薔薇の女王と百合の姫

小津 悠理

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第2話

時計の紳士と語られる歴史

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 おや、 御機嫌よう。ふふ、きょろきょろと辺りを見回して。ここですよ、ここ。貴方が手にしている古びた懐中時計ですよ。やあ嬉しいな、この店の店主以外に私の声が届いたのは久しぶりです。これも何かの縁だ、良ければお客さん、わたしの昔話を聞いていかれませんか。
……そうですか、聞いてくださいますか。ありがとうございます。ふふ、まだ驚いた顔をしていますね。でも実は物が話すのはよくあることですよ。ほら、そこの美しい金髪の人形、彼女はロゼと言いますが、彼女なんか作られた瞬間に命が宿ったと聞いています。え、私は違うのかって? そうですね、私は違います。私は後から命が吹き込まれたのです。
 おっと失礼、まだ名乗ってすらいませんでしたね。私は懐中時計のフラン。仲間たちからはフランじいさんなんて呼ばれたりもします。お好きに呼んでください。
 さて、それではどこから語り始めましょうか。やはり、私の生まれからでしょうか。少し長くなりますが、お付き合いくださいね。



 ガヤガヤと騒がしい喧騒の奥。人通りの少ない裏道に店を構える小さな時計店。時計職人のフランツはふうと息を吐いた。たった今、職人人生の中で最高傑作と呼べる懐中時計が完成したのだ。ハンターケース型の懐中時計。蓋に施された細やかな意匠は芸術品の域だ。針もりゅうずもぴかぴかに磨かれ、誇らしげに時を刻んでいる。
 この時計は、フランツが幼なじみのクラーラに贈るために作ったものだ。フランツの初恋の相手であるクラーラは、今度めでたく結婚することになった。フランツではない別の男と……だが。
 最初は失恋が辛かったフランツも、幸せそうな彼女の顔を見たら何も言えなくなってしまった。告白もしない、ただ傍で見守るだけの恋だった。奪われても仕方ないのだとフランツは心のどこかで諦めてもいた。この恋は心に秘める。その代わりに、自分の持つ技術を全て注いで、彼女にずっと身につけて貰える時計を作るのだ。そう決めて、毎日毎日仕事が終わってから少しずつこの時計を作り上げた。
 まさに今完成した時計の蓋の裏には、フランツの名と結婚おめでとうの一言が添えられている。表側の精緻な意匠は、フランツとクラーラが幼い頃共に読んだ思い出の絵本をモチーフにした兎を象ってある。意匠と文字を刻む頃にはフランツの中で純粋に結婚を祝う気持ちが満ちていた。
 結婚式のときにこの時計はクラーラに贈られた。クラーラは時計に作ったフランツにちなんでフランと名をつけ、一生大事に使った。
 ……後にフランツは、作った時計を持っていると幸せに恵まれるという祝いの時計を作る者の名を冠することになるのだが、今の駆け出しの彼には関係のない話だ。



 とまあ、これが私の時計人生の始まりでした。え? 長くなると言ったのにすぐ話が終わったじゃないかって? いえいえ、これはほんの序の口。なんてったって私がまだ意識を持っていない頃の話ですから。さて、クラーラに私が渡ってから、しばらく経った頃のことです……。



 クラーラは時々手入れをしながら大事にフランを使った。彼女のポケットにはいつもフランが入っていた。彼女は夫との間に三人の子どもをもうけ、クラーラ亡き後、兄弟の長子である長男ヨハンにフランは引き継がれた。ヨハンは母に似て優しく几帳面な性格だったので、母が大事に使っていた時計を粗雑に扱うことは無かった。
 ヨハンは結婚はしたが早くに妻と死別してしまったため子どももおらず、長く独り身であった。しかし、料理教室や手芸教室、ときには学校に行くお金が無い貧しい子どもたちに無償で勉強を教えたりして、それなりに充実した毎日を送っていた。皆に先生と呼ばれて慕われ、優しく博識だったので困ったときの相談役として頼りにされていた。お礼にと街の人々からは卵や野菜、子どもたちからは野原で摘んできた花など差し入れられて過ごしていた。
 そしてクラーラからヨハンへフランが引き継がれ三十年が経とうかという頃、フランは薄ぼんやりと意識を持つようになった。気づけば、フランツに作られてから七十五年程が経とうとしていた。後で知った話だが、人に大切にされた古い物は命を授かることがあるのだとか。フランはちょうど、その覚醒が始まったところだったのだ。うとうとと微睡みに沈みつつも、フランは自分に大切そうに触れる手をずっと感じとっていた。その手が、段々と老いていくことも。



