上 下
20 / 56
【3】明かされた真実

賢人の試練

しおりを挟む
 一行は日の出前に沙蘭を出発する。街中はまだ埃っぽく、瓦礫も片付いていないがこれから復興するであろう。
 服も綺麗にしてもらい、寝床まで用意してもらえた。気持ちも新たに出発できる。
 野生動物の侵入防止のため封鎖された街の裏口を開けてもらえた。正姫とマナカが出発する一行を見送る。
 一行を代表して竜次が挨拶をする。ジェフリーも付き添う形になった。
「姫子、マナカもわざわざ見送りをありがとう」
 名残惜しい様子だが、ジェフリーも同じ気持ちだった。
「また来るかもしれないし、今度は帰って来て仕事をくれって言うかもしれない」
 ジェフリーが現実的な言葉を交わす。建前でもなく、ただの口約束ではなく、本当にそうなるかもしれない。
「ジェフ兄さんが帰って来るのでしたら、山ほどお仕事がありますよ」
 言ってからマナカは笑った。意外と歓迎されている。悪くない反応だとジェフリーは思った。
「腕を磨いておきます。またお手合わせをお願いしますね、竜兄さん」
 こんなにしっかりして、強いマナカがいるのだ。沙蘭は大丈夫だろう。棘のある対応が多かったが、竜次はそれも含めて悪くないと思った。家族のことはどうでもいいと思っていた時期もあった。だが、今は違う。
「もちろんです。マナカも光ちゃんとも仲良くなさいね」
 竜次はマナカに言い、頷いた。マナカも頷き返す。言葉は少ないが、多くを話せば名残惜しくなってしまい、仲間に出発を待たせてしまう。
 竜次は正姫に向き直った。
「私ももしかしたら、帰って来るかもしれません。いろいろと終わった時は、きっと住所不定ですからねぇ」
 竜次の悪い癖だが、冗談を交える。笑い話になびくことはなく、正姫は俯いていた。
「いい予感がしないが、もう決めたのでしょうから仕方ない」
 この期におよんでまだ行かせたくないらしいが、ようやく観念したようだ。正姫は竜次に封書を二通持たせた。
「急がないので、お願いします。北の山道も抜けるのでしょうから、ノアへも行くと思っております。おば様へのお手紙もお立ち寄りになるようでしたらお願いします」
「わかりました。いろいろとありがとう、行ってきますね」
 本当はもっとたくさん話したいことはあったはずだ。多くの言葉は出なかった。
「また、皆で遊びに来てください。それまでに沙蘭を見違えるほどに美しくしてみせます!」
 正姫が深々と頭を下げ、マナカもつられて礼をした。

 沙蘭はまた復活する。
 一同はそう信じて先へ足を進めた。

 幻獣の森。
 平野を抜けると、スプリング フォレストとは違う雰囲気の森に辿り着いた。光と風が抜ける綺麗な森だ。小鳥や小動物も見かけた。サクサクとした土、朝露を葉に溜めたツヤのある木々と草。
「綺麗な森ですね! 風も気持ちいいです……」
 ミティアが昇ったばかりの陽の光を受け、眩しそうに目を覆う。
「さて、ウサギのお化けはどちらでしょうかね」
 竜次も気持ちよく伸びをしている。痛めてしまった左腕は上げづらそうだ。
 キッドがローズに質問をした。
「その幻獣ってどんな人……なんですか?」
 情報が少ない。ローズは深いため息をついて茂みに目を向ける。
「平たく言うと、鬼畜デス。おそらく面白がって腕を試されると思いマス」
「きちく? きちくって、何?」
 キッドの疑問にはサキが答えた。
「あまりいい言葉ではないです。人間としてどうなのかと思う行為を平気でする人……と、いう意味です。そもそも幻獣なので人ではない気がしますけども」
 サキの説明がまるで辞書のようだ。その幻獣とはいったいどれほどの『鬼畜』なのだろうか。冗談半分程度だろうとローズ以外は思っていた。

「先生、それは?」
 ミティアが竜次の腰をじっと眺めている。彼の腰には長い刀のほかに、小太刀が下がっている。艶のある黒地に赤い花びらの模様が描かれた、可愛らしい鞘に入っていた。
「これは小太刀です。これなら片手でも振れますので、しばらくは……」
 竜次なりの対策のようだ。確かに大振りをしていれば、負担は大きいまま。ただ、この小太刀は女性用にも思えたが、腕はいいのだから大丈夫だろうとミティアは解釈した。
 せっかくミティアに興味を持ってもらい、上機嫌かと思いきや竜次は浮かない顔をしていた。ミティアとサキが手をつないでいる。それが気になって仕方がない。知っている限り、サキはキッドと仲良かったはず。突然どうしたのかと気になった。
「サキ君、キッドさんと仲良しだったのでは?」
 気に入らない様子だ。ましてや、明らかに危険度が低い森なのになぜ手をつなぐのだろうか。竜次はそわそわと落ち着かない様子だった
「わたし、サキに好きって言われちゃいました!」
 ジェフリーと竜次が先に足を止めた。流れで全員が足を止める。
 ミティアの無邪気な言葉に、竜次が引きつった笑いをしていた。
「あ、あー……そ、そうですか、そうなんですか……?」
 明らかに動揺している。
 ジェフリーがじっとサキを見た。
「えへへ……どうしました?」
 サキが小悪魔のような、含みのある笑いをしている。疑問。いや、気に入らないのがジェフリーの正直な気持ちだ。
「お前……いつの間に?」
「ふっふ~ん」
 サキが勝ち誇ったようににっこりとしている。ジェフリーは眉間のしわを深めた。

「あー……この空気、何でしょ、怖いデス……」
 ローズが場の空気に寒気を感じて、両腕をさすっている。
「ちなみにあたしは認めてないからね」
 キッドは腕を組みながら、ミティアとサキをじっと見ている。この刺す視線を浴びせても、手を解く様子はない。
「えー、なんで? わたしはうれしいのに!」
 一致団結から一転し、亀裂が生じそうな勢いだ。
 茶番もほどほどに、再び森の奥へ歩き出した。
 歯痒い思いをしている竜次が、先頭を歩いた。隣には、キャラクターが崩壊している兄を面白がっているジェフリー。
「い、今なら超必殺技とか、クリティカルヒットが出せるかもしれません……」
「どう見ても平和な森だぞ……」
 ジェフリーは冴えた指摘を入れながら気がついた。竜次はなぜか勇み足だ。これは一度、何かの機会を設けないと気が済まないかもしれない。サキの思惑が読めず、不振感を抱きつつあった。ミティアに気がないとは言い張ったが、わざとらしい当てつけにも思えた。
 いったんは目的の一致で団結した。だが、波乱の予感がする。
 森を進むと湖畔が見えて来た。空を転写する鏡のような光景は幻想的だと抱かせる。
 湖を見かけた途端、竜次が足を止めた。水に対する苦手意識なのだろうか。ジェフリーに前を歩かせた。
「わっ、何だろう、あれ!」
 後ろを歩くキッドが声を上げた。
 皆で注目すると、茂みで様子をうかがっている青白い小動物を見つけた。長い耳を上下させている。例の幻獣ウサギかもしれない。
「わぁ、可愛い! 待って、待ってぇ!」
 ミティアはサキの手を解いて、一目散に走り出してしまった。目の前にあらわれた、可愛らしい生き物に夢中のようだ。
「わわっ、ミティアさん一人で行っちゃ危険ですよ?」
 サキが声をかけるが、ミティアはもう茂みに駆け込んでいた。
 困惑するサキの横を竜次が元気に走り抜ける。ミティアを追い駆けて行った。
 わかりやすい。わかりやすすぎて、ジェフリーとキッドは呆れていた。竜次がミティアを意識しているのはここ最近で見ていてわかることだ。ただ、あまりにも露骨なので、微笑ましいよりは呆れてしまうのが先立った。
 ローズが声を震わせながら控えめに指摘をした。
「あれは小さいので妹さんデス、多分一番良心的なハズ……?」
 ローズは良心的と言っているが、皆は程度を知らない。
 皆もミティアを追った。茂みを抜けてすぐの開けた場所でミティアが腰を抜かしている。横で竜次も刀の柄に手をかけ、警戒をしていた。
 ミティアと竜次の視線の先には男の子と女の子がいた。女の子はピンクのチェック柄のバンダナに黄色いエプロン姿、紫色の髪は長くて可愛いらしい。男の子は魔法使いのような格好をしている。赤い帽子に藤色のローブだ。紫色の髪を結っていた。二人ともウサギのような長い耳と、ふさふさの尻尾が見え隠れしている。十代半ばに見えたが、もし彼らが幻獣なら、年齢などあってないようなものだ。
 一同が揃ったのを確認し、男の子がにやりと笑いながらゆっくりと歩み寄った。笑った時の八重歯がやけに目を引く。
「ローズちゃん、久しぶりだねぇ? どうしたのさ?」
 男の子はローズを手招きした。
「ボクをケチョンケチョンにしたくて、ギルドで人でも雇った?」
「そ、そういう用事ではないデス……」
「面白そうな人たちを連れて来てくれたね。せっかく来たんだからさぁ、遠慮しないで遊んで行こうよ!」
 男の子が仁王立ちをしながら一人ずつ眺めていく。
「ボクの名前は圭馬、こっちは妹の恵子。何か用事あるんでしょ?」
 圭馬と名乗った男の子はローズに向けて確認を取った。それよりも賢人を前にしたサキが物怖じせずに前に出ている。圭馬はこれを気に入ったようだ。
「ふぅーん、キミは魔法使いかな? ボクと勝負してみない?」
 圭馬はサキを舐め回すようにじろじろと眺めている。
 そんなつもりはなかったのに勝負を指名され、サキは目を丸くして驚いた。
「け、けーまくん、この方たちは大切な方々デス。それにワタシ、ご相談が……」
 ローズが止めに入ったが、圭馬は鼻で笑って馬鹿にした。
「大切ぅ? へぇ、人間が? 人間って汚いじゃん。ローズちゃんは友だちゴッコでもしてるのぉ?」
 ローズは圭馬を鬼畜と言っていた。その意味が、わかったかもしれない。人間を見下す態度があまりにも立派なため、一同は息を飲んだ。
「うっわあ……わっかりやすい悪党ね……」
 キッドは物怖じせずに圭馬を悪党と言った。だが、圭馬はそんな彼女も気に入ったようだ。
「それじゃあ、キミとそこの魔法使い君が仲良く組んで僕を楽しませてくれるかな?」
 キッドは言われてサキを見るも、渋々歩み寄った。
「あんたと組めだって……」
「そうらしいですね……」
 サキははにかんで身を縮めた。個人的に慕っているキッドとまた組めるのかと思うと心強い。しかも相手は賢人だ。どんな手を持っているかわからない。
 戦うというよりは腕試しに近い感覚だった。

