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第5部 ヒバナ、インモラルナイト!

#29 緋美子、武装する

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 黒い鳥居が何百本、何千本と続く光景は、もはやヒバナにとっては見慣れたものだった。
 無限に続くかと思われるこの鳥居空間が実は見せかけで、我慢して奥へ奥へと進んでいくと、やがて開けた大伽藍に出る、というパターンも、前回、前々回と同じだった。
 ただ、違っていたのは、鳥居の作り出す通路の終点に、奇妙な物体が居座っていたことである。
 直径5メートルもあるだろうか。
 それは金属性の巨大な薬缶(やかん)だった。
 全身が金色に輝いている。
 注ぎ口にあたるところに、顔がついていた。
 埴輪に似た、彫りの薄い顔だ。
 その薬缶の後ろに広大な空間の一部が垣間見える。
 青白い霊光に満たされた、がらんどうの広場である。
 そこに、神々の武器の御霊が収納されているのに違いなかった。
 3人があと数メートルの距離に迫ったときだった。
 突然、薬缶から突き出した埴輪の顔が変わった。
 金剛力士像を連想させる、憤怒の形相がそこに現れたのだ。
 同時に、薬缶の表面から、針鼠の針のように鋭い刃が四方八方に飛び出した。
 カシャカシャと金属音を立てると、薬缶が猛然と回転し始めた。
「下がって!」 
 ヒバナが叫んだ。
 通路が狭いだけに逃げ道は後ろしかない。
 ー武器庫の番人だなー
 ヒバナの頭の中でレオンがつぶやいた。
「やっつける?」
 ヒバナが声に出して訊くと、
 -いや、ヒバナ、オレと替われー
 レオンが言い、意識の表層に浮上してきた。
 緋美子と玉子を背中でかばうように立つと、
「ひさしぶりだな。オレだ。タケミカヅチだ」
 ヒバナの声帯を借りて、そう言った。
 薬缶の回転が、止まった。
 正面に、顔が戻ってくる。
「以前預けた"フツミタマ"を返してもらいに来た。そこを通してもらえないか」
 レオンが落ち着いた口調で、続ける。
 ヒバナは、ついこのあいだ緋美子から聞いた話を思い出した。
 この石上神宮には、タケミカヅチが中津国を平定したときに使った剣、"フツミタマ"がご神体として祀られているという。
 レオンは確かにタケミカヅチのクローンであるから、彼の言い分は満更嘘ではない。
「タケミカヅチ・・・」
 薬缶がしゃべった。
 外見同様、妙に金属的な声だった。
「緊急事態なんだ。ヤマタノオロチを復活させようとしている者がいる。オレたちは、なんとしてでもそれを阻止しなければならない。それには、強力な武器が必要だ」
 レオンがたたみかけるように、言う。
「・・・照合する」
 薬缶が反応した。
 上部から、細いアンテナのようなものが2本、生えてきた。
 昆虫の触角のようなそれはヒバナの目の前まで伸びてくると、ヒバナの瞳に向けてレーザービームのような光を照射した。
「網膜スキャン?」
 ヒバナの背後で緋美子がつぶやいた。
 人間の網膜上の毛細血管のネットワークは非常に複雑であり、たとえ双生児であってもそのパターンは異なると言われている。だから人物認証の方法としては、指紋の照合などよりもずっと正確だ。
 ずいぶん長い時間が経った気がした。
 レーザー光線は熱くも冷たくもなかったが、さすがに眼球を長時間光にさらされるというのは気分のいいものではなかった。
 いい加減ヒバナの頭がくらくらし始めたころ、
「照合完了。そなたを雷神タケミカヅチと認証する」
 甲高い声で、薬缶が言った。
「ありがとよ。ついでに言っておくと、なにぶん緊急事態なんでな。フツミタマ以外の武器も、ちょっくら拝借していくぜ。相手はあのオロチなんだ。わかるだろ?」
「・・・了解した」
 薬缶が答えた。
 ヤマアラシのように全身から突き出ていた無数の刃物が、一斉に引っ込んだ。
 本体が縮み始める。
 やがてそれは野球のボールくらいの大きさまで小さくなると、鳥居の根元に空いていたくぼみにすっぽりと収まった。
「よし、OKが出た。これで、おまえらはもう、盗賊じゃない」
 レオンが言った。
 通路を抜け、広い空間に出る。
「すごい・・・」
 緋美子が息を呑んだ。
 不思議な光景だった。
 さまざまな武器が、ドーム球場ほどもある広大な空間のあちこちに、透明な球に包まれて浮遊している。
 色々な形の刀がある。
 矛、槍のようなものもあった。
 相当幅広い時代から集められているのだろう。
 武器の形状は多岐に渡り、中には見たこともない形のものも混じっていた。 
「ヒバナ、おまえはフツミタマを取れ。玉子は十握(とつか)の剣だ。緋美子は・・・」
「私は、あれ」
 緋美子が前方を指差した。
 吹き抜けになった大伽藍のはるか高みに、真紅の弓が浮かんでいる。
「あれは・・・」
 レオンが絶句した。
「アマテラスの弓・・・」

