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笑顔で寄り添って
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ハンスは長年大事にしていた本を何冊も重ねて紐で括った。周りを見渡せば、何十年もかけて買い集めた本がまだまだ沢山ある。
腰に負担がかからない重さに紐で括った本を両手に持つと、家を出て、馴染みの古書店へと向かった。
ハンスは街の役所を六十歳で定年退職して二年になる。ずっと独り身だったし、兄は遠方の小さな町のワイン農家に婿入りしたので、両親を見送ってからは一人になった。
ハンスは男しか愛せない。そのことをずっと隠して生きてきた。同性愛は禁じられているわけではないが、かなり少数派なので、奇異な目や白い目で見られやすいし、結婚はできない。ハンスには堂々と男の恋人をつくる勇気はなかった。両親にすら、男しか愛せないことを告げなかった。仕事と本が恋人なのだと笑って誤魔化していた。
春先に心臓の痛みで倒れた。なんとか一命は取り留めたが、心臓が弱っていて、あと数年ほどしか生きられないと医者から言われた。
ハンスは退院すると、自分が死んだ時のために家の中のものを処分し始めた。
なんとなくとっておいた若い頃に着ていた服から始め、使わなくなった道具や壊れてそのままにしていた魔導製品、両親の遺品の整理、そして書斎に置いている大量の本の処分。去年あたりから腰が痛くなりやすくなってしまったから、一度に多くの本は運べない。ハンスは毎日少しずつ馴染みの古書店へと足を運んで、大切にしていた本を売っていた。
長年通っている古書店の中に入ると、カウンターに座っている老爺が穏やかな笑みを浮かべた。口髭と顎髭を生やしている同年代の男だ。
ハンスは両手に持っていた本をカウンターに置くと、ふぅと息を吐き、少しずれていた眼鏡をくいっと上げた。
「やぁ。ハンス。今日もお疲れ様」
「ありがとう。リチャード。買い取りを頼むよ」
「今日の本も全部状態がいいなぁ。これなんて今では希少本じゃないか。ハンス。本当に買い取ってもいいのかい? これだけ状態がいいんだ。とても大切にしていたのだろう?」
「僕は独り身だからね。死んだ後に変な店で雑に扱われるよりも、ちゃんと信頼できる君の店で本を求める人の手に渡って欲しいんだ」
「そうかい。毎日毎日大変だろう? 明後日は店休日なんだ。甥っ子を連れて出張買い取りに行くのはどうだろう」
「それをしてもらえるのなら本当にとても助かるなぁ。長年かけて集めた本が多すぎて、ちょっと困っているんだ」
「今は本を読まないのかい?」
「読みたい本は図書館で借りて読むようにしているよ。家にある本を読むと、どうしても手放したくなくなっちゃうからね」
「なるほど。じゃあ、明後日の午前のお茶の時間に家に伺うよ」
「ありがとう。あ、住所を書くね」
「うん。目印になるものはある?」
「隣がパン屋さんなんだ。黄色い看板が目立つから、分かりやすいと思うよ」
「ちなみに、荷車がどれくらい必要になるかな?」
「さぁ? 積んでみないと分からないかな」
「君の家はお宝の宝庫だろうね」
目の前の老爺リチャードが楽しそうに笑った。
ハンスは売った本の代金を受け取ると古書店から出た。年甲斐もなく胸が高鳴っている。ハンスはもう十年近くリチャードに淡い恋心を抱いている。
切っ掛けはもう覚えていない。古書店の店主が代替わりする前から常連だった。リチャードとも代替わり前から顔見知りで、三十年ほど前に代替わりしてからは、本を買う時にぽつぽつと喋るようになった。いつもちょっとした世間話や本の話ばかりだったが、リチャードとの短い他愛のないお喋りが本当に楽しくて、本の品揃えのよさもあって、ずっとリチャードの古書店へ通っていた。
気づけば六十歳を過ぎた。この歳で恋が実るわけもない。ただ、このまま一人で死んでいくのも寂しい気がする。最後に少しだけ勇気を出してみようか。リチャードもずっと独り身だった。それもあって、なんとなく気が合っていたところもある。
