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第二章 猫耳事変
第3話 それぞれの葛藤
しおりを挟む格闘を終え、お風呂から出た二人を待っていたのは在琉だった。脱衣所で静かに待って居た彼は、織理を見ると目を逸らす。
弦がタオルを織理に被せると、漸く在琉も近づいてきた。その足取りはどこか重く見える。
「これ、着けて織さん」
ちりん、と音が鳴る。差し出したのは鈴のついた黒い首輪だった。弦は在琉をついじっと見てしまう。
「在琉、やっぱりそっちいくんだ」
「鈴鳴ったらオレそこから離れる。ごめん無理、なんか、いつもより本当によくわからないから……」
一瞬呆れたのと同時に返ってきた言葉に、それはそれで言葉を失う。まさか、避けるための合図として首輪を渡すなんてあるのか、と。
「織さんのこと、殺したくないから……お願い」
いつもの在琉とは違う、弱々しい声。押し付けるようにそれを織理に渡して在琉はそばを離れた。
受け取った織理は謎でいっぱいだった。きょとんとしながら在琉が去っていった方を見つめる。
「……在琉、?」
――これまで在琉から嫌がらせはされてきても、明確に殺すと言われたのは初めてだった。
織理はタオルをギュッと掴みながら、弦を見上げる。
「髪の毛乾かしたら行っておいで。あれはね、初めて見る小動物を壊したくないだけの珍しい在琉だと思うから」
「しょ、う……どうぶつ? ……俺が?」
「猫は小動物だよ。でもあまり近寄りすぎない様に、あれも怯えてるから程々にね」
まぁ正直在琉のところに行かせたくもないけど。弦の本音としてはそうだったが、下手に避けさせ続けるのも同棲している以上良くはない。それに織理が傷つく可能性だってある、今のうちに方向だけでも分からせないと。
弦の横で納得いかない言葉に首を傾げる。そんな織理を撫でながら彼は苦笑を浮かべた。
「とりあえず髪の毛乾かそうか、やってあげるから」
その優しい手つきに頭を押し付けながら織理は軽く頷く。
だがそれは人間としての織理だけの話だ。ドライヤーの音が鳴り始めてから尻尾の膨らみが治らない。煩い、怖い、風が熱い。普段なら耐えられた温度すら火傷するのではないかと思うほどに熱い。
「にゃ、……! なぁ、ん!!」
「織理、逃げないの」
いやいや、と体が逃げたがるのを弦にしがみついて耐える。耐えはするけれど口から上がる抗議の声だけは抑えきれなかった。耳がゾワゾワする、ペタンと閉じてもなお気持ち悪い感覚に織理は腕の力を強めた。
弦は弦でそんな織理を宥めつつ、ゆっくりと髪を解かす。思ったよりも猫化の影響が生活に出ている事に懸念すら覚えるが、とはいえやっぱり可愛く見えるもので。
尻尾が膨らんでなければ付け根でも撫でようかと思ったものの、今撫でると不快が勝つに違いない。目の前で揺れる太い尻尾は魅力的だった。
とにかくこの強い締め付けに耐えながら、無心でドライヤーをかけ続けた。なるべく距離を離して、櫛で溶かしながら早く終わるように願うばかり。
「何しとるん、あんたら」
そこに攪真が二階から降りてきた。その目は若干冷めている、と言うか冷めた目を向けないと爆発しそうなシチュエーションだった。
タオルで体を隠しただけの二人、織理は弦に抱きついていて鳴いている。いくら髪を乾かす行為とわかっていても羨ましい……もとい腹立たしい。
「風呂入ったからドライヤーしてる。けどやっぱり怖いみたいね」
織理の長い髪を乾かさないことには服だって着せられない。
パチン、とスイッチを漸く切った弦に織理は腕の力を緩めた。
「にゃぁ……」
申し訳なさそうに、そして疲弊した様に鳴く織理。尻尾はぱたんぱたんと不機嫌な様相だった。
「ほら織理、攪真が織理を撫でたいって。嫌ならちゃんと引っ掻きなね」
「アンタ織理のことほんまの猫扱いしとらん? そいつ人間やで」
「人間扱いしてて偉い、俺そのメンタルで耐えられないから」
弦だって好き好んで猫扱いしてるわけでもない。ただそうしないと織理に性欲をぶつけかねないからそうしてるだけだ。
弦は立ち上がり、織理の頭を撫でる。細められた目がどこか嬉しそうだ。弦は体をタオルで隠しながら階段に足をかける。
「じゃあね、攪真。後よろしく。織理も寝る時、来たかったら来てね~鍵開けとくから」
ひょいひょいと手を振り弦は2階へと上がっていく。後に残された攪真は頭を抱えた。
――人間扱い、そう、それこそが攪真を苦しめている原因だった。まだ服も着て居ない織理に目を向けるだけで体が反応しそうだった。
とりあえずソファに座ると織理が近づいてくる。
「にゃぁ」
「なんや、織理? 隣座るか?」
タオルから覗く白い足に目が惹きつけられるのを誤魔化しながら攪真は声をかけた。隣にぽすんと織理は乗り上げる。
「かくま……ひざ、のりたい……」
攪真の思考はまた止まる。あかんて、それは。そう口にしそうになるがすんでで飲み込む。
耐えられるかといえば耐えられないだろう。だけど、据え膳だった。この織理を可愛がりたい欲が確実にある攪真にとっては断る術もない。
織理の脇に手を入れて持ち上げる。そして膝の上に跨がせた。向かい合う様な体制は普段の織理となんてした事ない。ただとても尻尾の付け根が撫でやすいのは事実で、攪真の手はそこに伸びていた。
「ん、ん……! かく、ま……!」
ぴくん、と震える身体が愛おしい。とろんと蕩けた顔で攪真を見下ろしてくる織理に背筋が栗立つ。
――実家の猫にもこうしてはいたけれど、もしかしてあいつらもこんな顔しとったんか……? と邪念を交えつつ気持ちを抑えようとはした。したけどやっぱり無理だった。
「攪真……、? 大丈夫……、っ? なにか、あたって……」
「気にせんといてや、……マジで」
攪真は弦を尊敬した。――あんな事言ったけどあれが正しい。好きな奴がこんな猫みたいなことしてきて興奮しないわけない。辛い、早く満足させて部屋に戻ろう。どうにか思考を飛ばしてこの場を乗り切ろうとする攪真だったが。
「えへ……そこ、気持ちいい、……もっと」
乗り切れるわけがないだろこんなん!! 攪真はすぐに席を立って逃げた。逃げるしかなかった。
後に残された織理だけがポカンとその背を見ていた。
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