Sister

水沢ながる

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Sister

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 幼い頃から、弟とあたしは一緒にいました。
 まわりにあたし達と同年代の子供がいなかったし、いたとしても多分あたしと弟の中には入り込めなかったでしょう。それだけ、あたしと弟は仲が良かったのです。
 弟は甘えっ子で、いつもあたしの後をついて歩いていました。ちょっと舌足らずに、「姉さん、姉さん」と言って。あたし達は何でも二人でしました。寝るのも、食事も、遊ぶのも、いつも二人で一緒でした。
 今にして思えば、あの頃があたし達にとって一番幸せな時だったかも知れません。何も余計なことを考えず、ただ二人でいるだけで楽しかったのですから。
 まるで一つの魂を共有しているかのように。そう、あの頃のあたしと弟は、確かに一つだと思えました。ただ体が二つに分かれているだけで、元々は完全な一人だったのだと本気で考えていました。今にして思えば、子供の浅墓な考えだったのですけど。
 両親は、そんなあたし達を見て多少は心配したようです。何しろ、あたしと弟はいつもべったりとくっついていたのですから。
 でも、そんな両親も自動車事故で早くに死にました。小学生の時だったでしょうか。
 それからあたしと弟は、余計寄り添って生きるようになりました。もうあたし達を守ってくれる両親はいない。あたしは、何があっても弟を守ろうと決心しました。恐らく弟も同じ思いを抱いたでしょう。あたし達は運命共同体でした。
 幸い、あたしの両親の遺産がありましたので、お金に困ることはありませんでした。あたしと弟はずっとずっと、二人で生きて行こうと約束したのです。
 こんなあたし達でしたから、いわゆるタブーを越えるのにもそんなに抵抗はありませんでした。確か、弟がまだ中学生の頃だったでしょうか。姉弟でこんなことをするというのに、あたしはむしろ嬉しく思っていました。結ばれるのが当然だと、そう考えていました。あたしは弟が初めての男でしたし、弟もあたしが初めての女でした。
 今でも、弟とそういう関係になったことは後悔していません。人はこんなあたし達を非難するでしょうが、あの頃のあたし達の心理は、他人には決して判らないものだと思うのです。
 ──そんなあたし達の関係も、歳を経るに連れて変わって来ました。大学に入り、他の色々な人と付き合うようになって、あたしと弟は少しずつずれて行きました。正直、潮時だと思いました。あたしも弟も、いつまでも同じようにはいられないのです。
 弟が恋人の加奈子さんを連れて来た時、あたしは「ついにその日が来た」と感じました。ある意味覚悟していた瞬間でしたから、思いの他平然としていられました。弟はそんなあたしに多少拍子抜けしたようでした。
 弟と加奈子さんは、あたしの目から見てもうまく行っているように見えました。結婚の約束すら交わしているようでした。加奈子さんは気立てがよく美人という非の打ち所のないお嬢さんで、何処から見ても弟とはお似合いでした。
 ですが──それが、あたしの新たな心配の始まりだったのです。

