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【1】変わるきっかけ
嘘と真実と友だちと仲間
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限られた三泊のうち、一泊が消費された。
ジェフリーは昼まで仮眠。
竜次は女性二人に変装道具のおつかいを頼んで眠りについた。土地勘のあるキッドが一緒だ。念のため地図も持たせている。明るいうちなら、安全だと判断した。
生活時間にずれが生じているが、それも今日だけだろう。
ジェフリーは昼前に目を覚ました。起きて身支度を整えていると頭が軽い。差し込む日向で、気持ちよさそうに寝ている竜次に髪を切られたのを思い出した。
いつもくせ毛をまとめるのが大変だったが、整えるのが楽になった。多少の寝癖を直せば気にしなくていい。初めて髪が短くなったことに感謝した。
金の懐中時計を手に、街中へ出る。気持ちよく晴れた空が広がっていた。今日はいいことがあるだろうか。
噴水広場に出て、街の活気を感じる。メインストリートなだけあって、人が多く賑やかだ。その中で行き交う人々をわざと避けるように、街灯に寄り掛かっている赤いローブに羽帽子のサキを発見した。
「よ、遅刻か……?」
ジェフリーが声をかけるも、うわの空だった。肩を叩こうとして、サキの顔色が悪いと気がついた。
「お前、どうしたんだ……?」
サキはようやくジェフリーに気がついた。最初は視線だけ、誰なのかと認識してやっとこちらを向いた。
「あ、髪型が違うので誰かわからなかったです。すみません、懐中時計が気になって眠れなかったので……」
直感だが後半は違うとジェフリーは思った。
サキは苦しそうな息を抑え込んでいた。まるで何かを我慢しているように見えたが、それも一瞬だ。気のせいだとジェフリーは見逃した。先に約束を果たそうと確認をする。
「ほら、探してたの、これだよな?」
ジェフリーはポケットの中から懐中時計を取り出して見せた。
サキは受け取ってから裏側を確認する。自分の名前が刻まれていたことに驚き、顔を上げた。
「こ、これをどこで!?」
「ぶつかった相手が腰に引っかけていたらしいぞ」
うれしそうな表情を見せたが、その表情が一瞬で消え失せる。
「あ、ありが……」
懐中時計が彼の手から滑り落ちて石畳を跳ねた。突然気を失ったようにサキの体が崩れ、ジェフリーが支える。
「お、おい、お前……!!」
受け止めて気がついた点がいくつもあった。サキの体は体重がかかっているはずなのに異様に軽い。体も細い。ふわっとした服の内側に見えた首が赤い。苦しそうに息をしている唇の内側から裂傷が見えた。
「具合でも悪いのか?」
サキはジェフリーの手を振りほどこうとする。
「誰にも……言わないでください……」
「はぁ!? お前、今倒れそうになっただろう!!」
不意に出てしまった大声。ジェフリーは周りを気にしたが、賑やかなので目立ってはいない。
サキはどうしても自力で立ちたいようだ。ジェフリーが懐中時計を拾って手に握らせる。探していた懐中時計が手元に戻り、安心したのか、サキの表情が明るくなった。
ジェフリーは気をよくした今が好機と見て、提案をした。
「『いい医者』がいる。診せに行こう」
お節介と知りながら、説得を試みる。サキはすぐに首を横に振った。そう簡単に甘えてはくれない。
「いいんです、本当に……」
「いいわけがあるか! お前、自分がどんな体をしているのか、わかっているだろ?」
もっと早く気がつけばよかったと、ジェフリーは後悔した。サキは女性の服を着ている。あの軽さでは、痩せて肩幅が合わないのだろう。身丈が合わない大きさの服を着ている。
ジェフリーは説得を繰り返すが、サキは首を縦には振らない。なかなか強情だ。
仕方がない。ジェフリーは奥の手を使うことにした。
「友だちを放ってはおけない」
嘘だ。厳密にはまだ『友だち』ではない。だが、その言葉でサキは渋々頷いた。
「本当は歩くのもつらいだろ? 肩でも貸すか?」
ジェフリーは心情を察して質問をする。サキは俯いたままだったが、意外にも素直に答えた。
「肩や背中は痛いので、あまり触れてほしくないです……」
自分の負い目には触れてほしくない、放っておいてほしい。なかなか素直になれない。そんな気持ちを汲み取るには十分だった。なぜなら、昨日の自分がそうだったからだ。誰かに言われたからではなく、自分の意思で歩み寄って理解者になりたかった。ジェフリーは逞しい背中を向けて言う。
「ほら、乗れよ。すぐそこだけど……」
サキは思わぬ手助けに躊躇躊躇しながら腕を伸ばし、逞しい背中に乗った。
「お前、やっぱり軽いな……」
ジェフリーが背負った体はミティアよりも軽い。彼女もかなり華奢ではあったが、それを凌ぐ軽さだ。
「その髪型、いいですね。賢く見えます」
「お前の方が賢いだろ?」
二人はお互いが見えていないのに、無邪気に笑った。
「ふふっ、もっと褒めてもいいんですよ……」
サキの気持ちが幾分か明るく持ち直せたならよかった。だが、これだけでは根本的な解決にはならない。彼の体調が心配だ。ジェフリーは足を速めた。
他人と距離を取り、深く入れ込まないように接するのに、なぜ人助けに力を入れてしまうのだろう。ジェフリーは、もしかしたら自分は人との付き合いが不器用なのかもしれないと思った。
ジェフリーはサキを宿に連れ帰った。部屋には買い物を終えて帰った女性二人と、寝起きで機嫌の悪い医者がいる。
「兄貴、医者の仕事を持って来た!」
竜次は頭を押さえながら、顔を歪めた。
「――頭に響く……帰って来るなり何ですか?」
ジェフリーは機嫌の悪そうな竜次にかまわず、サキを招き入れる。
サキはたちまち注目の的になった。
「あっ、昨日の!」
さっそくミティアが声を上げ、駆け寄って頭を下げる。
「昨日はすみませんでした。あと、ポプリも拾ってくれてありがとうございます!」
「すまないが、あとにしてもらっていいか……」
ジェフリーは会話を遮った。優先したいのは紹介ではない。
ミティアは首を傾げながら引き下がった。キッドも質問をした。
「つか、あんたその髪、どうしたの?」
「それもあとにしてくれ……」
ジェフリーは苦笑いで、キッドの質問も遮った。人数がいると、いちいち対応するのが面倒だ。機嫌を損ねない程度にあしらう。
寝起きで機嫌が悪い竜次が、ため息交じりにジェフリーに向き合った。
実はジェフリーが同居中、わざと生活時間をずらしていた理由はこれもある。同居中も竜次の寝起きに遭遇すると機嫌が悪く、いつもの温厚な彼とは比べものにならない。
「で、私に何です?」
面倒くさそうな悪態に、見かねたサキが帰ろうとする。
「僕、お邪魔してしまいましたね、やっぱりいいです」
「おい、ちょっと待て!」
せっかく連れて来たのに、帰らせるわけにはいかない。ジェフリーは引き止めた。
サキは足を止めると竜次に振り返り、鋭い視線を向ける。
「ジェフリーさん、『いい医者』って言っていたのになぁ……」
サキがわざとらしく残念がった。それを聞いた竜次は、苦笑いをしながらテーブルを叩いた。
「いいでしょう。お座りください」
初対面で、しかも子どもに馬鹿にされた。それなのに、竜次はどこかうれしそうだ。
サキはジェフリーをじっと見る。彼はこの短いやり取りで人間関係を把握して、そして一人で納得していた。
「お兄さんにしては、ハンサムな気がします。あまり似ていませんね……」
サキは初対面でも相手の心をつかむ素直な性格だ。頭の回転と鋭い観察力は、具合が悪くても健在らしい。ジェフリーはサキを敵に回したら怖いと思った。
竜次は着替えを始めた。弟のジェフリーが自分を『いい医者』として人に紹介し、連れて来るとは思ってもいなかった。それが、うれしかったようだ。
機嫌が悪かった竜次の豹変に一同は驚く。白衣に着替えながら鼻歌を口ずさんでいた。気味が悪いくらいだ。
「で、どうしましたか?」
着替えが終わって支度を整えたころには、竜次の不機嫌は消え去っていた。
竜次はサキの顔を覗き込んだ。訊ねても、サキは黙ったままだ。
「この指は、追えますか?」
あまりに黙ったままなので、勝手に診察を始めた。指を立てて左右に振っている。
「ちょっと鈍いかな? じゃあ、お口、あーんはいいですか?」
白衣の胸ポケットからペンライトを取り出したが、サキは首を振って嫌がっていた。
「イヤイヤですか……じゃあ、脱いで心音でも聞きますか?」
今度は、首に引っかけていた銀の聴診器を手に持った時点で嫌がった。
「そんなにイヤイヤだと、診察になりませんねぇ……」
ただの拒否ではなさそうだ。だが、せっかく連れて来たのにこの調子では、ジェフリーも注意したくなる。
「せっかくなんだぞ?」
「だって……」
サキはおどおどとしながら、背後を気にしている。彼の視線の先には、興味津々な女性二人。
なるほど、異性の目を気にしているらしい。ジェフリーが目と口で訴えた。
「兄貴……」
竜次もこの目配せに気がついた。
「あぁ……ごめんなさい、お二人は席を外していただけますか?」
竜次も診察がしたい。彼の言葉にミティアが即、残念がった。
「もっとかっこいい先生が見たかったなぁ」
「ミティアったら、気持ちはわかるけど外に行きましょ? 邪魔しちゃ悪いわ」
キッドの聞き分けがよくて助かった。彼女はミティアを連れて部屋の外へ出た。部屋の戸が閉まる。華やかさと賑やかさが失われ、緊張した空気になった。
サキが覚悟を決めようとする。だが、その表情は諦めに近く、涙目だった。
「どうせ、誰も僕の病気は治せません」
「それはあなたが判断することではありません。さ、覚悟を決めてくださいな」
竜次が聴診器を持って構えた。サキは紹介してくれたジェフリーを信じ、まずは赤いローブを脱いだ。
この時点で身が細い。やはりわざと大きい服を着ていた。ジェフリーは黙って診察を見ていた。目を逸らさず、サキが抱えているものに向き合う。
「彼女たちに言わないでもらえますか?」
「ご希望でしたらね……」
ジェフリーはサキの小さな背中を見て絶句した。この時点で首のうしろに血の跡が見える。
「はい、どうぞ……」
サキは服を脱いで背中を向いた。竜次は顔をしかめる。
「痛いでしょうね、これ……何年ものですか? ここ最近だけではないですよ」
無数の怪我と、怪我の跡。火傷、鞭打ち、あざ、あとは何だろう? 気の弱い者が見たら、すぐに悲鳴をあげてしまいそうだ。
竜次が聴診器を手から放し、椅子ごと前に出る。
「確かに病気ですね。心の……」
首回りが赤い。これはジェフリーも気になったが、竜次はすぐに指摘をした。
「加えて栄養失調ですよ? 結構重めの……」
診断が下り、サキは正面に向き直った。
「もう着ます?」
「いけません。ジェフも手当てを手伝ってください。すぐに治るわけではありませんが、放ってはおけません」
サキは下を向いて肩を震わせた。泣き出してしまったのだ。
「ごめんなさい。こんなに優しくされたことがないんです……」
人の優しさで涙するなど、よほどのことだ。心情が計り知れない。ジェフリーも他人事とは思えなくなった。
サキを傷つける人が気になり、ジェフリーは質問をした。
「誰にやられているんだ? あのお師匠さんじゃないよな?」
「お師匠様はいい人です。育ての親ですが、ちゃんと学校まで出させてもらったし」
ジェフリーはタオルを差し出した。サキは躊躇せず受け取って、顔を埋める。
「間違っていたらごめん。『拾った親』か……?」
ジェフリーの質問に、サキは顔を埋めたまま深く頷いた。
「そっか……お師匠さんのところに置いてほしいは、そういうことだったんだな」
聞いていてやるせなくなった。
ジェフリーは手元の情報を頼りに、サキが置かれている状況を整理した。
師匠で『育ての親』であるアイラはサキを寮に入れていたと言っていた。アイラの住まいは孤児院跡の間借り。あの様子では生活にゆとりがない。それもそうだろう。魔法学校は学費が高いと有名だ。サキは飛び級をしていたが、それでも高額な費用を払わなければならない。
案外、アイラは情報屋と謳いながら、学費や生活費を稼ぐ手段があるのではないだろうか。だとしたら、ほとんど出稼ぎなのだろう。サキがアイラを慕う様子も見ている。
寮に入れてしまえば、少なくとも『拾った親』からの暴力は回避できる。だがずっと寮にいるわけではない。たまに帰れば、待っているのは拾った親による理不尽な暴力。
学校を卒業してしまったら、寮を追い出されてしまう。そうなるとサキが身を置ける場所はもっと限られる。この年では働ける場所もあまりないだろうし、逃げ場がない。
さぞつらかっただろう。
「お前、賢いのにどうして逃げないんだ?」
ジェフリーは疑問に思って質問をする。サキは怯えながら答えた。
「『拾った親』から逃げるなんて、無理なんです」
しゃくり上げながら続けた。
「世の中にはどうしようもないことがありますよね? 変えたくても自分ではどうにもできない運命です。僕はきっと恵まれなかった。もう正直、生きているのもつらいです」
まただ。ここにも生きることを諦めようとしている人がいる。ジェフリーはアイラの言葉を思い出した。『生きる意味』を……この未来の多き魔導士に教えなくては。
竜次は話を聞きながら、サキの背中にぺたぺたと薬を塗っていた。ひどい傷には、大判の絆創膏を貼っている。大きなあざには湿布を貼っていた。意外とお医者さんらしく、凝った手当てをしている。ジェフリーとサキの話は続いた。
「僕がどんなに頑張っても、『拾った親』には認めてもらえません。認めてもらえるようになったら、暴力はなくなるとお師匠様も思っていたみたいでしたが……」
師匠のアイラも虐待を知っているということだ。だとしても、どうにも引っかかる。
「お師匠さんは、お前を見捨てるのか。お前は何の変化も望まないのか?」
「お師匠様のことです。短い間でも、僕と仲良くしろとジェフリーさんに言ったのでしょう。僕は名前のせいで友だちなんていませんでした。すべては『拾った親』のせいです。友だちができただけでは何も変わりません。だけど、何でも話せる友だちはどうしてもほしかった……」
ジェフリーは変わるためのきっかけをほしがっていた自分に近いものを感じた。サキは変わるためにまず『友だち』がほしいのだ。だったら歩み寄るしかない。
「俺、お前と結構年が離れていると思うけど、本当に友だちにはなれないのか?」
「えっ……?」
「友だちなら、俺もいない。期限つきでもお前が今後どうしたいか、相談相手にはなれると思う。友だちってのは、そういう話ができる仲じゃないのか?」
「で、でも……」
ジェフリーが歩み寄っても、サキは遠慮をしている。何が怖いのだろうか。
驚くことに竜次が同調し、サキを誘った。
「御覧のとおり、大部屋なんですよ。一人増えても全然大丈夫ですが、どうですか? 部屋料金が前払いでしたので……あと二泊しか滞在できませんけども」
「兄貴……いいのか?」
ジェフリーが確認を取ると、竜次は独特の微笑を浮かべながら頷いている。
兄弟の心温まる厚意にサキは感涙していた。手当てが終わり、サキは服を着て整えた。
「明日いっぱいまでに、今後どうしたいのか決めてくださいね。落ち着いて考える時間はありますから」
「いいお医者さんでよかったです……ありがとうございました」
気を落とし、弱々しかったサキが笑顔を見せた。その次には、もう鼻にかける喋りが復活している。
「僕は魔法が得意です。何か協力できることがあったら、皆さんのお力になりたいです。この年なので、社会的な貢献はできませんが、誰かの役に立つことがしてみたい……」
サキの申し出を耳にしたジェフリーは、気まずい表情を浮かべていた。志が立派で自分とは大違いだ。見比べている竜次の視線が痛い。
サキは竜次にぺこりと頭を下げた。
「申し遅れました。僕はサキ、サキ・ローレンシアと申します。あの……お代は?」
診察代はいいのかと訊ねている。この年で律義な子だ。
終わったのに白衣を脱がず、竜次は悩ましげな表情をしながら腕を組む。迷ったが、名乗ることを選んだ。
「私はジェフリーの兄の竜次と申します。弟の『友だち』なら、お金はいただけませんよ。ふふふ……」
医者らしいことをした達成感に浸ったついでに、『医者』として名前を売り込もうという意図だった。
ところがサキは、名前を聞いて目を真ん丸くしながら想定とは違う反応を見せる。
「沙蘭の剣神さん!! えっ……お間違いないですか?」
サキは目を輝かせ、興奮していた。竜次はこれに驚き、苦笑した。
「そうですが……えっと……」
「わぁ……本物!! 本で見るよりも、ずっとかっこいい!!」
反応にはわざとらしさがなく、とても素直だ。悪い気はしないが、実はこの恵まれた容姿を褒められるのは恥ずかしい。
二人のやり取りを聞いていたジェフリーが疑問を口にした。
「兄貴の名前はそんなに知れ渡っていないはずだぞ? 出回っている本にはそう載ってないし、どうして兄貴を知っているんだ?」
「僕の知識はだいたい大図書館で仕入れますよ? 当然、沙蘭の歴史書も読んだことがあります」
サキの返事に、兄弟は顔を見合わせて驚いた。この街に来た目的を思い出した。
ここからは、ジェフリー次第で行動が左右されそうだ。
「なぁ、今からその大図書館に入れたりしないか!? 調べたいものがあるんだ」
サキは唐突な話の流れに驚いた。そこまで知りたいものに疑問はあるが、まだ聞き出さない。それよりも気がかりなことがある。
「入れはしますし、付き添い一人なら問題ないのですが、最近ちょっと怖い噂が……」
サキは一度、視線を伏せた。あまりいい話ではないのだろうか。
「質問なのですが、ご同行するのがジェフリーさんだとしたら、その……」
率直に言い出せずにいる。今度は竜次を見た。
「変なものに遭遇したら、戦えたり対処ができたりしますか?」
沙蘭の剣神はともかく、ジェフリーはどうなのかという意味だった。
「ずいぶんと物騒な質問だな?」
ジェフリーは言ってから、入り口に立て掛けてある剣に目をやった。
剣を見て把握したサキは、詳しく話し出した。
「怖い噂というのは、お化けとか魔人が出るなんて話がありまして……」
話ながら身震いしている。まだ続きがあるようだ。
「本が動くとか、本棚が倒れて来るとか、あり得ない話も耳にしました。難しい古書とか古文書とか、辞典なんかがある場所で……まるで、近寄ってほしくないみたいに」
何かの見すぎだし、どうせ噂で片付くものだ。そんな非現実的なことが頻発するはずがない。いや、直近で黒い龍や龍と一緒だった女の子、さらには『不思議な力』や『世界の生贄』と理解が追いつかないものはあった。それに比べたらお化けや本が動くなど、まだ現実的かもしれない。ジェフリーは安っぽい噂話だと思い、話半分に聞いていた。
外出の前に準備を整える。
「サキ君、そのお体では万が一も考えられます。今から行くのでしたらこちらを……」
竜次は茶色い小瓶を渡した。彼なりの気遣いだ。
「普通はお薬やサプリメントなのでしょうけれど、私は今、事情があって堂々と外を歩けなくて」
サキが受け取った小瓶のラベルには、滋養強壮・虚弱体質改善と表記されている。一般的には体力の前借りと謳われるドリンク剤だろう。
「私もこれから街に出る試みをしてみます。せっかく美女お二人におつかいをさせてしまったのでね」
テーブルの上には、見覚えのない紙袋がある。変装の道具でも入っているのだろうか。疑問に思いながら、ジェフリーは左の腰に剣を括りつけていた。
「街中でこんなの、目立つと思うけどな」
