激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【官能編】

戸影絵麻

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第7部 蹂躙のヤヌス

#18 ヤチカの提案

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 木漏れ日の降り注ぐ砂利道を行くと、突き当りに大きな鉄の門扉が見えてきた。
 その向こうに佇む白亜の洋館が、七尾ヤチカの屋敷である。
 明治時代に建てられたというその建物は、森の中で年老いた生き物のようにひっそりと息づいている。
 近づくにつれ、懐かしさが胸にこみあげてきて、杏里はいつしか小走りになっていた。
 門扉の向こうの車寄せの道を、水色のワンピース姿の女性が歩いてくる。
 細面の顔。
 スレンダーな肢体。
 ヤチカ本人である。
 バスを降りるなり、ラインで来訪を知らせておいた。
 それでわざわざ迎えに出てきてくれたに違いない。
「元気だった?」
 門扉を開け、杏里を迎え入れると、ヤチカが言った。
「は、はい。私は平気です。でも、ごめんなさい。お見舞いにも行かないで」
「それはお互いさまでしょう? いいのよ。こうしてまた会えたんだから。さ、入って」
 肩を並べて、欅の街路樹に囲まれた車寄せの道をたどる。
 玄関の樫の扉をくぐって中に入ると、ひんやりした空気が杏里の火照った体を包み込んだ。
 正面には2階へと続く緩やかならせん階段。
 左手がロビー兼待合室になっている。
 そこに杏里をいざなうと、ヤチカはつくりつけのカウンターからグラスの乗ったお盆を持って戻ってきた。
「なつかしいね」
 テーブルの上に、ふたり分のジュースのグラスを置いて、対面に腰をかける。
「あれはついこのあいだのことだったのに、もう何年も会っていなかったみたい」
「本当に」
 杏里は安堵で泣き出しそうになるのをこらえ、かろうじてうなずいた。
「でも、ヤチカさんが無事でよかった」
 あの時、ヤチカは、零に両性具有の証であるペニスを引き抜かれたのだった。
 股間を真っ赤に染めてうずくまるヤチカの無残な姿が、ふと脳裏に浮かんでは消えていった。
「運ばれた病院がね、個人病院ながら外科と整形外科を兼ねてたの。だから今はもうすっかり女に戻してもらったわ。結果的には、性同一障害の患者さんの手術とほとんど変わらなかったみたい」
 そんなひどい目に遭った後だというのに、ヤチカは相変わらず屈託がない。
「そういえば、ヤチカさん、ずいぶん女らしくなった気がする」
 杏里がそう感想を述べると、ヤチカが声を立てて笑った。
「失礼ね。それじゃ私が、前はゴリラ並みのオトコオンナだったみたいじゃない」
「そうじゃなくて、なんだか輪郭が丸くなったっていうか、すごく女っぽい雰囲気になってます」
「女性ホルモンの分泌が盛んになって、脂が乗ってきたのかな。それとも単に太っちゃったのか」
「いい感じだと思います。とっても優しそうで」
 杏里はまぶしい目でヤチカを見つめた。
 この年上の友に、ここで夜通し抱かれた時の記憶がよみがえる。
 杏里にかかっていた潜在意識の底のリミッターをはずしたのは、まぎれもなくこのヤチカなのだ。
 いわばヤチカが、タナトスとしての杏里を覚醒させたのである。
 だから、いつもなら、ヤチカとの行為を反芻するだけで欲情するところなのだが、今日はそうはならなかった。
 学校で味わった挫折感が、いまだに杏里の気持ちを萎えさせていたからだった。
「ありがと。お誉めいただいてうれしいわ。ところで杏里ちゃん、いつかの約束覚えてる?」
 いたずらっぽく目を細めて、ヤチカが言った。
「やくそく、ですか?」
 杏里は面食らった。
 なんだっただろう?
 色々ありすぎて、忘れてしまった。
「ほら、絵のモデルになってほしいって、いつかお願いしたでしょう?」
「あ、そういえば」
 思い出した。
 ヤチカは、杏里をモデルにして、次の画集をつくりたいと言ったのだ。
 タイトルは、確か…。
