緋の契り

桜禾

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決戦の刻

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 私は、朧がずっと一緒に居るものだと信じて疑わなかった。
 だから、目が覚めたとき隣に朧が居ないことが信じられなかった。
 ――どうして。
 明日で私は十九になる。
 お祝いは何をしようか、町に出て鰻でも食べようか。
 そう、話していたじゃないか。

 枕の下に、紙を見つけた。
『大好きな朧へ』
 私は涙を堪え、朧を感じ取ることに集中した。
 すると、門の外にもうひとつの気配を感じた。
 これは。
 私はぼろぼろに負けて記憶が曖昧だが、禍々しいほどの気配はよく覚えている。
 私が十のとき、対峙した鬼。
 朧の、母君。
「朧……っ!」
 私は走った。
 気配は消しても、私は朧を見つけられる。
 朧の魂が、叫ぶほうへ。
 
 ◆

 森の奥深く、月明かりが届かないほど深い闇の中で、朧を見つけた。
 最後まで抵抗したのであろう、その姿は痛ましく、傷だらけの身体で、鬼の髪に締め付けられ、宙吊りにされていた。力は使い切ってしまっており、一切の抵抗ができない様子だった。
 私は感情的になるのを抑え、鬼の始祖と向き合った。
 これが、朧の母君。
 肌は透肌のように白く、生気を帯びていない。
 額の右から一本の角。左の角は朧に折られたようだ。
 長い髪。自在に操れるようで、まるで触手のように蠢いている。
 切れ長で氷のように冷たい眼。色素の薄い瞳。薄い唇。朧より長い爪も、おそらく髪と同様、操れるのであろう。
「なるほど。似ていないな」
 朧とは全く似ていない。
「朧を離してもらおうか」
「おぼろ……? ああ、こやつの名か?」
「うぅ……っ」
「朧!」
 首を絞められた朧は苦しそうに顔を歪める。
「ひ、いろ……に、にげ……」
「貴様は黙っていろ、出来損ない」
「かはっ……!!」
「やめろ!」
 感情が昂る。
 抑えろ。感情のままに動いては力が暴走する。制御できなくなる。
「朧、か。まあこやつに相応しい名だな。まるで朧のように霞のように儚く、力なき存在」
「違う。お前に朧の何が分かる! 朧は力なき存在などではない。私は朧に救われた。とても優しくて芯の強い者だ!」
 そう。朧はこんな謂れをされるような人物ではない。
 私を救ってくれた。
 生かしてくれた。
 生きる喜びを教えてくれた。
 私の、全てなのだ。
「朧、すまない。私は逃げぬ。昔は手も足も出なかったが、今は違う。今の私なら、もっと戦える。もっと、もっと」
「だ……め……お、ぼろ、ひ……と、り、じゃ」
 分かっている。朧の言う通りだ。私ひとりで敵う相手ではない。力が違いすぎる。朧が力を失った今、私に勝機はないであろう。だが。
「昔……? ああ。道理で覚えのある気配かと思えば、あのときの小僧か。とどめは刺さなんだが、生きていたのか。しぶとい奴よの」
 朧を苦しめる存在。次、いつ対峙できるか分からない。