身支度を整えながらジェフリーは不安要素を口にした。
サキはドリンク剤を飲み干し、すぐに鼻を鳴らした。
「お役人たちに見つからないように裏通りを行きましょう。僕、案内できますよ」
先ほどまで倒れかけていたサキがここまで元気になった。体の負担よりも、誰にも話せなかった心の重みが大半だったのだろう。『拾った親』に認めてもらいたくて『育ての親』を信じて突き進み、賢い人間になった。それなのに、いつまでも認めてもらえず理不尽な暴力に怯え、サキは帰りたくないと口にしていた。これだけでも、彼が背負うものは大きい。だが、これだけでは済まない何かがある。ジェフリーの直感がそう訴えかけた。
サキは逃げたくても、逃げられないと言っていた。アイラは姉さんのところに帰れと言って、サキを突き放していた。ここで疑問が浮かぶ。
アイラは孤児院を手伝っていたと自称していた。孤児院を誰がやっていたのかも、経営していた叔母の夫が亡くなっていたことも知っていた。『病死……に見立てて殺したのは姉さんだもの』という言葉を思い出した。だとしたら……本当だとしたら。この魔導士にとっての『拾った親』はとんでもない人間だ。ジェフリーは背筋に悪寒が走ったのを感じた。
今は余計なことは考えず、情報を収集したい。ジェフリーはせっかくの好機に気持ちを切り替え、かぶりを振った。
「ジェフリーさん?」
考えすぎて怖い顔をしていたようだ。サキがジェフリーの顔を覗き込んだ。
「何でもない。外の二人にも軽く挨拶して出よう」
「あぁっ、二人とも!」
竜次は紙袋の中から緑色の小さい帽子を取り出し、手に持ったまま呼び止めた。変装道具の一つらしい。
「晩御飯、みんなで食べましょうね」
竜次はにっこりと笑い、手を振って二人をおくり出した。
部屋の外で女性二人が待っていた。
ミティアはフィラノスの観光案内の紙を持っている。キッドはそれを一緒になって見ていた。買い物のときにもらったのだろう。
「待たせた。すまないが、ちょっとこれから出かける」
ジェフリーは出かけると切り出した。それを聞いたミティアが驚きながら手を叩き、そのまま動きを停止した。
「……どした?」
ミティアはジェフリーをじろじろと見て頷いた。
「うん、やっぱり短い髪、かっこいいです!」
この頃合いで何を言い出すのかと思った。だが、そう思ったのはジェフリーだけではない。サキもこの調子はずれに苦笑している。
「人の話を聞け」
ジェフリーは軽く指摘をし、ミティアをあしらった。彼女の扱いを理解してしまった。
「そっち、誰?」
今度はキッドが質問をした。サキは軽く会釈をして自己紹介をする。
「僕はサキと申します。これでも就学を終えた魔導士です」
「あたしはキッド。残念だけど魔法使いは嫌いなの」
キッドは自分から名乗ったが、お馴染みの警戒心と嫌そうな視線を浴びせている。これも見慣れたが、ジェフリーはかまわず畳みかけた。
「事情があって、滞在中は一緒に行動することになった。そう言わないで仲良くしてやってほしい。できないなら、せめて喧嘩をしないでくれ」
かなり厳しい条件だ。
ジェフリーでも、キッドとはいまだに仲良くできていない。というか、一生できない気がする。
サキはこういう人もいるのだと割り切ったのか、含み笑いをした。
「僕は仲良くなれそうな気がします。よろしくお願いしますね」
「あ、あたしの機嫌を取ろうと思ってもダメだからね!」
キッドは腕を組み、そっぽを向いた。ジェフリーを蔑んでいた態度とは違う。もしかしたら、仲良くなるのが早いかもしれない。
ミティアはジェフリーの腰に剣が下がっているのが気になり質問をした。
「危ない場所にでも行くんですか?」
街中で武器を持って歩くのは目立つ。特にジェフリーの剣は大きい。どこへ行くつもりだろうかとミティアは疑問に思った。
ジェフリーはサキを横目にし、答えた。
「念のため持っているだけだから、使うとは限らない。目立たないように、道の案内はこいつにしてもらうから大丈夫だろう」
サキは軽く頷き、自信に満ちた笑みを浮かべた。
これからの話になって、ミティアは頷いて笑顔を見せる。
「わたしたちも先生が変装したら、街に出てみます。軽くお買い物に行ったのですが、この街はお店がたくさんあっていいですね」
「のんきなこと言ってるけど、全部ミティアのためなんだぞ」
「そ、そうですよね。そうでした……」
ジェフリーに指摘を受け、ミティアは気を引き締めた顔になった。それでも可愛さが勝る。
「だいたいの話は兄貴にしてある。質問があったら兄貴に聞いてくれ。夜には戻る。そっちも気をつけろよ?」
挨拶を終えてジェフリーはサキと出発した。
気を遣うのをやめると言ってから、話しやすくなった。どうせこれも、時間の問題。せめて仲良くとまでいかなくても、いい思い出の一ページになればと思っていた。
メインストリートや大きな道を避けて進む。サキはこの街で育ったのだから、当然詳しい。
「で、この先のワッフル屋さんを……」
サキの案内はわかりやすかった。ジェフリーの頭の中の地図は古く、あらためて知る部分も多い。
ふと、ジェフリーはワッフル屋さんの前で足を止めて、サキを引き止めた。
カラフルなビニールの屋根、大きくはないが上半身分だけ見える屋台のような簡単な造り。可愛らしいエプロンの女性が買うのかとこちらの様子をうかがっていた。
「あー……その、何だ。腹は減ってないか?」
ジェフリーなりの気遣いだった。サキの体は細く、栄養失調の診断も聞いた。急な思いつきだが、少しは食べさせたい。
「普段からあまり食べないので、特に空腹は感じません」
「食えないものはあるか?」
「いえ、特にはないですが……って、あの、ジェフリーさん?」
「俺が食いたい」
ジェフリーは一番大きいものを二つ注文し、一つをサキに手渡した……いや、押しつけた。
大判のワッフルに、クリームとカスタード、イチゴやバナナなどのフルーツがサンドされている。可愛らしいピンクのチェック柄の包み紙からはみ出していた。少しでも食べさせたい気持ちだったが、これはやりすぎたかもしれないとジェフリーは後悔した。両手で持ってもこぼれてしまいそうだ。
「えっ、こんなに食べられない……」
「いいから、少しでも食え。残ったらもらうから!」
ジェフリーは見せつけるように、歩きながら頬張っていた。この甘いものがぎゅっと口の中に入ると、バニラの香りがするやわらかい生地、クリームの甘みとフルーツの酸味が一気に押し寄せる。あまりに多くの味覚に、寿命が一気に縮まりそうだ。
いくらジェフリーがおいしそうに食べていても、サキの気は進まないようだ。持ったまま立ち止まっている。
「やっぱり嫌いだったか?」
「いえ、そうではないです」
ジェフリーは足を戻し、サキと向かい合った。
「このワッフル屋さんって、十年前は噴水広場にあったよな」
話の流れが変わって、サキは顔を上げた。
「十年前……そうですよ。僕も昔、お姉さんとよく食べたんだと思います」
「俺もよく食べた。死んだ彼女と……」
静かな風が吹き抜ける。察したのか、サキが一口含んだ。
ジェフリーもサキが『お姉さん』と言ったのを聞き逃さなかった。
「口が滑った、気にしないでくれ」
「ここにも、『あの』理不尽を味わった人がいたんだなぁって……むぐっ……」
まただ。『フィラノスで十年前』と口にすると、決まってこの話の流れになる。魔導士狩りを理不尽と簡単に言うが、実際その場にいた者は『日常』を壊された。
思い出そうとすると、吐き気がする。サキも当事者だったことがうかがえた。この街にいる限り、この話題から避けるのは難しい。
感傷に浸るのもほどほどに、ジェフリーは話を切り替えようとした。
「食いながら話すのはよくないぞ」
「歩きながら食べるのもよくないです」
悪い話を続けない点は気が合った。二人はお互いを馬鹿にするように笑う。
「じゃあ両方するか」
「賛成です!」
道を歩きながら、並んで頬張り世間話をする。
サキは友だちがいないと言っていたが、こんなに人懐っこいし愛嬌がある。
ジェフリーは心にわだかまりを感じていた。『期限つき』の友だちで、そのあとは他人として済ませる。あまりに非情すぎるのではないか。もしかしたら、これがサキの師匠であるアイラの策なのかもしれないと考えた。
友だちがいないのはジェフリーも一緒だ。ミティアとキッドに同行しなかったら、話し相手は兄の竜次だけ。期限つきの同行者、護衛。そんなものは本当に建前でしかないのかもしれない。
ぬるま湯に浸かったような日常が一転して、慌ただしいとは思った。ただ、日常から抜け出すきっかけがほしかった。変わりたかった。それだけなのに、どうしてこんなにも得るものが多いのだろうか。ジェフリーの中で、いつまでも雑念が燻ぶったままでいた。
魔法学校の前に到着した。寮も完備されている大きな建物だ。灰色の外壁には装飾が施され、鐘のついた時計台も見える。手前には幅の広い立派な階段が延びていた。
魔法都市という名前のせいで、城よりも存在感があるかもしれない。
「少し休みますか?」
サキがジェフリーを気遣った。そのジェフリーは苦しそうに胸を押さえている。
「すみません、半分しか食べられなくて……」
サキの案内もあって、ここまで来るのは問題なかった。誤算だったのは、途中で買ったワッフルを食べすぎて苦しいこと。だが、この地下への階段を見てジェフリーは安心した。案内板には『地下三階・大図書館』とある。
「立派な階段で助かった。腹ごなしにもなる」
二人は階段を下り、中へ入った。受付で司書を呼び、入館手続きをする。サキは懐中時計を提示しようとしたが、顔を見るなりどうぞと通された。
「顔パスかよ……」
「優秀なので……と言いたいですが、チェックが甘かったですね。明日は王都祭なので、出し物の準備で忙しいのかもしれません」
司書が忙しそうに奥の部屋へ下がった。特に記帳もなく、手続きが雑だった。だが、気になったのは一瞬だけだった。館内は人がほとんどおらず、とても静かだ。図書館なのだから静かで当然かもしれないが、噂にあったお化けや魔人とは無縁ではないだろうか。ジェフリーは疑った。
壁や本棚の側面など、あらゆる場所に火気厳禁、水魔法禁止、雷魔法禁止と大きく書かれた張り紙がされてある。本にとってはよくないものばかりだ。こんな張り紙があるのが、魔法都市らしい。
「そもそも大図書館は、どうして一部の頭がいい奴しか入れないんだ?」
ジェフリーは天井まで届きそうな本棚を見上げ、小声で話しかけた。サキも小声で答える。
「大図書館に入れる権利を持つのは成績が優秀な人のほかに、全国の学校教師や一部の学校関係者もそうです。あとは、お城……国の偉い人も対象です。どうしても利用したいのでしたら、担当の先生や教授に許可をもらうか、よほどの理由を提示すれば許可がもらえます。なぜかは詳しくは知りませんが、荒らされないためでしょうか?」
サキは顎に手を添えて息をついた。彼は出入りが自由なので、深く考えたことがないようだ。
「もし、ほかに理由があるとしたら……一般の人には知られたくない情報や本があるとか?」
サキの考えはなかなか鋭い。それが正解なのか、ジェフリーにはこの時点ではわからなかった。
奥まで来て、利用者がいなくなった。二人は大きな扉の前で立ち止まる。
「この先の階段を上がった地下二階が、重要書物のある場所です。ところで、ジェフリーさんは何について調べたいのですか?」
ついにサキからこの質問をされてしまった。ここまで来たのなら、もう話してしまっていいだろう。ジェフリーは周囲に人がいないか、確認してから質問に答えた。
「お前って優秀なんだろ? 治癒魔法って知ってるか?」
「治癒魔法? クレリックや魔法使いが習う、捻挫や軽い傷を治す魔法ですか?」
「もっと、死にかけの人間が治せる感じの……」
「千切れちゃった手とか足をくっつける魔法ならありませんよ?」
サキは眉をひそめた。ジェフリーが求める情報も、質問の意図もわからないからだ。だが、心当たりがまったくないというわけではない様子だ。
「もしかして、ジェフリーさんが知りたいのは、神族が使う『禁忌の魔法』ですか?」
ここでジェフリーは反応がしづらくなった。知らない言葉だからだ。察したサキは、少し考えてから口を開いた。
「僕からもう一つ、質問をしてもいいですか?」
ジェフリーはもう一度、周囲に人がいないのを確認し、深く頷いた。
「ご一緒の誰か、神族の生き残りか、それとも末裔ですか?」
これも答えられない。しまいにはサキが困った顔をしてしまった。
「うーん……だったら、どこから話をしたらいいかなぁ」
まだ何も調べていない。だが、サキが持つ知識と情報量は、明らかに違っていた。
「それじゃあ、『種族戦争』と人食いの黒い龍、『邪神龍』の話でもしますか?」
「黒い龍って……この前、東の村と街を襲った黒い龍のことか?」
ここでジェフリーが話に食らいついた。
「最近、話題ですね。偶然居合わせたギルドの人が流していた情報なので、僕は信用していません。人を食べる龍なんて、伝承の『邪神龍』に似せた虚偽(きょぎ)……嘘だと思っていますので」
サキはくだらないと言わんばかりに、鼻で笑った。これを聞いたジェフリーは声を低くし、脅すように危機感を持って言う。
「それが、嘘じゃないとしたらどうする?」
「えっ?」
「目の前で食った人間を吐き出すまで見たが……」
重苦しい空気にサキは黙り込んだ。彼と言い争いがしたいわけではない。だが、刺激が強すぎたかもしれない。それでもジェフリーは嘘ではないと訴えた。
「俺と、兄貴と……あの二人も居合わせた。疑うなら聞いてくれてかまわない」
「信じ……られないです。でも、ジェフリーさんが嘘を言っているとは思いません」
「この街に来たのは、情報を集めている。あいつは……ミティアは強い治癒魔法みたいなものが使えるらしい。どんな些細なことでもいい。その魔法の正体につながる情報がほしいんだ。でないと……」
銀髪黒マントの男に、連れて行かれてしまう。ジェフリーは言葉を選んだ。
「素性の知れない奴に連れて行かれる。そうなるとたぶん、もう二度と会えない……」
だいぶぼかして続きを言った。だが、おそらくこのままだと現実になる。
この街で宿を取っている。利用の制限がある大図書館でどうしても得たい情報がある。複雑な事情があって旅をしているのだろう。細かいことはさておき、今は協力しようとサキは思った。
「それは、よくないですね……と、言うか、あの美人さんかぁ」
サキは火のついた目をしていた。ここで協力をすれば、自分と運命的な出会いをしたミティアとお近づきになれる。いいところを見せようと、背伸びをしたくなる子どものような思考が働いていた。
「じゃあ、この先に寄贈されている、僕が書いた卒業論文を差し上げます」
「そ、卒業論文?」
大図書館に来たのに、論文の話だ。ジェフリーには話の意図がわからなかった。だが、サキは大真面目に答えた。
「僕の卒業論文は、その種族戦争と神族の話を少しと、禁忌の魔法について触れています。ほしい情報がゼロではないと思いますが、どうですか?」
「寄贈って……それは持って帰っても大丈夫なのか?」
「大図書館の本は貸し出しが禁止されています。本に対する管理は厳しいですが、紙に書いた論文はどうかなぁ」
サキは無邪気な笑顔を見せた。融通が利くし、賢さから話がわかる。
「お前、ずる賢いとも言われないか?」
「ふふっ、論文は第二候補として、禁忌の魔法についての重要書物を探しましょう」
お互い理由をはっきりさせ、納得した。気を取り直して、サキが扉を開けようとする。ところが、押しても引いても開かない。鍵穴はないから、どちらかで開くはずだ。
「動かないぞ?」
ジェフリーが代わってみるが、いくら体重を乗せても動かない。固く閉ざされた扉だ。
「ちょっといいですか?」
サキが前に出た。扉に向かって、長々しい小言を呟いている。これは魔法の詠唱だ。難しい魔法なのか、言葉を詰まらせながら精神を集中させている。一分ほど唱えて、顔を上げて小さく息を吸った。
「ディスペル!」
大きな扉がほんのりと光って『カチッ』と音がした。直後、扉がわずかに開いた。
「はぁ? 鍵穴なんてなかったぞ」
ジェフリーが驚きの声を上げる。いったい何を施したのか、サキは詳しく解説をした。
「扉に魔法がかかっていました。入ってほしくない意図的なロックサインですね。解除したので、もう大丈夫です」
息をのんだ。静かな空気に緊張感が増す。つまりこの状況は、何者かが二人を阻もうとしていると見ていい。
「この奥に誰かいるか、もしくは本当にお化けの仕業ですかね」
「そうだったら、俺たちで何とかするしかない」
二人は階段部屋に入ってから扉を閉めた。これなら大きな音や声を上げても、多少は防げそうだ。利用者は少なかったが、念のため注意した。
ジェフリーは剣を持っているが、サキの実力が気になった。
「お前がさっきやったのは魔法……だよな?」
サキが電気のスイッチを入れた。明るくなって階段が見える。目が慣れて、視界が明瞭になってからサキは答えた。
「そうですよ。よくないものを解除する魔法です。術主よりこちらの魔力が高くないと解けませんから、力比べとも言います。でも僕は優秀なので」
さりげなく鼻につく自慢をする。確かにサキは優秀だ。ジェフリーは自分にはないものを持っていると思った。
「普通はぶっ壊すか、諦めるだろ。素直にすごいと思った」
「ふっふーん、もっと褒めてもいいんですよ!! 炎で燃やしたり、風で吹き飛ばしたり、それだけが魔法じゃないです」
このキャッチフレーズのような言い回しにも慣れてしまった。普通は嫌がるかもしれないが、ジェフリーにとっては面白い言葉だ。サキは褒めると子犬のように輝いた目をするし、本当に憎めない。
ジェフリーとサキは長い折り返し階段を上がりきった。だが、今度は真っ暗だ。
「あれ、スイッチ……どこかな?」
サキが電気を探しに離れた、暗い中では空気だけが頼りだ。
目を凝らせば何となくはわかるかもしれない程度の明かりが、非常口にある小さい明かりだ。これだけでは暗闇の緞帳を打ち破れない。
ジェフリーの短い髪を風が撫でた。この場に人の気配を感じる。視界の悪い中で微かな呼吸音を耳にし、ジェフリーは剣を抜いた。
「そこだな!」
とりあえずのけん制になるだろうと振ったが、激しい金属音が響く。軋む音と重みは、受け止められたのだ。
「な、何の音ですか、ジェフリーさん?」
想定外の場所からサキの声がする。
「気をつけろ! 『誰か』いるぞ!!」
「えっ、そんな、わあぁぁぁぁ!!」
サキは情けない叫び声を上げた。その直後、バタバタと大きく派手な音がした。転んだのかもしれない。つばぜり合いの最中、ジェフリーは苛立ちを見せた。
「誰なんだ!?」
ジェフリーが剣に力を加え、圧倒しようとする。だが、そこからもう一打、上から力が加わって剣が払われた。光る戦術、見えないのが悔しい。
相手はやりすごして逃げようとしている。ジェフリーの真横を人影が通過し、風が髪を乱した。風に混じって煙たい臭いがわずかに感じられた。これはどこかで嗅いだ記憶がある。
影は二人が来た道へ向かったようだ。服の擦れた音と気配が遠ざかる。
「待てっ!!」
「うぅっ、ジェフリーさん、助けて!」
ジェフリーは気配を追うとしたが、足を止めた。この暗闇でサキを放置するのは危険すぎる。
「くそっ……どこだ?」
「こ、こっちです……」
ジェフリーが声に向かおうとするが、暗闇の中で顔面をぶつけた。あまりに堅く、鼻が潰れたかと思ったくらいだ。
「ってぇ……何か、明かりはないのか?」