「何かよくわからないが、勝手にしてくれ。ご指名なら、俺たちは見てりゃいいんだろ?」
 話が勝手に進んでしまったので、ジェフリーがギャラリーに回ろうとしていた。
「誰がそんな激アマなこと言ったの? 血の気が多そうなお兄ちゃん」
 圭馬がジェフリーにも笑って話す。
「仲間なんでしょ? じゃあ、ゴッコ遊びじゃないって証明してくれるかい?」
「はぁ⁉」
 圭馬は威圧をかけながら、今度はミティアの前に立つ。立ち上がって体勢を整えた彼女の首もとに、圭馬の指が触れた。
「はい。キミにはプレゼントをあげるね」
 触れられた首に、鈴のついたほんのり光る首輪が下げられた。赤い色をしていて、可愛らしいがこれはいったい何だろうかと疑問を抱く。小動物のようなしぐさをするミティアには似合っていた。
「はへっ? 何ですかこれ?」
 困惑しているミティアを見て、サキが青ざめる。
「あれは大魔法……蹂躙の首輪!」
「だいまほう? じゅうりん?」
 ミティアの首輪は魔法の一種のようだ。サキが言うのだから間違いないだろう。
 圭馬はジェフリーと竜次を指さした。
「赤髪のお姉ちゃんに命令だよ。そこのお兄ちゃんたちと殺し合ってね」
 場が凍りつく言葉が放たれた。圭馬はミティアの様子を見てにやにやと笑みを浮かべていた。そのミティアは首を振りながら、腰の剣を引き抜いて構えた。
「え、え……?」
 ジェフリーと竜次に向かって刃先を向けている。ミティアの表情は困惑に満ちており、自分の行動が意志と反しているようだった。
 敵意が向けられていると理解した竜次がジェフリーに声をかけた。
「あの、ジェフ? これってつまり」
「そういうことらしい。よかったな、ミティアの相手ができるぞ」
「こういうお相手はちょっと……」
 ミティアは困惑の表情のまま低く構え、そのままジェフリーに斬り掛かった。
 ジェフリーは剣で受け身を取った。あまり竜次を動かしたくはない。
「あの、えっと、ジェフリーさん、わたし……」
「こうなるなら、剣術を教えない方がよかったかもしれないな……」
 ミティアには力はないが、早さと打数で何を繰り出されるのかわからない。動きは読めず、不規則な踏み込みと剣戟だ。だからといって本気で斬り返して、怪我をさせるわけにもいかない。
「早いな……これは俺も困った」
「ご、ごめんなさい、ジェフリーさん」
「いや、手合わせをするいい機会だと俺は思うことにする」
 ジェフリーが受けている剣が軋む。ミティアの剣もカタカタと震えている。それだけお互いに力が入っているとうかがえる。
 その様子を見た圭馬が八重歯を見せて高笑いをした。
「あっはっは、ぶわぁーーーっかみたい。もっと泣いたり叫んだりしてもいいんだよ。それとも今から逃げたら? ボクに用事なんてありませんよーって」
 圭馬の言葉の中には挑発が込められていた。
「誰が逃げるか!!」
 ジェフリーはいったんミティアの剣を払い除け、間合いを取った。なるほど、確かに圭馬がやっていることは鬼畜だ。仲間同士で殺し合いをさせるなど、趣味が悪い。
「恵ちゃんはローズちゃんが余計なことをしないか、見張ってくれる?」
 圭馬はローズの行動も封じようと恵子を向かわせた。ローズは唇を噛み締める。
「相変わらず、性格が悪い幻獣デス……」
 恵子がローズについた。何かするわけではない。だが、何かしないかと見張っている。ローズは相手を観察して弱点を提案してくれる貴重な存在だ。打開の手がひとつ、封じられた。

 圭馬はキッドとサキに振り返った。
「さぁ、ボクたちも始めようか? もし楽しませてくれたら、キミたちの話を聞いてあげるよ」
 圭馬の藤色のローブが翻った。
 単純に考えれば六人と二人だ。
 まさかこのような形で力を試されるとは思わなかった。ローズは賢人だと言っていた。鬼畜だとも言っていた。幻獣と言っていた。感覚が違うのだろうかとサキは思考を働かせた。
 黙って考えているサキに対し、圭馬が忠告をした。
「言っておくけど、ボクの方が格上だから、彼女にディスペルはかからないからね!」
 圭馬がサキに対して、解除魔法は無駄だと忠告をした。ミティアにかけられてしまった魔法の解除はもちろんサキの頭の中にあった。先手を打たれたか、あるいは心が読めるのだろうかと嫌な予感がしていた。
「ちょっとあんた、何か方法はないの?」
 キッドはサキに期待をしていた。サキには何度も助けられている。危機を脱する手立てがあるに違いないと思っていた。
 サキの返事はない。手を考えている様子だ。
 キッドは弓矢を地面に下ろし、脚から狩猟用の剣を引き抜いた。
 サキも右のポーチからガラス玉を取り出し、杖に変えた。
 キッドは攻め込む前にミティアに向かって叫んだ。
「ミティア! あたしの分までそいつ、ぶっ潰してやりなさい!」
「ふぇあっ⁉ キッドぉ?」
 ミティアだけは間に受けている。要するに上手くやれというキッドなりの気回しだ。だが、その言葉にジェフリーがカチンと来たようだ。
「キッド、あとで覚えてろよ」
「あとがあるならね」
 ジェフリーがキッドと一瞬だけ視線を合わせたが、すぐ切り替えた。ジェフリーもミティアの相手をしなくてはいけない。