もし、リチャードに告白をして、『気持ちが悪い』と白い目で見られてしまったら、その時はその時だ。疎遠になってしまうかもしれないが、諦めるしかない。
あと数年の命なのだ。最後に今までできなかったことに挑戦してみてもいい筈だ。
ハンスはどうやってリチャードに告白をしようかと考えながら、前を向いて軽やかな足取りで家へと帰った。
ーーーーーー
リチャードが甥っ子を連れてハンスの自宅に来る日がやって来た。
約束の時間ギリギリまで、書斎以外の部屋の掃除をひたすらしていた。元々そんなに散らかっていなかったのだが、少しでもリチャードにいい印象を与えたい。
ハンスはそわそわしながらリチャードの訪れを待ち、玄関の呼び鈴が鳴るといそいそと玄関に向かった。
リチャードと古書店の跡継ぎだという甥っ子フレッドを書斎に案内すると、二人揃って小さく歓声を上げた。
書斎は本がびっしり詰まった本棚しかない。どれだけの数の本があるのかは、ハンス自身も把握していない。
リチャードが楽しそうに笑って話しかけてきた。
「ハンス。すごいな。どれも状態がいいのは見なくても分かるよ。本当に素敵な書斎だ。どの本も大切にされてきたのが分かる。紙とインクの匂いが最高だね」
「ありがとう。運べるだけ運んでくれるかな」
「うん。フレッド。これだけ質のいい本ばかりなんだ。丁寧に扱うんだよ」
「分かってるよ。叔父さん」
リチャードとフレッドが手袋を着け、本棚から本を取り出し始めた。『こんなに希少本がある! 絶版本も多いな!』とリチャードがとても楽しそうにしている。ずっと大切にしていた本を丁寧に扱ってもらえて嬉しい。
査定をして買い取りリストを作成しながらの作業になった。一日ではとても終わらないので、次の店休日にも出張買い取りをしに来てくれることになった。
荷車にきれいな布を敷き、その上に本を丁寧に置いて、上からきれいな布をかけてから、リチャードとフレッドは笑顔で荷車を押して帰って行った。
二人を見送った後で、リチャードを飲みに誘えばよかったと思いついたが、それは今度でもいいだろう。まだまだ本はたくさんある。何度も家に来てくれるので、誘う機会はいくらでもあるだろう。
ハンスは少し数が減った本棚を眺めて、寂しい思いと共に、最後の挑戦にワクワクした。
庭に干していた洗濯物を取り込んでいると、道の方から名前を呼ばれた。聞き慣れた声にドキッと心臓が高鳴る。
洗濯物を持ったまま道の方へ行けば、リチャードがいた。
リチャードが穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「やぁ。ハンス。よかったら飲みに行かないかい? 今日はいいものばかりを見せてもらえて気分がいいんだ。よかったら付き合って欲しいな」
「喜んで。誘ってくれてありがとう。リチャード。でも、あんなに重労働した後なのに大丈夫なのかい?」
「慣れているからね。僕の馴染みの店でよかったら案内するよ。ワインは好きかな? ワインの品揃えがいい店なんだ」
「ワインは大好物だよ。ちょっと待ってて。洗濯物を置いてくるよ。あ、居間で待っていてくれるかな。散らかっているけど」
「ありがとう。急に来たのに悪いね」
「いや。本当にすごく嬉しい」
ハンスは本当に嬉しくて、はにかんで笑った。
リチャードを居間に案内してから、急いで残りの洗濯物を取り込み、居間で手早く畳んだ。
バタバタと出かける準備をして、リチャードと一緒に家を出る。楽な部屋着に着替えていなくてよかった。流石によれよれのシャツやゆるいズボン姿をリチャードに見られたくはない。今日はリチャードが来るからと、自分なりに精一杯お洒落していた。
リチャードと他愛のないお喋りをしながら歩いて向かった店は、小洒落た雰囲気の店だった。やはりお洒落しておいてよかった。
店内は落ち着いた雰囲気で、リチャードが慣れたように二人がけのテーブル席に座り、置いてあったメニュー表を差し出してきた。
「ここは魚料理が美味しくてね。僕のオススメはワイン煮込みかな。香草がすごく香りがよくて美味しいよ」