 最初は、確か金魚でした。
 幼い頃から、あたし達はよく動物を飼っていました。もちろんその世話もちゃんと二人でやっていました。動物達を可愛がる気持ち、いとしむ気持ちには、断じて嘘はありませんでした。あたしも、弟も。
 それを見付けたのはあたしでした。まだ小学生の頃……いえ、もっと前でしたでしょうか。
 金魚は庭にあった小さな池で数匹飼っていたのですが、その全てが水の中から引き上げられ、半ば干からびた姿をさらしていたのです。あまりのことに、あたしは泣き出しました。あたしの泣き声を聞いて弟も一緒に泣き出し、両親がいくらなだめてもしばらくは泣き止まなかったほどです。
 それから、何か小動物を飼う度に同じようなことは続きました。文鳥、カブト虫、カエル、亀、ハムスター、ウサギ。皆死んで行きました。しかも、動物達があたし達に慣れ、可愛くなって来たその時を見計らったように死んで──殺されて行ったのです。
 あたしと弟にしか懐いていなかった子犬が殺されるに至って、あたしは確信しました。
 これは、弟の仕業だ、と。
 弟がどうしてこんなことをしたのかは判りませんでした。……いえ、恐らくあたしには──あたしにだけは判っていた筈なのですが、あえてそれを直視することをしていませんでした。
 あたしはそれからも動物を飼うことを止めませんでした。いくら殺されても、その度に何か次の動物を飼い、その度に動物達の墓が増えて行きました。しまいにはうちの庭は動物の墓標でいっぱいになってしまったほどでした。
 禁じられた遊び。まるで昔の映画のように。それでも弟は、まるで天使のように無垢に見えました。
 あたしが動物を飼い続けたのは、恐れていたためです。もし、飼う動物がなくなってしまったら、弟のこの「遊び」は何処へ向かってしまうのか──それが、怖かったのです。
 そのうち両親が事故で死に、それと共に弟の「遊び」もおさまって行ったように見えました。それっきり、あたしも「遊び」のことについては忘れていました。
 それなのに。
 弟が加奈子さんといるのを見た時、あの時の怖れがまざまざとよみがえって来たのです。弟は、人を、殺すかも知れない。
 何故そう思ったのか、今なら判ります。あたしには弟の考えを我がことのように辿ることが出来ましたから。弟が動物達を殺したのは、自分がその動物達を「嫌いになること」を恐れたからなのです。
 ずっと動物達の世話をしていて、そろそろ少しばかり飽きて来て、今はまだ可愛いと思うけどこの先嫌いになってしまうかも知れない、それを怖れていたのです。自分の中にある「嫌い」を認めたくなくて──「嫌い」になるのならば、いっそのことその前になくしてしまおうと、弟は思ってしまったのです。
 もしかすると、両親の交通事故も弟の仕業であったのかも知れません。その頃母は多少精神的に不安定になっていて、寝る前に睡眠薬を飲んでいましたから、前もって両親の飲み物に薬を入れておくくらいのことは出来たように思います。
 弟はこの先、加奈子さんを選ぶのだろうか。また「嫌い」になるのを怖れ、手にかけることはしないのだろうか。それをあたしは恐れていたのです。ですがその時、まだあたしには思いが及びませんでした……もう一つ、あたしが弟を恐れる理由があったことを。

 「事故」が起こったのは、半年前のことでした。
 その時、あたしは加奈子さんの運転する車に乗っていました。両親の遺してくれた別荘に、弟の誕生日を祝うささやかなパーティーの準備をするために。あたしは車の免許を持っていませんでしたから、運転はいつも加奈子さんか弟の担当でした。
 別荘は人里離れた山の中にありました。急なカーブを何度か曲がった後、不意に車のブレーキが効かなくなったのです。加奈子さんは必死で車を停めようとしましたが、彼女の腕では無理でした。加奈子さんはついにハンドルを切りそこね、あたし達の乗った車は切り立った岸壁に突っ込んで行ったのです。
 加奈子さんは即死しました。そしてあたしも、生死の境をさまよう重傷を負ったのです。目覚めた時、あたしの下半身は既に動かなくなっていました。あたしは弟のマンションに引き取られ、そこで看護されることになりました。
 あたしには判ります。弟は、あたしと加奈子さんを両方手に入れようとしたのです。「好き」が「嫌い」になる前に殺す──その対象からあたしだけが外れている筈はなかったのです。
 その日から、あたしの毎日は変わりました。いつ弟に殺されるか判らないのです。弟は前と同じようににこやかに優しく接してくれましたが、それさえも今のあたしにとっては不気味なだけでした。
 そしてあたしは決心しました。殺される前に殺そう、と。
 あたしはインターネットを使って、大ぶりのナイフを手に入れました。昼間は弟は仕事に行っていていないので、気付かれずに受け取ることが出来ました。あたしはそれをベッドの中に隠しました。
 今日、夕食の時に、さりげなく弟に話しました。あたしが、弟の殺人に気付いていることを。弟の表情は変わりませんでしたが、きっと動揺していることでしょう。
 きっと今夜、弟はあたしを殺しに来る筈です。弟はあたしが何の武器も持っていないと思い込んで、油断していると思います。でも恐らく、あたしも無事では済まないでしょう。覚悟は出来ています。
 真実は死ぬまで黙っておこうと思っていたのに、ここに全てを書きとめているのは何故でしょう? 多分これは懺悔に近いものなのかも知れません。弟の一番近くにいたのはあたしです。その弟が人を殺す人間になったのは、あたしにも責任の一端があってもおかしくはないでしょう。
 ですから、これはあたしの懺悔であり、遺書です。弟は悪くありません。恐らく彼を歪ませてしまったのは……このあたし、なのですから。

