summer of the DEAD

碧島 唯

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序──始まりの日

アリスとの出会い

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 公園の一角、林の中で一夜を過ごした。
 たった一晩だったのに、もう何日も経ったような気がする。
 あんな事があったのに、くるるっと胃が鳴って何か食べたいと訴えてくる。
 カンパンを非常袋から取り出すと元々少なかったのか、あと五個しか残ってなくて、水もペットボトルに半分ちょいしか残ってなかった。
『食料をなんとかしないと……飢えて死ぬか、喰われて死ぬかの二択になるかもな……』
 映画の内容を思い出す、大きなスーパーはヤバい。
 映画ではゾンビがわらわらと出て来て、銃がなかったら死ぬ。せめて、何か使えるような武器でも手元にあったら、と切実に思った。
『確か……映画の中では生前の行動を真似てる、だっけ。けど、なんとかしないとな。ああ……お腹空いたなぁ……』
 林の中はゾンビがいない、街中には多い、どこに行けば食べ物が見つかるだろう。
『公園の近くに小さなカフェだか雑貨屋みたいなのあったな……』
 あそこならどうだろう、人気のない、店主の趣味でやってるような店なら、ゾンビもいない可能性があるかも。
 うまくいけば、食料と隠れ家が手に入るかも、と考えると、急に身体のあちこちがミシミシいって痛み出す。
『……行く、か』
 あちこち痛みを訴える身体を宥めて何とか木から降りる。
 身体が強張っているせいか、随分時間がかかったと思う。
 映画だったらこんな時にゾンビが襲ってきて、脇役だったら死んでるんだろうなと思うと背中に冷や汗が伝ってぞっと身体が震える。
 漸く固い地面に足が付いて、一度伸びをしてみる。
 身体のあちこちがきしんで、伸びをしたことで痛むものの、楽になっていくのが分かる。
 音を立てないように、静かに、慎重に、隠れながら歩く。
 途中に枝が落ちていたので拾ってみるが、無いよりはマシだろうといった気休めにしかならず、隠れながら歩いたり、ドアを開けるのには邪魔になると、持って行くのは止めた。
『こんな時、映画だったら……』
 手頃な長さの鉄パイプが都合よく落ちていたりするんだろうな。
 そんな事を考えていたのもほんの少しの間で、音を立てないように、ゆっくりと、それでいて早足で目指した店にと向かう。
 店の前まで何もなかったのに安心してそのノブに手をかける。
 ゆっくり回したはずだったが、ドアに鍵がかかっていたのかガチャガチャと音を立ててしまい、振動でドアベルが音を鳴らしてしまう。
 どこに隠れていたのか、通りの向こう側からゾンビがゆらりと姿を現して僕の方へと歩いて来た。
 ゆらり、ゆらり、腐ったような鉄臭い血の匂いと、何かが滴る音がして、足を動かすと閉じたドアにぶつかって、頭の中はどこに逃げればいいとそればかり考えていた。
 頭では逃げなきゃってわかっているのに、恐怖が先に立って足が動かせない。
 ──嫌だ、嫌だ、嫌だ!
 僕は──死にたくない!
 こんなところで死にたくなんかない!
「こっちだ、早く走れ!」
 英語で話しかける声がした、と同時に大きな音が耳をつんざいた。
 その途端、血を染まった口を開けて僕に襲い掛かろうとしていた奴が額から黒っぽい血を噴出して倒れていくのがゆっくりと、まるでスローモーションのように見えた。
「早く! 死にたくなかったら走れ!」
 声に向かって走り出し、息が切れて足が砕けそうになった頃、右腕を掴まれて路地に引きずり込まれ反射的に叫びそうになる。
 口を手で塞がれ耳元に囁かれて、漸くさっきの声の主だと気付いた。
「しっ、音をたてないように。こっちへ」
 手を引かれるまま路地の中の暗い中に入って行く。
 ギィ──と小さな音がしてどこかのドアが開いて、その中に促される。
「ふぅ……、何であんな所に一人で?
 ──死にたいの?」
 蝋の燃える匂いがして回りが仄かに明るくなった。
 その灯りの中で、最初に見えたのは明るい金の髪と──青い、海より淡く空より濃い、緑がかった蒼──だった。
 多少薄汚れているが、そんな汚れをもってしても白い陶磁のような肌、笑えばきっと可愛い、いや、笑わない今でもきれいな顔。
 ──まるで、教会の天使のような──。
「どう、した?」
 心配そうにかけられた声に、瞳が熱く指で触れると頬に流れているものが涙だと知った。
「な、何でもな……。助けてくれて、ありがとう……」
 生きている人に出会って、ほっとしたのか、天使に助けてもらったからか、僕は泣いていた。