「明かり、そうだ!」
サキは詠唱をしていた。今度はものの数秒で放たれた。
「フェアリーライト」
くるくると螺旋を描きながら、サキの周りを小さく心許ない光が舞う。こんなに便利な魔法があるのなら、もっと早く使ってもらいたかった。そう思ったが、ジェフリー自身は魔法をほとんど覚えていない。ここは不満を言わずにサキを助ける。
サキの足元には大量の本が散らばっていた。これで転んだようだ。
「大丈夫か?」
ジェフリーが手を貸すと、サキは躊躇せずに手を取った。そしてジェフリーが持っていた立派な剣に気がついた。
「すみません、見えなくて。何かあったんですか?」
剣先には、ほんのわずかだが、血が滲んでいる。
「誰かがいたらしい……暗くてほとんど見えなかったが」
「えっ、まだいますか?」
二人は階段を確認するが誰もいない。見事に逃げられた。
ジェフリーは深いため息をついて振り返った。
「たぶんもういないと思う。けど、『あれ』を見た方がいいな」
サキはジェフリーの目線の先が気になり、振り返った。本棚がドミノ倒しになって進路を塞いでいる。棚から本がこぼれ落ち、床に散らばっていた。
先ほど暗闇の中でぶつかったのは本棚だ。ジェフリーは鼻を押さえながら、恨めしそうに見ていた。
サキは目の前の光景に取り乱した。
「えっ、これって噂のままじゃないですか」
「噂は人が流すものだろう? これは目の前で起きている事実だ。誰かがやった……」
「誰かが……」
ジェフリーに説かれ、サキは絶句した。
ここまで露骨だと、誰かがわざと邪魔をしているとしか思えない。サキはやっと現実に向き合い、受け入れようとする。
「じゃあ、お化けや魔人も……?」
ジェフリーは剣を鞘に収めながら意を決した。遮られている意味、それはここに求めている情報があるに違いない。誰かが自分たちの動きを知っている。気に食わないが、その懐に飛び込んでやろうと思った。
「決めた。何が何でも手ぶらでは帰らない」
ジェフリーは先立って質問をする。
「重要書物はこの先にあるのか?」
「そ、そうです。ショーケースみたいな本棚があったかと。僕の論文もそこにあると思います」
サキが言い終える前に、ジェフリーはガラも悪く、散らばって山になっていた本を蹴飛ばしていた。
「あの、一応重要な書物がある部屋なんですけど……」
「よく見ろ。これが本と言えるか?」
ジェフリーに言われ、サキは蹴飛ばされた本を見て驚いている。
「えっ、白紙……? これも、えっ?」
手頃な大きさの本を手に取ってみるも、ページが真っ白だ。
「ま、まさか……もしかして」
サキが本を戻し、声を震わせる。
「お化けって、魔人って、召喚術……」
「召喚術?」
ジェフリーはサキの話を気にしながら、倒れた本棚に剣の鞘を引っかけ、動かして通り道を作っていた。山道ではほとんど発揮できなかったが、実は彼、ある程度サバイバル慣れをしている。だが、いくら道を開こうとしても暗さはどうにもならない。
「すまない、俺にもその明かりをくれると助かる」
ジェフリーに頼まれ、サキはフェアリーライトをもう一つ放った。心許ない明かりだが、二つあると安心する。
サキは心当たりを話し始めた。
「召喚術と言っても種類はたくさんあります。確実にはわかりませんが、本の文字を少しずつ食べる下級の悪魔がいたかも?」
ジェフリーはため息をつきながら、今度は本棚を蹴飛ばした。道を確保しながら質問をする。
「いつからなんだ、その噂って」
「もう一週間くらいですね。王都祭が近いので学校も忙しいでしょうし、噂なんて気にしていられないかと」
サキも本を跨ぎながら答えている。ジェフリーの質問は続いた。
「文字を食べるって、一日でだいたいどれくらいだ?」
「術主の魔力にもよりますが、本棚三つから五つくらいだと思います」
ジェフリーが部屋の壁際に立って、ざっと一列数える。一部はドミノ倒しになっているので誤差もあるだろうが、広さを考えて指を折る。
「半分以上はやられているな。けど、まだ残っているかもしれない。止めないと!」
「えっ、まさかジェフリーさん、戦うつもりですか!? 危険です!!」
「手ぶらで帰らないって言っただろ。嫌ならここから先は一人で行く」
ジェフリーが力強く言い、先に進もうとする。サキはジェフリーの服の裾を摘まんだ。
「止めても無駄だぞ」
「止めません! 僕も行きます!!」
サキは震えていた。この震えは、武者震いのようだ。細い腕にしては、やけに力強いとジェフリーは思った。これでは逆に、帰れとも言いにくい。
「友だちだからか?」
意地悪な質問だと、ジェフリーは自覚していた。この質問に、サキは首を激しく横に振って答えた。
「もう期限つきの友だちって言うくらいなら、今は仲間でいいです! 華もなくて、むさ苦しいと思いますけど!!」
サキは不満いっぱいの表情だが、言葉は開き直りにも思える。聞いたジェフリーは大笑いした。
「ぷっ、ははっ……期限つき? 本当にそれでいいのか?」
「えっ? だってそうじゃ……?」
「俺はお前のこと、結構気に入ってるけど?」
ジェフリーは笑いながら言い、遮っている本棚をよじ登った。小柄なサキが登るには厳しいかもしれない。
サキは言われて動揺しながら周囲を見た。面積の広い本を数冊詰んで踏み台にした。残っている棚を頼りに、頑張ってよじ登っている。
「賢いところとか、こういう根性あるところとかな? ほら……」
半ばまで自力で上がって来たので、ジェフリーは手を差し伸べた。サキは、この手を取って微苦笑した。
「言ってくれますね。僕を高く評価したこと、絶対に後悔させませんからっ!!」
育ての親があのアイラだったから、この根性なのかもしれない。登り終えると座って息を整えた。
ドミノ倒しになって遮っていた本棚はこれで最後だ。この先は荒らされていないし、壁が見える。しかし、本が白紙なら、この先に希望は薄い。フィラノスだけでは済まないだろう。そんな予感を抱きつつ、ジェフリーはこんな話を持ちかけた。
「お前がすごいのはわかった。だからあえて言う。その知識で俺たちをこれからも助けてはくれないか?」
呼吸を整えていたサキが顔を上げた。『これからも』と言われ、心に響いたようだ。
「えっ、それってつまり……」
――本当の友だちになってくれるのだろうか。
サキが返事をする前に、近くの本棚からバラバラと本が落ちた。音のした本棚から、隠れてこちらの様子をうかがう小さい影が見える。
先にジェフリーが立ち上がった。
「これで死なずに済んだら、返事をもらうからな!」
ジェフリーはすぐに向かいの本棚に足を引っかけ、一気に飛び降りた。この精神と行動には、サキも触発される。
「僕だって……ただ、ここに来たわけじゃないです! 役に立ってみせる!!」
意気込んだが、サキが飛び降りるのは困難な高さだった。一番上の段の本をすべて落として山を作り、その落とした棚に手と足を引っかけて、本の山に着地した。
「ジェフリーさんは運動神経がいいので、ついて行くのが大変です」
サキは着地してから小言を口にしている。だが、自分なりにどうにかしようとする意志は、高く評価したい。ジェフリーはサキを見える範囲に確認しながら思った。
「さぁ、どこに行った……」
二人は感覚を研ぎ澄ます。わずかな空気の流れも今は読まなくては。
「僕に考えがあります。ちょっといいですか?」
サキがジェフリーのうしろから声をかけた。ポーチから、赤い魔石を取り出している。いくつか手に持って、フェアリーライトの光に反射させた。あたりを赤く光らせている。わざと見せているようだ。
サササッと引きずるような音を耳にした。サキの行動にジェフリーは驚いた。
「お前、本当にすごいな!」
「もっと褒めてもいいんですよっと……」
二人して音を追った。
「本の悪魔さんなら、火の魔法は嫌いですよね。ここでは使いませんけど」
サキは魔石をポーチにしまって、入れ違いに少し大きいガラス玉を取り出した。手慣れた様子で上に弾く。すると、ガラス玉が羽根をあしらった金属の杖に変化し、両手で受け止められた。
どうしても、見慣れないものに興味を引かれる。ジェフリーは呆気にとられた。
「何だ、そのハイテクな武器……」
「ジェフリーさん、前見ましょ、前……」
サキが持っている杖は就学中に支給される魔力媒体だ。本来、ジェフリーも知っていそうなものだが、真面目に行っていたのかも怪しい彼は覚えていない。
床を這うのはコウモリのような翼の生えた悪魔だ。大きさは子どもほどだが、動きが早い。ようやく心許ない光が姿を捉えたが、全身紫色をしており、黄色い目が不気味だ。にやにやと笑う口からは牙が見えた。鋭い爪のある手には、お食事中の本が見える。ぼんやりと光りながら、次々とページを白紙にしていた。
「そんなに強そうじゃなくて安心した」
ジェフリーは剣を抜いて一気に間合いを詰めた。振り下ろされた剣は、本の悪魔を一刀両断した。本の悪魔が持っていた本がぱたりと床に落ちた。開かれたページは半分ほど文字が残っている。
「終わりか……?」
普通なら撃破したと考える。だが、断末魔もなければ、周囲に変化も見られない。思考を巡らせていると、またもサササッと音がした。素早いのなら、大振りの剣をかわすなどたやすいだろう。
「どうする?」
「仕留めないと。方法は……一応ありますが」
サキは杖を握りしめた。考えがあるのか、短く詠唱した。
「この光を追ってください、サーチ!」
床にフェアリーライトよりも弱いが、蛇のような光が放たれた。そのまま光は本棚へ走る。どうやら対象物を追うマーキングの魔法らしい。サキが本棚の上を指さした。
「いた! あんなところ!!」
本の悪魔は、倒れていない立派な本棚の上に座って別の本を開いている。そう簡単に届く高さではないのがもどかしい。この様子にジェフリーは苛立った。
「くそっ、何とかならないか?」
「これ以上は無理です。僕が今、いくつ魔法を使っているか数えてみてくださいよ」
フェアリーライト二人分、今はサーチの魔法を放っている。ジェフリーは、やっとサキの負担に気がつけた。
「あぁー……スペルコストオーバーか……」
実は魔法をいくつも放てる時点ですごい。普通の人間が、メモを取らずにおつかいを頼まれても、覚えているのはせいぜい三個、いいところ五個くらいだ。ましてや、難しい商品名や店の指定、予算を言われたらもっと覚えられない。
魔法を使うのも似た感覚だ。個人差はあるが、所詮は人間。欲張れば、頭がパンクして体に負担が生じる。
頭がよければ、もっと欲張れるが、魔法に対する詠唱はもちろん覚えていないといけない。そして、自分の負担できる範囲を計算しながらでないと戦場では立ち回りが難しい。こんなことは、平和に暮らしていたらまず気にしない。
状況を把握したジェフリーが、白紙になってしまった本を握った。
「せいっ!!」
苛立ちから、本を悪魔に向かって投げた。よくある投てきだ。
見事命中したが、お食事中の本を弾いただけだった。てっきり消えて違うところに逃げるのかと思ったが、様子が違う。ジェフリーを睨み、震えながら威嚇を始めた。
「は? どうしてだ?」
「本の悪魔に本を投げつけるなんて怒るに決まっています!!」
本の悪魔は『シャーッ!!』と牙を見せて鳴く。すると、威圧感とともに部屋に魔力が満ちた。何か仕掛けて来るに違いない。この状況に、サキはジェフリーを罵った。
「ちょっと、どうするんですか!? あの悪魔、本当に怒ってますよ!」
床がぼんやりと光った。本棚がいくつかガタガタと音を立てて揺れ動く。怪奇現象、ポルターガイストだ。今度はお化けが出て来るのだろうかと二人は身構える。
「非現実もいい加減にしてくれ!! これは現実なんだぞ。死んだら終わりなんだからなっ!!」
「あぁぁぁ……もう、ジェフリーさんのせいだ!!」
本棚が二人めがけて豪速で迫った。何が怖いかというと、倒れて迫って来るのではなく、本がぎっしりと詰まった状態の本棚が真正面の姿で迫って来るのだ。これがぶつかれば、鼻が潰れたでは済まされない。
「サキ、こっちだ!!」
ジェフリーがサキの手を強く引いた。これにより、一つは回避した。だが、利用者へ向けた設備……革製の椅子や飾りのついたテーブルがバキバキと派手な音を立て、無残にも押し潰された。ここは名門フィラノス魔法学校の大図書館だ。さぞ、高価な設備だろう。
休む暇もなく、次の本棚が迫っていた。連続攻撃など、切り替えと対処に困る。ジェフリーは剣を構えながら焦っていた。
「さすがにこれはぶった斬れないぞ……」
「ちょっと暗くなります!!」
サキはとっさにジェフリーのフェアリーライトと、本の悪魔にかけているサーチを解除した。短い詠唱のあとに杖を横に振りかざす。
「ソニックブレイド!!」
放たれたのは真空の刃、風の魔法だ。サキがこの魔法を選んだのは、ここが火気厳禁だからだ。引火でもしたら燃焼が早く、本の悪魔の退治どころか、自分たちが焼け死ぬかもしれない。
この緊張の中で、よくも魔法を考える思考があったものだ。ジェフリーはサキの判断に驚いた。
真空の刃で本棚を斬り、減速停止させた。その振動で、本の悪魔が本棚から転げ落ちたのが見えた。これを好機と見て、サキが前に出る。
「ジェフリーさん、とどめを刺してくださいね!!」
さらに短い詠唱をして、杖を左右に振ってから前にも振った。
「サーチ! アイシクル!!」
小さい光が本の悪魔の位置を示した。時差で足止め効果のある、氷の魔法を放って動きを停止させた。
ジェフリーは今度こそ手応えのあるとどめを刺した。
本の悪魔は『キシェェェェェァァァァァァァ!!』と、長い断末魔を上げ、しゅうしゅうと煙を立てて消えた。深く考えていなかったが、物理攻撃が効く相手で助かった。
部屋に満ちていた魔力が消失し、空間が歪むように景色が変わった。残念ながら、残っているフェアリーライトのほんのりとした光では、部屋全体がどうなったのかは確認できない。
「えっ……?」
安心したのか、サキがぺたんと座り込んだ。
ジェフリーは剣を鞘に収め、率先して安全確認と探索を始める。壁に突起を見つけ、サキに声をかけた。
「何かあるんだが、明かりをくれないか?」
サキは新たに魔法を放つ気力がないようだ。自分のフェアリーライトを指で回転させて弾き、そのままジェフリーのそばへ泳がせた。
明りによってジェフリーはレバーの存在を確認した。上げてみると部屋全体が明るくなった。これはブレーカーだ。倒れた本棚や壊れたはずの椅子やテーブルがもとに戻っているのが見えた。
サキは座ったまま深く肩を落としていた。
「お、おい、大丈夫か?」
「夢ですか、これ……」
ジェフリーがしゃがんで顔を覗き込む。だが、サキはジェフリーではなく、部屋を見てぼんやりとしていた。
「俺はお前の凄腕っぷりを夢とは思っていないけどな……」
「褒められるのはうれしいですが、こういうのは慣れていないので疲れちゃったみたいです」
サキは残っているフェアリーライトを解除した。杖をガラス玉に戻し、ポーチに収める。息を吸って立ち上がり、探索に加わった。近い本棚から一冊取り出してみるが、いくらめくっても白紙だ。
「あぁ……やっぱりここまでは戻ってないんだ」
サキは落胆し、深くため息をついた。
ジェフリーはガラスのショーケースに入っている分厚い書物に目をやった。
「なぁ、これは何だ?」
「あっ、それは重要書物!」
サキは駆け寄ってケースを開けた。鍵がついていたが、簡単に開いた。中に入っていた分厚い書物を取り出し、開く。
「これです、禁忌の魔法についての記述が……」
めくってもめくっても白紙だ。
「うわぁ……」
サキはショーケースの前で、またもぺたんと座り込んだ。彼の手元の本を見て、ジェフリーも深くため息をついた。
「遅かったか……」
たまらない失意。そんな予感はしていたが、本当に何も残っていない。これでは何をしに来たのか、わからなくなってしまう。
座り込んで落胆したまま、視線をショーケースに戻したサキが何かに気がついた。
「あれ、これ……」
棚の下段にある本の上に何か突っ込まれている。クリップで綴じたレポートの束を摘み出した。
「んんっ……僕の、卒業論文?」
整った丁寧な文字で名前が書かれてあった。
ジェフリーが一緒になって覗き込んだ。数枚めくってみるが、消えた痕跡はない。
「何でこれは無事なんだ?」
「本じゃなくて、手書きのレポートだから、ですかね……」
ジェフリーがサキの肩をそっと叩いた。
「やったな、手ぶらじゃない!」
「そうですね!!」
お互いが笑い合った。これまでの苦労が報われた気がした。
「第二候補で申し訳ないですが……」
「そう言うな、感謝してる」
「えへへ……」
念のためほかの重要書物もめくってみたが、昔の地図や、秘宝・財宝の本は無事だった。ほしい情報に限ってやられているのが悔しい。
半分はやられている計算だったが、重要書物は先に手をつけたのだろう。文字を食べたいのなら、文字が詰まった重要書物を食べる。絵柄が多そうな本は後回しにする。
ものすごくお腹が減った状態で、先ほどのワッフルと、ワッフルと同じ大きさの綿菓子だったらどちらを食べたいか。極端かもしれないが、『食べる』とはそんなものかもしれない。自分が本の悪魔なら、きっとそうするとジェフリーは思った。
情報は持ち帰れそうだが、大図書館はこれから先どうなるのだろうか。ジェフリーは疑問を抱いた。
「これってもとに戻るのか? それとも、ずっと白紙なのか?」
ジェフリーの質問に、サキは淡々と答える。
「召喚された本の悪魔がゆっくり食べていたのです。だから、ゆっくり戻るんじゃないですかね……十日から半月くらいかな」
「とても待っていられないな」
本の悪魔は倒したのだから、今すぐもとに戻ってほしい。もっと戦略を練って、食べた文字を吐き出させればよかったのだろうか。いや、そんな余裕はなかった。何を思っても、あとの祭りだ。ジェフリーは切り替えるしかないと思った。
ここを出ようとジェフリーは提案した。サキは疲労から、頷くばかりで言葉が少ない。
部屋の入り口まで戻った。この先は階段だ。空気も違う。
「ジェフリーさん」
扉を開けて階段に差しかかる手前、サキはジェフリーを呼び止めた。
「どした?」
「さっきの返事、いいですか?」
頑張ってよじ登った本棚の上で話をした。サキは『死なずに済んだら返事をもらう』に、答えたいと意志を示した。
「旅をしているんですよね? 僕、これからも皆さんのお力になりたい。一緒に行きたいです。けど……」
行きたいと言いながら、どうも歯切れが悪い。何か、サキの中で不安でもあるのだろうか。ジェフリーは不安を取り除こうとした。
「あいつらだったら、俺が説得するけど」
「いえ、あっ、それもありますが……」
どうにも煮え切らない。サキの中で、何かが邪魔をしている。
「僕を『拾った親』の正体を知ったら……一緒にいられない気がします」
そんな予感はしていたが、やはりそうだった。飛びたい鳥に、足枷がついている状態にジェフリーは苛立った。
サキは怯えるように声を震わせた。
「どうせ、嫌われるなら話したくない。期限つきの友だちでもいいんです……」
ジェフリーは胸糞が悪かった。せっかくサキがここまで踏み出せたのに、この答えだ。
「その答えに後悔がないなら……」
サキは唇を噛みしめてさらに震えた。きっと話はここから進展しない。
気まずい空気だが、ジェフリーはここにいない『誰か』に倣ってまったく違う話を振ってみる。
「帰ったら、みんなで飯食うって言ってたな」
真剣な話をしていたのに、不意打ちを食らったサキはきょとんとする。
本人から食らったら、こんなものでは済まない。小動物のような仕草が加わる。
