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結審
しおりを挟む「StandAloneウイルスは、普通のウイルスと同じように空気中に漂っています。ま、感染しても適合者じゃなけりゃ体内で死滅しちまうんですが。そして感染するとまず、感染者の身体構造を改造するんでさァ。そん時に、爆発的な身体能力と肉体操作能力を生み出す訳ですけど、そん時同時に脳も弄繰り回すんです。そうするとですね、記憶と思考を支配されて、元の感染者のとは違った新しい人格を形成するんでさァ」
「血文字事件の犯人も、そのSAウイルス感染者だと?」
「そうゆうことでさァ」
志津の話は突飛なものではあったが、先の実体験を顧みれば信じる外なく、また、StandAloneという聞き覚えのある単語も出てきたので、草薙は志津の話にしばらく付き合うことにした。そして、未だはっきりとしない疑問を志津に問いかける。
「しかし解せねえのは志津、テメエ自身のことなんだが…」
「焦らねえでも、順を追って説明しますよ…そもそもの話をしますと、SAウイルスが感染者に寄生し続けるには、人の細胞を摂取する必要があるんでさァ。理由は二つ、一つ目は肉体操作能力を行使する際、体内に細胞のストックが必要だから、二つ目は寄生された脳は寿命が短く、脳のスペアを外部から入手する必要があるからです。あたしがさっきの感染者を喰ったのも、同じ理由です。まあ、あたしの場合は脳のスペアは要らないので、喰うのは駆逐した感染者だけですけどね」
「なるほど、つまりお前の存在を定義するには、脳のスペアの不必要性が重要になってくるわけだな」
「要点をまとめてくれて、助かりますよ。そんで、あたしのことなんですが、あたしのような存在はほかにも複数います、そして、そういった存在をあたし達は抗体保持者という固有名詞で呼んでいます。意味するところは、食人の罪を免れた免罪人といったところでさァ…抗体保持者っていうのは、読んで字のごとく、SAウイルスに対する抗体を持っている人間のことで、適合者でありながら、脳の支配はされず、身体能力の向上と肉体操作能力の発現のみが残っているんでィ。そうして罪を逃れた代償にあたし達は、感染者を殺し、その死肉をついばむんでさァ」
「なるほどねえ、日常を救う怪物は手にかけた者を喰らうことで、存在を隠し、その同胞によって人類は今まで守られていたわけだ。ぞっとしない話だな」
そう話をまとめ、草薙は外を見る。すでに日は没し始め、橙色の空が広がっていた。
二人は店を出て、夕方の住宅街を歩いていた。周囲の家屋からは、かぐわしい晩飯の匂いが漂っている。
「…ところが、イレギュラーな存在が現れたんでさァ」
「血文字事件の犯人だな」
「ええ、本来SAウイルス感染者は存在を隠そうとするものでィ。しかし、こいつ…あたし達は”殺したがり”って呼んでますが、こいつは食人目的ではなく、むしろ人殺し自体が目的になっているんでィ。それどころか、自身の存在証明めいてもいまさァ」
「篠崎さんの勘は当たってたわけか…」
草薙は小さくつぶやく。
「その殺したがりとやらの見当はついてねえのか?」
「いるんだなァ、こいつが。ってか、案内するためにこうしてわざわざ嘘ついたりしたんでさァ」
「ふーん?俺がいる必要があるのか?」
「色々と事情がありましてね。ま、着いてきて下せェ」
そう言う志津の目は、草薙を見ているようでどこか違うものを覗き込んでいるようだった。
「こんな所に何があるんだ」
草薙が志津に連れてこられて来たのは、学習塾跡の廃ビルであった。
「人目を避けたいんでね」
そう言いながら、志津は草薙を先導して階段を上っていく。三階まで上って二人がたどり着いたのは、塾の教室の一室であった。机が乱雑に散らかった西日の差し込む教室で、志津は草薙を振り返ると唐突に語り始めた。