「怪我をしても知らないわよ!」
 キッドが圭馬に仕掛けた。シャッと空を裂いた。彼女の早さを避けるとは侮れない。
「殺すつもりでもいいよ? どうせ無理だと思うしね」
 圭馬は魔法使いのような外見とは違い、身軽で動きに余裕がある。力を試されているのはわかったが、ここまでする意図がどうしてもキッドにはわからなかった。だがそれも、この幻獣を倒せば答えは出ると信じている。
「いい性格してるじゃない。こういうはっきりしたの、嫌いじゃないわ、よっ!」
 キッドは追撃を仕掛けたがまたも空振りだ。ローブぐらいかすめてもいいはずなのに、まったく当たらない。
 一方、サキはまだ未行動だ。手の内に詰まっていた。自分がやりたいことが塞がれている。手助けもない。自分だけで打開の道を見つけるという窮地には、どうしても慣れていない。
 キッドの猛攻がすべてかわされ、苛立っていた。
「そろそろあたしが面白くないんだけど?」
 間合いを取って、いったん後退する。いたずらに時間だけが過ぎ、キッドの体力だけが消費されていく。
 圭馬にも、そしてサキに対しても言っているように思える。
「それもそうだね、後ろの魔法使いクンはやる気がないのかな?」
 圭馬が右手を振り上げた。緑の光を放とうとしている。
「じゃあ、その気にさせてあげよう。嫌でもキミの実力を試させてもらうよ」
 サキがここでやっと動きを見せた。緑の光、つまり風の魔法だと判断した。
 口元を動かしながら、キッドの前に立って杖を振り上げた。
「相殺する! ソニックブレイド!」
「おっ、ボクと魔法で力比べをするのかい? 釣られやすいみたいだね」
 サキは風の魔法を放つ。大きな真空の刃が圭馬をとらえるかと思った。だが、圭馬は左手を振り上げ、詠唱なしで青い光を引いた。
「そびえよ、氷の壁!」
 圭馬が放った魔法は地面を掘り起こし、草をなぎ倒す立派な氷の壁を展開していた。この反応力は尋常ではない。サキは驚愕した。
「そんなっ、フェイント!?」
 圭馬の右手にあった緑色の光は消えていた。サキが指摘するように、圭馬はサキの傾向をうかがっていたようだ。
 風の刃は氷を貫けなかった。風が削り出した破片が散っただけだった。
「読みが甘いし、行動が鈍いから大きい魔法をやろうとしているよね?」
 圭馬の指摘を受け、サキは悔しそうに唇を噛み締めた。
「切り替えなさい! 失敗は生かすためにするものよ! あんたの実力はそんなものじゃないでしょ?」
 キッドは気持ちが落ちたけたサキを激励した。
 サキは頭をぶんぶんと振って、杖を大振りした。
「アシストスペル!」
 サキの杖がぼんやりと光った。確認して構え直す。
 それを見た圭馬がにやりと笑う。
「その魔法はキミ自身の詠唱時間が短縮されるだけ。そのぶんキミの負担はかかったまま。つまり大きな魔法を放てなくなるんだよ?」
 サキはもちろん承知していた。これは自分に対する継続魔法だ。
 詠唱の補助と言ってしまえば簡略だが、今の自分に欠けているのは判断の早さだけではなく魔法を放つ早さも足りていない。せめて魔法の早さだけでも補おうという手だ。サキはこれだけではなく、打開の手段を思いついたようだ。
「キッドさん、お耳を貸していただけますか?」
 サキの方からキッドに耳打ちをした。コソコソと二言、三言話すと二人は目つきを変えた。
 圭馬はフサフサの尻尾を揺らして様子をうかがっている。
「今さら作戦会議ねぇ。人間独特のくっさい友情でも見せてくれるの?」
「もしかしたら、それ以上かもしれないわよ⁉」
 キッドは剣を左手に持ち換える。
 そのまま地面を蹴ったが、右手にはもう一本の剣を構えていた。
「避けられちゃうなら、そうじゃない方法を取ろうかしらね」
 キッドは剣を圭馬の足元に投げ刺した。その剣はローブでも圭馬自身でもなく、影を捕らえていた。これは意図的なものだ。サキは素早く魔法を施した。
「ムーブロック!!」
 この魔法は動きを封じるもの。つまり圭馬の足元の動きを封じた。もう素早く回避されることはないだろうとサキは思っていた。
「あー……それはマズいかもなぁ」
 圭馬は苦笑いをしながら、右手でぐるっと円を描いた。
「その右手、いただくわよ!」
 キッドが圭馬の懐に潜り込み急接近した。一気に斬り崩すつもりだ。
 ギィンッ!
 圭馬の右手には光の槍が構えられていた。キッドの一撃は受け止められてしまった。
「ふぅ、あっぶなかったぁ……」
 圭馬は足が動かせないため、踏ん張りが利かないようだ。キッドの力に押されている。

「ジェフリーさん、避けてくださいぃぃぃぃぃ!!」
 ミティアは命令に従順なまま嫌々に剣を振っている。受け止めているジェフリーにとっては剣術稽古に近い感覚だった。
「早いんだよな、ミティアの剣は……」
 ミティアの華奢な腕からは想像がつかない剣戟が繰り出される。
 順調に受け身を取っていくジェフリーの後ろで、竜次が感心していた。
「私の振り方に近いかもしれませんねぇ」
「代わるか? 今ならクリティカルヒットが出せるんじゃなかったのか?」
 ジェフリーが竜次に話を振った。だが、竜次はなぜか笑顔だった。
「そうですねぇ……でも、もう少し、見ていたいですね」
「はぁ⁉ 兄貴、正気か?」
 いつでも割って入れるくらいの余裕はある。だが、どうも様子がおかしい。竜次は個人的に楽しんでいた。ミティアの剣技をほとんど見たことがない彼にとって、これは興味を引くという建前の、『ミティアが困っている顔が可愛くて仕方がない』ようだ。
 ジェフリーが簡単にやられるはずがないことくらいは知っていて、竜次は手を出さなかった。奇しくも、この機会をくれた幻獣に感謝をしたくなる。
 鼻の下を伸ばし、にやにやとしている竜次の様子を見て何となく察しがついた。ジェフリーは小言をぼやいた。
「兄貴は変態にでもなったのか……?」
 ジェフリーの指摘がさすがに気になったのか、竜次は小太刀を引き抜いた。
「可愛い人は愛でたくなりませんか?」
「変態野郎が……」
 ジェフリーが後退した。これが合図と見た竜次はうれしそうに前に出た。
「さぁ、いらっしゃい。今度は私がお相手しますよ?」
「せ、先生、なななっ……何か怖いです!!」
 剣を構えながら、ミティアは怯えていた。
 竜次が強いのは知っている。鋭い剣戟を放つのも、攻撃を受け止められて反撃をされるのも実際に見て知っていた。自分の意思に反して、ミティアは竜次に斬り掛かった。
 竜次は小太刀で受け止めたが、半歩後退していた。
「おっ、これは確かに……」
 ミティアの剣は細く長い。ゆえに少し読みが浅かったようだ。
「このままミティアさんに斬られるのも悪くないかもしれませんねぇ」
 不敵な笑みだ。竜次はものすごく楽しんでいる。
「せ、せん……っ⁉」
 いったん受け止めている刃を引いて、ミティアの剣を押し返した。
 力技では五分五分だ。しかも竜次は片手でまだ余裕がある。ただ、厄介なことに左腕を負傷している。長期戦は不利になるだろう。その考えから、竜次は思い切った行動に出た。
「あまり痛がらないでくださいね?」
 ミティアの剣が弾かれ、右手が大きく外に振られた。竜次はそのまま彼女の左手をつかみ、抱くようにして地面に倒れた。
「はい、捕まえた」
 竜次は左手でミティアの右手首を押さえていた。剣が握られたままだが、さした力はない。
「んんーっ!! 先生、苦しいです!!」
 ミティアは上半身を押さえ込まれ、足をじたばたしている。
「あまり暴れると、誤解をされそうなので大人しくしてくださいね」
 離れて見ていたジェフリーは呆れていた。竜次が楽しんでいるように見えて仕方ない。ミティアが押さえ込まれている以外は嫌がらないのも、何となく引っかかって仕方がなかった。
 この複雑な気持ちは何だろうか。ジェフリーは雑念を払うようにかぶりを振って、ミティアから剣を取り上げた。軽いし綺麗な剣だ。護身用で舞う程度なら、そう言っていた彼女の剣だ。この剣に感じる重みはない。むしろ、木刀の方が重い。こんな剣でも、彼女は一生懸命に振っているのだ。それを思うとけなげに思えた。