     ☆

 武田春樹は手にしたノートをぱたんと閉じた。
「それが被害者の手記か」
 同僚の刑事が声をかけて来る。武田は彼に読み終えたノートを渡した。部屋中に血の飛び散った凄惨な現場で、このノートを最初に見付けたのは武田だった。デスクの奥に大事そうにしまわれていたそれを、武田がどうやって見付けたかは──言わぬが花だ。
 同僚は渡されたノートをぱらぱらとめくった。
「近親相姦に動物殺しか? その挙句姉弟で殺し合いか。どこまで本当なのかね、この手記も」
「ま、確実に言えるのはここで実の姉と弟が殺し合ったってことだけですね」
 武田は現場を見渡した。遺体は二つとも既に運び出されている。血の生臭さが未だに部屋を満たしていた。と、武田の視線が不意に止まった。そのままじっと虚空を見据えている。
「どうかしたか、武田?」
 不審に思って同僚が声をかけた。
「……いえ」
 半ば上の空のように武田は答えた。視線は部屋の一点を捉えている。
 彼の眼に何が写ったか、彼以外には知ることはなかった。

 その夜遅く。
 武田春樹はもはや誰もいなくなった現場のドアの前に立っていた。ノブに手をかけようとして、ふと止める。
 ……来た。
 部屋の外からでも、こんなに感じる。この部屋の中に凝った“想い”。その場に残った“想い”を読み取る能力を持つ男は、わずかに身震いした。それを振り払うように武田は髪をかき上げ、──唇を歪めるようにして、微笑った。
 あらかじめ借り出していた鍵を差し込み、ドアを開ける。部屋の中から冷気を含んだような空気が流れ出た。

  ……アイシテルアイシテルアイシテル……

 導かれるように、奥の方へ武田は進んだ。惨劇が起こった、姉の寝室へ。

  ……アイシテルアイシテルアイシテルアイシテル……

「ああ、確かに愛だ」
 武田はつぶやいた。
「これ以上ないってほどに愛だな。愛ってのは、時としてひどく身勝手で我侭でエゴイスティックなもんさ」
 職業柄、エゴイスティックな愛の行き付く先なら何度も見ている。この部屋で起こったことも、その一つに過ぎない。
「だけどな……愛だからって、何でも許されるってもんじゃないんだぜ? それで済めば俺達ケーサツは要らねえしな」

