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第9部 倒錯のイグニス
#194 生誕の秘密①
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家に帰る頃には、すでに日が暮れかけていた。
腰の高さまでしかない跳ね戸を押し開け、杏里は前庭に立って暮れなずむ空を見上げた。
平屋建ての杏里の家は、森に囲まれている。
うっそうとした木々の背後になだらかな山並みが見え、沈む夕陽の残光を浴び、その稜線がオレンジ色に輝いていた。
10月も中旬となると、この時間帯から風も急に冷たくなる。
私は何者なのか。
その思いが、杏里の心をかき乱していた。
帰りのバスの中でいつものように痴漢たちに絡まれ、身体中をまさぐられたようだが、それもほとんど覚えていない。
ただ、制服のスカートに新しい精液がこびりついていることから、そんなこともあったのかと思う程度である。
タナトスはただの道具に過ぎない。
死んだばかりの人間の肉体に外来種のミトコンドリアを移植して蘇生させた、フランケンシュタインのようなものだ。
でも、もし人間として生きていた時の記憶が、蘇生後も残っているのだとしたら…。
私は、”何者でもない”状態から、抜け出せるかもしれない。
そのためにも、知りたいと思う。
それがどんなに悲惨な前世でもかまわない。
私はどんな境遇で育ったのか。
父と母はどんな人物だったのか。
そして、優しかった姉との関係は…。
玄関に埃だらけの革靴が転がっていた。
小田切が帰っているのだ。
「しょうがない人」
杏里は靴を拾い上げ、ハンカチで表面の汚れをぬぐうと、きちんとそろえて靴箱に入れた。
「杏里か」
茶の間に続く引き戸を開ける前に、小田切の声が飛んできた。
「遅かったな。また何かあったのか」
「まあね。でも、心配しないで。たいしたことないから」
茶の間に上がり、卓袱台をはさんで小田切の正面に座った。
小田切は珍しくテレビを見ているところだった。
ローカルニュースの時間らしく、見覚えのあるアナウンサーが興奮気味に何かわめきたてている。
「まさかとは思うが、おまえ、この事件に巻き込まれてたんじゃないだろうな?」
眼鏡の奥から、小田切の眼が探るように杏里を見た。
テレビ画面に映っているのは、今さっき後にしてきたばかりのあの商業施設である。
それを横目で見て確かめると、ぶっきらぼうに杏里は言い返した。
「そうだと言ったら?」
「やっぱりな」
呆れたように肩でため息をつく小田切。
「そんなことじゃないかと思ったよ。さてはまた、外来種か?」
「違う。ただの通り魔。けど、他己破壊衝動がMAXまで高まってた」
「浄化したのか?」
「うん。たぶん、あいつ、もう二度と射精できないと思う」
卓袱台の上のミカンの皿に手を伸ばし、杏里は答えた。
「どうりで臭うはずだ。しかし、女子中学生が軽々しく射精とか口にするなよな」
染みだらけの杏里の制服を一瞥して、小田切がまたため息をつく。
「だって、じゃ、なんて言えばいいの? 射精は射精じゃない」
むくれてみせる南里。
小田切が憮然とした表情で、話題を変えた。
「それで、レイプでもさせたのか?」
『された』ではなく、『させた』と表現したのは、杏里のことを知り尽くした小田切ならではである。
「挿入はなし。何か所か、ナイフで刺されたけどね」
「射精の次は挿入ときたか。まったく、なんてやつだ。それじゃ、可愛い顔が台無しだろう?」
「ふふん、一応、可愛いって認めてくれてるんだ」
「それもタナトスの属性のひとつだからな。しかし、それにしてはおまえ、えらく落ち着いてるな」
「だって、今の私は、ほら、あれだから」
「最強のプラナリア状態というわけか」
「その言い方、嫌い」
「まあ、とにかく無事でよかったよ」
小田切も、杏里につられたように、ミカンを口に放り込む。
「それより、会っちゃった」
ミカンで腹がくちくなると、何気ない口調で杏里は切り出した。
「私の産みの親だっていう、おじいさん。確か、富樫って名字だった」
「富樫?」
とたんに小田切の声が尖った。
「富樫博士か? タナトス研究の第一人者の」
「ラボは、もうやめたって言ってた。勇次、なにか知ってるんでしょ?」
「詳しくは知らない。俺は下っ端だからな。なんでも、委員会のラボを抜け出して、そのまま行方不明になったとか…。数か月前のことだ」
「ラボって、どこにあるの? 本部には、それっぽい施設はなかったみたいだけど」
杏里の問いに、小田切の眉がかすかに動いた。
「知らなかったのか? 自分の生まれた場所なのに。北海道だよ」
「北海道?」
「外来種の襲撃も受けにくいし、気候的にも向いてるんだろう。詳しい場所は、俺も知らないが」
そんなに遠いのか。
杏里は落胆した。
校長の大山から、明日は学校を休むように言われている。
その空いた時間を利用して、調べに行こうと思っていたのだ。
が、ラボの所在地が北海道では、それも無理だった。
日帰りで往復できる距離ではないし、第一、旅費がない。
「それから、孫をよろしくとか言ってたけど、あれはどういう意味だったのかな?」
「富樫博士の孫?」
小田切の眉間にしわが寄る。
「待てよ。今まで気づかなかったが、富樫って名字、どっかで聞いたことないか?」
「あ」
杏里は口に手を当てた。
まさか。
でも、そんなことって、あるだろうか?
