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はじまりは別れから
時は936年、陰と陽とが混じりあう平安時代のこと。
あの日は生ぬるい湿気を含んだ風が吹き、耳が痛くなるほど虫の声でさえしない無音の中、満月を雲が隠すことなく、月特有の白銀とは異なり緋く輝いていた。
心を乱すその不穏な輝きに貴族は勿論、普段は大路で夜を過ごす者でさえ怯えるように何処かに姿を消した。
そのため、都を区切る人気の無い路には、何処にいたのか妖、魔物達がぞろぞろと我が物顔で闊歩している。
そんな路を、闇に紛れる様な濡羽色の衣に身を包み内裏に向かって駆けている者がいた。
その者の名は安倍晴明。
後に稀代の陰陽師と呼ばれることとなる人物である。
この日は昼間から不安に苛まれて、陰陽師寮に出勤しているときから警戒を怠らなかった。案の定、夜になると普段は四神が作りし都の結界が徐々に弱まり、普段なら結界に拒まれて平安京に入れないはずの多くの悪霊、妖魔が次々と都に侵入し帝が住まう内裏を目指していた。
漆黒の者は、走りながらもそれを確認し、舌打ちを打つ。こういう時に限って普段偉ぶる上位貴族の坊っちゃん陰陽師は屋敷で震えて使えない。
今も、都の異変に駆けまわっている陰陽師はそう多くないだろう。しかも、ほぼ結界に掛かり付けなっているだろうから内裏に向かう悪霊、妖魔はもしかしたら自分だけで対処しなくてはならないかもしれない。
晴明がこのままでは間に合わないなと最悪の状況を思い浮かべていると、内裏奥、帝が住まう大内裏を中心に小規模の新たな結界が作られたのが見えた。
内心、ほっとしてその結界の主を思い浮かべにんまりとするとその地を蹴る力をさらに強めに内裏へと急いだ。
到着した内裏には、想像していた人物が地に倒れている悪霊、妖魔の中心に立っていた。濃い藍色に染められた狩衣に薄藍の小袿を羽織った姿は、緋い月の光に照されて異質さを引き出していた。
晴明はその姿にごくりと生唾を飲み込み今まで以上の不安、いや喪失感を感じつつも、それを表面に出さない様にして近寄る。
「早いお着きのこって道満殿は。」
「普通、何かが起きたときに狙われるのは確実に此処だろ。」
何を言っているんだとその目が冷たく語っているのに胸が高鳴るのを無視して、自分の好敵手でもある道満、蘆屋道満の肩に手を回そうとするが、風の様にするりと抜け出されてしまった。
行き場の無い手をわきわきさせていたら、内裏奥から烏帽子を被った壮年の男が出てこちらにゆっくりと向かってくるのが見えた。
晴明の顔がヤバイと言いたげに歪み、直ぐに懐や袖口を漁りだす。
この男は、賀茂忠行。晴明の力を初めて見いだした者であり、自らの知識を瓶に水を移すかのように晴明に与えてくれている師匠である。
「君たちは、何でいつも烏帽子を被らない。」
「僕は陰陽寮に入っていませんし、行動の邪魔です。」
「持ってはいます!」
道満は悪気なくはっきりと言い、晴明は少しよれた烏帽子を今更ながらに頭に乗せて見せた。
その二人の態度に、忠行ははぁと深いため息をつく。
普通、烏帽子を着けないというのは裸と同じく恥ずかしい事なのだが、夜に密かに都を駆け回る晴明や外法師と呼ばれ、陰陽寮に入っていない道満にとって烏帽子は邪魔でしかないのだ。
まあ、陰陽寮に入っている晴明がどうにか烏帽子を持ち歩くようになったのは幸いか。
「まあいい。それより、この現象は何が起こっていると思う?」
「ただ単に四神の力が弱まっているというわけでなく存在を感じない。」
「月がやけに気味が悪い。気持ち悪い。」
「ふむ。四神に月か。」
忠行は、空に浮かぶ月を見た。
月は、血を浴びた刀の様に怪しく光り地上を照らしている。
多くの書物を読む忠行でさえその現象は初めてで、それが今回の事に関わっているのは間違い無さそうである。
そして、道満が言うように都を囲む結界に四神の気配が感じられないのは確かである。これは、直接聞いてしまうのが手っ取り早いと忠行は道満に視線を向けた。
「すまぬが道満殿、青龍王様を呼び出して貰えるかな?」
「それが、呼んでも来ないのだ。」
少し困った様にいう道満に普段見れない表情を目撃し、晴明が身体をくねらせて悶えているのが視界の端にいて邪魔だった。晴明の腹を殴る事でそれをで嗜めると、忠行は難しい顔でうーんと唸りながら考えはじめてしまった。
