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『汝、六つの罪を告白せよ。さもなくば』

真 side 2

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 すっかり機嫌を直したらしい鈴木が、手にしたピルケースを眺めながら言う。

「結局、役に立ちそうなものは何も持っていないってことが、わかっただけでしたね」

「でも、万策尽きたわけではありません。ここには七人もいるんですから、知恵を絞ればきっと出られます」

「嬢ちゃんよ。アンタ、優しいんだろうが、そんな陳腐な台詞は気休めにもならないぜ」

 男性に対して恐怖を抱いている美香だ。今の台詞はなけなしの勇気を振り絞って出したものだっただろう。それを武藤があえなく切ってしまった。顔を曇らせた美香は「すみません」と、俯いてしまった。

 一方、言った武藤は気にした様子なく、視線を天井に向けた。

「そもそも、この建物はいったい何なんだろうな」

「おそらくクリニックです。それも精神科の」

 すかさず私が答えると、潤美が「ああ」と気づいたように「1」の診察室を指さした。

「そこの診察室に医師免許証って書かれた大きな紙が、わざわざ額縁に入れて壁に飾ってあったわ。ここ、病院だったのね」

「平たく言えばそうだが、厳密には病院じゃないと思う」

 私が否定すると、潤美は「どういうこと?」と首を傾げた。

「病院じゃないの? そもそも、クリニックと病院って何が違うの?」

 間違いを直したいという、悪い癖がつい出てしまった。私はしまったと思いながら、潤美の疑問に答えた。

「大きな違いはベッド数だ。二十床以上のベッドがある場合は病院。それ未満ならクリニックだ。他にも病院とクリニックを区別する条件はあるが、この際それは度外視していいと思う。建物も三階建てのようだし、中で迷うほどではない」

 クリニックと病院の言い間違いなど、この場でわざわざ訂正することではなかった。しかし意外にも、潤美は「そうだったのね」と素直に聞き入れてくれた。

「じゃあ、私たちが着ているこの白衣も、元はこのクリニックの備品ってこと?」

「いや、それにしては生地が新しい。虫や鼠に食われてないし、カビ臭くもない。これは犯人がわざわざ用意したものだと思うよ」

「ロッカーの中にあった使い捨てのゴム手袋は備品のようですよ。外箱が埃だらけでしたし。でも、未開封だったので中身が無事で助かりました」

 私に続いて鈴木が両手をひらひらとさせた。ゴム手袋越しとはいえ、彼の手のひらには血が滲んだと思しき痕がうっすらと浮かんでいる。いくら未開封のゴム手袋とはいえ、環境が環境だ。どんな細菌を拾うかわからない。早めの消毒が望ましいが、こんな場所では水栓に水が通っていたとしても、配管が錆びたり、腐ったりしているかもしれない。飲むことはおろか、傷口を洗うことすら容易にできない。

 そう考えていると、震えていたショウコが控えめに手を挙げた。

「あ、あの……ここって……ま、マスクとか……ないんですか?」

「マスク?」

「ご、ゴム手袋はあったんでしょ。だからほら、マスクも犯人が用意しているのかしらって……今さらだけど、ここはその、空気が悪いというか……こ、こんな密閉空間で、臭いも酷いし、ねえ……?」

 どうやらこの空間の臭いが気になっていたらしい。確かに、彼女の言うように空気は悪い。その臭いの元となる場所は、他のどんな場所よりも最悪な環境だ。マスクをしたい気持ちは大いにわかる。

「マスクがあればね。ほら、少しでも……防げるし……」

 と、袖口で鼻と口を覆うように隠した。

 それよりも、ガムテープか何かで扉の隙間を塞いでしまいたい。だが、ガムテープはおろかショウコの欲しがるマスクすらここにはない。余っている白衣を破いて口元を覆うか、脱出までひたすら耐えるしか、方法はない。

 モゴモゴと言っているショウコに答えてやろうと、口を開きかけたところで、呆れ顔の鈴木が「はあ」と大きなため息を吐いた。

「ショウコさん」

「は、はいっ」

「こちらは自分たちで動いて、せっせとアイテム探しをしているんですよ。そんなにマスクが欲しいなら、ご自分で動いて探されたらいかがですか?」

 その口調は鈴木にしては珍しく刺々しかった。無理もない。鈴木や潤美は自ら動いて脱出への手がかりを探していたんだ。

 対して、ショウコはここで己の悲運について嘆いていただけだ。行動はせず、ただ物を欲しがる彼女が腹立たしくなったのだろう。私もショウコを庇う気にはなれなかった。

 突き放されたと知ったショウコは、「そんな……」と縋るように鈴木を見つめたものの、機嫌を損ねた彼から睨まれてしまい、ペコペコと頭を下げた。

「ごめっ……ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。自分で……自分で、探します……ごめんなさいっ」