 ようやく圭馬に直接的な攻撃を当てることができた。受け止められてしまったが、そこまでは計算のうちだ。キッドはこのまま攻め込めるような気がしていた。
 そんな期待を胸に、キッドの腕に力が入る。
「おぉぉぉ、すごい力だね! この覇気はなかなか珍しいかもしれないなぁ」
 キッドが思いっきり力を込めた途端、圭馬は鼻で笑った。
「お姉ちゃんって、まだ負けたことなさそうだよね」
 圭馬とキッドはぶつかり合ったまま目が合った。圭馬の無邪気な瞳が殺意を秘めている。キッドはこの視線に危険を察知し、間合いを取った。攻め込めるのかもしれないが、ここは退くべきだと判断した。
「な、何よ……?」
 キッドが退いたところを今度はサキが応戦した。
「アイシクル! アイシクルブリッド!!」
 氷の魔法を二発放った。打撃を与えるものと行動を制限するものだ。詠唱短縮魔法のおかげで、連続で放つことが可能だ。だが、圭馬はこの魔法を弾く様に打ち消した。光の槍をぐるっと回し、空に向かって投げた。
「ちょっと本気を出そうかな」
 圭馬はまたもにやりと笑った。どうもこの発言と不敵な笑みのバランスが不穏だ。口角を上げた際にのぞく八重歯も相乗して、下手な悪役よりも恐怖を抱かせる。そしてその実力は計り知れない。
 サキの手が止まってしまった。見知らぬ魔法に目を奪われる。
「なっ、何ですかこの魔法……」
 読めない、何を仕掛けて来るのかがわからない。そんな困惑で凍りついたように動かないサキを、キッドが庇いに入った。サキの頭を抱え込んでいる。
「セイクリッド アローレイン!!」
 圭馬は強大な魔法を放っていた。光の槍が空で弾け、矢となって二人に降り注いだ。視界が徐々に白く染まっていく。これは回避ができない。
「そ、そんな……」
 サキが瞬時に障壁を張れば幾分かは軽減が可能だった。だが、見知らぬ魔法に目を奪われたせいで手が止まってしまった。自分が臨戦に慣れていないせいだと悔いた。だが、どうしても腑に落ちない。圭馬はミティアに魔法をかけていた。それを計算すると大きな魔法が放てるはずがない。

 サキは光に飲まれる前に考えていた。
 術者が負担できる魔法には限界がある。欲張れば身を削る行為だ。賢人がそのような無茶をするだろうか。いや、ミティアにかけていた魔法を解いているなら可能だ。
 あぁ、自分はまだまだだった。今だってキッドに……

 パァンッ!!
 真っ白な光が弾けた。目を瞑っていたが、それだけはわかった。サキはおそるおそる目を開いた。蛍のような優しい光が漂っている。その向こうに、顔をしかめた圭馬。どういうことだろうか。
「キッドさん、あの……」
 サキは自分の状況に驚いた。キッドの胸に圧迫されていたのだ。
 キッドも目を開けた。
「な、何……? あたし、死んだ?」
「いえ、違うと思います……」
 キッドの柔らかい感触を逃れるように、サキは自分から離れた。
 圭馬は足元の短剣を蹴って魔法を抜けた。
「ふぅん、なるほど。殺すつもりだったわけだけど、面白いものが見られたからね」
 圭馬は腕を組んで、首を傾げた。そのままキッドに質問をする。
「お姉ちゃん、ノイズでしょ?」
 サキも確信を抱き、つられるように呟いた。
「や、やっぱり……」
 キッド本人は理解が追いついておらず、ひどく困惑していた。
「へっ? 今度は何? 何が起きたの?」
 圭馬はキッドを見つめ、軽く疑惑に触れた。
「お姉ちゃんも不思議な力を持っているってことさ。マジックキャンセラーかとも思ったけど、もしそうだったら、そもそもこの場の誰もが魔法を使えなくなる……」
 困惑をし続けるキッドに、サキは説明を加えた。
「ノイズ、つまり……魔法無効能力者です」
「まほうむこうのうりょくしゃ……?」
「世界がひっくり返るかもしれない……」
 キッドはさらに首を傾げた。言葉の意味が理解できていないようだ。
 
 圭馬はジェフリーたちにも話を振った。
「キミたちは、お姉ちゃんがこの能力を持っているのを知ってるの?」
 ミティアと竜次はじゃれ合っているようになり、ローズと恵子は世間話をしている。誰も圭馬の質問を受け止めていない。
 そんな散らかった状況の中、ジェフリーが収拾をかける。
「おーい、もういいって言ってるぞ」
 まとまりがない状況を仕切り直した。ジェフリーが圭馬に詫びる。
「すまないな」
「ははは、こりゃあ気苦労が多そうだね」
 圭馬は一行の勝手を理解し、へらへらと笑う。
「手荒な真似をしたことを詫びるよ。一応お客様だから、ここで立ち話は悪いね。お屋敷においで。ゆっくり話の場を設けようじゃないか」
 圭馬は皆を歓迎しているようだ。人間を見下し、好戦的だった態度が変貌した。話の場を設けると言って一行を先導する。

 森の奥へ進む。その道中で、歩きながら簡単な自己紹介をした。
「幻獣って言っても、耳や尻尾だけで人間と大きくは変わらないんだな?」
 ジェフリーが圭馬に指摘を入れた。圭馬と恵子は、ウサギのような耳と尻尾が見えるだけで、ほかは人間と大差がない。
 質問に対し、圭馬は抵抗なく答えた。
「今のボクたちは人間と変わりない姿をしているけど、この森が特殊なだけだよ。外の世界を歩こうものなら、実態は保てなくなるんだ」
 圭馬の説明は難しい。この森が特殊だというのは何となく汲み取れるが、教えてくれる意図はこの時点では誰もわからなかった。
「それにしても、こんなにたくさんの人間のお客さんが来るなんて初めてだよ。ローズちゃんはあんなに人と関わるのは嫌がってたくせに、どうしちゃったのさ?」
 話を振られ、ローズは言いづらそうにしていた。
「や、まぁ、きっかけはたまたまデス……」
「冒険者にしてはデコボコだよね。さっきの感じだとまとまりがなさそうだし、物理に特化しているから旅をするにはバランスが悪いし、道中でいっぱい苦戦してそうだね?」
 圭馬は一行に厳しい指摘をした。この中で魔法を使うのはサキだけだし、ローズは助言や援護をするが戦力には入らない。
「まぁ、仲はいいみたいだね。さっきはもっとぐちゃぐちゃして、ドロドロした殺し合いをしてほしかったけどね」
 今度は長所を言った。圭馬の殺し合いに関しては、誰もが悪趣味だと思った。
 竜次は笑いながら、ジェフリーに視線をおくった。
「いやぁ、あの魔法の首輪には驚きました。ミティアさんではなく、ジェフにかけられていたら今ごろ壊滅していたかもしれませんね」
 これにはジェフリーも苦笑いをしている。
「ドロドロした殺し合いをするくらいなら、俺はバッサリと切り捨てられた方がいいな」
「安心しなさい。あんたにやられる前に、あたしがその何考えてるのかわかんない脳天をひと突きにしてやるんだから」
 キッドは矢筒を持ち上げ、不敵な笑みを浮かべる。彼女の言葉に、ジェフリーはため息をついた。
「これのどこが仲良しだと判断されるんだろうな……」
 疲労が抜けていないので元気がない。言い返すのも面倒になって適当に聞き流した。どうせこれは冗談だとジェフリーは思った。

