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第9部 倒錯のイグニス
#114 魔女捕獲指令①
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すでに日が暮れかかっている。
頬をなぶる風が冷たかった。
雑草に侵食された休耕地のはずれに、その一軒家は建っていた。
どこにでもありそうな、建売の2階建て住宅である。
だが、彼の嗅覚は、獲物は確かにここにいると告げていた。
井沢に命じられて、”委員会”本部からずっとその臭跡を追ってきたのだ。
それがようやく報われる。
その瞬間が近づいていた。
彼も含めた外来種には、第二の脳がある。
その二番目の脳のシナプスが分泌する特殊な神経伝達物質。
それを彼は、匂いとして感知できるのだ。
そこを井沢に買われたのだが、問題はこの先だった。
相手は優越種の頂点に立つ”女王”なのだという。
”委員会”に囚われ、脱出の際にかなりの深手を負っているという話ではあるが、油断はできなかった。
もちろん、捕獲は彼が行うわけではない。
担当がほかにいるのだ。
今、彼の隣で息をひそめている若い女がそれである。
「ここなの?」
彼女がささやいた。
声が上ずっているのは、獲物捕獲の興奮からではない。
おそらく恐怖からだろう。
「ああ、間違いない」
彼はちらっと隣の娘を盗み見た。
彼女は、優越種としては、彼以上に不完全体である。
せっかくの希少な雌だというのに、人としての規格から大きく逸脱してしまっている。
だから交配は許されていないし、何もしなければ廃棄処分にされる運命だ。
こんな危険な任務を買って出たのは、彼同様、優越種のコロニーになんとしてでも残りたいという強い思いからに違いない。
孤独はもう十分なのだ。
その気持ちは彼にも痛いほどわかった。
玄関の扉は開いていた。
無用心この上ないが、それだけ獲物が弱っている証拠だろう、と彼は自分に言い聞かせた。
獲物がこの家に居を構えたのは、臭跡の残り具合からいうと、まだ2、3日前のことだろう。
その際、本来の住人たちがどうなったのかは、あまり考えたくないことだった。
明かりの消えた玄関に滑り込む。
正面に2階に上がる階段。
その右手と左手にそのひとつずつドアがある。
どっちだ?
彼は鼻孔に神経を集中させた。
しゅうしゅうと奇妙な音がするので隣を見ると、彼女の両腕が変化を起こしかけていた。
季節にそぐわぬノースリーブのタンクトップから出た腕が、つけ根部分から太い触手に変わり始めているのだ。
「君はここにいろ。俺が誘い出す。やつが姿を現した瞬間を狙うんだ。長引くと、俺たちの命はない」
「うん」
蒼白の顔で、娘がうなずいた。
彼の胸に、ちらりと憐憫の情がきざした。
この相棒、どう見ても未成年である。
ふつうの人間であるならば、今頃友人と塾にでも通って、受験勉強をしているところだろう。
なのに、こんな修羅場に駆り出されてしまうとは…。
いつのまにやら優越種のコロニーに蔓延した優生思想。
それを彼は憎んだ。
だが、多勢に無勢で、それを覆すことなど、今更彼一人の力では、できはしない相談なのだった。
不完全種たちの暴走が、目に余るようになってきたという負い目もある。
仕方がない。
とにかく今は、これを成し遂げ、俺たちの有用性を伊沢たちに認めさせるしかない…。
彼は少々、長考しすぎたようだった。
自分と同じ能力を持つ者が、ほかにも存在する。
その可能性に思い至らなかったのも、致命的だった。
ふと気がつくと、左側の部屋のドアが開いていた。
むせかえるような血の匂いが、一瞬、彼の自慢の嗅覚を麻痺させた。
血の匂いに混じる強い腐臭に気づいた時には、すでに戸口に女が立っていた。
しなやかな肢体を持つ、長身の女だった。
長い髪が、風もないのに顔の周りで蛇の群れのように波打っている。
家の中全体が暗いので細部まではよく見えないが、身体の輪郭から判断して、女は服を着ていないようだ。
陰になった顔の中心で、ルビーのような赤い目が不気味な光を放っている。
限界に達した恐怖に理性の箍が外れたのか、ふいに隣から彼女が飛び出した。
止める間もなく、吸盤に覆われた2本の触手を振りかざして、いきなり裸の女めがけて突進していった。
彼女の吸盤は、強力な麻痺能力を秘めていると聞いている。
絡みついた相手を瞬時にして全身麻酔する毒液。
それを吸盤を通して獲物の血管に注入できるらしいのだ。
今はそれに賭けるしかない。
が、彼がそう考えた時には、すでに勝負はついていた。
女は軽く右腕をひと振りしただけだった。
分断された触手が飛び散り、彼女の身体が縦に真っ二つに裂けた。
彼は凍りついた。
目にも留まらぬ速さだった。
そして、なんという怪力だろう。
レベルが、違い過ぎる…。
金縛りに遭ったように、身体が動かない、
女が近づいてくる。
歩き方が、少し変だ。
あれでもまだ、身体が完全ではないのだろうか。
足を引きずり、首を不自然な角度に傾けている。
女の5本の指が、彼の頭蓋をつかんだ。
めりめりと音を立てて、骨にひびが入っていく。
「おまえは誰だ」
地の底から響いてくるような声で、女がたずねた。
答える前に、俺は死ぬだろう…。
かすむ意識でそう思った、その瞬間である。
女の背後に、ふいに男の姿が浮かび上がった。
前に垂らした長い髪の間から、白目の部分の多い眼がのぞいている。
「そこまでだな。零ちゃんよ」
にやりと笑って、男が言った。
意識が飛ぶ寸前、彼はその猫背の男の名前を思い出していた。
おまえは、百足丸…?