 だから、戦う道以外は存在しないのだ。
「ひとつ聞く。朧の母君というのは本当か?」
「母というものが、こやつを生み出した者、という意味ならば。私はこやつを、人間を喰らう鬼として生み、人間を殺すことを強いた。しかしこやつは拒否した。そう、私を否定したのだ、この愚か者は」
「ああぁぁぁ!!」
「っ! 朧!」
 残りわずかな朧の生気が消えていく。痩せ細り、艶めいた髪が、尻尾が、肌が、干からびていく。
 朧が、死ぬ。
 死ぬ? 朧が?
 私の前から居なくなる?
 だめだ、そんなこと許さない。
 朧を傷つける者は、絶対に許さない。
 腹の底から力が湧いてくる。今までとは違う。感情が渦巻き、全身を巡って身体が熱くなる。
 ――そうか。これが。
「怒りという、感情なのか」
 初めて知った。
 相手が憎い。憎くて憎くて、目の前から消し去りたい。
 しかし、
「怒りと悲しみは表裏一体なのだな」
 朧が居なくなることを想像したら、悲しみが止まらない。
 寂しいと思ったことはある。しかし、悲しいと思ったことはなかった。
 独りが寂しくとも、独りが当たり前だったのだから、そこに寂しさ以外の感情は湧いては来なかった。
 でも、ふたりで居ることの温かさを知った今、それが失われたら、私は立ち直れないかもしれない。これが、悲しみという感情なのだな。
 なぜこんな感情が湧いてくるのか、答えはひとつ。
 ――朧を、愛しているから。
「朧。今、助ける」
「だめだ、逃げろ!」
「逃げぬ!」
「無理をするでない。貴様の力では私には敵わぬ!」
 貴様の力、までは聞こえた。目の前に始祖は居た。しかし、それ以降は聞き取れなかった。私は数十歩先の茂みで横たわっていたのだ。
「!? くっ……」
 立ち上がろうとした瞬間、足に激痛が走った。骨が折れている。
「かはっ、」
 口を押さえた手は赤く染まり、それが自身の血であると気づくのに、数秒かかった。
「陽彩! 陽彩、ひいろ!!」
「口ほどにもない。所詮、その程度なのだ。貴様は」
 昔と何も変わらない。手も足も出ない。攻撃されたことにさえ気づけなかった。
「陽彩ー!!」
「っっ!!」
 朧の叫びと同時に、身体の自由が効かなくなった。
「うっ、ぐぁ……っ」
 朧と同じ、鬼の髪で全身を拘束されていた。手も、足も、首も、全て。
「これで終いか? 呆気ない」
「まだ……まだだっ」
「どの口が言うか」
「あ、が、あぁ……」
 身体中の骨が軋む音が聞こえる。
 息が止まり、脳に酸素が行かなくなる。
「母上やめて! やめてください! 私はどうなっても良い! だから、陽彩は、陽彩だけはどうか!」
「五月蝿い。私を母と呼ぶな、出来損ないが!」
「! ……っぅ……」
 さらに締め付けられた朧は、気を失った。
「朧ーー!」
 薄れゆく意識の中、私は朧の名を叫び続けた。
 朧、朧。死なないで、朧。
 そのとき。
 朧の魂の一部が視えた。そしてまた、私からも魂の一部が朧に寄り添う姿を視た。
 “あなたは私。私はあなた ”
 “君は私。私は君 ”
 これは、始祖と対峙した昔と同じ。

