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第1部 ヒバナ、オーバードライブ!
#14 熱暴走
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まず、表皮が変わった。
皮膚に格子状の模様が現れたかと思うと、すぐに硬い本物のうろことなって全身を覆いつくした。
次に、筋肉が増強された。
少女特有のほっそりした手足の筋肉が、一流のアスリートのそれのように強靭さを備え、太い縄のようにたくましく盛り上がる。
二の腕と太腿の外側、そして背中に、逆三角形の大きなひれが生えた。
臀部から先の尖った尾が伸びる。
変異は顔にも表れていた。
たれ目がちだった眼が大きく、そして切れ長になり、シャープさを増した。
両の眉の上あたりから、二本のひげ状の触角が生え、ピンと立つ。
「うわわわ」
ヒバナは変わり果てたおのれの身体を見回した。
なにこれ?
すごい。
ちょっと半魚人っぽいけど、これってひょっとして竜?
ヒバナとしては、竜を召喚して戦う魔法少女をイメージしていたのだが、なんと、自分自身が竜に変身してしまったのだった。
だからといって、竜に体をのっとられたという感じはしない。
幸か不幸か、意識はヒバナのままなのである。
ただ、体中にアドレナリンがみなぎってくるのが、手に取るようにわかった。
さっきまで身をすくませてしまっていた恐怖心は跡形もなく消え去り、代わりにふつふつと闘争本能のようなものがたぎってくる。
『存在感薄子』としてこれまで生きてきたヒバナが初めて味わう、ワクワクするような感情だった。
目の前で突然変身し始めた獲物に、さすがの魔物も束の間あっけにとられたようだ。
攻撃に移ろうとした姿勢のままで、凍りついたように動かない。
その隙を、ヒバナは見逃さなかった。
戦略を考えたわけではない。
体が、勝手に動いていた。
両脚の筋肉に力をため、尻尾で大地を叩いて、ジャンプする。
「おおおおー!」
自分でもびっくりするくらい、軽々と跳び上がった。
五メートルは軽く超えている。
空中で前転し、魔物の背後に着地する。
振り向くと同時に、右腕のひれを魔物めがけて振り下ろした。
四肢に生えた二対のひれは、まぎれもなく凶器だった。
剃刀の刃のように薄く鋭く、そして硬い。
魔物の右腕が、肩の付け根で切断され、宙を飛ぶ。
驚いて振り返ったその顔に、鋭利な刃物のような左手の爪を突き刺した。
フードの中で赤い目がつぶれる。
ひきぬいた爪の先に、どろりとした二つの眼球が刺さっていた。
よろめきながら、魔物が後退する。
その胸元に飛び込み、ヒバナは踊るように身体を旋回させ、四肢のひれで魔物の体を切り刻んだ。
肉片が飛び散った。
左肩から腰にあたりまでを袈裟斬りにされて、魔物の巨体が二つに分かれ、ずるずると地面にずり落ちる。
切断面から血ではない、なにやら臭い泥のような液体があふれ出してきた。
が、それはまだ生きていた。
二つに分断されてもなお、ヒバナを捕らえようとして、残った手足を動かして、はいずってくる。
「さすがゾンビ。その生命力、褒めてあげる」
再度、ヒバナはジャンプした。
うそのように、体が軽い。
超人的な力を駆使できる喜びに、今にも叫びだしそうだ。
「でも、これでトドメ!」
まだ残っていた魔物の頭部に、全体重をかけてエルボードロップをくらわした。
スイカを潰すような感触があった。
頭蓋が割れ、脳漿が噴き出した。
大脳の指令が途絶えたせいか、魔物の二つに分かれた胴体の動きがほぼ同時に停まる。
ー終わったー
ヒバナは大きくため息をついた。
「早く変身を解け。人が来る」
レオンの声がした。
見ると、緑色の体がリュックの中に隠れるところだった。
反射的に、腕輪に手をやった。
リングを回して、子竜の文様を崩す。
瞬間、体がしぼんでいくような感覚に襲われた。
ひれが皮膚の中に吸い込まれるように見えなくなり、うろこが消えていく。
同時に、すさまじい脱力感が全身から体力を奪っていく。
ヒバナはがっくりと、地面に片膝をついた。
「まずいよ、レオン、わたし、真っ裸だよ」
変身で一時的に体の容積が増えたせいで、ショートパンツとその下のパンティまでもが粉微塵にふっとんでしまっていたのだ。
が、もう一歩も歩けない。
騒ぎに気づいて誰かが呼んだのだろうか。
パトカーのサイレンが近づいてくる。
次第に意識が遠のいていく。
変身って、むっちゃ疲れるんだ・・・。
気を失う寸前、ヒバナが思ったのはそのことだった。
◇
次に気がついたのは、病院のベッドの上だった。