「食って話して、よーく考えて決めろよ。最終的に決めるのはお前だ。俺はあくまで誘っただけだから、強引に付き合わせたりはしない」
いったん話を退いてみた。正確には、アイラのように突き放したのかもしれない。ジェフリーは自身を意地悪だと思った。サキの根性を試そうとしているのだ。
「わかりました!! 僕だって、諦めたくないです」
サキは大きく深く頷いた。情けない声をしていたが、力強さが蘇る。
司書は相変わらず忙しそうに作業に追われ、退館手続きも一瞬だった。
長く立派な階段を上がる。来るときは腹ごなしになっていいと思ったが、疲労で足は重い。
外は夕暮れ。長居をしてしまった。
もしかしたら、向こうも情報収集をしているかもしれない。二人は期待を胸に、繁華街へ向かった。どうせ宿への通り道だ。
王都祭の前日とあって街中は賑やかだ。噴水広場でこれから前夜祭をするらしく、呼びかけが回っている。その賑やかさに溶け込むわけでもなく、大きな建物の前で、ぼんやりと通行人を眺める赤毛の少女、ミティアを見つけた。
「どうした? 一人か?」
ジェフリーが駆け寄って声をかけた。はっとした彼女は、主人を待っていたような顔になる。
「あっ、ジェフリーさん、サキさんも!」
ミティアは「おかえりなさい」と言って笑った。彼女が笑うと場が一気に華やかになる。
挨拶だけしたその頃合いで、キッドと竜次が建物から出て来た。
「おや、おかえりなさい」
挨拶を交わしたのは竜次だ。伊達メガネと緑のベレー帽、シャツも着崩している。変装としての派手さはないが、顔がいい分、集中的に誤魔化せば確かに目立たない。ジェフリーがまじまじと見ながら言う。
「ふぅん、それだけでも雰囲気って変わるもんだな」
「でしょー? お二人には感謝しないと」
襟元が崩れているせいで、清楚さの欠けたお兄さんだ。伊達メガネが追い打ちをかけて胡散臭い。が、これはジェフリーも黙っている。つまらない喧嘩に発展するまでは学んだ。
「二人とも、こんな場所で何をしていたんだ?」
ジェフリーは質問をするが、竜次もキッドもこれに答えない。
質問に答えないだけではなく、キッドはサキを睨みつけていた。やけに険しい表情をしている。
「まぁ、よく平気ね。あんた……」
「はい?」
いきなりサキに突っかかった。刺々しい態度のキッドを遮るようにして、竜次が建物を振り返った。
「こんなところ、初めて利用しました」
横看板に『ギルド・情報屋』とあった。これにはジェフリーも、何をしていたのかを納得した。
「依頼を請けることや、詳しい情報を見るのは登録しないといけないみたいです。なので、本当に情報を見るだけでした」
サキは首を傾げた。キッドに睨まれたせいではないだろうが、表情が渋い。
「ここで飛び交う情報は大袈裟に盛られたものや、確証のないものだってあります。どうか、騙されないように気をつけてください」
「騙す……ですか」
サキはギルドにいい印象を抱いていないようだ。それを注意しただけだが、竜次は過敏な反応をし、鼻で笑った。
「……まぁいいです。今日は王都祭前日なので、これからどこも混み合いそうですね。早めのご飯にしませんか?」
竜次の顔から独特の笑顔が消えた。違和感を引きずりつつ、皆はこの提案に賛成した。
キッドも竜次もどこかよそよそしい。よそよそしいが、竜次はミティアに話題を振った。
「さぁて、ミティアさん、ご飯はどうしましょう? どんなところに行きたいですか?」
「わたし、みんなで一緒にご飯が食べたいです。だから、大きいお店がいいと思います」
どんな空気だろうとミティアは常に明るい。わざとなのか、狙っているのかはわからない。ときどき調子はずれなことを言うが、彼女の存在は間違いなく周りにとって救いだ。
もちろんジェフリーにとっても例外ではない。ミティアの発言や笑顔が、暗く冷たい空気を払うように思えた。
大きい席に魅力を感じて入ったが、大衆酒場のように賑やかな店だった。
「まぁ、もうここでいいか。念のため、兄貴は奥の席に座れよ」
「そうですね。街中を歩いて大丈夫だったので、平気だとは思いますけれど……」
竜次を壁際に押し込んで、男女列で向かい合って座った。
「お水、セルフかな? 僕、取ってきますね」
「あ、わたしも手伝います」
席の通路側にいたサキが離席して、ミティアも手伝いに出た。
「さて、ジェフ、ちょうどいいので軽く話しておきますね」
急に竜次が話を切り出した。わざと頃合いを見計らっていたようだ。
「揃ってからじゃなくていいのか?」
「あなたはサキ君がどんな子か、わかっていてお付き合いをしているのですか?」
疑問に思って質問をしたジェフリーをおかまいなしに、竜次は一方的に言い放った。
キッドもジェフリーの反応を見ている。睨みつけこそしないが、機嫌が悪そうだ。
「サキがどんな子って……?」
ジェフリーは眉間にしわを寄せ、さらに疑問に思う。その反応にキッドが言った。
「ま、あたしたちに迷惑をかけないなら、別にいいんだけど」
やや渋めの言葉だ。これでも彼女は、だいぶ抑えているのだろう。
「何か……あったんだな?」
ジェフリーは二人の態度を不審に思った。よそよそしい理由はサキにあるらしい。
「まぁいいです。ご飯くらいおいしく食べましょう」
二人が戻って来る手前で、竜次が話を伏せた。ちっともおいしく食べられる気がしない。これ以上空気を悪くしたくはないと、ジェフリーも黙っていることにした。
運ばれて来たのは大判のピザや、取り分けの利く大皿の料理ばかりだ。賑やかな食卓を囲む。
「むふっ……んんーっ、おいしいれすよぉ!!」
ミティアが牛肉のワイン煮を頬張ってもぐもぐさせている。両頬に手を添えて、幸せそうだ。
アルコール分が飛んでいるが、ワインの酸味が効いている。肉が柔らかくておいしい。
「まるでハムスターみたいだな……」
ジェフリーの小言にかまわず、ミティアは料理を皿に取って皆に配っている。
ミティアがあまりにおいしそうに食べるので、皆は遠慮がちになった。黙っていれば重苦しいものが彼女の存在に助けられ、場が明るくなる。
「サキさんも食べましょうよ。おいしいですよ!!」
ミティアは次々と取り分けて皿を配る。まだ湯気も立つおいしそうな料理が盛られているというのに、サキは食が進んでいない。
サキの様子を見て、ミティアとジェフリーは心配をした。
「……サキさん?」
「どした?」
サキは突然涙ぐみ、しゃくり上げて肩を揺らした。どこか具合でも悪いのかと皆は疑った。
サキは目を擦りながら、首を横に振って答えた。
「こんなに賑やかな食事、したことがなかったので……うれしくて、すみません」
「お前……」
ジェフリーは困惑した。だが、サキの境遇を考えると、その気持ちは安易に汲み取れる。彼はずっと友だちをほしがっていた。誰にも話せない、話したら嫌われてしまうと苦しんでいた。寂しかったのだろう。それが、この優しくてあたたかい人たちと、賑やかな食卓を囲むことで思いがあふれ出してしまった。
だが、もしかしたらここにいる全員が該当するかもしれない。
「そういえばジェフと同居していた半年、一緒にご飯を食べたことなんて、ほとんどなかったかも?」
「そんな気がする……」
兄弟は該当した。竜次は三日に一度しか帰って来なかった。それだけ仕事に追われていた。生活時間が合わない。一人用の借家だったのだから、ジェフリーも合わせないように意識していた点もある。
ミティアもキッドも、村で暮らしていたころを思い出していた。
「わたしも、兄さんと……キッドとは何回もあるけど。大勢はあんまりないかな」
「あたしも家族がバラバラになってから、こんな人数で食べたこと、なかったかも……」
――遠い記憶。家族で食卓を囲ったこともあったかもしれない。子どものころの記憶など、あいまいなものだ。大人になれば忘れてしまう。
感傷に浸るのもほどほどに、竜次が水の入ったグラスを弄(もてあそ)んだ。味の濃いものを口にしたので、お酒を欲していそうだが、今のところは自制している様子だ。
「はぁ……どうしようかな……」
竜次はため息交じりに言ってからキッドに視線をおくる。どうやら共有している情報がある様子だ。キッドもその話が切り出されないかと待っていた。
「ジェフって……こう、性格というか、雰囲気が変わりましたよね」
竜次が唐突に話を振った。ジェフリーはフォークを持つ手を止めて首を傾げ、顔もしかめた。自覚がないからだ。
ジェフリーの話題になり、ミティアが口を挟んだ。
「確かに、何かこう……話しやすくなった気がします!!」
なぜか彼女の目が輝いている。その無垢な瞳を直視するのがどうしても恥ずかしい。ジェフリーは照れで、全身がむず痒く思った。
その反応を見て、竜次が何とも遠回しな質問を追加する。しかも、名指しで。
「サキ君に質問です。あなたから見て、ジェフってどんな子ですか?」
一同が食事の手を止め、サキの言葉を待った。不思議と注目してしまう。
「ジェフリーさん……ですか?」
サキは隣のジェフリーを舐め回すように凝視すると、悩ましげに答えた。
「見た目は少し怖いです。でも、人を上辺だけで判断しない人だと思います。知り合ってそんなに経っていませんけど、人を引っ張れる力があります」
サキはにっこりと笑って付け加えた。
「とっても優しいです!! 僕は尊敬します」
直感だが、竜次はサキをテストしている。彼の答えは外見のほかに、ともに行動したことまで考慮されていた。ここまで言われると恥ずかしい。ジェフリーは水を含みながら顔を真っ赤にした。
「そうですよね!! サキさん、わかってます!」
ミティアは深く頷き、満面の笑みで同調している。これを見たジェフリーが水を噴き出しそうになり、堪えた。彼女からの不意打ちが調子を狂わせる。
「先生、もう判断材料はこれだけでいいじゃないですか」
「そうですねぇ……」
判断材料という言葉がキッドの口からこぼれた。
竜次とまた水面下で心理戦だろうか。ジェフリーもこれは気になった。
「キッドも兄貴も、さっきから何を言ってるんだ?」
意図がわからないのも困ったものだ。ジェフリーは眉をひそめ、何を企んでいるのかと警戒した。意外にも、そのヒントを出したのはキッドだった。
「友だちって、引き裂けるの?」
彼女の隣には友だち以上に親友のミティア。つまり、親友の隣で自信満々に話している。キッドは呆れながらジェフリーに言った。
「もう知り合いじゃなくて、友だちなんでしょ? さっきも言ったけど、あたしたちに迷惑をかけなかったら別にいいわよ?」
少し上から目線だったが、ジェフリーはようやく話の意図を理解した。
友だちについての基準は人それぞれだが、『知り合い』の域はとうに越えている。
いつも手厳しいキッドがこの態度だ。ジェフリーの勘違いかもしれないが、これは彼女にも認めてもらえるほど仲良く見えるのだろうか。案外そう思わせておきながら、『あたしたちに比べたらまだまだ』などと思っていそうだが。
一部始終を見て、ミティアは小さく両手を合わせた。そして、笑顔で言った。
「ケーキ、頼みますか!? サキさんの歓迎会ですよね!」
「はぁ!? えっ、ちょっ……」
とんだ不意打ちに、急な話の流れ。思わずジェフリーは席を立った。
「連れて行くって顔に書いてありましたよ?」
竜次がミティアにメニュー表を渡しながら笑顔を交わす。含みのある笑いには少し諦めの色も見える。
またも涙をこぼしながら肩を揺らすサキに、キッドは優しい言葉をかけた。
「悪いけど、さっきギルドで先生に聞いたわ。ひどい親らしいわね。どうやったら振り払えるのか、明日までに考えておきなさいよ?」
「な、何だよ、みんなしてグルか?」
ジェフリーは立ったまま三人を見る。ミティアだけは、その視線におかまいなしだ。彼女が夢中になっているページからはスイーツが見えた。
サキは涙ながらに口を尖らせ、恨めしそうにジェフリーを見上げた。
「ずるいです……こんなにいい人に囲まれているなんて」
『ずるい』は正しい表現なのだろうか。いや、サキは羨ましいのだろう。ここに悪い人などいない。ジェフリーもそれはわかっていて、長らく口にしなかった。
竜次は声を小さくしながら解決策を求めた。
「ですが、本当にローレンシア一家を振り払うのは難しいかもしれません。何かいい案はありませんか?」
ローレンシア一家という括りは独特だ。おそらくこの呼び方は、ギルドで何か出回っているのだろう。ジェフリーが真っ先に思い浮かんだのは、サキの師匠で育ての親であるアイラだった。サキが気にしている名前に関して、よくない話はあるらしい。だが、アイラだけは独立している。不自由なく堂々と出歩いていた。そういえば今日の夜に約束がある。
ジェフリーはサキに提案を持ちかけた。
「あとでお前のお師匠さんと約束があるんだ。何か手があるかもしれない。相談してみよう」
「でも、ジェフリーさん……」
「一緒に行きたいって言ってただろ?」
アイラと約束があるのは本当だ。交換条件で、ほしい情報をもらう。そのついでとはなるが、アイラを頼ればいい案をもらえるだろう。これでサキの足枷は解けるはずだ。ジェフリーは自分の中で計画を練っていた。
一番気になったのは、警戒心の強いキッドがやけにおとなしかったことだ。魔法使いを毛嫌いしていた彼女が、サキに気を遣って同情もしていた。口が悪いだけで根は優しいのかもしれない。
話がまとまったところで、竜次が再びため息をついた。
「しかし、困りましたね。ギルドに行っても、ミティアさんの不思議な力の手がかりはありませんでした」
「それだけど……」
ジェフリーが説明しようとして、サキを見やった。まだ涙ぐんでいたが一生懸命に拭い、話のバトンを受け取る。
「実は僕が寄贈した卒業論文が、ほしがっていた情報をかすめていると思って持ち帰りました」
三人の目の色が変わった。さすがのミティアもメニューを伏せて注目している。
竜次は小さく頷き感心していた。
「大図書館に行って、手ぶらで帰って来なかった……そうですね?」
残念な知らせもしないといけない。これはジェフリーから話した。
「大図書館にはもっと詳しい重要書物もあったんだが、誰かに荒らされていた」
「意図的に遮った跡がありました。本の悪魔が召喚されていて、書物の文字が食べられて消されていたのです。何とか倒せましたが、重要書物も白紙になっていました」
サキも説明しながら目元を整えていた。
「た、戦ったんですか!?」
ミティアが声を上げてからはっとして、口を押さえた。人が多く、賑やかな食事処である環境に救われた。
ジェフリーはサキに目をやって話し出した。
「こいつがいなかったら、俺は本棚にぺちゃんこにされていた」
「でも、とどめを刺してくれたのはジェフリーさんです」
「そうサポートを回してくれたのはお前だろ?」
「でも、僕だって助けてもらいました!!」
ジェフリーとサキだけで、褒め合いが始まってしまった。もう、このやり取りだけで親しい間柄だとうかがえる。
やりとりを見ていたキッドは気に食わない表情をしていた。だが、これも心の底から思っているわけではない。
「ものすごく仲良くなってるし、こう見てるとむかつくわね……」
キッドは呆れつつため息をついていた。人一倍警戒心が強いだけで、彼女の中にも優しさはある。
話の方向性が定まり、竜次がまとめようとする。
「さてと、宿に戻ったら作戦会議ですね。今後の計画を練っておきましょう。明日は王都祭なので、あまり派手に出歩かないようにしたいですね」
「今後……?」
ジェフリーは眉をひそめながら着席した。竜次は続けて話す。
「ほしい情報をこの街だけで全部得られるとは思っていませんでしたし。この状況から、今後があるってことでしょう? 私はギルドに行って決めましたよ? だって、収穫なしの手ぶらでしたから」
「もしかして兄貴……」
「さぁ、やりくりが大変ですね」
竜次は含みのある笑みを浮かべている。身につけている伊達眼鏡をクイッと上げる仕草が加わって胡散臭い。
旅路がフィラノスで終わらないのは、ジェフリーも薄々わかってはいた。不思議なことに、悪い気は一切しない。
「わかっていて、サキを招き入れた……のか?」
「じゃあ、ジェフにも聞きましょうか。サキ君はどんな子ですか?」
竜次はジェフリーにもテストをする質問をした。サキと視線が合う。異性でもないのに、恥ずかしい。
「こいつは……」
急に言われると、うまく言葉に表現できない。ゆえに、ジェフリーの口から出て来たのは単語ばかりだった。
「賢い、知識もあるし、根性もある、俺たちにはできない魔法を使う……」
ジェフリーは首を横に振った。こんなものでは済まないからだ。
「俺では思いつかない手段で、困難を乗り越えようとする」
今度はサキが頬を赤らめ、動揺しながら野菜スープをズルズルとすすっている。泣いたり笑ったりと忙しかったせいもあり、お馴染みの言い回しができないようだ。
竜次も称賛に加わった。
「厚かましくて申し訳ないのですが、私たちは魔法に長けていません。知識の街であるここで培(つちか)ったそのお力は借りたいと思います。根本的に頭のデキが違うと思いますから」
サキは激しく噎(む)せ返った。咳き込んで申し訳なさそうに上目遣いをしている。その様子を見ても、兄弟は話を続けた。
「私だけでは切り抜けられない強敵さん、そろそろ出て来るんじゃないですか?」
「あの銀髪の黒マントか……」
「それか、黒い龍……」
言ってから竜次は深いため息をつき、テーブルの空間に突っ伏した。そのまま天井に向かって右手を高く上げた。
「すみませーん、ウイスキーロックください!!」
竜次は店員を呼び、お酒を注文する。ミティアがちゃっかり便乗をしていた。注文するものは、もちろんケーキだ。
注文を終えてから、竜次はわざとらしい泣きまねをした。
「私、か弱いお医者さんですよ。強敵さんと戦いたくないです……」
竜次は自身をか弱いお医者さんだと主張した。まだ酒も入っていないというのに、泣き上戸のようだ。
キッドは激しく突っ込みを入れた。
「えええええ……先生、説得力なさすぎでしょ!!」
これがきっかけになり、緊張の糸が途切れたように皆が笑う。
今くらいは、こうして気にもせず、笑っていたい。つかの間の休息。縮まった心の距離による談笑。
この場にいる皆が、大きなものを背負っている。戻って話の整理をしたら、また気を引き締めないといけない。
変わりたいきっかけは大きな渦へ飛び込む形になった。
面倒だったはずが、途中から引き返せなくなっていた。
情報収集が終われば別れのはずが、惜しく感じていたのは否定できない。きっかけを望んでいたのはジェフリーだけではなかった。
この世に希望はなかった。でも、理不尽の先に希望はあった。
理不尽がきっかけで集まった仲間は、まだまだちぐはぐだが、満更でもない。
忘れていた。誰かと手を取り合って助け合うことを。
これから何を得て、何を失うのか。
もしかしたら何も失わない選択肢を選び、進むのかもしれない。
それがどんなに遠回りでも。
これ以上、何も失いたくない一心で。
ジェフリーは昼まで仮眠。
竜次は女性二人に変装道具のおつかいを頼んで眠りについた。土地勘のあるキッドが一緒だ。念のため地図も持たせている。明るいうちなら、安全だと判断した。
生活時間にずれが生じているが、それも今日だけだろう。
ジェフリーは昼前に目を覚ました。起きて身支度を整えていると頭が軽い。差し込む日向で、気持ちよさそうに寝ている竜次に髪を切られたのを思い出した。
いつもくせ毛をまとめるのが大変だったが、整えるのが楽になった。多少の寝癖を直せば気にしなくていい。初めて髪が短くなったことに感謝した。
