3 / 13
第一章 行運流水、金花楼の夜
二胡弾きの玉蘭3
しおりを挟む「あ、ああ……いや、ありがとう。……まさか、こんなところで故郷の唄を聴けるとは思わなくて」
「主さん、秦青の出身ではない? きっとそうよね、その初雪のような御髪が、眩しいくらいだもの」
「え、ええと。……その……俺は」
落ち着きなく視線をさ迷わせ、彼は連れの男たちを見やった。
けれど部下らしき若い男たちは誰も彼もが女たちの手管にまかれて、酔いつぶれている。
助けがないとわかると、彼はがっくりと項垂れつつ、髪をがしがしとかく。
「やはり、この街では目立つだろうか。その、貴女たちにとっては……野蛮人の色、だものな」
「いいえ、綺麗なお色だから、目を引くんだと思うわ」
「不快では?」
「まさか。とても素敵よ。羊みたいで」
「ひ、ひつじ?」
「しかも、とびきり柔らかくてふわふわで、優しげな瞳の羊さんよ。この毛をつむいだら、さぞ美しい糸になるのでしょうね。天女の羽衣だって織れてしまいそう」
「ちょっ、ちょっと、玉蘭……」
周りの妓女たちは卒倒しそうな青い顔で、あたしと青年を見比べている。あの鈴蘭すらもが、気遣わしげにこちらをうかがっている。
場の空気が微妙に良くないものに変わったのを敏感に感じとって、あたしはぴたりと喋るのをやめた。
(あっ、……やば。やっちゃった、かな……?)
あたしの悪い癖!
歌に集中したあとに、べらべらといらないことを言ってしまうのは!
異国人とはいえ、今宵の最高のお客様の前で。
──よりにもよって『家畜に似てる』だなんて!
──あんた、それでも金花楼の女なの!?
そんな妓女たちからの無言の圧力に迫られて、あたしは冷や汗が止まらない。
無礼だ、気に食わないからと、妓女が手打ちに合うこともしばしばだ。
男たちはいつだってあたしたちの運命を握っている。
抱くのも、生かすも、殺すも彼らの自由。
だからあたしたちは、男の前では決して本音を出さない。彼らにとって必要な女を、演じなくてはいけない。
それなのに、今のあたしときたら。
いつのまにか背後に、彼のお付きらしい武人の姿もある。
その手が剣の柄にかかっているのを見て、あたしは息を呑んだ。
(あっ……これは……し、死んだかな、あたし……)
あたしは焦って、しどろもどろに言い訳をした。
「あっ、あの、私……その、御髪があまりに柔らかく綺麗な白髪なので、……そのっ仙女のようだとか、うらやましくって、」
もう喋るな! と仲間たちがあたしの背を小突く。
「ひっ……も、申し訳ありません!」
あたしはその場に平伏した。こんなんじゃ、もう、いつ斬られてもおかしくない。
誰も、何も言わず、動かない。
沈黙が場を支配する。
その中心で目を瞬いていた青年は、突然、ぷっと噴き出した。
「羊か! よくわかったな。そうだ、俺の名は公羊という」
凍りついていた空気が一瞬で溶けてしまうほどの、朗らかな笑い声が響く。柔らかな微笑みだった。
その笑顔にぼう然と見惚れていたあたしは、我に返ってあたふたすると、またしてもうっかり口を滑らせてしまう。
「ほ、本当に、羊さんだったのね」
「玉蘭ッ!」
「よい。彼女はなにも、悪くない」
それを咎めることもせず、彼は口元を押さえて笑いをこらえている。
上品な見た目に似合わず、けっこうな笑い上戸なのかもしれないななんて、あたしはまだうまく思考のまとまらない頭で、そんな事を考えていた。
「俺のことを羊と言ったのは、我が母と、親愛なる友人に次いで、あなたが三人目だ。公羊という名は、この国での通り名で、その友人にもらったものなのだ。とても気に入っている」
どうやらあたしは彼のご友人とやらに救われたらしい。
この人が、見た目だけでなく中身も、慈悲深く優しい羊さんで本当に良かった。
周囲の喧騒がようやくこの場に戻ってくる。
女たちはそれぞれの男の元に戻り、お付きの武人も帯刀している剣から手を離して、少し離れたところで再び酒を呷り始めたようだ。
公羊はあたしを手招きし、先ほどより近くに侍らせた。
「……あなたは、璟族を嫌わないのだな」
あたしはハッとして顔をあげた。
微笑みを消した彼は、小さな声でため息まじりに言う。
「『羊』というのも、俺への偏見や嘲りで出た言葉ではないのだろう? 俺は女性の心の機微には疎い方だが、そのくらいはわかる。あなたは最初から、俺のことをそのような目で見てはいない」
この国では多くの民が、北の民を毛嫌いしているのに、と。
からになった杯に視線を落として、寂しそうに公羊は笑った。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる