跨いで溶けて向かって

理科

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跨いで溶けて向かって

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 耳元でカチッと音がした。何かの電源が入った、もしくは切れたのだろうと考える。この判断には根拠がない。ただそんなものを必要とせずに決めつけてもいい場合というのはそんなに珍しくもない。



 オンとオフはどちらも状態である。それ等はただ逆に存在しているというだけ。オンでないものはオフであり、逆もまた然り。そこをまたぐ瞬間にその境界を以て意識するもので、オンの状態をオンだと思い続ける人はいない。



 少しだけ長い時間が流れる。全ての感覚を人間性が処理をしていく感覚というのは心地の良いものだ。これはあれで、あれはこれ。それはそういうものであり、あれはそうではない。神が人間にに書いたプログラム通りに全ては過ぎていく。

 僕の脳に光が入ってきた。ああ、これは目という器官が捉えた光を処理した結果だということに気がつく。外界から僕への干渉、これは一定のアルゴリズムではどうしようもなかったことを意味する。ということを理解するところまで神は教えてくれる。ここから先は理性を発揮しなければならない。

  彼は問うた。

「調子はどうだい。詳しく聞きたいんだが」

  白い部屋に僕は立っている。病室のような質素さではあるものの、ここでなにかあっても人は助からないだろう。ここは病室ではない。彼は僕の顔にかかった布を取り除いた。少しだけ息苦しくなる。

「前にも言ったが僕はそのような質問の仕方は好きじゃない」

「それは悪かったね。ただね、あまりに聞きたいことが多くて、その上今すぐ聞きたくて。こういった場合は仕方がないだろう?じゃあまず一つ。君は死んでいると感じるかい?」

 彼は笑っている。多分。ただ鏡に映った自分があの顔をしていたら僕は、自分は泣いていると考えるだろう。

「勿論、死んでいる。と思う」

「なんだい、そのあやふやな返事は。僕は死んではいない。じゃあ君は?それだけだよ」

「君は僕が死んでいると知っているのだろう。それは医学的にどうこうといった話ではなく、自分と違うという意味でだ。君は死んではいないと言っていて、僕とは違う。だから僕は死んでいる」

  ここまでは確認作業に過ぎない。単調な相槌を見ていれば彼もそう考えていることは明白だった。

「そう、そこまでは僕の視点だ」

「じゃあお揃いにさせてもらおうか。僕は何かで、君とは異なっていて、そして君は死んではいないと思うよ」

「死と生を跨ぐということは、溶けていくんだね。誰かの一部と混ざって溶けて、何処かへと向かっていくんだね」

「そんなのはどっちにいても同じだ。社会に溶けるか個体に溶けるかの違いしかない。そして死と生は状態に過ぎない。ただ僕と君が違う状態というだけだよ」

   彼は僕に手を合わせる。僕も彼に手を合わせた。この動作に意味があるとは思えないけれど、違う状態の者に祈りを捧げるのは一般的だと誰かに習った。

   僕は顔に布をかけた。何かを肺に供給する。

 僕たちは火葬場まで一緒に歩いた。くだらない話だけをした。石を蹴ったりもした。着いてしまう頃には話題も尽きていた。さよならとだけいい彼と別れる。

 線香を吸いながら地面を見ていると、元々は彼だったであろう煙は下へ下へと向かっていった。
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