「草薙さん、あたしの証言、全部が嘘じゃないんですぜィ。そもそも、事件現場に通りかかったっつーのは、本当なんでさァ。あと、犯人が女だってことも。そいで、犯人を追いかけたんですがね、曲がり角一つ曲がったら見失っちまったんでさァ」
「ザルじゃねーか」
「言わねーでくだせェ。ですがねィ、あたしは鼻が利くんでさァ。そしたらね、そっくりなんでィ、犯人の匂いとね…」
志津が草薙を真っすぐに見据える。
「もったいぶんな、続きを言えや」
「へいへい…そんで、そっくりだったっつーのは、あんたでさァ…草薙さん」
草薙は今までとは別人のような表情でニヤリと微笑を浮かべていた。
つーか、ほんとに別人になっていた。
「あら、どうして気づかれたのかと思ったら、子犬ちゃんに嗅ぎ付かれていたなんてね」
草薙さんは口調どころか、声帯が変化し若い女の声になっていた。そして、全身に変化が現れる。皮膚が糸くずのようにバラバラになると、一瞬の膨張の後に、人の形に再形成される。肉体操作能力の応用、相手の操作技術の高さを確認する。変身後の草薙さんの姿は、痩身で色白、黒髪ロングの薄幸の美人、あたし達が”殺したがり”と呼ぶ存在だった。
「まさか、感染者のオリジナル人格を残したまま、別人格が共生している個体がいたなんてなァ。本人のあずかり知らぬところで、主体を失った偽物が人を喰らう。不完全な抗体保持者だったため発症する、SAウイルス感染者特有の人格障害、名付けるなら…」
「…StandAloneFake症状、とでも言ったところかしらね」
「草薙さんには悪ィが、こんな危険な個体を放っておく訳にゃあいかねェな」
相手への警戒をとかぬまま、あたしは右手に深紅の刀を形成する。血液を凝縮させた1メートルほどの日本刀、自由な形状変化を捨てる代わりに、密度の高くしたこの刀は並みの攻撃では壊せない。
「あらあら、血の気が多いのね。早死にするわよ」
そう言うや否や、”殺したがり”は両腕を爆散させる。一瞬置いて空間に再形成されたうねる触手が、あたしに襲い掛かる。二本の触手があたしの頭部を吹っ飛ばす直前に、血刀で触手を切り落とす。”殺したがり”が腕を再形成するまでの間に生まれた隙に、あたしは接近し、血刀での連撃を叩き込む。”殺したがり”は後退しながら、縦横無尽の攻撃を紙一重で回避する。あたしの中段切りを倒れるように躱した”殺したがり”は、床に転げながらあたしの顎目掛けて、蹴りを繰り出す。
「うおっと‼…コフッ」
身を反らして蹴りを躱したあたしは、背中から体を貫かれていた。蹴りはフェイントで、床から出てきた触手が、あたしの体を貫通していたのだった。無防備になったあたしは、二本の触手で肩を貫かれ天井に押さえつけられる。
「はい、おしまい。動きは悪くなかったわよ」
「グッ…」
”殺したがり”を見下ろす形になったあたしは、時間を稼ぐために会話を試みる。
「…おい、アンタは一体何がしたくて、今回の事件を起こしたんでィ。殺すだけ殺して、死体を喰いもしねェ。どういうつもりなんでィ」
「私から見れば、あなた達抗体保持者の方が、意味が分からないのよ。人を遥かに凌駕する力を持ちながら、力を隠し、チマチマ同胞を殺す…楽しくないわ、そんなの。私はね、好きなのよ…人の恐怖する表情が。とても綺麗なのよ、痛みと目前の死に対する恐怖の絶頂を迎えた、血濡れた顔…分かる?」
「生憎あたしはサディストじゃあねェんだよ…‼」
言い終わると同時に、体力を回復させたあたしは、天井を破壊し拘束から脱出する。着地すると、近くの机を蹴り飛ばし、”殺したがり”の追撃を防ぐ。そして、窓ガラスを突き破り脱出する。
少し落下したところで、近くの建物に血の糸を伸ばし飛び移る。数秒置いて”殺したがり”も追いかけてくる。
日の暮れた夜の住宅街をあたしと、数十メートル遅れて”殺したがり”が家屋の屋根の上を駆けていく。
「おっと、こいつは使えるぜィ」