「相当衰弱しているようでしたが、もう大丈夫です」
知らない男の人がしゃべっている。
薄目を開けると、白衣の医師らしき男性と、母がいた。
「点滴で栄養を補給していますから、明日には退院できますよ」
「ありがとうございます。本当に、娘がご迷惑をおかけしてしまいまして」
母が何度も何度も頭を下げる。
「お気になさらず。それでは、お大事に」
軽く手を振って医師が出て行くのを見計らい、ヒバナは声をかけた。
「ママ、わたしどうなったの?」
振り向いた母の顔に、複雑な表情が交錯した。
怒りと心配と、そして喜び、だろうか。
「あんたって子は、ほんとにもう・・・」
涙が、母のやつれた頬を伝うのが見えた。
「途中で気絶しちゃって、なんにも覚えてないんだよ」
目をしばたたかせて、ヒバナは言った。
「通り魔に拉致されて、殺される寸前だったんでしょ。殺人犯を追跡してた人たちが通報してくれたからよかったものの、危うくあんた、レイプされて殺・・・」
ヒバナの胸の上に覆いかぶさり、声を上げて泣き出した。
「ちょっとママ、重いよ」
ヒバナは上半身を起こすと、母の肩をそっと抱き寄せて、ささやいた。
「わたしは大丈夫。もう子供じゃないんだから。それより、あの魔物、ていうか殺人鬼は、その後どうなったの?」
「それが・・・」
ハンカチで涙をぬぐい、居住まいを正すと、母が困惑した表情で言った。
「よくわからないんだって。警察が到着したときには、バラバラになってもう死んでたんだって。神さまの罰が当たったのかねえ」
ヒバナは心の中でほっと胸をなでおろした。
少なくとも、わたしがやったとはバレてないわけだ。
そう安心したのである。
翌日、病院に刑事が来た。
以前尋問を受けた、例の二人だった。
「またおまえか」
やくざ風の年配の刑事が言った。
「なんであんなとこで丸裸で寝てたんだよ」
ひどい言われようだった。
「覚えてないんです」
ヒバナは無表情に答えた。
「だれがあいつをバラしたんだ。おまえ、見てたんじゃないのか」
「いいえ。途中で気絶しちゃったんで」
「まさかおまえがやった・・・なんてことはないよな?」
ぶはっと後ろで若いほうの刑事が吹き出した。
「ま、あり得んよな。ふつうなら、おまえがいちばんの容疑者なんだが、あれはプロレスラーでも不可能な犯行だし」
ヒバナはちょっとむっとした。
一瞬、ここで変身してやろうかと思ったが、かろうじて思いとどまった。
でも。
と、ふと考える。
わたしは、殺人犯ってことになるのだろうか。
それとも、あれはゾンビみたいなものだから、許されるのだろうか。
わからない。
だが、あのときは他に方法がなかったのだ。
今はそう、自分を慰めるしかない。
「まあ、一応、持ち物を調べておきますか・・・うわ!」
若い刑事が悲鳴を上げた。
どうせまた、リュックの中からレオンをつかみだしたのだろう。
ヒバナは机の下でそっと腕輪に触れてみた。
腕輪はヒバナの血を吸い、契約を果たし、ヒバナに竜の力を与えた。
これからどうなるのだろう。
そう思うと、不安でたまらない。
いつかレオンは言った。
「一度力を手に入れたら、もう元には戻れない」
と。
わたしは、いったい何になったのだろう。
ヒバナは目を閉じ、竜に変異したときの感触を思い出し、戦慄を覚えた。
あのときのわたしは、明らかに人間ではなかった。
戦いを楽しみ、敵を切り刻むことに喜びを覚えていた。
そんな自分が、今は少し恐い。
次に変身するとき、わたしは平静でいられるだろうか。
力に酔い、ただやみくもに暴走してしまわないだろうか。
自制しなくては、と思う。
人間の心だけは、なくしてはいけないのだ。
絶対に。
そこまで考えたら、体力が尽きた。
急速に睡魔が襲ってくる。
「こいつ、いびきかいて寝てますよ。ったく、刑事を前に、いい度胸してますねえ」
若い刑事のあきれたような声を子守唄のように聞きながら、ヒバナは深い眠りの淵へと落ちていった。
皮膚に格子状の模様が現れたかと思うと、すぐに硬い本物のうろことなって全身を覆いつくした。
次に、筋肉が増強された。
少女特有のほっそりした手足の筋肉が、一流のアスリートのそれのように強靭さを備え、太い縄のようにたくましく盛り上がる。
二の腕と太腿の外側、そして背中に、逆三角形の大きなひれが生えた。
臀部から先の尖った尾が伸びる。
変異は顔にも表れていた。
たれ目がちだった眼が大きく、そして切れ長になり、シャープさを増した。
両の眉の上あたりから、二本のひげ状の触角が生え、ピンと立つ。
「うわわわ」
ヒバナは変わり果てたおのれの身体を見回した。
なにこれ?
