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7.叶わぬ想い
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二度目の役目を終え、ラルスは再び日常へと帰ってきた。
馬小屋の掃除をして、馬を一頭一頭綺麗に洗ってやる。馬の体調を気遣いながら、それぞれのエサを用意する。
伯爵家はラルスにきちんと賃金を払ってくれるし、この仕事も、馬たちも決して嫌いではない。伯爵家の人たちはフィンをはじめいい人ばかりだ。
ずっとここで働かせてもらえればいいなと思っていたはずなのに。
「はぁ……」
思い出すのはアルバートの優しい笑みだ。
アルバートの低く穏やかな声。ラルスに触れてくるときの温かな手。
世の中にはあんなに素敵なアルファがいるのだと初めて知った。
だが、アルバートはもうすぐ妃を迎える。妃が誰かは公表されていないが、噂では敵国の第二王女だという話だ。
和平を重んじるアルバートらしい結婚相手だと思う。アルバートなら自らの結婚も国のためになる選択をしそうだし、政略結婚の王女のこともきっと大切にするだろう。
「早く忘れなくちゃ」
もうアルバートと話すことすら叶わないだろう。貴族であるフィンならアルバートの姿を見る機会があるかもしれないが、平民のラルスにはそんなときすら訪れないと思う。城の中にすら入れないのに。
『閨事をすると、ときに恋慕の情を抱いてしまうことがあるようです。そのようなことはなきよう、お願いいたします』
侍女のミンシアの言葉がラルスの頭に反芻する。
まったくもってそのとおりだ。
今のラルスは「あのときの練習台のフィンです、覚えておられますよねっ?」と、あの夢のような夜の出来事をたてにして、アルバートに会いたいと願ってしまっている。
あの夜のアルバートの行為は、これから迎える妃へ対する練習だったというのに。
「ラルス、ねぇ聞いて!」
フィンが嬉々としてラルスのもとに駆け寄ってきた。
ぼんやりしていたラルスは我に返り、身体の土汚れを払ってフィンに「どうされましたか?」と笑顔を向ける。
「あのねっ、マリクさまから手紙の返事が届いたんだ!」
「手紙って、まさか……!」
少し前にフィンはマリク侯爵に敬愛の気持ちを綴った手紙を出していた。マリクはフィンの意中の相手で、フィンは以前から抱いている自分の気持ちをマリクに伝えたらしい。その返事が返ってきたのか。
「それでね、一度会って話がしたいと返事がきたんだ! あぁ、もう、嬉しくて舞い上がりそうだよ!」
フィンはマリク侯爵からの返事の手紙を密かに見せてくれた。たしかにそこには『フィンに会ってみたい』など好意的な言葉が綴られていた。
「よかったですね」
嬉しそうなフィンの様子を見て、本当に嬉しく思う。閨係の身代わりになった甲斐がある。このままマリク侯爵とフィンがうまくいけば、フィンの願いが叶うかもしれない。
「ありがとう、ラルス!」
フィンは何度もマリク侯爵からの手紙を見返している。そのときのフィンの瞳は、愛おしいものに向ける優しさに溢れていた。
フィンは心からマリク侯爵のことを好きなのだろう。
恋する友人の横顔を眺めていて気がついた。
自分はいったいどのような顔で、アルバートのことを見ていたのだろう。
あからさまに好意を寄せていることがわかるような、恥知らずな顔をしていたのではないか。
「……ラルスは? ラルスは好きな人はいないの?」
「え! 僕のことなど気にしないでくださいっ」
「いいからいいから。ねぇ、殿下のこと好きになった?」
「ええっ?」
フィンに胸の内を読まれたようで、ドキッとした。
なんと答えればいいのだろう。正直、アルバートは優しくてかっこよかった。練習台とはいえ何度もアルバートに抱かれて、まるで自分がアルバートの恋人にでもなった気分だった。
「そんな真っ赤な顔して、ラルスはわかりやすいなぁ」
「ち、違うって! ダメだよ僕なんかが好きになっちゃいけない相手なんだから……」
「そうやって必死で否定することも、ね?」
「違うよ、違う」
ラルスが否定しても、フィンはニヤニヤと笑っている。フィンにはなんでもお見通しのようだ。
フィンの前では、観念するしかない。
「……かっこよかった」
ラルスが本音をこぼすと、フィンが優しい顔で耳を傾けてくれる。
「バカみたいだよね。相手はお妃さまを迎える準備をなさってる王太子殿下さまだよ。あの夜のことは全部、練習のためになさったことで、殿下は僕の本当の名前も知らない。僕のこと、フィンって呼んでた。そりゃそうだよね、入れ替わったことすら殿下はお気づきになられてないんだから」
自分で言っていて情けなくなってきた。自分は身代わりでなければ閨の練習台にもなれないほど身分が低い。アルバートとの未来なんてあるはずないとわかっていたのに、まんまと好きになってしまった。
「殿下は素敵な御方だよね」
「うん……」
フィンの言葉に同意だ。アルバートと婚礼を挙げる妃が羨ましいと思う。一生、アルバートのそばにいられて、アルバートの愛情を一身に受けることができるのだから。
でも、この想いばかりは叶うことなく終わることだろう。
「ありがとう、ラルス。本当の気持ちを聞かせてくれて」
フィンはラルスの肩に優しく触れた。
「フィンさまこそ、聞いてくださりありがとうございます。ずっと胸の内に閉じ込めていたものを吐き出すことができて、嬉しかったです」
フィンに強引に気持ちを吐き出させてもらえてよかった。
アルバートへの想いをフィンに話したことで、気持ちが軽くなった。
「殿下にまたお会いしたいな……」
アルバートに会っても、何もできないとわかっている。それでも、ひと目でいいからあの姿を見てみたい。