  ……アイシテルアイシテルアイシテルアイシテルアイシテ……

「それにしてもあんたは業が深い。──なあ、お嬢さん」
 武田の視線の先には。
 髪を振り乱し、若い男をしっかりと胸に抱き締めた──若い女が、いた。
「あの手記……大まかな所は本当だろうが、動物殺しや自動車事故など、弟がやったと書いてある事件は全部あんたの仕業だ。動機はひとえに弟を一人占めしたかったからだろうな。弟の心が自分以外の存在に向くのが許せなかった。両親を殺したのも、あんたと弟を引き離そうとする存在に思えたからだろうな」
 女は男を離さない。
「弟の恋人を殺したのもあんただ。あんたは車に同乗していたからな、何とでも言える。あんたが自ら重傷を負ったのは、そうすれば弟が自分の面倒を見てくれると思ってのことだろう」
 武田の言葉が届いているのか、女は男を抱き締めたままぶつぶつと同じ言葉を囁いているだけだ。
 アイシテル。
「だが、そこまでしても弟の心はあんたには戻って来なかった。それを悟ったあんたは、最後の手段に出ることにした。──殺して自分のものにしようとな。恐らく今までのことを明かし、殺意をあおったんだろう。そしてあんたは望み通り、死んで弟を手に入れた」
 武田は自らの愛に閉じこもってしまった女を見た。
「あんたは業が深い──あんたみたいなのがこんなとこに居座ってちゃ、この部屋に入った者、ひいてはこのマンション全体にあんたの“想い”が影響を及ぼす。感受性が強かったりして、たまたまあんたに同調しちまった奴がもしいたら……そいつはあんたの“想い”に引きずられる。そんな風にストーカー殺人に走った奴を何人か知ってるよ、俺は。──要するに、俺の仕事が増えるんだよ」
 武田は女に向けて手を伸ばした。
「あんたはいいさ、自分の自己満足な愛にひたってりゃそれでいいんだから。だが、生きてる者に迷惑かけてまで居座ってんじゃねえよ」
 女は初めて顔を上げた。
 ガタガタと部屋中の家具が揺れた。

  ワタサナイ、ワタサナイ、コノコハワタサナイ!

 呪詛の声が響いた。
 武田は動じなかった。

「死人はおとなしく──死んでろよ?」

 武田春樹は凶悪に笑った。

     ☆

 現場のマンションを出て一服していると、ばったりと知った顔に出会った。ひょろりと背の高い、一見人懐こそうな黒縁眼鏡の青年。近くの私立高校の教師、芦田風太郎だった。
「あれ、武田さん。こんなとこで何か事件ですか?」
「まあな。センセイこそ、こんな遅くまで何やってんだよ」
「教師ってのも、これで色々忙しいんですよ。ちょっと残業が過ぎましてね」
 青年教師は誤魔化すようにあはは、と笑った。どうせ何か良からぬことをやらかしていたのだろう。
 と、いきなり芦田はしげしげと武田の顔を見た。
「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」

「武田さん……ひとを殺して来ましたね?」

 芦田はずばりと訊いて来た。武田はしばらく沈黙した後、にや、と微笑んだ。
「ああ。死人を一人、な」
「……なるほど、死人殺しですか。君にふさわしいですね」
「あんたほどじゃないだろ」
「それは言えますね」
 一瞬だけ昏い瞳になった芦田は、しかし次の瞬間にはいつも通りに笑顔を作っていた。
「ところでですねえ、武田さん。すぐそこに、いい感じの居酒屋が出来たんですよ。ちょっと行ってみませんか?」
「……『みませんか』なんて言って、絶対連れてく腹だろうが」
「よく判りましたねえ。さすが現役刑事さん、県警のホープですね」
「おだてたっておごらないからな。ワリカンだ、ワリカン」
「あ、バレてましたか?」
 にこにこしているこの青年教師が、見かけに反して実は意外と押しが強いことを武田はよく知っていた。この調子では、確実に二~三軒は付き合わされることになるだろう。
「そう言えば、センセイ。あんた、姉貴がいるって前言ってなかったか?」
「ええ、……いましたよ」
 青年教師はすこしだけ表情に陰を忍ばせた。
「今はもう、いませんけどね」
「あ……悪かった」
「いいですよ。姉さんかあ、懐かしいですね。子供の頃、よく一緒に遊びましたっけ」
「センセイにとって──その、お姉さんは特別な存在だと思うか?」
「そうですね、特別と言えば特別ですけど……姉ですからね」
 芦田は邪気のない笑顔を返した。武田は少し意外そうな表情をした。
「どうかしました?」
「……いや。あんたのわざとらしい笑顔は何度でも見てるが、そんな表情は初めて見た気がしてな」
「ひどいなあ、その言い草。じゃ、武田さんにはじっくりと姉さんの思い出話に付き合ってもらいますからね」
 薮蛇だったか、と武田は肩をすくめた。
 宵闇の気配を持つ二人の男は、夜の空間の中に消えて行った。
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