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【2‐4】天秤(2)
友へ贈る魔法
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フィラノスの魔法学校。
卒業試験でも馴染みのあったコロシアム。
屋根もある学校の設備だ。運動行事や集会、行事はここでやった。ぐるりと円を描く古風な造りではなく、四角形でギャラリー席は段々となっており、上がっていく。正直米粒のひしめき合いで誰がどこにいるのかわからない。
保証人や肉親は優先席があったと思うが、場所を覚えていない。
制服姿の在校生、教師、学校関係者の関心がどれだけ高いのかがざわめき方でわかる。
少なくとも自分が今この場に立てているのなら、筆記試験をパスしたのだろう。
史上最年少の大魔導士候補となれば、採点も臨戦態勢だ。
サキは筆記試験が千点満点の中、どれくらい採れたのかが気になっていた。気になる理由は、少なくとも手応えと自信があったからであり、どうでもいいと考えていたら、点数に関心など抱かない。
サキの体力はまだ残っている。筆記による消耗は少ない。
「緊張する。これが全ての魔法使いにとって憧れの大舞台」
実技試験の開始時間は過ぎている。だが、呼び出しがかからない。サキは入場口の前で深呼吸を繰り返していた。
たったの三分、百八十秒の世界で二百個の魔法を放つ。同時にいくつもの魔法を手がけるなど、高位の魔導士ならば容易いはず。
実際、サキは旅の道中で一度にいくつもの魔法を唱えていた。それが秒の世界になっただけであって、用意されたパネルに向かって放てばいいだけ。
この世界に魔法は千を越える種類がある。そのうちの二百個。同じ魔法は加点されないがその先の合成魔法は加点の対象になる。
父親の手帳によると、判定基準が難しいようだ。できるだけパネルの真ん中を狙えと書いてあった。手帳のアドバイスはそれだけではない。どんなに優れた者でも、この舞台に立てば頭の中が緊張のあまり真っ白になるとも書いてあった。周りはカボチャだと思えと気休めの言葉を思い出す。サキも例外ではなかった。
たった三分、されど三分。雑念を押し殺し、考えず、細々とした無詠唱魔法を放つだけでも考えれば数百種類はあるのだ。問題はどうやって攻略するか。
「ま、まだかな? さっさと終わらせたい……」
誰も助けてはくれない。圭馬もショコラも仲間も。でも、きっとどこかで見ていてくれるはず。
吹奏楽の音楽隊がファンファーレを鳴らす。政と派手好きなフィラノスらしさがうかがえた。サキ・ローレンシアではなく、ソエル・ハーテスとして名前が呼ばれた。
案内され、舞台上に出る。
予定時間を過ぎたにも限らず、ブーイングは一切ない。歓迎の声に耳が割れそうだ。
サキの冷静は、どこかに行きかけていた。
目の前には豪華な衣装の学校長。ルールの説明をされた。正直、たった三分で終わるのにここまで尺が長いと緊張のあまりおかしくなってしまいそうだ。
学校長が咳払いをし、いよいよ始まるのかと思ったが、筒状に巻かれた紙を取り出し、ゆっくりと読み始めた。
「この者は十六歳、本来は二十歳で受けるもの。勇気を持って受けると申した。特別に百八十秒のルールを二百秒に延長する!!」
サキの中で理解するのに時間を要した。
だらだらと特例にいたった理由を述べている。世界の情勢、黒い龍の話、国からの調査での働き、フィラノスの混乱、大図書館の出来事……。
開始が遅れた理由はきっとこれだ。
観客にざわめきが起こる。述べられたサキの功績にざわめいているだけではない。
「以上をもって……」
サキは説明の締めくくりを遮った。
「ま、待ってくださいっ!!」
場が静まり、注目を集めた。観客の反応も気になるが、これだけは絶対に言わないといけない。サキは大きく息を吸って言う。
「僕にそんな特別扱いは、必要ありませんっ!!」
せっかくの厚意かもしれないが、サキにとっては余計なお世話だった。
条件を緩くするなど、甘えでしかない。その特別扱いこそ、サキがもっとも嫌うものだった。
学校長は渋い表情をしながら髭を撫でている。
「しかしのぅ……」
急に学校長ではなく、一人の老人としてサキを心配しているようにも思われる。サキはこの特別扱いは絶対に受け入れられなかった。
「確かに僕は飛び級しています。だから他の魔導士より若いです。でも、そんな情けで取った大魔導士に価値を感じません。合格できなかったら、僕が未熟なだけです。だから、お願いしますっ!!」
サキは帽子が落ちそうなほど、深く頭を下げた。
学校長やこの特別ルールを設けたい者の意図は、サキが若いだけではないだろう。魔法都市に暮らす者がこれだけの注目を集めている。暗い話ばかりが続く中で、楽しみにしている者がいる。いい知らせ、つまり、合格率を上げたい意図だ。
もしかしたらサキの願いは、人々の期待を裏切るかもしれない。
静まり返った中。パチパチと拍手が聞こえた。サキは顔を上げる。すると、拍手をしていたのは遥か上の立見席の端にいる赤髪の女性だ。見間違えるはずがない。
あれは――
「ミティアさん……」
隣には白衣の女性、ローズも手を振っている。
小さな拍手は瞬く間に広がり、波のように広がり渡った。
サキは感激のあまり、鳥肌が立った。
「あ……」
言葉にならなかった。まだ本番前なのに、仲間に応援されていると知って目頭が熱くなる。サキは感極まって泣き出しそうだった。拍手に紛れて聞き覚えのある声がした。
「しっかりやんなさいっ!!」
どこからなのかはわからない。でもキッドの声だ、きっとそうだ。
試験官だろうか、何人か集まって学校長を交えて会議が始まった。「少々お待ちください」とアナウンスが流れる。
時間がかかりそうだ。サキは中だるみに飲まれることもなく、この時間で観客の中から知り合いを探すよう見渡した。
ミティアとローズがあんなにうしろにいたのなら、ギリギリに来たのだろう。
タスクが残った状態で役割を分担していた。それなのに、わざわざ足を運んでくれたことが純粋にうれしい。
「あれ?」
サキは屋根に近い鉄骨の骨組みに、カラスのような影を見付けた。黒いマントに銀髪のあの人だ。この場に馴染むこともなく、こっそりと見ている様子だ。サキはこそばゆい笑いを含んだ。
「姉さんやジェフリーさんはどこだろう……」
この場にいるはずだが、ばらばらなのだろう。肉眼で見つけるのは難しい。サキは物探しの魔法を放ちたかったが、ぐっと堪えた。
そわそわとしているうちに、話がまとまったようだ。「おまたせいたしました」とアナウンスがかかる。
再び学校長から言い渡された。
「お主の意見を尊重しよう」
「ありがとうございますっ!!」
「酷な選択じゃな……」
学校長は背を向けて肩を落とした。この学校長、合格しないと思っているに違いない。
サキは唇をきゅっと噛み締める。緊張が戻って来た。
鈍く光る、野球のスコアボード二枚分ほどのパネルだけがサキの前にあるだけ。時間も魔法の有効カウントも表示がないと説明された。
観客が静かに息を飲む。皆が注目する中、サキが己を落ち着かせるように大きく息を吸って目を閉じた。
泣いても笑っても、この三分で決着がつく。
自分に光をくれた人たちの顔が思い浮かぶ。気が付けば、いつも誰かに助けられていた。拾ってくれた人、育ててくれた人、お世話になった人、好きになった人。
それから、いつも意地を張って、素直になってくれないどうしようもない友だち。
自分は決して一人ではない。今度は自分が誰かに希望を与える番だ。胸を張って証明したい。
「ソエル・ハーテス 今ここに 己の知識と魔力を開放せよ!!」
照明が落とされ、最小限の明るさになった。
「開始っ!!」
開始の声と同時にサキが両手にそれぞれ魔法を振っていた。上に振り上げ、下ろすタイミングでもう一つ同じ属性で違う魔法を唱えている。
ものの数秒でパネルが光りっぱなしだ。思いつくだけ小さな魔法で数を稼ごうとしている。まずは火の魔法。
火の玉のような小さなものから、尾を引く少し大きめのものまで唱えている。
親族・関係者の席の中、圭馬がやたらと騒がしい。
「あぁっ、あんなに火力出して、この調子じゃ途中でバテちゃうよ!」
余計なことを言って減点や失格を招かせまいと、竜次がカバンの中に押し込もうとしていた。
身内が騒がしいとは心外だ。コーディは憤慨する。
「もぉっ、おとなしくしてよ!! いくつかわかんなくなっちゃったじゃん」
よそ見をしている間はない。横でおとなしく静観しているつもりだったコーディも圭馬を押し込もうと手を伸ばした。
竜次の方にショコラが乗る。高い場所で試験を見たいようだ。
「今、五十くらいかのぉん……」
「えっ、まだ開始三十秒。いいペースですね……」
ショコラが言うにはいいペースなのだと思われる。これには竜次も安心した。
観客席には時計が設けられている。学校のイベントでも使用するからなのだろうが、簡易的なもので目を凝らさないと秒針が見えない。
キッドは、母親ユッカの形見である銀の懐中時計を持って、必死に祈っている。手は震え、これでもかと頭をこすりつけていた。
「母さん、父さん、お願い。あの子に力を貸してあげて……」
いつもは指摘を入れる役のコーディは、いつの間にかフォロー役に回っていた。
「お姉ちゃんの思い、絶対に届いてるから大丈夫だよ」
これではゆっくり見られない。コーディは仕方なく思いながら場内へ目を向ける。
ちょうど向かい席にポニーテールの髪型だが、見覚えある女性を見つけた。腰に大きなカバンが下がっているところ、おそらくアイラだ。
やけに辛辣な表情だ。そんなにサキを心配しているのだろうか。
コーディが気にかけていたところ、場内がざわついた。
サキが下を向いて肩で息をしている。圭馬の心配が的中してしまったようだ。
「ババァ、今いくつだ?」
圭馬の言う『ババァ』とは老猫のショコラを指す。雑な呼び方だが、ショコラはこれを気にしていない。目で追ってよく数えているらしく、さらりと答えた。
「百五十くらいかのぉ……残りは間もなく一分になるわぁ」
「うそだろぉ、ボクの主人は、史上最年少の大魔導士だって魔界で自慢するつもりだったのにっ!!」
圭馬が一層大きな声を上げるものだから、竜次はついにカバンに押し込んで蓋をしてしまった。
「わーん、消毒液のニオイがするよぉ!!」
日頃の下ネタ攻めのお返しのようだ。今回は少しきつめかもしれない。
ふざけている場合ではないのだが、あまり騒がしくしているとサキにとってマイナスになるかもしれない懸念である。
また場内がざわめいた。
サキが右の人差し指を立て、大きく深呼吸をしている。呼吸こそ整えているが、まだ終わってはいないと意志を示した。
こうなるだろうとは予想していた。寝不足で、仮眠を取れとの忠告も無視してしまった。緊張と変に待たされたせいもあって、体力を無駄に消耗した。
配分も誤った。最初から魔力のセーブを忘れてしまっていた。せっかくショコラに魔力を抑えて長続きさせると教わったのに、まだまだ未熟だ。
何十秒休んでしまっただろうか、時間などわからない。そんなことを考える余裕がいっさいない。入念な戦略を練って来たとしても、この場に立てば、たちまち頭の中は真っ白だ。
臨機応変が試されるが、そんなものは旅の道中で嫌というほど知っている。
限られた環境で、自分の力を最大限に生かす。体力が持たないのならば、これ以上削らないでカウントを稼ぐ。
サキは自分の中で何をすべきか見極め、人差し指から魔法を放つ。
「スペルレイッ!!」
サキは自身に魔法をかける。効力と継続時間の延長だ。これはカウントには入らないだろうが決して無駄にはならない。
次いで右の人差し指を弾いた。
「アシストレイン」
前方に向かってしとしとと静かな雨を降らせる。一見地味だが、合成魔法には欠かせないベースの魔法だ。
雨を降らせたまま、単発の小さな魔法を唱える。凍らせれば大きくなり、火や雷は爆発を起こし、光を放てば乱反射、闇を招けばさらに広まり別の魔法になる。ダブルカウントを狙っての行動だ。一見せこいが、これも戦略。ただ、どうしても判定が難しく、すべてを認めてもらえる保証はない。
サキの思考も体力も限界に近かった。
その瀕死の状態で、思考は中級魔法に差しかかっていた。
