恐怖の巨人、嫁になる

丸井まー(旧:まー)

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38:2人の約束

ニルダがぼーっと窓の外を眺めていると、玄関が開く音がした。壁の時計へ視線を向ければ、まだ勤務時間終了の時間まで半時はある。どうやら、セベリノは早めに帰ってきちゃったらしい。
どうセベリノに話せばいいのか、全然考えがまとまっていない。予想外に早いセベリノの帰宅に、ニルダは動揺した。ニルダは少しでも落ち着こうと、庭の花に目を向けた。

バタバタと慌てた足音を立てて、セベリノが居間に飛び込んできた。普段は整えている少し癖のある髪が、ぼさっと少しだけ乱れている。よほど慌てて帰ってきたのか、セベリノは、ぜぇ、ぜぇ、と荒い息を吐いていた。通勤鞄を適当に放り投げながら、セベリノが勢いよくニルダに近づき、椅子に座るニルダの前に膝をついて、ニルダの両手をやんわりと握った。セベリノの顔を見れば、汗がダラダラ流れていて、握られた手も、セベリノの手汗でしっとりしている。本当にどれだけ急いで帰ってきたのか。
ニルダは何故だか少し可笑しくなって、小さく口角を上げた。


「ニー。体調は?ミリィの診断はどうでした?キツくないですか?ベッドで寝てなくて大丈夫ですか?昼飯は食べました?晩飯は食べられそうですか?消化のいいものをすぐに作るから、食べたらとりあえず寝てください。あ、お薬とかもらいました?」

「セーべ」

「はい」

「まずは落ち着け」

「……う、はい。いやでも、健康優良児のニーが体調崩すなんて初めてじゃないですか。ベッドで寝てなくて大丈夫なんですか?具体的にどこがどうあるんですか?」


ニルダのことを心配しているのが丸分かりなオロオロとした様子のセベリノを見下ろして、ニルダは腹を括った。まずは妊娠していることをセベリノに告げなければ、何も始まらない。
ニルダは小さく深呼吸をしてから、口を開いた。


「子供ができた」

「……へ?」

「妊娠した」


セベリノが大きく目を見開き、ピシッと固まった。その反応に、ニルダの中で不安がぶわっと広がっていく。セベリノは嬉しくないのだろうか。
暫しの沈黙の後、セベリノがバッと立ち上がり、ニルダの手をゆるい力で、でも有無を言わさぬ感じで引っ張った。


「ベッドで寝ててください。とにかく安静にしてなきゃ。あっ!ちょっと俺アルマさんに知らせてきます!!ていうか、来てもらいます!あ、職場にも知らせに行かないと。うちの親にも知らせなきゃ。ニルダさん!!」

「……あ、あぁ」

「……ありがとうございます」


セベリノの顔が泣きそうにくしゃっと歪んだ。どうやらセベリノはニルダの妊娠を喜んでくれたらしい。ニルダは、ほっとして頬をゆるめた。


「ミリィが明日、此処に来る。注意事項等を記載したものを持ってきてくれる」

「明日は俺も同席したいところですが、仕事の方を先にどうにかしてきますね。ニルダさん。貴方はどうしたいですか?」


セベリノが真っ直ぐに真剣な目でニルダを見つめてきた。ニルダは、つっかえながらも、素直に自分の気持ちをセベリノに話した。


「警邏隊を、班長を辞めたくはない。ずっと、俺なりに頑張ってきた。だが、この状態では続けられないことも分かっている。セベリノの子供を生みたい。最優先すべきはセベリノの子供だ。……警邏隊は、辞めるしかない。少なくとも、班長は退任させてもらう。……子供がある程度大きくなったら復職したいが……まぁ、そこまで都合のいいことにはならないだろう」