「じゃあ、それで。料理に合うワインを選んでもらってもいいかな」
「もちろん! 海老のオイル煮も頼もうか。ワインにもパンにも合うんだ」
「リチャードはワインに詳しいのかい?」
「好きなだけで、そこまで詳しくはないかな。お高いワインには手が出せないしね。お手頃価格で美味しいワインを探すのが好きなんだ。この店は色んなワインを置いていて、値段も良心的なんだよ。料理も美味しいしね」
「なるほど。楽しみだな」
「期待していてよ。きっと君も気に入ってくれると思うよ」
近くに来た店員にリチャードが注文する様子を眺める。なんだか夢みたいだ。リチャードと一緒に食事を楽しめるだなんて。まるでデートみたいだなと思って、ハンスはじんわり熱くなった頬を誤魔化すように笑顔でリチャードに話しかけた。
運ばれてきた料理もワインも本当にすごく美味しかった。リチャードとたくさん本の話をして、とても楽しくて幸せな時間だった。
そこそこ遅い時間までのんびりワインを楽しむと、ハンスはご機嫌に会計をしてからリチャードと店を出た。
ふわふわとした心地よい酔いに気が大きくなっているハンスは、ほんのり顔が赤くなっているリチャードに声をかけた。
「リチャード。ちょっと飲み足りないから、よかったら僕の家で飲まないかい? とっておきのワインを出すよ。頂き物なんだけど、一人で飲むには勿体ないやつでね。一緒に飲んでくれると嬉しいな」
「それは是非とも。まだお喋りもしたいしね。お邪魔するよ」
「ありがとう。お気に入りのチーズも出すよ。きっとワインに合うと思う」
「ははっ。いいね。早速君の家に行こう」
ハンスは嬉しくてだらしなく笑った。リチャードとお喋りしながら家へと向かい、いそいそと台所へ行って、とっておきのワインとチーズ、ワイングラスを用意した。
居間のソファーに向かい合って座り、ワイングラスにワインを注ぐ。乾杯をしてからワインを口に含んだ。芳醇な香りが鼻に抜け、心地よい甘みが口の中に広がる。
一口飲んだリチャードがパァッと笑顔になった。
「これは美味しいな。銘柄を見せてくれるかな?」
「はい。どうぞ」
「へぇー。僕は知らない銘柄だ」
「遠方に住んでいる兄が作っているワインでね。退職祝いに送ってくれたんだ。特に出来がよかった年のものなんだって」
「王都では売ってないのかい?」
「残念ながらね。基本的には地元でしか手に入らないものなんだ」
「それは残念。あ、そうだ。ハンス。もしよかったら、君のお兄さんが住んでいる所へ旅行に行かないかい? そろそろ引退を考えていてね。君の本の買い取りまでしたら、フレッドに跡を継がせようと思っているんだ」
「いいね! 僕も兄さんの結婚式の時にしか行っていないから、久しぶりに兄さんの顔が見たいし。王都からなら乗り合い馬車で二週間ちょっとかかるけど大丈夫かい?」
「きっと大丈夫だよ。あ、魔導撮影機を持っていかなきゃ。王都から出たことがないからね。せっかくの旅行の記念を残したいな。君の家の本を全て買い取ったら旅行に行こう」
「うん。兄さんに手紙を書いておくよ」
「よろしく。ふふっ。ずっと仕事ばかりしていたから、なんだか老後の楽しみって感じでいいね」
「そうだね。僕も旅行は兄さんの結婚式の時にしただけだから、本当にすごく楽しみだ」
「葡萄畑が見てみたいなぁ」
「秋頃に行くかい? 多分その頃には買い取りも終わっているだろうから」
「うん。そのつもりで準備をしておくよ」
リチャードと一緒に旅行に行けるだなんて、嬉しくて舞い上がりそうだ。ハンスはニコニコ笑いながら、リチャードとのんびりワインとお喋りを楽しみ、夜遅くに帰っていくリチャードを見送った。
ーーーーーー
季節はすっかり秋になった。
ハンスはパンパンに膨れた鞄を片手に、リチャードと一緒に乗り合い馬車へと乗り込んだ。
リチャードは甥のフレッドに跡を継がせたばかりだ。お互いに年甲斐もなくワクワクしている。
王都を出て、馬車の窓から見える景色を眺めながらお喋りを楽しむ。どんどん景色が流れていく様子を見るのは新鮮で楽しい。リチャードも一緒だから二倍楽しい。