 ──怖かった。
 ──もう誰も、居ないんじゃないかと、そう思うのがとても怖かった。
 ──ゾンビのように、皆が化け物になったんじゃないかと、世界でたった一人きりになってしまったのかと、それがとても怖かった。
 ──怖くて、怖くて。
 ──襲われてもうダメかと思った時に、天使みたいな彼女に助けられた。
 ──一人きりじゃないと、話せる相手がいるというのが、とても……嬉しかった。

「あの、さ……ハンカチなんて洒落たものはないんだけど」
 使うように差し出されたのはガーゼの塊で、何故ガーゼ?とよくそれを見ると包帯の切れ端だった。
「ありがとう……。」
 目に包帯を押し当てて、目を伏せる。顔から包帯だったものを離すと、涙と浴びた血とで真っ赤になっていた。
「助けてくれて、ありがとう……」
「ん、まぁ……無事でよかった。
 お前、なんて名前?
 私は……、アリスだ」
 彼女は少し躊躇したように名前を教えてくれた。
「アリスって……不思議の国の?」
 思わず不思議の国のアリスが浮かんで口に出してしまった。
「ああ、綴りは一緒、けどアリス・イン・ワンダーランドじゃなく……デッドランドとかデスランドなんだろうけどさ」
 くすくすと笑いながらアリスが言った。
 彼女の──アリスの言う通りなんだろうなと、僕も釣られて笑って、なんだか久しぶりに笑った気がした。
「僕は修一、鳴海修一だよ」
「ナ……ルミシュー、イチ?」
「うん、ナルミでもシュウイチでも呼びやすい方でいいよ」
 アリスは何度か僕の名前を言い直し、結局シューと呼ばれることになった。
 少し落ち着いて、アリスを良く見ると本当に綺麗な顔をしていて、白い肌に青い瞳、金色の髪が天使を思わせるが、その着ている物はというと、天使とはかけ離れていた。
 長袖のTシャツとジーンズは普通だが、それにポケットのいっぱいついたベスト、弾の詰まった帯を肩から斜めにかけて、背中に大きなリュックと、ライフルだかショットガンだかの大きな銃をしょっていて、腰のベルトにも銃のホルダーが二つ下げられていて、まるで戦争に行く兵士か傭兵のような格好をしていた。
 その姿は嫌でも今は平和なんかじゃないって思い知らされてしまう。
「シュー、日本人なら銃は持ったこと、……ないよね」
「ああ、うん無いよ」
 首を横に振ると、アリスは僕の顔をじっと見つめて、それから軽く肩を竦めた。
「シュー、使い方は教えるからこれ持ってて」
 アリスに差し出された物を両手で受け止ると、その重い鉄の冷たさに心臓がぞくりと震えた。
「ショットガンて分かる?」
 日本でよく狩猟に使われている散弾銃の事だよなとアリスに頷いた。
「あれだろ、弾が四方八方に散らばるって殺傷力の高い、狩りなんかに使われてる銃」
「よく出来ました。素人があいつら相手に撃つならこれが使いやすい。狙いがちょっと外れても吹っ飛んでくれるから」
「ああ……なるほど。……出来ればゾンビみたいなのとは戦いたくないんだけどなぁ」
「ゾンビ?」
 ゾンビみたいと言った僕にそれは何だとアリスが首を傾げる。
「ホラー映画でさ、ゾンビって……いや、あれは邦題だから……ゾンビーかな、有名な映画にリビング・オブ・ザ・デッドとかあったんだけど、死人が生き返って来て人を襲って喰うんだ──あいつらあれにそっくりだろ?」
 思わず苦笑してしまう、映画が現実になってしまうなんて馬鹿馬鹿しいと、我ながら思うが──それが今の現実だった。
「ああ……映画か……日本のゲームで映画になったのを見たことがあるかな」
 アリスも見たことか聞いたことがあるみたいで、それ以上の説明は要らなかった。
「シュー、とりあえず遅い朝食──ブランチでもどう?」
 アリスのブランチという言葉に、反応したのか腹がくぅ~と鳴ってしまう。
「シュー、器用だな、その返事」
 くすくす笑いながら、アリスが部屋の隅にあった箱に近づいて、中から缶詰を出して見せてくれた。
「ソーセージは好き?」
「ああ、粒マスタードなんかあれば最高だね」
「それは残念、マスタードは無い……と、ソーセージじゃなくてスパムの缶だったよ」
「ああ、それならマスタード無しでもごちそうだね」
 こんなささいなやりとりが今はとても楽しくて嬉しかった。
 厚く切ったスパムと中は柔らかいが外側は固くなったパンとで久しぶりにまともな食事をしたような気がした。
 カンパン以外の物を久しぶりに口にして、スパムとパンってなんて美味しいものだったんだうと実感していた。
「シュー、食後の熱々のコーヒーとまではいかないけど、飲むだろ?」
 砂糖の入ったミルクコーヒーの缶を渡してくれて、常温で生ぬるいが砂糖とコーヒーとミルクの味に涙が出そうになった。
「美味しいよ。
今まで飲んだどのコーヒーより、アリスがくれたこのコーヒーが美味しいよ」
 日本に居た時は、缶コーヒーに感激することもなく、ごく普通に日常的に飲んでいたのがまるで遠い昔の事のようだった。
 僕とアリスは缶コーヒーを飲みながら、お互いの事を少しずつ話し出した。
 僕は、夏休みで日本から来たこと、着いた翌日にこんな事になって、公園の木の上で一晩を過ごしたことを。
 でも、アリスの話してくれた今までの事を聞いて、僕は本当にラッキーなだけだったんだと感じた。

