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Track2、軽音、部……?

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 翌日、火曜日。放課後。

「第二美術室、第二美術室――……あ、ここか」

 ドアの上の教室札を眺めながら、目的地の場所を探し出した。
 第二、とつけているのだから美術室の隣にあるものだと思っていたのだが、なぜかそこは美術室から多少離れた位置にあり、これは確かによくわからないな、と先ほど教師に教わったことを思い返しながら、私はため息をこぼした。

『軽音部の部室? ……それなら第二美術室だな。美術室とはまた違う場所にあるから少しわかりづらいと思うぞ』

 まあ、階は同じだから迷うことはないだろうがな――そう、先生は言葉を続けた。

 廊下を歩いていたその先生を捕まえて軽音部の部室について尋ねたのは、放課後のことだ。
 軽音部に行こうと決めたはいいものの、肝心のその部室の場所、というものを私は知らなかった。部室棟、なんてものはあるけれど、基本的にそこに部屋があるのは運動部ばかりで、文化部は校内の教室を使用している。代表例が音楽室を利用している吹奏楽部だ。他にも、茶道部や書道部なんてものもあり、美術室だったり家庭科室だったりを使用しているらしい。
 なら、軽音部も音楽室を使っているのか。が、生憎、うちの学校の音楽室は一つしかない。そこは吹奏楽部が使っている。なら、軽音部はどこで活動しているのか。
 しかし、クラスメイト達に訊けるわけもなく、仕方なく、私は教室を出ると、そこにいた先生に尋ねることにしたのであった。

『……しかし、あそこの部は確か……』
『はい?』
『……いやなんでもない。軽音部に入るのかね』

 くたびれた雰囲気がもれ出ている保《たもつ》先生。御年五十の、校内でもそこそこの年齢の部類に入る先生は、見るからに日々の疲れがにじみ出た風貌をしている。先生を知らない人に定年近い、と言っても納得されそうなほどだ。古文担当、というその肩書もまた、そこに拍車をかけている気がする。
 本当のことを言うと、保先生に訊くのはためらわれた。
 なぜなら、保先生も二学期にこの学校にきたばかりの先生だからだ。古典の先生が体調を崩してしまったとかで、その空きを埋める代役としてきたのだ。
 さすがにきたばかりの先生に尋ねるのは……。しかし、他に訊ける相手もいないし……。が、そんな私の不安もよそに、先生はあっさりと教室の場所を答えた。凄い。
 眉間にしわを作る保先生に、あ、いえ、と慌てて首を横に振る。クラスメイトがいて、その、ちょっと用事が……と、言い訳にもならないような言い訳を口にする。

『……友達は選びなさいね』

 ぽつりと、まるでひとり言のように、そうこぼしながら先生は去って行った。その発言に驚いて目を見張ったものの、結局それについて尋ねることはできなかった。

(……まあ、確かに、軽音部ってなんだかあまりいいイメージしないけど……)

 チャラいというか、パリピとでもいうか……。とにかく、そういう人がいそうなイメージはある。
 頭がピンクとか、青とか、ツンツンした髪型にしている人とか。ギターをかき鳴らす人って、そういうイメージ。見るからに、世間的に害悪な感じの人。
 高島くんだって髪、金髪だったし――。あれ、でも学校では黒色だよね。あれはどうやって変化してるんだろう。

 …………もしかして、カツラ?

 とめどなく流れてくる思考に頭を悩ませつつ、第二美術室に向かった。
 美術室そのものは、美術部を探していたこともあり場所を知っていたので、すぐにたどり着けた。が、第二美術室という場所までは知らなかったので、探すのに多少の時間がかかってしまった。
 
(ここが、軽音部の部室……)

『第二美術室』と書かれた表札を見上げながら、思わずごくりと唾を飲み込む。
 
 ここに。あの高島くんがいる。
 ギターをかついでいた、あの金髪の彼が――……。

「……のわりには、なんでこんなに静かなんだろう……」

 シーンと、無言の空間、無人の空間が辺りには広がっている。そこに私の声だけが鳴り響く。
 この辺りは科学室などの特別教室の一帯なので、通常教室前の廊下のように生徒が溢れ返っていないのはまだわかる。けど、一応軽音部の部室があるのだ。ギターの音の一つや二つ、していたっていいものじゃないのだろうか。

(それに、軽音部って言えば、あの怪談話もあるわけだし……)

 昨日耳にしたクラスメイト達の会話。一人きりしかいない筈の軽音部から聞こえる無数の楽器の音。けど、これじゃ、無数というよりも『数無』とでも表記した方が良い気がする。そんな言葉、存在しないけど。
 それとも、もしかしてまだ高島くんきてないのかな……。それならそれで、逆に勝手に入ってしまっていいのか戸惑ってしまう。
 ど、どうしよう――……。ぴったりと閉じられたドアの前で、あわあわと頭が慌てかけた、