 ――魂と魂の触れ合い。

 “倒そう、母を ”
 “ああ。倒そう、始祖を ”

「……貴様。もしや……」
 始祖の拘束が解けた瞬間、私は地面に叩きつけられた。
「う……」
 切り傷の嵐で身体が動かない。
 ふと、脳内に朧の声が響いた。
(陽彩、死なないで、陽彩)
(お、ぼろ……)
(生きて、陽彩)
(……私は、死なぬ。朧、ひとつ聞く。母君を倒す覚悟はできているか?)
(……無論。私はそのために数千年永らえたのだから)
(分かった。では、やることはひとつだ)
(陽彩、まさか……)
「その、まさか、だっ!」
 陽彩は精一杯の力で、右耳に付けていた耳飾りを外した。
 そのとき、陽彩から凄まじい呪力が溢れ出た。
「何……?」
「うっ……ぐぅ!」
「陽、彩っ! 力に飲み込まれないで!」
 貯め込んだ呪力が一気に身体に流れ込む。制御しようと思ってできるものではない。私自身が力に飲まれ、意識を失いそうだった。
「お、ぼろ……、おぼ、ろ」
「陽彩!!」
「五月蝿い! 貴様は黙っておれ!」
 

 ……ポタ、ポタ。
 遠くで、朧の事切れる音が聞こえた。
(朧……?)
 視点が合い始めた瞳に映ったものは。
「……っ! 朧ー!」
 始祖の髪に拘束された朧の足元に、血の海が広がる光景だった。
「……」
 返事はなかった。
「ふん。口ほどにもない」
「朧、おぼろ!!」
 身体が熱い。まるで全身の血が逆流し、沸騰しているようだ。
「朧……」
 落ち着け。感情に流されては戦えぬ。
 落ち着け。落ち着け。
 怒りと悲しみでおかしくなりそうだった。
(朧を、救えなかった……私の大切な朧を……)
「朧、お、ぼろ……っ、うぁぁぁ……っっっ!」
 涙が溢れた。朧が居なくなる。その事実が受け入れられなかった。
 嬉しくて泣いたことはあった。しかし、悲しくて泣いたのは初めてだった。
 怒りと悲しみは表裏一体。
 この想いを胸に戦えれば良かった。
 だが。
「無理、だよ……朧が、朧が居なくちゃ……」
 こんなことになるならば。
 伝えれば良かった。自身の想いを全て。どう思われても良いから、ありったけの想いを、伝えれば良かったのに。
「戦意喪失、か。つまらぬ。貴様も後を追うが良い」
 それもそうだな。
 朧が居なくなったこの世でひとり存えるなど、もはや想像もできないのだから。
 陽彩の瞳から光が消え、ただただ涙を流した。しかし、
(なんだ? これは……)
その一粒が右手の甲に当たった瞬間。右の頬と手の甲が焼けるように熱くなり、赤い紋様が浮かび上がった。朧の額にあった紋様に似ている。
 それを見た始祖は、一瞬驚き、そして口を開いた。
「なるほど。貴様、そうであったか」
「……何のことだ」
「貴様がなぜ、私の前に現れたのか。その理由が分かった」
「意味が分からない」
 本当に意味が分からなかった。鬼の始祖であり、朧の母君。諸悪の根源。太平の世を望んだ陽彩たちとは、いずれ合いまみえる相手ではあったとは思うが。
「私は、貴様をよく知っておる。いや、貴様の先祖、というべきか」
「……先祖、だと?」
「その気配、その紋様。そしてその呪力量。貴様、自身の母は知っているか」
「知らぬ。私には母などおらぬ。朧だけが家族だ」
「まあ、知らぬのも無理はない。貴様を産み落とした後、消えて無くなったはずだからな」
「……どういうことだ。お前は私の母を知っていると?」
「ああ。よく知っておる」
 話がまるで見えない。なぜ、鬼の始祖が私の母を知っている?
 私は森に住む狐女が気まぐれに産み落とした存在、と村の皆が噂していた。
 それから、母のことは考えないようにしていた。
 私を呼んでくれる者、私と話してくれる者、私に笑いかけてくれる者。
 朧が居れば、それで良かったから。
「貴様の母……正確には、安倍晴明の母。名は、葛の葉」
「……っ!? 安倍晴明は数百年も昔に亡くなった。私の母と同一人物のはずがなかろう!」
「そうだな。人ではない。葛の葉の彷徨う魂、亡霊、それが狐の身体を借りて産んだのであろう」
「っ!!」
 どういう、ことだ。
 安倍晴明の母君? 魂? 亡霊?
 私は、人間の子ではないのか?
 魂が狐に宿って子を孕んで産む……?
 そんなことがあり得るのか?
「動揺しておるな。葛の葉め、執念深い奴よの」
「葛の葉……という女性を知っているのか」
「知っているも何も、私がこの手で葬ったのだ」
「なんだって!?」
「葛の葉は私を倒そうと様々な術を試みたが、私は悉く退けた。私に敵わぬと悟った葛の葉は、子を産んだ。それが、安倍晴明だ」
 安倍晴明、この世で最強の陰陽師。朧がいっときを共にした、心優しき陰陽師。
「まあ、晴明も私には敵わなんだ。だから殺してやった」
「っ!」
 朧から、晴明の最期は聞かされていなかったが、そういうことだったのか。
 そうか。朧は、それで私の召喚に応じたのか。
 自分の母君を、今後こそ倒すために。
 だから、私を生かしたのか。
「そういうことだ。こやつは、貴様が思っているような優しい者ではない。私に逆らい、私をしつこく倒そうとする、心は鬼のまま。表面はいくら取り繕うとも、生粋の鬼なのだ」
「……」
 朧に視線を向ける。
「貴様もこやつも、私には敵わぬ。諦めよ」
 そうかもしれない。安倍晴明ですら、その母君ですら倒せなかった鬼の始祖。
 私に倒せるとは思えない。
 しかも私は……人間ですらなかったのだ。

