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17.感染症ってなんですか?
しおりを挟む夢じゃなかった。
朝。起きたら枕元に先輩の顔があった。
「…あ、おはようございます…」
「おはよう」
「先輩、いつからそこに?」
先輩は何も答えず、ただにっこり笑った。いつも通りの先輩の顔だった。俺はまだ半分寝ている体をなんとか起こし、ベッドから出て顔を洗った。そして昨夜のことを思い起こし、なぜ先輩がここに居るのか考えた。
『俺はなぜアパートの鍵を渡してしまっていたんだろう?しかもあのタイミングで』
なんだか昨日は計画通りに話を持っていけたことに興奮して全てが終わった気になっていたが、今、先輩がここにいる時点で、また” 二人っきりで話し合える状況 ”になってしまっているわけだ。なんでそこに気付かなかったのか自分でも謎だ。
俺が風呂場から戻ると、先輩が飯の支度をしてくれていた。
「朝ごはん…もうブランチだね、食べよう?買ってきたものばかりだけど…」
「あ、ありがとうございます」
時計を見た。11時だった。昨日寝たのが二時頃だから、よく寝たな。俺は促されるままにテーブルに付いた。
「…いただきます」
クルミのべ―グルにアプリコット入りのクリームチーズ、俺の好きなデリのトマトと玉葱のピクルスにパストラミ、じゃがいものポタージュ、淹れたてのコーヒー、ライチジュース、ヨーグルトにベリーと蜂蜜。” 意識高めの飯 ”で俺の胃袋を鷲掴みだ。ざっと見渡して、豆乳がない、と思ったが、無いに越したことはないと思い直した。
先輩がアパートに来るようになってから、俺の食生活は格段にランクアップした。単純に収入が上がったのもあるが、先輩はいろんな店に詳しいし、何かと差し入れてくれる。それがいつもハズレがなくて美味い。俺も料理は好きでマメに作る方だし、作ったら作ったで先輩が褒めちぎるもんだから、調子に乗って作ってしまう。以来なんだかんだで、お互いに胃袋の掴み合いが続いてる。
「先輩、いつ来ました?」
「昨日打ち上げ終わってからだから…3時?4時?憶えてないね」
「飲まなかったんですか?」
「…ん」
「専務は?」
「ちゃんと家に届けてきたよ」
「買い物にも行ってたんですよね?…んじゃあ、先輩、あんまり寝てないんじゃないですか?」
「ん、そうなるね」
「食ったら寝ます?俺、買い出し行ってきますけど」
飯を食いながら当たり障りのない言葉を交わした。起き抜けにアレコレ考えたくなかったし、昨日の話には触れたくなかった。
「買い出し?何か特別に要るものとかある?」
「…歯磨き粉?あと、今日の飯のネタとか…あ、アイスとか」
「全部買ってあるよ。夜は外に行こう」
先輩は事も無げに言った。先手を打たれてしまった。
「それより話出来るかな?」
そう来ると思ってた。
「それより寝た方がいいんじゃないですか。話なら夜でも出来ますし」
「寝られないよ」
先輩は、溜め息を吐いた。
「それにユキちゃん、今出掛けたら、夜まで帰ってこないでしょ?」
そりゃあそうだ。一先ず逃げるための口実だからな。
「話って…」
俺が言いかけた時、先輩が手を挙げて遮った。
「終わってからにしよう?」
「あ、はい…」
それから俺達は無言のまま、気不味い空気の中で飯を食った。こんな空気の中でも先輩が用意してくれた飯は美味かった。
先輩の話はまず謝罪から始まった。
曰く、
「ごめんね。ユキちゃんを怖がらせてしまったかな?」
「いや、そんなことはないです」
「やっぱり僕が上司で、それでユキちゃんに断れない状況を作ってしまっていたのかも知れないって思うと申し訳ないよ」
「いや、それもないです…」
「調子に乗ってフザケすぎたかも…」
「いや、別に…それっていつものことじゃないですか」
「強引すぎたのかも…」
「いや、そういうことでもなくて…」