 やり方は、神獣の"みたまうつし"と同じだった。
 これはと思う武器に近づき、額の霊界端末をシャボン玉のような透明な膜に触れさせる。
 すると、額の宝玉が発熱して、脳神経が一気に活性化する。
 神獣のときとは微妙に感触の違う"何か”が、大脳にじわじわと進入してくる気配。
 端末が、武器の御霊をダウンロードしているのだ。
 フツミタマが実体化したのは、ヒバナの場合、左腕だった。
 ふいに左腕の太さが倍になったかと思うと、表皮の一部が硬化し、刀の形を取り始めた。
 ヒバナの体細胞を利用して、武器の御霊が"体”をつくっているのだった。
 完成までには、2分ほどしかからなかった。
 左腕に密着した形で出来上がったその奇妙な刀を、ヒバナはべりべりと皮膚から引き剥がした。
 まっすぐな刀身の左右から3本ずつ曲がった触角のようなものが生えている、見たことのない形状の刀だった。 
 頭上から緋美子が舞い降りてきた。
 誇らしげな笑みを、羽毛に包まれた顔に浮かべている。
 大きな赤い弓を、背中に斜めに背負っていた。
 ヒバナと同じ方法で、ダウンロード、そして実体化したのだろう。
 アマテラスの弓は、神々しいばかりに光り輝き、朱雀の美しさを更に際立たせているようだ。
 そこに子猫のように四足で玉子がかけてきた。
 口に剣、尻尾に2本の棒を巻きつけている。
「あったぜ、ヌンチャク」
 得意げに言った。
「ブルース・リーが置いてったのかもな」

 ホテルの部屋に戻ったときには、夜中の2時を過ぎていた。
 駐車場に降り、観光バスの陰で変身を解いた。
 変身が解ける過程で、武器も体内に吸収されていく。
 これは便利だった。
 銃刀法違反で、警察に目をつけられなくて済むからだ。
 幸い、近所の花火大会から帰って来た客が他にもけっこういて、ヒバナたちはさほど目立たず部屋に戻ることができた。
 3人ともさすがに疲れていた。
 ヒバナのスマートフォンには、以前レオンがインストールした『魔物探知アプリ』が入っている。
 それをセットして、寝ることにした。
 緋美子が一方のベッドを使い、ヒバナと玉子がもう一方に寝た。
「かわいそうだから、あたいが一緒に寝てやるよ」
 と、勝手に玉子がヒバナの隣にもぐりこんできたのである。
                 ◇
 その頃ー。
 ひずみと幸、そしてツクヨミは、氷漬けのオロチから数メートルも離れていない、広い岩棚の上に立っていた。
 盤古は客の用が済むのを待つタクシーのように、岩棚の隅に着地している。
 3人が立っているのは、オロチの尻尾の部分だった。
 氷の壁の奥に、絡み合った金色の尾が見える。
 それぞれが何十メートルもある、金色の8本の尾である。
 そのうちの1本に傷があった。
 一番手前の尾だ。
 金色のうろこが剥がれ落ち、深い亀裂がのぞいている。
「これだな」
 ツクヨミがつぶやき、氷の壁に右手を当て、目を閉じた。
 額の角が燐光を発し始める。
 掌が熱を発しているのか、幸を湖の底から浮上させたときのように、その掌を中心にして氷が溶け出していく。
 ひずみの足元を、氷が溶けて生じた水が滝のように流れていく。
 次第にオロチの尾の一部が顕わになる。
 死臭のような嫌な臭いが、あたりにたちこめた。
「こんなとこかな」
 ツクヨミが言い、草薙の剣を両手に持った。
 神前に奉納するように、できた空洞の中に上半身をさし入れ、慎重な動作でオロチの傷口に刀を埋め込んでいく。
 完全に中に納まると、傷口に両手を当てた。
 見る間にオロチの尾の裂傷がふさがっていく。
 ひずみの血を吸って、治癒能力を身につけたに違いなかった。
 ヒーリングが功を奏するということは・・・。
 まさか、オロチも、"神"?
 ひずみはその事実に気づいて、愕然とした。
 この怪物は、禍津神のような単なる"負の存在"ではない、ということか。
「おまえの目論見どおりアマテラスが現れたとして、このオロチはどうする?」
 一部始終を眺めていたミミがたずねた。
「いったん解き放たれたら、人間界を滅ぼすまで暴れまくるんじゃないのかい?」
「そこは姉さん次第かな。アマテラスが本気になれば、これを封印し直すことくらいは簡単だろうし。それに、仮に最悪の事態に陥っても、こっちにはまだクシナダヒメが居る。彼女はかつて、櫛に変身して、オロチを倒すのに一役買った事があるんだ」
 ツクヨミが答えた。
「でも、十握の剣と、スサノオはもういない」
 ミミが言い募る。
「スサノオはおまえが食べた。つまり、吸収してしまった、ということだろう?」
「まあね」
 ツクヨミが、にやりと笑う。
「でも、ミミ、君も気づいてるはずだよ。だから、別に僕に反抗するでもなく、ここまでおとなしくついてきたんだろ?」
 ひずみははっとした。
 そうなのだ。
 確かにミミには攻撃力はない。
 しかし、これまでツクヨミの行動にほとんど批判を加えることも、反抗もしなかったのはいったいなぜなのか。
 ツクヨミはオロチを目覚めさせようとしているのだ。
 体を張ってでも阻止するべきではなかったのか。
 それは自分も同じだった。
 幸の安全を優先した、という理由はもちろんある。
 精神的にミミに頼りすぎていたのも、事実だった。
 しかし、果たしてこれでよかったのか。
 自分の意志で、行動を起こすべきではなかったのか。
 私たちは、人類の滅亡に手を貸してしまったのではないのか。
 その思いが強い。

「お目覚めのようだ」
 ツクヨミの声が聞こえ、幸は我に返った。
 岩棚が、いや、世界全体が不気味に振動し始めていた。
 パラパラと、氷の破片が落ちてくる。
 突然、目の前でオロチの尾が動いた。
 氷の絶壁に、細かいひびが入る。
「撤収だ。盤古に戻れ」
 短く、ツクヨミが叫んだ。
 咆哮が轟いた。
 幸に肩を貸し、踵を返して駆け出したひずみの頭上で、とほうもなく巨大な影が動き出した。
 破壊神が、覚醒したのである。
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