蘆屋家は古くから四神や八天将と関わりを持つ一族であった。そこに目をつけた帝が平安京に都を移すときに播磨から連れてきたのだ。
その蘆屋家の者が呼んでも来ないと言うのは少しおかしな事である。
「なあ、晴明。」
「ん?どうした道満殿。」
「あればなんだと思う?」
忠行に殴られた腹を擦っている晴明に、耳打ちするかの様に耳元に囁いた道満が指差す先には、内裏の上の空にできつつある孔だ。
それは徐々に広がっているようで、孔の奥にはなんとも形容しがたい手が待ち構えていた。
その手は大きく人一人を握りしめられそうな大きさである。今は、孔が小さいからまだ良いがこのままではその内に手が孔から出てきそうである。
「し、師匠!」
「うるさいぞ、晴明!」
考え事をしていた忠行が晴明を見ると、顔を青ざめ内裏に現れたる孔を震える指で差していた。同じく孔を見ているだろう道満は晴明とは異なりきょとりとして、不思議なものを見ているかの様に首を傾げている。
とりあえず、忠行は明らかに今回の事に関わっていそうな孔の様子を見るため近寄った。
すると、孔の中の手が反応を示し、小さい孔を無理に通ろうとして壁を叩くような音を発てながら、こちら側に出てくるべく何度も押してきている。さすれば、孔が大きくなる速度が早まりをみせた。
忠行は慌てて孔から離れて距離をとり、晴明と同じく青ざめた顔で孔を見つめるだけとなった。
手は、忠行が離れてしばらくすると大人しくなり、孔が開く速度も元へともどる。
「何なのだ、あの孔は!」
『あれは神の孔だ。』
「あ、青龍王。」
忠行が動悸する胸元を押さえながら叫ぶと、低めの心地良い声が返事をした。
その声の方を向けば、道満の元に寄り添うように異国の服装をした美青年が立っていた。その人物の登場に、晴明がむっとした表情で先ほどまでの青ざめてた姿が嘘のように青年を睨んでいる。
道満が、先ほど言葉を漏らしたようにこの青年こそが青龍王だ。
多くの青龍を纏める王であり、混沌の時代から生きる『神に近き者』である。青年の姿をしているが、本来は黒みがかった青紫の鱗を持つ龍の姿をもつ。
忠行が、直ぐ様青龍王に質問を投げ掛けた。
「あれは、なんなのですか?」
『あれは、異界の神が人を誘拐するのに使っている魔人だ。』
「誘拐?」
『そうだ、異界では召喚と言うらしい。今まで、召喚を無効にするため四神族総出で動いていた。』
「ああ。だから、結界が緩んだのか。」
納得する道満を、青龍王は申し訳無さそうにを見た。
その顔を見る限り、召喚は無効にできなかったらしい。だからこそ目の前の孔は広がりを続けているのだろう。
「青龍王は、この孔が誰を欲しているのか分かる?」
『力を持つ者。恐らく退魔師を一人。』
「なるほどね。」
『この世界の神も尽力したが、対処が遅れたから今回だけは駄目だった。』
「今回だけか。」
道満の目の奥がきらりと光った。
その光りが良くないものだと長年の付き合い上しっている晴明は止めるべく、動こうとした道満の手首をつかんだ。
「何をする気だ。」
「今回だけなら僕が異世界に行こう。」
「駄目だ!」
想像していた通りの回答に晴明の手に力がこもる。その力強さに道満の眉が歪んだ。青龍王が無言で晴明の手を外して解放させたが、その手首には赤く捕まれた跡が残ってしまった。
手を外された晴明は白い肌に残ってしまった跡を見て小さくすまないと謝った。それでもまだ道満を捕まえたがっているのは誰がみても明らかである。
そんな、晴明を見ていた道満は小さく息を吐く。それだけで小さな児の様に身体をびくつかせる晴明の頭を撫でた。そのとたんに逃がさないとばかりにしがみつくのは、どうかとおもうが。
「晴明、僕は異端の陰陽師だ。世間からは外法師と呼ばれている。」
「だが、お前は俺より強い。」
「素質はお前の方があるさ。」
「嫌だ!何故にお前が犠牲になる必要がッ……。」
必死になってしがみつくのを見つめながら、晴明の背後に立つ青龍王に合図をして気絶してもらい、力が抜けた身体を支えるとそのままゆっくりと地面に横たえた。そして晴明の横に膝まつき、顔に掛かるこぼれ髪を優しく耳に掛けてやりながら愛しげに見つめる。
忠行がなにかを言いたげにこちらを見ていたが、道満はにこりと微笑みその出るはずの言葉を制す。