ちょうど線路に通りかかった時、電車が通過したので、あたしは最後車両に飛び乗る。
電柱の上に立った”殺したがり”がじっとこちらを見つめていた。
東京都渋谷区
肉体操作で傷を塞いで応急処置をした志津は、クラクションが響き渡り、道行く人がごった返す、騒々しい夜の渋谷を歩いていた。
しばらくして、志津はスクランブル交差点に辿り着く。やがて、信号が青に変わると、千人単位の人々が一斉に動き始めた。群衆に押されるように、志津も交差点を渡り始める。
交差点の中心まで来たとき、志津は何げなく目線を上に向けた。
そのとき、志津の優れた視覚は、闇に溶けたそれを認めた。
渋谷109の特徴的な円筒状の建物の上に立っていたのは、草薙の乖離人格、”殺したがり”だった。
志津がその存在に気付いた瞬間、”殺したがり”は人混みの中心、志津を目掛けて最短距離で落下する。
寸分違わず志津に突撃した”殺したがり”は志津に馬乗りになると、一瞬で肘と膝の関節を全て破壊した。
異変に気付いた周囲の人々は、一斉に距離をとり、スクランブル交差点の中心に直径約10メートルのサークルが出来上がる。
信号も赤に変わり、周囲がざわめき始める中、志津と”殺したがり”はさながらスポットライトを向けられたように街の灯りに照らされている。
「…ッッ、テメエェ……」
「ウフフ、どうしましょうかしらね…それじゃあ、今からあなたの指を一本ずつ踏み折るわ」
「なん…ッア‼…ぎっ…ああッ‼…クッソ、がァ‼…ぎゃ……ごひゃ‼…やめッ……グアアッ…あッ、あッ、嫌だッ…イッッッッ………ぎっアッッ…うっ、アアッ……ひゃイィィッッッッ」
「あらあら、情けない顔ね…次は…っと、これをお腹に刺しましょうね」
”殺したがり”は肉体操作で作り出した三十センチメートル程の針を、志津の下腹部に近づけていく。
「やめッ、やめてください…いやダッ、‼…アアアアああああああッ…無理無理無理無リムリムリムリムリ……ィアアアア」
志津の子宮を貫いた針は、そのまま腹腔内で枝分かれし、全身を犯し始める。
「⁉‼‼…ッッッッ‼…グアアアアアアアアア……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイッタイ⁉…あッアッあっアっ、あああああああああああっッッッッッッ…しッ、死ぬ…ぎっ、アッ………………………………………………………………………………ァ、」
「あら、終わっちゃった。そうね、そろそろ潮時かしら…フフ、美しい顔…みんなに見てもらわないと……………」
遠くからは、サイレンが鳴っていた…
鬱陶しい音で草薙は目を覚ました。携帯の着信音、篠崎からだった。通話に出るといきなり怒鳴り声が聞こえてきた。
「草薙!テメエなんで電話に出ねえんだ!!さっさと支度して、特捜本部に来い‼」
「え?一体何があったんですか?」
「何、寝ぼけた言ってんだ。とんでもねぇことが起きてんだよ!お前知らないのか⁉テレビつけてみろ‼」
「は、はい」
草薙が急いでテレビをつけると、ある事件のことが報道されていた。
新たな血文字事件、渋谷のど真ん中で少女が殺されたという内容だった。
「分かったか!急いで来い‼」
「り、了解!」
草薙は慌てて自宅から飛び出していく。
部屋の中では、草薙が消し忘れたテレビが放送を続けていた。
『目撃者によると、犯人の女は警察が到着するまでの数分間、被害者の少女に残虐な行為を繰り返し、絶命の後少女の身体の一部を捕食。現場に「SAF」の血文字を残し、その後逃走したとのことで、警察は……』
「人喰いの存在が社会に認知されたことで、かつてない魔女狩り社会が訪れる…すべての人々が恐怖に陥るのよ……」
「ん?」
草薙は振り向くも、そこには誰もいない……
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