「……」
「完全なる戦意喪失、か。皆、私を前にするとそうなる。葛の葉も、晴明も、敵わぬと知ったら最後、反撃もせず終わった。しかし貴様は中でも最もつまらぬ。弱虫めが」
「……そうだな。私ではお前は倒せぬであろうな。私ひとり、ではな」
「……何?」
 今、分かった。
「私ともうひとり、朧とふたりでなければな」
「!?」
 悲しみに飲まれるところだった。
 魂の叫びを聞き逃すところだった。

 “陽彩…… ”
 朧は、生きている。
 心の臓は止まっていたとしても。
 “朧……! ”
 魂は、死してはいない。
「我、陽彩の名の下に命ず。解き放て」
 言霊が力となり、朧を拘束していた始祖の髪を切り裂いた。
「我のもとへ」
 今度は言霊が風となり、朧を包み込み、陽彩の腕の中へと戻ってきた。
 鼓動はない。
 しかし、朧は生きている。
 なぜなら。
「……その、首飾りは、」
 そう。
 私が朧に託した首飾りが、朧の急所を護ってくれたのだ。
 勾玉に入ったひびからは、呪力が溢れ出ている。これもまた、呪物の一種であったのだろう。なぜ私の手元にあったのかは分からぬが。
「なぜか、教えてやろうか」
 始祖が口を開いた。
「……何を」
「その、首飾りの正体だ」
「……そんなもの分からずとも良い。私の腕の中に朧が居る。私にはそれだけで十分だ」
 人間でないから何だと言うのだ。
 私はこの世に存在しているのだ。
 人間でなくても妖でも幽霊でも何でも。
 生きて、ここに居るのだ。
 始祖を、倒すために。
「……まだ分からぬのか。そやつは鬼だ。貴様が思うような奴ではないのだぞ」
「分かっていないのはお前のほうだ、始祖。朧は復讐の道具に人を使うような者ではない。心優しい朧にそんな真似できるはずがなかろう。朧はひとりでもお前を倒そうとした。そして私を逃がそうとした。分からぬか?」
 そう。朧は母君を倒すために召喚に応じたのではない。
 前に聞いた。気まぐれだったと。
 朧は人間に何の期待もしていなかった。だから独りで鬼と戦い、いずれ母君を倒すまでの力をつけて、独り挑むつもりだったのだろう。
 しかし、私の声に耳を傾けてくれた。
 それは気まぐれだったとしても、出逢った瞬間に互いに分かったはずだ。
 朧は、陽彩は、互いの魂の片割れであると。
 私には、それが全てだ。
 朧は懇願した。母君を倒すために力を貸してほしいと。
 倒した後の世を、共に歩みたいと。
「それが、朧の本当の心だ」
 その言葉に呪力が乗った。怒りと悲しみの調和が取れ、心が安定した陽彩の力は、先ほどまでと比べ物にならなかった。その隙に、始祖と距離を取り、森の洞窟に隠れた。
「朧、朧」
 反応はない。しかし、魂が生きてさえいれば。
「朧……」
 私は誓ったのだ。朧を死なせはしないと。必ず護ると。
 だから。
「……っ」
 呪力を左眼に集中させた。それを己の心臓を通わせ、唇から唇へと、注ぎ込む。
 今度は私が。私が、朧に生を与える番だ。

