上 下
129 / 295
第6部 ヒバナ、センチメンタルブルー!

#6 悪意の代償

しおりを挟む
 夕暮れの空を、大柄なブッチャーを抱えて、ヒバナは飛んだ。
 なぜ彼女があの店に居たのか。
 そして、いったいあそこで何があったのか。
 あの無残な光景は、本当に相馬あおいの仕業なのか。
 ブッチャーにたずねたいことは、山ほどある。
 しかし、今は彼女の命を救うほうが先だった。
 彼女が、第4の仲間となるべき人物とくれば、なおのことである。

 こんもりとした森の中にあるナミの洋館まで、空路を行けば10分とかからない。
 -まずいな。取り壊し工事が始まりかけてるぞー
 レオンの言う通り、洋館の正門は扉が取り外され、かわって黄色に黒の縞の入ったおなじみの工事用の鉄扉が設けられている。
 ちょうど作業が終わったところらしく、工事用車両や作業員の姿は今はない。
「双子が行方不明ってこと、両親がやっと気づいたんだろうね」
 着地地点を探しながら、ヒバナは言った。
 海外のナミの両親の許に、学校から連絡が行ったのかもしれなかった。

 洋館の裏手に垂直降下して表に回ると、玄関の扉も取り外された後だった。
 アクセスコードを打ち込む手間が省けたのは幸いだが、この分だとラボがまだ残っているかどうかが心配になる。
 ー今晩が最後のチャンスだな。ついでに残りの腕輪も回収しておこうー
 レオンの言う腕輪とは、ヒバナがついこの前まで身につけていた”すべてを統べる腕輪”のことだろう。
 それひとつで四神獣すべてに変身できるという、用途不明の”腕輪の中の腕輪”である。
 中に入ると、幸いなことにエレベーターにはまだ手がつけられていなかった。
 円筒形の透明シリンダーに乗って地下に降りる。
「よかった」
 地下には電灯がともったままだった。
 目の前に広がる大学病院の手術室そっくりの光景を見て、ヒバナはほっと胸を撫でおろした。
 中央にある手術台にブッチャーをそっと横たえる。
 何かの足しになるかもしれないと思い、ブッチャーの左腕に玄武の腕輪をはめておく。
 消毒液をしみこませたガーゼで額の傷口をふさぎ、とりあえずの応急処置をする。
「すぐ戻るから、ちょっとここで待っててね。絶対に動いちゃだめだよ」
 言いおいて1階に上がると、充分に助走をつけて玄関を駆け抜けるなり、再び飛んだ。
 今度は荷物がないだけに、速い。
 雲の上に舞い上がり、半島目指して長い滑空に入る。
 夕陽を浴びた海が、オレンジ色に輝いている。
 さざ波が宝石のようにきらめいて、目に痛いほどだ。
 30分ほどで、玉子の住む島が見えてきた。
 雑貨屋の前に着地する。
 玉子はオオワダツミの老人と一緒に、店の前の縁台に腰かけて線香花火をしているところだった。
「これが必要になったってことは、仲間の最後のひとりが見つかったってか?」
 浴衣の袂から何かを取り出しながら、麗子像似のおかっぱ頭がたずねた。
「うん」
 うなずいて、ヒバナは玉子のむっちりした手から、青い小さな宝石受け取った。
「まさに玄武って感じの、頼れるお姉さんだよ」
「まさに玄武って感じ? それ、ほめ言葉になんねえよ」
 玉子がたしなめた。
「ま、会うときまでのお楽しみってことで。じゃ、たまちゃん、今度の土曜日にね」
 昼間の約束を思い出し、ヒバナは言った。
「焼肉食べ放題、行こうぜ」
 小学生のくせに、思いっきり親父臭い台詞を、玉子は吐いた。

 那古野市東部に位置するナミの家に取って返し。レオンの主導で手術が始まったのは夜中の10時を過ぎてからのことだった。
 緋美子や玉子のときと違い、今回は初めから額が割れているので、ドリルによる穿孔の必要はなかった。
 ただ、前頭葉が一部むき出しになっている分、雑菌の混入に注意する必要があった。
 ナミのラボには消毒室が完備されている。
 そこでヒバナは全裸になり、頭から消毒液と熱風を浴びた。
 裸の上に手術着だけを羽織り、手術台に向かう。
 もちろん、そのときにはレオンが肉体の主導権を握っている。
 ピンセットで慎重に額の裂け目に宝玉をはめ込み、生体反応が起こるのを待つ。
 宝玉は珪素生命体だが、なぜだか人間の神経細胞とは親和力が高い。
 見守るうちに宝玉が微光を放ち始め、傷口の隙間を埋めるように液化して広がった。
 その上を、新しく再生した皮膚が周りから中心にかけて、徐々に覆っていく。
「熱いな」
 薄目を開けて、ブッチャーがつぶやいた。
「もう少しだから、がまんしな」
 ヒバナの口を借りてレオンが言い、玄武の御霊をセットした”みたまうつし器”を作動させる。
 装置の先端から電磁波に変換された神獣の情報が放出され、宝玉の中の結晶体に蓄積されていく。
 シリンダーの中の胎児状の御霊が消えると、転移終了だ。