すごい。
ちょっと半魚人っぽいけど、これってひょっとして竜?
ヒバナとしては、竜を召喚して戦う魔法少女をイメージしていたのだが、なんと、自分自身が竜に変身してしまったのだった。
だからといって、竜に体をのっとられたという感じはしない。
幸か不幸か、意識はヒバナのままなのである。
ただ、体中にアドレナリンがみなぎってくるのが、手に取るようにわかった。
さっきまで身をすくませてしまっていた恐怖心は跡形もなく消え去り、代わりにふつふつと闘争本能のようなものがたぎってくる。
『存在感薄子』としてこれまで生きてきたヒバナが初めて味わう、ワクワクするような感情だった。
目の前で突然変身し始めた獲物に、さすがの魔物も束の間あっけにとられたようだ。
攻撃に移ろうとした姿勢のままで、凍りついたように動かない。
その隙を、ヒバナは見逃さなかった。
戦略を考えたわけではない。
体が、勝手に動いていた。
両脚の筋肉に力をため、尻尾で大地を叩いて、ジャンプする。
「おおおおー!」
自分でもびっくりするくらい、軽々と跳び上がった。
五メートルは軽く超えている。
空中で前転し、魔物の背後に着地する。
振り向くと同時に、右腕のひれを魔物めがけて振り下ろした。
四肢に生えた二対のひれは、まぎれもなく凶器だった。
剃刀の刃のように薄く鋭く、そして硬い。
魔物の右腕が、肩の付け根で切断され、宙を飛ぶ。
驚いて振り返ったその顔に、鋭利な刃物のような左手の爪を突き刺した。
フードの中で赤い目がつぶれる。
ひきぬいた爪の先に、どろりとした二つの眼球が刺さっていた。
よろめきながら、魔物が後退する。
その胸元に飛び込み、ヒバナは踊るように身体を旋回させ、四肢のひれで魔物の体を切り刻んだ。
肉片が飛び散った。
左肩から腰にあたりまでを袈裟斬りにされて、魔物の巨体が二つに分かれ、ずるずると地面にずり落ちる。
切断面から血ではない、なにやら臭い泥のような液体があふれ出してきた。
が、それはまだ生きていた。
二つに分断されてもなお、ヒバナを捕らえようとして、残った手足を動かして、はいずってくる。
「さすがゾンビ。その生命力、褒めてあげる」
再度、ヒバナはジャンプした。
うそのように、体が軽い。
超人的な力を駆使できる喜びに、今にも叫びだしそうだ。
「でも、これでトドメ!」
まだ残っていた魔物の頭部に、全体重をかけてエルボードロップをくらわした。
スイカを潰すような感触があった。
頭蓋が割れ、脳漿が噴き出した。
大脳の指令が途絶えたせいか、魔物の二つに分かれた胴体の動きがほぼ同時に停まる。
ー終わったー
ヒバナは大きくため息をついた。
「早く変身を解け。人が来る」
レオンの声がした。
見ると、緑色の体がリュックの中に隠れるところだった。
反射的に、腕輪に手をやった。
リングを回して、子竜の文様を崩す。
瞬間、体がしぼんでいくような感覚に襲われた。
ひれが皮膚の中に吸い込まれるように見えなくなり、うろこが消えていく。
同時に、すさまじい脱力感が全身から体力を奪っていく。
ヒバナはがっくりと、地面に片膝をついた。
「まずいよ、レオン、わたし、真っ裸だよ」
変身で一時的に体の容積が増えたせいで、ショートパンツとその下のパンティまでもが粉微塵にふっとんでしまっていたのだ。
が、もう一歩も歩けない。
騒ぎに気づいて誰かが呼んだのだろうか。
パトカーのサイレンが近づいてくる。
次第に意識が遠のいていく。
変身って、むっちゃ疲れるんだ・・・。
気を失う寸前、ヒバナが思ったのはそのことだった。
◇
次に気がついたのは、病院のベッドの上だった。
「相当衰弱しているようでしたが、もう大丈夫です」
知らない男の人がしゃべっている。
薄目を開けると、白衣の医師らしき男性と、母がいた。
「点滴で栄養を補給していますから、明日には退院できますよ」