 “我の左眼を、朧に “

 朧の胸が、かすかに上下したのが分かった。
「うっ……」
 弱々しい声が耳に届いた。
「朧、私のことが分かるか?」
「……ひ、いろ……」
「ああ、良かった。戻ってきてくれて良かった」
「ひいろ、……っ、ひだり、め、っ!」
「良いんだ。とうの昔から決めていた。朧に何かあったときは、この左眼を差し出すと」
「ひ、いろ……っ!」
「泣かないで、朧。生きてくれてありがとう」
「あ、ありがとう、陽彩っ! 私なんかのために、綺麗な瑠璃色を……」
「朧が覚えていてくれれば良い。忌み嫌われた瑠璃の瞳が役に立てて本当に良かった」
 朧の記憶を通じて知った、左眼の使い道。晴明が朧にしたこと、自分もできて良かったと思った。
「陽彩、話、聞いていた……。陽彩……っ」
「大丈夫。私自身が何者であろうと、私の母が誰であろうと、今は関係のないこと。家族は朧ひとり。私の大切な人は、この世で朧たったひとりだ。朧さえ生きていてくれれば、それで良い」
「陽彩……。結果として、私は其方を復讐の道具にしてしまったのかもしれない。済まない、陽彩」
「良いんだ。朧、分かってる。朧はそんなことできない人だって。私を本当の家族と思って接してくれていたって、分かってるから」
「……ありがとう、陽彩。私も、私も其方だけが家族だ。だからこそ、母を倒したい。太平の世を、この手で築きたい。そして、その後の世を、陽彩と共に歩みたい」
「ああ。戦おう、共に。母君を倒し、鬼を滅し、平和な世を作ろう。成し遂げられたときは朧、」
「ああ、何だ?」
「……本当の、家族になってほしい」
「っ! そ、れは、」
「か、考えておいて!」
 悔いのないよう気持ちを伝えようと先ほど決めた。だから咄嗟に口に出してしまったが、我ながら、色々すっ飛ばして大胆なことを言ってしまったような気がする。
「……考えなくとも、答えは出ておる」
 そう、朧は笑った。
「お、ぼろ……」
「まずは倒せねばな。母上を」
「ああ、朧。私の力をできる限り其方に移したが、拒否反応などは無いか」
「問題ない。ありがとう陽彩。私も、この戦いに全てを捧げる」
 そう言って。
「朧!」
 朧は、左耳に付けていた耳飾りを外した。
「ああ……漲る。封じていた力が、身体に戻ってくる」
 そのとき。
「!?」
「こ、れは……」
 朧の胸元の首飾りが輝き出した。
 そして。
「っ!」
 信じられないものを見た。
 呪力を纏った煙の中に、ひとりの女性が浮かび上がった。
「葛の葉!?」
 朧が口にした女性の名は。
「母、上……?」
 綺麗な白髪が肩まで下り、白い装束に包まれている。
 右の瞳は緋色。左は、瑠璃色。
(陽彩、育ててあげられなくてごめんなさい)
 口を聞けないようだが、心に声が響いてきた。
「……っ、」
(陽彩。生きてくれて、ありがとう。朧、陽彩と共に生きてくれて、ありがとう)
「葛の葉……、やはり、あなただったのですね」
 朧は全てを悟ったようだった。
「私が首飾りを付けているとなぜだが安心できたのは、葛の葉、いえ、母上、あなたのおかげだったのですね」
(そう思いたいですが、陽彩。私はあなたを孤独に追いやった張本人。あなたに恨まれて当然の人間。それでも陽彩、あなたは私を母だと思ってくれるのですか?)
「確かに、私は人間たちに嫌われてきた。恐れられてきた。しかし、朧に出逢わせてくれたのは母上、あなたなのでしょう?」
(……はい)
「私の家族は朧ただひとり。今でもそう思っています。ですが母上、あなたがどんな存在であろうと、あなたは私を産んでくれた、たったひとりの親です」
「私もそう思います、葛の葉。私が晴明に導かれたのも、こうして陽彩と出逢えたのも、葛の葉、あなたが導く一本の細い道を、間違えずに歩めたからだと」
(……そのように言ってもらえて、私は幸せです。陽彩、朧。私はとても不安定な存在。すぐに消えてしまいます。その前に、少しだけ話をさせてください)