「終わった。たぶんこれで脳は大丈夫だ。立てるか」
 腰のベルトと手首の拘束具をはずしてやりながら、レオンが訊く。
「ああ」
 よろめきながらも、自分の足で立つブッチャー。
 立ち上がると、頭一つヒバナより背が高く、胴周りは倍以上ありそうだった。
「腕輪をセットしてみよう」
 大女の左手を取り、亀の文様が完成するまで腕輪のリングを回す。
 カチッと小気味よい音を立てて3つのリングがしかるべき位置に収まると、
 突然体表に細かい稲妻が走り、ブッチャーの全身の輪郭が、激しく振動するようにぶれ始めた。
 ただでさえ大きい体が、めきめきと音を立てて倍近くにまでふくれあがる。
 見る間に研究室の高い天井に届きそうなくらいに、巨大化した。

「すごい・・・」
 レオンから肉体の主導権を返してもらったヒバナは、変身を完了したブッチャーを見て、感嘆の声を上げた。
「これが、本物の玄武なんだ・・・」
 緋美子が以前装着していた”偽玄武の盾”とは、スケールが違いすぎる。
「ゲンブってなんだか知らないが、確かに強くなった気がするな」
 神獣に変異した顔でヒバナを見下ろし、ブッチャーが笑った。
「訊きたいことはたくさんあるけど、お互い、詳しい話は後にしようよ。とりあえず、今はキャンプへ行かなきゃ。あなたの体を完全に元に戻すには。極楽湯の薬湯が必要なの」
「ただの通りすがりの旅人だったオレを助けてくれた上に、風呂までごちそうしてくれるのか。あんた、本当にいいやつなんだな」
 ブッチャーが笑顔のまま、言った。
 笑うと目がゾウのように細くなり、ごつい顔がひどく柔和に見えるから不思議だ。
 ”通りすがりの旅人”という表現も、なんだかスナフキンみたいでユーモラスだった。

「ひずみちゃんもじいさんも寝てるだろうけど、緊急事態だからしょうがないよね」
 頭の中のレオンに話しかける。
 ーテレパシーの有効範囲に入ったら、ミミと連絡をとってみるよー
 レオンが答えた。
「うん。おねがい」
 正直、まだひずみと再会する覚悟はできていない。
 でも、とヒバナは思う。
 こんな機会でもなかったら、わたしたちは本当にばらばらになってしまうかもしれないんだ・・・。
 
 白鶴公園内はさすがに真っ暗だったが、竜化しているヒバナの目には真昼同様である。
 八幡古墳に近づくと、常世の結界を通して、極楽湯の入り口が見えた。
「あんた、只者じゃないと思ってたが、空も飛べるんだな」
 地上に降ろすと、ブッチャーが今更のように感心した口調で、言った。
 ラボに行くときは意識を失くしていて、自分が飛んでることに気づいていなかったらしい。
「それにその体、りっぱな戦士じゃないか」
 体長2メートルを超える竜人へと変異したヒバナをほれぼれと眺めて、嘆息した。
「わたしたち、”人外少女隊”の、キャンプ極楽湯へ、ようこそ」
 ヒバナはシャープさを増した竜娘の貌で、微笑を返した。

「ヒバナ・・・」
 背後から、声がした。
 振り向くと、ミミをマフラーのように首に巻きつけた、パジャマ姿のひずみが立っていた。
「ごめんね、ひずみちゃん、こんな時間に」
 気弱な微笑を浮かべて、ヒバナはわびた。
 ひずみの気丈そうな瞳がヒバナを正面から見つめてきた。
「何水臭いこと言ってるの。玉子に続く最後の仲間なんだって? さ、早く中に入れてあげて」
「すまない」
 ブッチャーが、一歩前に進み出て、頭を下げた。
 変身を解いているのに、ひずみの倍近い背丈がある。
「大きい・・・」
 ひずみが息を呑み、
「は、はじめまして。あたし、八代ひずみです」
 あわててそう、自己紹介をする。
「オレ、ブッチャー岩崎。流しの女子プロレスラーだ」
 ブッチャーが、ひずみの目の高さまで目線を落として、会釈した。
「女子、プロレスラー?」
 ひずみの目がまん丸になる。
 プロレスラーという人種に会うのは、これが初めてだからだろう。
「たのもしいねえ」
 ブッチャーの肉体に目のない頭を向けて、ミミが言った。
「やっとあんたたちのチームに、デイフェンダーができるんだ」
「ディフェンスでもオフェンスでもなんでもやらせてもらうよ」
 ブッチャーが笑う。
「少し休憩して、腹ごなししてからの話だが」
 のれんをくぐって銭湯の中に入っていくその広い背中を見送りながら、ヒバナは思った。
 あとは、ひみちゃんだ。
 ひみちゃんに、報告しなきゃ・・・。
 そう考えただけで、動悸が速くなるのがわかった。
しおりを挟む

処理中です...