このラルスの小さな願いは、きっと叶うことはないだろう。
馬小屋の掃除をして、馬を一頭一頭綺麗に洗ってやる。馬の体調を気遣いながら、それぞれのエサを用意する。
伯爵家はラルスにきちんと賃金を払ってくれるし、この仕事も、馬たちも決して嫌いではない。伯爵家の人たちはフィンをはじめいい人ばかりだ。
ずっとここで働かせてもらえればいいなと思っていたはずなのに。
「はぁ……」
思い出すのはアルバートの優しい笑みだ。
アルバートの低く穏やかな声。ラルスに触れてくるときの温かな手。
世の中にはあんなに素敵なアルファがいるのだと初めて知った。
だが、アルバートはもうすぐ妃を迎える。妃が誰かは公表されていないが、噂では敵国の第二王女だという話だ。
和平を重んじるアルバートらしい結婚相手だと思う。アルバートなら自らの結婚も国のためになる選択をしそうだし、政略結婚の王女のこともきっと大切にするだろう。
「早く忘れなくちゃ」
もうアルバートと話すことすら叶わないだろう。貴族であるフィンならアルバートの姿を見る機会があるかもしれないが、平民のラルスにはそんなときすら訪れないと思う。城の中にすら入れないのに。
『閨事をすると、ときに恋慕の情を抱いてしまうことがあるようです。そのようなことはなきよう、お願いいたします』
侍女のミンシアの言葉がラルスの頭に反芻する。
まったくもってそのとおりだ。
今のラルスは「あのときの練習台のフィンです、覚えておられますよねっ?」と、あの夢のような夜の出来事をたてにして、アルバートに会いたいと願ってしまっている。
あの夜のアルバートの行為は、これから迎える妃へ対する練習だったというのに。
「ラルス、ねぇ聞いて!」
フィンが嬉々としてラルスのもとに駆け寄ってきた。
ぼんやりしていたラルスは我に返り、身体の土汚れを払ってフィンに「どうされましたか?」と笑顔を向ける。
「あのねっ、マリクさまから手紙の返事が届いたんだ!」
「手紙って、まさか……!」
少し前にフィンはマリク侯爵に敬愛の気持ちを綴った手紙を出していた。マリクはフィンの意中の相手で、フィンは以前から抱いている自分の気持ちをマリクに伝えたらしい。その返事が返ってきたのか。
「それでね、一度会って話がしたいと返事がきたんだ! あぁ、もう、嬉しくて舞い上がりそうだよ!」
フィンはマリク侯爵からの返事の手紙を密かに見せてくれた。たしかにそこには『フィンに会ってみたい』など好意的な言葉が綴られていた。
「よかったですね」
嬉しそうなフィンの様子を見て、本当に嬉しく思う。閨係の身代わりになった甲斐がある。このままマリク侯爵とフィンがうまくいけば、フィンの願いが叶うかもしれない。
「ありがとう、ラルス!」
フィンは何度もマリク侯爵からの手紙を見返している。そのときのフィンの瞳は、愛おしいものに向ける優しさに溢れていた。
フィンは心からマリク侯爵のことを好きなのだろう。
恋する友人の横顔を眺めていて気がついた。
自分はいったいどのような顔で、アルバートのことを見ていたのだろう。
あからさまに好意を寄せていることがわかるような、恥知らずな顔をしていたのではないか。
「……ラルスは? ラルスは好きな人はいないの?」
「え! 僕のことなど気にしないでくださいっ」
「いいからいいから。ねぇ、殿下のこと好きになった?」
「ええっ?」
フィンに胸の内を読まれたようで、ドキッとした。
なんと答えればいいのだろう。正直、アルバートは優しくてかっこよかった。練習台とはいえ何度もアルバートに抱かれて、まるで自分がアルバートの恋人にでもなった気分だった。
「そんな真っ赤な顔して、ラルスはわかりやすいなぁ」
「ち、違うって! ダメだよ僕なんかが好きになっちゃいけない相手なんだから……」
「そうやって必死で否定することも、ね?」
「違うよ、違う」
ラルスが否定しても、フィンはニヤニヤと笑っている。フィンにはなんでもお見通しのようだ。
フィンの前では、観念するしかない。
「……かっこよかった」
ラルスが本音をこぼすと、フィンが優しい顔で耳を傾けてくれる。
「バカみたいだよね。相手はお妃さまを迎える準備をなさってる王太子殿下さまだよ。あの夜のことは全部、練習のためになさったことで、殿下は僕の本当の名前も知らない。僕のこと、フィンって呼んでた。そりゃそうだよね、入れ替わったことすら殿下はお気づきになられてないんだから」
自分で言っていて情けなくなってきた。自分は身代わりでなければ閨の練習台にもなれないほど身分が低い。アルバートとの未来なんてあるはずないとわかっていたのに、まんまと好きになってしまった。
「殿下は素敵な御方だよね」
「うん……」
フィンの言葉に同意だ。アルバートと婚礼を挙げる妃が羨ましいと思う。一生、アルバートのそばにいられて、アルバートの愛情を一身に受けることができるのだから。
でも、この想いばかりは叶うことなく終わることだろう。
「ありがとう、ラルス。本当の気持ちを聞かせてくれて」
フィンはラルスの肩に優しく触れた。
「フィンさまこそ、聞いてくださりありがとうございます。ずっと胸の内に閉じ込めていたものを吐き出すことができて、嬉しかったです」
フィンに強引に気持ちを吐き出させてもらえてよかった。
アルバートへの想いをフィンに話したことで、気持ちが軽くなった。
「殿下にまたお会いしたいな……」
アルバートに会っても、何もできないとわかっている。それでも、ひと目でいいからあの姿を見てみたい。
このラルスの小さな願いは、きっと叶うことはないだろう。
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