頬をなぶる風が冷たかった。
雑草に侵食された休耕地のはずれに、その一軒家は建っていた。
どこにでもありそうな、建売の2階建て住宅である。
だが、彼の嗅覚は、獲物は確かにここにいると告げていた。
井沢に命じられて、”委員会”本部からずっとその臭跡を追ってきたのだ。
それがようやく報われる。
その瞬間が近づいていた。
彼も含めた外来種には、第二の脳がある。
その二番目の脳のシナプスが分泌する特殊な神経伝達物質。
それを彼は、匂いとして感知できるのだ。
そこを井沢に買われたのだが、問題はこの先だった。
相手は優越種の頂点に立つ”女王”なのだという。
”委員会”に囚われ、脱出の際にかなりの深手を負っているという話ではあるが、油断はできなかった。
もちろん、捕獲は彼が行うわけではない。
担当がほかにいるのだ。
今、彼の隣で息をひそめている若い女がそれである。
「ここなの?」
彼女がささやいた。
声が上ずっているのは、獲物捕獲の興奮からではない。
おそらく恐怖からだろう。
「ああ、間違いない」
彼はちらっと隣の娘を盗み見た。
彼女は、優越種としては、彼以上に不完全体である。
せっかくの希少な雌だというのに、人としての規格から大きく逸脱してしまっている。
だから交配は許されていないし、何もしなければ廃棄処分にされる運命だ。
こんな危険な任務を買って出たのは、彼同様、優越種のコロニーになんとしてでも残りたいという強い思いからに違いない。
孤独はもう十分なのだ。
その気持ちは彼にも痛いほどわかった。
玄関の扉は開いていた。
無用心この上ないが、それだけ獲物が弱っている証拠だろう、と彼は自分に言い聞かせた。
獲物がこの家に居を構えたのは、臭跡の残り具合からいうと、まだ2、3日前のことだろう。
その際、本来の住人たちがどうなったのかは、あまり考えたくないことだった。
明かりの消えた玄関に滑り込む。
正面に2階に上がる階段。
その右手と左手にそのひとつずつドアがある。
どっちだ?
彼は鼻孔に神経を集中させた。
しゅうしゅうと奇妙な音がするので隣を見ると、彼女の両腕が変化を起こしかけていた。
季節にそぐわぬノースリーブのタンクトップから出た腕が、つけ根部分から太い触手に変わり始めているのだ。
「君はここにいろ。俺が誘い出す。やつが姿を現した瞬間を狙うんだ。長引くと、俺たちの命はない」
「うん」
蒼白の顔で、娘がうなずいた。
彼の胸に、ちらりと憐憫の情がきざした。
この相棒、どう見ても未成年である。
ふつうの人間であるならば、今頃友人と塾にでも通って、受験勉強をしているところだろう。
なのに、こんな修羅場に駆り出されてしまうとは…。
いつのまにやら優越種のコロニーに蔓延した優生思想。
それを彼は憎んだ。
だが、多勢に無勢で、それを覆すことなど、今更彼一人の力では、できはしない相談なのだった。
不完全種たちの暴走が、目に余るようになってきたという負い目もある。
仕方がない。
とにかく今は、これを成し遂げ、俺たちの有用性を伊沢たちに認めさせるしかない…。
彼は少々、長考しすぎたようだった。
自分と同じ能力を持つ者が、ほかにも存在する。
その可能性に思い至らなかったのも、致命的だった。
ふと気がつくと、左側の部屋のドアが開いていた。
むせかえるような血の匂いが、一瞬、彼の自慢の嗅覚を麻痺させた。
血の匂いに混じる強い腐臭に気づいた時には、すでに戸口に女が立っていた。
しなやかな肢体を持つ、長身の女だった。
長い髪が、風もないのに顔の周りで蛇の群れのように波打っている。
家の中全体が暗いので細部まではよく見えないが、身体の輪郭から判断して、女は服を着ていないようだ。
陰になった顔の中心で、ルビーのような赤い目が不気味な光を放っている。
限界に達した恐怖に理性の箍が外れたのか、ふいに隣から彼女が飛び出した。
止める間もなく、吸盤に覆われた2本の触手を振りかざして、いきなり裸の女めがけて突進していった。
彼女の吸盤は、強力な麻痺能力を秘めていると聞いている。
絡みついた相手を瞬時にして全身麻酔する毒液。
それを吸盤を通して獲物の血管に注入できるらしいのだ。
今はそれに賭けるしかない。
が、彼がそう考えた時には、すでに勝負はついていた。
女は軽く右腕をひと振りしただけだった。
分断された触手が飛び散り、彼女の身体が縦に真っ二つに裂けた。
彼は凍りついた。
目にも留まらぬ速さだった。
そして、なんという怪力だろう。
レベルが、違い過ぎる…。
金縛りに遭ったように、身体が動かない、
女が近づいてくる。
歩き方が、少し変だ。
あれでもまだ、身体が完全ではないのだろうか。
足を引きずり、首を不自然な角度に傾けている。
女の5本の指が、彼の頭蓋をつかんだ。
めりめりと音を立てて、骨にひびが入っていく。
「おまえは誰だ」
地の底から響いてくるような声で、女がたずねた。
答える前に、俺は死ぬだろう…。
かすむ意識でそう思った、その瞬間である。
女の背後に、ふいに男の姿が浮かび上がった。
前に垂らした長い髪の間から、白目の部分の多い眼がのぞいている。
「そこまでだな。零ちゃんよ」
にやりと笑って、男が言った。
意識が飛ぶ寸前、彼はその猫背の男の名前を思い出していた。
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