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#1 鬼畜

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「つまり、犯人は、子どもたちが逃げられないようにあらかじめ手足を切り落としておいて、その後暴行に及んだということです。まったく、どういう神経をしているんだか…」
 店に来た警察関係者の会話を漏れ聞いたのですがー。
 そう前置きしてマスターの葛西さんの話してくれた内容は、一様に私たちを凍りつかせた。
「い、生きながら、手足を、ですか…?」
 真っ青な顔をして、会長の木村さんが訊いた。
 気まずい沈黙が破れ、恐怖の感染が始まった。
「暴行って、その、性的な?」
「らしいですね」
 ひげ面をしかめて、重々しくマスターがうなずいた。
 5月のゴールデンウィーク明けの金曜日。
 事件のあらましが発表された、学校集会の帰り。
 私たちPTAの役員は、誰が言い出すともなく、行きつけのこの店、『アンジュ』に集まっていた。
 学校集会ではまるで語られなかった事件の生々しい描写に、私たちは一様に青ざめ、お互い視線をかわすことしかできなかった。
 三つ子の死体が発見されたのは2日前の夕方。
 場所は、学区内の廃業したコンビニの建物の中。
 探検か肝試しのつもりで中に入り込んだうちの学校の悪ガキどもが、血にまみれた三人の死体を見つけたのだ。
 時間帯のせいか、店内は閑散としていた。
『アンジュ』は、アンティークなたたずまいが魅力の落ち着いたカフェで、装飾といったら壁にかかったモノクロの風景写真ぐらい。
 どれも写真が趣味のマスター自身が撮ったものだという。
「そんな、信じられない…」
 副会長の青山さんが、唇をわななかせてひとりごちた。
「あの子たちは、まだ5歳だったんですよ。そんな年端も行かない幼児に、性衝動を覚える人間がいるだなんて」
 殺されたのは、やはり同じ学区内にある私立幼稚園に通う5歳児3人である。
 母親と知り合いというわけでもなかったが、このあたりには珍しい三つ子だったので、私も被害者たちの顔は知っていた。
 息子の慎吾につきあって出かけた児童公園で、何度か顔を合わせたことがあったのだ。
 西洋人形のように可愛らしい女の子たちだったことを覚えている。
「犯人、まだ捕まってないんですよね?」
 会計の村井さんが、怯えたような表情で、カウンターの向こうのマスターの顔を見上げた。
「手掛かりとか、全然ないんですか?」
「警察関係者は、顔見知りの犯行ではないかと」
 布巾でカップを拭きながら、マスターが答えた。
「何しろ被害者は3人ですからね。よほど心を許した人物でないと、あんな寂しい所にはついていかないでしょうから。もし知らない相手に言葉巧みにおびき出されたなら、途中で一人ぐらい逃げ出してもおかしくありません」
 言われてみれば、その通りだった。
 廃業したことからもわかるように、そのコンビニは目抜き通りの一本裏の道に建っていた。
 しかも、背後は鎮守の森というかなり寂しい立地条件である。
「どうしましょう? この町の住人の誰かが犯人だとしたら」
 青山さんは、今にも卒倒しそうな様子だった。
 無理もないと思う。
 私たちは、皆、小学生の子どもを抱えているのだ。
 次はわが子の番でないと、誰に言い切ることができようか。
「早く警察が、犯人見つけてくれないかしら」
「でも、あのへんは人通り少ないから」
 木村会長が、考え込むように眉をひそめて言った。
「犯行時刻は、どうやら夜中らしいっていうじゃない。目撃者なんていそうもないわよ」
「でも…」
「見回りをこれからもっと強化する必要があるわね」
「役員以外にも、協力者を募りましょう」
「ほんとは、こういうときほど、男の人に協力してほしいんだけどね」
「そうですよね…。私も同感です」

 窓の外を眺めながら、聞くともなくふたりの会話を耳にしていた私が、10年前のことをふと思い出したのは、この時のことである。
 ひとのオーラが見えるあの子なら、ひょっとして…。


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