とわ骨董店

藤和

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2007年

37:薄氷の張る頃

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 年も明け、年末から年の初めにかけて出かけていた仕入れ旅行からも戻り、とわ骨董店はいつも通りのゆったりとした雰囲気だった。
 店主の林檎は、今回仕入れてきた焼き物や小物入れなどの雑貨、古布や鉱物を、ゆっくりと、様子を見ながら並べたりしている。
 品物の整理が終わり、一息つこうかとお茶の用意をする。今日はレジカウンターの上に清々しい香りの水仙が生けられているので、それに合ったお茶にしようと、選んだのは鹿児島産の煎茶だ。
 程良いお茶の香りと水仙の香りが微かに混じり合いそれを感じているととても心が安まる。
 ゆっくりと、温まりながらお茶を飲んでいると、店の入り口から冷気が入り込んできた。
「いらっしゃいませ」
 そう言って入り口を見ると、入ってきたのはオペラ色の髪をヘアピンで留め、ダウンコートを着た男性と、スタンドカラーのコートを着た華奢な男性が立っていた。
「どうも林檎さん、お久しぶりです」
 オペラ色の髪の男性がそう挨拶をしてきたので、林檎もにこりと笑顔を返す。
「緑さんも恵さんもお久しぶりです」
 かけられた挨拶に、華奢な男性、恵もはにかんで口を開く。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ、おかげさまで。
どうぞ、店内ごゆっくりご覧下さい」
 林檎がそうふたりに声を掛けると、ふたりとも軽く会釈をしてから店内を見始めた。
 緑が真っ先に見ているのは、硯だ。先日緑が買ったような亀があしらわれた物はないけれども、また繊細な細工の物が入っているので興味が惹かれたのだろう。
 ふと、林檎が訊ねる。
「そういえば緑さん、先日お買い上げになった硯は、お使いになっているんですか?」
 それを聞いて、緑は林檎の方を向いてにっと笑う。
「はい、使ってます。ここぞという勝負所で、なんていうか、願掛けも兼ねて使ってるんです」
「そうなんですね」
「あの硯を使うと、なんか上手く出来る気がするんですよね」
 そう言って、緑はまた棚の上の硯に目をやる。それから、恵と一緒に視線を横に滑らせていって、店内をぐるりと見て、螺鈿細工の箱に入ったつまみ細工をすこし手に取り戻してから、林檎の方を見た。
「このあと、真利さんのところも見に行かれるんですか?」
 隣も今は開店中だしと思いそう訊ねると、恵がはにかんで答える。
「実は、先程お邪魔してきたんです」
 緑も、すこし心配をうな表情で恵をみて口を開く。
「なんか、最近こいつ、仕事で疲れてるみたいだったんで、気分転換にって来たんですよね」
 それを聞いて、林檎はレジカウンターの上に置いておいた萩焼のカップを片手ですこし持ち上げて、こう提案する。
「それでしたら、温かいお茶でもいかがですか?
多分、真利さんのところでも何か飲んできたかも知れませんけれど」
 緑と恵ははにかんで、お言葉に甘えて。と言う。林檎は早速、ふたりが座るためのスツールをバックヤードからふたつ運び出し並べる。それから、ふたりに椅子を勧め、レジカウンターの奥の棚から茶色のグラデーションが優しい備前焼のカップと、金彩と色彩が鮮やかなベンジャロン焼きのカップ、硝子のティーポットを出してお茶の準備をする。淹れるお茶は、先程林檎が飲んでいた鹿児島産の煎茶だ。
 ティーポットの中に茶葉を入れ、お湯を注いでくるりと揺らす。鮮やかな色が出たところで、それぞれにカップにお茶を注いで、備前焼のカップを恵に、ベンジャロン焼きのカップを緑に手渡した。
 温かいお茶を手に持ったからか、恵の表情が緩み、どことなくとろけそうになっている。普段仕事で余程神経を使っているのだろうなと林檎は思った。
 しばらく三人で取り留めの無い話をして、その中で林檎が、先日行った仕入れ旅行の話を出した。すると、緑が羨ましそうな顔をしてこう言った。
「香港かぁ、行ってみたいなー。
香港にはどんなものがあるんです?」
「香港は、そうですねぇ……」
 香港で仕入れた物の例をいくつか挙げていき、これは、と思う物に思い当たる。
「そう、香港で今回仕入れた物で、古い墨があるんですよ」
「墨ですか?」
 きょとんとした様子を見せる恵とは対照的に、緑は興味津々と言った様子だ。
「え? どんな感じの墨なんですか?
見てみたいです」
「うふふ、少々お待ちください」
 今回仕入れてきた墨は、まだバックヤードに入れたままだったはずだ。なので、林檎は倚子から立ち上がり、カップをレジカウンターの上に置いてバックヤードに入る。
 バックヤードに入って左手にある棚。その中には小物などが仕分けして入れられている。その中から、掌ほどの大きさをした木の箱をふたつ取り出す。それを持って、林檎は店内に戻った。
「こちらになります」
 椅子に座り、膝の上に乗せた木の箱の蓋をそっと外す。中に入っているのは、布張りのクッションに埋もれた、長方形の墨だった。
「これ、手に取って見ても良いですか?」
「勿論ですとも」
 すこし興奮気味の緑に箱を片方手渡すと、顔に近づけたり、離したりしてじっと見ている。
「はー、これは茶系の墨かぁ。いい色が出るんだろうなぁ」
 まさか、固形の状態でそんな事がわかるとは思っていなかったので、林檎は驚く。恵も、同じように驚いていた。
 ふたりの様子を見た緑は箱を林檎に渡して言う。
「ずっと書をやってると、わかるようになるもんさ」
 そう言う物だろうかとつい思ってしまうが、プロというのはそう言う物なのだろう。
 緑は、林檎が持ってきた墨を見てはすごいすごいという。林檎からすれば、これの良さがわかる緑こそがすごいように思えた。
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