「ソニックブレイド。ステンドグレイス。フォトンブレイズ。アースフェンリル」
アシストレインが切れる頃には、思い浮かんだものを放つ、やけくそになっていた。
「そこまでっ!!」
パネルの鈍い光が消える。最後の一秒まで、次は何を放とうかと属性を頭の中に展開していたが、ここまでのようだ。
観客からは拍手が聞こえた。だが、サキは手応えを感じられなかった。なぜなら、途中で休んでしまったからだ。手は握っただけで汗が雫となって落ちる。
乱れた呼吸を整えながら、また知っている人を観客から探していた。
「帽子ずれてるわよ!!」
今度はすぐに反応できた。自分の真うしろにあった関係者席で姉のキッドを見つけた。そのすぐそばに竜次もコーディも一緒にいた。こちらに向かって元気に手を振ってくれている。見てくれていたことがうれしかった。
「ん、そうだ、帽子」
サキは帽子を直そうと手にかけた。帽子の内側の櫛が緩み、落ちそうになっていた。このまま結果を聞くには、あまりにも不格好だ。コートも曲がっている。直して結果を待った。
学校長が髭を撫でながらまた筒状の紙を持って来た。一人というところ、大体の察しがつく。サキはじっと言葉を待った。
「まずは、お疲れ様じゃの」
「……はい。貴重な機会をありがとうございました」
聞かずともわかっている。サキは悔しさを抑え込みながら頭を下げた。
「結果を申し上げていいかの?」
「お願いします」
もったいぶらなくても、何を言われるのかはわかっている。
サキは下げた頭を上げられない。誰かの顔を見るのも怖かった。自分一人の力など、こんなものだろう。
「ソエル・ハーテス、筆記試験九百六十点。実技試験百八十八点……」
学校長から言い渡され、サキはやっぱりそうかと息をついた。
歓声も何もなく、しんと静まり返っている。
いい気になって、何も恩返しにならなかった。休んでしまった時間で不足だった十二個、埋められたはずだ。
後悔しかない。
しんみりとした空気の中、サキが涙をいっぱい浮かべて顔を上げた。
「ありがとう……ございました……」
サキの声は掠れ、震えていた。学校長は慰めるわけでもなく、優しく微笑んだ。
「合格じゃよ」
「えっ……?」
聞き間違いかと思い、サキは何度も瞬いて大粒の涙を零した。理解が追いつかない。呆然としていた。
試験官が何人も出て来て、学校長に別の紙を渡している。学校長は渡された紙に目を通し、ゆっくりと読み上げた。
「素点が百八十八点、合成魔法による加算三十六点、合計二百二十四点」
合格点は二百点、それを大きく上回っていた。
「あ、じゃあ……」
「合成魔法に詳しい者の判定を待っていたのじゃ。おめでとう」
「うっ……っく…………」
サキの言葉が出て来ない。おとなげないが、大泣きしてしゃくりあげている。
合格と告げられ、会場は空が割れてしまいそうな歓声に沸いた。
「落ち着いたら授与式にしようかの?」
「かまいません。今すぐほしいです……」
サキはうれし泣きを抑え込みながら、何とか笑顔を作って見せる。早く済ませて、仲間や世話になった人に報告したい。
姿を見つけられなかったが友だちと、アイラにも伝えたかった。
「うわーーーーーーーーーん!!」
歓声に混じって、情けない鳴き声を上げていたのはキッドだ。サキ本人に引けを取らない大泣きをしている。
感動していたのはキッドだけではない。
「どうしましょう。何だか感動して。サキ君がこんなに立派になって……」
「えぇっ!? お兄ちゃん先生まで!? つか、保護者みたいな言い方じゃん!!」
もらい泣きのような連鎖で、今度は竜次が目を擦っている。
呆れながらもコーディが、鋭い指摘を入れる。それでも、祝杯ムードに悪く思わなかった。向かいに目を向けると、アイラの姿はなかった。もうサキを迎えに行ったのだろうかと、この時点では軽く思っていた。
大歓声の中、証書と勲章、それから適正な守護属性の大魔導書が授与される。
勲章は、金属の羽根と艶のあるリボンが付いた立派な勲章だ。小さいが、この街のシンボルフラワーのすずらんが金属に直接彫り込まれている。勲章の裏側には日付と名前が彫られていた。
小さいので身につけず、持っていることにした。せっかくなのだから、落としたり、失くしたりしたくはない。
授与式から解放されたと思ったら、今度は魔法学校の新聞部からの取材、写真部からは記念撮影など束縛が多かった。これも今だけだ。そう思いながら、サキは仕方なく対応した。
全ての柵から解放されたのは、夜が深くなり始めた頃だった。
フィラノスの街中はお祭りムード一色、王都祭よりも騒がしいかもしれない。
長い時間拘束されてしまったが、魔法学校の前で仲間は待っていてくれた。
少しやつれた様子でサキが合流する。
キッドが一目散に飛びついた。
「おかえりなさいっ!!」
「ね、姉さん、苦しいよぉ……」
サキは腕っぷしのいいキッドに締めつけられ、仰け反っている。今にも倒れてしまいそうだ。
奥の立見席で拍手をくれたミティアも、笑顔で出迎えた。
「サキ、お疲れ様。かっこよかったよ」
サキにとって、ミティアは憧れであり、応援してくれたことがうれしかった。
この場には竜次もコーディもローズもいる。
だが、一番自慢したい人の姿がない。サキは仲間をもう一度見渡しながら言う。
「あ、あの、ジェフリーさんは……?」
サキがキッドを抑えながら言うと、皆もジェフリーの行方を気にしていた。どこかよそよそしく、落ち着きがない。
誰も答えないので、サキは竜次に答えを求めた。
「えっと、先生?」
「うーん、それが、私たちとは一緒ではないのです」
竜次もこれには困っている。下手な演技などではなく、本気で困っている様子だ。
ジェフリーの話になり、キッドはサキを解放した。腕を組んでご立腹の様子だ。
「この大事なときに顔も見せないなんて、あいつの神経は本当にどうにかしてるのよ」
いつものことだが、今度会ったらどんな喧嘩をするのかが怖い。
サキはジェフリーの不在を不審に思った。
「今いないなら、試験のときもいなかったのかな……」
サキは気を落としている。
ジェフリーの姿がなく、もっと気を落としているミティア。俯いて申し訳なさそうにしている。
竜次が慰めようとした。
「あ、ミティアさんが悪いわけではありません。ちゃんと叱ってあげられなかったし、探せなかった私がいけません」
「えっ、謝りに来ていませんか? そんなはずは……」
「んん、サキ君?」
サキはつい口を挟んでしまった。竜次は話に食い違いがあることに気が付いた。
もう、言い逃れは難しい。サキは素直に白状した。
「ごめんなさい。僕は朝食のあと、皆さんの厚意を無視して、ジェフリーさんを探しました」
「あぁ、やっぱり……」
サキが懺悔すると、竜次は額を押さえた。言っておきながら、サキも実は反省すべき点がある。
「で、でも、僕が殴ったから、いけなかったのかな……」
サキが気まずい顔をしている。殴ったということは、本気でぶつかり合った、とでも言うべきか。『友だち』としての関係を皆は察した。
竜次は皆を代表して話を進める。
「じゃあ、最後、ジェフに会ったのはサキ君ですか?」
「いえ、多分ですが違うと思います」
もっと一緒にいたと思う人がここに不在だ。
ローズは一つの可能性を言う。
「もしかして、お師匠サン?」
「そ、そうです。多分会場にはいたと思うのですが……」
サキが思っていた人はアイラだ。
アイラの話になって、コーディも反応した。
「いつもと違う格好だったけど、アイラさんなら向かいにいたよ。ちゃんと見ててくれたみたいなんだけど」
終わってすぐに姿が見えなくなった。先に出待ちしているかとも思っていたが、そうではなかった。どうしたのだろうか。
格好もそうだが、コーディは表情が気になっていた。もちろんサキの言いたい特徴もわからないでもない。せっかく家を買ったのだから、満喫も考えるだろう。
サキにとっては、見に来てくれていたことがうれしかった。その一方で引っかかりが取れないままでもどかしい。
サキは足元のショコラを撫でながら、人差し指を立てて八の字を描く。
「まぁ、とにかく、お師匠様を探せばいいんですよね」
お得意になってしまった物探しの魔法だ。身に着けているものを探すという便利な生活魔法である。この魔法はショコラが本にして提案した魔法だ。
「お師匠様のカバンっと!」
弾いた光はどうせ住宅街だろうと踏んでいた。
だが、光は大通りではなく、しかもその先は貧民街に抜ける方角だ。
サキは呆然とした。
「えっ? どういう……」
繁華街に溶け込むなら、まだ理由がわかる。祝いのムードだ。ご馳走や、酒に浸ってもいい。町外れの貧民街に向かっているとは予想がつかなかった。サキは不審がった。
「この先は……」
一同は光を追って町外れに辿り着いた。夜とは違う、独特の暗さと空気を感じる。
ミティアは竜次を見上げた。
「あってると思う。ね、先生?」
「えぇ。私のお父様がこの先でひっそりと住んでいます。なので、間違いではないのです。やっぱり、ジェフは謝りに行っていたのかな……」
少し安心した表情をする竜次のカバンから、圭馬が這い出て来た。
「え、なーにぃ? ジェフリーお兄ちゃんが、またつまんない意地でも張ってたのぉ?」
いつも小うるさいが、おめでたい気持ちが勝って存在を忘れていた。
「まったく、主におめでとうも言わせてもらえないのかい?」
「あぁ、サキ君にお返しします」
竜次は圭馬を摘まんでサキに返す。ずっとカバンにしまっておいたので毛がくたくたになっていた。圭馬はヒクッと空気の臭いを嗅いで耳を立てた。
「ひどいニオイがするね。ここに人が住んでるの?」
相変わらず口が悪いウサギだ。知識がある分、こういったところが残念に思う。そんな圭馬の相手はほどほどに、竜次とミティアは楽しそうに会話をしている。
「そうだ。ちょうどいいので、皆さんにも紹介しましょうか」
「あ、そうですね。サテラはみんなに会いたがっていましたし。きっとよろこぶと思います。楽しみにしていたもの」
ミティアの表情は明るい。だが、それは一時的なものであり、サテラの体がよくなる根本的な解決ではない。
今はジェフリーを探すことも視野にあるのだから。
ローズは疲労の色を出しながら息をついた。
「今日は泊りになりそうデス」
決して悪い意味ではない。むしろ、ローズは自分の持っている技術を誰かのために生かせていることがうれしいようだ。末期の子どもがいる話は周知させている。
コーディはその話が気がかりだった。
「あぁ、なんか、具合が悪い子どもがいるって言ってたね。その子がサテラって子ども?」
種の研究所の負の遺産。時限爆弾を抱えた命。サテラはどうなってしまうのか。それは、ジェフリーやケーシスの行動による。
貧民街など、縁がなければ近寄らない。薄暗くて街灯も少ないが、民家の明かりは意外と点いている。
ローズが案内する道の先で人が待っていた。
栗色の髪の毛をポニーテールにしているアイラだ。たまたま出会った、というわけではなさそうだ。一行が来るのを待っていたのか、暗い表情をしている。
サキは姿を見ただけで、うれしそうに声をはずませた。
「お師匠様!!」
アイラは暗い表情のままだった。サキは励ますように、証書と勲章を見せる。
「僕、やりましたよ。ほら、お師匠様、見てくださいよ」
「ん、見てた。頑張ってたね……」
「お師匠様?」
アイラは、言葉を詰まらせる。目尻には涙を浮かべている。唇は震えていた。いい大人が人前でする顔ではない。サキはアイラの様子がおかしいと思った。
「ど、どうしました?」
感動をしている泣き方ではない。サキはただ、アイラに報告がしたかっただけだ。
アイラは突然嗚咽を交えながら、皆の前で膝を着いた。吹き溜まりの埃が立つ。
「お師匠さ……」
「ごめん、ごめんよ!」
アイラは膝を着いたまま、深く頭を下げた。その頭は竜次に向いている。
「マダム?」
土下座をしてまで謝られる意味がわからず、竜次が立ち上がるように手を添えたがこれを払っていた。こんな場所でプライドの欠片もなく、決して綺麗ではない貧民街の地面に膝も頭も擦りつけている。何とかして立たせてやらねば、こちらが悪いことをしたようだ。
「マダム、何があったか知りませんが、こんなことやめてください」