 そのときだ。


「うへー! 間にあったー! 今日も元気に遅刻回避っ! おいちゃん一番ノリーっ!」


 ガラリッ! と盛大な音と共に、高らかな声が周囲に響いたのは。


「へ……⁉」

 なにごと⁉ 

 ビクッ! と思わず肩を揺らしながら、音がした後ろ――廊下の窓がある方へ振り返る。
 と、瞬間、一人の男の人と目が合う。
 目を見張る程に鮮やかなオレンジ髪。パサパサに広がった絵の具の筆のようにボサボサに開けた髪型。薄いベージュ色のパーカージャケットに、カラフルな絵の具をぶちまけたかのような柄のシャツ。ズボンはジーンズと普通な感じだけども、履いている靴はこれまたカラフルなまだら柄の運動靴だ。どこであんな柄売ってるのだろう、というぐらいに目に痛い発色をしている。
 パチッとした瞳もよく見ると、日本人にしてはなんだかおかしな色をしている。茶色、というより、カラメル色――? 不可思議な光彩を放つ瞳に、思わず吸い込まれてしまいそうな雰囲気がある。
 そんな男の人が、窓の向こうに立っていた。今にもそこから中に入って来ようとするかのように、その両手と片足をその縁にかけて、こちらに乗り出した状態で。
 え。だ、誰。というより、この人、私服?
 うちの生徒じゃ……、ない?

「Ahーーーーーーっ! 女の子だーーーーーーっ!」
「はひっ⁉」

 ビシッ! と男の人がいきなり、私に向けて指をさしてくる。突然のことに、間抜けな声が私の口からあがった。
 と、

「ちょっと、斎藤さん、なにやってるんですか。さっさと入ってくださいよ。後ろがつっかえるでしょ」
「いやだって、はじめ! 女の子! 女の子がいるんだぜっ!」
「ちゃんづけはやめてください……って、はあ?」

 女? と新たな声が場に増える。と、ひょっこりと、目の前の男の人の後ろから別の男の子が顔を出す。
 こちらは純粋混じりっけなし、真っ黒な髪の子だ。しかし、髪の下を刈りあげ、帽子でも被っているかのようにおかっぱ型に短く切っており、さらに右耳前の横髪だけが長く垂れているこれまた不思議な髪型をしている。よく見ると、耳には小さな赤い十字架型のピアスがつけられている。一瞬、頭の中に銅宮先輩がチラつき、どきっとしてしまう。

(でも、こっちの子の服は、うちの学校の制服だ。良かった、うちの学校の子みたい)

 あれ、でも今、この人、目の前の男の人と喋ってなかった……?

「……ちょっと、なんで部外者がいるんですか」

 絶対に人を寄せないって話でこの練習OKしたんですよ、俺――、と男の子がその眉間に深いしわを寄せながら言葉を続ける。鋭利的な雰囲気の顔立ちをした美少年タイプの顔立ちなのだけども、しわのせいでその鋭利さに拍車がかかる。
 本当にこちらをつき刺してくるんじゃないか、と思うほどの殺気に満ちた睨みに、ひぃっ、と思わず小さな悲鳴が口からこぼれてしまう。
 そんな男の子の様子に気がついたのか、オレンジ髪の人が、まあまあ、一ちゃん、と軽快な口調で述べながら、その窓枠を飛び越えてきた。

「そんな怖い顔しないの。女の子が泣いちゃうでしょー。ほら、君、大丈夫? 涙なら、このおいちゃんが受け止めてあげるから、お胸に飛び込んでおいで!」
「え、あ、あの……?」

 Hey,Come on! とやけに流暢な英語と同時に、目の前でオレンジ髪の人が両手を広げる。
 え、なにこの無駄なスキンシップ力。これが都会の男の人の力なの。それとも、この目の前の人がおかしいだけなんだろうか――。はあ、と窓の向こう側で、未だにそちらにいる黒髪の男の子が呆れた風に溜息をついている姿が見える。

 音のしない軽音部。

 なぜかいない探し人。

 代わりに現れたのは、見知らぬコミュ力の高い私服姿の男性と、恐ろしい程に鋭利な美少年で――……。

「ミ、ミラクル……! と、東京ミラクル……!」

 東京砂漠には魔物が出るぜ! とは誰の言葉だったか。

 東京はやっぱりとても怖くて、意味がわからないところだったのだ。私みたいな地味子がオシャレな都会女子なんて目指すべきじゃなかったのだ……!

 え、なに、東京miracle? 東京事変? とオレンジ髪の男の人が不思議そうに――やっぱり変に流暢だ――、しかし腕は広げたまま首をかしげる。いいからさっさとどけよ、おっさん、と後ろの男の子が眉間のしわをさらに色濃くした。

(それにしても、なんだろう。この二人、なんだかどこかで見た覚えが……)

 と、よくわからない既視感に駆られた、そのとき。ガラリ、と再び何かが開く音が私の後ろから聞こえてきた。

「あれ……? なんだ……。皆、揃ってたん、だ……? なに、やってる、の……?」
「た、高島くん~……」

 耳に飛びこむ、聞き覚えのある声。
 それに縋りつくようにして降り返れば、この場において多分、全員の事情を把握しているのであろう――、そして全ての元凶なのであろう、高島俊人、その当人が第二美術室のドアを開け放ちながら、そこに立っていたのだった。
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