邪教

鳫葉あん

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背信

「……神様がいるのなら、どうして助けてくれないの……?」

 小さな子供の呟きは夜の帳に溶けて消える。傍らから聞こえる健やかな寝息を聞き、目を瞑る。
 裁きの日は近いのだと噂されているのを聞いた。先の見えない明日が恐ろしい。
 それでも眠るしかないのだ。ここにいる時点で、既に未来は閉じているのだから。



 その男を見つけたのはレネだった。
 邪教の祖である二人の魔女を追うヴィレムに変わらず付き従い、目撃証言をもとに次の布教地点として当たりを付けた南方の軍事国家へ向かう道中、夜営していた森の中で倒れる男を見つけた。
 装備から見て目指していた国の兵士であるが軍服は血に染まり全身傷だらけの男は、生きているのが不思議だった。
 強い生命力に心惹かれたレネは男を拾い、今夜の拠点に戻る。心優しいヴィレムとその部下達は怪我人を放っておく筈もなく、男はすぐさま治療を受けた。
 『心優しく純朴な青年』であるレネは夜間の看護を申し出た。無理はしなくていいと心配するヴィレムに、たおやかな笑みを浮かべて言う。

「でも……僕が彼を見つけたのだし、みんなには予定通りに休んでほしい。それに、とても心配だから。僕なら大丈夫だよ」

 責任感を前面に出せばヴィレムは折れる。何かあったら言ってくれと言葉を残し、男を休ませている天幕から出ていく。
 時折呻き、脂汗を滲ませる男の額を濡らした布で拭ってやる。優しい手付きのレネの顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。


 殺戮があった。裏切りから始まった。長年親睦を深めていた隣国が、ある日突然攻め入った。
 恥ずべき裏切り者は国内にいた。たかが一貴族で終わるつもりはないと増長した豚が、隣国に情報を売っていた。見返りは新たな地位だった。
 街は混沌に満ちた。民草は文字通り草のように刈られる。兵士は無惨に殺される。男は苦しんで死ぬ。女は犯される。子供は新しい常識を植え付けられる。老いたものはただ殺される。
 地獄だった。
 男はただ一人逃がされた。お前だけでも生き延びろと、果たされぬ役目を託された。
 男は逃げた。本当は国と共に死にたかった。死ねなかった。
 復讐がしたかった。おめおめと逃げ延び、負け犬だと嗤われようと、どれだけの年月をかけたとしても、復讐だけがしたかった。
 
「そう。とても……とても悲しいね」

 悲しい。そうだ。悲しいが、それ以上に憎い。憎くて憎くてたまらない。
 国を救えない矮小な己が憎い。国を売った豚が憎い。和を忘れ蹂躙を成した隣国が、憎い。

「起きなさい」

 ままならぬ意識がゆっくりと覚醒し始める。誰かの声だ。

「起きなさい。貴方の願いを叶えたいのなら」

 願い、という言葉に男の意識が反応する。叶う筈のない宿願。それが成せるのなら『何でも』してやる、『どうなってもいい』と思える夢物語。

「……憎い蹂躙者達を、滅ぼしたいのなら」

 男の目は開かれた。見覚えのない場所で、男は青年に見下ろされていた。
 特筆すべき点のない凡庸な顔立ちだというのに、浮かべた笑みは慈しみに満ちている。冷たいものが額を拭う感触が心地良い。

「誰だ」
「僕はレネ。貴方の願いを叶えてあげられる、数少ない存在だよ」

 レネの手が下がる。男はただ、レネを見ていた。
 視線が言葉の続きを促してくる。

「貴方が貴方を捧げるのなら、貴方の願いを叶えてあげる。祖国を滅ぼした恥知らず達をみんな、殺してあげる」
「……君のような、人を殺したこともなさそうな人が?」
「いいや。僕だけど僕じゃない。僕を加護するお方が殺すよ」
「……どうやって。俺は何をすればいいんだ。俺を捧げるって……」