 意識が浮上し始めた頃、一番最初に思ったことは、なんて温かな手なんだろうということでした。周りのことどころか自分のことすら釈然としませんでしたが、それが手だとなんとなく分かったのです。ポケットの中で揺れているときも彼の体温を感じて安心したものでした。ヨハンは本当に、本当に良い持ち主でした。



 ある日フランは気づいた。もう夕方になるというのに、今日はヨハンがまだ自分に触れていない。夜眠るときに机の上に置く以外は常に肌身離さず自分を身に付けてくれるヨハンが。意識はあるが、この頃のフランはまだ話す力も無ければ、目も見えない。だから思いもしなかったのだ、ヨハンが眠ったまま冷たくなっているだなんて。
 ヨハンの葬儀が終わった後、ようやくフランは事態を把握した。もうあの手に触れてもらえることはないのだ。あの優しい少しかさついた手は、自分から永遠に失われたのだ。
 街の人々は、ヨハンの棺に、フランを入れようと考えていた。皆ヨハンが母クラーラの形見でもあるフランという時計を大切にしていたことを知っていたから。しかし、ヨハンに特別よく懐いていたカリーナという少女がどうか自分にフランを譲って欲しいと皆に頼み込み、それが承知された。棺には入らずフランはカリーナの持ち物になった。



 ふう。少し休憩しましょうか。ほら、店主が貴方に紅茶を淹れてくれましたよ。彼の紅茶は美味しいそうですから、冷めないうちにどうぞ。いえ、私はまだ飲んだことはありませんが。
 ふふ、不思議そうな顔ですね? 分かります、時計のくせに紅茶を口に出来る訳が無いだろうと仰りたいのでしょう? それがここからの話の続きの肝なのですよ。私はただの時計ですが、食事をしたことがあります。驚きましたか?
 クラーラ、ヨハン、カリーナ。三人目の主を得る頃には、私もかなり古くなりまして、自分の中に何か不思議な力が漲っていくことに気づいたのです。



 カリーナが少女から女性に姿を変えるくらいの年月が流れ、あるとき、フランは目が覚めるという感覚を味わった。ちょうどフランが作られてから百年目のときのことだった。文字通り目が覚めた。暗い視界がぱっと開け、世界の全てがフランの目に飛び込んできた。フランが何よりも先に目にしたのは、カリーナの美しい横顔だった。フランはその瞬間、時計人生で初めて、一目惚れというものを経験したのである。
 百年の時を経たフランが得たものは、視界だけではなかった。自由に動く手足、世界を鋭敏に感じ取る五感、そして何より、声を手に入れた。しかしどうやら、カリーナには人の姿になったフランは見えていないようだった。
 だが、落ち込むばかりでもなかった。カリーナの家には、フランと同じように器物が時を経て人々によって大切に扱われたがために命が宿った物たちが大勢いた。彼らは命を得てから間もないフランを弟のように可愛がり、フランの知らない話をたくさんしてくれた。中でもとりわけフランが驚いたのは、自分たちのように命を宿した物たちを、ファントム・アンティークと総称することだった。そして、ファントム・アンティークを見ることも、触れることも、会話することもできる人間が一部にはいるということも、大きな驚きだった。そうしてそういう人間はファントム・ワイズマン……通称ワイズマンと呼ぶらしい。残念ながらカリーナはワイズマンではなく、フランたちのことは相変わらず見えないままだったが、ワイズマンには後天的になることもあるのだという。フランは少しずつ知識を吸収しながら、カリーナと会話できる日が来ないかと思い続けていた。
 フランの世界は大きく広がった。カリーナが自分の本体をどこへでも連れて行き、蓋をカチリと開けて時を確かめる瞬間は、たまらなく快感だった。
 時々手入れのために近くの時計店へ預けられ、ネジや歯車のチェックをされているときは、カリーナが傍にいないことが寂しかったが、その時計店というのはフランツの子孫が営んでいる店だったので、フランは知る由もなかったが実家に帰ってきたようなどこか懐かしい気持ちにさせられた。店では同じ時計のファントム・アンティークたちと友人になり、世間話に花を咲かせたりもした。
 そしてその世間話の中で、フランはある噂を耳にする。

「ツクモガミ?」

「ああ。極東の島国では、俺たちのことをそう呼ぶらしい。しかも、国民皆ワイズマンなんだとさ!」

「なんだって!?それはすごい……。羨ましいな」

「全くだ。あーあ、俺たちなんて自分が壊れてファントム・アンティークとしての生を終える前にひとりかふたりワイズマンに出会えたら奇跡だってのに……。一度でいいから持ち主と言葉を交わしてみたいよなあ」

