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第6部 ヒバナ、センチメンタルブルー!
#1 悪意の前兆
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玉子が選んだ舞台はイオンの屋上だった。
屋上にはペットショップと喫煙所しかないから、スペース的には申し分ないというわけである。
完全に変身してしまうと目立ちすぎるので、ヒバナは体の一部だけを変異させることにした。
鋭利な刃物になるひれは出さず、四肢を強化するだけにとどめたのである。
これなら仮に誰かに見咎められても、ボディペイントしたコスプレーヤーで押し通すこともできなくはない。
対する玉子は白虎に完全変態しているが、いかんせん元の体型が3頭身なだけに、ムク犬か熊のぬいぐるみにしか見えない。
「とりゃ!」
その玉子がヌンチャクを振り回しながら、地を蹴った。
横っ飛びによけると、ヒバナはジグザグにジャンプを繰り返し、玉子の背後に回った。
右足で、どんと背中を蹴飛ばしてやる。
「いて」
屋上のフェンスにぶつかって、玉子がうめく。
「卑怯者! 正々堂々と戦いやがれ!」
今度は正面から玉子のヌンチャク攻撃を受けて立つ。
ヒバナと玉子のスピードの差は歴然としていた。
さすがに実戦で鍛えただけあり、ヒバナは速い。
白虎の怪力でヌンチャクを振り回すものの、玉子の攻撃はヒバナにはかすりもしないのだ。
ほとんど位置を変えていないのに、ヒバナは上半身の動きだけでヌンチャクをかわしてしまう。
しかも、息ひとつ切らしていなかった。
「終了」
疲れ果てて地面に伸びてしまった玉子を見下ろして、ヒバナは言った。
「まだまだだね。わたしにタテつこうなんて、10年早いよ。あ、それから、後ろから腹いせに黒魔法ぶちかますのは、なしだからね」
「ううう」
しゅううっと、元の姿に戻りながら玉子がぼやいた。
「覚えてろよ。ぜえったい、リベンジしてやるからな」
「あんた、最初からそのつもりだったんでしょ」
地下鉄『大猫観音通』の駅の改札を出て、アパートに向かって歩きながら、ヒバナは玉子に詰め寄った。
きょうはもう遅いから、泊めてくれ、というのである。
「いいじゃんか。どうせヒバゴン、夜は仕事なんだろ。あたいはその間ヒバゴンの部屋を使わせてもらうから、母ちゃんの邪魔にはならないよ」
タコみたいに口を尖らせて、そんな勝手なことをヌケヌケと言った。
言い争いながら、商店街の入り口に差しかかったときだった。
大通り沿いの舗道に、人だかりができているのが目に入った。
「なんだろう」
「お、ちょっと、ヒバゴン、肩車」
「えー、あんた、子泣きじじい並みに重いじゃん!」
「急げって。ありゃ、やばそうだぞ」
言い出したら聞かない女神様である。
群集はどうやら、舗道沿いに立つ雑居ビルを見上げているようだ。
苦労の末に玉子を肩に乗せ、よっこらせ、と立ち上がったところでヒバナは、
「あっ」
と声を上げた。
ビルの壁面に、男がはりついていた。
グレーのスーツを着た、中年のやせた男である。
まるで何かにものすごい力でビルに叩きつけられたかのように、コンクリートにめりこんでいる。
全身血まみれだった。
ビルの壁を、鮮血が幾何学模様を描いてしたたっている。
「どうやったら、こんなこと・・・」
信じられない思いで、ヒバナはつぶやいた。
男の体は、地上10メートルほどの高さにあった。
屋上から落としても、あんな所にはりつくとは思えない。
「これができるのは」
頭の上で玉子が言った。
「ヒバナか緋美子、どっちかしかいねえな」
「落とすよ!」
ヒバナが怒り出したとき、救急車のサイレンが近づいてきた。
消防自動車も一緒である。