竜次が何度もやめさせようとするが、アイラはこれを振り払う。まるで駄々をこねる子どもの相手をしているようだ。困り果ててしまう。
「ごめんよ、竜ちゃん。あたし、あたしが……」
「ジェフリーを死なせてしまった」
吹き抜ける夜風が一段と寒く感じた。
むしろ、凍りつくかと思ったくらいだ。竜次は驚き、目を見開いた。
「マダム、今、何と……?」
状況が呑み込めない。なぜアイラがそんなことを言うのだろうか。
「あたしの不注意で、こんなことに……」
泣き崩れるアイラ、涙と泥で顔は汚れ、悔しさが滲んでいる。
ローズが竜次の肩を叩く。
「先生サン、きっとケーシスの家デス!」
竜次が顔を上げる頃には、すでにローズが走り出していた。父親のケーシスの所だろうと予想はついた。竜次もあとを追う。
「サキ君、マダムを!!」
「え、えっ?」
混乱するサキに無理矢理アイラを押しつけ、竜次は申し訳なく思いながらも跨いで追い駆けて行った。
手がつけられないアイラ、混乱するサキ。悪い連鎖は続いた。
ミティアが膝から崩れ、呆然としている。
「ジェフリーが死んだ? なん、で?」
じわりじわりと言葉が心を蝕む。愛しい人の死を受け入れられるはずがない。ミティアは体の奥が軋むような痛みを覚えた。息苦しくなり、胸を押さえて過呼吸になる。
キッドはミティアを支えた。
「ミティアっ! しっかりして」
キッドが慌てて背中をさすり、落ち着かせようとする。本当はキッドも理解が追いつかない。ジェフリーが死んだなんて、きっと悪い冗談だと言い聞かせていた。
実感が湧かなかったのはサキもそうだった。
「僕、どうしたら……」
サキまで混乱してしまったら収拾がつかない。コーディは𠮟咤した。
「しっかりして! 仲間が崩れちゃう」
仲間が崩れる。サキはかぶりを振った。自分だけでは情報が足りない。こういったときに、口は悪いが助言をしてくれる者がいるのを思い出した。足元に蒼白いウサギの陰を見つける。
「遅いよ、相棒……」
圭馬はアイラに歩み寄る。
「白兄ちゃん、いるんでしょ。出て来てちゃんと聞かせてよ」
なかなか鋭い。今ここにいる中で、一番正確な情報を持つのは圭白だ。泣き崩れるアイラから聞き出すのは難しい。
圭馬の声で、アイラの人情カバンから圭白と恵子が出て来た。
だが、圭白が恵子を庇っているように見えて、圭馬は機嫌を悪くした。圭馬は噛みつくような勢いで圭白に言う。
「ボクは信じてないけどね。あのお兄ちゃん、簡単に死ぬはずないし」
「圭馬、あの方は恵子を庇ってくれた英雄の魂をお持ちです……」
「英雄にならなくていいから、生きててくれた方がこれからも楽しいんだけどね!! 詳しく話してよ。何があったの?!」
悪態と毒舌、そこには憎めない愛情がある。圭馬なりにジェフリーを評価するも、死なれたら悲しい。認めない。
圭白はアイラの様子をうかがいながら話した。
「まずジェフリー様は怒っておられました。ケーシス様に対しては不満ばかりを抱いていた。とにかく、さまざまな感情が渦巻いていて、わたくしにもすべての把握は難しかったのです。ただ、言い合いをしてしまった方、それからケーシス様には謝りたかったようです。その前に、善い行いをしたいと。アイシャ様を含め、わたくしたちは手伝いました。森へ仙草を採りに行ったのですが、その森で毒蛇に襲われてしまったのです。妹の恵子を庇って……」
圭白は耳を下げ、首を垂れる。恵子はもっと落ち込んでいた。
「わ、わたくしたちが最後に見たときはもう、その……」
圭白、恵子の様子を見て、圭馬はやっと現実を受け入れた。
「ふぅん、事実、なんだ」
それでも認めまいとそっぽを向いた。
こうなってしまった経緯を聞いても落ち着いていたのはショコラだった。サキにある提案をする。
「のぉ、主ぃ? 先ほど、何を授与されたか、ジェフリーさんに報告をしてやるのはいかがかのぉん?」
いくら何でも無神経だ。圭馬が噛みつくように指摘を入れた。
「ババァ、正気か? こんなときに……」
妙だ。ショコラが異様なまでに落ち着いている。
サキはハッとした。いつもこうしてわかりづらい謎解きのようなヒントをくれる。この鯖トラ柄の惚けた猫は、頭の回転が早い。サキよりもずっとだ。授与式に同席したわけでもない。だが、主を理解していれば何を授与されたかなど、予想がつくものだ。
ショコラの親切な謎に勘づいたのか、サキの顔つきが変わる。
「ミティアさん、そのお家はどちらですか?」
まだ、自分の目で見たわけではない。サキは信じていなかった。誰かが言った情報だけで信じてそれでおしまいにはしたくない。
アイラを落ち着かせる。このまま放置もできないため、一緒に行動をともにする。だが、落ち込んだまま言葉はなかった。
本当はおめでたい話で締め括りたかったのに、このままでは後味が悪い。
一足先にケーシスの借りているアパートへ向かった、ローズと竜次。
サキの話によると、ジェフリーはアイラと会っていた。大体の話は通すだろう。彼女がジェフリーを放っておくとは思えない。何だかんだで、人情に厚いアイラは助けてくれるだろう。
ケーシスの家だと言った予想は当たった。
シケた髭親父が不機嫌そうに出迎えて、ジェフリーはいないと、適当に追い返す。冗談ならよかったと思った。
ローズと竜次は揃って訪ねる。すると、出迎えたのはサテラだった。これは驚いた。
「あぁ、やっぱり来ますよね」
サテラは歩けなかったはず。起きて出迎えるなど、あり得ない。あれだけ衰弱していたのに。少し眠そうだが顔色もよくて本当に驚いた。
竜次が事情を説明しなくても、サテラは招き入れた。
「どうぞ」
「お邪魔、しますよ?」
「覚悟はいいですか?」
「覚悟って?」
やけにすんなりと入れてくれた。もっと、もったいぶるのかとも思ったくらいだ。
二人が目の当たりにしたのは、ベッド脇で点滴を持つ壱子、呆然と立ち尽くすケーシスと……。
「ジェフッ!!」
竜次はベッドで横になっているジェフリーに飛びついた。触れて間もなく、表情を強張らせる。
「えっ、つめ、たい?」
遅れてローズが顔に触れ、首をなぞった。瞬きを忘れ、視線が泳いでいる。
ジェフリーの左手には点滴針が刺さっており、何本も注射をした跡がある。貼り付けられているテープが痛々しい。
ひときわ目立ったのは、手の平に紫色に変色した二か所の噛み跡。竜次は気が付き顔を上げる。
「生物毒……有毒動物ですよね。血清は?」
この場で騒いでいるのは竜次だけだった。床には散らばった薬箱と、ゴミ箱から溢れている医療ゴミ。ケーシスが手を尽くしたのは目に見えてわかった。それでもジェフリーの目は覚めていない。
「お父様っ!!」
竜次は反応がないケーシスに掴みかかる。その手は震えていた。
いつものケーシスなら、礼儀がなってないと苦言を垂れるか、手を上げて叩く。そんなケーシスは、いくら揺すられようとも瞬きしかしない。
ローズは壱子の持っている点滴のラベルを凝視する。
「それは、解毒剤?」
「と、わたくしは聞いております」
小難しい顔をしているが、悪くない処置だと確認する。ローズは他に手がないかと考えている。何を投与したのかは医療ごみのラベルから情報を拾った。
この場で一番取り乱しているのは竜次だ。
「こんなの嘘だ……」
竜次は医者である顔をしていない。ただ、感情的になって弟を思う兄の姿だ。
「私はジェフと、ちゃんと仲直りをしていないのに!!」
朝、言い合いになってそれきりだ。次に会ったときにこんな理不尽なことはない。元気に言い返して、生意気で、意地っ張りで……。
竜次は身震いを起こす。まだ信じていない。仲間にはどう告げればいいだろうか。
パタン
扉の閉まる音がした。竜次が顔を強張らせたまま振り返ると、視線の先にはすでに泣き出しているミティアが突っ立っている。うしろには、付き添いで一緒に来たキッド。軽く挨拶をしている。
竜次は身の毛がよだつ感覚に襲われた。
「だめです。ミティアさん……」
キッドは気を遣い、ミティアを庇うように前に出た。竜次が止めようとしている理由を察しながら、おとなしく様子をうかがっている。散らかった部屋も、ここにいる人の表情も見れば想像はつく。
「何よ、ずいぶんと静かね」
キッドはジェフリーとくだらない口喧嘩が絶えない。それは笑いを誘いながら、日常の一部であった。目を閉じたまま何も言わないジェフリーに憎まれ口を叩く。
「タチの悪い冗談なんてやめて、言い返して来なさいよ。ほんと、馬鹿みたい……」
キッドの声が掠れ、震える。
静かな空気が流れる。
ミティアは涙をこらえながら膝を着き、点滴針の指されたジェフリーの手を取った。
「今朝はごめんね。わたし、ジェフリーとずっと一緒にいたくて、言えなかった。余計な心配をかけたくなかった」
見ていられない。竜次が目を背け、前髪がくしゃりと逆立つほど目を覆った。
「わたし、あなたと一緒に生きたい。生きたいのに、どうして?」
ミティアのすすり泣く声が大きくなっていく。
「起きて!! 一緒に笑って、おいしいご飯食べようよ!? ねぇっ……」
ミティアは激しく揺さぶる。点滴の針が抜けてしまいそうだ。ローズが無理矢理止めに入った。ミティアはそんなローズに容赦ない言葉が投げつけられる。
「ローズさん、お医者さんなんでしょ? ジェフリーを助けて!!」
「それは……」
ローズには答えられない。
ローズに当たっても仕方ないのは、ミティアにだってわかっている。だが、この感情はどこにぶつけていいのかわからない。
「先生も、ケーシスさんも、お医者さんなんだよね? どうして? みんなどうして黙っているの? お医者さんが三人もいたら、ジェフリーは助かるんじゃないの!?」
ミティアの感情は竜次にもケーシスにも飛び火した。
さすがにキッドも止めに入った。
「もうやめよう。ね?」
取り乱さない方が無理だ。だが、キッドはミティアを抱き寄せて鎮まらせようとしている。
こんなに取り乱す親友は見たことがないと、戸惑いながらもキッドにはこうするより他に思いつかなかった。
ミティアはケーシスに食い下がる。
「ひどいよ。こんなのひどいよ!! ケーシスさん、ジェフリーを助けて!! ケーシスさんなら、ジェフリーを助けてあげられるでしょう?!」
ケーシスは干からびた仙草を取り出した。これは竜次が預けたものだ。もちろんこれでは効果が期待できない。ケーシスはミティアに言う。
「確かに、この仙草に手を加えたら、超回復が見込める薬にはなった。それを隠すつもりはない」
「……!?」
「けどよ、こいつで助けられるのはせいぜい一人だ」
ケーシスの言葉にミティアは目を見開いた。目に溜まっていた涙が大粒になって零れ落ちる。
ケーシスは鋭い眼差しを向けた。
「助けたい人が三人いる。サテラ、ジェフリー。それから姉ちゃん、あんただ……」
「……っ!!」
「選べるか? 正しい選択はできるか? 俺は、選んだぞ……」
ケーシスがわざわざ言うのには理由があった。手元にある仙草、ローズの作った試薬、ケーシスが調合した薬、すべてに限りがある。その量は少ない。この条件で正しい選択ができるか。選べるだろうか。
ミティアが不穏な言葉を口にする。
「わたしに禁忌の魔法が使えたら、大切な人、みんなを助けてあげられるのにッ!! ジェフリーを生き返らせることができるのに!!」
それを聞いたキッドはミティアを抱え込んだ。
「それはあいつが一番望んでないと思う。そんなこと言っちゃダメ」
「嫌、嫌よ、こんなの、ジェフリー!! いやああああああああっ!!」
キッドは泣き喚くミティアを抱えたまま、外に連れ出した。このままここにいても邪魔なだけだ。本当はこの場に留まって、ジェフリーに声をかけてやりたかった。
今は親友のミティアを鎮めなければ、大変なことになると大人の対応を取った。
ケーシスは竜次の背中を押した。
「え……?」
「医者ってのは、長くやってると、残された人間の八つ当たりも受ける。今回は、ちょっときついけどな」
ケーシスは医者らしいことを説教する。
経験の浅い竜次にはまだ理解できなかった。自分だって悲しい気持ちに整理がついていない。ケーシスの言葉に耳を傾けるが、納得はしていなかった。
「姉ちゃんが早まらないように面倒を見てやれ。下手をしたら、敵対しているはずのルーに魂売りに行ってまでするぞ」