「そうだな。私たちに触れるあの手を握ることができたなら、どんなに素敵か……」

 時計店から帰って来たあとも、フランはずっと噂のことを考えていた。もしもカリーナの隣に自分が立てたらどれほど幸福だろう。当たり前のように言葉を交わして、視線がぶつかり、その手を握ることができたなら。
 その一方で過ぎた夢だ、とも思う。百年以上も人間たちに大切にされてきたのに、それ以上を望むなんて欲張り過ぎている。こうして巡り会えただけで充分だと。
 カリーナの寝顔を眺め、触れることはないと知りながらも手を伸ばす。その手はやはり彼女の身体をすり抜けた。



 この頃の私は、初めて芽生えた感情……恋情というものを持て余していたのです。人間だって意中の人に自分のことを見てほしいと願うでしょう? 私も同じでした。でも私の場合、もうほとんど叶わない恋でしたから、見てほしい気づいてほしいと強く思いつつも諦めてもいましたね。
 ですが、私の気持ちを知るファントム・アンティークの仲間たちが私に力を貸してくれたのです。



「薔薇の女王……?」

「俺たちファントム・アンティークは基本的にはただ意識と常人には見えない人の身体を持つだけだ。でも薔薇の女王って人形は人の身を持たない代わりに、ワイズマンじゃない普通の人間にも聞こえる声と、自由に動かせる人形の身体と、世界を作り出す力を持っているんだそうだ。俺も詳しいことは知らないが、その女王サマに頼むことが出来たら、お前、持ち主と言葉を交わすくらいはできるんじゃないか!?」

「そんなこと……本当に出来るんだろうか」

「モノは試しだ、期待することは罪じゃない!なあ、薔薇の女王はこの街の骨董屋にいるらしい。アンティークの皆にお前の噂を流せばそのうち女王の耳にも入るだろう。やってみようじゃないか!」

「そうよフラン!」

「皆協力してくれるさ!」

「お前の気持ちは皆分かってるわ。持ち主と交流したいって気持ちは一度は通る道よ。だから、もしも貴方が上手くいけば、自分も……って思ってる奴もきっといる。貴方のためだけじゃないんだから、堂々と利用してやりなさい」

「皆……」

「フラン!」

「さあフラン!やってみようぜ!」

「ありがとう……。……では、頼む!私に皆の力を貸してくれ!」

 カリーナの家のアンティークたちから、時計店の時計たち、そこから話はさざ波のようにじわじわと広がり、噂を流し始めてからひと月ほどして、薔薇の女王……ロゼの耳に入った。フランという懐中時計が、持ち主と言葉を交わしたがっている。薔薇の女王に協力を仰げないか。
 女王の返事はYES。それがまたアンティークたちを折り返し、フランの元に報せが届くまで2ヶ月。吉報が入ってきたときのフランの喜びはとても言い尽くせるものではなかった。
 首を長くして待ち続けていたフランは、そのときちょうど手入れのために時計店にいた。そして明くる日の時計店が閉まった夜中、ひとりの男性がショーウィンドウの前に立った。腕に蔦で編まれた籠を大事そうに抱えている。眠っていた時計店の時計たちも通りすがりとは違った様子の男性にひっそりと息を呑む。男性は籠を一度地面に降ろすと、籠の蓋を開け中から見事な金髪の人形を取り出した。

「薔薇の女王だ……」

 時計の誰かが言った。

 その言葉が聞こえたのか、たっぷり布を使った真紅のドレスを纏った人形は、閉じていた目をそっと開き、ドレスの裾を摘むと優雅に礼をした。

「ご機嫌よう。わたくしはロゼ。願いを叶えに来たわ。フラン……というのはどの時計かしら」

 ざわめく時計たち。噂は常々聞いていたが、実際にロゼを見るのは初めてだった。ああ、本当に人形の身体で動き、話すのだ……。
 フランを周りの時計が指し示す。フラン自身も期待と興奮に満ちた瞳で、そっと片手を挙げた。

「初めまして、女王陛下。フランと申します」
「初めましてフラン。陛下はやめて。ロゼでいいわ」

 苦笑したロゼは自分をここまで連れてきた男性に手招きをして、腕に乗せさせた。

「ごめんなさいね、こんなところから。身体が小さくて、貴方と話しづらいものだから」

 ロゼの身長は、せいぜい三十センチほど。しかしフランが今乗せられている台は、地面から一メートルほどの高さに位置するので、ロゼが話しにくいというのも頷けた。

「さて、人間になりたいというのが貴方の願いだったわね。ええ確かにわたくしは貴方の願いを叶えることが出来るわ。でもそれには、貴方と貴方の周りの他の時計たちにも協力して貰わないと」