はしごを使って男の体を下ろそうというのだろう。
仕事の時間が迫っていたこともあり、ヒバナは玉子の手を引いてその場を離れた。
成り行きが気になるが、ゴタゴタに巻き込まれるのはまっぴらだった。
「なんか、いやあな予感がするな」
ヒバナに手を引かれて歩きながら、後ろを振り返り振り返り、玉子が言う。
「ありゃ、人間の仕業じゃない。間違いなく、ヒバゴンみたいな"人外"のやり口だぜ」
「失礼ね。あんただって"人外"でしょ」
大猫商店街は、路地が迷路のように入り組んでいる。
その迷路を抜けて、隣町に入ったところの路地のまた奥に、ヒバナの住むアパートがある。
最後の路地の入り口は、小さな児童公園に面していた。
「くっせえ」
公園の前を通りかかったとき、ふいに玉子がおおげさに鼻をつまんで辺りを見回した。
公園の横に公共のゴミ置き場が設置されている。
確かにその方から異臭がする。
「何あれ」
ヒバナは絶句した。
ゴミ置き場全体を、肌色の気味の悪いものが覆っていた。
インド料理の『ナン』にそっくりの形をした、大きな肉塊である。
大人ひとり分くらいの大きさだった。
扁平で、薄っぺらいが、明らかに生肉の腐ったような悪臭を放っている。
しり込みするヒバナを引っ張って近づいていくと、
「これは・・・」
玉子が呻いた。
珍しく真剣な表情をしている。
傲慢な小学生の面影が消え、妙に大人びた顔つきになっていた。
「行くよ」
無理矢理その場から玉子を引き離し、アパートの前まで引きずって行く。
「ああ、ヒバナちゃん、いいとこに来た」
外づけの階段を登ろうとしたところで、声をかけられた。
大家のおばあさんが、若い女性と一緒にヒバナのほうを見上げている。
「どうしたんですか」
たずねると、
「この田島さんがね、隣の部屋の様子が変だっていうんだよ」
老婆が心底困った顔で、ヒバナを見る。
「1階3号室の田島緑です」
いかにも専業主婦といった感じの、善良そうな女性が頭を下げた。
「私、1週間前に越してきたんですけど、お隣の4号室、いつもお留守で、それに、匂いが・・・」
「確かに、なんか、肉が腐ったような匂いがするんだよね」
大家の老婆がうなずく。
ヒバナの部屋はその真上の204号室である。
このところ、ばたばたしていて全然気づかなかったな、と思う。
「それでさ、万が一ってこともあるし、中を見てみようと思うんだよ。でも、あたしら2人じゃ心細いし、ヒバナちゃんも一緒に、つきあっておくれでないかい?」
「いいですよ。で、104の人って、どんな方なんですか?」
2つ返事でヒバナはOKした。
そのぐらいなら、仕事に遅れることもあるまい、と判断したのだ。
「相馬あおいっていう、子連れの女性なんだけど・・・。ほら、頭を金色に染めた、大柄な・・・。そいうえば、ここんとこ、姿見かけないんだよね。家賃もたまったままだし」
老婆がますます困った表情をする。
言われてみれば、そんな住人がいたような気がする。
ちょっと近づくのが恐いような、ヤンキーふうの太った女だ。
一度、仕事帰りに階段のところで鉢合わせして、睨みつけられたことがある。
「子連れって、子どもはどうしたんでしょうね」
気になって、ヒバナはつぶやいた。
同じアパートで児童虐待なんて、目も当てられない。
「早く行ってみようぜ。ばあさん」
ヒバナの前に割り込んできて、いきなり玉子が言った。
「こ、この子は・・・?」
老婆の目が点になる。
「す、すみません。気にしないでください。これ、わたしの姪っ子なんです」
ヒバナは作り笑いを浮かべ、あわてて答えた。
「これって何だよ」
すごむ玉子の頭をねじふせて、
「じゃ、大家さん、鍵あけてくれませんか。わたしが先に中、入ってみますから」
1階の廊下を奥に進む。
そのとたん、
「う」
