とわ骨董店

藤和

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2004年

9:夫婦の時間

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 残暑は厳しい物の日差しは和らいできたある日のこと。とわ骨董店に訪れた何人かのお客さんの対応をし、見送ったあと、林檎はいつもの籐の椅子に座り、冷たいお茶を飲んでいた。
 今日用意したお茶は、真っ赤なお茶と、真っ青なお茶。対照的に見えるそのお茶は、どちらも目に鮮やかでお客さん達に好評だった。
 中身が減ったふたつの瓶を見て、どちらを飲もうか悩む。それから、思いついたように両方の瓶を氷の入ったブリキの器から引き抜いた。
「たまには混ぜてみるのも良いでしょ」
 そう言って、まずは青いお茶を少々、いつも使っている紫色の江戸切り子のグラスに注ぐ。それから、赤いお茶を注いだ。
 二色のお茶は混ざり合って、江戸切り子と同じ紫色になる様子も見せず、鮮やかな赤を保ったままだった。
 グラスにそっと口を付け味を見ると、穏やかな酸っぱさと草の味が広がる。これなら、蜂蜜を入れなくても飲みやすい。
 ふと、グラスを持ったまま店内を見渡す。暑い時期は冷えたお茶を置いておくために、大きなブリキの器に氷を詰めてレジカウンターの上に据えているので、花を生けることができない。お茶の入った鱒の形をした瓶は、それ自体華の有る見た目なのだけれども、なんとなく物足りなさを感じた。
 レジカウンターの奥に有る棚に目をやり、お香でも焚こうかと、倚子から立ち上がり手を伸ばす。けれども何故か、お香を焚くのも何だか違う。と言う気分になる。
 それならこの物足りなさはなんなのだろうと不思議に思うけれども、時々こう言う感覚になる事があるので、いつもの事だろうと、またグラスを持って椅子に座った。
 おやつでも食べれば落ち着くだろうか。そんな事を考えていたら、静かに店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
 椅子に座ったままそう声を掛けると、入ってきたのは頭をつるりとそり上げた男性と、紫色の巻き髪が印象的な、お腹の大きな女性だった。
「よっ。林檎さん久しぶり」
「お久しぶりです林檎さん」
「あら、悟さんにシオンさん、お久しぶりです」
 久しぶりと言っているように、今挨拶をした悟という男性とシオンという女性は、林檎とは既知の仲だ。元々シオンが骨董という物に興味があり、隣のシムヌテイ骨董店とこのとわ骨董店を度々訪ねるようになった。そんなとある日のこと、シオンが悟を連れてきたのだ。その時に、シオンが気恥ずかしそうにしていたのを、林檎は今でも良く覚えている。それから、ふたりが共に人生を歩むことを決めるまではそんなに間が無かったように思う。それから数年経った今、大きなお腹を抱えるシオンと、彼女を気遣う悟を見て、これからまた沢山の幸せを拾っていくのだろうと、林檎は感じた。
 悟とシオンが棚の上や下に並べられた品物を見ている間に、林檎はバックヤードから丸い座面のスツールをふたつ用意し、レジカウンターの近くに並べる。いつ椅子を勧めようかとふたりの様子を見ていて、ふと思った。シオンが妊娠中なのなら、お香は焚かないでいて正解だったなと。いくらお香が天然の物とは言え、いや、天然だからこそ、デリケートな状態にある人体には脅威になる事がある。自分で楽しむだけで無く、もてなしの意味でも香りを扱う身としては、そこはしっかり意識しないといけないところなのだ。
 思いとどまって良かったと安心しながらシオンを見ていると、お腹に手を置いて息をついていた。
「良かったらお掛け下さい。お茶もありますので」
 シオンの様子を見逃さずにそう声を掛けると、ふたりともゆっくりと腰をかけた。
「お茶も貰っちゃって良いの?」
 レジカウンターの上に置かれたブリキの器を見ながら、悟が訊ねる。林檎はにこりと笑って答えた。
「もちろんですよ。まだ暑いですし、水分はしっかり摂らないと」
 どちらのお茶にするか選んで貰うために、林檎は瓶をふたつとも氷から引き抜く。それからはっとしたように、慌ててこう付け足した。
「あっ、シオンさんはハイビスカスの方が良いと思います。
マロウブルーはホルモン系にちょっと来るお茶なので、妊娠中は避けた方が良いかも……」
「そうなんですか? それじゃあ、ハイビスカスの方をいただきます」
 これはシオンだけでなく悟も初耳だったらしく驚いているけれども、気を悪くする風もなく、逆に気遣ってくれてありがとうと言っている。
 悟も赤いお茶にすると言うことで、いつもの青と黄色の光を湛えたグラスをふたつ用意し、冷たいお茶を注ぐ。それをふたりに渡して、林檎もまた、自分用の倚子に腰掛けた。
 しばらく見ないでいた間の話を、悟とシオンから聞いていると、悟がちらりと棚の上を見て笑う。
「久しぶりに来て改めて思ったけど、やっぱり仏様の頭はいつ見てもびっくりするなぁ」
「そうですね、悟さんとしてはかなりショッキングなヴィジュアルというか、そう言う感じでしょう?」
「まぁね、いつも家で五体満足の仏様見てるからね」
 そう言って笑っている悟の職業を初めて聞いた時、林檎は内心とても焦ったのを未だに覚えている。悟の家はお寺さんで、そこの住職をしているからだ。お坊さんに仏様の頭は相当つらい物なのではないかと心配したのだけれども、今では悟もこう言っている。
「でも、あの仏様も大事にされてるから」
 仏様と近しい悟がそういうのなら、あの仏様も人を恨みはしないだろうと、そう思えるのだ。
 大事にすると言えば。林檎はシオンのお腹をちらりと見てふたりに訊ねる。
「そう言えば、悟さんもシオンさんも、お腹の赤ちゃんの事を随分と大事になさってますけれど、名前はどうなさるんですか?」
 その問いに、ふたりははにかんで答える。
「女の子が生まれたら私が名前を付けて、男の子が生まれたら悟さんが名前を付けるって決めたんです」
「それで、今ふたりで良い名前考えてるんだよな」
「うん」
 そう言葉を交わすシオンと悟は本当に幸せそうで、林檎もこれから先のふたりの幸せを願ったのだった。
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