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3話 ベルリナ十二歳
しおりを挟む――Berlina side――
あの日から六年。私は十二歳になった。
今日は三ヶ月ぶりにベラード公爵様が屋敷に来られる日だ。
公爵領から王都までは、馬車で三日を要する。それに加え、ベラード公爵様はとても多忙なので、数ヶ月に一度しかお会いできない。公務の内容によっては、王都に長い間滞在する時もあるけれど、それでも彼に会えない時間はとても長く感じられ、寂しさが募る。
それに、もし私の知らない所ですてきな御令嬢に出逢って恋に落ちてしまったらと、不安に思ってしまう。今をときめく結婚適齢期の公爵様だもの。どんなに見目が悪いと言われていようと、貴族の方々がいつまでも放っておくはずがない。
キャロルにこのことを相談したら、次の日には調査書が出来上がっていた。恐る恐る目を通してみれば、今のところお見合いをしたり、恋人ができたなんて情報は無いらしく、安堵したのはつい最近のこと。
ベラード公爵様は今年二十七歳だ。そんな大人の男性が、十五も歳下の子供を相手するはずなんてない。……分かっているつもりなのに、もしかして『他の女性と仲良しにならないで』という、六歳の子供の言葉を今でも守ってくれているのではないか。そんな期待と不安が入り混じる。
「ベラード公爵様に恋人ができたらどうしよう……」
髪の毛をセットしてもらいながら、そんなことを口にすると、キャロルは興奮気味に嬉々として答えた。
「ベルリナお嬢様。心配なさらずとも、こんな美少女を知ってしまったら、他の女性などその辺の石ころ同然ですわ」
「キャロルは生まれたときから私のお世話をしてくれているから、可愛く見えるだけだと思うわ」
「いいえっ! ベルリナお嬢様は世界一可愛いです!」
「もう。大人の男性からしたら、私なんてただの子供よ。どうしたらベラード公爵様にその、す、……好きになって、もらえるのかしら……」
キャロルが生温かい目で見つめてくる。私は至って真剣なのに。
早く大人になって、彼の隣に立つに相応しい女性になりたい。そう思って、勉強だってすごく頑張っている。
なぜか数学や化学などは既に知っていることが殆どで、家庭教師の先生にも絶賛される程だ。どこで学んだのかと問われるが、遠い昔、どこかで学んだ気がするのだけれど、記憶に霞がかかったように上手く思い出せない。それに比べて、地理や歴史、淑女教育はからっきしダメ。
知るはずのないことをなぜか知っている。自分でもいつも不思議で。でもその答えは出ないまま。本当に転生者なのかもしれないけど……。お母様が異世界からの迷い人で娘が転生者なんて、そんな偶然あるのかしら。
「できましたわ」という自信に満ち溢れたキャロルの声に、ハッとする。鏡を覗き込むと、ハーフアップに結われ、いつものストレートの髪は緩く巻き毛になっていた。淡いグリーンのシンプルなデザインのワンピースに、この髪型はよく似合っている。
「わっ。この髪型だと、なんだかすごく大人っぽい気がする」
「ふふふ。ベルリナお嬢様は、ちゃんと大人のレディーに近づいていますわよ」
「本当?」
「ベルリナお嬢様。自信を持ってくださいませ。お嬢様の可愛らしさは、私が保証いたします」
キャロルは優しく微笑む。お父様にしても、キャロルや他の使用人にしても、私に対する評価が激甘過ぎる。でもこうやって甘やかされるのは嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
「キャロル、いつもありがとう。キャロルがいるから、私は頑張れるんだわ」
「ベルリナお嬢様! ああ。好きですぅぅぅ……」
プルプルと悶えるキャロルはとりあえず放置して、窓を眺めながらベラード公爵様が屋敷に訪れるのを待った。
…☆☆…
三ヶ月ぶりにお会いするベラード公爵様は、今日もとても麗しい。