そう割り切るしかないのかと、竜次はかぶりを振って追い駆けた。ミティアがまた、禁忌の魔法を求めるのだけはどうしても阻止したい。
壱子からも諦めの色がうかがえる。点滴を持ったまま何時間も立たされ、神経を尖らせていた。
「ケーシス様、いつまで投与なさるのです? もう楽にしてあげては……」
楽に……と言われ、ケーシスは首を垂れる。
ローズが代弁した。
「外すと本当に助からない」
辛辣な表情だった壱子は眉を吊り上げた。この言葉は意外だったようだ。
「葬儀屋の手配を考えておりました」
ケーシスはローズの言葉に付け足す。
「処置が遅かったから、焦って無駄な薬も打った。だから、身体のダメージがデカすぎるんだ」
壱子は持ち手を変え、肩を鳴らしながらうっすらと笑う。
「ミニマムになってお体の中に入るか、夢の中にでもダイブするんですか?」
「夢があっていいな、お前……」
ケーシスの受け答えは冗談を言っている。つまりは、まだジェフリーに望みがある。
「そういえば、意識は戻りませんが、死後硬直しておりませんからねぇ」
ゼロではない。だが、その可能性を模索している。その段階である。
一人にしておけず、アイラも連れて来てしまった。だが、傷口を抉るようなことをしてしまったらしく、彼女は廃人間にでもなってしまいそうだ。
サキとコーディはアイラの面倒を見る。だが、中の様子が気になって仕方ない。あまり広くないとサテラに言われ、機会を待った。
サキもコーディもお互いを気にしている。
「コーディちゃん、異様に落ち着いていますね」
「そう言うサキお兄ちゃんだって、何か考えているでしょ?」
仲間内で心理戦などしたくはないが、ここで敵対はないと思いたい。コーディから仕掛けた。
「すごいことを考えているんじゃない? 大魔導士なんだもんね」
「僕は、本で人の歴史を動かすかもしれないコーディちゃんの方がすごいと思います」
心理戦から褒め合いが始まる。
これにはコーディは呆れていた。
「そろそろ褒める人考えなよ。別に私は何とも思わないけど」
性格を理解して、手玉にでも取るのだろうか。
コーディはサキが自身で気が付いていない欠点を指摘するが、やはり自覚はないらしい。妙な空気になっていた。
その頃合いで、手が付けられないほどに泣き沈んだミティアとキッドが癒えの中から出て来た。
サキはキッドに声をかける。
「ね、姉さん?」
キッドは何も答えない。サキはこの反応を見て、少しずつ実感が湧いた。まだ信じていないのに、まだ知らないのに。知らないことを知ろうとするいつもの好奇心が、ただの性悪になった。
ばたばたと騒がしく竜次も出て来た。彼の焦りも異常だ。
「クレア、待って!!」
涙こそないが、激しく動揺している。その感情を抑えようと、自身で必死なのは明らかだった。竜次はサキとコーディにも気が付いた。
「サキ君、コーディちゃん……」
名前を呼ぶだけで何も説明がない。いや、説明ができないのだ。
ここで何を求めても散らかってしまっている。感情も、抱く思いも。サキが見た世界は『何か』が足りなかった。友だちなら、親友なら、ジェフリーならどうするだろう。サキは自分が何をすべきなのかを考えた。
だが、考えるだけの時間は待ってくれない。こうしている間にも惨状は動く。
どうしようもない思いは在らぬ方へと進む。まるで坂道を転げ落ちるように。サキはそれを目撃し、耳にもした。
「わたしが、わたしが禁忌の魔法を使えたら、ジェフリーを助けてあげられるのに!!」
「もうその話はやめよう。お願いだからそんなこと、考えないで」
ミティアの譫言と鳴き声をキッドが慰めようとしている。
竜次が追って来たのは下手ながらフォローのつもりだろう。
悲しむミティアを見ても、誰も彼女を励ますことなどできない。
「たくさん泣いてくれる人がいるのですね……」
扉の隙間から、サテラが一同の様子をうかがっていた。身近で見たものに対し、客観的ながらも純粋な言葉が一同の心に突き刺さる。
「自分には世の中の仕組みがわかりません。どうしてよい行いをする人が、こんな理不尽な思いをしなくてはいけないのですか。自分を自由な体にしてくれた。そのきっかけをくれた人がなぜ死ななくてはいけないのですか? お父様も壱子さんも教えてはくれません。誰か、教えてください……」
誰しも子どもの頃に思っただろう。どうしてあんなに親切にしてくれた人が亡くなるのか、どうして死ななければいけなかったのか。そんな純粋な思いが掘り起こされる。
死ななければならなかった理由なんて知らない。誰も答えられない。
万人が納得する説明など、誰ができようか。
この空気の中、行動を起こしたのはコーディだ。お邪魔しますと中へ入った。サキはコーディの思惑に勘づいていた。すぐにあとを追う。
乱暴に開かれた扉が、キィと不気味な音を立て、冷たい風を室内に招き入れる。
惨状を目の当たりにしたコーディが、ケーシスの前で声を張った。
「ねぇ、私を使ってよ!」
「コーディ、君は……」
咄嗟に呼び捨てにしてしまったが、サキが庇いに入った。何をしようとしていたのか、確信を持って止めに入ったのだ。
種族戦争を知り、神族を論文にしてまとめたサキは首を振る。
「『ドラゴンブラッド』なんて無茶だよ!」
コーディは不敵に笑う。
「おじさん、種の研究所にいたなら知ってるでしょ? 私は、ドラグニー神族の末裔だよ。しかも、始祖の血を引いている。もしかしたら、生きるを通り越して不老不死になれるかもしれないけど」
コーディは狂ったように口角を上げ、ニヤリと笑う。
「生き血を飲めば万病に効き、肉を食らえば飛ぶほどの力、体内に大量の血を取り込めば不老不死になるといわれている、ドラゴンブラッドだよ。さあ、私を切ってちょうだい!」
コーディはケーシスを見上げ、腕を差し出した。
サキはこの意味を知っていた。当然止めに入る。
「コーディ、そんなまやかし、信じちゃいけない。確かにドラグニー神族が絶滅に追いやられた原因はその言い伝えのせいだ。でも、根拠はない。科学的にも証明されていないはず!!」
ケーシスはコーディをじっと見ている。かつて、貿易都市で礼儀のなっていないガキだと称して殴ったこともあった。もちろん、ケーシスはコーディが何者なのかを理解している。
ケーシスは肩を鳴らし、首を解した。
じっと待ち構えているコーディ。どうやらケーシスにはその気はないようだ。
サキはその様子に安心した。二人の間を渡り歩き、ジェフリーに対面する。
「そっか…………」
ジェフリーの顔色は悪く、腕にはテープと注射の跡がある。サキはジェフリーの手を取った。とても冷たく、生気がない。だが、違和感に気付いた。
サキは床に散らばる薬剤の空箱に目を向け、点滴にも目をやる。
違和感に気付けたのはショコラも同じだった。サキの足元でおとなしくしているがシマシマの尻尾がパタパタと生きているように泳いだ。
圭馬はちゃっかりとベッドに乗り、ジェフリーの頬を叩いたり匂いを嗅いだりと騒ぎ立てる。
「うっそ、マジで? ねぇ、ジェフリーお兄ちゃん、ホントに死んじゃったの?」
圭馬も信じていないようだ。本当に起きないジェフリーに対し、気持ちが引いているというのが正しい。
サキはほんのり笑みを浮かべながら話しかけた。もちろんジェフリーにだ。
「ジェフリーさん、お陰様で大魔導士になれました。なのに、こんなのひどいじゃないですか。一番祝ってほしい人がジェフリーさんなんですよ?」
この場の誰もが、思い出を語らうのかと思った。開かれた扉の向こうでもすすり泣く声がする。死んでしまったと信じ込んでいたミティアたちも、サキの言葉に耳を傾けている。
サキはローズの顔を見る。その眼光は鋭かった。
「本当に死んでいたら、ローズさんがこんなに冷静じゃないと思います」
ローズはケーシスにアイサインを送る。
ケーシスは気まずそうに眉を乱し、表情を変えた。気を紛らわせるように無精髭を撫でる。
サキは自分なりの意見を言う。
「お師匠様の知らせからかなりの時間が経過しています。いつまでも無意味な点滴をしているとは思えません。僕なりの素人な医療知識と推測からして、ジェフリーさんは仮死状態だと思います。違いますか?」
誰に言ったわけではない。だが、強いて言うならローズとケーシスに向けてだろう。
何も言っていないが、ケーシスは口を開け無精髭に添えた指も止めていた。唖然というか、呆然というか、何かしらの刺激を受けている様子だ。
誰も答えない沈黙を破るのは圭馬だった。
「ちょ、ちょっと待つんだ?! キミ、この状況わかっているのかい?」
圭馬は動揺のあまり、ショコラにも振った。
「ババァも言ってやれよ、認めたくないのかもしれないけど、おかしいじゃないか!」
「いんやぁ? わしは主が正しいと思うのぉん?」
「はぁ!?」
ショコラの落ち着き具合が、てっきりいつものマイペースのせいだと思い込んでいた圭馬はさらに取り乱す。
一同が動揺する。会話を耳にしていたミティアが顔を上げ、じっとこちらを見ている。
「ジェフリーは……たす、かる、の?」
ミティアの掠れた声に、サキが顔だけ向けてあどけなさの残る笑顔を見せる。
竜次は怪訝な顔をしながら首を傾げた。
「私は気付かなかったのに、どうして……」
サキが医学的な観点を口にするなど、想像しなかった。それは竜次だけではない。皆も疑問に思っていた。だが、一行の中で知っている者は心当たりがある。それは、ローズの家にあった地下書庫だ。まさかサキはあれを読んで人体や医療を理解したとでもいうのだろうか。
そうでなければ、サキは天才に秀才が重なった頭の持ち主。尊敬するなど、生ぬるい。魔導士、大魔導士と来て、これ以上何を超越するのだろうか。
皆はサキに注目する。彼はカバンから白い魔導書と、大きな白い魔石を取り出した。この魔導書は、先ほど大魔導士の試験を合格した際にもらったものだ。
特別なことが書かれてある本に違いない。ただこの魔導書は、固定でもらえるものではない。受ける人によって授与される属性が違うようだ。
サキは自分の力を信じる決断をした。
「僕が希望を掲げてもいいですか、ジェフリーさんのお父さん?」
「………………」
ケーシスは長い沈黙ののちに答えた。
「かまわない。が、一つ問う。魔法で人は生き返らない。それができるのは禁忌の魔法くらいだ。それは賢いお前さんならよく知っているだろう?」
「もちろんよく知っています」
問いに対し、サキは深く頷いて答える。そして魔導書を開きながら続けた。
「魔法は自然とともにあるもの。人との共存、だからこそ馴染みのあるものを属性として崇めます。禁忌の魔法はそのどれにも属さない、魔法ではなく祈りに近いものです。ならば、魔法の道を歩む者には一生使えないでしょう。魔法は自然とともにあるものだからです」
魔導書を読んでいるわけではない。どちらかと言うと、難しいうんちくに近い。
捲っていたはずの魔導書を閉じた。サキはこの長々とした話の間に目を通したらしい。
魔導書をカバンにしまい、サキが右手を振り上げた。
「かすり傷や怪我の応急処置なら魔法でもできます。でも、魔法で病気は治せない。よくできていますよね……」
振り上げた右手を泳がせる。何かを描く感じではなく漂うように、踊るように、爪弾くように指先を遊ばせる。光の粒がいくつも弾けた。
「僕が一番好きな属性は光です。守護属性でもあります。ジェフリーさん、僕たちはいつも太陽のような人に希望をいただいていますよね? これからは、あなたも誰かの太陽になってあげてください」
サキは目を閉じて、今度は意識を集中した。その口元が控えめに動く。覚えたての魔法を詠唱しているのだ。
泳がせていた右手を下げ、魔石を握っている左手を前に出した。光は強さを増す。
「この世の中は理不尽です。明日を生きたい人が死に、明日を死にたい人が生きる。少しでも、足掻いて生きてください。生きたいと思えば、明日を生きられるかもしれない。そうでしょう?」
サキは白い魔石を弾いた。
「生きたいと願う、希望の光となれ……リザレクション!」
どんな光なのか、どんな魔法なのか、説明は難しい。なぜなら、使用者はこの世に限られた数人しかいないのだから。
回復の魔法は生命の倫理を大きく外れてしまうため、魔法はあくまでも補助にしかならない。
迷子になってしまった命は、導かれたこの光に気付けるだろうか。
この光は、果たして『彼』に届くだろうか?