ヒバナは思わず掌で口を覆った。
確かに腐臭がする。
それは、さっきゴミ捨て場で嗅いだ匂いにそっくりだった。
屋上にはペットショップと喫煙所しかないから、スペース的には申し分ないというわけである。
完全に変身してしまうと目立ちすぎるので、ヒバナは体の一部だけを変異させることにした。
鋭利な刃物になるひれは出さず、四肢を強化するだけにとどめたのである。
これなら仮に誰かに見咎められても、ボディペイントしたコスプレーヤーで押し通すこともできなくはない。
対する玉子は白虎に完全変態しているが、いかんせん元の体型が3頭身なだけに、ムク犬か熊のぬいぐるみにしか見えない。
「とりゃ!」
その玉子がヌンチャクを振り回しながら、地を蹴った。
横っ飛びによけると、ヒバナはジグザグにジャンプを繰り返し、玉子の背後に回った。
右足で、どんと背中を蹴飛ばしてやる。
「いて」
屋上のフェンスにぶつかって、玉子がうめく。
「卑怯者! 正々堂々と戦いやがれ!」
今度は正面から玉子のヌンチャク攻撃を受けて立つ。
ヒバナと玉子のスピードの差は歴然としていた。
さすがに実戦で鍛えただけあり、ヒバナは速い。
白虎の怪力でヌンチャクを振り回すものの、玉子の攻撃はヒバナにはかすりもしないのだ。
ほとんど位置を変えていないのに、ヒバナは上半身の動きだけでヌンチャクをかわしてしまう。
しかも、息ひとつ切らしていなかった。
「終了」
疲れ果てて地面に伸びてしまった玉子を見下ろして、ヒバナは言った。
「まだまだだね。わたしにタテつこうなんて、10年早いよ。あ、それから、後ろから腹いせに黒魔法ぶちかますのは、なしだからね」
「ううう」
しゅううっと、元の姿に戻りながら玉子がぼやいた。
「覚えてろよ。ぜえったい、リベンジしてやるからな」
「あんた、最初からそのつもりだったんでしょ」
地下鉄『大猫観音通』の駅の改札を出て、アパートに向かって歩きながら、ヒバナは玉子に詰め寄った。
きょうはもう遅いから、泊めてくれ、というのである。
「いいじゃんか。どうせヒバゴン、夜は仕事なんだろ。あたいはその間ヒバゴンの部屋を使わせてもらうから、母ちゃんの邪魔にはならないよ」
タコみたいに口を尖らせて、そんな勝手なことをヌケヌケと言った。
言い争いながら、商店街の入り口に差しかかったときだった。
大通り沿いの舗道に、人だかりができているのが目に入った。
「なんだろう」
「お、ちょっと、ヒバゴン、肩車」
「えー、あんた、子泣きじじい並みに重いじゃん!」
「急げって。ありゃ、やばそうだぞ」
言い出したら聞かない女神様である。
群集はどうやら、舗道沿いに立つ雑居ビルを見上げているようだ。
苦労の末に玉子を肩に乗せ、よっこらせ、と立ち上がったところでヒバナは、
「あっ」
と声を上げた。
ビルの壁面に、男がはりついていた。
グレーのスーツを着た、中年のやせた男である。
まるで何かにものすごい力でビルに叩きつけられたかのように、コンクリートにめりこんでいる。
全身血まみれだった。
ビルの壁を、鮮血が幾何学模様を描いてしたたっている。
「どうやったら、こんなこと・・・」
信じられない思いで、ヒバナはつぶやいた。
男の体は、地上10メートルほどの高さにあった。
屋上から落としても、あんな所にはりつくとは思えない。
「これができるのは」
頭の上で玉子が言った。
「ヒバナか緋美子、どっちかしかいねえな」
「落とすよ!」
ヒバナが怒り出したとき、救急車のサイレンが近づいてきた。
消防自動車も一緒である。
はしごを使って男の体を下ろそうというのだろう。
仕事の時間が迫っていたこともあり、ヒバナは玉子の手を引いてその場を離れた。
成り行きが気になるが、ゴタゴタに巻き込まれるのはまっぴらだった。
「なんか、いやあな予感がするな」
