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第一章 行運流水、金花楼の夜
二胡弾きの玉蘭 1
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あたしたちはみんな、夢みてる。
いつか──いつかこの鳥籠を出て、空を自由に飛び回りたいって。運命の男性が、この扉の鍵を開けてくれるんじゃないかって。
あたしたちの身と心を捧げる、最後の旦那様を待っている。
鳥籠の名前は、金花楼。
秦青国きっての遊里、南市。
鶴酔門南街にある高級妓館の一つ。
夢見る小鳥だった私と、運命の旦那様の出会いは、霜輝月の、凍えるような夜のことだった。
「えっ、牡丹姐さんじゃなくて、あたし?」
大層びっくりしたあたしは、大きな酒瓶を抱えているのも忘れて飛び上がった。
「な、なんでっ? あ、あたし、今日は演奏だけって話で」
「一人前に口答えかい、玉蘭。」
「す、すみません、仮母」
頭を下げたときに酒瓶を落としそうになって、慌てて抱え直す。この一本が、あたしの日給よりはるかに高いんだから慎重にしないと。
「お客様がお待ちだよ、早く行きな」
この妓楼と宴会を取り仕切る仮母に背を押され、大部屋に放り込まれる。強烈な酒の匂いにあてられたあたしは、衣装の袖でウッと鼻を押さえた。
宴もたけなわ、お客様と姐さんたちの距離は近く、隅の方ではいかにも我慢できないという風に上衣を脱がせかかってる男もいる。さっさと部屋に行ってほしい──明るい部屋でああいうのを見せられるのは……何年たっても慣れない。
南市の高級妓楼の芸妓とはいえ、ふだんは裏方の仕事が主のあたしは、楽器の管理や食事の配膳もする。
売れっ子で花形の妓女たちに比べれば化粧っけもなく地味だし、貸し衣装もくたびれている。……替えを買うお金がないのだ。
そんなあたしを──二胡弾きの玉蘭を指名した客は、一番の上座にいるはずで──つまりこの宴会場で、いちばん偉い人、なのだった。
こんなことになるなら、化粧だってもうちょいと気合い入れたのに。不平不満をため息と一緒に飲み込んで、玉蘭は広い宴会場を足早に進んだ。
「なんでアンタなのさ?」
同期の鈴蘭の横を通り過ぎると、ちくりと嫌味を言われる。
「アンタ目当ての客なんて、演奏会以外で見たことが無いんだけど。なんなの? 楼主に枕でもやった?」
「は? やってないし」
「ああ、俺が紹介したんだよ」
その鈴蘭を背後から抱きしめているのは、常連の青年だ。元々はさわやかな好青年なのに今はへべれけに酔っていて、だらしなく緩んだ頬を鈴蘭の肩に擦り寄せている。
「白陽様が?」
「あのお方はさぁ、牡丹さんみたいな、派手で豊満な美女がたいそう苦手でさぁ。玉蘭も、口うるさい男が嫌いだろ? こりゃ似合いだと思ってさ」
「あはは、そうなのぉ? たしかに、玉蘭みたいな素朴な女が好きな男だって、いるわよねえ」
素朴ね、素朴。
鈴蘭にしてはずいぶんと言葉を選んでくれたようだ。
二人とも、今夜はかなり酔ってる。とはいえ鈴蘭の方はほとんど演技だけども。
あー、こりゃきっとヤる前に男の方が寝ちゃうやつだなと、あたしは男の赤ら顔からさっと視線を逸らした。
鈴蘭はこの手をよく使う。体力を温存して、一晩に何人も相手をするためなんだとか。でも男の方は、大金をはたいたのに本番の記憶が曖昧って、不満なんじゃないのかな。
とはいえお互いの流儀に口を出さないのが妓女の鉄則。そもそもお座敷では、喧嘩してる余裕なんてないし。
(なんとでも言えばいい。鈴蘭が美人なのだって、牡丹姐さんみたいに色っぽくないのだって、本当のことだもの)
足元に散らばる皿や箸を踏まぬよう気をつけて、宴会場を横切る。
ここは妓女たちの戦場──南市最大の妓楼、金花楼の瑠璃の間。
戦が茶飯事の荒れた時代に、景気が良いのは武器屋と汚職官僚くらい。金花楼みたいな高級妓館だって例外じゃなく経営は苦しい。
──稼げない芸妓は、いらないよ。
何度も叱られたママの言葉が思い出される。今夜しくじったら、来月は冷や飯すらもらえないかもしれない。
けれど、逆に言えば、これは好機だ。
(どんな主さんなのかしら。たっぷり呑んで、食べて、じゃんじゃん金子を支払ってもらわなくちゃ。うまくいけば特別支給だって狙えるかもしれないんだから……)
握った拳に力が入る。
(女の価値は見た目だけじゃないって、あたしが証明してあげるわ!)