金の懐中時計を手に、街中へ出る。気持ちよく晴れた空が広がっていた。今日はいいことがあるだろうか。
噴水広場に出て、街の活気を感じる。メインストリートなだけあって、人が多く賑やかだ。その中で行き交う人々をわざと避けるように、街灯に寄り掛かっている赤いローブに羽帽子のサキを発見した。
「よ、遅刻か……?」
ジェフリーが声をかけるも、うわの空だった。肩を叩こうとして、サキの顔色が悪いと気がついた。
「お前、どうしたんだ……?」
サキはようやくジェフリーに気がついた。最初は視線だけ、誰なのかと認識してやっとこちらを向いた。
「あ、髪型が違うので誰かわからなかったです。すみません、懐中時計が気になって眠れなかったので……」
直感だが後半は違うとジェフリーは思った。
サキは苦しそうな息を抑え込んでいた。まるで何かを我慢しているように見えたが、それも一瞬だ。気のせいだとジェフリーは見逃した。先に約束を果たそうと確認をする。
「ほら、探してたの、これだよな?」
ジェフリーはポケットの中から懐中時計を取り出して見せた。
サキは受け取ってから裏側を確認する。自分の名前が刻まれていたことに驚き、顔を上げた。
「こ、これをどこで!?」
「ぶつかった相手が腰に引っかけていたらしいぞ」
うれしそうな表情を見せたが、その表情が一瞬で消え失せる。
「あ、ありが……」
懐中時計が彼の手から滑り落ちて石畳を跳ねた。突然気を失ったようにサキの体が崩れ、ジェフリーが支える。
「お、おい、お前……!!」
受け止めて気がついた点がいくつもあった。サキの体は体重がかかっているはずなのに異様に軽い。体も細い。ふわっとした服の内側に見えた首が赤い。苦しそうに息をしている唇の内側から裂傷が見えた。
「具合でも悪いのか?」
サキはジェフリーの手を振りほどこうとする。
「誰にも……言わないでください……」
「はぁ!? お前、今倒れそうになっただろう!!」
不意に出てしまった大声。ジェフリーは周りを気にしたが、賑やかなので目立ってはいない。
サキはどうしても自力で立ちたいようだ。ジェフリーが懐中時計を拾って手に握らせる。探していた懐中時計が手元に戻り、安心したのか、サキの表情が明るくなった。
ジェフリーは気をよくした今が好機と見て、提案をした。
「『いい医者』がいる。診せに行こう」
お節介と知りながら、説得を試みる。サキはすぐに首を横に振った。そう簡単に甘えてはくれない。
「いいんです、本当に……」
「いいわけがあるか! お前、自分がどんな体をしているのか、わかっているだろ?」
もっと早く気がつけばよかったと、ジェフリーは後悔した。サキは女性の服を着ている。あの軽さでは、痩せて肩幅が合わないのだろう。身丈が合わない大きさの服を着ている。
ジェフリーは説得を繰り返すが、サキは首を縦には振らない。なかなか強情だ。
仕方がない。ジェフリーは奥の手を使うことにした。
「友だちを放ってはおけない」
嘘だ。厳密にはまだ『友だち』ではない。だが、その言葉でサキは渋々頷いた。
「本当は歩くのもつらいだろ? 肩でも貸すか?」
ジェフリーは心情を察して質問をする。サキは俯いたままだったが、意外にも素直に答えた。
「肩や背中は痛いので、あまり触れてほしくないです……」
自分の負い目には触れてほしくない、放っておいてほしい。なかなか素直になれない。そんな気持ちを汲み取るには十分だった。なぜなら、昨日の自分がそうだったからだ。誰かに言われたからではなく、自分の意思で歩み寄って理解者になりたかった。ジェフリーは逞しい背中を向けて言う。
「ほら、乗れよ。すぐそこだけど……」
サキは思わぬ手助けに躊躇躊躇しながら腕を伸ばし、逞しい背中に乗った。
「お前、やっぱり軽いな……」
ジェフリーが背負った体はミティアよりも軽い。彼女もかなり華奢ではあったが、それを凌ぐ軽さだ。
「その髪型、いいですね。賢く見えます」
「お前の方が賢いだろ?」
二人はお互いが見えていないのに、無邪気に笑った。
「ふふっ、もっと褒めてもいいんですよ……」
サキの気持ちが幾分か明るく持ち直せたならよかった。だが、これだけでは根本的な解決にはならない。彼の体調が心配だ。ジェフリーは足を速めた。
他人と距離を取り、深く入れ込まないように接するのに、なぜ人助けに力を入れてしまうのだろう。ジェフリーは、もしかしたら自分は人との付き合いが不器用なのかもしれないと思った。
ジェフリーはサキを宿に連れ帰った。部屋には買い物を終えて帰った女性二人と、寝起きで機嫌の悪い医者がいる。
「兄貴、医者の仕事を持って来た!」
竜次は頭を押さえながら、顔を歪めた。
「――頭に響く……帰って来るなり何ですか?」
ジェフリーは機嫌の悪そうな竜次にかまわず、サキを招き入れる。
サキはたちまち注目の的になった。
「あっ、昨日の!」
さっそくミティアが声を上げ、駆け寄って頭を下げる。
「昨日はすみませんでした。あと、ポプリも拾ってくれてありがとうございます!」
「すまないが、あとにしてもらっていいか……」
ジェフリーは会話を遮った。優先したいのは紹介ではない。
ミティアは首を傾げながら引き下がった。キッドも質問をした。
「つか、あんたその髪、どうしたの?」
「それもあとにしてくれ……」
ジェフリーは苦笑いで、キッドの質問も遮った。人数がいると、いちいち対応するのが面倒だ。機嫌を損ねない程度にあしらう。
寝起きで機嫌が悪い竜次が、ため息交じりにジェフリーに向き合った。
実はジェフリーが同居中、わざと生活時間をずらしていた理由はこれもある。同居中も竜次の寝起きに遭遇すると機嫌が悪く、いつもの温厚な彼とは比べものにならない。
「で、私に何です?」
面倒くさそうな悪態に、見かねたサキが帰ろうとする。
「僕、お邪魔してしまいましたね、やっぱりいいです」
「おい、ちょっと待て!」
せっかく連れて来たのに、帰らせるわけにはいかない。ジェフリーは引き止めた。
サキは足を止めると竜次に振り返り、鋭い視線を向ける。
「ジェフリーさん、『いい医者』って言っていたのになぁ……」
サキがわざとらしく残念がった。それを聞いた竜次は、苦笑いをしながらテーブルを叩いた。
「いいでしょう。お座りください」
初対面で、しかも子どもに馬鹿にされた。それなのに、竜次はどこかうれしそうだ。
サキはジェフリーをじっと見る。彼はこの短いやり取りで人間関係を把握して、そして一人で納得していた。
「お兄さんにしては、ハンサムな気がします。あまり似ていませんね……」
サキは初対面でも相手の心をつかむ素直な性格だ。頭の回転と鋭い観察力は、具合が悪くても健在らしい。ジェフリーはサキを敵に回したら怖いと思った。
竜次は着替えを始めた。弟のジェフリーが自分を『いい医者』として人に紹介し、連れて来るとは思ってもいなかった。それが、うれしかったようだ。
機嫌が悪かった竜次の豹変に一同は驚く。白衣に着替えながら鼻歌を口ずさんでいた。気味が悪いくらいだ。
「で、どうしましたか?」
着替えが終わって支度を整えたころには、竜次の不機嫌は消え去っていた。
竜次はサキの顔を覗き込んだ。訊ねても、サキは黙ったままだ。
「この指は、追えますか?」
あまりに黙ったままなので、勝手に診察を始めた。指を立てて左右に振っている。
「ちょっと鈍いかな? じゃあ、お口、あーんはいいですか?」
白衣の胸ポケットからペンライトを取り出したが、サキは首を振って嫌がっていた。
「イヤイヤですか……じゃあ、脱いで心音でも聞きますか?」
今度は、首に引っかけていた銀の聴診器を手に持った時点で嫌がった。
「そんなにイヤイヤだと、診察になりませんねぇ……」
ただの拒否ではなさそうだ。だが、せっかく連れて来たのにこの調子では、ジェフリーも注意したくなる。
「せっかくなんだぞ?」
「だって……」
サキはおどおどとしながら、背後を気にしている。彼の視線の先には、興味津々な女性二人。
なるほど、異性の目を気にしているらしい。ジェフリーが目と口で訴えた。
「兄貴……」
竜次もこの目配せに気がついた。
「あぁ……ごめんなさい、お二人は席を外していただけますか?」
竜次も診察がしたい。彼の言葉にミティアが即、残念がった。
「もっとかっこいい先生が見たかったなぁ」
「ミティアったら、気持ちはわかるけど外に行きましょ? 邪魔しちゃ悪いわ」
キッドの聞き分けがよくて助かった。彼女はミティアを連れて部屋の外へ出た。部屋の戸が閉まる。華やかさと賑やかさが失われ、緊張した空気になった。
サキが覚悟を決めようとする。だが、その表情は諦めに近く、涙目だった。
「どうせ、誰も僕の病気は治せません」
「それはあなたが判断することではありません。さ、覚悟を決めてくださいな」
竜次が聴診器を持って構えた。サキは紹介してくれたジェフリーを信じ、まずは赤いローブを脱いだ。
この時点で身が細い。やはりわざと大きい服を着ていた。ジェフリーは黙って診察を見ていた。目を逸らさず、サキが抱えているものに向き合う。
「彼女たちに言わないでもらえますか?」
「ご希望でしたらね……」
ジェフリーはサキの小さな背中を見て絶句した。この時点で首のうしろに血の跡が見える。
「はい、どうぞ……」
サキは服を脱いで背中を向いた。竜次は顔をしかめる。
「痛いでしょうね、これ……何年ものですか? ここ最近だけではないですよ」
無数の怪我と、怪我の跡。火傷、鞭打ち、あざ、あとは何だろう? 気の弱い者が見たら、すぐに悲鳴をあげてしまいそうだ。
竜次が聴診器を手から放し、椅子ごと前に出る。
「確かに病気ですね。心の……」
首回りが赤い。これはジェフリーも気になったが、竜次はすぐに指摘をした。
「加えて栄養失調ですよ? 結構重めの……」
診断が下り、サキは正面に向き直った。
「もう着ます?」
「いけません。ジェフも手当てを手伝ってください。すぐに治るわけではありませんが、放ってはおけません」
サキは下を向いて肩を震わせた。泣き出してしまったのだ。
「ごめんなさい。こんなに優しくされたことがないんです……」
人の優しさで涙するなど、よほどのことだ。心情が計り知れない。ジェフリーも他人事とは思えなくなった。
サキを傷つける人が気になり、ジェフリーは質問をした。
「誰にやられているんだ? あのお師匠さんじゃないよな?」
「お師匠様はいい人です。育ての親ですが、ちゃんと学校まで出させてもらったし」
ジェフリーはタオルを差し出した。サキは躊躇せず受け取って、顔を埋める。
「間違っていたらごめん。『拾った親』か……?」
ジェフリーの質問に、サキは顔を埋めたまま深く頷いた。
「そっか……お師匠さんのところに置いてほしいは、そういうことだったんだな」
聞いていてやるせなくなった。
ジェフリーは手元の情報を頼りに、サキが置かれている状況を整理した。
師匠で『育ての親』であるアイラはサキを寮に入れていたと言っていた。アイラの住まいは孤児院跡の間借り。あの様子では生活にゆとりがない。それもそうだろう。魔法学校は学費が高いと有名だ。サキは飛び級をしていたが、それでも高額な費用を払わなければならない。
案外、アイラは情報屋と謳いながら、学費や生活費を稼ぐ手段があるのではないだろうか。だとしたら、ほとんど出稼ぎなのだろう。サキがアイラを慕う様子も見ている。
寮に入れてしまえば、少なくとも『拾った親』からの暴力は回避できる。だがずっと寮にいるわけではない。たまに帰れば、待っているのは拾った親による理不尽な暴力。
学校を卒業してしまったら、寮を追い出されてしまう。そうなるとサキが身を置ける場所はもっと限られる。この年では働ける場所もあまりないだろうし、逃げ場がない。
さぞつらかっただろう。
「お前、賢いのにどうして逃げないんだ?」
ジェフリーは疑問に思って質問をする。サキは怯えながら答えた。
「『拾った親』から逃げるなんて、無理なんです」
しゃくり上げながら続けた。
「世の中にはどうしようもないことがありますよね? 変えたくても自分ではどうにもできない運命です。僕はきっと恵まれなかった。もう正直、生きているのもつらいです」
まただ。ここにも生きることを諦めようとしている人がいる。ジェフリーはアイラの言葉を思い出した。『生きる意味』を……この未来の多き魔導士に教えなくては。
竜次は話を聞きながら、サキの背中にぺたぺたと薬を塗っていた。ひどい傷には、大判の絆創膏を貼っている。大きなあざには湿布を貼っていた。意外とお医者さんらしく、凝った手当てをしている。ジェフリーとサキの話は続いた。
「僕がどんなに頑張っても、『拾った親』には認めてもらえません。認めてもらえるようになったら、暴力はなくなるとお師匠様も思っていたみたいでしたが……」
師匠のアイラも虐待を知っているということだ。だとしても、どうにも引っかかる。
「お師匠さんは、お前を見捨てるのか。お前は何の変化も望まないのか?」
「お師匠様のことです。短い間でも、僕と仲良くしろとジェフリーさんに言ったのでしょう。僕は名前のせいで友だちなんていませんでした。すべては『拾った親』のせいです。友だちができただけでは何も変わりません。だけど、何でも話せる友だちはどうしてもほしかった……」
ジェフリーは変わるためのきっかけをほしがっていた自分に近いものを感じた。サキは変わるためにまず『友だち』がほしいのだ。だったら歩み寄るしかない。
「俺、お前と結構年が離れていると思うけど、本当に友だちにはなれないのか?」
「えっ……?」
「友だちなら、俺もいない。期限つきでもお前が今後どうしたいか、相談相手にはなれると思う。友だちってのは、そういう話ができる仲じゃないのか?」
「で、でも……」
ジェフリーが歩み寄っても、サキは遠慮をしている。何が怖いのだろうか。
驚くことに竜次が同調し、サキを誘った。
「御覧のとおり、大部屋なんですよ。一人増えても全然大丈夫ですが、どうですか? 部屋料金が前払いでしたので……あと二泊しか滞在できませんけども」
「兄貴……いいのか?」
ジェフリーが確認を取ると、竜次は独特の微笑を浮かべながら頷いている。
兄弟の心温まる厚意にサキは感涙していた。手当てが終わり、サキは服を着て整えた。
「明日いっぱいまでに、今後どうしたいのか決めてくださいね。落ち着いて考える時間はありますから」
「いいお医者さんでよかったです……ありがとうございました」
気を落とし、弱々しかったサキが笑顔を見せた。その次には、もう鼻にかける喋りが復活している。
「僕は魔法が得意です。何か協力できることがあったら、皆さんのお力になりたいです。この年なので、社会的な貢献はできませんが、誰かの役に立つことがしてみたい……」
サキの申し出を耳にしたジェフリーは、気まずい表情を浮かべていた。志が立派で自分とは大違いだ。見比べている竜次の視線が痛い。
サキは竜次にぺこりと頭を下げた。
「申し遅れました。僕はサキ、サキ・ローレンシアと申します。あの……お代は?」
診察代はいいのかと訊ねている。この年で律義な子だ。
終わったのに白衣を脱がず、竜次は悩ましげな表情をしながら腕を組む。迷ったが、名乗ることを選んだ。
「私はジェフリーの兄の竜次と申します。弟の『友だち』なら、お金はいただけませんよ。ふふふ……」
医者らしいことをした達成感に浸ったついでに、『医者』として名前を売り込もうという意図だった。
ところがサキは、名前を聞いて目を真ん丸くしながら想定とは違う反応を見せる。
「沙蘭の剣神さん!! えっ……お間違いないですか?」
サキは目を輝かせ、興奮していた。竜次はこれに驚き、苦笑した。
「そうですが……えっと……」
「わぁ……本物!! 本で見るよりも、ずっとかっこいい!!」
反応にはわざとらしさがなく、とても素直だ。悪い気はしないが、実はこの恵まれた容姿を褒められるのは恥ずかしい。
二人のやり取りを聞いていたジェフリーが疑問を口にした。
「兄貴の名前はそんなに知れ渡っていないはずだぞ? 出回っている本にはそう載ってないし、どうして兄貴を知っているんだ?」
「僕の知識はだいたい大図書館で仕入れますよ? 当然、沙蘭の歴史書も読んだことがあります」
サキの返事に、兄弟は顔を見合わせて驚いた。この街に来た目的を思い出した。
ここからは、ジェフリー次第で行動が左右されそうだ。
「なぁ、今からその大図書館に入れたりしないか!? 調べたいものがあるんだ」
サキは唐突な話の流れに驚いた。そこまで知りたいものに疑問はあるが、まだ聞き出さない。それよりも気がかりなことがある。
「入れはしますし、付き添い一人なら問題ないのですが、最近ちょっと怖い噂が……」
サキは一度、視線を伏せた。あまりいい話ではないのだろうか。
「質問なのですが、ご同行するのがジェフリーさんだとしたら、その……」
率直に言い出せずにいる。今度は竜次を見た。
「変なものに遭遇したら、戦えたり対処ができたりしますか?」
沙蘭の剣神はともかく、ジェフリーはどうなのかという意味だった。
「ずいぶんと物騒な質問だな?」
ジェフリーは言ってから、入り口に立て掛けてある剣に目をやった。
剣を見て把握したサキは、詳しく話し出した。
「怖い噂というのは、お化けとか魔人が出るなんて話がありまして……」
話ながら身震いしている。まだ続きがあるようだ。
「本が動くとか、本棚が倒れて来るとか、あり得ない話も耳にしました。難しい古書とか古文書とか、辞典なんかがある場所で……まるで、近寄ってほしくないみたいに」
何かの見すぎだし、どうせ噂で片付くものだ。そんな非現実的なことが頻発するはずがない。いや、直近で黒い龍や龍と一緒だった女の子、さらには『不思議な力』や『世界の生贄』と理解が追いつかないものはあった。それに比べたらお化けや本が動くなど、まだ現実的かもしれない。ジェフリーは安っぽい噂話だと思い、話半分に聞いていた。
外出の前に準備を整える。
「サキ君、そのお体では万が一も考えられます。今から行くのでしたらこちらを……」
竜次は茶色い小瓶を渡した。彼なりの気遣いだ。
「普通はお薬やサプリメントなのでしょうけれど、私は今、事情があって堂々と外を歩けなくて」
サキが受け取った小瓶のラベルには、滋養強壮・虚弱体質改善と表記されている。一般的には体力の前借りと謳われるドリンク剤だろう。
「私もこれから街に出る試みをしてみます。せっかく美女お二人におつかいをさせてしまったのでね」
テーブルの上には、見覚えのない紙袋がある。変装の道具でも入っているのだろうか。疑問に思いながら、ジェフリーは左の腰に剣を括りつけていた。
「街中でこんなの、目立つと思うけどな」
身支度を整えながらジェフリーは不安要素を口にした。
サキはドリンク剤を飲み干し、すぐに鼻を鳴らした。
「お役人たちに見つからないように裏通りを行きましょう。僕、案内できますよ」
先ほどまで倒れかけていたサキがここまで元気になった。体の負担よりも、誰にも話せなかった心の重みが大半だったのだろう。『拾った親』に認めてもらいたくて『育ての親』を信じて突き進み、賢い人間になった。それなのに、いつまでも認めてもらえず理不尽な暴力に怯え、サキは帰りたくないと口にしていた。これだけでも、彼が背負うものは大きい。だが、これだけでは済まない何かがある。ジェフリーの直感がそう訴えかけた。
サキは逃げたくても、逃げられないと言っていた。アイラは姉さんのところに帰れと言って、サキを突き放していた。ここで疑問が浮かぶ。