ヒバナに手を引かれて歩きながら、後ろを振り返り振り返り、玉子が言う。
「ありゃ、人間の仕業じゃない。間違いなく、ヒバゴンみたいな"人外"のやり口だぜ」
「失礼ね。あんただって"人外"でしょ」
大猫商店街は、路地が迷路のように入り組んでいる。
その迷路を抜けて、隣町に入ったところの路地のまた奥に、ヒバナの住むアパートがある。
最後の路地の入り口は、小さな児童公園に面していた。
「くっせえ」
公園の前を通りかかったとき、ふいに玉子がおおげさに鼻をつまんで辺りを見回した。
公園の横に公共のゴミ置き場が設置されている。
確かにその方から異臭がする。
「何あれ」
ヒバナは絶句した。
ゴミ置き場全体を、肌色の気味の悪いものが覆っていた。
インド料理の『ナン』にそっくりの形をした、大きな肉塊である。
大人ひとり分くらいの大きさだった。
扁平で、薄っぺらいが、明らかに生肉の腐ったような悪臭を放っている。
しり込みするヒバナを引っ張って近づいていくと、
「これは・・・」
玉子が呻いた。
珍しく真剣な表情をしている。
傲慢な小学生の面影が消え、妙に大人びた顔つきになっていた。
「行くよ」
無理矢理その場から玉子を引き離し、アパートの前まで引きずって行く。
「ああ、ヒバナちゃん、いいとこに来た」
外づけの階段を登ろうとしたところで、声をかけられた。
大家のおばあさんが、若い女性と一緒にヒバナのほうを見上げている。
「どうしたんですか」
たずねると、
「この田島さんがね、隣の部屋の様子が変だっていうんだよ」
老婆が心底困った顔で、ヒバナを見る。
「1階3号室の田島緑です」
いかにも専業主婦といった感じの、善良そうな女性が頭を下げた。
「私、1週間前に越してきたんですけど、お隣の4号室、いつもお留守で、それに、匂いが・・・」
「確かに、なんか、肉が腐ったような匂いがするんだよね」
大家の老婆がうなずく。
ヒバナの部屋はその真上の204号室である。
このところ、ばたばたしていて全然気づかなかったな、と思う。
「それでさ、万が一ってこともあるし、中を見てみようと思うんだよ。でも、あたしら2人じゃ心細いし、ヒバナちゃんも一緒に、つきあっておくれでないかい?」
「いいですよ。で、104の人って、どんな方なんですか?」
2つ返事でヒバナはOKした。
そのぐらいなら、仕事に遅れることもあるまい、と判断したのだ。
「相馬あおいっていう、子連れの女性なんだけど・・・。ほら、頭を金色に染めた、大柄な・・・。そいうえば、ここんとこ、姿見かけないんだよね。家賃もたまったままだし」
老婆がますます困った表情をする。
言われてみれば、そんな住人がいたような気がする。
ちょっと近づくのが恐いような、ヤンキーふうの太った女だ。
一度、仕事帰りに階段のところで鉢合わせして、睨みつけられたことがある。
「子連れって、子どもはどうしたんでしょうね」
気になって、ヒバナはつぶやいた。
同じアパートで児童虐待なんて、目も当てられない。
「早く行ってみようぜ。ばあさん」
ヒバナの前に割り込んできて、いきなり玉子が言った。
「こ、この子は・・・?」
老婆の目が点になる。
「す、すみません。気にしないでください。これ、わたしの姪っ子なんです」
ヒバナは作り笑いを浮かべ、あわてて答えた。
「これって何だよ」
すごむ玉子の頭をねじふせて、
「じゃ、大家さん、鍵あけてくれませんか。わたしが先に中、入ってみますから」
1階の廊下を奥に進む。
そのとたん、
「う」
ヒバナは思わず掌で口を覆った。
確かに腐臭がする。
それは、さっきゴミ捨て場で嗅いだ匂いにそっくりだった。
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