 缶コーヒーを両手に持ったまま、アリスが俯いたまま話し出す。
「私の家はさ、ガンショップだったんだ」
 ああ、だからアリスは軽々と、映画の主人公や仲間みたいに銃を扱えるんだ。
 狙いも正確だったし、あいつらを撃つのに何の戸惑いもないみたいだし。
 シューティングっていうのかな、それに慣れているんだな、さすがは銃社会だよな、なんて軽く思っていた。
 だが、その後に続くアリスの告白に、驚いて目を見開いた。
「あの日、店を開けようとしてた父さんがシャッターを開けたまま動かなくなって、アイツが入って来た」
 ぽつりぽつりと話してくれた内容は、あの朝の事だった。そして、アリスが武器で身を固めて一人で居た訳。
「アイツが店に入って来た時、父さんの足元は真っ赤な水溜りが出来ていて……振り向いた父さんの目も真っ赤で、首の……肉がなくなってた。どうしたんだって近づこうとしたら、いきなりアイツと一緒になって私に襲い掛かってきて――気が付いたら、母さんがアイツと父さんに内臓を引きずり出されてて……逃げてって口が動いたのが私の見た生きてる母さんの最後だった……」
 長く息を吐くアリス、声が震えていて、どうしたらいいのか分からなくて、そっと手を伸ばして肩に触れた。一瞬アリスがぴくりと肩を跳ねさせて、余計な事だったかなと思ったら僕の肩にアリスの髪がふわりと触れて重みが加わった。
「しばらくしたら母さんの目も赤くなってて、アイツと父さんと母さん、三人が私を見て――それから先はよく覚えてない。いや――忘れようと思ってるだけで覚えてる……、私が三人を撃った。何発撃ったのかな……多分撃ち尽くしたんだと思う。気づいたらトリガーを引いてもカチカチって音がしてるだけになってたから」
 僕の肩に凭れ掛るアリス、僕は何て声をかけたらいいのか、何も言葉にすることが出来なかった。
「あいつら……一匹残らず……殺してやる……」
 ぽつりとアリスが小さく呟いた。聞き取りにくかったが、怒りに満ちた声で、その為に銃をいくつも持っているんだろうかと思うと共に、自分だったら――と思うが、目の前で家族を、大切な人を殺されて、しかもゾンビに変わってしまったのを自分の手にかけた事の無い自分には、アリスに何と言っていいか、何も言えなくて、ただ肩を貸すことしかできなかった。
 アリスも黙っていて、長い沈黙が二人の間に流れた。
 僕の肩が微かに揺れて、アリスが震えているのが分かった。
 僕はアリスに何も声をかけられず、ただ黙っているしかなかった。


