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第一章 行運流水、金花楼の夜
牡丹姐さん 5
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金梅はとうとう折れて、部屋が真っ白になるくらいの煙を吐き出し天を仰いだ。
「二人も同時に稼ぎ手がいなくなっちゃあ、金花楼といえど損失だよ。支度金から、それなりに引かせてもらうからね」
「もちろんよ、仮母」
牡丹の甘い微笑みを手で払って、金梅は玉蘭を睨みつけた。
「付き人としてお前が使えるかどうか、試験をしてやろう」
試験。私は背を正した。
その試験如何で、私のこの先が決まるかもしれないのか。
「次の満月──2週間後か」金梅は煙管でこんこんと卓を叩いた。
「後宮で開かれる春の夜宴がある。そこで牡丹は陛下に見染められて、後宮に上がるっていう筋書きがすでに決まっているのさ。そこでお前もうまく自分を売り込むんだよ。容姿で無理なら楽器の腕で買われるしか無いだろう? 覚悟するんだね、金花楼の看板をしょって行くんだ。下手なことをしてうちの名前に傷をつけたら、死ぬまでここでこき使ってやる」
せいぜい身綺麗にすることだと言って、金梅は紫煙とともに室を出ていった。
「私の室へ行きましょう、玉蘭」
牡丹は白く滑らかな手で私の手を取った。煙たい部屋を出た私たちはそのまま手を繋いで中庭を歩く。
「姐さん、あたし自分の入浴がまだなの。桶、置いてきちゃった」
「大丈夫よ。湯を貸してあげる。ねえあなた、今日からは私の房室から見世に通いなさいな。教えることがたくさんあるし、あなたの支度もしなくちゃいけないし」
「エッ、姐さんと住むの? えーっと、それはちょっと気づまりじゃないかなって……」
「あなた、私のために何でもするってさっき言ったでしょう? さっそく約束を破る?」
「ウッ、いえ、破りません……住みます暮らしますお世話もいたします……」
中庭を横切り、川を渡り。連れてこられた先は、もはや小さなお屋敷だった。
「ね、姐さん、ここ……」
「楼主《トト》に建ててもらったの。贈り物の置き場に困ってしまってね」
入口からして、金花楼の花たちが寝泊りする下宿とは桁違いの屋敷だった。何人か使用人もいるらしい。渡り廊下はピカピカに磨き上げられて砂の一粒もないし、見渡す庭園も落ち葉一つなく整えられている。
「こっちが寝室よ」
いくつもの、部屋を過ぎて階段を登った先、紗幕をくぐると甘やかな花の香りに包まれた。いつも彼女から香る、牡丹の花の香りだ。
「う、嘘でしょ……なにこれ」
私の呟きを聞いて牡丹は噴き出した。
「そんなに驚く? 気に入った?」
気に入るもなにも、ただこの豪華さに呆然としていた。
目の前にある寝台は何人でも一緒に同衾できそうな広さだし、衝立の向こう側には湯あみのできる個室があるらしい。
壁には著名人の書が掲げられ、調度品や美術品が品良くおさまっている。まるで姫君の寝室のよう。本物の公主様がどんな暮らしかなんて、私は知らないけど。
たしかにこれなら私一人増えたところで何の問題もないのだろう。牡丹は目を丸くしてる私を見て機嫌よく微笑んでいる。
そんな彼女のそばをふわふわと横切る、ひかり。
「あ……蝶が。綺麗……」
「ああ、言い忘れてた。このお屋敷、蝶がたくさん寄ってくるの。不思議でしょ。なぜか集まってきてしまうの」
牡丹に促されて、格子窓から顔を出して下を見る。陽光さす庭のあちこちに色鮮やかな蝶たちが羽ばたいている。蜜を求め、花から花へふわふわと。
牡丹が窓からそっと指を差し出すと、橙色の翅をした蝶がそこにとまった。牡丹は口づけをするみたいに唇をちょんとつきだして、ふっと息を吹きかけて蝶を放す。
(うわあ、美しすぎて目が……目が……ッ……)
蝶にすら愛される美女。同じ寝台で寝起きして、同じものを食べて。同じ湯に浸かって同じ衣装を身にまとえば、私も少しは……そう思いかけたけれど、違うのだ。
(私は誰かのために美しくなるのではなくて、自分の野望のために力をつけるのよ。修行、そう、今日からは修行なのよ)
