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第2章 謝肉祭

#9 闖入者

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「んもう、勇次ったら」
 杏里がむくれた。
 目をぱっちり見開くと、突然の闖入者をきっとにらみつける。
「ヒトの部屋に勝手に入ってこないでって、いつも言ってるでしょ」
「なんだ、仕事中か」
 男ー小田切勇次が私と、セミヌードの杏里を交互に見やった。
「そうじゃないけど」
 杏里は不機嫌そうだ。
 だが、男性の前だというのに、あらわな胸を隠そうともしない。
「どっちにしろ、犬はだめだ」
 今度は太郎のほうを見て、男が顔をしかめた。
「ここはペット禁止なんだ。それに俺は、近くに犬がいると思うだけで、どうにも落ち着かない」「こんなに可愛いのに?」
 杏里がしゃがみこみ、太郎の首を抱いた。
 くうんと太郎がうれしそうな声を出す。
 こいつ、犬の分際でよほど人間の女に弱いのか、もうデレデレ状態だ。
 私はすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
 残念と言えば、これほど残念なことはない。
 もう少しで、杏里のあの豊満な乳房を口に含み、固いつぼみのような乳首を甘がみすることができたのだ。
 でも、逆に、楽しみが増えた、と言えないこともなかった。
 私は杏里に快感を与えることができたのである。
 それを楽しむのは、彼女を完全に我がものにしてからでも決して遅くはない。
「可愛いだと? そいつは成犬のドーベルマンなんだろ? しかもオズときてる。部屋の中で買うチワワやマルチーズとはわけが違うんだ。頼むから外に出してくれ」
「すみませんでした」
 私は素直に頭を下げた。
 なんだかすっきりした気分だった。
 杏里に対する冷たい怒りは、めくるめく興奮の渦の中ですっかり溶けてしまったらしい。
「いこ、太郎」
 太郎の引き綱を引いて部屋の外に出ようとすると、背後でふたりの話す声が聞こえてきた。
「あの子、外来種ではないんだな。口唇裂と顎裂の合併症か。それにしても、かなりの重症だ」
「失礼なこと言わないで。ほら、”刻印”出てないでしょ。よどみはれっきとした人間だよ」
「じゃ、治療中だったのか。その格好はそういうわけだな。しかし、かなり”豪”が深そうだ。いくらおまえが優れた”タナトス”でも、ちょっとやそっとでは”昇華”できないレベルだろう」
 意味不明の内容だった。
 外来種、刻印。
 杏里がタナトスって、どういうことだろう?
 それに、業って?
 昇華って?
 気になってドアの外に佇んでいると、元のようにTシャツを着た杏里が出てきて、私の袖を引いた。
「ごめんね、よどみ。勇次ったら、ほんと気が利かなくって。あ、それからね、もうこんな時間だから、よかったらお夕食食べていかない? といっても、私が今から作るんだけどさ」
 後半は自信なさそうな口調になる。
「ううん。私こそごめん。急に押しかけて、ひどいこと言ったりして。あ、食事はいいよ。帰りにマックにでも寄って、テキトーに食べてくから」
 マスクをかけ直すと、私はゆっくりとかぶりを振った。
「初めはびっくりしたけど」
 背後の気配をうかがいながら、声を潜めて杏里が言った。
「でも、ちょっと嬉しかったかな。よどみの真剣な気持ちが、伝わってきて」
「私だって…」
 Tシャツを押し上げる杏里の乳房。
 生地を透かして見えている薔薇色の乳輪。
 それを名残惜しげに見つめて、私はひとりごちた。
「じゃ、明日ね。10時10分のバスに乗ればいいんだよね」
 明るい声で杏里が言った。
「う、うん」
 私はうなずいた。
 そうだった。
 明日のショッピングの約束、あれはまだ生きているのだ。
「私、水着見たいな」
 杏里が少し恥ずかしそうにつけ加える。
「もうすぐプール開きでしょ? 去年のスクール水着、もうちいちゃくて体が入らないの」
 学校のプール開きは、毎年6月の2週目の体育の授業からである。
 梅雨で遅れることが多いが、あと1ヶ月ほどだった。
「杏里はビキニのほうが似合うよ」
 真顔で私は言った。
「なんなら一緒に選んであげる」
「さすがにビキニで体育の授業は無理だから、ふつうのスク水でいいんだけど」
 杏里が笑った。
「でも、本当いうと、ビキニも着てみたい」
「写真撮らせて」
 スマホを取り出して、すかさず私は言った。
「杏里のビキニ姿」
「また?」
 杏里が目を真ん丸にする。
「今のその格好も」
 抗議のひまも与えず、立て続けにシャッターボタンを押す。
「そんなに私の写真撮って、どうするの?」
 不思議そうに杏里が訊いた。
「お部屋に貼るの。壁いっぱいに」
 私はスマホをスカートのポケットにしまうと、杏里に背を向けた。
「そうして、杏里と私だけの空間を創るんだ」


 
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