「まず第一に、ニルダさんには明日から特別産休に入ってもらいます。確か、『幸福の導き手』にだけ適応される産休があった筈です。妊娠が発覚した時点から、産後3年まで、産休がとれます。……『幸福の導き手』の出産は、通常の妊娠・出産よりも危険が伴いやすいからという理由での決まりだったかと記憶しています。第二に、班長を辞める必要はありません。代理を立てればいいだけの話です。貴方はご存じないかもしれませんが、貴方という存在の抑止力は、きっと貴方が思っているよりも大きいんです。『恐怖の巨人』という存在が、警邏隊に齎しいている益は存外大きい。この街の規模にしては、ガランドラは治安がいいでしょう?昔はもっと治安が悪い所が多かった。それだけ、『恐怖の巨人』の抑止力は大きいんですよ。貴方は、警邏隊に必要な人間なんです」

「…………」

「多分、ニーが辞めるって言ったら、上層部がめちゃくちゃ引き止めにかかると思いますよ。俺も合わせて長期休暇をとりたいところなんですけど、それは班長代理に誰がなるか次第になるかと思います。もし、子供のことで仕事を辞めなければいけないという状況になった場合は、俺が仕事を辞めて専業主夫をします。俺の代わりはいくらでもいる。でも、貴方の、警邏隊の大きな抑止力である『恐怖の巨人』の代わりなんていない」

「……セーベ」

「貴方は本当に優秀な警邏隊員で、立派な班長なんです。貴方自身が、もう警邏隊で働きたくないというのであれば、俺は止めません。むしろ、喜んで、ゆっくり子育てしてもらいます。勿論、俺も一緒にやりますけど。でも、少しでも貴方が警邏隊で働きたいと思うのであれば、俺は全力でそうできるようにします。俺はニー個人のことを愛してます。同時に、警邏隊のニルダ班長のことも敬愛しています。ニルダ班長は俺の誇りなんです。年末年始は本気でちょっと腹立つくらい、優秀な班長なんです。俺は、俺は貴方に自分がやり続けたいことを諦めてほしくない」

「……いいのか。本当に。子供を産んだ後も仕事をして」

「勿論です。保育所に預けたり、子守を雇えばいいだけの話です。俺達、一応それなりに給料貰ってるし、貯金もあるから大丈夫です。あっ。規定の産後3年はちゃんと休んでくださいよ。身体をしっかりと休めなきゃ。臨月前から少なくとも1年は、俺も長期休暇をもぎ取ってみせます。子供も大事ですけど、何よりも貴方の身体が大事なんです。……本当は同じだけ長期休暇を取りたいんですけど。ダメ元で交渉をしてみます。ていうか、俺の班長はニーだけですし、ニーが休むなら、俺も休みたい」

「セーベ」

「はい」

「……ありがとう」


ニルダはぐっと眉間に力を入れて、なんとか泣きそうになるのを堪えた。セベリノがニルダの妊娠を喜んでくれたのは勿論嬉しいが、ここまでニルダのことを班長として評価してくれていた事が、泣きたくなる程嬉しかった。
立ち上がっていたセベリノがすとんとしゃがみ、握ったままのニルダの手を、ぎゅっと強く握りしめた。


「ニー。これからが大変です。貴方も身体の変化に戸惑ったり、キツい思いをすることになります。1人で我慢しないで、絶対に俺に言ってください。俺は貴方の代わりなんてできない。でも、少しでも共有することはできる筈です。妊娠も出産も、常に死と隣り合わせの事だと、死んだじいちゃんが言ってました。じいちゃんの妹は出産の時に亡くなったそうです。貴方が俺の子供を産んでくれることは本当に、本当に嬉しい。でも、貴方の身体が危険と紙一重の状態が続くのも事実なんです。明日は朝一で上司に事情を話して帰って、ミリィの話を一緒に聞きます。俺にも必要な知識です。貴方の身体は貴方だけのものじゃない。俺にとっても、本当に本当に大事なんです。生まれてきてくれる新しい生命にとっても」