いつか──いつかこの鳥籠を出て、空を自由に飛び回りたいって。運命の男性が、この扉の鍵を開けてくれるんじゃないかって。
あたしたちの身と心を捧げる、最後の旦那様を待っている。
鳥籠の名前は、金花楼。
秦青国きっての遊里、南市。
鶴酔門南街にある高級妓館の一つ。
夢見る小鳥だった私と、運命の旦那様の出会いは、霜輝月の、凍えるような夜のことだった。
「えっ、牡丹姐さんじゃなくて、あたし?」
大層びっくりしたあたしは、大きな酒瓶を抱えているのも忘れて飛び上がった。
「な、なんでっ? あ、あたし、今日は演奏だけって話で」
「一人前に口答えかい、玉蘭。」
「す、すみません、仮母」
頭を下げたときに酒瓶を落としそうになって、慌てて抱え直す。この一本が、あたしの日給よりはるかに高いんだから慎重にしないと。
「お客様がお待ちだよ、早く行きな」
この妓楼と宴会を取り仕切る仮母に背を押され、大部屋に放り込まれる。強烈な酒の匂いにあてられたあたしは、衣装の袖でウッと鼻を押さえた。
宴もたけなわ、お客様と姐さんたちの距離は近く、隅の方ではいかにも我慢できないという風に上衣を脱がせかかってる男もいる。さっさと部屋に行ってほしい──明るい部屋でああいうのを見せられるのは……何年たっても慣れない。
南市の高級妓楼の芸妓とはいえ、ふだんは裏方の仕事が主のあたしは、楽器の管理や食事の配膳もする。
売れっ子で花形の妓女たちに比べれば化粧っけもなく地味だし、貸し衣装もくたびれている。……替えを買うお金がないのだ。
そんなあたしを──二胡弾きの玉蘭を指名した客は、一番の上座にいるはずで──つまりこの宴会場で、いちばん偉い人、なのだった。
こんなことになるなら、化粧だってもうちょいと気合い入れたのに。不平不満をため息と一緒に飲み込んで、玉蘭は広い宴会場を足早に進んだ。
「なんでアンタなのさ?」
同期の鈴蘭の横を通り過ぎると、ちくりと嫌味を言われる。
「アンタ目当ての客なんて、演奏会以外で見たことが無いんだけど。なんなの? 楼主に枕でもやった?」
「は? やってないし」
「ああ、俺が紹介したんだよ」
その鈴蘭を背後から抱きしめているのは、常連の青年だ。元々はさわやかな好青年なのに今はへべれけに酔っていて、だらしなく緩んだ頬を鈴蘭の肩に擦り寄せている。
「白陽様が?」
「あのお方はさぁ、牡丹さんみたいな、派手で豊満な美女がたいそう苦手でさぁ。玉蘭も、口うるさい男が嫌いだろ? こりゃ似合いだと思ってさ」
「あはは、そうなのぉ? たしかに、玉蘭みたいな素朴な女が好きな男だって、いるわよねえ」
素朴ね、素朴。
鈴蘭にしてはずいぶんと言葉を選んでくれたようだ。
二人とも、今夜はかなり酔ってる。とはいえ鈴蘭の方はほとんど演技だけども。
あー、こりゃきっとヤる前に男の方が寝ちゃうやつだなと、あたしは男の赤ら顔からさっと視線を逸らした。
鈴蘭はこの手をよく使う。体力を温存して、一晩に何人も相手をするためなんだとか。でも男の方は、大金をはたいたのに本番の記憶が曖昧って、不満なんじゃないのかな。
とはいえお互いの流儀に口を出さないのが妓女の鉄則。そもそもお座敷では、喧嘩してる余裕なんてないし。
(なんとでも言えばいい。鈴蘭が美人なのだって、牡丹姐さんみたいに色っぽくないのだって、本当のことだもの)
足元に散らばる皿や箸を踏まぬよう気をつけて、宴会場を横切る。
ここは妓女たちの戦場──南市最大の妓楼、金花楼の瑠璃の間。
戦が茶飯事の荒れた時代に、景気が良いのは武器屋と汚職官僚くらい。金花楼みたいな高級妓館だって例外じゃなく経営は苦しい。
──稼げない芸妓は、いらないよ。
何度も叱られたママの言葉が思い出される。今夜しくじったら、来月は冷や飯すらもらえないかもしれない。
けれど、逆に言えば、これは好機だ。
(どんな主さんなのかしら。たっぷり呑んで、食べて、じゃんじゃん金子を支払ってもらわなくちゃ。うまくいけば特別支給だって狙えるかもしれないんだから……)
握った拳に力が入る。
(女の価値は見た目だけじゃないって、あたしが証明してあげるわ!)
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