのことでもないのかも知れないけれど、偶に不安になるのだ。かつて奴隷の売買はもうやらないと言い切ったソンメルソ。彼のことが心配だった。きっと、彼はマリユスが考えているよりも純粋なのだと思う。それ故に、いつか不幸が訪れるのではないかと不安になるのだ。
 ロザリオ一巡分祈りを終えて、マリユスは席を立つ。

「マルコさん、ありがとうございました。
そろそろお暇しますね」

 声を掛けられたマルコも立ち上がり、ハーブの入った籠を抱えて聖堂の入り口へと先導していく。聖堂から出てから、マルコはすぐに畑へ戻るかと思ったが、出入り口の門まで見送ってくれるという。
 門へ向かう道すがら、マルコがマリユスに訊ねてきた。

「ところで、普段どの様なお仕事をなさっておいでですか?」

 修道士様は、基本的に修道院の敷地から出ることは無い。偶に出たとしても他の教会へのお遣いなどで、街を自由に見て回ると言う事は出来ない。なので、外の世界には大なり小なり興味があるのだろう。それを察したマリユスは、少し歩調を緩めて話を始めた。

「僕は主人の下で、貿易の仕事を補佐しています」
「貿易ですか。それですとやはりスパイスとか?」
「そうですね、スパイスが主な輸入品ではありますが、それ以外に綿布や絹織物、陶磁器、紅茶、宝石など、色々扱っています」

 それを聞いたマルコが、少し目を伏せた。どうしたのだろうとマリユスが思っていると、マルコが重々しく口を開く。

「貿易でもたらされたスパイスは、人を狂わせたように思います」
「え? それは、何故でしょうか?」
「もちろん、スパイスは薬にもなるのですけれど。
マリユスさんは、十字軍をご存じですか?」
「はい、もちろんです。聖地を異教徒から奪還するために送られた軍隊ですよね」

 十字軍の話は、幼い頃からマリユスも聞いている。結局聖地を奪還することは出来なかったけれども、神様の名の元に立派なことを成した人達だと、そう聞いていた。だから、マルコのこの言葉は衝撃だった。

「十字軍の目的は、聖地奪還だけではありませんでした。幾度にも及ぶ遠征で各地を略奪し、スパイスを得るのも大きな目的でした」
「略奪……」
「相手は異教徒なのだから気にすることはないという人は、沢山居ます。
だけれども、異教徒であれ人は人です」

 悲しそうにそう言うマルコを見て、一瞬ソンメルソの面影が重なった。マリユスは貿易を仕事としているから異教徒でも人として扱う事に慣れているが、そうでない一般市民はどうなのだろう。異教徒はやはり、奴隷と同じで人ではないと思っている者も少なくないだろう。

「変な話を聞かせてしまって申し訳ありません。出来れば、これは他言なさらないでいただけると助かります」
「……わかりました」

 マルコにお礼を言ってから教会の敷地の門をくぐり、館へと向かう。その間、人は何を持ってして人となるのか、その事を考えていた。
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