「ローズさん、前はどうやって来たのですか?」
 ミティアは歩きながらローズに質問をした。圭馬はローズが会いたがっていた賢人だ。前はどうしていたのだろうかと話が広がる。
「以前もあんな力試しをしたのでしょうか?」
 サキも疑問に思って話しに参加した。ローズが一人で挑んだところで勝ち目がない。ギルドで人を雇ったのかと想像していた。
「いえ、以前はけーま君の好物、フィラノス産の黄金ニンジンを手土産にして頭を下げに来たデス……」
 ローズの言葉に、圭馬は口を尖らせた。
「人間に興味がなかったのに、エサで釣るなんてずるいよね。ボクの存在や好物までよくリサーチしたと思うよ。そんなもの好き、そうそういないもん」
 とてもではないが、手土産を用意できるのどかな旅路ではなかった。手土産を持ってくる発想はなかったし、余裕もなかったのだから仕方がない。

 圭馬たちに案内され、辿り着いたのは立派な屋敷だった。いつの間にか湖畔の向こう側に行き着いたようだ。
 赤い屋根に豪華な手すり階段、見える窓だけでも部屋はいくつあるのかわからない。階段を上がり、大きな扉をくぐった。そもそも入り口が一階ではない。
 屋敷に入ると天井が高く、玄関口だけでかなりの広さを感じた。立派なえんじ色の絨毯が敷かれ、さらに上に行く階段もある。絵に描いたような、豪華な洋館のエントランスだ。

「応接間でいいかな。お屋敷の中は広いからうろうろして迷わないでね」
 圭馬が屋敷の中を案内する。恵子はお茶を用意しに離脱した。
 これだけ広いと本当に迷ってしまいそうだ。廊下にも絨毯が敷いてある。天井は小さいシャンデリアがいくつもあり、壁には絵画が飾られている。
「ずいぶん豪華なおうちですね?」
 歩きながらミティアが言う。彼女の指摘のように、幻獣が住むには広すぎる。
「実はボクたちの家じゃないんだ。もう千年も前に亡くなったボクの召喚主……最初の友だちの家なんだ」
 圭馬の声質が変わり、低くなった。小生意気に話していた時とは違う。
「一般的には黒い龍って呼ばれている邪神龍を倒すため、ボクたちはその人に呼ばれたのさ?」
 言ってから反応を待たずに振り返った。
「想像から、その話をしに来たんでしょ?」
 圭馬は一同の表情から察すると、再び歩き出した。
「最近、目撃情報や人里が襲われる話が頻繁になったよね。あんなの、ただの負の連鎖なのにさ」
 小言をぼやきながら部屋に案内した。応接室にしては広めだった。圭馬の友だちはどんな人だったのだろうか。これだけの大きな屋敷だ。金持ちか、貴族か、大地主だと皆は予想した。
 部屋の装飾は少ない。だが、窓が大きく日光がよく射し込んで明るい。窓の外は森の木々が見える。
 皆は適当にテーブルを囲い、フカフカのソファーに腰をかける。席に着いた頃合いで、恵子が銀の盆を持って入室した。人数分のティーカップと大きなティーポットが乗っている。この時点でさわやかな香りがした。
「おぉ、ミントティー……」
 注がれる香りでローズは種類を言い当てた。恵子は顔を上げてにっこりと笑う。
「運動後にはサッパリするお茶がよいですぅ」
 兄の圭馬とは大違いだ。圭馬が恵子に言った。
「お茶菓子もほしいな?」
「かしこまりましたですぅ」
 お茶を出し終えた恵子が、盆を持って大きく頷いた。
「あぁ、お気遣いなさらなくてもいいのですよ?」
 竜次がお茶の香りを楽しみながら言う。だが、圭馬は首を振った。
「ボクが食べたいからだから気にしないでよ。どうせ長話だし、お腹が空いていたら真剣な話がちゃんと頭に入らないかもよ?」
 臨戦していた時とは違い、ずいぶんと気を配ってくれる。一同は不思議に思っていた。
 圭馬はソファーに深く腰かけ、話を持ちかける。
「さて、ボクに用があるんでしょ。何から話したいの?」
 話は山のようにある。問題はどれから触れたらいいのやら。しばらく皆が皆、お互いの顔色をうかがっているものだから圭馬が話を振った。
「それじゃあボクから質問をさせてもらうね。キミたちは、何と戦っているんだい?」
 始めに切り出されたのはこの質問だった。
 この質問に竜次がティーカップを置いて話し出した。
「まず、それすらはっきりしていません。黒い龍……やはり邪神龍とお呼びすればいいのでしょうか。あと、その龍の傍らにいた女の子……?」
 竜次の言葉にサキが反応した。
「魔女でしたら浄化しました。ですが、あれは倒したうちに入るのでしょうか」
 いかにも戦ったという内容だ。この会話だけで圭馬は表情を渋めた。
「魔女、ねぇ……まぁそっか。浄化したってことなら、倒したでいいと思う。これ以上誰かを憎んだり悲しんだりしなくてよかったじゃないか。どうせ最後は苦しみながら死ぬんだし。あんなのになったら、満たされずに殺戮を繰り返すだけなんだから」
 ミティアが膝の上で手を組んで俯いた。
「あ、あの……すいません」
 声が震えている。だが、ミティアは顔を上げた。
「魔女って……『世界の生贄』って何ですか? 黒い龍と一緒だった女の子がそうだったんですよね?」
 圭馬はミティアの反応を見て、ローズに振った。
「ん? このお姉ちゃん、もしかして。ローズちゃん、話してないの?」
「えっと……」
 ローズが皆の注目を浴びている。やはり何か情報を握っていたのだろうか。
 圭馬は早々に察しておおらかな反応を示した。
「あー……おっけー、ボクが順を追って話そう」
 どうやら複雑な話のようだ。圭馬はまるで『先生』のように話し始めた。
「『世界の生贄』の前に予備知識を話そう。今から千年ほど前に種族戦争が起きたのは知っているかい?」
 いったん大きな話から遠退いた。
 種族戦争の話になって、皆が反応した。サキの論文で触れたものだ。
「ざっくりとしか触れていませんが、まったく知らないほどではないです」
 サキがそう言うと、圭馬は頷いた。
「じゃあ、これもざっくりでいいけど、その戦争でたくさんの人が死んだ。戦争だからそうなるよね。で、その戦争に巻き込まれた人は理不尽だよね。そういった人は誰かを憎まずにはいられなかった。その憎悪の塊はやがて龍になりました」
 ものすごくざっくりとした説明だ。すべてを理解するのは難しいのかもしれない。
「この世界には魔法もあるし、ここに幻獣もいるんだ。世の中、知られていないだけでもっと種族がいたんだよ。それも大昔からね」
 圭馬は簡略に説明をしていく。あまりにもトントン拍子に話が進むため、ジェフリーは話しを止めようとする。
「ま、待ってくれ、それは千年前の話をしてるのか?」
 そんなに前の話を、今に結びつけられては混乱もする。それでも圭馬は続けた。
「邪神龍は昔から存在してるよ。だから、今の邪神龍が暴走するとどうなるかわからない。それを制御していたのが『世界の生贄』ってわけさ」
 圭馬は話を進め、今度はミティアに視線をおくる。
「『世界の生贄』って呼び方は好きじゃないけど、救世主も同然だよ。だってその人は犠牲になって邪神龍を理解し、全部受け止めようとするんだもん」
 ミティアは震えながら俯いた。
「わたし、世界の生贄って言われました……死ぬんですか? あの子みたいに恐ろしい姿になって……」
 弱々しい声だ。次の言葉を聞くのも怖がっている。
「普通はそうだね」
 圭馬が非情なまでにさらっと返事をした。
 ミティアは大きく息を吸って、吐きながら肩を落とした。ショックを受けて当然だ。
「ってことは、普通じゃない場合もあるんだな?」
 ミティアはその言葉に、落ちかけた気持ちが救われた。言ったのはジェフリーだ。腕を組んで、涼しい表情をしている。
「話はわかりました。ですが、われわれはそんな答えを待っていたわけではないです」
 ジェフリーの隣で竜次が、大丈夫と言わんばかりにミティアに笑みかけている。
「それで? 何? 根本からその黒い龍をぶっ潰せばいいの?」
「それでしたら、僕だって頑張りたいですね」
 キッドもサキも、同じ考えだった。
「出たよ、人間特有のくっさい友情。ま、『ないことはない』と思うけど、誰も犠牲にしない道はすごーく難しいんだよ。その覚悟はあるの?」
 圭馬の言葉には違和感がある。念のためジェフリーは確認をした。
「その道を選びたいんだが、どうしたらいい? あんたは知ってるのか?」
 圭馬は『ないことはない』と言っていた。つまり、道はあるとジェフリーは話に食らいつく。
「ボクも方法は知らないよ。でも、邪神龍は当時もっとも数が多かった人間が生み出したものだから、もしかしたら人間の力だったら、どうにかなるかもしれないねぇ」
 圭馬は心当たりを話してはくれたが、解決にはならなかった。話が行き詰まった。だが、皆の気持ちは言うまでもなく決まっている。もちろん、ミティアを助けたい気持ちだ。この賢人でもいい答えは出なかった。
 話は行き詰ったが、圭馬はさらに可能性を話した。
「案外、この中の人にその答えを持ってる人がいるかもしれないね」
 圭馬がローズとキッドに目を掛けた。ローズはともかく、なぜキッドが対象なのだろうか。それでも邪神龍を倒す答えはここでは出せないようだ。
「人で解決ができないのなら、歴史的情報に長けた王都フィリップス。古代文明の塊の島である天空都市クレイ。あとはアリューン界。このどこかに答えが転がっているといいね」
「アリューン界?」
 圭馬の呟きにも似た言葉をサキは聞き逃さなかった。つられるように、竜次は世界地図を広げる。
「王都フィリップスはともかく、天空都市もアリューン界は地図に載っていませんね」
 地図の表記だけを見た指摘だが、怪しいと感じる空間や島は存在する。もしかしたら、まだ地図にも記されていない場所がある可能性もある。
 圭馬が右手の親指を立て、サキに話を振った。
「種族戦争について調べたなら、障りくらいは知っているよね。アリューン神族は自分たちの世界を創ったって聞いたことはない?」
「技術に長けている神族と聞いたことはありますが、世界は本当なのでしょうか?」
 サキはローズに視線を向けた。あまり気にしていなかったが、ローズは気を落としているようだ。何を怯えているのだろうか。
「アリューン神族は秘密主義なんだよ。技術があるから、自分たちだけ助かりたいがために邪神龍とは縁がない世界を創ったんだよ。ね、ローズちゃん?」
 圭馬はローズに向けて無理矢理話を振った。ローズは小さく頷いている。
 秘密主義と言われて、一同には心当たりがあった。ローズは、あまり自分のことも話してはくれない。最初もライセンスの提示だけだった。
 強めに問い詰めないと、ローズは何も話さない。言ってしまえば、題名だけで中身がない物語を語る感じに近い。意識をして話さないようにも思える。
「その、アリューン界に行きたいと言っても教えてはくれないんだろうな?」
 ジェフリーがローズを問い詰めたが、彼女は首を横に振った。
「こちらで生まれ育ったせいで、実はワタシも行ったことがないデス。あるのは知っていますが、場所も行くための条件も知らないデス」
 また話が詰まった。こう詰まってばかりでは、話が進まない。
 皆が落胆する中で、サキは圭馬に別の質問をした。
「禁忌の魔法について知りたいです。それはソフォイエル神族が使うと調べました。ミティアさんは、おそらくその魔法が使えるのだと思います。普通の人間である彼女が使えるのはなぜでしょうか?」
「おぉ、なるほど、そういう話かー……」
 圭馬は急に立ち上がった。
「一緒に話したいものがあるから、いいものを持って来てあげるよ。ちょうどケーキも来たみたいだし、食べながら待っててよ」
 圭馬はさっさと部屋から出て行った。入れ違いで、お盆を持った恵子が入室した。お盆の上には、茶色い焼き色が付いたシフォンケーキが乗っている。
「すいません、焼きたてなので熱いと思いますが」
 それぞれの前に置かれた。
 込み入った話なので、正直食べるにはどうかと思ったが、焼きたてのいい香りがする。
 キャロットケーキだ。オレンジの細かい繊維が見える。
 先ほどローズが、ニンジンを手土産にして会いに来た話をしていた。ニンジンが好きなのだろうか。圭馬も恵子もウサギのような外見ではある。それは間違いない。
 重い話に落ち込み気味だったはずのミティアが、元気に食べている。誰もが元気づけようと話しかけようかとも思ったが、彼女があまりにおいしそうに食べているものだからケーキの話をした。
「自分でケーキを焼くなんて、なかなかしようと思わないわよね」
 キッドは頷きながら食べている。
 口に含めば甘い香りが広がり、焼きたてというのもあって舌触りもしっとりとしている。ふっくらとしてとてもおいしい。
「おかわりございますよ?」
 恵子が言うと、ミティアが即座にお皿を差し出した。もぐもぐさせたまま、おかわりを主張している。
「ミティア、太るわよ?」
 キッドは指摘をするも笑っている。その横でサキも笑っていた。
「食べ物をおいしくいただける方は、ご一緒していて楽しくなりますね」
 言ってからジェフリーを見ている。自然に目が合い、ジェフリーはふてぶてしい態度を取った。
「悪かったな。うまそうに食えなくて。俺はもともとこういう顔だ」
「誰も、ジェフリーさんとは言ってないです」
 サキは棘のある冗談で皆の笑いを誘った。
 くだらない話を出来ている間はまだゆとりがある。ジェフリーはこの和やかな空気の中でローズを確認した。
 ローズは話に加わることもなく、伏し目になっていた。きっと内心ではびくびくしているのだろう。
 この空気が壊れること。自分が針の筵にされることを。
 