卒業試験でも馴染みのあったコロシアム。
屋根もある学校の設備だ。運動行事や集会、行事はここでやった。ぐるりと円を描く古風な造りではなく、四角形でギャラリー席は段々となっており、上がっていく。正直米粒のひしめき合いで誰がどこにいるのかわからない。
保証人や肉親は優先席があったと思うが、場所を覚えていない。
制服姿の在校生、教師、学校関係者の関心がどれだけ高いのかがざわめき方でわかる。
少なくとも自分が今この場に立てているのなら、筆記試験をパスしたのだろう。
史上最年少の大魔導士候補となれば、採点も臨戦態勢だ。
サキは筆記試験が千点満点の中、どれくらい採れたのかが気になっていた。気になる理由は、少なくとも手応えと自信があったからであり、どうでもいいと考えていたら、点数に関心など抱かない。
サキの体力はまだ残っている。筆記による消耗は少ない。
「緊張する。これが全ての魔法使いにとって憧れの大舞台」
実技試験の開始時間は過ぎている。だが、呼び出しがかからない。サキは入場口の前で深呼吸を繰り返していた。
たったの三分、百八十秒の世界で二百個の魔法を放つ。同時にいくつもの魔法を手がけるなど、高位の魔導士ならば容易いはず。
実際、サキは旅の道中で一度にいくつもの魔法を唱えていた。それが秒の世界になっただけであって、用意されたパネルに向かって放てばいいだけ。
この世界に魔法は千を越える種類がある。そのうちの二百個。同じ魔法は加点されないがその先の合成魔法は加点の対象になる。
父親の手帳によると、判定基準が難しいようだ。できるだけパネルの真ん中を狙えと書いてあった。手帳のアドバイスはそれだけではない。どんなに優れた者でも、この舞台に立てば頭の中が緊張のあまり真っ白になるとも書いてあった。周りはカボチャだと思えと気休めの言葉を思い出す。サキも例外ではなかった。
たった三分、されど三分。雑念を押し殺し、考えず、細々とした無詠唱魔法を放つだけでも考えれば数百種類はあるのだ。問題はどうやって攻略するか。
「ま、まだかな? さっさと終わらせたい……」
誰も助けてはくれない。圭馬もショコラも仲間も。でも、きっとどこかで見ていてくれるはず。
吹奏楽の音楽隊がファンファーレを鳴らす。政と派手好きなフィラノスらしさがうかがえた。サキ・ローレンシアではなく、ソエル・ハーテスとして名前が呼ばれた。
案内され、舞台上に出る。
予定時間を過ぎたにも限らず、ブーイングは一切ない。歓迎の声に耳が割れそうだ。
サキの冷静は、どこかに行きかけていた。
目の前には豪華な衣装の学校長。ルールの説明をされた。正直、たった三分で終わるのにここまで尺が長いと緊張のあまりおかしくなってしまいそうだ。
学校長が咳払いをし、いよいよ始まるのかと思ったが、筒状に巻かれた紙を取り出し、ゆっくりと読み始めた。
「この者は十六歳、本来は二十歳で受けるもの。勇気を持って受けると申した。特別に百八十秒のルールを二百秒に延長する!!」
サキの中で理解するのに時間を要した。
だらだらと特例にいたった理由を述べている。世界の情勢、黒い龍の話、国からの調査での働き、フィラノスの混乱、大図書館の出来事……。
開始が遅れた理由はきっとこれだ。
観客にざわめきが起こる。述べられたサキの功績にざわめいているだけではない。
「以上をもって……」
サキは説明の締めくくりを遮った。
「ま、待ってくださいっ!!」
場が静まり、注目を集めた。観客の反応も気になるが、これだけは絶対に言わないといけない。サキは大きく息を吸って言う。
「僕にそんな特別扱いは、必要ありませんっ!!」
せっかくの厚意かもしれないが、サキにとっては余計なお世話だった。
条件を緩くするなど、甘えでしかない。その特別扱いこそ、サキがもっとも嫌うものだった。
学校長は渋い表情をしながら髭を撫でている。
「しかしのぅ……」
急に学校長ではなく、一人の老人としてサキを心配しているようにも思われる。サキはこの特別扱いは絶対に受け入れられなかった。
「確かに僕は飛び級しています。だから他の魔導士より若いです。でも、そんな情けで取った大魔導士に価値を感じません。合格できなかったら、僕が未熟なだけです。だから、お願いしますっ!!」
サキは帽子が落ちそうなほど、深く頭を下げた。
学校長やこの特別ルールを設けたい者の意図は、サキが若いだけではないだろう。魔法都市に暮らす者がこれだけの注目を集めている。暗い話ばかりが続く中で、楽しみにしている者がいる。いい知らせ、つまり、合格率を上げたい意図だ。
もしかしたらサキの願いは、人々の期待を裏切るかもしれない。
静まり返った中。パチパチと拍手が聞こえた。サキは顔を上げる。すると、拍手をしていたのは遥か上の立見席の端にいる赤髪の女性だ。見間違えるはずがない。
あれは――
「ミティアさん……」
隣には白衣の女性、ローズも手を振っている。
小さな拍手は瞬く間に広がり、波のように広がり渡った。
サキは感激のあまり、鳥肌が立った。
「あ……」
言葉にならなかった。まだ本番前なのに、仲間に応援されていると知って目頭が熱くなる。サキは感極まって泣き出しそうだった。拍手に紛れて聞き覚えのある声がした。
「しっかりやんなさいっ!!」
どこからなのかはわからない。でもキッドの声だ、きっとそうだ。
試験官だろうか、何人か集まって学校長を交えて会議が始まった。「少々お待ちください」とアナウンスが流れる。
時間がかかりそうだ。サキは中だるみに飲まれることもなく、この時間で観客の中から知り合いを探すよう見渡した。
ミティアとローズがあんなにうしろにいたのなら、ギリギリに来たのだろう。
タスクが残った状態で役割を分担していた。それなのに、わざわざ足を運んでくれたことが純粋にうれしい。
「あれ?」
サキは屋根に近い鉄骨の骨組みに、カラスのような影を見付けた。黒いマントに銀髪のあの人だ。この場に馴染むこともなく、こっそりと見ている様子だ。サキはこそばゆい笑いを含んだ。
「姉さんやジェフリーさんはどこだろう……」
この場にいるはずだが、ばらばらなのだろう。肉眼で見つけるのは難しい。サキは物探しの魔法を放ちたかったが、ぐっと堪えた。
そわそわとしているうちに、話がまとまったようだ。「おまたせいたしました」とアナウンスがかかる。
再び学校長から言い渡された。
「お主の意見を尊重しよう」
「ありがとうございますっ!!」
「酷な選択じゃな……」
学校長は背を向けて肩を落とした。この学校長、合格しないと思っているに違いない。
サキは唇をきゅっと噛み締める。緊張が戻って来た。
鈍く光る、野球のスコアボード二枚分ほどのパネルだけがサキの前にあるだけ。時間も魔法の有効カウントも表示がないと説明された。
観客が静かに息を飲む。皆が注目する中、サキが己を落ち着かせるように大きく息を吸って目を閉じた。
泣いても笑っても、この三分で決着がつく。
自分に光をくれた人たちの顔が思い浮かぶ。気が付けば、いつも誰かに助けられていた。拾ってくれた人、育ててくれた人、お世話になった人、好きになった人。
それから、いつも意地を張って、素直になってくれないどうしようもない友だち。
自分は決して一人ではない。今度は自分が誰かに希望を与える番だ。胸を張って証明したい。
「ソエル・ハーテス 今ここに 己の知識と魔力を開放せよ!!」
照明が落とされ、最小限の明るさになった。
「開始っ!!」
開始の声と同時にサキが両手にそれぞれ魔法を振っていた。上に振り上げ、下ろすタイミングでもう一つ同じ属性で違う魔法を唱えている。
ものの数秒でパネルが光りっぱなしだ。思いつくだけ小さな魔法で数を稼ごうとしている。まずは火の魔法。
火の玉のような小さなものから、尾を引く少し大きめのものまで唱えている。
親族・関係者の席の中、圭馬がやたらと騒がしい。
「あぁっ、あんなに火力出して、この調子じゃ途中でバテちゃうよ!」
余計なことを言って減点や失格を招かせまいと、竜次がカバンの中に押し込もうとしていた。
身内が騒がしいとは心外だ。コーディは憤慨する。
「もぉっ、おとなしくしてよ!! いくつかわかんなくなっちゃったじゃん」
よそ見をしている間はない。横でおとなしく静観しているつもりだったコーディも圭馬を押し込もうと手を伸ばした。
竜次の方にショコラが乗る。高い場所で試験を見たいようだ。
「今、五十くらいかのぉん……」
「えっ、まだ開始三十秒。いいペースですね……」
ショコラが言うにはいいペースなのだと思われる。これには竜次も安心した。
観客席には時計が設けられている。学校のイベントでも使用するからなのだろうが、簡易的なもので目を凝らさないと秒針が見えない。
キッドは、母親ユッカの形見である銀の懐中時計を持って、必死に祈っている。手は震え、これでもかと頭をこすりつけていた。
「母さん、父さん、お願い。あの子に力を貸してあげて……」
いつもは指摘を入れる役のコーディは、いつの間にかフォロー役に回っていた。
「お姉ちゃんの思い、絶対に届いてるから大丈夫だよ」
これではゆっくり見られない。コーディは仕方なく思いながら場内へ目を向ける。
ちょうど向かい席にポニーテールの髪型だが、見覚えある女性を見つけた。腰に大きなカバンが下がっているところ、おそらくアイラだ。
やけに辛辣な表情だ。そんなにサキを心配しているのだろうか。
コーディが気にかけていたところ、場内がざわついた。
サキが下を向いて肩で息をしている。圭馬の心配が的中してしまったようだ。
「ババァ、今いくつだ?」
圭馬の言う『ババァ』とは老猫のショコラを指す。雑な呼び方だが、ショコラはこれを気にしていない。目で追ってよく数えているらしく、さらりと答えた。
「百五十くらいかのぉ……残りは間もなく一分になるわぁ」
「うそだろぉ、ボクの主人は、史上最年少の大魔導士だって魔界で自慢するつもりだったのにっ!!」
圭馬が一層大きな声を上げるものだから、竜次はついにカバンに押し込んで蓋をしてしまった。
「わーん、消毒液のニオイがするよぉ!!」
日頃の下ネタ攻めのお返しのようだ。今回は少しきつめかもしれない。
ふざけている場合ではないのだが、あまり騒がしくしているとサキにとってマイナスになるかもしれない懸念である。
また場内がざわめいた。
サキが右の人差し指を立て、大きく深呼吸をしている。呼吸こそ整えているが、まだ終わってはいないと意志を示した。
こうなるだろうとは予想していた。寝不足で、仮眠を取れとの忠告も無視してしまった。緊張と変に待たされたせいもあって、体力を無駄に消耗した。
配分も誤った。最初から魔力のセーブを忘れてしまっていた。せっかくショコラに魔力を抑えて長続きさせると教わったのに、まだまだ未熟だ。
何十秒休んでしまっただろうか、時間などわからない。そんなことを考える余裕がいっさいない。入念な戦略を練って来たとしても、この場に立てば、たちまち頭の中は真っ白だ。
臨機応変が試されるが、そんなものは旅の道中で嫌というほど知っている。
限られた環境で、自分の力を最大限に生かす。体力が持たないのならば、これ以上削らないでカウントを稼ぐ。
サキは自分の中で何をすべきか見極め、人差し指から魔法を放つ。
「スペルレイッ!!」
サキは自身に魔法をかける。効力と継続時間の延長だ。これはカウントには入らないだろうが決して無駄にはならない。
次いで右の人差し指を弾いた。
「アシストレイン」
前方に向かってしとしとと静かな雨を降らせる。一見地味だが、合成魔法には欠かせないベースの魔法だ。
雨を降らせたまま、単発の小さな魔法を唱える。凍らせれば大きくなり、火や雷は爆発を起こし、光を放てば乱反射、闇を招けばさらに広まり別の魔法になる。ダブルカウントを狙っての行動だ。一見せこいが、これも戦略。ただ、どうしても判定が難しく、すべてを認めてもらえる保証はない。
サキの思考も体力も限界に近かった。
その瀕死の状態で、思考は中級魔法に差しかかっていた。
「ソニックブレイド。ステンドグレイス。フォトンブレイズ。アースフェンリル」
アシストレインが切れる頃には、思い浮かんだものを放つ、やけくそになっていた。
「そこまでっ!!」
