イレブン

九十九光

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エピローグ5

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取り巻く周囲の変化の話を聞き、猛烈に感動した団員が何人も出てきたというのだ。

 次に私たちを肯定してくれたのは、意外にも松田母だった。学校祭後に臨時で開かれたPTA総会にて、「生徒のために全力で奉仕するのが学校でしょうが! それをあなたたちの不手際で離れていったのを棚に上げて生徒に罰を与えるなんて……。保護者をなんだと思ってるんですか!」と怒鳴り散らしたのである。確実に自分の娘の進学にかかわるから必死になっただけだろうが、これによってPTAも今回の一件に目をつぶることで一致した。

 そして私たちの人事を管理する教育委員会は、今回の一件に関するコメントは何一つしなかった。ここまでの経緯の中に被災者への差別があるということで、隠ぺい工作の一環でメディアの取材を完全に遮断したのである。まっとうな人間からしたら腹立たしい話だが、そのおかげで私たちにも目に見えた罰則を与えられなくなったらしい。ノーコメントを貫いておいて人事異動をするのは、組織の信頼失墜につながるので妥当な判断だろう。

 こうした周囲の反応が振替休日を含めた一週間の間に起こったことによって、私たちは今まで通りの生活を東中で送れることが約束されたのである。まともな擁護のコメントは一件しかなく、あとは身勝手な親の愛情と隠ぺい体質の副産物ではあるが、私たちはそうした社会の闇に救われたのである。

 もちろん、これに対して気に入らないという考えを持つ人間はいる。私とともに学校祭つぶしに加担した七人の教師たちである。

 真っ先にこの自分たちにとって都合のいい状況に怒りの声を上げたのは佐藤先生だった。元々教職内にはびこっていた隠ぺい体質に腹を立てていた彼は、自分たちの中で発生した今回のアクシデントを見て見ぬ振りした教育委員会に抗議の電話をかけたという。それを何度か繰り返し、そのすべてが門前払いになったことで、「今年度で教師を辞めて塾講師になる!」と周囲に触れ回り始めた。それが大体九月の末のことである。

 残りの六人もこの佐藤先生の行動に賛同の意を示したらしく、しばらくの間、新貝先生が教師を辞めて青森のマグロ一本釣りの家業を継ぐという無根拠なうわさが流れたほどだ(実際は青森にあるマグロの卸売りの会社に就職した)。三島先生は前の職場の上司から戻ってきてほしいと言われ、天草先生もヤマハの音楽塾の講師募集のチラシを見ているところを目撃されている。山田先生と小林先生は知多半島内の中年女性向けのスポーツジムのインストラクターになるつもりらしく、深沢先生は予定通り退職の準備を進めている。全員残りの仕事のモチベーションは落ちてはいないが、完全に教師を辞める気でいた。

 東中三年生たちはその後、周囲の大人たちから今回の事件を理由に不利な立ち位置を強
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