 男の言葉にレネが口の端を吊り上げる。歪な笑みは言い様のないおぞましさがあったが、男は気にしなかった。

「これから死ぬまで。僕の駒になりなさい。僕が成せと言ったことを成し、僕を心から愛し敬いなさい」

 レネの手が男の頬に添えられ、撫でられる。男はレネの目から視線を外せなかった。

「死んだら、僕と一緒にお父様……邪悪の神に喰われなさい。肉体は勿論魂ごと、お父様に捧げなさい。……お父様の中で、僕と一緒になりましょう?」

 両頬を包むように手を添えられ、男は固唾を呑んだ。
 同性の平凡な男の声だというのに、焦がれる美女のねだりより甘く、魅惑的に思えた。
 けれど理性を溶かすのはそんなことではない。

「君の駒になって、死んだら邪神に喰われて……それだけで、あの国を滅ぼしてくれるのか?」
「ええ。貴方を捧げてくれるなら……僕に口付けてもらおうか。誓いのキスだね」

 挙動を楽しげに見ているレネに、男は上体を起こして口付ける。迷いはなかった。
 男の心はただ、果たされぬ復讐を嘆いていた。罪もなく殺された同胞達が哀れでならず、それに比べたら青年と邪神の贄になるなど苦ではなかった。

「……入ってきたら?」

 男が唇を離すと、レネがそう促す。男に対してではなく、天幕の入口の向こうへと。

「……レネ、どういう……ことなんだ」

 信じられないものを見るような蒼白とした顔のヴィレムが天幕の中へと入ってくる。状況のわからない男の肩にレネのほっそりとした腕が回され、小さな体に抱き寄せられる。

「聞いていたでしょう? 僕のお父様は邪神です。貴方の追う魔女達の神です」
「……そんな、筈がない。嘘だろう」
「本当です。僕は邪神の子なんです。ごめんなさい」

 ありありとショックを受けた様子のヴィレムへ向けて、悪びれもなく謝罪の単語を吐き、笑う。その姿は普段のヴィレムに見せていた姿とはかけ離れていた。

「全て嘘だったのか? 信徒達の生き残りでもなく、俺と誓った愛も……」
「信徒達の生き残りって設定は、貴方が勝手にそう思い違いをしただけでしょう。僕は記憶がないとしか言ってない」
「……レネ、」
「貴方への愛は」

 言葉を切られる。ヴィレムはただ、なにかを求めるようにレネを見つめた。

「貴方の信じる神とやらの前では誓ったけど……僕のお父様の前では誓ってないよ」

 ああでも、と言葉が続く。

「愛してるよ。輝かしい宝玉のような心のヴィレム。眩しすぎて目を潰されてしまいそうな愛しい人。さよなら」
「レネ!!」

 何かを察知したヴィレムが足を一歩踏み出すよりはやく、レネと男の姿は消えた。闇にかき消えるように一瞬、本当に瞬く間に。
 残された天幕と看護に使った水桶と布。乱れた敷布が彼らの痕跡だった。



「レネちゃん! おかえりなさぁい」

 瞬く間に移動したレネと男を出迎えたのは絶世の美女――レネの姉であるフィロメナの抱擁だった。その後ろには妹の姿もある。

「お兄様、お帰りなさい。そちらの人は?」
「僕の可愛い下僕であり、新しい依頼主だよ。姉さん、頼みがあるんだ」
「なぁに?」
「国を一つ。お父様に喰べてもらいたい」

 帰って来たばかりの弟の頼みに、フィロメナは深い笑みを刻んだ。男の目には酷く歪でおぞましく見えた。

「話を聞きましょうか。お父様のもとへ行きましょう」
「ありがとう。行こう、シェルト」
「ああ…………えっ?」

 頷いてから疑問の声を上げる。男は――シェルトは、彼に名乗った覚えはなかった。そもそも身の上話もしていなかったと今さら気付く。

「どうかした?」

 不思議そうに首を傾げる青年が、未知の存在だと改めて思い知った。それでも恐怖や嫌悪がわかないのは彼のものになったからだろうか。

「ふふっ、どうだろうね」

 悪戯な笑みを浮かべて手を引く青年には、隠し事など出来ないのだろう。きっとする必要もないのだ。


 彼らの拠点は大きな屋敷だった。華美な内装によく合う美しく上等な調度品に囲まれ、室内と広い廊下には血のように鮮やかな深紅の絨毯が敷かれている。
 長い廊下を進み、長い螺旋の階段を降りた先。頑丈な鉄扉を開けた先には、石造りの神殿があった。
 一瞬で別世界へ渡ったような錯覚に陥りながら、促されるままに進む。神殿の中央には祭壇があり、何かを祀っているのが一目でわかる。