パネルの鈍い光が消える。最後の一秒まで、次は何を放とうかと属性を頭の中に展開していたが、ここまでのようだ。
観客からは拍手が聞こえた。だが、サキは手応えを感じられなかった。なぜなら、途中で休んでしまったからだ。手は握っただけで汗が雫となって落ちる。
乱れた呼吸を整えながら、また知っている人を観客から探していた。
「帽子ずれてるわよ!!」
今度はすぐに反応できた。自分の真うしろにあった関係者席で姉のキッドを見つけた。そのすぐそばに竜次もコーディも一緒にいた。こちらに向かって元気に手を振ってくれている。見てくれていたことがうれしかった。
「ん、そうだ、帽子」
サキは帽子を直そうと手にかけた。帽子の内側の櫛が緩み、落ちそうになっていた。このまま結果を聞くには、あまりにも不格好だ。コートも曲がっている。直して結果を待った。
学校長が髭を撫でながらまた筒状の紙を持って来た。一人というところ、大体の察しがつく。サキはじっと言葉を待った。
「まずは、お疲れ様じゃの」
「……はい。貴重な機会をありがとうございました」
聞かずともわかっている。サキは悔しさを抑え込みながら頭を下げた。
「結果を申し上げていいかの?」
「お願いします」
もったいぶらなくても、何を言われるのかはわかっている。
サキは下げた頭を上げられない。誰かの顔を見るのも怖かった。自分一人の力など、こんなものだろう。
「ソエル・ハーテス、筆記試験九百六十点。実技試験百八十八点……」
学校長から言い渡され、サキはやっぱりそうかと息をついた。
歓声も何もなく、しんと静まり返っている。
いい気になって、何も恩返しにならなかった。休んでしまった時間で不足だった十二個、埋められたはずだ。
後悔しかない。
しんみりとした空気の中、サキが涙をいっぱい浮かべて顔を上げた。
「ありがとう……ございました……」
サキの声は掠れ、震えていた。学校長は慰めるわけでもなく、優しく微笑んだ。
「合格じゃよ」
「えっ……?」
聞き間違いかと思い、サキは何度も瞬いて大粒の涙を零した。理解が追いつかない。呆然としていた。
試験官が何人も出て来て、学校長に別の紙を渡している。学校長は渡された紙に目を通し、ゆっくりと読み上げた。
「素点が百八十八点、合成魔法による加算三十六点、合計二百二十四点」
合格点は二百点、それを大きく上回っていた。
「あ、じゃあ……」
「合成魔法に詳しい者の判定を待っていたのじゃ。おめでとう」
「うっ……っく…………」
サキの言葉が出て来ない。おとなげないが、大泣きしてしゃくりあげている。
合格と告げられ、会場は空が割れてしまいそうな歓声に沸いた。
「落ち着いたら授与式にしようかの?」
「かまいません。今すぐほしいです……」
サキはうれし泣きを抑え込みながら、何とか笑顔を作って見せる。早く済ませて、仲間や世話になった人に報告したい。
姿を見つけられなかったが友だちと、アイラにも伝えたかった。
「うわーーーーーーーーーん!!」
歓声に混じって、情けない鳴き声を上げていたのはキッドだ。サキ本人に引けを取らない大泣きをしている。
感動していたのはキッドだけではない。
「どうしましょう。何だか感動して。サキ君がこんなに立派になって……」
「えぇっ!? お兄ちゃん先生まで!? つか、保護者みたいな言い方じゃん!!」
もらい泣きのような連鎖で、今度は竜次が目を擦っている。
呆れながらもコーディが、鋭い指摘を入れる。それでも、祝杯ムードに悪く思わなかった。向かいに目を向けると、アイラの姿はなかった。もうサキを迎えに行ったのだろうかと、この時点では軽く思っていた。
大歓声の中、証書と勲章、それから適正な守護属性の大魔導書が授与される。
勲章は、金属の羽根と艶のあるリボンが付いた立派な勲章だ。小さいが、この街のシンボルフラワーのすずらんが金属に直接彫り込まれている。勲章の裏側には日付と名前が彫られていた。
小さいので身につけず、持っていることにした。せっかくなのだから、落としたり、失くしたりしたくはない。
授与式から解放されたと思ったら、今度は魔法学校の新聞部からの取材、写真部からは記念撮影など束縛が多かった。これも今だけだ。そう思いながら、サキは仕方なく対応した。
全ての柵から解放されたのは、夜が深くなり始めた頃だった。
フィラノスの街中はお祭りムード一色、王都祭よりも騒がしいかもしれない。
長い時間拘束されてしまったが、魔法学校の前で仲間は待っていてくれた。
少しやつれた様子でサキが合流する。
キッドが一目散に飛びついた。
「おかえりなさいっ!!」
「ね、姉さん、苦しいよぉ……」
サキは腕っぷしのいいキッドに締めつけられ、仰け反っている。今にも倒れてしまいそうだ。
奥の立見席で拍手をくれたミティアも、笑顔で出迎えた。
「サキ、お疲れ様。かっこよかったよ」
サキにとって、ミティアは憧れであり、応援してくれたことがうれしかった。
この場には竜次もコーディもローズもいる。
だが、一番自慢したい人の姿がない。サキは仲間をもう一度見渡しながら言う。
「あ、あの、ジェフリーさんは……?」
サキがキッドを抑えながら言うと、皆もジェフリーの行方を気にしていた。どこかよそよそしく、落ち着きがない。
誰も答えないので、サキは竜次に答えを求めた。
「えっと、先生?」
「うーん、それが、私たちとは一緒ではないのです」
竜次もこれには困っている。下手な演技などではなく、本気で困っている様子だ。
ジェフリーの話になり、キッドはサキを解放した。腕を組んでご立腹の様子だ。
「この大事なときに顔も見せないなんて、あいつの神経は本当にどうにかしてるのよ」
いつものことだが、今度会ったらどんな喧嘩をするのかが怖い。
サキはジェフリーの不在を不審に思った。
「今いないなら、試験のときもいなかったのかな……」
サキは気を落としている。
ジェフリーの姿がなく、もっと気を落としているミティア。俯いて申し訳なさそうにしている。
竜次が慰めようとした。
「あ、ミティアさんが悪いわけではありません。ちゃんと叱ってあげられなかったし、探せなかった私がいけません」
「えっ、謝りに来ていませんか? そんなはずは……」
「んん、サキ君?」
サキはつい口を挟んでしまった。竜次は話に食い違いがあることに気が付いた。
もう、言い逃れは難しい。サキは素直に白状した。
「ごめんなさい。僕は朝食のあと、皆さんの厚意を無視して、ジェフリーさんを探しました」
「あぁ、やっぱり……」
サキが懺悔すると、竜次は額を押さえた。言っておきながら、サキも実は反省すべき点がある。
「で、でも、僕が殴ったから、いけなかったのかな……」
サキが気まずい顔をしている。殴ったということは、本気でぶつかり合った、とでも言うべきか。『友だち』としての関係を皆は察した。
竜次は皆を代表して話を進める。
「じゃあ、最後、ジェフに会ったのはサキ君ですか?」
「いえ、多分ですが違うと思います」
もっと一緒にいたと思う人がここに不在だ。
ローズは一つの可能性を言う。
「もしかして、お師匠サン?」
「そ、そうです。多分会場にはいたと思うのですが……」
サキが思っていた人はアイラだ。
アイラの話になって、コーディも反応した。
「いつもと違う格好だったけど、アイラさんなら向かいにいたよ。ちゃんと見ててくれたみたいなんだけど」
終わってすぐに姿が見えなくなった。先に出待ちしているかとも思っていたが、そうではなかった。どうしたのだろうか。
格好もそうだが、コーディは表情が気になっていた。もちろんサキの言いたい特徴もわからないでもない。せっかく家を買ったのだから、満喫も考えるだろう。
サキにとっては、見に来てくれていたことがうれしかった。その一方で引っかかりが取れないままでもどかしい。
サキは足元のショコラを撫でながら、人差し指を立てて八の字を描く。
「まぁ、とにかく、お師匠様を探せばいいんですよね」
お得意になってしまった物探しの魔法だ。身に着けているものを探すという便利な生活魔法である。この魔法はショコラが本にして提案した魔法だ。
「お師匠様のカバンっと!」
弾いた光はどうせ住宅街だろうと踏んでいた。
だが、光は大通りではなく、しかもその先は貧民街に抜ける方角だ。
サキは呆然とした。
「えっ? どういう……」
繁華街に溶け込むなら、まだ理由がわかる。祝いのムードだ。ご馳走や、酒に浸ってもいい。町外れの貧民街に向かっているとは予想がつかなかった。サキは不審がった。
「この先は……」
一同は光を追って町外れに辿り着いた。夜とは違う、独特の暗さと空気を感じる。
ミティアは竜次を見上げた。
「あってると思う。ね、先生?」
「えぇ。私のお父様がこの先でひっそりと住んでいます。なので、間違いではないのです。やっぱり、ジェフは謝りに行っていたのかな……」
少し安心した表情をする竜次のカバンから、圭馬が這い出て来た。
「え、なーにぃ? ジェフリーお兄ちゃんが、またつまんない意地でも張ってたのぉ?」
いつも小うるさいが、おめでたい気持ちが勝って存在を忘れていた。
「まったく、主におめでとうも言わせてもらえないのかい?」
「あぁ、サキ君にお返しします」
竜次は圭馬を摘まんでサキに返す。ずっとカバンにしまっておいたので毛がくたくたになっていた。圭馬はヒクッと空気の臭いを嗅いで耳を立てた。
「ひどいニオイがするね。ここに人が住んでるの?」
相変わらず口が悪いウサギだ。知識がある分、こういったところが残念に思う。そんな圭馬の相手はほどほどに、竜次とミティアは楽しそうに会話をしている。
「そうだ。ちょうどいいので、皆さんにも紹介しましょうか」
「あ、そうですね。サテラはみんなに会いたがっていましたし。きっとよろこぶと思います。楽しみにしていたもの」
ミティアの表情は明るい。だが、それは一時的なものであり、サテラの体がよくなる根本的な解決ではない。
今はジェフリーを探すことも視野にあるのだから。
ローズは疲労の色を出しながら息をついた。
「今日は泊りになりそうデス」
決して悪い意味ではない。むしろ、ローズは自分の持っている技術を誰かのために生かせていることがうれしいようだ。末期の子どもがいる話は周知させている。
コーディはその話が気がかりだった。
「あぁ、なんか、具合が悪い子どもがいるって言ってたね。その子がサテラって子ども?」
種の研究所の負の遺産。時限爆弾を抱えた命。サテラはどうなってしまうのか。それは、ジェフリーやケーシスの行動による。
貧民街など、縁がなければ近寄らない。薄暗くて街灯も少ないが、民家の明かりは意外と点いている。
ローズが案内する道の先で人が待っていた。
栗色の髪の毛をポニーテールにしているアイラだ。たまたま出会った、というわけではなさそうだ。一行が来るのを待っていたのか、暗い表情をしている。
サキは姿を見ただけで、うれしそうに声をはずませた。
「お師匠様!!」
アイラは暗い表情のままだった。サキは励ますように、証書と勲章を見せる。
「僕、やりましたよ。ほら、お師匠様、見てくださいよ」
「ん、見てた。頑張ってたね……」
「お師匠様?」
アイラは、言葉を詰まらせる。目尻には涙を浮かべている。唇は震えていた。いい大人が人前でする顔ではない。サキはアイラの様子がおかしいと思った。
「ど、どうしました?」
感動をしている泣き方ではない。サキはただ、アイラに報告がしたかっただけだ。
アイラは突然嗚咽を交えながら、皆の前で膝を着いた。吹き溜まりの埃が立つ。
「お師匠さ……」
「ごめん、ごめんよ!」
アイラは膝を着いたまま、深く頭を下げた。その頭は竜次に向いている。
「マダム?」
土下座をしてまで謝られる意味がわからず、竜次が立ち上がるように手を添えたがこれを払っていた。こんな場所でプライドの欠片もなく、決して綺麗ではない貧民街の地面に膝も頭も擦りつけている。何とかして立たせてやらねば、こちらが悪いことをしたようだ。
「マダム、何があったか知りませんが、こんなことやめてください」
竜次が何度もやめさせようとするが、アイラはこれを振り払う。まるで駄々をこねる子どもの相手をしているようだ。困り果ててしまう。
「ごめんよ、竜ちゃん。あたし、あたしが……」
「ジェフリーを死なせてしまった」