しばらく晴明の顔を眺めたあと、満足した道満は言葉を発した。それはいつも、考えていたこと。
「僕は、巫女にもなれず陰陽師にもなれない半端者。どうして、このような者が力を持っていたのか疑問だったがやっと理解した。きっと、この日のためだな。」
「……道満殿、老い先短い私がゆく。」
「忠行殿は晴明に居なくてはならない存在だ。僕の存在は今後の安部家にも邪魔になる。」
道満は、目の前にいる男の最後の温もりを噛み締めるように抱き締めた。それは、好敵手という関係とは違うもの。想ってはいけないその想いが安倍家にとって邪魔になるのだ。
「忠行殿、僕の体内には醜い孕が存在していて、外には異形な一物が付いている。そんな僕を晴明が好いてくれているのは知っていた。だから、伝えて欲しい……。」
「……わかった必ず伝えよう。」
「ふふ、心配してくれる者は居るし、愛してくれる者もいる。僕は幸せ者だったのだな。」
今にでも泣き出しそうな表情をしながら話す道満は、いよいよ大きくなった孔に向かって歩きだす。
後ろ髪引かれる思いを感じながら孔に近寄ってゆくと、孔は待っていましたとばかりに孔から手を出して道満を力強くつかんだ。息がカフッと口から漏れる。だが、呻く事なくじっとしているとゆっくりと孔に引き摺り始めた。
ゆっくりと引き摺られながら道満は、息苦しい状態で天に向かい叫びをあげる。
「神王よ!今回だけだ!もう二度とこの様なことを赦すな!」
天はそれに答えるかの如く、暗雲も無いのに雷鳴を一つ鳴らした。その音を耳にすると道満はほっとした笑みを浮かべ、とうとう孔の中へと消えていったのだった。
道満が孔へと消え、同時に孔も消えた時、今まで不気味な光を発していた月が元に戻った。それと共に、四神の結界がまた強固の物へと変わり、内裏を中心に怨霊、妖魔を外へ追い出してゆく。
忠行は、地に横たわる弟子が目覚めるのをじっと待っていた。起こしても良かったのだが、忠行自身の考えを纏めたかったため放置している。
目が覚めたら、道満の言葉を伝えなければならない。
安倍晴明の好敵手、蘆屋道満は異形のものである。それはこの平安京に住まうものなら知っている事だ。
道満は世界が陰陽で分かれてできている中、自らが語ったように両方をもって産まれてきてしまった。
それが、只人ならまだ良かったのだが道満には幼少からまれに見ぬ強大な力を持っていたのがいけなかった。
先代帝は、たまたま見てしまったその稀有な力に目をつけた。そして、平安京を文字通り平安にすべく、呪を使ってこの地に縛り付けたのだ。
それは、蘆屋一族が播磨に戻るときにも効力を発揮し、一人身寄りもなく平安京に残るはめとなる。
身寄りもない道満が、平安京を生きていくのは安易な事ではなかった。道満は陰でもあり陽でもある。早くいえば女でもあり男でもあるため、女の術者である巫女達に受け入れられず男のみの陰陽師にもなれなかった。
そんな道満が平安京で生きてゆく手段は、外法師と呼ばれる裏の仕事を請け負う者になること。外法師は陰陽師が行えない禁忌の技も使う。
晴明が言っていた外法師でありながら道満殿は優しすぎると。
最後のほっとした笑みはもしかしたら呪からの解放や禁忌に手を染めなくて良くなった事への安堵の笑みも含まれていたのかもしれない。そう思いながら忠行は、覚醒し始めた晴明をみて抱き起こすため動き始めたのだった。
『……だから、伝えて欲しい。僕も愛していた。これが僕にかけられた縛りの呪であったとしても愛しかった。』
『……本当は怖い。会えなくなるのは嫌だ!だけど、こんな僕に優しくしてくれた忠行殿や村上、それに晴明に何かがある方が耐えられないっ!』
『すまん。忠行殿、忘れてくれ。これでは晴明を縛るだけだ。《さようなら、お前なんて大嫌いだ。……幸せにな。》それだけを伝えてくれ。』
忠行は全てを伝えるつもりだ。
言葉は呪だと良く言ったものだ。確かに、晴明を縛るものになるだろう。しかし、忠行には聞いてしまった思いを無いものとは出来なかったのだ。
それによって晴明の行く末が変わろうとも。
「そういえば、青龍王様は何処に行ったのか。」
その呟きは風にかき消され、起きた晴明の呟きやきによりすぐに忘れ去られた。
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