ハンスは浮かれてニコニコ笑いながら、リチャードとの会話を心底楽しんだ。
約二週間かけて兄が住む小さな町へ到着した。地味に腰と尻が痛むのだが、それも旅行の醍醐味の一つだと考えると、そう悪くはない。
リチャードがはしゃいだ様子で鞄から魔導撮影機を取り出した。
「ハンス。記念に一枚撮ろう。近寄って近寄って」
「い、いいよ。魔導撮影機で写真を撮るなんていつぶりだろう」
「ははっ! 旅先ではいっぱい撮ろう! 二人の思い出に」
「うん!」
ハンスはリチャードに寄り添って、リチャードが持つ魔導撮影機を見ながら笑みを浮かべた。なんだかすごく照れくさいが、嬉しくてドキドキする。
魔導撮影機のスイッチを押したリチャードが、魔導撮影機から出てきた一枚の写真を見せてきた。渋い赤色のマフラーを巻いたリチャードの笑みと、濃い緑色のマフラーを巻いたハンスのちょっと照れたような笑みが写っている。
ここ最近早くも冷え始めたから、前の村で二人ともマフラーを買ったばかりだ。
「ふふっ。ちょっと照れくさいな。僕ってこんなにお爺ちゃんになってたんだ」
「ははっ。すごくいい笑顔だよ。ハンス。大切に保管して持って帰らなきゃ」
「宿に荷物を置いたら、兄の家に案内するよ。手紙を送ったら、大歓迎だって返事が来てね。今が葡萄の収穫期だから、葡萄の収穫体験をさせてもらえるって」
「それは最高だ。楽しみだなぁ。ははっ。すっごくワクワクしてる」
「僕もだよ。なんだかちょっとしたことでも楽しいねぇ。旅行って」
「ハンスと一緒だから二倍楽しいかな」
「……僕もリチャードと一緒だから本当に楽しいよ」
リチャードがさらりと言った言葉が嬉しくて、心臓がドキドキと高鳴る。顔が赤くなっていないといいのだが。
ハンスはじんわり熱い顔を隠すようにマフラーに鼻先を埋め、宿屋へと向かった。
兄の家に行けば、記憶にあるよりも随分と歳をとった兄にとても大歓迎された。ずっと手紙のやり取りをしていたが、実際に会うのは二十年ぶりくらいだ。最後に会ったのは、相次いで病気で亡くなった両親の葬儀の時だった。
古いが暖かみのある家の中に招かれて、兄嫁や息子夫婦、孫達からも歓迎された。素朴だが美味しい昼食をご馳走になると、葡萄の収穫体験をさせてもらえることになった。
兄と楽しそうに笑いながら話すリチャードをチラッと見て、ハンスは胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
葡萄の収穫体験をさせてもらって、今年できたばかりのワインを貰ってから宿屋に引き上げた。
宿屋の共同風呂でのんびり疲れを癒やし、一階の食堂で夕食とワインを楽しんだ。
宿の者に頼んでワイングラスだけを借りて部屋に引き上げると、ハンスは兄から貰ったワインをグラスに注ぎ、ご機嫌なリチャードと乾杯をした。
ワインを飲んだリチャードがパァッと笑顔になり、楽しそうに笑った。
「二週間かけて来た甲斐があるなぁ。本当に美味しい。前に飲ませてもらったものもすごく美味しかったけど、新鮮な若いワインも本当に美味しいね」
「うん。こんなに美味しいワインを普段から飲めるなんて、この町の人が羨ましいよ。葡萄の収穫も楽しかったね」
「本当に! すごく新鮮だったよ。ハンス。ハンスさえよければ、この町以外にも一緒に旅行に行かないかい? 道中もすごく楽しかったし、君との思い出を増やしたいんだ」
「僕もリチャードと旅行するのが楽しいから大歓迎だよ。お金には困っていないし、二人で色んな所に行ってみようか。今度は海が見てみたいな。本の挿絵で見たことしかないから」
「海! いいね。次は海が見える町に行こう。……あー……ハンス」
「なんだい?」
「その……気持ち悪いと思われるかもしれないけど、思い切って言うよ。僕はハンスのことが好きなんだ。残りの人生を共に歩みたいと思っていて……」
ハンスは驚いて間抜けにぽかんと口を開けた。何を言われたのか一瞬理解できず、リチャードの言葉の意味を理解してからは一気に顔が熱くなり、心臓がバクバク激しく高鳴り出した。