 私は、安倍保名との間に子を授かりました。名を、童子丸。あなたたちも知る、後の安倍晴明です。晴明は呪術に長け、世に蔓延る鬼の討伐に明け暮れました。私は待ち望んでいた。なぜなら、鬼の始祖を倒したかったからです。私は晴明と力を合わせて再び始祖を倒そうと試みますが、それでも敵わなかった。私の命が先に尽きてしまった。ですので、晴明に告げたのです。式神を召喚なさいと。
 そして晴明は式神である朧、あなたを召喚しました。私は少しだけ手助けをし、朧を召喚させた。しかし忘れないでくださいね、朧。晴明が左眼の力をあなたに差し出したのは、晴明の意思です。私はふたりが出会う手助けをしただけ。その後の行動は全て、晴明の考えに基づいてのことです。
 しかし、晴明までも命を落とした。あなたは独りになってしまった。
 始祖が野放しになり、世の中がどうなってしまうのか。それももちろんありましたが、朧、私はあなたが心配でした。晴明亡き後、また孤独に鬼を倒す道を進むのかと思うと、気が気でならなかった。待って、待って、待ち続けて。すると、森に住む狐が申したのです。
『あなたのその強い念、今こそとき放ちなさい。あなたが産めないなら、私が代わりに産みましょう』と。だから私はその狐に託しました。陽彩、あなたを。
 ごめんなさい。あなたにはつらい思いばかりさせてしまいましたね。身の上が分からないというだけで蔑む人間たち。あなたには周り全てが敵に見えていたことでしょう。本当にごめんなさい。私がそうさせてしまった。だから決めたのです。あなたが式神を召喚すると決めたそのときは、陽彩と朧を引き合わせようと。
 そこから先は、あなたたちの物語です。
「孤独な私を朧が救ってくれた。生きたいと思わせてくれた。嬉しかった。初めて誰かを信じることができた。でもそれは、出逢ったのが朧だったから」
「陽彩……それは私も同じだ。晴明が死したのち、人間を信じられなくなった私は孤独だった。陽彩、其方に出逢うまでは」
(朧。晴明と共に戦ってくれてありがとう。そして、陽彩と出逢ってくれてありがとう。陽彩を育ててくれてありがとう。私ができることはもう少ないけれど。受け取って)
「……!」
 朧は光に包まれた。身体中の傷がみるみるうちに塞がり、元々の朧の力が蘇る。
(私が貴方たちにしてあげられる最後です。無力でごめんなさい)
「そんな、ありがとうございます。葛の葉。いえ、陽彩の母君よ」
「ありがとう、母上。朧を救ってくれて」
 寄り添う陽彩と朧を、葛の葉が包み込んだ。
(見守っています。貴方たちをずっと。いつまでも)
 そのとき。
 禍々しい気を発する黒い矢が、葛の葉に突き刺さった
「「母上! 葛の葉!」」
 葛の葉は優しく微笑んだ。
 そして、消えた。
 陽彩は、幻を見たのかと思った。しかし目の前に、傷の塞がった朧が居ることが、母が居たことの何よりの証拠だった。
「陽彩、良かったな。其方の母は、ちゃんと其方を愛していた」
「……ああ。共に過ごせなかったのは残念だが、存在していたことが分かっただけで十分だ。でも朧。私の家族は、朧ひとりだ」
「陽彩……」
「私をここまで育ててくれたのは朧、其方だ。ありがとう、朧」
 朧の笑みには、愛がこもっていた。
 朧自身も、もう気づいていた。これがただの“情 ”ではないことに。

「もう良いか。ここまで待った私に感謝することだな」
 始祖の力が跳ね上がるのを感じる。
 葛の葉はああ言ったが、朧の力が完全に戻っても、ふたりの力を合わせても、始祖には敵わない。今のままでは、ふたりは死ぬ。
であれば。
「朧。覚えていて。私たちはいつでも一緒だ。どこにいても、離れていても。魂が離れぬ限り、私たちはひとつだ」
「……ああ。魂の片割れよ。私たちはふたりでひとつだ」
「うん。私たちはふたりだからこそ、より強く居られる。今ならきっと」
「ああ」
「迷いは、ないね?」
「無論」
 今なら、倒せる。
「笑止千万! あの世で仲良く暮らすが良い!」
 葛の葉を貫いた黒い矢が、陽彩と朧を襲った。
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