「お父様、ただいま帰りました」

 レネの挨拶の後、地響きが起きる。兵士の性のままに体が動き新たな主を守ろうと、シェルトは傍らの青年を庇うように抱き込む。
 止まったかと思いきや地響きが続く。慌てるシェルトとは裏腹に二人の美女は落ち着き払っている。

「健気な子を見つけたのねぇ」
「……貴方、お兄様を離しなさい。これは地震ではないわ。お父様の声よ」

 フィロメナは楽しそうに笑い、ミシェレが拗ねた顔で教える。彼女の言葉通り、地響きは地震ではなく邪神の声なき声だった。

「僕のこと、守ってくれたの?」
「えっ、ああ……必要なかったか。申し訳ない」
「……ふふっ、嬉しいな……ああ、本当に……」

 うっとりとした眼差しを向けられ、シェルトの頬に赤みが差す。二人を見て眉を吊り上げたミシェレが何かを言うより先に、再び地響きが起きた。


 レネの頼み、即ちシェルトの身に起きた悲劇と願いの復讐を語ると、小さな地響きが起きた。
 フィロメナも頷き、ミシェレも「ちょうどいいわ」と話し始める。

「私達、復興ごっこをしてるの」
「……ああ、そうなのか。男が多い?」

 レネの問いかけに頷きが返る。意味のわからないシェルトの視線を感じたのか、レネが向き合ってくれる。

「人間の確保のために難民とか浮浪者を集めて集落を作ってるんだ。シェルトの国は男と老人は皆殺しでしょう? 女は孕ませて残ってるだろうし、子供は洗脳中か……従わないのは殺されてるか。まぁともかく彼女達を集落に迎えよう」
「選別がちょっと面倒だけど、増やさないといけないからねぇ」
「私達ならすぐでしょう? お姉様なら一瞬だわ」
「……よくわからないんだが、生き残った人を助けてくれるのか」
「シェルトの国の人はね」

 彼らなりの考えがあり、それに都合が良いというだけなのだろう。そう理解は出来てもシェルトは嬉しかった。
 憎き隣国の人間は、例え民間人であろうとも一人残らず死に絶えてほしい。けれど祖国の民は、出来るなら生きていてほしい。醜くも当然の感情だった。



 傷心のヴィレムが目当ての国へ辿り着くと、そこはもぬけの殻だった。酷い戦闘痕が街中に残り、生々しい血痕がそこかしこに散っている。
 魔女達がやったのでは、と狼狽える部下に否定する。

「……あの女達は無駄な血は流さん。これは……人間の手によるものだ」

 民家を訪ね生存者を探すが、どこの家にも人気がない。
 街から城へ進み、無人の城門を潜る。見張りもおらず侍従もおらず、がらんどうの城を進み、無駄と思いながらも開いた玉座の間には、男がいた。
 よく肥えた男が、裸で玉座に縛られて死んでいた。
 玉座の周りには底の割れた酒瓶がいくつも転がり、男の頭や腹には乾いた血がこびりついている。肌には瓶の破片が散っていた。

「……これは、」
「……誰かは知らんが私刑でも受けたか。この国の王だろうか?」
「いや、この国の王は壮年の……痩せたお方だった筈です」
「……そうか。とりあえず何処かへ埋葬してやろう」

 めぼしいものもなく、男を弔うと地図を確認したヴィレムはすぐ隣の国へ向かった。凄惨な滅びを迎えた国と同じような軍事国家であったが、両国の仲は良かった――表面上は。


「……」

 今度こそ、魔女の仕業だった。
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