吹き抜ける夜風が一段と寒く感じた。
むしろ、凍りつくかと思ったくらいだ。竜次は驚き、目を見開いた。
「マダム、今、何と……?」
状況が呑み込めない。なぜアイラがそんなことを言うのだろうか。
「あたしの不注意で、こんなことに……」
泣き崩れるアイラ、涙と泥で顔は汚れ、悔しさが滲んでいる。
ローズが竜次の肩を叩く。
「先生サン、きっとケーシスの家デス!」
竜次が顔を上げる頃には、すでにローズが走り出していた。父親のケーシスの所だろうと予想はついた。竜次もあとを追う。
「サキ君、マダムを!!」
「え、えっ?」
混乱するサキに無理矢理アイラを押しつけ、竜次は申し訳なく思いながらも跨いで追い駆けて行った。
手がつけられないアイラ、混乱するサキ。悪い連鎖は続いた。
ミティアが膝から崩れ、呆然としている。
「ジェフリーが死んだ? なん、で?」
じわりじわりと言葉が心を蝕む。愛しい人の死を受け入れられるはずがない。ミティアは体の奥が軋むような痛みを覚えた。息苦しくなり、胸を押さえて過呼吸になる。
キッドはミティアを支えた。
「ミティアっ! しっかりして」
キッドが慌てて背中をさすり、落ち着かせようとする。本当はキッドも理解が追いつかない。ジェフリーが死んだなんて、きっと悪い冗談だと言い聞かせていた。
実感が湧かなかったのはサキもそうだった。
「僕、どうしたら……」
サキまで混乱してしまったら収拾がつかない。コーディは𠮟咤した。
「しっかりして! 仲間が崩れちゃう」
仲間が崩れる。サキはかぶりを振った。自分だけでは情報が足りない。こういったときに、口は悪いが助言をしてくれる者がいるのを思い出した。足元に蒼白いウサギの陰を見つける。
「遅いよ、相棒……」
圭馬はアイラに歩み寄る。
「白兄ちゃん、いるんでしょ。出て来てちゃんと聞かせてよ」
なかなか鋭い。今ここにいる中で、一番正確な情報を持つのは圭白だ。泣き崩れるアイラから聞き出すのは難しい。
圭馬の声で、アイラの人情カバンから圭白と恵子が出て来た。
だが、圭白が恵子を庇っているように見えて、圭馬は機嫌を悪くした。圭馬は噛みつくような勢いで圭白に言う。
「ボクは信じてないけどね。あのお兄ちゃん、簡単に死ぬはずないし」
「圭馬、あの方は恵子を庇ってくれた英雄の魂をお持ちです……」
「英雄にならなくていいから、生きててくれた方がこれからも楽しいんだけどね!! 詳しく話してよ。何があったの?!」
悪態と毒舌、そこには憎めない愛情がある。圭馬なりにジェフリーを評価するも、死なれたら悲しい。認めない。
圭白はアイラの様子をうかがいながら話した。
「まずジェフリー様は怒っておられました。ケーシス様に対しては不満ばかりを抱いていた。とにかく、さまざまな感情が渦巻いていて、わたくしにもすべての把握は難しかったのです。ただ、言い合いをしてしまった方、それからケーシス様には謝りたかったようです。その前に、善い行いをしたいと。アイシャ様を含め、わたくしたちは手伝いました。森へ仙草を採りに行ったのですが、その森で毒蛇に襲われてしまったのです。妹の恵子を庇って……」
圭白は耳を下げ、首を垂れる。恵子はもっと落ち込んでいた。
「わ、わたくしたちが最後に見たときはもう、その……」
圭白、恵子の様子を見て、圭馬はやっと現実を受け入れた。
「ふぅん、事実、なんだ」
それでも認めまいとそっぽを向いた。
こうなってしまった経緯を聞いても落ち着いていたのはショコラだった。サキにある提案をする。
「のぉ、主ぃ? 先ほど、何を授与されたか、ジェフリーさんに報告をしてやるのはいかがかのぉん?」
いくら何でも無神経だ。圭馬が噛みつくように指摘を入れた。
「ババァ、正気か? こんなときに……」
妙だ。ショコラが異様なまでに落ち着いている。
サキはハッとした。いつもこうしてわかりづらい謎解きのようなヒントをくれる。この鯖トラ柄の惚けた猫は、頭の回転が早い。サキよりもずっとだ。授与式に同席したわけでもない。だが、主を理解していれば何を授与されたかなど、予想がつくものだ。
ショコラの親切な謎に勘づいたのか、サキの顔つきが変わる。
「ミティアさん、そのお家はどちらですか?」
まだ、自分の目で見たわけではない。サキは信じていなかった。誰かが言った情報だけで信じてそれでおしまいにはしたくない。
アイラを落ち着かせる。このまま放置もできないため、一緒に行動をともにする。だが、落ち込んだまま言葉はなかった。
本当はおめでたい話で締め括りたかったのに、このままでは後味が悪い。
一足先にケーシスの借りているアパートへ向かった、ローズと竜次。
サキの話によると、ジェフリーはアイラと会っていた。大体の話は通すだろう。彼女がジェフリーを放っておくとは思えない。何だかんだで、人情に厚いアイラは助けてくれるだろう。
ケーシスの家だと言った予想は当たった。
シケた髭親父が不機嫌そうに出迎えて、ジェフリーはいないと、適当に追い返す。冗談ならよかったと思った。
ローズと竜次は揃って訪ねる。すると、出迎えたのはサテラだった。これは驚いた。
「あぁ、やっぱり来ますよね」
サテラは歩けなかったはず。起きて出迎えるなど、あり得ない。あれだけ衰弱していたのに。少し眠そうだが顔色もよくて本当に驚いた。
竜次が事情を説明しなくても、サテラは招き入れた。
「どうぞ」
「お邪魔、しますよ?」
「覚悟はいいですか?」
「覚悟って?」
やけにすんなりと入れてくれた。もっと、もったいぶるのかとも思ったくらいだ。
二人が目の当たりにしたのは、ベッド脇で点滴を持つ壱子、呆然と立ち尽くすケーシスと……。
「ジェフッ!!」
竜次はベッドで横になっているジェフリーに飛びついた。触れて間もなく、表情を強張らせる。
「えっ、つめ、たい?」
遅れてローズが顔に触れ、首をなぞった。瞬きを忘れ、視線が泳いでいる。
ジェフリーの左手には点滴針が刺さっており、何本も注射をした跡がある。貼り付けられているテープが痛々しい。
ひときわ目立ったのは、手の平に紫色に変色した二か所の噛み跡。竜次は気が付き顔を上げる。
「生物毒……有毒動物ですよね。血清は?」
この場で騒いでいるのは竜次だけだった。床には散らばった薬箱と、ゴミ箱から溢れている医療ゴミ。ケーシスが手を尽くしたのは目に見えてわかった。それでもジェフリーの目は覚めていない。
「お父様っ!!」
竜次は反応がないケーシスに掴みかかる。その手は震えていた。
いつものケーシスなら、礼儀がなってないと苦言を垂れるか、手を上げて叩く。そんなケーシスは、いくら揺すられようとも瞬きしかしない。
ローズは壱子の持っている点滴のラベルを凝視する。
「それは、解毒剤?」
「と、わたくしは聞いております」
小難しい顔をしているが、悪くない処置だと確認する。ローズは他に手がないかと考えている。何を投与したのかは医療ごみのラベルから情報を拾った。
この場で一番取り乱しているのは竜次だ。
「こんなの嘘だ……」
竜次は医者である顔をしていない。ただ、感情的になって弟を思う兄の姿だ。
「私はジェフと、ちゃんと仲直りをしていないのに!!」
朝、言い合いになってそれきりだ。次に会ったときにこんな理不尽なことはない。元気に言い返して、生意気で、意地っ張りで……。
竜次は身震いを起こす。まだ信じていない。仲間にはどう告げればいいだろうか。
パタン
扉の閉まる音がした。竜次が顔を強張らせたまま振り返ると、視線の先にはすでに泣き出しているミティアが突っ立っている。うしろには、付き添いで一緒に来たキッド。軽く挨拶をしている。
竜次は身の毛がよだつ感覚に襲われた。
「だめです。ミティアさん……」
キッドは気を遣い、ミティアを庇うように前に出た。竜次が止めようとしている理由を察しながら、おとなしく様子をうかがっている。散らかった部屋も、ここにいる人の表情も見れば想像はつく。
「何よ、ずいぶんと静かね」
キッドはジェフリーとくだらない口喧嘩が絶えない。それは笑いを誘いながら、日常の一部であった。目を閉じたまま何も言わないジェフリーに憎まれ口を叩く。
「タチの悪い冗談なんてやめて、言い返して来なさいよ。ほんと、馬鹿みたい……」
キッドの声が掠れ、震える。
静かな空気が流れる。
ミティアは涙をこらえながら膝を着き、点滴針の指されたジェフリーの手を取った。
「今朝はごめんね。わたし、ジェフリーとずっと一緒にいたくて、言えなかった。余計な心配をかけたくなかった」
見ていられない。竜次が目を背け、前髪がくしゃりと逆立つほど目を覆った。
「わたし、あなたと一緒に生きたい。生きたいのに、どうして?」
ミティアのすすり泣く声が大きくなっていく。
「起きて!! 一緒に笑って、おいしいご飯食べようよ!? ねぇっ……」
ミティアは激しく揺さぶる。点滴の針が抜けてしまいそうだ。ローズが無理矢理止めに入った。ミティアはそんなローズに容赦ない言葉が投げつけられる。
「ローズさん、お医者さんなんでしょ? ジェフリーを助けて!!」
「それは……」
ローズには答えられない。
ローズに当たっても仕方ないのは、ミティアにだってわかっている。だが、この感情はどこにぶつけていいのかわからない。
「先生も、ケーシスさんも、お医者さんなんだよね? どうして? みんなどうして黙っているの? お医者さんが三人もいたら、ジェフリーは助かるんじゃないの!?」
ミティアの感情は竜次にもケーシスにも飛び火した。
さすがにキッドも止めに入った。
「もうやめよう。ね?」
取り乱さない方が無理だ。だが、キッドはミティアを抱き寄せて鎮まらせようとしている。
こんなに取り乱す親友は見たことがないと、戸惑いながらもキッドにはこうするより他に思いつかなかった。
ミティアはケーシスに食い下がる。
「ひどいよ。こんなのひどいよ!! ケーシスさん、ジェフリーを助けて!! ケーシスさんなら、ジェフリーを助けてあげられるでしょう?!」
ケーシスは干からびた仙草を取り出した。これは竜次が預けたものだ。もちろんこれでは効果が期待できない。ケーシスはミティアに言う。
「確かに、この仙草に手を加えたら、超回復が見込める薬にはなった。それを隠すつもりはない」
「……!?」
「けどよ、こいつで助けられるのはせいぜい一人だ」
ケーシスの言葉にミティアは目を見開いた。目に溜まっていた涙が大粒になって零れ落ちる。
ケーシスは鋭い眼差しを向けた。
「助けたい人が三人いる。サテラ、ジェフリー。それから姉ちゃん、あんただ……」
「……っ!!」
「選べるか? 正しい選択はできるか? 俺は、選んだぞ……」
ケーシスがわざわざ言うのには理由があった。手元にある仙草、ローズの作った試薬、ケーシスが調合した薬、すべてに限りがある。その量は少ない。この条件で正しい選択ができるか。選べるだろうか。
ミティアが不穏な言葉を口にする。
「わたしに禁忌の魔法が使えたら、大切な人、みんなを助けてあげられるのにッ!! ジェフリーを生き返らせることができるのに!!」
それを聞いたキッドはミティアを抱え込んだ。
「それはあいつが一番望んでないと思う。そんなこと言っちゃダメ」
「嫌、嫌よ、こんなの、ジェフリー!! いやああああああああっ!!」
キッドは泣き喚くミティアを抱えたまま、外に連れ出した。このままここにいても邪魔なだけだ。本当はこの場に留まって、ジェフリーに声をかけてやりたかった。
今は親友のミティアを鎮めなければ、大変なことになると大人の対応を取った。
ケーシスは竜次の背中を押した。
「え……?」
「医者ってのは、長くやってると、残された人間の八つ当たりも受ける。今回は、ちょっときついけどな」
ケーシスは医者らしいことを説教する。
経験の浅い竜次にはまだ理解できなかった。自分だって悲しい気持ちに整理がついていない。ケーシスの言葉に耳を傾けるが、納得はしていなかった。
「姉ちゃんが早まらないように面倒を見てやれ。下手をしたら、敵対しているはずのルーに魂売りに行ってまでするぞ」
そう割り切るしかないのかと、竜次はかぶりを振って追い駆けた。ミティアがまた、禁忌の魔法を求めるのだけはどうしても阻止したい。
壱子からも諦めの色がうかがえる。点滴を持ったまま何時間も立たされ、神経を尖らせていた。