「ありがとうございます。本当に、娘がご迷惑をおかけしてしまいまして」
母が何度も何度も頭を下げる。
「お気になさらず。それでは、お大事に」
軽く手を振って医師が出て行くのを見計らい、ヒバナは声をかけた。
「ママ、わたしどうなったの?」
振り向いた母の顔に、複雑な表情が交錯した。
怒りと心配と、そして喜び、だろうか。
「あんたって子は、ほんとにもう・・・」
涙が、母のやつれた頬を伝うのが見えた。
「途中で気絶しちゃって、なんにも覚えてないんだよ」
目をしばたたかせて、ヒバナは言った。
「通り魔に拉致されて、殺される寸前だったんでしょ。殺人犯を追跡してた人たちが通報してくれたからよかったものの、危うくあんた、レイプされて殺・・・」
ヒバナの胸の上に覆いかぶさり、声を上げて泣き出した。
「ちょっとママ、重いよ」
ヒバナは上半身を起こすと、母の肩をそっと抱き寄せて、ささやいた。
「わたしは大丈夫。もう子供じゃないんだから。それより、あの魔物、ていうか殺人鬼は、その後どうなったの?」
「それが・・・」
ハンカチで涙をぬぐい、居住まいを正すと、母が困惑した表情で言った。
「よくわからないんだって。警察が到着したときには、バラバラになってもう死んでたんだって。神さまの罰が当たったのかねえ」
ヒバナは心の中でほっと胸をなでおろした。
少なくとも、わたしがやったとはバレてないわけだ。
そう安心したのである。
翌日、病院に刑事が来た。
以前尋問を受けた、例の二人だった。
「またおまえか」
やくざ風の年配の刑事が言った。
「なんであんなとこで丸裸で寝てたんだよ」
ひどい言われようだった。
「覚えてないんです」
ヒバナは無表情に答えた。
「だれがあいつをバラしたんだ。おまえ、見てたんじゃないのか」
「いいえ。途中で気絶しちゃったんで」
「まさかおまえがやった・・・なんてことはないよな?」
ぶはっと後ろで若いほうの刑事が吹き出した。
「ま、あり得んよな。ふつうなら、おまえがいちばんの容疑者なんだが、あれはプロレスラーでも不可能な犯行だし」
ヒバナはちょっとむっとした。
一瞬、ここで変身してやろうかと思ったが、かろうじて思いとどまった。
でも。
と、ふと考える。
わたしは、殺人犯ってことになるのだろうか。
それとも、あれはゾンビみたいなものだから、許されるのだろうか。
わからない。
だが、あのときは他に方法がなかったのだ。
今はそう、自分を慰めるしかない。
「まあ、一応、持ち物を調べておきますか・・・うわ!」
若い刑事が悲鳴を上げた。
どうせまた、リュックの中からレオンをつかみだしたのだろう。
ヒバナは机の下でそっと腕輪に触れてみた。
腕輪はヒバナの血を吸い、契約を果たし、ヒバナに竜の力を与えた。
これからどうなるのだろう。
そう思うと、不安でたまらない。
いつかレオンは言った。
「一度力を手に入れたら、もう元には戻れない」
と。
わたしは、いったい何になったのだろう。
ヒバナは目を閉じ、竜に変異したときの感触を思い出し、戦慄を覚えた。
あのときのわたしは、明らかに人間ではなかった。
戦いを楽しみ、敵を切り刻むことに喜びを覚えていた。
そんな自分が、今は少し恐い。
次に変身するとき、わたしは平静でいられるだろうか。
力に酔い、ただやみくもに暴走してしまわないだろうか。
自制しなくては、と思う。
人間の心だけは、なくしてはいけないのだ。
絶対に。
そこまで考えたら、体力が尽きた。
急速に睡魔が襲ってくる。
「こいつ、いびきかいて寝てますよ。ったく、刑事を前に、いい度胸してますねえ」
若い刑事のあきれたような声を子守唄のように聞きながら、ヒバナは深い眠りの淵へと落ちていった。
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