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第2章 いじめ問題。

第7話 復讐します。

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 鼻をツンと突くような、消毒液の香りでぼくは目を覚ました。それと同時に、軽い寝息の音に気が付く。

 結愛がぼくの横で眠っていた。
 おっとこの表現には語弊があったか。別に同衾しているって訳じゃないぞ、単に隣にイスを設けて突っ伏して寝ていたってだけだ。勘違いしないでくれ。

 ぼくは起こそうと手を伸ばす。が、もう少し寝顔を堪能させてくれてもバチ当たらないはずだ。

 なるほど、この未来を回避すると、結愛の寝顔が見られなかったって訳か。確かにこれで正解だったかもしれないな。

「ん、んん……」

 結愛が目を擦りながら身体を起こした。



「起きたのね」
「ああ、お陰様で」

 熟年夫婦かのような、言葉数の少ないコミュニケーションだったが、間違いなくぼくは彼女の意図した事を理解した。

「まずはありがとう。色々大変だったよね」
「ううん、大した事はして無いから。それよりも……服の下の傷見ちゃった。ごめんなさい、何も気付いていなくて」

 やはり見られてしまった。隠し通そうと思っても、今回の一件はさすがに問題があったか。

「でも、どうして隠してたの。今日だけじゃなくてずっと続けていたんでしょう。先生に相談すれば───」
「バラしたら安藤くんに何言われるか分からないし……」
「じゃあ、どうしてッ、私にも隠してたの?」

 どうしてって……当たり前だよ、結愛。
 当たり前じゃないか。考えればすぐ分かるだろう。

「勝手に守った気にならないで」
「別にぼくは守ってたつもりは……」
「そんなのっ、全然格好よくない。あんまりだよ」

 雨が降ってきた。地面を滴る水音が絶え間なく響く。
 気まずくなって、ぼくは目を逸らした。

「骨折とかの心配はないみたい。軽症で済んで良かった」

 涙まじりに結愛が唇を噛む。自責の念に駆られている。だがそれは間違いだ、ぼくが意図的に隠していた事であって、結愛に何ら責任はないのだから。

「安藤くんは?」
「君の意識が戻らないのを見て、慌てて逃げちゃった。良かったよ、大事にならなくて」

 安藤くんらしいな。
 社会に出たら平気で轢き逃げとかしそうだもん。

「先生にはなんて説明したんだ?」
「なるべく傷は隠しながら、君が階段で勝手に転んだって事に一応してある。隠し通していた努力はそれなりに尊重したつもり」

 さすがは天下の結愛様。
 こういう配慮は一級だな。

「でも勘違いしないで。認めた訳じゃないから」

 きみは光しか見てこなかったのだろう。
 あるいは、同じくぼくみたいな奴が、こうした影をひっそりと隠し続けていたんだ。

 全国には、きっとぼくと同じような境遇の人間がゴロゴロと山のようにいる。いじめられる事が辛くて、でも誰にも相談できなくて、救えない人間が沢山いる。

 その中で、痛みを知ったぼくはこう思う。

「ぼくはいじめられてもいいと思っている。それは、安藤くんが選ぶいじめの標的が完全にぼくに固定されているからだ。誰かが犠牲になるなら、ぼくがなっておいた方がいい」
「許せない。そんなの───」
「───まして、きみに迷惑をかけたくないんだ。危害が加わって欲しくないと本気で思ってる」

 こんな事を言えるのは、少年漫画の主人公だけだと思っていた。でも、天海結愛という青春のど真ん中にいるような人が、ぼくと同じ目に遭ってはいけないと思うと、自然と自己犠牲という選択肢が生まれていた。

「……っ」

 ぼくは結愛を守る騎士にはなれない。
 精々が囮、肉壁くらいの存在だろうけれど。

 やっぱりこのタイミングでの公表は、その後の報復がいちばん怖い。特に、結愛への報復が。

 殴られ、蹴られ、痛み付けられた。

 ぼくは怖いんだ。
 安藤くんが怖い、まだ殴られるのを恐れている。

 頼りにしてきた未来視も、今日は役に立たなかった。消極的な使い方をし続けたツケが回って来たという事だろうか。


「許せない」

「だから……先生に言うのは」

「言わない。私の手で、ううんそれも違う。私達の手でやり返さないと気が済まない」


 やり返す?
 果てさて、天海結愛というトイレに行く度に、本当にお花を摘みに行きそうな可憐の代名詞たる彼女から、そんな過激な言葉が飛び出すとは誰が予想しただろうか。

 拳をわなわなと震わせ、見えない敵に果たし状を叩き付けるような面持ちで彼女は怒りを露わにする。

「何するつもり?」
「未来視よ」
「へ?」

 そこで、その話に繋がるのか!?

「未来視で、復讐する」
「これ以上ないくらいの悪用じゃないか!」

 物理を揺らがす奇跡の能力を個人的な復讐に使ってたまるものか。それなら競馬で大穴を軸に三連単を組んだ方がよっぽど生産的だとぼくは思うね。

 ぼくと違う性質を持つ結愛だからこそ、最大限に活かせる方法がそれだと思うんだが。

「危険すぎるっ、もし矛先が結愛に向いたら!」
「だからやり返されない位に、徹底的に叩き潰すの。私は、私の大切な……は言い過ぎか。友達、としても日が浅いかな。知り合いの悠斗にこんな事をしたのは許せないの」

 ねえ悲しくなってくるからせめて友達であって?
 ぼくが黙ってた事、さては相当根に持ってるな?

「決めた。未来研究部の活動方針! 安藤くんの行動を徹底的に観察して、彼を摘発するだけの証拠を集めるのっ、そして全部揃ったら担任にでも校長にでも全て叩きつけてやる!」
「ゆ、結愛さん……」

 こうなった結愛は誰にも止められない。
 核でも撃ち込まれない限りは、進軍し続けるだろう。

 まあ、でも。実験台としては丁度いいか。
 さながらバトル漫画で覚醒した主人公の気分だった。

 ずっと安藤くんに合わないようにするにはどうしたらいいかを考え続けていた。どうしても思考が後手に回って、彼から逃げる方法を考えていた。でも、天海結愛はひと味違う。

 彼女は徹底抗戦の構えを見せた。

 どこからか、消毒液を染み込ませたガーゼを持ち出すと、ぼくの患部に当てがって治療を始めた。

「いたたた、痛い痛い!?」
「ほらじっとして、動かない。こらっ!」

 ぼくを羽交い締めにして、上から覆い被さる結愛。というか保健室の先生は一体どこに行ったんだ。暴走状態に近いこの人を早く誰か止めてくれ!


「あの、さ。……とう、悠斗」
「え? 今なんて」
「な、なんでもない。気にしないで」

 ボソッと、聞こえない程度に結愛が呟く。
 ぷるっとした桜色の唇が、直線状に伸びた。

「どういたしまして」
「き、聞こえてるじゃんっ」
「あはは、これぞ計画的ラブコメ未遂ってやつだ」
「意趣返しのつもり!? タチ悪っ」
「いやあ、どういたしまして~」
「褒めてない!」

 鈍感系主人公のモノマネは、お気に召したようだ。
 今度からも定期的にからかってやろう。

 友達以下の、知り合いらしいぼくからね。
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