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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!

#46 戦端

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 テントが赤く照らされている。
 黒い影がぐわっと盛り上がる。
 ヒバナの肩甲骨が、翼に変わった。
 ナギを横抱きにすると、間一髪、飛んだ。
 強力な炎の息が地表を焼き払う。
 八岐大蛇の首の一本が、生き返ったのだ。
「あんた、何したのよ?」
 羽ばたきながら、ヒバナは怒鳴った。
「だからさ、暗黒細胞を注射してみたんだってば」
 ナギが大声で叫び返す。
「そうしろって、ナミにいわれたんだよ」
「んとにもう!」
 安全な場所まで飛行して、ナギをいったん地面に降ろす。
 一本ならなんとかなる。
 八本とも息を吹き返す前に、殺ってしまわねば。
 旋回して、オロチのほうに戻った。
 槍を構え、ぶんと振った。
 伸びた、
 あっという間に10mを越す長さになる。
 オロチが襲いかかってきた。
 大きく開いた口が、熱をためている。
 ブレスが来た。
 翼を傾けて、よける。
 下をかいくぐって、首の後ろに出た。
「くらえ!」
 体を回転させながら、思いっきり、槍を投げた。
 オロチが吼えた。
 狙い違わず、槍は怪物の首のつけ根に突き立っている。
 態勢を立て直し、今度は剣を両手に持った。
 フツノミタマ。
 タケミカヅチの神剣である。
 頭上高く振りかぶる。
 危険を覚悟でぎりぎりまで接近し、力まかせに振り下ろした。
 肉を断つ十分な手応えとともに、厖大な量の血潮が噴き出してきた。
 シャワーのように血を浴びながら、ヒバナはひるむことなく剣を振り切った。
 切断された竜の頭がぐらりと傾き、音を立てて氷原に落下する。
 残りの七本も、今、始末しておくべきだろうか。
 八岐大蛇の残骸を空中から見下ろして、ヒバナは考えた。
 だが、見たところさっきの1本以外はまるで生の兆候が見られない。
 要は、大量の暗黒細胞がなければ、永遠にあのままということなのだろう。
 今は元の世界に戻るほうが先決だった。
 鬼の首がどうなったのか、緋美子たちが今どうしているのか、そっちのほうが気になった。

「すごいよ!」
 地上に降り立つと、ナギが抱きついてきた。
「ヒバナのくびれた腰に両腕を回し、むき出しの腹に頬をすりつけてくる。
「ヒバナ、君って、ほんと強いんだね」
 顔を紅潮させて、いった。
「ぼく、感動したよ。強い女の子って、ほんと、素敵だな」
 ヒバナはナギを引き離した。
「何たわごといってるの」
 上気したナギの顔を睨みつける。
「そんなことより、早くここを離れなきゃ。ツクヨミが戻ってくるとしたら、どこ?」
「あっちのほうに、彼の基地がある。たぶんそこだと思う』
「遠いの?」
「歩いて30分くらい」
「じゃ、飛ぶわ」
「待って」
 翼を広げようとしたヒバナを、ナギが押しとどめた。
「なに?」
「あのさ、もしよかったら、ぼくとつきあってくれない?」
「は?」
 ヒバナはぽかんと口を開けた。
 この状況で、なぜその台詞?
「わたし、あなたの敵なんですけど」
 呆れ返って、ヒバナはいった。
「過去のことさ」
 ナギが笑った。
 場違いにさわやかな笑顔だった。
 青春ドラマのアイドルみたいだ、とヒバナは思った。
 が、もちろんその気はさらさらない。
「確かに一度ぼくは君に殺された。でも、ぜんぜん恨んじゃいないよ」
「恨まれても困るんだけどね」
「君に恋人がいることも知ってる」
 ヒバナは嫌な顔をした。
 まただ。
 なぜ、みんなそれを知っている?
「でも、彼女は女だ。なら、男の恋人が他にいてもいいはずだ。ね、そう思うだろ?」
 なんという屁理屈。
「そうなの?」
「うん」
 勢いよくうなずくナギ。
「でも、それがどうして、あなたなの?」
「いや、どうしてって・・・」
 ナギが考え込んだ。
「運命ってやつかな」
「わたしはそんな気、ぜんぜんしないんだけどな」
 ヒバナが、気乗りのしない口調でいったときだった。
「あ」
 ナギが呆けたような表情で、空を見上げた。
「まずい」
 影が差した。
 飛びのこうとしたが、遅かった。
 切断したはずのオロチの首が、かっと口を開けて頭上から迫っていた。
 あっと思ったときにはすでに、肩から胴にかけてを、がっしりした顎にくわえ込まれていた。
 鋭い牙が肌にめり込んでくる。
「ご、ごめん・・」
 安全なところまで下がったナギが、泣きそうな顔でいった。
「別に、君の気を逸らすとか、そういうつもりじゃなかったんだけど・・・」
「あなた、疫病神?」
 ヒバナは冷ややかな口調で、いった。
 ナギの姿がかすむ、
 体に力が入らない。
 全身を貫く激痛で、今にも気が遠くなりそうだった。


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