「そうだ。そういうことだ」
杏里の驚きの表情を見て、小田切がうなずいた。
「博士はおまえに、パートナーとして、最強のパトスをつけたかったんだ」
腰の高さまでしかない跳ね戸を押し開け、杏里は前庭に立って暮れなずむ空を見上げた。
平屋建ての杏里の家は、森に囲まれている。
うっそうとした木々の背後になだらかな山並みが見え、沈む夕陽の残光を浴び、その稜線がオレンジ色に輝いていた。
10月も中旬となると、この時間帯から風も急に冷たくなる。
私は何者なのか。
その思いが、杏里の心をかき乱していた。
帰りのバスの中でいつものように痴漢たちに絡まれ、身体中をまさぐられたようだが、それもほとんど覚えていない。
ただ、制服のスカートに新しい精液がこびりついていることから、そんなこともあったのかと思う程度である。
タナトスはただの道具に過ぎない。
死んだばかりの人間の肉体に外来種のミトコンドリアを移植して蘇生させた、フランケンシュタインのようなものだ。
でも、もし人間として生きていた時の記憶が、蘇生後も残っているのだとしたら…。
私は、”何者でもない”状態から、抜け出せるかもしれない。
そのためにも、知りたいと思う。
それがどんなに悲惨な前世でもかまわない。
私はどんな境遇で育ったのか。
父と母はどんな人物だったのか。
そして、優しかった姉との関係は…。
玄関に埃だらけの革靴が転がっていた。
小田切が帰っているのだ。
「しょうがない人」
杏里は靴を拾い上げ、ハンカチで表面の汚れをぬぐうと、きちんとそろえて靴箱に入れた。
「杏里か」
茶の間に続く引き戸を開ける前に、小田切の声が飛んできた。
「遅かったな。また何かあったのか」
「まあね。でも、心配しないで。たいしたことないから」
茶の間に上がり、卓袱台をはさんで小田切の正面に座った。
小田切は珍しくテレビを見ているところだった。
ローカルニュースの時間らしく、見覚えのあるアナウンサーが興奮気味に何かわめきたてている。
「まさかとは思うが、おまえ、この事件に巻き込まれてたんじゃないだろうな?」
眼鏡の奥から、小田切の眼が探るように杏里を見た。
テレビ画面に映っているのは、今さっき後にしてきたばかりのあの商業施設である。
それを横目で見て確かめると、ぶっきらぼうに杏里は言い返した。
「そうだと言ったら?」
「やっぱりな」
呆れたように肩でため息をつく小田切。
「そんなことじゃないかと思ったよ。さてはまた、外来種か?」
「違う。ただの通り魔。けど、他己破壊衝動がMAXまで高まってた」
「浄化したのか?」
「うん。たぶん、あいつ、もう二度と射精できないと思う」
卓袱台の上のミカンの皿に手を伸ばし、杏里は答えた。
「どうりで臭うはずだ。しかし、女子中学生が軽々しく射精とか口にするなよな」
染みだらけの杏里の制服を一瞥して、小田切がまたため息をつく。
「だって、じゃ、なんて言えばいいの? 射精は射精じゃない」
むくれてみせる南里。
小田切が憮然とした表情で、話題を変えた。
「それで、レイプでもさせたのか?」
『された』ではなく、『させた』と表現したのは、杏里のことを知り尽くした小田切ならではである。
「挿入はなし。何か所か、ナイフで刺されたけどね」
「射精の次は挿入ときたか。まったく、なんてやつだ。それじゃ、可愛い顔が台無しだろう?」
「ふふん、一応、可愛いって認めてくれてるんだ」
「それもタナトスの属性のひとつだからな。しかし、それにしてはおまえ、えらく落ち着いてるな」
「だって、今の私は、ほら、あれだから」
「最強のプラナリア状態というわけか」
「その言い方、嫌い」
「まあ、とにかく無事でよかったよ」
小田切も、杏里につられたように、ミカンを口に放り込む。
「それより、会っちゃった」
ミカンで腹がくちくなると、何気ない口調で杏里は切り出した。
「私の産みの親だっていう、おじいさん。確か、富樫って名字だった」
「富樫?」
とたんに小田切の声が尖った。
「富樫博士か? タナトス研究の第一人者の」
「ラボは、もうやめたって言ってた。勇次、なにか知ってるんでしょ?」
「詳しくは知らない。俺は下っ端だからな。なんでも、委員会のラボを抜け出して、そのまま行方不明になったとか…。数か月前のことだ」
「ラボって、どこにあるの? 本部には、それっぽい施設はなかったみたいだけど」
杏里の問いに、小田切の眉がかすかに動いた。
「知らなかったのか? 自分の生まれた場所なのに。北海道だよ」
「北海道?」
「外来種の襲撃も受けにくいし、気候的にも向いてるんだろう。詳しい場所は、俺も知らないが」
そんなに遠いのか。
杏里は落胆した。
校長の大山から、明日は学校を休むように言われている。
その空いた時間を利用して、調べに行こうと思っていたのだ。
が、ラボの所在地が北海道では、それも無理だった。
日帰りで往復できる距離ではないし、第一、旅費がない。
「それから、孫をよろしくとか言ってたけど、あれはどういう意味だったのかな?」
「富樫博士の孫?」
小田切の眉間にしわが寄る。
「待てよ。今まで気づかなかったが、富樫って名字、どっかで聞いたことないか?」
「あ」
杏里は口に手を当てた。
まさか。
でも、そんなことって、あるだろうか?
「そうだ。そういうことだ」
杏里の驚きの表情を見て、小田切がうなずいた。
「博士はおまえに、パートナーとして、最強のパトスをつけたかったんだ」
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