仕方がない。あまり言いたくはなかったが、ここからは俺のターンだ。俺は昨日考えていたことを話した。だが『自分が思っていた以上に先輩のことが好きになったからー!!』なんて言ってしまったら、昨日の努力が水の泡になってしまう。その辺りの核心には触れずに話すのは難しく、俺は逃げ口上をだらだらと繰り返すだけに終止した。先輩は、要領を得ない俺の話を真剣に根気よく聞いてくれた。俺が話し終わると、先輩は黙ってしばらく考え込んでいた。
「映画に行った日も、同じことを言ってたね。ユキちゃんの言う通りだと思う」
「この状態で、それでも付き合ってることにしておきたいなんていうのは、僕のわがままだったね。ごめんね」
「変なことを言って、悪戯にユキちゃんを困らせたね」
先輩は微妙な間を置きながら、ポツポツと呟いた。まるで自分に言い聞かせているように見えた。その姿を見ていると、俺の上になんとも言えない罪悪感がのし掛かって来た。
「なんか昨日は俺、先輩を責めるようなこと言ってすみませんでした。完全に八つ当たりでした。結局、俺の問題なんです」
俺はまた迷い始めていた。
なんで俺は、昨日あんなに躍起になって”別れよう”としたんだろう?変わらないなら、そのまま付き合ってたってよかったんじゃないか?なんか居た堪れなくなってきた。
「…先輩、ぁの…」
俺が言いかけた時、先輩は一つ思い切るように息を吐いた。そして、何か察した様子で俺を見た。
「いや、こうなったのには、僕に原因があるんだ…実は、ユキちゃんに隠していることがあるんだ。その所為でユキちゃんを混乱させてしまったね」
そして、また少し考え込むような素振りを見せた。迷っているようだった。
「ユキちゃん、僕はある特殊な感染症のキャリアなんだ」
『…感染症?』
聞いた瞬間、俺はどんな顔をしたのか。少なくとも“ いい顔 “が出来ていたという自信はない。俺が何も言えないでいると、先輩は、ちらっと俺を見て笑った。
「安心して。普通に接している分には、感染ったりすることはないから」
そうは言われても、頭の中は真っ白だ。どう言って良いものか悩んだ。
「普通って、どういうことですか?」
「普通に話したり、触ったり、一緒にいるってだけでは、感染はしないから…」
「はぃ…」
先輩を見た。先輩は気不味そうに笑った。
「…その、黙っていてごめんね。僕自身、どう伝えていいのかわからなくて…」
「…はぃ」
俺は回らない頭で考えた。
感染症ってなんだ?なぜ今になってそんな話を始めるんだろう。見たところ先輩は健康そうだ。とても病人には見えない。毎日一日中一緒にいるからわかる。病院に通うどころか、服薬している姿も見たことがない。キャリアというだけで、発症していないということだろうか?俺の乏しい知識を総動員するならば、そういう感染症で思い当たるのと言ったら、二つくらいだ。
「ぁの…聞いていいですか?」
本来なら、これは訊くべきではないのかもしれない。今でさえ、まだ先輩が躊躇っているのがわかった。だが、俺にはこの話の詳細を訊かないままに置いておける程の心の余裕はなかった。俺は考えた。” 普通の接触 ”は大丈夫だと言われても、曲がりなりにも一年余りも密着してしまっていたわけで、知らない間に万が一ということもある。『はい、そうですか』で済ませられるか。いや、今となっては、それについて知ることは俺の権利でもある。
「感染症って、何のですか?」
躊躇いながらも俺は訊いた。
当然だが訊かれることを予想していたのだろう、先輩は恥ずかしそうに顔を歪めて俯き、口を開いた。
HIVか、それとも肝炎か?
焦りから俺は先輩の唇を読もうとしていた。まだ先輩が何か隠しているんじゃないかという疑念があったからなのか、それとも一秒でも早く事実が知りたかったからなのかはわからない。ゆっくりと窄められていく形の良い唇、少しだけ見えた白い歯…?
『す?…』
俺の頭に疑問符が舞った。だが、先輩の答えは俺の予想を遥かに越えていた。いや、予想だにしていなかった。
先輩は、小さな声で『…吸血鬼』と呟いて、目だけ動かして俺を見た。
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