 しばらく断章をしながら待っていると、圭馬が部屋に戻った。彼は脇に大きな本を抱えている。
「ごめんよ。暇を持て余しているお兄ちゃんに捕まりそうになってね」
 妹のほかに兄もいるのかと思ったが、皆はとりあえず触れないでおいた。
 圭馬は本を開かないまま、話を再開した。
「さて、質問のあった禁忌の魔法はハイリスクな魔法で間違いないよ。ソフォイエル神族だけが使えたんだけど、その力は自己犠牲。だいたいは一発で廃人になるか、死ぬはず。そんな奇跡の力を持っているから、ほかの種族はその力を求めた。真っ先に滅んだ種族とされている。今も末裔はいるけど、ほとんどが力を失った混血だね」
 圭馬はミティアを見た。さすがにおとなしく聞いている。
「そのお姉ちゃんが本当に禁忌の魔法を使うのなら、反動に耐えられなくて、とっくに死んでいると思うよ?」
 やはり調べた情報と違う。圭馬が話の主導権を握り、淡々と進んだ。
「そのお姉ちゃんが使えるのは本当に禁忌の魔法なの? それとも……」
 圭馬の視線がローズへ行った。
「ローズちゃんのいた研究所で人工的に作られた力?」
 圭馬の言葉に場の空気が凍った。きっとここから先へは、踏み込んではいけないものだ。それこそ『日常』に戻るのは難しいだろう。誰もが精神的にダメージを受ける予想がされる。何かクッションがないとつらくなりそうだ。
「は、話が読めて来たのですが、その研究所にお父様もいるのですよね?」
 竜次がローズに質問をする。ミティアだけにショックが行かないように気を配っているようだ。少しでも分散したかった思いだ。これが地雷を踏む行為でなければいいのだが。
「すみません、僕には話の方向性がわからないのですが、ローズさんとご兄弟のお父様にはつながりがあるということで、とりあえずは間違いないのですか?」
 サキも待ったを含めた確認を入れた。
 一気に真相に迫るのではなく、話のペースが落ちた。どうしても個々で持っている情報が異なる。そのため、整理しながら情報の共有は貴重な機会だった。
「そうだとまではわかっています。研究所というのは?」
 竜次も情報が不足している。何も言わないジェフリーが気がかりだが。
「むぐっ……『種の研究所』だっけ?」
 圭馬はケーキを食べる手を止めた。知識人、賢人かもしれないが、この件に関してはほとんど関係ない話だ。だが、興味を持っている様子だ。
「ボクも興味あるなぁ? キメラでも作っているの? それともホムンクルス? それこそ、生命の倫理から外れてないかい? 名前と矛盾してるねぇ」
 生命の倫理から外れている。そんなことがあってはならない。あくまでも圭馬の予想だったが、ローズは否定しなかった。つまりは大きく間違ってはいない。
「ケーシスは……同志でした」
 ローズが重い口を開いた。淡々と少しずつ、語りかけるように続けた。
「ワタシのいた『種の研究所』は、もともと病気の治療薬の研究を行っていた良心的な研究所だったのデス」
 これだけ聞いて、竜次は嫌な予感がした。予想はしていたが、事実ならジェフリーはひどくショックを受ける。
 ローズは言葉を選びながら続けた。
「人間は欲深いものだと汚い部分を知りました。意図的に病気にならないように、手を加えたり、最初から魔法が使えるようにしたり、人と人を融合して別の人にする実験もありました。最初は動物だった実験は、次第に引き取り手がいなかった孤児を対象にしていたのデス……」
 想像すると吐き気がする。『普通』に生きていたら、まず知らない。いわゆる、裏の世界の話だ。
「その過程で、世界の生贄を作るようになった。でもそれは誰でもいいわけではありません。適合する人材は必要となります。邪神龍を抑えるために、世界からの依頼でその仕事も関わっていたのデス」
「世界の依頼……?」
 ローズの言葉に、竜次は嫌な予感がした。カバンの中を探り、正姫から預かった親書を取り出した。夢中で開封して中を見た。きっとここにも答えがある。
「兄貴……?」
 ジェフリーは竜次の行動に疑問を抱いた。
 手紙を開いた竜次が手を震わせた。
「やっぱり、そういうことだったのですね……」
 この手紙はどこか信頼の出来る国に出すべきだ。綺麗に折って再び封筒に戻した。
「沙蘭が襲われたのは、単なる偶然ではなかった」
 竜次は言ってから深くため息をつき、それから額を押さえた。
「世界の生贄はその言葉のとおり、世界が決め、世界のために犠牲となる人。各国の責任者は皆、合意で賛同というわけだったのです。それを、姫子はもうしたくなかったのですね……」
 襲われることをある程度予測していた文面だ。自分たちが訪れたのが重なった。だが、たまたまだったのかが怪しい。
 邪神龍と沙蘭の関係がつながり、圭馬が呆れたように息をついた。
「この前、沙蘭が襲われたんだっけ? 次はどこがこの柵から抜け出そうとするのか。つまりは、世界が共同して生贄を用意し、邪神龍を見て見ぬふりをしている考えは古いと気づいてきたから襲われた。そうじゃない?」
 圭馬は邪神龍について、最近活発だよねと漏らしていた。気にはなっているのだろう。
「ボクも生贄で解決しようとするのはどうかと思うけどね。ただ、そうしてきた、そうするしかないって、人間は流されっぱなしで諦めがちだよね」
 流されて生きることがどんなに楽か、それは知っている。皆の話を聞きながら、ジェフリーは俯いてぼんやりと考えていた。
 意外にも、ダメージは少なかった。内容は確かに重く、つらいものだったが。
「博士はもうそこには関わりはないのか?」
 ジェフリーがローズに確認を入れると、彼女は深く頷いた。
「嫌になって、逃げたと言うのが正しい表現になりますね」
「親父は、おふくろの体を治したくてその研究に足を踏み入れたのに、どこかで道を間違えた。魔女や、ミティアのような悲しい存在を創った。それで、間違いないか?」
 さらに確認をした。ローズはもう一度深く頷いた。
「そっか……」
 ジェフリーは悲しい顔をしながら、ミティアに視線をおくる。
「おふくろは、俺を生んで体を壊した。ミティアがこんな思いをするのは、きっと俺のせいだ。ごめん、本当に……」
 違う、ジェフのせいじゃない。とでも言いたそうな竜次だが、正姫のショックで何も声をかけられなかった。傷心になっても仕方がない状況だ。それなのに、ミティアの心配をしている。自分にはないものを持っていると悟った。
「ジェフリーさん。わたし、ちっともつらくないです」
 ミティアは泣いていなかった。彼女のことだから、泣いてしまってもおかしくない。だが、しっかりと前を向いていた。
「だったら、わたしはジェフリーさんのおかげでここにいます。こうして、みんなに出会えて、楽しいとかうれしいとか、悲しいことだって共有できなかったはずです」
 ミティアはジェフリーに向かって満面の笑顔で話した。
「ありがとうございます!」
 ミティアは心から笑っていた。優しくて暖かい笑顔だ。ジェフリーの挫けそうな感情が打ち消された。この理不尽が絡み合った境遇を、彼女は嘆きも恨みもしなかった。受け入れているかのようだった。
「わたし、自分がどんな存在なのか、何となく真実に近づけた気がします。まだ、確定ではないけれど、それはこれから明らかにしていけばいいんですよね?」
 ミティアの顔から『不安』が消ええ去っていた。彼女にとっての不安はわからないままであることのようだ。
「みんなに会えてよかった。もちろん、ローズさんにも」
 ミティアが皆を見渡した。最後に、ローズにも笑みかける。
「ワタシ、秘密を抱えて、皆さんを騙していたのも同然です。言えば、この関係が崩れてしまうのかと、どれほど怖かったことか……」
 ローズは深く項垂れていた。少し涙声だ。