ベラード公爵様はお父様とお母様との挨拶を終えると、いつも膝を突いて私を腕の中に迎え入れてくれる。彼から香る薔薇の匂いに包まれると、ドキドキするのに安心して、恥ずかしいのにもっと近づきたくなる。
彼は私を抱き上げると、ニコリと微笑む。精錬された所作。スラリと伸びた肢体。仮面の下から覗く真紅の薔薇のような瞳。彼を創造する全てがすてきに見える。
「ベルリナ。会いたかったよ。いつも可愛い手紙をありがとう」
「私もベラード公爵様にお会いしたかったです」
「そうだ。今日は君にプレゼントを持ってきたんだよ」
側仕えの男性が、大きなウサギのぬいぐるみをベラード公爵様に手渡す。
ベラード公爵様にぬいぐるみを差し出され、そっと手を伸ばすと、驚く程の触り心地の良さに、思わずギュッと抱き締める。
ぬいぐるみの顔を覗き込むと、キラキラと光輝く真紅の宝石が、瞳にはめ込まれていることに気がつく。その宝石はどう見ても、ピジョンブラッドのルビーにしか見えない。
それに。……真っ白な毛並みや鮮やかな赤い瞳は、ベラード公爵様を連想させた。
「ちょうど質の良いルビーが手に入ったから、ベルリナにあげようと思ってね」
「こんな高価な代物をありがとうございます。ちゃんと大切に、厳重に、お部屋に飾っておきますね」
「手紙で僕に逢えなくて寂しいと言っていただろう? 僕だと思って抱き締めて寝てくれたら嬉しいな」
彼に似ているとは感じていた。でもまさか本当に彼は、意図的に自分に模したぬいぐるみをプレゼントしてくれたのだろうか。
子供に向けた軽い冗談かもしれない。それなのに彼の言葉に反応し、一気に頬へと熱が集まるのを感じた。
私はどう返答して良いか分からず、ぬいぐるみに顔を埋めた。そんな私をベラード公爵様はイタズラめいた顔でクスクスと笑う。
「ミュゼ。うちの可愛い天使をからかわないでくれ」
「クラレンス卿。人聞きの悪いことを言わないでよ。ちゃんとアベルやアルフォンスにもプレゼントはあるからね」
そう言って差し出した狼のぬいぐるみは、銀色の毛並みに、瞳にはラピスラズリを使用していて、まるでお父様のようだ。
ウサギのぬいぐるみ同様、とてもフカフカで、アベルもアルフォンスも大喜びだ。でも、それ以上に食いついたのはお母様だった。
「ミュっ、ミュゼ様。私にもぜひそのぬいぐるみをプレゼントして下さい!」
「サクラ!? プレゼントなら私がいくらでも…」
「レオン様にソックリ。私も抱き枕にして寝たいです」
「それなら私をいつも抱き締めて寝るといい。むしろ、いつも私が君を抱きしめて寝ているのに、何が不満なんだ」
「それとこれとは……」
グイグイと詰め寄るお父様に、お母様は頬を染め少しずつ後ずさる。お母様は今年三十六歳、お父様は四十九歳を迎える。
お父様。お母様が大好きなのはわかります。でもそろそろ落ち着いてください。
熱々夫婦に充てられ、私もつい「私だって抱きしめて寝るなら、ウサギの公爵様よりも本物のベラード公爵様がいいわ」なんて呟いてしまって。
ベラード公爵様は虚をつかれたのか、仮面の下に覗く瞳は大きく目を見開かれていた。抱き上げられたままだから、とても視線が近い。
抱っこをされて、プレゼントがぬいぐるみなんて、子供扱いしかされていないと思ったけれど……。
私はベラード公爵様の仮面に手を掛ける。そっと仮面を外すと、その下に隠された眦は淡く染まっていた。
「つ、疲れたから今日は部屋で休ませて貰うよ」
焦ったようにそう告げると、私を腕から降ろし、ベラード公爵様は足早にこの場を後にした。残された私も恥ずかしくて堪らず、今すぐ気絶してしまいたい心境だった。
「どうしよう。破廉恥なこと言っちゃった……」
そんな二人のやり取りを、お母様とキャロルが生温かい目で見守っていたことなど、今の私には知るよしもない。
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