「ケーシス様、いつまで投与なさるのです? もう楽にしてあげては……」
楽に……と言われ、ケーシスは首を垂れる。
ローズが代弁した。
「外すと本当に助からない」
辛辣な表情だった壱子は眉を吊り上げた。この言葉は意外だったようだ。
「葬儀屋の手配を考えておりました」
ケーシスはローズの言葉に付け足す。
「処置が遅かったから、焦って無駄な薬も打った。だから、身体のダメージがデカすぎるんだ」
壱子は持ち手を変え、肩を鳴らしながらうっすらと笑う。
「ミニマムになってお体の中に入るか、夢の中にでもダイブするんですか?」
「夢があっていいな、お前……」
ケーシスの受け答えは冗談を言っている。つまりは、まだジェフリーに望みがある。
「そういえば、意識は戻りませんが、死後硬直しておりませんからねぇ」
ゼロではない。だが、その可能性を模索している。その段階である。
一人にしておけず、アイラも連れて来てしまった。だが、傷口を抉るようなことをしてしまったらしく、彼女は廃人間にでもなってしまいそうだ。
サキとコーディはアイラの面倒を見る。だが、中の様子が気になって仕方ない。あまり広くないとサテラに言われ、機会を待った。
サキもコーディもお互いを気にしている。
「コーディちゃん、異様に落ち着いていますね」
「そう言うサキお兄ちゃんだって、何か考えているでしょ?」
仲間内で心理戦などしたくはないが、ここで敵対はないと思いたい。コーディから仕掛けた。
「すごいことを考えているんじゃない? 大魔導士なんだもんね」
「僕は、本で人の歴史を動かすかもしれないコーディちゃんの方がすごいと思います」
心理戦から褒め合いが始まる。
これにはコーディは呆れていた。
「そろそろ褒める人考えなよ。別に私は何とも思わないけど」
性格を理解して、手玉にでも取るのだろうか。
コーディはサキが自身で気が付いていない欠点を指摘するが、やはり自覚はないらしい。妙な空気になっていた。
その頃合いで、手が付けられないほどに泣き沈んだミティアとキッドが癒えの中から出て来た。
サキはキッドに声をかける。
「ね、姉さん?」
キッドは何も答えない。サキはこの反応を見て、少しずつ実感が湧いた。まだ信じていないのに、まだ知らないのに。知らないことを知ろうとするいつもの好奇心が、ただの性悪になった。
ばたばたと騒がしく竜次も出て来た。彼の焦りも異常だ。
「クレア、待って!!」
涙こそないが、激しく動揺している。その感情を抑えようと、自身で必死なのは明らかだった。竜次はサキとコーディにも気が付いた。
「サキ君、コーディちゃん……」
名前を呼ぶだけで何も説明がない。いや、説明ができないのだ。
ここで何を求めても散らかってしまっている。感情も、抱く思いも。サキが見た世界は『何か』が足りなかった。友だちなら、親友なら、ジェフリーならどうするだろう。サキは自分が何をすべきなのかを考えた。
だが、考えるだけの時間は待ってくれない。こうしている間にも惨状は動く。
どうしようもない思いは在らぬ方へと進む。まるで坂道を転げ落ちるように。サキはそれを目撃し、耳にもした。
「わたしが、わたしが禁忌の魔法を使えたら、ジェフリーを助けてあげられるのに!!」
「もうその話はやめよう。お願いだからそんなこと、考えないで」
ミティアの譫言と鳴き声をキッドが慰めようとしている。
竜次が追って来たのは下手ながらフォローのつもりだろう。
悲しむミティアを見ても、誰も彼女を励ますことなどできない。
「たくさん泣いてくれる人がいるのですね……」
扉の隙間から、サテラが一同の様子をうかがっていた。身近で見たものに対し、客観的ながらも純粋な言葉が一同の心に突き刺さる。
「自分には世の中の仕組みがわかりません。どうしてよい行いをする人が、こんな理不尽な思いをしなくてはいけないのですか。自分を自由な体にしてくれた。そのきっかけをくれた人がなぜ死ななくてはいけないのですか? お父様も壱子さんも教えてはくれません。誰か、教えてください……」
誰しも子どもの頃に思っただろう。どうしてあんなに親切にしてくれた人が亡くなるのか、どうして死ななければいけなかったのか。そんな純粋な思いが掘り起こされる。
死ななければならなかった理由なんて知らない。誰も答えられない。
万人が納得する説明など、誰ができようか。
この空気の中、行動を起こしたのはコーディだ。お邪魔しますと中へ入った。サキはコーディの思惑に勘づいていた。すぐにあとを追う。
乱暴に開かれた扉が、キィと不気味な音を立て、冷たい風を室内に招き入れる。
惨状を目の当たりにしたコーディが、ケーシスの前で声を張った。
「ねぇ、私を使ってよ!」
「コーディ、君は……」
咄嗟に呼び捨てにしてしまったが、サキが庇いに入った。何をしようとしていたのか、確信を持って止めに入ったのだ。
種族戦争を知り、神族を論文にしてまとめたサキは首を振る。
「『ドラゴンブラッド』なんて無茶だよ!」
コーディは不敵に笑う。
「おじさん、種の研究所にいたなら知ってるでしょ? 私は、ドラグニー神族の末裔だよ。しかも、始祖の血を引いている。もしかしたら、生きるを通り越して不老不死になれるかもしれないけど」
コーディは狂ったように口角を上げ、ニヤリと笑う。
「生き血を飲めば万病に効き、肉を食らえば飛ぶほどの力、体内に大量の血を取り込めば不老不死になるといわれている、ドラゴンブラッドだよ。さあ、私を切ってちょうだい!」
コーディはケーシスを見上げ、腕を差し出した。
サキはこの意味を知っていた。当然止めに入る。
「コーディ、そんなまやかし、信じちゃいけない。確かにドラグニー神族が絶滅に追いやられた原因はその言い伝えのせいだ。でも、根拠はない。科学的にも証明されていないはず!!」
ケーシスはコーディをじっと見ている。かつて、貿易都市で礼儀のなっていないガキだと称して殴ったこともあった。もちろん、ケーシスはコーディが何者なのかを理解している。
ケーシスは肩を鳴らし、首を解した。
じっと待ち構えているコーディ。どうやらケーシスにはその気はないようだ。
サキはその様子に安心した。二人の間を渡り歩き、ジェフリーに対面する。
「そっか…………」
ジェフリーの顔色は悪く、腕にはテープと注射の跡がある。サキはジェフリーの手を取った。とても冷たく、生気がない。だが、違和感に気付いた。
サキは床に散らばる薬剤の空箱に目を向け、点滴にも目をやる。
違和感に気付けたのはショコラも同じだった。サキの足元でおとなしくしているがシマシマの尻尾がパタパタと生きているように泳いだ。
圭馬はちゃっかりとベッドに乗り、ジェフリーの頬を叩いたり匂いを嗅いだりと騒ぎ立てる。
「うっそ、マジで? ねぇ、ジェフリーお兄ちゃん、ホントに死んじゃったの?」
圭馬も信じていないようだ。本当に起きないジェフリーに対し、気持ちが引いているというのが正しい。
サキはほんのり笑みを浮かべながら話しかけた。もちろんジェフリーにだ。
「ジェフリーさん、お陰様で大魔導士になれました。なのに、こんなのひどいじゃないですか。一番祝ってほしい人がジェフリーさんなんですよ?」
この場の誰もが、思い出を語らうのかと思った。開かれた扉の向こうでもすすり泣く声がする。死んでしまったと信じ込んでいたミティアたちも、サキの言葉に耳を傾けている。
サキはローズの顔を見る。その眼光は鋭かった。
「本当に死んでいたら、ローズさんがこんなに冷静じゃないと思います」
ローズはケーシスにアイサインを送る。
ケーシスは気まずそうに眉を乱し、表情を変えた。気を紛らわせるように無精髭を撫でる。
サキは自分なりの意見を言う。
「お師匠様の知らせからかなりの時間が経過しています。いつまでも無意味な点滴をしているとは思えません。僕なりの素人な医療知識と推測からして、ジェフリーさんは仮死状態だと思います。違いますか?」
誰に言ったわけではない。だが、強いて言うならローズとケーシスに向けてだろう。
何も言っていないが、ケーシスは口を開け無精髭に添えた指も止めていた。唖然というか、呆然というか、何かしらの刺激を受けている様子だ。
誰も答えない沈黙を破るのは圭馬だった。
「ちょ、ちょっと待つんだ?! キミ、この状況わかっているのかい?」
圭馬は動揺のあまり、ショコラにも振った。
「ババァも言ってやれよ、認めたくないのかもしれないけど、おかしいじゃないか!」
「いんやぁ? わしは主が正しいと思うのぉん?」
「はぁ!?」
ショコラの落ち着き具合が、てっきりいつものマイペースのせいだと思い込んでいた圭馬はさらに取り乱す。
一同が動揺する。会話を耳にしていたミティアが顔を上げ、じっとこちらを見ている。
「ジェフリーは……たす、かる、の?」
ミティアの掠れた声に、サキが顔だけ向けてあどけなさの残る笑顔を見せる。
竜次は怪訝な顔をしながら首を傾げた。
「私は気付かなかったのに、どうして……」
サキが医学的な観点を口にするなど、想像しなかった。それは竜次だけではない。皆も疑問に思っていた。だが、一行の中で知っている者は心当たりがある。それは、ローズの家にあった地下書庫だ。まさかサキはあれを読んで人体や医療を理解したとでもいうのだろうか。
そうでなければ、サキは天才に秀才が重なった頭の持ち主。尊敬するなど、生ぬるい。魔導士、大魔導士と来て、これ以上何を超越するのだろうか。
皆はサキに注目する。彼はカバンから白い魔導書と、大きな白い魔石を取り出した。この魔導書は、先ほど大魔導士の試験を合格した際にもらったものだ。
特別なことが書かれてある本に違いない。ただこの魔導書は、固定でもらえるものではない。受ける人によって授与される属性が違うようだ。
サキは自分の力を信じる決断をした。
「僕が希望を掲げてもいいですか、ジェフリーさんのお父さん?」
「………………」
ケーシスは長い沈黙ののちに答えた。
「かまわない。が、一つ問う。魔法で人は生き返らない。それができるのは禁忌の魔法くらいだ。それは賢いお前さんならよく知っているだろう?」
「もちろんよく知っています」
問いに対し、サキは深く頷いて答える。そして魔導書を開きながら続けた。
「魔法は自然とともにあるもの。人との共存、だからこそ馴染みのあるものを属性として崇めます。禁忌の魔法はそのどれにも属さない、魔法ではなく祈りに近いものです。ならば、魔法の道を歩む者には一生使えないでしょう。魔法は自然とともにあるものだからです」
魔導書を読んでいるわけではない。どちらかと言うと、難しいうんちくに近い。
捲っていたはずの魔導書を閉じた。サキはこの長々とした話の間に目を通したらしい。
魔導書をカバンにしまい、サキが右手を振り上げた。
「かすり傷や怪我の応急処置なら魔法でもできます。でも、魔法で病気は治せない。よくできていますよね……」
振り上げた右手を泳がせる。何かを描く感じではなく漂うように、踊るように、爪弾くように指先を遊ばせる。光の粒がいくつも弾けた。
「僕が一番好きな属性は光です。守護属性でもあります。ジェフリーさん、僕たちはいつも太陽のような人に希望をいただいていますよね? これからは、あなたも誰かの太陽になってあげてください」
サキは目を閉じて、今度は意識を集中した。その口元が控えめに動く。覚えたての魔法を詠唱しているのだ。
泳がせていた右手を下げ、魔石を握っている左手を前に出した。光は強さを増す。
「この世の中は理不尽です。明日を生きたい人が死に、明日を死にたい人が生きる。少しでも、足掻いて生きてください。生きたいと思えば、明日を生きられるかもしれない。そうでしょう?」
サキは白い魔石を弾いた。
「生きたいと願う、希望の光となれ……リザレクション!」
どんな光なのか、どんな魔法なのか、説明は難しい。なぜなら、使用者はこの世に限られた数人しかいないのだから。
回復の魔法は生命の倫理を大きく外れてしまうため、魔法はあくまでも補助にしかならない。
迷子になってしまった命は、導かれたこの光に気付けるだろうか。
この光は、果たして『彼』に届くだろうか?
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