サイバーパンクの日常

いのうえもろ

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ランナーズ・ハイ4

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「東方にラァァァファァァァエェェェル、西方にガァァァブリィィィエェェェル、南方にミィィィカァァァエェェェル、北方にウゥゥゥリィィィエェェェル……」

 一人の女が立ち、よく通る声で呪文が響いている。足元には魔法陣。
 漫画や映画なら魔法陣は輝くのかもしれないが、特にそんなことは起こっていない。

「姉さん何やってるの?」

「結界作ってる」

「またそんな非科学的な……、でもちゃんと効果あるんだろうなぁ、姉さんだから」

「うひひっ」

 ハルに相槌を打ちながらも儀式は滞りなく行われていたようで、ふぅとネルから安堵のため息が聞こえて終了した。

 ハルはねぎらいのりんごをネルに放る。
 真っ直ぐ飛んでいったりんごはネルの後頭部に当たる寸前、不自然な軌道を描きネルの手の中に収まった。
 シャクリと咀嚼音が聞こえる。
 この科学全盛期の時代に不可解な……とハルは思わなくもない。

「これでこの辺の畑の作物に放射能汚染や重金属……だっけ? そういった問題は起きねぇよ」

 科学全盛期の時代に……ぶつぶつ。

「うおぉ、凄い! もうなっちゃってる実からも反応が消えてる!」

 農場で働いているおっちゃんは受け入れたようだ。となりで黒服がセンサー持ちながら、物理的に目を白黒させている。さすがアンドロイド。

「これもリオウが後ろ盾になったおかげだな」

 意外にもネルがリオウを褒めた。
 親会社メガコーポの許可をとってリオウが農場を正式に買い取ったのである。
 ネルが魔法で農場を浄化するのは簡単だが、きれいになった土地を地元企業マフィアが放っておくわけがない。良くて地上げ、悪ければ全員殺して乗っ取るだろう。
 しかし、正式にメガコーポの土地になってしまえば、下手に手を出すと死ぬのはマフィア達だ。
 しかも、黒服の同僚アンドロイドが警備までしてくれる特典付き。サイバー競馬場専属の農場としてな警備だそうだ。そして専属農場第一号。見栄をはりすぎである。

 まぁ、何せ本物の果物である。
 合成ではない。食べるには大金を払わないといけない本物の果物。それがサイバー競馬場なら食べられる。
 大盛況間違いなしとリオウ店長が浮かれてるらしい。

「嘘でねぇ、オラ本当に店長が浮いて飛んでるのを見ただ!」

とは黒服のジョーク。

 キンッと音がしてネルの足元に何かが転がった。ハルが気づいて拾い上げると、ライフルの弾丸だった。

「姉さん、これ」

「おぉ、さすがメガコーポ。仕事が早い」

「どうゆうこと?」

「ハルは今まで果物食べたことあるか?」

「ないわよ、あんな高級品」

 ハルが誰かさんがすぐお金使っちゃうからとネルを睨む。そんな視線をどこ吹く風と受け流しネルは続けた。

「不味いんだぜ、あの果物」

「え?」

「まぁ、昔と違って土が汚れて使えないからな。しょうがないのかもしれないが、最低限必要な肥料と光量の足りない人工太陽じゃ、甘ったるいだけでこんな複雑な味わいはない。ここでこんな上等な果物作られたら、今までの果物はどうなる?」

 当然、価値はただ下がりだろう。

「え? でもリオウさんは売らないって言ってたじゃない」

「そんな事言ったら弾の数が百倍にならぁな」

 キンキンキンキンッと弾が落ちた。

「な?」

 そんな事をすれば命はないと言う警告のつもりだろうか。もしくは、このネルという存在がいなくなれば……。

「大丈夫なの?」

「まぁ、うまくやるさ」

 大丈夫、と返してこないネルに、少し不安があるのかも知れないとハルが思う。

「あたいはさ。嬉しいんだよ。また実がなってる木が、大地に立つ木が見られてさ」

 背中を向けたまま話すネル。ハルから表情は見えない。

「さ、飯でも食おうぜ! アップルパイでも作ろうか」

「え? 姉さんが? 料理?」

 暗くなった雰囲気を壊すように急に立ち上がったネルが明るく笑う。
 振り向いたその笑顔は、いつものすべてを見下すようなニヤニヤした笑い方じゃなく、しかも料理まですると言う。
 目の前の光景が信じられないハルが、まだ目を白黒させている黒服の頬をつねって再起動させた。




『次のニュースです。大手食材専門メガコーポ、マッスルファーマーズが倒産しました。メガコーポの倒産は70年ぶりのことで……』

 翌日、ハルはいつものようにニュースを流しながら事務仕事を片付けていた。作業に没頭していてニュースは一切頭に入っていないようだ。

 夜遊びでいつも事務所のソファで寝ているネルが「うひひっ」と笑ったが、ハルはそれにも気づかなかった。
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