二胡を持ってこなくては。何がなくとも私には、それが1番の武器なのだから。
「二人も同時に稼ぎ手がいなくなっちゃあ、金花楼といえど損失だよ。支度金から、それなりに引かせてもらうからね」
「もちろんよ、仮母」
牡丹の甘い微笑みを手で払って、金梅は玉蘭を睨みつけた。
「付き人としてお前が使えるかどうか、試験をしてやろう」
試験。私は背を正した。
その試験如何で、私のこの先が決まるかもしれないのか。
「次の満月──2週間後か」金梅は煙管でこんこんと卓を叩いた。
「後宮で開かれる春の夜宴がある。そこで牡丹は陛下に見染められて、後宮に上がるっていう筋書きがすでに決まっているのさ。そこでお前もうまく自分を売り込むんだよ。容姿で無理なら楽器の腕で買われるしか無いだろう? 覚悟するんだね、金花楼の看板をしょって行くんだ。下手なことをしてうちの名前に傷をつけたら、死ぬまでここでこき使ってやる」
せいぜい身綺麗にすることだと言って、金梅は紫煙とともに室を出ていった。
「私の室へ行きましょう、玉蘭」
牡丹は白く滑らかな手で私の手を取った。煙たい部屋を出た私たちはそのまま手を繋いで中庭を歩く。
「姐さん、あたし自分の入浴がまだなの。桶、置いてきちゃった」
「大丈夫よ。湯を貸してあげる。ねえあなた、今日からは私の房室から見世に通いなさいな。教えることがたくさんあるし、あなたの支度もしなくちゃいけないし」
「エッ、姐さんと住むの? えーっと、それはちょっと気づまりじゃないかなって……」
「あなた、私のために何でもするってさっき言ったでしょう? さっそく約束を破る?」
「ウッ、いえ、破りません……住みます暮らしますお世話もいたします……」
中庭を横切り、川を渡り。連れてこられた先は、もはや小さなお屋敷だった。
「ね、姐さん、ここ……」
「楼主《トト》に建ててもらったの。贈り物の置き場に困ってしまってね」
入口からして、金花楼の花たちが寝泊りする下宿とは桁違いの屋敷だった。何人か使用人もいるらしい。渡り廊下はピカピカに磨き上げられて砂の一粒もないし、見渡す庭園も落ち葉一つなく整えられている。
「こっちが寝室よ」
いくつもの、部屋を過ぎて階段を登った先、紗幕をくぐると甘やかな花の香りに包まれた。いつも彼女から香る、牡丹の花の香りだ。
「う、嘘でしょ……なにこれ」
私の呟きを聞いて牡丹は噴き出した。
「そんなに驚く? 気に入った?」
気に入るもなにも、ただこの豪華さに呆然としていた。
目の前にある寝台は何人でも一緒に同衾できそうな広さだし、衝立の向こう側には湯あみのできる個室があるらしい。
壁には著名人の書が掲げられ、調度品や美術品が品良くおさまっている。まるで姫君の寝室のよう。本物の公主様がどんな暮らしかなんて、私は知らないけど。
たしかにこれなら私一人増えたところで何の問題もないのだろう。牡丹は目を丸くしてる私を見て機嫌よく微笑んでいる。
そんな彼女のそばをふわふわと横切る、ひかり。
「あ……蝶が。綺麗……」
「ああ、言い忘れてた。このお屋敷、蝶がたくさん寄ってくるの。不思議でしょ。なぜか集まってきてしまうの」
牡丹に促されて、格子窓から顔を出して下を見る。陽光さす庭のあちこちに色鮮やかな蝶たちが羽ばたいている。蜜を求め、花から花へふわふわと。
牡丹が窓からそっと指を差し出すと、橙色の翅をした蝶がそこにとまった。牡丹は口づけをするみたいに唇をちょんとつきだして、ふっと息を吹きかけて蝶を放す。
(うわあ、美しすぎて目が……目が……ッ……)
蝶にすら愛される美女。同じ寝台で寝起きして、同じものを食べて。同じ湯に浸かって同じ衣装を身にまとえば、私も少しは……そう思いかけたけれど、違うのだ。
(私は誰かのために美しくなるのではなくて、自分の野望のために力をつけるのよ。修行、そう、今日からは修行なのよ)
二胡を持ってこなくては。何がなくとも私には、それが1番の武器なのだから。
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