「ねーねぇ、面白そうだから、ボクもついて行ってもいい?」
 フサフサの尻尾を揺らしながら、圭馬は同行を申し出た。
「遊びじゃないんだが……」
 ジェフリーが呆れ顔で返す。どうも圭馬は冗談ではないようだ。
「ここを出たらあのウサギさんになってしまうと言っていたような?」
 サキも疑問に思っていた。ウサギの姿で同行など、どういうつもりだろうか。
 圭馬は意外な提案を持ちかける。
「じゃあ、そこの魔導士クン。ボクと契約してよ。はい、決まりね。あとで時間ちょうだいね」
 本来この申し出はうれしいのかもしれないが、あまりにも一方的で驚いてしまう。一同は心構えがまったく整わなかった。
 呆れ半分、驚き半分の皆を無視し、圭馬は八重歯を見せて笑った。
「面白そうじゃん。人間がどこまで抗うのか、ボクはこの目で見てみたいね……」
「は、はぁ……」
 サキはこの場の空気と圭馬の勢いに押されてしまった。
 圭馬は悪巧みでもするかのような笑みを浮かべ、サキの反応に頷いた。
 
「さて、金髪のお姉ちゃん、少し凝った話をしてもいいかな?」
 圭馬はキッドを指名した。
「さっきの話?」
 魔法無効能力者、と言っていた。その話のようだ。だが話し出す前に、持って来ていた大きな本が開かれた。まるで図鑑のような立派な書物だ。古いものなのか、表紙は毛羽立ち、背からはほつれ糸が覗いていた。
 キッドは難しい文字が読めない。彼女の隣にいた隣のサキが読んでいった。
「魔法無効能力者、通称ノイズ。その力はノイズが発見されてから今までで十数人しかいない。やっぱり、そうだったんだ……」
「な、何かの間違いなんじゃないの⁉」
 サキが文章を読み続け、真剣な表情になった。無言で読み進めると、息を飲んで顔を上げた。
「この力は、神族の禁忌の魔法をも封じる……」
 この本を持ってきた意味がここで理解できた。禁忌の魔法を封じるほど、強い力とは想像もつかなかった。だから、案外この中に答えを持っている人がいるかもしれないと圭馬は言っていたのだろう。
「大変ですね。これ、魔法協会が知ったら、追い駆けて来ますよ……」
「ごめん、どういうことなの?」
 キッドは説明を催促するが、サキはどう話していいものやらと困っている。
 代わりにローズが説明をした。
「プレミアな能力デス。魔法に特化した家系から突然変異で産まれるとは聞きますが、ワタシも初めて見ました……」
「た、確かに父さんも母さんも魔法には長けていたわ。でも、あたしは魔法が使えないわよ?」
 キッドは首を横に振っている。
「強すぎるから振り切れて使えなくなったってことだよ」
 圭馬がまたざっくりと簡略な説明を加えた。だが、このざっくりとした説明こそこの難しい話を緩和し、わかりやすくしている。
「潜在能力だから、今は自分に向かって来る魔法しか無効化できないかもしれないけど、やり方を覚えたら、そこのお姉ちゃんの禁忌の魔法だって完全に封じることができるのさ。もしそれが出来たら、そこのお姉ちゃんは禁忌の魔法を解放して死んじゃうことはなくなるよね?」
「あ、あたしが……?」
 キッドは言われてハッとした。圭馬はこんな考えもあるとさらに提案をする。
「これから先、手ごわい相手と遭遇するようなことがあったら、自分たちに都合の悪い魔法を打ち消すことが可能かもしれないよ。使い方はお姉ちゃん次第だけどね」
 これはいいことを聞いた。キッドは驚きから一転し、自分の能力の重要性に気がついた。自分が役に立てる可能性があるのなら、役に立ちたいと自身を奮い立たせた。