「……あぁ」

「ニー」

「ん」

「頑張りましょう。ずっと2人で一緒に」

「ん」

「約束ですからね。1人で我慢したり無茶したら、俺本気で泣きますから。27歳児の本気泣きを披露しますからね」

「分かった」


ニルダはセベリノの手を握り返して、小さく笑った。ニルダの夫は実に頼りになる優しい男だ。
ニルダはセベリノと手を繋いでソファーに移動し、とりあえず、今日ミレーラから聞いた話をセベリノに話して聞かせた。セベリノはメモを取りながら、真剣な顔で聞いてくれた。
仕事に関する今後の話も少しだけして、セベリノはニルダの唇に優しいキスをしてから夕食を作りに台所へ向かった。
ニルダはセベリノを見送って、一つ二つ涙を溢した。
ニルダに家族が増えて嬉しい。セベリノが受け入れて喜んでくれて嬉しい。仕事もちゃんとニルダの頑張りを評価してくれていたことが嬉しい。
嬉しくて泣くなんて、生まれて初めてかもしれない。
ニルダはそっと涙を指で拭き取り、まだ膨らみのない下腹部を優しく撫でた。







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ニルダの妊娠の知らせは、警邏隊にとてつもなく衝撃を与えた。わざわざ家に警邏隊隊長が来たくらいだ。ちょうどミレーラもいたので、ミレーラからも説明をしてもらい、ニルダはその日から特別産休に入った。仕事の引き継ぎはセベリノに任せれば大丈夫である。セベリノも引き継ぎが終わった後は長期休暇が欲しいと警邏隊隊長にお願いしていたが、そちらは渋い顔をされた。セベリノの長期休暇は、何事もなければ、臨月前から1年間が限度だそうだ。
ニルダの後任の班長代理は、アベラルドに決まりそうだ。アベラルドは別の町でだが、班長をしていた経験がある。セベリノが補佐をすれば大丈夫だろうということで、アベラルドが選ばれたのだろう。
アベラルドの仕事が忙しくなると聞いて、ミレーラが少しむくれていたが、セベリノがちゃんと定期的に休みを取らせると確約したので、ミレーラの機嫌はすぐになおった。
ニルダとしても、アベラルドが代理をしてくれるのであれば安心である。ニルダの班は荒っぽい現場に出ることが多い。アベラルド程の腕前なら、自身も、ついでにセベリノもちゃんと守れるだろう。

警邏隊隊長が帰り、ミレーラも帰った後、ニルダはセベリノとソファーに並んで座り、2人で改めて注意事項等が書かれた冊子を読んでいた。
酒も珈琲も駄目というのは地味に辛い。あと激しい運動も駄目なのだそうだ。日課の鍛錬ができなくなるのも辛い。長時間の庭弄りや力仕事も駄目。セックスも完全に安定期に入るまでは駄目だし、セックスができる時期になっても、中で出すのは駄目、激しくするのも駄目なのだそうだ。他にも控えた方がいい食べ物等もあり、駄目な事ばかりだ。早くも少しだけうんざりしてしまう。
冊子を読み終えて、小さく溜め息を吐いたニルダの肩に、セベリノがとんっと軽く頭をのせ、ニルダの手をやんわりと握った。


「思っていた以上に気をつけなきゃいけないことが多いですね」

「あぁ」

「ニーが好きなことが殆どできなくなるじゃないですか。どうやってストレス発散します?」

「……分からない」

「もう既にうんざりしてるでしょ」

「あぁ」

「……ちょっとイチャイチャします?本番はなしで、触って舐めるだけ」

「……する」

「俺とイチャイチャしまくってストレス発散しましょうよ」

「あぁ」


セベリノが笑ってニルダの頬にキスをしたので、ニルダもつられて小さく笑い、セベリノの下唇に優しく噛みついて、ちゅくっと小さな音を立てて吸った。
ニルダが普段やっている事が殆どできなくなる。仕方がないのだが、ストレスがものすごく溜まるのは目に見えている。セベリノとイチャイチャしまくって発散するしかない。本番ができないのも地味なストレスだが、仕方がない。ニルダは激しくしない自信がないし、多分それはセベリノもだ。
暫くはセックス本番はお預けである。その代わり、とことんイチャイチャしまくる。
ニルダはソファーの上でセベリノと抱きしめあって、味わうようなじっくりとしたキスを楽しんだ。

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