「もう少し体調が安定したら、また絵を描き始めようと思ってるの。『快楽少女絵画集』用の絵をね。それには、ぜひとも杏里ちゃんの協力が必要なんだけど」
 前回の『残虐少女絵画集』では、ヤチカは杏里の顔だけを無断で使い、自分の絵の中にはめ込んだのだった。
 それを、今度は正式に杏里をモデルにして、顔だけでなくその肉体までも描きたい。
 そう、いつかヤチカは言ったのである。
 が、その直後、由羅が奇妙なメールを残して行方不明になり、人形工房の真布婆までが絡んで事態が急展開するにつれ、その話もうやむやになってしまったのだった。
「かまいませんけど…ただ、私今はちょっと…」
 グラスのソーダ水で喉を湿らせると、杏里は言った。
「そういう気分になれないかも、なんです」
「そうなの?」
 ヤチカがテーブルに両肘を突き、手のひらで顎を支えて杏里を見つめた。
「言われてみれば、顔色が冴えないわね。何かあったの?」
「実は…私、あることを調べるために、また転校したんです」
 杏里は話し始めた。
 相手がヤチカだと、すらすらと言葉が口をついて出た。
 20歳近く年上のヤチカの包容力のなせる業だった。
 曙中学で、何者かにパトスが殺され、トレーナーが行方不明になったこと。
 その謎を解明するために、委員会から杏里に転校の指令が来たこと。
 事件のカギを握るのが、丸尾美里というタナトスらしいこと。
 美里は女教師で、校内に隠然たる影響力を持っているらしいこと。
 きょう、転校初日で登校したのはいいが、誰も杏里に関心を向けなかったこと…。
「へえ。そんなことがあったのね」
 話し終えると、ヤチカが興味津々といった表情で、テーブルの上に身を乗り出してきた。
「パトス殺害ってのもにわかには信じがたいけど、杏里ちゃんのフェロモンが効かないってのも不思議よね」
「あの先生のせいだと思うんです」
 杏里は語気を強めた。
「まだよくわからないけれど、あの人のやり方は、タナトスとして間違ってるような気がしてならないんです」
「やり方?」
「うまく言えないんですけど、ちゃんと”浄化”してないっていうか…。だから、もしかしたら、私が学校中の浄化を、やり直す必要があるんじゃないかって思うんです…。パトス殺しの犯人を捜し出す前に」
「つまり、単純に言えば、杏里ちゃんは、その人に性的魅力で負けたのが悔しいわけね。同じタナトスとして」
 ヤチカがばっさりと切り捨てるように言った。
「誰にも注目されなくて、自信を失くしかけてる。そういうことなんでしょう?」
「そ、そんな…」
 杏里は鼻白んだ。
「そんなにはっきり、言わなくっても」
「それで、周りの注目を自分に惹きつけるにはどうしたらいいか、ずっと悩んでるってわけね?」
 ヤチカは容赦なく、杏里の気持ちを言い当ててくる。
「ええ…。だって、そうしないと、再浄化できないですから。何か、いい手はないですか?」
「服装には限界があるものね」
 杏里の制服姿を見て、ヤチカが言う。
「それ以上セクシーを追求するには、もうノーブラノーパンで登校するしかないでしょうし」
「その程度でうまくいくなら、私はそれでもかまわないんですが…。正直、効果は薄い気がします」
「そうねえ」
 考え込むヤチカ。
「杏里ちゃんの魅力を倍増する何か、ねえ」
 と、しばらくして、その目が輝いた。
「あ、そうだ。あれがいいかも」
 立ちあがった。
「ちょっと待っててね。まだ残ってるか、見てくるから」
「何ですか? 何かいい案でも?」
 杏里は思わず腰を浮かしかけた。
「ふふっ。それは、見てのお楽しみ」
 そう言い残すと、ヤチカはロビーの奥に消えていった。
 スライドカーテンで仕切られたその向こうは、ヤチカが客を特別にもてなす際に使用する秘密の空間である。
 そこで杏里は、さまざまな性具で攻められ、鏡の前で何度も絶頂に達したのだ。
 何だろう?
 期待で胸がどきどきした。
 私の魅力を倍加する何かって…。
 いったい、何なんだろう?
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