「シュー、銃の練習をしようか」
 アリスがしばらくしてから口を開いた。
「うん、教えてくれるんだろ、アリス先生」
「ああ、きちんと撃てるまでな」
 最初は装填の仕方、それから銃の持ち方、それから狙い方と、初めて銃を触る僕にも分かるように丁寧に順を追って教えてくれる。
「ああ、だめだシュー」
 ピストルの構え方でアリスにダメ押しをされた。テレビなんかではよく頭上から目線にと構えて撃つのを見てたけど、違うんだろうか。
「それだと標的が一瞬消えるだろ、だから銃は下から上に動かして狙うんだ」
「あ……本当だ、標的が見えなくなる」
「狙い方はピストルもショットガンなんかも下から上に、だから」
 基本的な銃の構え方、撃ち方を習い、リボルバーの薬莢の取り出し方を教わった。
「リボルバーは弾の交換に手間がかかるけど、念の為に」
 最初に弾込めしておけるマガジンは予備でいくつか用意しておくこと、と空のマガジンに弾を込めて空のマガジンと交換する、という練習もした。
「それから……ライフルを振り回すのは危ないから、なるべくならしないこと。……うっかり暴発なんかしたら目も当てられないしね」
 くすくすと笑うアリスに、笑った顔を初めて見たとびっくりしてたら、ふいに近づいて来た彼女にキスをされてしまった。
「何そんな呆けた顔してんだよ」
 何だか顔が赤くなっていくのが分かる。
 金髪の美少女に頬だけどっ、キスされるなんて初めての事で。
 アメリカじゃ挨拶くらいの意味しかないかも知れないけど、僕は日本人で、頬のキスでも意識しちゃうじゃないか!
 あ、いや……これじゃあ本当に僕がヒロインで、アリスがヒーローじゃないか……。
 否定出来ないあたり、ちょっと情けないなぁ。

「シュー、その背中のリュックの色さ、目立つから別のにしないか?」
 アリスが僕の背中あたりをじーっと見てて、何だろうと思っていたら、嫌そうに言われてしまい、背中の非常袋を手で叩かれた。
 確かに銀色の布地で出来ていて、目立つことこの上ない。
「……でも他に持ってない」
「……じゃあさ、いっそ服もリュックもまとめて取り替える?」
 そういえば、服も靴も日本から着てきたままで、あちこち薄汚れて破れていた。
 もし、疲れて服のまま寝てなかったら、今頃パジャマであいつらから逃げなきゃならなかったんだよなぁ。
 いくら夏でも公園でパジャマで寝るなんてことにならなくてよかった、本当によかったとつくづく思い返す。
「どうせなら──」
「え?」
 アリスが何か言いかけて、僕を上から下まで眺めているのに気付いて、ちょっと恥ずかしくなってしまう。
「よし、移動しようシュー。
 新しい服とカバンをプレゼントするよ」
 楽しげに言いながら地図を広げて、僕を手招きする。
「今いるのはここ。
 で、この○印をつけてあるのは自家発電の建物──まぁ病院やショッピングモール、それにホテルだったかな。
 街自体の送電は止まってるけど、自家発電が生きてるかも知れないし、水が出る所なら、温かいシャワーも使えるかも知れないよ」
「それはいいな……湯船たっぷりのお湯なんてあったら天国だな。
 運があれば、の話だけど」
 二人で顔を見合わせて笑い出す。
 そして──どちらからともなく、僕らは見つめあい、軽く触れあうくらいのキスをしていた。

 アリスが隠れ家にしていた建物の屋上、空は青くてこんなに綺麗なのに、下を見れば地獄のような景色が広がっていて、嫌でも現実を思い知らされた。
「ここから屋上伝いであそこに行く。
 綱渡りは得意?」
 へっ、今何を言われた?
 綱渡りって、サーカスじゃあるまいし、得意なわけないだろ?
 そんな僕の顔を見て、くすっと笑ったアリスの顔が可愛くて、しかも綺麗で、思わず見惚れてしまっていた。
「この辺りはビルの高さが同じくらいだから、屋上から屋上に長い板を渡して、隣のビルに移動するんだ。
ちょうど平均台くらいの幅の板かな。
 あいつらが上に上がって来たとしても、バランスが取れなくて渡れないだろ?
 その代わり、命綱は無いから、落ちたら最後。下は見るなよ?」
 にっ、と親指を立てて笑うアリス、確かに、高さと風さえ気にしなければ大丈夫だろう。
「大丈夫……、木の上で眠るよりはずっと簡単だよ。
 平均台だと思えば簡単さ、多分ね」(きっと、多分ね)
「じゃ、行こうか」