アイラは孤児院を手伝っていたと自称していた。孤児院を誰がやっていたのかも、経営していた叔母の夫が亡くなっていたことも知っていた。『病死……に見立てて殺したのは姉さんだもの』という言葉を思い出した。だとしたら……本当だとしたら。この魔導士にとっての『拾った親』はとんでもない人間だ。ジェフリーは背筋に悪寒が走ったのを感じた。
今は余計なことは考えず、情報を収集したい。ジェフリーはせっかくの好機に気持ちを切り替え、かぶりを振った。
「ジェフリーさん?」
考えすぎて怖い顔をしていたようだ。サキがジェフリーの顔を覗き込んだ。
「何でもない。外の二人にも軽く挨拶して出よう」
「あぁっ、二人とも!」
竜次は紙袋の中から緑色の小さい帽子を取り出し、手に持ったまま呼び止めた。変装道具の一つらしい。
「晩御飯、みんなで食べましょうね」
竜次はにっこりと笑い、手を振って二人をおくり出した。
部屋の外で女性二人が待っていた。
ミティアはフィラノスの観光案内の紙を持っている。キッドはそれを一緒になって見ていた。買い物のときにもらったのだろう。
「待たせた。すまないが、ちょっとこれから出かける」
ジェフリーは出かけると切り出した。それを聞いたミティアが驚きながら手を叩き、そのまま動きを停止した。
「……どした?」
ミティアはジェフリーをじろじろと見て頷いた。
「うん、やっぱり短い髪、かっこいいです!」
この頃合いで何を言い出すのかと思った。だが、そう思ったのはジェフリーだけではない。サキもこの調子はずれに苦笑している。
「人の話を聞け」
ジェフリーは軽く指摘をし、ミティアをあしらった。彼女の扱いを理解してしまった。
「そっち、誰?」
今度はキッドが質問をした。サキは軽く会釈をして自己紹介をする。
「僕はサキと申します。これでも就学を終えた魔導士です」
「あたしはキッド。残念だけど魔法使いは嫌いなの」
キッドは自分から名乗ったが、お馴染みの警戒心と嫌そうな視線を浴びせている。これも見慣れたが、ジェフリーはかまわず畳みかけた。
「事情があって、滞在中は一緒に行動することになった。そう言わないで仲良くしてやってほしい。できないなら、せめて喧嘩をしないでくれ」
かなり厳しい条件だ。
ジェフリーでも、キッドとはいまだに仲良くできていない。というか、一生できない気がする。
サキはこういう人もいるのだと割り切ったのか、含み笑いをした。
「僕は仲良くなれそうな気がします。よろしくお願いしますね」
「あ、あたしの機嫌を取ろうと思ってもダメだからね!」
キッドは腕を組み、そっぽを向いた。ジェフリーを蔑んでいた態度とは違う。もしかしたら、仲良くなるのが早いかもしれない。
ミティアはジェフリーの腰に剣が下がっているのが気になり質問をした。
「危ない場所にでも行くんですか?」
街中で武器を持って歩くのは目立つ。特にジェフリーの剣は大きい。どこへ行くつもりだろうかとミティアは疑問に思った。
ジェフリーはサキを横目にし、答えた。
「念のため持っているだけだから、使うとは限らない。目立たないように、道の案内はこいつにしてもらうから大丈夫だろう」
サキは軽く頷き、自信に満ちた笑みを浮かべた。
これからの話になって、ミティアは頷いて笑顔を見せる。
「わたしたちも先生が変装したら、街に出てみます。軽くお買い物に行ったのですが、この街はお店がたくさんあっていいですね」
「のんきなこと言ってるけど、全部ミティアのためなんだぞ」
「そ、そうですよね。そうでした……」
ジェフリーに指摘を受け、ミティアは気を引き締めた顔になった。それでも可愛さが勝る。
「だいたいの話は兄貴にしてある。質問があったら兄貴に聞いてくれ。夜には戻る。そっちも気をつけろよ?」
挨拶を終えてジェフリーはサキと出発した。
気を遣うのをやめると言ってから、話しやすくなった。どうせこれも、時間の問題。せめて仲良くとまでいかなくても、いい思い出の一ページになればと思っていた。
メインストリートや大きな道を避けて進む。サキはこの街で育ったのだから、当然詳しい。
「で、この先のワッフル屋さんを……」
サキの案内はわかりやすかった。ジェフリーの頭の中の地図は古く、あらためて知る部分も多い。
ふと、ジェフリーはワッフル屋さんの前で足を止めて、サキを引き止めた。
カラフルなビニールの屋根、大きくはないが上半身分だけ見える屋台のような簡単な造り。可愛らしいエプロンの女性が買うのかとこちらの様子をうかがっていた。
「あー……その、何だ。腹は減ってないか?」
ジェフリーなりの気遣いだった。サキの体は細く、栄養失調の診断も聞いた。急な思いつきだが、少しは食べさせたい。
「普段からあまり食べないので、特に空腹は感じません」
「食えないものはあるか?」
「いえ、特にはないですが……って、あの、ジェフリーさん?」
「俺が食いたい」
ジェフリーは一番大きいものを二つ注文し、一つをサキに手渡した……いや、押しつけた。
大判のワッフルに、クリームとカスタード、イチゴやバナナなどのフルーツがサンドされている。可愛らしいピンクのチェック柄の包み紙からはみ出していた。少しでも食べさせたい気持ちだったが、これはやりすぎたかもしれないとジェフリーは後悔した。両手で持ってもこぼれてしまいそうだ。
「えっ、こんなに食べられない……」
「いいから、少しでも食え。残ったらもらうから!」
ジェフリーは見せつけるように、歩きながら頬張っていた。この甘いものがぎゅっと口の中に入ると、バニラの香りがするやわらかい生地、クリームの甘みとフルーツの酸味が一気に押し寄せる。あまりに多くの味覚に、寿命が一気に縮まりそうだ。
いくらジェフリーがおいしそうに食べていても、サキの気は進まないようだ。持ったまま立ち止まっている。
「やっぱり嫌いだったか?」
「いえ、そうではないです」
ジェフリーは足を戻し、サキと向かい合った。
「このワッフル屋さんって、十年前は噴水広場にあったよな」
話の流れが変わって、サキは顔を上げた。
「十年前……そうですよ。僕も昔、お姉さんとよく食べたんだと思います」
「俺もよく食べた。死んだ彼女と……」
静かな風が吹き抜ける。察したのか、サキが一口含んだ。
ジェフリーもサキが『お姉さん』と言ったのを聞き逃さなかった。
「口が滑った、気にしないでくれ」
「ここにも、『あの』理不尽を味わった人がいたんだなぁって……むぐっ……」
まただ。『フィラノスで十年前』と口にすると、決まってこの話の流れになる。魔導士狩りを理不尽と簡単に言うが、実際その場にいた者は『日常』を壊された。
思い出そうとすると、吐き気がする。サキも当事者だったことがうかがえた。この街にいる限り、この話題から避けるのは難しい。
感傷に浸るのもほどほどに、ジェフリーは話を切り替えようとした。
「食いながら話すのはよくないぞ」
「歩きながら食べるのもよくないです」
悪い話を続けない点は気が合った。二人はお互いを馬鹿にするように笑う。
「じゃあ両方するか」
「賛成です!」
道を歩きながら、並んで頬張り世間話をする。
サキは友だちがいないと言っていたが、こんなに人懐っこいし愛嬌がある。
ジェフリーは心にわだかまりを感じていた。『期限つき』の友だちで、そのあとは他人として済ませる。あまりに非情すぎるのではないか。もしかしたら、これがサキの師匠であるアイラの策なのかもしれないと考えた。
友だちがいないのはジェフリーも一緒だ。ミティアとキッドに同行しなかったら、話し相手は兄の竜次だけ。期限つきの同行者、護衛。そんなものは本当に建前でしかないのかもしれない。
ぬるま湯に浸かったような日常が一転して、慌ただしいとは思った。ただ、日常から抜け出すきっかけがほしかった。変わりたかった。それだけなのに、どうしてこんなにも得るものが多いのだろうか。ジェフリーの中で、いつまでも雑念が燻ぶったままでいた。
魔法学校の前に到着した。寮も完備されている大きな建物だ。灰色の外壁には装飾が施され、鐘のついた時計台も見える。手前には幅の広い立派な階段が延びていた。
魔法都市という名前のせいで、城よりも存在感があるかもしれない。
「少し休みますか?」
サキがジェフリーを気遣った。そのジェフリーは苦しそうに胸を押さえている。
「すみません、半分しか食べられなくて……」
サキの案内もあって、ここまで来るのは問題なかった。誤算だったのは、途中で買ったワッフルを食べすぎて苦しいこと。だが、この地下への階段を見てジェフリーは安心した。案内板には『地下三階・大図書館』とある。
「立派な階段で助かった。腹ごなしにもなる」
二人は階段を下り、中へ入った。受付で司書を呼び、入館手続きをする。サキは懐中時計を提示しようとしたが、顔を見るなりどうぞと通された。
「顔パスかよ……」
「優秀なので……と言いたいですが、チェックが甘かったですね。明日は王都祭なので、出し物の準備で忙しいのかもしれません」
司書が忙しそうに奥の部屋へ下がった。特に記帳もなく、手続きが雑だった。だが、気になったのは一瞬だけだった。館内は人がほとんどおらず、とても静かだ。図書館なのだから静かで当然かもしれないが、噂にあったお化けや魔人とは無縁ではないだろうか。ジェフリーは疑った。
壁や本棚の側面など、あらゆる場所に火気厳禁、水魔法禁止、雷魔法禁止と大きく書かれた張り紙がされてある。本にとってはよくないものばかりだ。こんな張り紙があるのが、魔法都市らしい。
「そもそも大図書館は、どうして一部の頭がいい奴しか入れないんだ?」
ジェフリーは天井まで届きそうな本棚を見上げ、小声で話しかけた。サキも小声で答える。
「大図書館に入れる権利を持つのは成績が優秀な人のほかに、全国の学校教師や一部の学校関係者もそうです。あとは、お城……国の偉い人も対象です。どうしても利用したいのでしたら、担当の先生や教授に許可をもらうか、よほどの理由を提示すれば許可がもらえます。なぜかは詳しくは知りませんが、荒らされないためでしょうか?」
サキは顎に手を添えて息をついた。彼は出入りが自由なので、深く考えたことがないようだ。
「もし、ほかに理由があるとしたら……一般の人には知られたくない情報や本があるとか?」
サキの考えはなかなか鋭い。それが正解なのか、ジェフリーにはこの時点ではわからなかった。
奥まで来て、利用者がいなくなった。二人は大きな扉の前で立ち止まる。
「この先の階段を上がった地下二階が、重要書物のある場所です。ところで、ジェフリーさんは何について調べたいのですか?」
ついにサキからこの質問をされてしまった。ここまで来たのなら、もう話してしまっていいだろう。ジェフリーは周囲に人がいないか、確認してから質問に答えた。
「お前って優秀なんだろ? 治癒魔法って知ってるか?」
「治癒魔法? クレリックや魔法使いが習う、捻挫や軽い傷を治す魔法ですか?」
「もっと、死にかけの人間が治せる感じの……」
「千切れちゃった手とか足をくっつける魔法ならありませんよ?」
サキは眉をひそめた。ジェフリーが求める情報も、質問の意図もわからないからだ。だが、心当たりがまったくないというわけではない様子だ。
「もしかして、ジェフリーさんが知りたいのは、神族が使う『禁忌の魔法』ですか?」
ここでジェフリーは反応がしづらくなった。知らない言葉だからだ。察したサキは、少し考えてから口を開いた。
「僕からもう一つ、質問をしてもいいですか?」
ジェフリーはもう一度、周囲に人がいないのを確認し、深く頷いた。
「ご一緒の誰か、神族の生き残りか、それとも末裔ですか?」
これも答えられない。しまいにはサキが困った顔をしてしまった。
「うーん……だったら、どこから話をしたらいいかなぁ」
まだ何も調べていない。だが、サキが持つ知識と情報量は、明らかに違っていた。
「それじゃあ、『種族戦争』と人食いの黒い龍、『邪神龍』の話でもしますか?」
「黒い龍って……この前、東の村と街を襲った黒い龍のことか?」
ここでジェフリーが話に食らいついた。
「最近、話題ですね。偶然居合わせたギルドの人が流していた情報なので、僕は信用していません。人を食べる龍なんて、伝承の『邪神龍』に似せた虚偽(きょぎ)……嘘だと思っていますので」
サキはくだらないと言わんばかりに、鼻で笑った。これを聞いたジェフリーは声を低くし、脅すように危機感を持って言う。
「それが、嘘じゃないとしたらどうする?」
「えっ?」
「目の前で食った人間を吐き出すまで見たが……」
重苦しい空気にサキは黙り込んだ。彼と言い争いがしたいわけではない。だが、刺激が強すぎたかもしれない。それでもジェフリーは嘘ではないと訴えた。
「俺と、兄貴と……あの二人も居合わせた。疑うなら聞いてくれてかまわない」
「信じ……られないです。でも、ジェフリーさんが嘘を言っているとは思いません」
「この街に来たのは、情報を集めている。あいつは……ミティアは強い治癒魔法みたいなものが使えるらしい。どんな些細なことでもいい。その魔法の正体につながる情報がほしいんだ。でないと……」
銀髪黒マントの男に、連れて行かれてしまう。ジェフリーは言葉を選んだ。
「素性の知れない奴に連れて行かれる。そうなるとたぶん、もう二度と会えない……」
だいぶぼかして続きを言った。だが、おそらくこのままだと現実になる。
この街で宿を取っている。利用の制限がある大図書館でどうしても得たい情報がある。複雑な事情があって旅をしているのだろう。細かいことはさておき、今は協力しようとサキは思った。
「それは、よくないですね……と、言うか、あの美人さんかぁ」
サキは火のついた目をしていた。ここで協力をすれば、自分と運命的な出会いをしたミティアとお近づきになれる。いいところを見せようと、背伸びをしたくなる子どものような思考が働いていた。
「じゃあ、この先に寄贈されている、僕が書いた卒業論文を差し上げます」
「そ、卒業論文?」
大図書館に来たのに、論文の話だ。ジェフリーには話の意図がわからなかった。だが、サキは大真面目に答えた。
「僕の卒業論文は、その種族戦争と神族の話を少しと、禁忌の魔法について触れています。ほしい情報がゼロではないと思いますが、どうですか?」
「寄贈って……それは持って帰っても大丈夫なのか?」
「大図書館の本は貸し出しが禁止されています。本に対する管理は厳しいですが、紙に書いた論文はどうかなぁ」
サキは無邪気な笑顔を見せた。融通が利くし、賢さから話がわかる。
「お前、ずる賢いとも言われないか?」
「ふふっ、論文は第二候補として、禁忌の魔法についての重要書物を探しましょう」
お互い理由をはっきりさせ、納得した。気を取り直して、サキが扉を開けようとする。ところが、押しても引いても開かない。鍵穴はないから、どちらかで開くはずだ。
「動かないぞ?」
ジェフリーが代わってみるが、いくら体重を乗せても動かない。固く閉ざされた扉だ。
「ちょっといいですか?」
サキが前に出た。扉に向かって、長々しい小言を呟いている。これは魔法の詠唱だ。難しい魔法なのか、言葉を詰まらせながら精神を集中させている。一分ほど唱えて、顔を上げて小さく息を吸った。
「ディスペル!」
大きな扉がほんのりと光って『カチッ』と音がした。直後、扉がわずかに開いた。
「はぁ? 鍵穴なんてなかったぞ」
ジェフリーが驚きの声を上げる。いったい何を施したのか、サキは詳しく解説をした。
「扉に魔法がかかっていました。入ってほしくない意図的なロックサインですね。解除したので、もう大丈夫です」
息をのんだ。静かな空気に緊張感が増す。つまりこの状況は、何者かが二人を阻もうとしていると見ていい。
「この奥に誰かいるか、もしくは本当にお化けの仕業ですかね」
「そうだったら、俺たちで何とかするしかない」
二人は階段部屋に入ってから扉を閉めた。これなら大きな音や声を上げても、多少は防げそうだ。利用者は少なかったが、念のため注意した。
ジェフリーは剣を持っているが、サキの実力が気になった。
「お前がさっきやったのは魔法……だよな?」
サキが電気のスイッチを入れた。明るくなって階段が見える。目が慣れて、視界が明瞭になってからサキは答えた。
「そうですよ。よくないものを解除する魔法です。術主よりこちらの魔力が高くないと解けませんから、力比べとも言います。でも僕は優秀なので」
さりげなく鼻につく自慢をする。確かにサキは優秀だ。ジェフリーは自分にはないものを持っていると思った。
「普通はぶっ壊すか、諦めるだろ。素直にすごいと思った」
「ふっふーん、もっと褒めてもいいんですよ!! 炎で燃やしたり、風で吹き飛ばしたり、それだけが魔法じゃないです」
このキャッチフレーズのような言い回しにも慣れてしまった。普通は嫌がるかもしれないが、ジェフリーにとっては面白い言葉だ。サキは褒めると子犬のように輝いた目をするし、本当に憎めない。
ジェフリーとサキは長い折り返し階段を上がりきった。だが、今度は真っ暗だ。
「あれ、スイッチ……どこかな?」
サキが電気を探しに離れた、暗い中では空気だけが頼りだ。
目を凝らせば何となくはわかるかもしれない程度の明かりが、非常口にある小さい明かりだ。これだけでは暗闇の緞帳を打ち破れない。
ジェフリーの短い髪を風が撫でた。この場に人の気配を感じる。視界の悪い中で微かな呼吸音を耳にし、ジェフリーは剣を抜いた。
「そこだな!」
とりあえずのけん制になるだろうと振ったが、激しい金属音が響く。軋む音と重みは、受け止められたのだ。
「な、何の音ですか、ジェフリーさん?」
想定外の場所からサキの声がする。
「気をつけろ! 『誰か』いるぞ!!」
「えっ、そんな、わあぁぁぁぁ!!」
サキは情けない叫び声を上げた。その直後、バタバタと大きく派手な音がした。転んだのかもしれない。つばぜり合いの最中、ジェフリーは苛立ちを見せた。
「誰なんだ!?」
ジェフリーが剣に力を加え、圧倒しようとする。だが、そこからもう一打、上から力が加わって剣が払われた。光る戦術、見えないのが悔しい。
相手はやりすごして逃げようとしている。ジェフリーの真横を人影が通過し、風が髪を乱した。風に混じって煙たい臭いがわずかに感じられた。これはどこかで嗅いだ記憶がある。
影は二人が来た道へ向かったようだ。服の擦れた音と気配が遠ざかる。
「待てっ!!」
「うぅっ、ジェフリーさん、助けて!」
ジェフリーは気配を追うとしたが、足を止めた。この暗闇でサキを放置するのは危険すぎる。
「くそっ……どこだ?」
「こ、こっちです……」
ジェフリーが声に向かおうとするが、暗闇の中で顔面をぶつけた。あまりに堅く、鼻が潰れたかと思ったくらいだ。
「ってぇ……何か、明かりはないのか?」
「明かり、そうだ!」
サキは詠唱をしていた。今度はものの数秒で放たれた。
「フェアリーライト」
くるくると螺旋を描きながら、サキの周りを小さく心許ない光が舞う。こんなに便利な魔法があるのなら、もっと早く使ってもらいたかった。そう思ったが、ジェフリー自身は魔法をほとんど覚えていない。ここは不満を言わずにサキを助ける。
サキの足元には大量の本が散らばっていた。これで転んだようだ。
「大丈夫か?」
ジェフリーが手を貸すと、サキは躊躇せずに手を取った。そしてジェフリーが持っていた立派な剣に気がついた。
「すみません、見えなくて。何かあったんですか?」
剣先には、ほんのわずかだが、血が滲んでいる。
「誰かがいたらしい……暗くてほとんど見えなかったが」
「えっ、まだいますか?」
二人は階段を確認するが誰もいない。見事に逃げられた。
