苦笑い

風枝ちよ

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苦笑い

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小さい時、僕は恋をした。
相手は年上。
友達のお母さんだった。

確かあれは、小学2年生の時だったと思う。
夏休みの終わり、宿題をしに友達の家に行った僕は、そこで恋をしたんだ。

「お邪魔します…」

他人の家の空気に緊張しながら、静かに入る。
友達は自然に空気に溶け込んでいた。
僕だけが浮いていた。
友達の部屋で、宿題を始める。

少しして、友達のお母さんが顔を出す。
瞬間、僕は恋をした。
大人の色気とか雰囲気とか、そういうものに。
いや、それすらも超越したような、僕にそうさせる何かがあった。
一目惚れを信じた。
僕の初恋だった。

それから、僕はその家を訪ねるようになった。
勉強するために。
遊ぶために。
そして。
逢うために。



時間がたつほど想いは募る。
それが限界に達した時、人は告白をする。
僕も、告白をした。
この上なく平凡な。

「すきです」

友達のお母さんは。
何も言わず。
ただ苦笑いだけを浮かべていた。
僕はその意味がわからず、戸惑うしかなかった。
友達のお母さんは僕に勉強を促す。
しぶしぶ机に向かう。



その後も、僕は告白をした。
何度もした。
その度に返されるのは、苦笑いだけ。
僕は。
戸惑い、狼狽え。
どうすることもできなかった。
友達のお母さんは変わらない苦笑いで僕を見下ろす。



そして、今。
僕は高校生になった。
友達とはずっと同じクラス。
多分、僕の気持ちにも気付いている。
でもその話題になったことはない。
巧妙に、それは避けられている、気がする。



僕と、友達のお母さんの関係は、唐突に終わりを告げる。
引っ越しという、大きな力によって。
友達から、前日に告げられた。
裏切られた思いだった。
でもどうすることもできず。
俺は寝不足のままその日を迎えた。
外では雨が降っている。

放課後、友達の家に行く。
目的はなく。
気付いたら、そこにいた。
見慣れたトラックが、見慣れた家の前に停まっていた。
見慣れない光景だった。

僕は佇んでいた。
いつまでも佇んでいた。
雨は次第に強くなる。

トラックは哀しさを残して、走り去って行く。
気付く。
僕は。
ここで。
留まっていては。
いけないんだ。
前へ。
前へ。
進んでいくべきだ。
進んでいかなければ。

僕は走り出す。
弾かれたように。
走り出す。
追いかける。
加速する。
傘はどこかへ飛んでいく。
気にせず、僕は走る。

僕は走る。
全力で。
全身で。
死ぬ気で。
ありったけの力を込めて。
本気で。
僕は走る。
僕は、走る。

走り続ける。

足が折れそうになる。
坂道。
エンジンが回り、加速する。
石に躓く。
足が捻り。
絡まり。
身体が前のめりになる。
重力に引かれる。
強く、身体が打ち付けられる。
擦り剥く。
鈍い痛みが走る。
服が濡れる。
トラックは遠ざかって行く。



無力感。
心が沈む。
あてもなく歩き出す。
雨が僕を孤立させる。



気付いたら、またあの家に来ていた。
僕は何をしているんだろう。
誰もいないのに。
あの人はいないのに。
なんで、来てしまったんだろう。
帰ろうと、家に背を向けた時。

「…しん、くん?」

名前が呼ばれるのを聞いた。
何度も聞いた、声。
世界で一番すきな声。
その声が、僕の名前を呼んだ。
期待なんてしない。
期待なんてしてない。
ただの空耳だ。
でも。
確認したくて。
限りなくゼロに近い可能性を信じたくて。
僕はゆっくりと振り向く。

「何、してるの?   濡れてるよ…」

そこには、心配そうに僕を見る顔があった。
安心して、ほっとして。
奇跡を信じて。
すきで。
無限の感情は目を濡らす。
頬を濡らす。

「もしかして、…泣いてる?」

精一杯の笑顔を作って。

「雨ですよ」

ふふふ、と笑う。
また雨で濡れる。



「あの、引っ越しは?」
「そろそろ出発するわよ」
「いや、トラック、」
「荷物だけ送ってもらったのよ」
「あなたは?」
「私は電車で行く予定」
「じゃあ、あいつは?」
「部活が終わってから来るんだって」
「そうなんですか…」
「言いたいこと、あるんでしょ?」
「…………………」

いつも見つめていた瞳が、僕の視線を追う。
言いたいことはたくさんあるけど。
言うことは、これしかない。
でも。
何かが、堰き止めている。
でも。
言えない。
でも。
口が動かない。
でも。
でも。
でも、言いたい。
口を開く。
こんなに雨で濡れているのに、口の中だけ渇いている。
緊張する。
今までの想いを全部込めて。
全力で。

「すきです!」

変わらない苦笑いが、僕を見上げる。

苦笑い。

それの意味は、いまだにわからない。

「…またね」

それだけを残して、駅へ向かって行く。



雨が強くなる。


                                                       完
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