「キッド、すごいね」
 ミティアが目をぱちぱちとさせる。
「キッドさん、もともと身体能力がお高いのに……」
「鬼に金棒だな……」
 竜次とジェフリーが恨めしそうにキッドを見る。
「あたしが頑張ってどうにかなるなら、努力するわ!!」
 キッドはすっかり意気込んでいた。だが、その気はすぐにへし折られた。
「まず、使いこなすなら、最低でも魔法の知識は身につけないといけないよ?」
 圭馬に厳しい指摘を受け、キッドは肝心なことを思い出した。
「べ、勉強⁉ あたし、字すらあんまり読めないのよ?」
 強力な魔法を無効化する能力を使いこなせたら役に立ちそうだ。だが、そんなにうまくはいかない。キッドは学校に行っていないがゆえに教養がない。大きな壁が立ちはだかった。
「僕が次の街で参考書を買います。それにふりがなをふれば読めますよね?」
 サキがサポートしようと懸命になった。
「悪いけど、今はあんたに頼るしかないわね」
 キッドはサキの厚意を受け取ることにした。自分が成長できるチャンスを逃すわけにはいかない。

 落ち着いていい雰囲気になってきたところ、サキが沙蘭の大図書館で見つけ、書き写した紙を圭馬に渡した。圭馬は受け取る成り、表情をしかめている。
「ん? 何これ?」
 見るなりこの反応なのだから、希望は薄い。そうは思いながらサキは質問をした。
「ドラグニー神族の文字だと思うのですが、解読は難しいですか?」
 圭馬は紙をひっくり返したり、近づけたり離したりするも唸った。
「ドラグニーってほんっと特徴的な字だよね。ごめん、ボクには読めないや……」
 圭馬はため息をつきながら紙を返した。自身では読めなかったが、心当たりを口にする。
「王都フィリップスぐらいの規模になれば、大図書館に辞書くらいはあると思う。でも、一番いいのはドラグニーの人に読んでもらうのがいいと思うよ。ほかの種族が作った辞書なんて、アテにならないからね」
 残念ながら、サキにそういった知り合いはいない。いくら賢人でもやはり知らないことはあるようだ。
 
 ひと通り話が終わったが、お茶を飲みながら雑談はしていた。
 こういったゆっくりとした時間は、実は今のメンバーでは初めてである。
「そうだ、ここまでどうやって来たの? 今、沙蘭って船が止まっているよね? もしかして、スプリングフォレストを抜けて来たの?」
 圭馬が今さら一行の移動手段に疑問を抱いた。多くを詮索しなくても、使い込まれた武器やほつれも見受けられる服装を見れば察せる。
「しんどくなかった? 誰か死んでないよね?」
「さすがにそこまでしなかったが、何度か危なかった」
 ジェフリーが正直に答えると、圭馬は考え込んだ。
「最近、世界の全体で野生動物の狂暴化が目立っているけど、植物もおかしくなっているよね。それに、どんどん強くなっているような気がするよ」
「これも邪神龍のせいですか?」
 竜次も気になっていた。だが、気になっていたのはキッドも同じだった。
「正直、スプリングフォレストでは誰かがやられるんじゃないかと思ったわ。そんなの絶対に嫌だけど」
 圭馬は腕を組んで、首を傾げた。
「邪神龍のせいかもしれないけど、そうじゃないかもしれないしなぁ。今度は人間もおかしくなったりしなければいいけど」

 気になる発言だとジェフリーは個人的に思った。世界のどこかで大きな変化でも起きようとしているだろうか。それとも、このまま世界が破滅するのだろうか。それは行き過ぎた想像だが、現実にはなってもらいたくない。
 心配事は少ない方がいい。今は自分たちが追っている『真実』が見えそうになっている。点でしかなかったヒントがようやく線になって来たのだ。

 圭馬はさらに指摘を入れた。
「ここから先に進むのは体力的につらいかもしれないね。ましてやキミたちは、プロの冒険者でもギルドの人でもない。ここらで少し、生き残るための腕を上げないといけないのかもしれないよ?」
 ためになる指摘を入れるのが彼の特徴のようだ。確かに圭馬の指摘は一理ある。どうしても個々で戦っている感が拭えない。
「せっかく仲が良いんだから、もっとお互いに信頼関係を築くべきだね。人間ってそういうの、得意じゃない?」
 第三者の意見だが、的を射ている。
 もちろん一同、誰も心当たりがあった。まだお互いに壁がある。それが今後を左右もしそうだ。
 一定の人としか、コミュニケーションを交わしていないのも成長はしないだろう。課題は多い。

 恵子が片付けをしに入室した。それまで部屋の外で待っていたようだ。別のことをしていたのかもしれないが、空気が読めるいい召使いのような立ち回りだ。
「さて、今日は泊っていいんだけど、これからどこへ向かうんだい?」
 圭馬は一行の目的地を知りたがった。ジェフリーはその質問に答える前に、念のためローズに確認をした。
「親父ってどこにいるかはわからないんだよな?」
 ローズは残念そうに頷いた。
「では、その種の研究所というのはどこにありますか?」
 竜次が違う質問をローズにした。彼女は嘘が顔に出る。だが、嘘をつく感じの顔ではない。表情を渋めながら答えた。
「今はどこかわからないデス。ワタシがいた時はフィラノスの近くでしたヨ。巨大な施設だというのは間違いないデス。海沿いの地下、地図にはないかと……」
 そんな規模の研究所、地図にあっては都合が悪い。下手をしたら、正義感の強い人や、ギルドのハンターが邪魔をしに来るかもしれない。竜次はおぼろげな手がかりをいったん頭の片隅に置いておく程度にとどめた。
「今からフィラノスに戻るのは、ちょっと現実的ではないわね」
 キッドが不満の声を上げるが、ローズは補足した。
「もう十年以上前に移設しているので、何もないと思うデス。それよりは、王都フィリップスを目指す方が手がかりがありそうデス……」
 ここからさらに北の山道を抜けると、どこの国にも属しない貿易都市ノアがある。その街から東に伸びる街道を抜ければ、王都フィリップスだ。
 通り抜けないといけない場所はあるが、スプリングフォレストに比べたら大した距離ではない。街で買い物もできそうだ。
 竜次が地図にメモをしてカバンにしまった。目指す場所も定まったのでここから自由時間にしようとなる。

 
「部屋は男女別でいいよね? 誰か夫婦いないよね⁉」
 圭馬が起立しながら確認する。
「お夕飯、みんなで食べよう。それまで自由にしていいよ」
 圭馬が本を持って出ようとし、振り返った。
「あぁそうだ、先に契約しよう。こっちへおいで」
 サキが手招きされ、そのまま一緒に退室した。

 自由時間となっても、いざ何をしよう?

 キッドが竜次の顔色をうかがいながらこんな提案をした。
「先生、あたしに剣術を教えてくれませんか? これから先、強敵に遭遇してもより頑張りたいと思うので……」
「おや? いい心がけですね。ではお庭をお借りしましょう」
 キッドなりに先を考えているのだろう。竜次は快く話を受けた。
「沙蘭の剣技、また見たいデス!!」
 なぜかローズもくっついて行ってしまった。

 ジェフリーとミティアがぽつんと残された。特に気を遣われた様子はなく、ごくごく自然だった。
 ジェフリーは気まずくなって部屋から出ようとした。
「あ、あの……」
 ミティアの呼び掛けを無視したがジェフリーは服を引っ張られた。背中に暖かい感覚がする。
 ジェフリーが気まずいまま振り向くと、背中に顔を埋めたミティアの顔があった。
「わたしのこと、そんなに嫌いですか? どうしてわたしを避けるんですか?」
 ミティアの声は震えていた。顔も赤い。思いつめたような表情だった。皆の前では笑って振る舞おうとするのに弱さを見せた。なぜ、そんな顔をするのだろうかとジェフリーの心境は複雑だった。
しおりを挟む

処理中です...