ジェフリーは深いため息をついて振り返った。
「たぶんもういないと思う。けど、『あれ』を見た方がいいな」
サキはジェフリーの目線の先が気になり、振り返った。本棚がドミノ倒しになって進路を塞いでいる。棚から本がこぼれ落ち、床に散らばっていた。
先ほど暗闇の中でぶつかったのは本棚だ。ジェフリーは鼻を押さえながら、恨めしそうに見ていた。
サキは目の前の光景に取り乱した。
「えっ、これって噂のままじゃないですか」
「噂は人が流すものだろう? これは目の前で起きている事実だ。誰かがやった……」
「誰かが……」
ジェフリーに説かれ、サキは絶句した。
ここまで露骨だと、誰かがわざと邪魔をしているとしか思えない。サキはやっと現実に向き合い、受け入れようとする。
「じゃあ、お化けや魔人も……?」
ジェフリーは剣を鞘に収めながら意を決した。遮られている意味、それはここに求めている情報があるに違いない。誰かが自分たちの動きを知っている。気に食わないが、その懐に飛び込んでやろうと思った。
「決めた。何が何でも手ぶらでは帰らない」
ジェフリーは先立って質問をする。
「重要書物はこの先にあるのか?」
「そ、そうです。ショーケースみたいな本棚があったかと。僕の論文もそこにあると思います」
サキが言い終える前に、ジェフリーはガラも悪く、散らばって山になっていた本を蹴飛ばしていた。
「あの、一応重要な書物がある部屋なんですけど……」
「よく見ろ。これが本と言えるか?」
ジェフリーに言われ、サキは蹴飛ばされた本を見て驚いている。
「えっ、白紙……? これも、えっ?」
手頃な大きさの本を手に取ってみるも、ページが真っ白だ。
「ま、まさか……もしかして」
サキが本を戻し、声を震わせる。
「お化けって、魔人って、召喚術……」
「召喚術?」
ジェフリーはサキの話を気にしながら、倒れた本棚に剣の鞘を引っかけ、動かして通り道を作っていた。山道ではほとんど発揮できなかったが、実は彼、ある程度サバイバル慣れをしている。だが、いくら道を開こうとしても暗さはどうにもならない。
「すまない、俺にもその明かりをくれると助かる」
ジェフリーに頼まれ、サキはフェアリーライトをもう一つ放った。心許ない明かりだが、二つあると安心する。
サキは心当たりを話し始めた。
「召喚術と言っても種類はたくさんあります。確実にはわかりませんが、本の文字を少しずつ食べる下級の悪魔がいたかも?」
ジェフリーはため息をつきながら、今度は本棚を蹴飛ばした。道を確保しながら質問をする。
「いつからなんだ、その噂って」
「もう一週間くらいですね。王都祭が近いので学校も忙しいでしょうし、噂なんて気にしていられないかと」
サキも本を跨ぎながら答えている。ジェフリーの質問は続いた。
「文字を食べるって、一日でだいたいどれくらいだ?」
「術主の魔力にもよりますが、本棚三つから五つくらいだと思います」
ジェフリーが部屋の壁際に立って、ざっと一列数える。一部はドミノ倒しになっているので誤差もあるだろうが、広さを考えて指を折る。
「半分以上はやられているな。けど、まだ残っているかもしれない。止めないと!」
「えっ、まさかジェフリーさん、戦うつもりですか!? 危険です!!」
「手ぶらで帰らないって言っただろ。嫌ならここから先は一人で行く」
ジェフリーが力強く言い、先に進もうとする。サキはジェフリーの服の裾を摘まんだ。
「止めても無駄だぞ」
「止めません! 僕も行きます!!」
サキは震えていた。この震えは、武者震いのようだ。細い腕にしては、やけに力強いとジェフリーは思った。これでは逆に、帰れとも言いにくい。
「友だちだからか?」
意地悪な質問だと、ジェフリーは自覚していた。この質問に、サキは首を激しく横に振って答えた。
「もう期限つきの友だちって言うくらいなら、今は仲間でいいです! 華もなくて、むさ苦しいと思いますけど!!」
サキは不満いっぱいの表情だが、言葉は開き直りにも思える。聞いたジェフリーは大笑いした。
「ぷっ、ははっ……期限つき? 本当にそれでいいのか?」
「えっ? だってそうじゃ……?」
「俺はお前のこと、結構気に入ってるけど?」
ジェフリーは笑いながら言い、遮っている本棚をよじ登った。小柄なサキが登るには厳しいかもしれない。
サキは言われて動揺しながら周囲を見た。面積の広い本を数冊詰んで踏み台にした。残っている棚を頼りに、頑張ってよじ登っている。
「賢いところとか、こういう根性あるところとかな? ほら……」
半ばまで自力で上がって来たので、ジェフリーは手を差し伸べた。サキは、この手を取って微苦笑した。
「言ってくれますね。僕を高く評価したこと、絶対に後悔させませんからっ!!」
育ての親があのアイラだったから、この根性なのかもしれない。登り終えると座って息を整えた。
ドミノ倒しになって遮っていた本棚はこれで最後だ。この先は荒らされていないし、壁が見える。しかし、本が白紙なら、この先に希望は薄い。フィラノスだけでは済まないだろう。そんな予感を抱きつつ、ジェフリーはこんな話を持ちかけた。
「お前がすごいのはわかった。だからあえて言う。その知識で俺たちをこれからも助けてはくれないか?」
呼吸を整えていたサキが顔を上げた。『これからも』と言われ、心に響いたようだ。
「えっ、それってつまり……」
――本当の友だちになってくれるのだろうか。
サキが返事をする前に、近くの本棚からバラバラと本が落ちた。音のした本棚から、隠れてこちらの様子をうかがう小さい影が見える。
先にジェフリーが立ち上がった。
「これで死なずに済んだら、返事をもらうからな!」
ジェフリーはすぐに向かいの本棚に足を引っかけ、一気に飛び降りた。この精神と行動には、サキも触発される。
「僕だって……ただ、ここに来たわけじゃないです! 役に立ってみせる!!」
意気込んだが、サキが飛び降りるのは困難な高さだった。一番上の段の本をすべて落として山を作り、その落とした棚に手と足を引っかけて、本の山に着地した。
「ジェフリーさんは運動神経がいいので、ついて行くのが大変です」
サキは着地してから小言を口にしている。だが、自分なりにどうにかしようとする意志は、高く評価したい。ジェフリーはサキを見える範囲に確認しながら思った。
「さぁ、どこに行った……」
二人は感覚を研ぎ澄ます。わずかな空気の流れも今は読まなくては。
「僕に考えがあります。ちょっといいですか?」
サキがジェフリーのうしろから声をかけた。ポーチから、赤い魔石を取り出している。いくつか手に持って、フェアリーライトの光に反射させた。あたりを赤く光らせている。わざと見せているようだ。
サササッと引きずるような音を耳にした。サキの行動にジェフリーは驚いた。
「お前、本当にすごいな!」
「もっと褒めてもいいんですよっと……」
二人して音を追った。
「本の悪魔さんなら、火の魔法は嫌いですよね。ここでは使いませんけど」
サキは魔石をポーチにしまって、入れ違いに少し大きいガラス玉を取り出した。手慣れた様子で上に弾く。すると、ガラス玉が羽根をあしらった金属の杖に変化し、両手で受け止められた。
どうしても、見慣れないものに興味を引かれる。ジェフリーは呆気にとられた。
「何だ、そのハイテクな武器……」
「ジェフリーさん、前見ましょ、前……」
サキが持っている杖は就学中に支給される魔力媒体だ。本来、ジェフリーも知っていそうなものだが、真面目に行っていたのかも怪しい彼は覚えていない。
床を這うのはコウモリのような翼の生えた悪魔だ。大きさは子どもほどだが、動きが早い。ようやく心許ない光が姿を捉えたが、全身紫色をしており、黄色い目が不気味だ。にやにやと笑う口からは牙が見えた。鋭い爪のある手には、お食事中の本が見える。ぼんやりと光りながら、次々とページを白紙にしていた。
「そんなに強そうじゃなくて安心した」
ジェフリーは剣を抜いて一気に間合いを詰めた。振り下ろされた剣は、本の悪魔を一刀両断した。本の悪魔が持っていた本がぱたりと床に落ちた。開かれたページは半分ほど文字が残っている。
「終わりか……?」
普通なら撃破したと考える。だが、断末魔もなければ、周囲に変化も見られない。思考を巡らせていると、またもサササッと音がした。素早いのなら、大振りの剣をかわすなどたやすいだろう。
「どうする?」
「仕留めないと。方法は……一応ありますが」
サキは杖を握りしめた。考えがあるのか、短く詠唱した。
「この光を追ってください、サーチ!」
床にフェアリーライトよりも弱いが、蛇のような光が放たれた。そのまま光は本棚へ走る。どうやら対象物を追うマーキングの魔法らしい。サキが本棚の上を指さした。
「いた! あんなところ!!」
本の悪魔は、倒れていない立派な本棚の上に座って別の本を開いている。そう簡単に届く高さではないのがもどかしい。この様子にジェフリーは苛立った。
「くそっ、何とかならないか?」
「これ以上は無理です。僕が今、いくつ魔法を使っているか数えてみてくださいよ」
フェアリーライト二人分、今はサーチの魔法を放っている。ジェフリーは、やっとサキの負担に気がつけた。
「あぁー……スペルコストオーバーか……」
実は魔法をいくつも放てる時点ですごい。普通の人間が、メモを取らずにおつかいを頼まれても、覚えているのはせいぜい三個、いいところ五個くらいだ。ましてや、難しい商品名や店の指定、予算を言われたらもっと覚えられない。
魔法を使うのも似た感覚だ。個人差はあるが、所詮は人間。欲張れば、頭がパンクして体に負担が生じる。
頭がよければ、もっと欲張れるが、魔法に対する詠唱はもちろん覚えていないといけない。そして、自分の負担できる範囲を計算しながらでないと戦場では立ち回りが難しい。こんなことは、平和に暮らしていたらまず気にしない。
状況を把握したジェフリーが、白紙になってしまった本を握った。
「せいっ!!」
苛立ちから、本を悪魔に向かって投げた。よくある投てきだ。
見事命中したが、お食事中の本を弾いただけだった。てっきり消えて違うところに逃げるのかと思ったが、様子が違う。ジェフリーを睨み、震えながら威嚇を始めた。
「は? どうしてだ?」
「本の悪魔に本を投げつけるなんて怒るに決まっています!!」
本の悪魔は『シャーッ!!』と牙を見せて鳴く。すると、威圧感とともに部屋に魔力が満ちた。何か仕掛けて来るに違いない。この状況に、サキはジェフリーを罵った。
「ちょっと、どうするんですか!? あの悪魔、本当に怒ってますよ!」
床がぼんやりと光った。本棚がいくつかガタガタと音を立てて揺れ動く。怪奇現象、ポルターガイストだ。今度はお化けが出て来るのだろうかと二人は身構える。
「非現実もいい加減にしてくれ!! これは現実なんだぞ。死んだら終わりなんだからなっ!!」
「あぁぁぁ……もう、ジェフリーさんのせいだ!!」
本棚が二人めがけて豪速で迫った。何が怖いかというと、倒れて迫って来るのではなく、本がぎっしりと詰まった状態の本棚が真正面の姿で迫って来るのだ。これがぶつかれば、鼻が潰れたでは済まされない。
「サキ、こっちだ!!」
ジェフリーがサキの手を強く引いた。これにより、一つは回避した。だが、利用者へ向けた設備……革製の椅子や飾りのついたテーブルがバキバキと派手な音を立て、無残にも押し潰された。ここは名門フィラノス魔法学校の大図書館だ。さぞ、高価な設備だろう。
休む暇もなく、次の本棚が迫っていた。連続攻撃など、切り替えと対処に困る。ジェフリーは剣を構えながら焦っていた。
「さすがにこれはぶった斬れないぞ……」
「ちょっと暗くなります!!」
サキはとっさにジェフリーのフェアリーライトと、本の悪魔にかけているサーチを解除した。短い詠唱のあとに杖を横に振りかざす。
「ソニックブレイド!!」
放たれたのは真空の刃、風の魔法だ。サキがこの魔法を選んだのは、ここが火気厳禁だからだ。引火でもしたら燃焼が早く、本の悪魔の退治どころか、自分たちが焼け死ぬかもしれない。
この緊張の中で、よくも魔法を考える思考があったものだ。ジェフリーはサキの判断に驚いた。
真空の刃で本棚を斬り、減速停止させた。その振動で、本の悪魔が本棚から転げ落ちたのが見えた。これを好機と見て、サキが前に出る。
「ジェフリーさん、とどめを刺してくださいね!!」
さらに短い詠唱をして、杖を左右に振ってから前にも振った。
「サーチ! アイシクル!!」
小さい光が本の悪魔の位置を示した。時差で足止め効果のある、氷の魔法を放って動きを停止させた。
ジェフリーは今度こそ手応えのあるとどめを刺した。
本の悪魔は『キシェェェェェァァァァァァァ!!』と、長い断末魔を上げ、しゅうしゅうと煙を立てて消えた。深く考えていなかったが、物理攻撃が効く相手で助かった。
部屋に満ちていた魔力が消失し、空間が歪むように景色が変わった。残念ながら、残っているフェアリーライトのほんのりとした光では、部屋全体がどうなったのかは確認できない。
「えっ……?」
安心したのか、サキがぺたんと座り込んだ。
ジェフリーは剣を鞘に収め、率先して安全確認と探索を始める。壁に突起を見つけ、サキに声をかけた。
「何かあるんだが、明かりをくれないか?」
サキは新たに魔法を放つ気力がないようだ。自分のフェアリーライトを指で回転させて弾き、そのままジェフリーのそばへ泳がせた。
明りによってジェフリーはレバーの存在を確認した。上げてみると部屋全体が明るくなった。これはブレーカーだ。倒れた本棚や壊れたはずの椅子やテーブルがもとに戻っているのが見えた。
サキは座ったまま深く肩を落としていた。
「お、おい、大丈夫か?」
「夢ですか、これ……」
ジェフリーがしゃがんで顔を覗き込む。だが、サキはジェフリーではなく、部屋を見てぼんやりとしていた。
「俺はお前の凄腕っぷりを夢とは思っていないけどな……」
「褒められるのはうれしいですが、こういうのは慣れていないので疲れちゃったみたいです」
サキは残っているフェアリーライトを解除した。杖をガラス玉に戻し、ポーチに収める。息を吸って立ち上がり、探索に加わった。近い本棚から一冊取り出してみるが、いくらめくっても白紙だ。
「あぁ……やっぱりここまでは戻ってないんだ」
サキは落胆し、深くため息をついた。
ジェフリーはガラスのショーケースに入っている分厚い書物に目をやった。
「なぁ、これは何だ?」
「あっ、それは重要書物!」
サキは駆け寄ってケースを開けた。鍵がついていたが、簡単に開いた。中に入っていた分厚い書物を取り出し、開く。
「これです、禁忌の魔法についての記述が……」
めくってもめくっても白紙だ。
「うわぁ……」
サキはショーケースの前で、またもぺたんと座り込んだ。彼の手元の本を見て、ジェフリーも深くため息をついた。
「遅かったか……」
たまらない失意。そんな予感はしていたが、本当に何も残っていない。これでは何をしに来たのか、わからなくなってしまう。
座り込んで落胆したまま、視線をショーケースに戻したサキが何かに気がついた。
「あれ、これ……」
棚の下段にある本の上に何か突っ込まれている。クリップで綴じたレポートの束を摘み出した。
「んんっ……僕の、卒業論文?」
整った丁寧な文字で名前が書かれてあった。
ジェフリーが一緒になって覗き込んだ。数枚めくってみるが、消えた痕跡はない。
「何でこれは無事なんだ?」
「本じゃなくて、手書きのレポートだから、ですかね……」
ジェフリーがサキの肩をそっと叩いた。
「やったな、手ぶらじゃない!」
「そうですね!!」
お互いが笑い合った。これまでの苦労が報われた気がした。
「第二候補で申し訳ないですが……」
「そう言うな、感謝してる」
「えへへ……」
念のためほかの重要書物もめくってみたが、昔の地図や、秘宝・財宝の本は無事だった。ほしい情報に限ってやられているのが悔しい。
半分はやられている計算だったが、重要書物は先に手をつけたのだろう。文字を食べたいのなら、文字が詰まった重要書物を食べる。絵柄が多そうな本は後回しにする。
ものすごくお腹が減った状態で、先ほどのワッフルと、ワッフルと同じ大きさの綿菓子だったらどちらを食べたいか。極端かもしれないが、『食べる』とはそんなものかもしれない。自分が本の悪魔なら、きっとそうするとジェフリーは思った。
情報は持ち帰れそうだが、大図書館はこれから先どうなるのだろうか。ジェフリーは疑問を抱いた。
「これってもとに戻るのか? それとも、ずっと白紙なのか?」
ジェフリーの質問に、サキは淡々と答える。
「召喚された本の悪魔がゆっくり食べていたのです。だから、ゆっくり戻るんじゃないですかね……十日から半月くらいかな」
「とても待っていられないな」
本の悪魔は倒したのだから、今すぐもとに戻ってほしい。もっと戦略を練って、食べた文字を吐き出させればよかったのだろうか。いや、そんな余裕はなかった。何を思っても、あとの祭りだ。ジェフリーは切り替えるしかないと思った。
ここを出ようとジェフリーは提案した。サキは疲労から、頷くばかりで言葉が少ない。
部屋の入り口まで戻った。この先は階段だ。空気も違う。
「ジェフリーさん」
扉を開けて階段に差しかかる手前、サキはジェフリーを呼び止めた。
「どした?」
「さっきの返事、いいですか?」
頑張ってよじ登った本棚の上で話をした。サキは『死なずに済んだら返事をもらう』に、答えたいと意志を示した。
「旅をしているんですよね? 僕、これからも皆さんのお力になりたい。一緒に行きたいです。けど……」
行きたいと言いながら、どうも歯切れが悪い。何か、サキの中で不安でもあるのだろうか。ジェフリーは不安を取り除こうとした。
「あいつらだったら、俺が説得するけど」
「いえ、あっ、それもありますが……」
どうにも煮え切らない。サキの中で、何かが邪魔をしている。
「僕を『拾った親』の正体を知ったら……一緒にいられない気がします」
そんな予感はしていたが、やはりそうだった。飛びたい鳥に、足枷がついている状態にジェフリーは苛立った。
サキは怯えるように声を震わせた。
「どうせ、嫌われるなら話したくない。期限つきの友だちでもいいんです……」
ジェフリーは胸糞が悪かった。せっかくサキがここまで踏み出せたのに、この答えだ。
「その答えに後悔がないなら……」
サキは唇を噛みしめてさらに震えた。きっと話はここから進展しない。
気まずい空気だが、ジェフリーはここにいない『誰か』に倣ってまったく違う話を振ってみる。
「帰ったら、みんなで飯食うって言ってたな」
真剣な話をしていたのに、不意打ちを食らったサキはきょとんとする。
本人から食らったら、こんなものでは済まない。小動物のような仕草が加わる。
「食って話して、よーく考えて決めろよ。最終的に決めるのはお前だ。俺はあくまで誘っただけだから、強引に付き合わせたりはしない」
いったん話を退いてみた。正確には、アイラのように突き放したのかもしれない。ジェフリーは自身を意地悪だと思った。サキの根性を試そうとしているのだ。
「わかりました!! 僕だって、諦めたくないです」
サキは大きく深く頷いた。情けない声をしていたが、力強さが蘇る。
司書は相変わらず忙しそうに作業に追われ、退館手続きも一瞬だった。
長く立派な階段を上がる。来るときは腹ごなしになっていいと思ったが、疲労で足は重い。
外は夕暮れ。長居をしてしまった。
もしかしたら、向こうも情報収集をしているかもしれない。二人は期待を胸に、繁華街へ向かった。どうせ宿への通り道だ。