「何をすれば良いのですか」

「わたくしの持つ力は、古くて大事にされた物を媒介に、新たな世界を作り出す力。問答無用で願いを叶える訳では無いの。だからフラン、貴方の中に貴方が人間である、という世界を作り出し、それを外側である現実にリンクさせることで貴方の願いを叶えるわ。ただし、わたくしの作る世界は永遠ではない。力の込め方によって長さが変わってしまう。だから込める力はなるべく多いほうがいいわ。その込めるための力を、貴方だけではなく周りの時計の皆にも少しずつ貸してほしいの」

 そこでロゼは一度言葉を切る。そして少し憂鬱そうな面持ちでまた話し始めた。

「ただ……力の正体はわたくしたちファントム・アンティークが経てきた歴史や思いそのものなの。力を取られすぎたアンティークは、また一からやり直し。物言わぬがらくたに戻ってしまうわ。意地悪だとは思うけれど、それでも力をフランに貸せる?」

 時計たちはざわざわとざわめく。自分の身を犠牲にするのは怖い。しかしその中で、フランと仲の良かったとある時計が一番に声を上げた。

「女王サマ!俺の力?全部使ってください!がらくたに戻ったって構いません!こいつ本当に人間になりたがってるんです!その為に俺がしてやれることがあるなら、俺は喜んで力を貸します!こいつは大事な友だちなんです!」

 それを引き金にして、他の時計たちも各々の顔を見回して頷き合うと、こぞって手を挙げだした。

「もうワシは随分長く使ってもらったよ。充分じゃ。人間からもらったこの恩を、フランくんに力を貸すことで還元しよう」

「フランが上手くいけばあたしたちにも希望が持てる。やっておくれよ女王!フランを人間にして!」

「フランに力を!」

「力を!」

 段々と熱は上がり、ショーウィンドウの中はフランのためにという意思でいっぱいになっていた。

「皆……」

「愛されているわね」

「……ええ、全くですね。私は良い友人たちに巡り会えた」

「さて、では始めましょうか。これだけの力があれば、そうね、五十年くらいは持つと思うわ」

「そんなに?」

「ええ。薔薇の女王の本領発揮よ。それに、これだけ多くの時計から力を貰えるなら、物言わぬ、なんて状態には誰もならないでしょう」

「……!そうですか、良かった!」

「さあでは行くわよ。目を瞑りなさいフラン」

 フランはぎゅっと目を瞑る。赤い薔薇の花びらが眼前を舞い、優しく威厳のある女性の声がした気がするが定かではない。
 そこからのことはよく覚えていない。気づけば薔薇の女王は消え、いつの間にか陽は昇り、アンティークの時計たちは皆静まり返り……。フランは人間になっていた。若く、本体の時計に施された意匠と同じ刺繍の入ったシャツとズボンを身につけた美男子。自分が人の身を得たことを理解したフランは時計店の扉を思いっきり開け、外へ飛び出した。
 もちろん行き先は、愛しい持ち主カリーナのところだ。



 若気の至りというやつです。お恥ずかしい。彼女に会いたくて会いたくて会いたくて……。自分は人間ではない。彼女に釣り合わない。そんなことは分かりきっていましたが、気づけば自分の、皆の歴史という歴史をこの身に詰め込んで、ほんの一時の夢に身を任せていたのです。幸せでした。今では幻のようですが……。確かに私は彼女と添い遂げたのです。



 なんやかんやと語り尽くせないほどの歴史を刻んだ懐中時計は、愛しい女性と言葉を交わすどころか数十年の月日を夫婦として連れ添った。カリーナが亡くなるところを見届けると、フランにかかった魔法は解けた。しわくちゃになった老婦人の手の上では、鈍く輝く時計が時を刻む仕事を彼女が亡くなった時刻で止めていた。夫妻の間に子どもはおらず、誰も引き継ぐことのない夫妻の自宅の骨董たちは、皆同じ骨董店に売られていった。もちろん、フランも。
 その骨董店というのが、今いるこの店、「Garden」。薔薇の女王ロゼのいる、ファントム・アンティークの集う店である。



 これで私の話はおしまいです。本当に長くなってしまいました、老人の長話に付き合わせてすみませんでしたね。
 おや、買って下さるのですか? 私を? 作られてからかなりの年月が経っていて、いつ止まるかもわからないこんな老いぼれを?
 わ、私がいい……ですか。……そうまで言われては、頑張るしかないようですね。
 私はフラン。祝いの時計を作る者、フランツによって生み出された、正真正銘祝いの象徴にして、人間だったことのある稀有な時計です。どうぞよろしくお願いします、新しい私の主。貴方の時が止まるその時まで、お傍で時を刻みましょう。

おわり
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