激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【虐殺編】

戸影絵麻

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第5部 慟哭のアヌビス

#18 彼女の中の炎

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 由羅の右腕は、凶器だ。
 杏里はそれを熟知していた。
 彼女は今、その右腕を振りかざそうとしている。
 あれで急所を握りつぶされたら、いくら外来種でも、命はない。
「お願い、殺さないで」
 杏里は懇願した。
「それ以上、何もしないで。秀樹君は私にまかせて」
 血にまみれた白い体を震わせ、むせび泣いた。
「秀樹君は悪くない、なんにも悪くないんだよ!」
 首の骨を折られ、秀樹は由羅の肩にぶらさがったまま、ぴくりとも動かない。
「もう少しで、あとほんの少しで、昇華できるところだったんだから」
 杏里は由羅の膝に取り縋ろうとした。
「だめだ」
 鋭く、由羅がいった。
 ただでさえきつい印象を与える眼が、今はただならぬ怒りを漲らせている。
 ここに来るまでに何かあったのか、由羅はいつになく不機嫌に見えた。
「おまえのその痣が、なによりの証拠だろう。こいつは外来種だ。うちが殺す」
「待って!」
 もう一度、杏里は叫んだ。
「秀樹君、心はまだ人間なんだよ。なのにどうして殺さなきゃならないの? 見かけが普通じゃないから? だったらそんなのおかしいよ!」
 杏里は秀樹の行動に感動すら覚えていたのだ。
 己の中の獣性をねじふせて、人間の心のまま、立ち去ろうとしていた。
 そんな強くまっすぐな心の持ち主が、こんなふうに虫けらみたいに殺されていいはずがない。
「いずれ心も怪物に乗っ取られるに決まってるさ。いいからおまえは下がってろ!」
 由羅に蹴りつけられ、杏里は無様に転がった。
「やめて・・・」
 が、もう遅かった。
 左手で秀樹をつるし上げたまま、由羅の右手が一閃した。
 ずぼっと鈍い音とともに、大量の血液が床にしたたり落ちた。
 由羅の右腕は、手首のあたりまで秀樹の胸にめり込んでいた。
「死ね」
 吐き捨てるようにいって、腕を引き出した。
 肉色の塊を握っている。
 導線のように血管を巻きつけたそれは、明らかに秀樹の心臓だった。
 そのまま、五本の指を折り曲げて、みしみしと握りつぶした。
 ミキサーで果汁を絞るように、鮮血が噴き出してくる。
 秀樹のつぶらな瞳から、急速に生気が失われていくのがわかった。
 やがてそれは、瞳孔のない白濁した水晶体にすぎなくなった。
 秀樹は、死んだのだ。

 肩に秀樹の死体、右手に潰れた心臓を提げたまま、由羅は杏里を振り返った。
「下に硫酸のたっぷり詰まった容器がある。こいつはそこに放り込んでおく。警察に聞かれたら、もみあってるうちに、自分で落ちたといえ」
 杏里の返事も聞かず、由羅は2階の床の縁に沿って反対側まで歩いていった。
 あの鉄製の浴槽みたいなものがあった辺りだった。
 先に心臓を捨てた。
 それから手すり越しに秀樹の死体を投げ落とした。
 どぼんという音がしたかと思うと、たちまちのうちに肉の焦げるような嫌な臭いが漂ってきた。
 死体が落ちた辺りから、白い煙が上がっている。
 声も出なかった。
 杏里は床にうずくまって、泣いた。
 由羅を責めるべきでないことは、理屈ではわかっていた。
 由羅は外来種ハンターなのだ。
 杏里がタナトスとして秀樹のストレスを昇華しようとしたのと同じように、由羅はただ己の任務を遂行したに過ぎないのだ。
 しかし、割り切れなかった。
 外来種って、何なの?
 どうして、見つけ次第殺さなきゃならないの?
 そうしないと、人間の種としての優位性が失われるから?
 でも、彼らも一生懸命、生きようとしてる。
 人間にも、いい人間と悪い人間がいるのなら、外来種にも、いい外来種と悪い外来種がいてもおかしくない。
 それなら、共存しようって、どうして誰も考えないの?

 ねえ、由羅。
 私たち、本当に正しいことしてる・・・?

 秀樹は、杏里の心に深い疑念を植えつけたまま、逝ってしまったのだった。
 

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