王都祭の前日とあって街中は賑やかだ。噴水広場でこれから前夜祭をするらしく、呼びかけが回っている。その賑やかさに溶け込むわけでもなく、大きな建物の前で、ぼんやりと通行人を眺める赤毛の少女、ミティアを見つけた。
「どうした? 一人か?」
ジェフリーが駆け寄って声をかけた。はっとした彼女は、主人を待っていたような顔になる。
「あっ、ジェフリーさん、サキさんも!」
ミティアは「おかえりなさい」と言って笑った。彼女が笑うと場が一気に華やかになる。
挨拶だけしたその頃合いで、キッドと竜次が建物から出て来た。
「おや、おかえりなさい」
挨拶を交わしたのは竜次だ。伊達メガネと緑のベレー帽、シャツも着崩している。変装としての派手さはないが、顔がいい分、集中的に誤魔化せば確かに目立たない。ジェフリーがまじまじと見ながら言う。
「ふぅん、それだけでも雰囲気って変わるもんだな」
「でしょー? お二人には感謝しないと」
襟元が崩れているせいで、清楚さの欠けたお兄さんだ。伊達メガネが追い打ちをかけて胡散臭い。が、これはジェフリーも黙っている。つまらない喧嘩に発展するまでは学んだ。
「二人とも、こんな場所で何をしていたんだ?」
ジェフリーは質問をするが、竜次もキッドもこれに答えない。
質問に答えないだけではなく、キッドはサキを睨みつけていた。やけに険しい表情をしている。
「まぁ、よく平気ね。あんた……」
「はい?」
いきなりサキに突っかかった。刺々しい態度のキッドを遮るようにして、竜次が建物を振り返った。
「こんなところ、初めて利用しました」
横看板に『ギルド・情報屋』とあった。これにはジェフリーも、何をしていたのかを納得した。
「依頼を請けることや、詳しい情報を見るのは登録しないといけないみたいです。なので、本当に情報を見るだけでした」
サキは首を傾げた。キッドに睨まれたせいではないだろうが、表情が渋い。
「ここで飛び交う情報は大袈裟に盛られたものや、確証のないものだってあります。どうか、騙されないように気をつけてください」
「騙す……ですか」
サキはギルドにいい印象を抱いていないようだ。それを注意しただけだが、竜次は過敏な反応をし、鼻で笑った。
「……まぁいいです。今日は王都祭前日なので、これからどこも混み合いそうですね。早めのご飯にしませんか?」
竜次の顔から独特の笑顔が消えた。違和感を引きずりつつ、皆はこの提案に賛成した。
キッドも竜次もどこかよそよそしい。よそよそしいが、竜次はミティアに話題を振った。
「さぁて、ミティアさん、ご飯はどうしましょう? どんなところに行きたいですか?」
「わたし、みんなで一緒にご飯が食べたいです。だから、大きいお店がいいと思います」
どんな空気だろうとミティアは常に明るい。わざとなのか、狙っているのかはわからない。ときどき調子はずれなことを言うが、彼女の存在は間違いなく周りにとって救いだ。
もちろんジェフリーにとっても例外ではない。ミティアの発言や笑顔が、暗く冷たい空気を払うように思えた。
大きい席に魅力を感じて入ったが、大衆酒場のように賑やかな店だった。
「まぁ、もうここでいいか。念のため、兄貴は奥の席に座れよ」
「そうですね。街中を歩いて大丈夫だったので、平気だとは思いますけれど……」
竜次を壁際に押し込んで、男女列で向かい合って座った。
「お水、セルフかな? 僕、取ってきますね」
「あ、わたしも手伝います」
席の通路側にいたサキが離席して、ミティアも手伝いに出た。
「さて、ジェフ、ちょうどいいので軽く話しておきますね」
急に竜次が話を切り出した。わざと頃合いを見計らっていたようだ。
「揃ってからじゃなくていいのか?」
「あなたはサキ君がどんな子か、わかっていてお付き合いをしているのですか?」
疑問に思って質問をしたジェフリーをおかまいなしに、竜次は一方的に言い放った。
キッドもジェフリーの反応を見ている。睨みつけこそしないが、機嫌が悪そうだ。
「サキがどんな子って……?」
ジェフリーは眉間にしわを寄せ、さらに疑問に思う。その反応にキッドが言った。
「ま、あたしたちに迷惑をかけないなら、別にいいんだけど」
やや渋めの言葉だ。これでも彼女は、だいぶ抑えているのだろう。
「何か……あったんだな?」
ジェフリーは二人の態度を不審に思った。よそよそしい理由はサキにあるらしい。
「まぁいいです。ご飯くらいおいしく食べましょう」
二人が戻って来る手前で、竜次が話を伏せた。ちっともおいしく食べられる気がしない。これ以上空気を悪くしたくはないと、ジェフリーも黙っていることにした。
運ばれて来たのは大判のピザや、取り分けの利く大皿の料理ばかりだ。賑やかな食卓を囲む。
「むふっ……んんーっ、おいしいれすよぉ!!」
ミティアが牛肉のワイン煮を頬張ってもぐもぐさせている。両頬に手を添えて、幸せそうだ。
アルコール分が飛んでいるが、ワインの酸味が効いている。肉が柔らかくておいしい。
「まるでハムスターみたいだな……」
ジェフリーの小言にかまわず、ミティアは料理を皿に取って皆に配っている。
ミティアがあまりにおいしそうに食べるので、皆は遠慮がちになった。黙っていれば重苦しいものが彼女の存在に助けられ、場が明るくなる。
「サキさんも食べましょうよ。おいしいですよ!!」
ミティアは次々と取り分けて皿を配る。まだ湯気も立つおいしそうな料理が盛られているというのに、サキは食が進んでいない。
サキの様子を見て、ミティアとジェフリーは心配をした。
「……サキさん?」
「どした?」
サキは突然涙ぐみ、しゃくり上げて肩を揺らした。どこか具合でも悪いのかと皆は疑った。
サキは目を擦りながら、首を横に振って答えた。
「こんなに賑やかな食事、したことがなかったので……うれしくて、すみません」
「お前……」
ジェフリーは困惑した。だが、サキの境遇を考えると、その気持ちは安易に汲み取れる。彼はずっと友だちをほしがっていた。誰にも話せない、話したら嫌われてしまうと苦しんでいた。寂しかったのだろう。それが、この優しくてあたたかい人たちと、賑やかな食卓を囲むことで思いがあふれ出してしまった。
だが、もしかしたらここにいる全員が該当するかもしれない。
「そういえばジェフと同居していた半年、一緒にご飯を食べたことなんて、ほとんどなかったかも?」
「そんな気がする……」
兄弟は該当した。竜次は三日に一度しか帰って来なかった。それだけ仕事に追われていた。生活時間が合わない。一人用の借家だったのだから、ジェフリーも合わせないように意識していた点もある。
ミティアもキッドも、村で暮らしていたころを思い出していた。
「わたしも、兄さんと……キッドとは何回もあるけど。大勢はあんまりないかな」
「あたしも家族がバラバラになってから、こんな人数で食べたこと、なかったかも……」
――遠い記憶。家族で食卓を囲ったこともあったかもしれない。子どものころの記憶など、あいまいなものだ。大人になれば忘れてしまう。
感傷に浸るのもほどほどに、竜次が水の入ったグラスを弄(もてあそ)んだ。味の濃いものを口にしたので、お酒を欲していそうだが、今のところは自制している様子だ。
「はぁ……どうしようかな……」
竜次はため息交じりに言ってからキッドに視線をおくる。どうやら共有している情報がある様子だ。キッドもその話が切り出されないかと待っていた。
「ジェフって……こう、性格というか、雰囲気が変わりましたよね」
竜次が唐突に話を振った。ジェフリーはフォークを持つ手を止めて首を傾げ、顔もしかめた。自覚がないからだ。
ジェフリーの話題になり、ミティアが口を挟んだ。
「確かに、何かこう……話しやすくなった気がします!!」
なぜか彼女の目が輝いている。その無垢な瞳を直視するのがどうしても恥ずかしい。ジェフリーは照れで、全身がむず痒く思った。
その反応を見て、竜次が何とも遠回しな質問を追加する。しかも、名指しで。
「サキ君に質問です。あなたから見て、ジェフってどんな子ですか?」
一同が食事の手を止め、サキの言葉を待った。不思議と注目してしまう。
「ジェフリーさん……ですか?」
サキは隣のジェフリーを舐め回すように凝視すると、悩ましげに答えた。
「見た目は少し怖いです。でも、人を上辺だけで判断しない人だと思います。知り合ってそんなに経っていませんけど、人を引っ張れる力があります」
サキはにっこりと笑って付け加えた。
「とっても優しいです!! 僕は尊敬します」
直感だが、竜次はサキをテストしている。彼の答えは外見のほかに、ともに行動したことまで考慮されていた。ここまで言われると恥ずかしい。ジェフリーは水を含みながら顔を真っ赤にした。
「そうですよね!! サキさん、わかってます!」
ミティアは深く頷き、満面の笑みで同調している。これを見たジェフリーが水を噴き出しそうになり、堪えた。彼女からの不意打ちが調子を狂わせる。
「先生、もう判断材料はこれだけでいいじゃないですか」
「そうですねぇ……」
判断材料という言葉がキッドの口からこぼれた。
竜次とまた水面下で心理戦だろうか。ジェフリーもこれは気になった。
「キッドも兄貴も、さっきから何を言ってるんだ?」
意図がわからないのも困ったものだ。ジェフリーは眉をひそめ、何を企んでいるのかと警戒した。意外にも、そのヒントを出したのはキッドだった。
「友だちって、引き裂けるの?」
彼女の隣には友だち以上に親友のミティア。つまり、親友の隣で自信満々に話している。キッドは呆れながらジェフリーに言った。
「もう知り合いじゃなくて、友だちなんでしょ? さっきも言ったけど、あたしたちに迷惑をかけなかったら別にいいわよ?」
少し上から目線だったが、ジェフリーはようやく話の意図を理解した。
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いつも手厳しいキッドがこの態度だ。ジェフリーの勘違いかもしれないが、これは彼女にも認めてもらえるほど仲良く見えるのだろうか。案外そう思わせておきながら、『あたしたちに比べたらまだまだ』などと思っていそうだが。
一部始終を見て、ミティアは小さく両手を合わせた。そして、笑顔で言った。
「ケーキ、頼みますか!? サキさんの歓迎会ですよね!」
「はぁ!? えっ、ちょっ……」
とんだ不意打ちに、急な話の流れ。思わずジェフリーは席を立った。
「連れて行くって顔に書いてありましたよ?」
竜次がミティアにメニュー表を渡しながら笑顔を交わす。含みのある笑いには少し諦めの色も見える。
またも涙をこぼしながら肩を揺らすサキに、キッドは優しい言葉をかけた。
「悪いけど、さっきギルドで先生に聞いたわ。ひどい親らしいわね。どうやったら振り払えるのか、明日までに考えておきなさいよ?」
「な、何だよ、みんなしてグルか?」
ジェフリーは立ったまま三人を見る。ミティアだけは、その視線におかまいなしだ。彼女が夢中になっているページからはスイーツが見えた。
サキは涙ながらに口を尖らせ、恨めしそうにジェフリーを見上げた。
「ずるいです……こんなにいい人に囲まれているなんて」
『ずるい』は正しい表現なのだろうか。いや、サキは羨ましいのだろう。ここに悪い人などいない。ジェフリーもそれはわかっていて、長らく口にしなかった。
竜次は声を小さくしながら解決策を求めた。
「ですが、本当にローレンシア一家を振り払うのは難しいかもしれません。何かいい案はありませんか?」
ローレンシア一家という括りは独特だ。おそらくこの呼び方は、ギルドで何か出回っているのだろう。ジェフリーが真っ先に思い浮かんだのは、サキの師匠で育ての親であるアイラだった。サキが気にしている名前に関して、よくない話はあるらしい。だが、アイラだけは独立している。不自由なく堂々と出歩いていた。そういえば今日の夜に約束がある。
ジェフリーはサキに提案を持ちかけた。
「あとでお前のお師匠さんと約束があるんだ。何か手があるかもしれない。相談してみよう」
「でも、ジェフリーさん……」
「一緒に行きたいって言ってただろ?」
アイラと約束があるのは本当だ。交換条件で、ほしい情報をもらう。そのついでとはなるが、アイラを頼ればいい案をもらえるだろう。これでサキの足枷は解けるはずだ。ジェフリーは自分の中で計画を練っていた。
一番気になったのは、警戒心の強いキッドがやけにおとなしかったことだ。魔法使いを毛嫌いしていた彼女が、サキに気を遣って同情もしていた。口が悪いだけで根は優しいのかもしれない。
話がまとまったところで、竜次が再びため息をついた。
「しかし、困りましたね。ギルドに行っても、ミティアさんの不思議な力の手がかりはありませんでした」
「それだけど……」
ジェフリーが説明しようとして、サキを見やった。まだ涙ぐんでいたが一生懸命に拭い、話のバトンを受け取る。
「実は僕が寄贈した卒業論文が、ほしがっていた情報をかすめていると思って持ち帰りました」
三人の目の色が変わった。さすがのミティアもメニューを伏せて注目している。
竜次は小さく頷き感心していた。
「大図書館に行って、手ぶらで帰って来なかった……そうですね?」
残念な知らせもしないといけない。これはジェフリーから話した。
「大図書館にはもっと詳しい重要書物もあったんだが、誰かに荒らされていた」
「意図的に遮った跡がありました。本の悪魔が召喚されていて、書物の文字が食べられて消されていたのです。何とか倒せましたが、重要書物も白紙になっていました」
サキも説明しながら目元を整えていた。
「た、戦ったんですか!?」
ミティアが声を上げてからはっとして、口を押さえた。人が多く、賑やかな食事処である環境に救われた。
ジェフリーはサキに目をやって話し出した。
「こいつがいなかったら、俺は本棚にぺちゃんこにされていた」
「でも、とどめを刺してくれたのはジェフリーさんです」
「そうサポートを回してくれたのはお前だろ?」
「でも、僕だって助けてもらいました!!」
ジェフリーとサキだけで、褒め合いが始まってしまった。もう、このやり取りだけで親しい間柄だとうかがえる。
やりとりを見ていたキッドは気に食わない表情をしていた。だが、これも心の底から思っているわけではない。
「ものすごく仲良くなってるし、こう見てるとむかつくわね……」
キッドは呆れつつため息をついていた。人一倍警戒心が強いだけで、彼女の中にも優しさはある。
話の方向性が定まり、竜次がまとめようとする。
「さてと、宿に戻ったら作戦会議ですね。今後の計画を練っておきましょう。明日は王都祭なので、あまり派手に出歩かないようにしたいですね」
「今後……?」
ジェフリーは眉をひそめながら着席した。竜次は続けて話す。
「ほしい情報をこの街だけで全部得られるとは思っていませんでしたし。この状況から、今後があるってことでしょう? 私はギルドに行って決めましたよ? だって、収穫なしの手ぶらでしたから」
「もしかして兄貴……」
「さぁ、やりくりが大変ですね」
竜次は含みのある笑みを浮かべている。身につけている伊達眼鏡をクイッと上げる仕草が加わって胡散臭い。
旅路がフィラノスで終わらないのは、ジェフリーも薄々わかってはいた。不思議なことに、悪い気は一切しない。
「わかっていて、サキを招き入れた……のか?」
「じゃあ、ジェフにも聞きましょうか。サキ君はどんな子ですか?」
竜次はジェフリーにもテストをする質問をした。サキと視線が合う。異性でもないのに、恥ずかしい。
「こいつは……」
急に言われると、うまく言葉に表現できない。ゆえに、ジェフリーの口から出て来たのは単語ばかりだった。
「賢い、知識もあるし、根性もある、俺たちにはできない魔法を使う……」
ジェフリーは首を横に振った。こんなものでは済まないからだ。
「俺では思いつかない手段で、困難を乗り越えようとする」
今度はサキが頬を赤らめ、動揺しながら野菜スープをズルズルとすすっている。泣いたり笑ったりと忙しかったせいもあり、お馴染みの言い回しができないようだ。
竜次も称賛に加わった。
「厚かましくて申し訳ないのですが、私たちは魔法に長けていません。知識の街であるここで培(つちか)ったそのお力は借りたいと思います。根本的に頭のデキが違うと思いますから」
サキは激しく噎(む)せ返った。咳き込んで申し訳なさそうに上目遣いをしている。その様子を見ても、兄弟は話を続けた。
「私だけでは切り抜けられない強敵さん、そろそろ出て来るんじゃないですか?」
「あの銀髪の黒マントか……」
「それか、黒い龍……」
言ってから竜次は深いため息をつき、テーブルの空間に突っ伏した。そのまま天井に向かって右手を高く上げた。
「すみませーん、ウイスキーロックください!!」
竜次は店員を呼び、お酒を注文する。ミティアがちゃっかり便乗をしていた。注文するものは、もちろんケーキだ。
注文を終えてから、竜次はわざとらしい泣きまねをした。
「私、か弱いお医者さんですよ。強敵さんと戦いたくないです……」
竜次は自身をか弱いお医者さんだと主張した。まだ酒も入っていないというのに、泣き上戸のようだ。
キッドは激しく突っ込みを入れた。
「えええええ……先生、説得力なさすぎでしょ!!」
これがきっかけになり、緊張の糸が途切れたように皆が笑う。
今くらいは、こうして気にもせず、笑っていたい。つかの間の休息。縮まった心の距離による談笑。
この場にいる皆が、大きなものを背負っている。戻って話の整理をしたら、また気を引き締めないといけない。
変わりたいきっかけは大きな渦へ飛び込む形になった。
面倒だったはずが、途中から引き返せなくなっていた。
情報収集が終われば別れのはずが、惜しく感じていたのは否定できない。きっかけを望んでいたのはジェフリーだけではなかった。
この世に希望はなかった。でも、理不尽の先に希望はあった。
理不尽がきっかけで集まった仲間は、まだまだちぐはぐだが、満更でもない。
忘れていた。誰かと手を取り合って助け合うことを。
これから何を得て、何を失うのか。
もしかしたら何も失わない選択肢を選び、進むのかもしれない。
それがどんなに遠回りでも。
これ以上、何も失いたくない一心で。
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39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
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そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
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引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
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ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
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追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
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