 怖くて動けないというショウコの気持ちもわからないではない。女性が一人、この暗闇の中を探索するのは厳しいだろう。だからといって、優しい言葉はかけられない。助かるためには、自分自身が動かなければ活路は見出せないからだ。

 私は改めて、調べてわかった現状を彼らに話した。

「ともかく、我々を集めた犯人は何が何でもここから出すつもりがないらしい。一階の出入り口は封鎖されていてびくともしない。診察室向こうの窓の錠には有刺鉄線が巻かれていて触れられないし、窓ガラスを割ったとしてもその向こうには柵が取り付けられているようだ。二階はここと造りが異なるが、避難口は封鎖。窓は……」

「一か所だけかろうじて開きましたが、細身の私でも通れませんでしたよ」

 一人だけ二階を調べていた鈴木が、自分の胸に手を当てて言った。よく見ると、彼の白衣の肩半分に、点々と雨で濡れた跡があった。

「パッと見ても大人が通れないサイズだったから、鈴木君の言うことは間違いないだろう。それから三階だが……」

 そこまで言って、口が止まる。女性が三人もいる前で、どう表現していいものか悩んでしまった。

「何よ。勿体ぶってないで、早く言いなさいよ」

 怪訝な顔をする潤美が私を急かした。それでも言い淀む私に代わり、鈴木が含みを持たせた言い方をする。

「あそこはやばいですよね~。ええ、やばいです」

「何が……やばいのよ?」

 やや尻込みした声で、先を話せと潤美は目で訴えた。これ以上黙っていたところで何も進まないと判断した私は、慎重に言葉を選んで事実を口にする。

「口にするのも憚られることだが……人形が、床に散乱していたんだ」

「人形? それのどこがやばいってのよ」

「四肢がバラバラになっていたんだ。まるで人間の……殺害現場のように」

 そこまで言って、隣にいる美香が口元を押さえて震えていることに気がついた。私は美香の肩に手を回し、自身へと抱き寄せた。驚いたのか肩が跳ねたが、美香は私を見上げるとほっと息を吐いた。

「でも、元はクリニックとはいえ、ここはもう廃墟でしょ? 廃棄用のマネキンとかを金を払って処分したくないやつが不法投棄したとか……そんなんじゃないの?」

 潤美の推測もわかる。しかし“あれ”を見た後では、その推測も覆るだろう。

 続きは鈴木が語ってくれた。

「一体だけ首を括っていたんですよ。天井から吊るされてね」

「首を……括っていた?」

 目を見開きながら潤美が聞き返したので、私は静かに頷いた。

 そしてついでとばかりに、

「しかもあれ、散乱していた人形と違って、ラブドールですよ。ラブドール」

 と、鈴木はわざわざ人形の種類まで口にした。

 それまで静かにしていた平が、ラブドールという単語を耳にした瞬間ニヤリと笑い、細い目の奥を輝かせた。

 武藤は「いい趣味だな」と言って頭を振った。

「ね、ねえ……」

 ショウコが美香の白衣を掴んでクイクイと引っ張った。

「ラブドールって、いったい何なの?」

 美香に耳打ちするように尋ねたショウコだが、その声量は決して小さくはなかった。

 美香が「えっと……」と、目線を逸らし、恥ずかしそうに言い淀んでいると、鈴木がどこか楽しそうに、

「ああ、ショウコさん世代は知らない人が多いでしょうね。ラブドール。簡単に言っちゃえば、性欲処理用の人形です。自分好みの可愛いお人形のアソコを使って、男が楽しむんですよ」

 と、自分の右手で輪っかを作り、その間を反対の人差し指で抜き差ししてみせた。

 鈴木の言っている意味がわかったらしいショウコは、瞬時に顔を顰めて「まあ……はしたないっ」と忌々しく吐き捨てた。

 その様子を見ていた潤美が、わざとらしく鼻で笑う。

「そのはしたない行為で子どもを作るくせに、何を純情ぶってんだか」

「なっ、何ですってっ」

「潤美さん」

「ふんっ」

 ああ、この二人は本当に相性が悪い。女性同士の諍いは、これまでも職場で目にしてきたが、ここはまるでタイプの違う人間だ。どうしたって相容れない。

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