 渡るビルの屋上に、あいつらが居ないのを確認してから、長い板を隣の建物に渡して、馴れたように歩いていくアリス。
 板の幅は、僅かに十五センチ。たったの十五センチ……、厚みはあったが、それをすたすた歩いて渡れるってアリスって何者だよ。
アリスが渡りきると、僕が細い板に足を踏み出して、恐々と渡り始め…、ギシギシと板が音を立ててきしむのに心臓が縮む。
 下を見ないように、前だけ見て、と自分に言い聞かせて、なんとか渡りきる。
 渡りきったら板を引っ張って、違うビルの屋上にかけて渡る、というのを何度か繰り返した。
 長い板は長さの分、重さもあって二つ目のビルからは僕が変わって橋をかけたが、腕が重さでミシミシと言い始めた頃に、アリスに手で止まるように促された。
 ライフルを構えながら手招きされて、ライフルの向いた方向を見るとビルの屋上にあいつらがわらわらといるのが見えてぞっとする。
「……ざっと十匹、片付けておいたほうが後々楽だな……」
 アリスが言い終える間もなくライフルが発射され、ゾンビが一匹倒れた。
 思ったよりも音がしないってことは、ライフルにサイレンサーが付いていたんだろう。
 あっという間に一匹、また一匹と倒れていき、数分も経たずに動いているゾンビの姿はなくなった。
「すごいな……アリス」
 全弾命中──しかも全部が額の真ん中に当たっていて、無駄弾っていうのがまったくなかった。
 感心した僕が呟いたのが聞こえたのか、アリスが右手の親指を立てて笑っていた。
 青い空の下で、その笑顔はとても眩しかった。

 屋上から屋上へ、時には建物の壁をよじ登り、目的地にと着いた時には僕はもうへとへとで床にへたり込んで息をしていた。
「シュー、まだへたり込まないで」
 何の建物かは分からないけど、今いるのは非常扉で閉鎖された廊下で、僕らがどうやって入ったかというと、廊下の窓が一つ、アリスが前にぶち破っていたからだ。
 ちらと聞いたところによると、そこから投げ捨てたらしい──何を、というのは怖くて聞けなかったがゾンビしかないんだろうな。
ふかふかした感触の絨毯が足にすごく気持ちいい。
このまま絨毯に座り込んでいたいくらいだった、が、よろよろと立ち上がり、アリスの後を付いていく。
 今の僕を遠くから見たら、足がよろよろでまともに歩けなくて、ゾンビと間違うんじゃないかってくらい、へとへとになっていた。
「あった」
 部屋の番号を確認したアリスがドアを開けて中に入れと促される。
 壁に触ってスイッチを探していると、ドアに鍵をかけたアリスに止められた。
 明るい内に出発したのに、ここに着いたら既に夕方になってしまっていて、窓から夕陽が赤く部屋を照らして、明りをつけなくても部屋の様子が見てとれた。
「……マンションかホテルの部屋みたいだ」
「……ホテルだよ、ほらこれがキー」
 アリスの手に何枚かのカードがあり、その内の一枚を渡される。
「えっと……ホテル……暗くてよく見えないな」
 目を凝らしてようやく見えたカードには僕でも知ってる高級ホテルの名前があって、思わず言葉をなくしてしまう。
「こういったホテルは自家発電でさ。
 前に安全な通路を確保した時にキーをもらっておいたんだ。
 シャワーはお湯が出るかも知れないし、なんといっても床じゃなく、柔らかいベッドで寝れるのは嬉しくない?」
 まるで悪戯が成功した子供のような笑顔で言われて、どうやって確保したとか、もらったとか聞かないことにした。
 安全=ゾンビが居ないってことは、そういうことなんだろう。

 外から灯りが見えなければ、奴らは気付かないことが多い。
部屋はカーテンを閉めて蝋燭を一つだけ、シャワールームは壁に囲まれて灯りが漏れないのを確認して、それでも用心の為に電気ではなく、洗面台に蝋燭を置く。
 バスタブの蛇口を捻るとお湯が出て、それが何より嬉しかった。
 お湯につかれるなんて何日ぶりだろう。
 喜んでいる僕にアリスが先に入っていいと言ってくれたので、その言葉に甘えて先に風呂に入らせてもらうことになった。
「ふぅ……、やっぱりいいなぁ…」
 たっぷりのお湯に身体を浸すと、ガチガチになった身体が解れていくようで、長く息を吐く。
 短い間に色んな事があって、気が休まる時がなかったからだろうか、あまりに気持ちよくて、お湯に浸かるなんて何日ぶりだろうと、肩どころか頭までお湯に沈めてしまっていた。
 残念なのは日本の風呂と違って、身体を洗うのもバスタブの中だったことだろう。
 それでも、身体を洗ってすっきりして、湯に肩まで浸かるというのがこんなにも贅沢な事なのだとは、今まで思ったこともなかった。
 バスルームの蝋燭はグラスの中にいれられていて、こんな時じゃなかったら、ロマンチックなことこの上ない。
 カットされたグラスに反射した光が揺らいで、薄暗がりの中の柔らかな光と身体を包む温かな湯に癒される。
 今、このひと時だけはリラクゼーションな気分に身体も心も委ねる。


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