「ぼっ! 僕もリチャードのことが好きで! あ、その……君と一緒に笑って寄り添っていたい。別れの瞬間まで、ずっと一緒にいたい」
「ハンス。受け入れてくれてありがとう。無理はしていない?」
「全くしてないよ! あの、元々僕は男しか愛せない方で……その! リチャードのこと、ずっと好きだったんだ」
「ははっ。同じだ。僕も男しか愛せない。それに、君に恋をしてもう十五年以上だよ。あー……手を握ってもいいかな?」
「ど、どうぞ」
「……すごく心臓がバクバクしてる。僕」
「あはっ。僕もだよ。リチャードの手は温かいね」
「君の手も温かいよ。あ、記念に一枚撮らないかい? 恋人になった記念とこれからの二人の旅路が始まる記念」
「いいね! あ、寝間着に着替えちゃってるけどいいかな」
「いいよ。自然体で写真を撮ろう」
「うん」
ハンスはベッドに腰掛けているリチャードの隣に移動した。リチャードが魔導撮影機を取り出し、ハンスの肩を抱いた。ドキッと心臓が高鳴る。ハンスはリチャードに寄り添って、魔導撮影機を見ながら満面の笑みを浮かべた。
魔導撮影機から出てきた写真を見て、ハンスはふふっと笑った。
「髭のお爺ちゃん二人の写真って、ちょっとおかしいね」
「そうかな? 君は髭がよく似合っていて本当に素敵だよ」
「ありがとう。君もずっと素敵だよ。若い頃も、もちろん今も」
「ははっ。なんだか照れくさくなってきたよ」
「僕もだよ。……もしよかったら、今夜は一緒に寝る?」
「喜んで!」
ハンスの提案にリチャードが満面の笑みで頷いた。
ワインを飲みきってから、一緒にベッドにくっついて横になる。リチャードに名前を呼ばれてリチャードの方を向けば、触れるだけのキスをしてくれた。顔が一気に熱くなる。
リチャードが照れたように笑いながら、ハンスの手を握った。
「明日は何をして過ごそうか」
「ワイン作りの見学ができたら、見学させてもらうのはどうかな」
「いいねぇ。すごく楽しそうだ」
「リチャード。いっぱい思い出を作ろう。二人で」
「うん。二人で残りの人生を楽しみきっちゃおう」
「二人ならきっと何処に行っても楽しいよ」
「そうだね。ははっ。ドキドキワクワクしちゃって寝れる気がしないや」
「ふふっ。僕も。眠くなるまでお喋りする?」
「うん。もっと君のことを教えてよ」
「うん。僕もリチャードのことがもっと知りたい」
ハンスはもぞもぞと寝返りを打ち、同じく寝返りを打ったリチャードと向かい合った。手を繋いで、今まで話したことがないことを含めて二人でこそこそ喋って、小さく笑いあった。
胸の中に広がる温かくて優しい幸せに、ハンスは穏やかに笑って、リチャードと共に眠りに落ちた。
ーーーーーー
ハンスはたくさんの写真を貼ってあるアルバムを眺めて、穏やかな笑みを浮かべた。どの写真を見ても、ハンスとリチャードの笑顔しかない。旅先の思い出を思い出しながらアルバムを眺めていると、マグカップを両手に持ったリチャードがやって来て、ハンスのすぐ隣に座った。
お礼を言って温かいミルクを受け取ると、リチャードがハンスの太腿の上のアルバムを見て、楽しそうに笑った。
「これは『剣の街』に行った時のものだね」
「うん。鍛冶屋が本当にたくさんあって新鮮だったよね」
「あと蒸留酒が美味しかった」
「そうそう。そろそろ次の旅行の計画を立てるかい?」
「いいね。図書館で旅行記を借りて、面白そうな所を探してみよう」
「うん。……僕は君の笑顔が一番好きだなぁ」
「どうしたんだい? 急に。僕もハンスの笑顔が大好きだけど」
「なんとなくかな。……どちらが先に逝っても、お互いに笑って見送りたいね」
「うん。それまでにもっともっと思い出と写真を増やしていこう。二人で過ごした記憶を大切にとっておけるように」
「うん! リチャード。君が好きだよ」
「僕もハンスが大好きだよ」
リチャードが唇に触れるだけのキスをしてくれた。お互いの口髭が触れ合って、少し擽ったい。
ハンスはリチャードと見つめ合って、穏やかに笑った。
(おしまい)
腰に負担がかからない重さに紐で括った本を両手に持つと、家を出て、馴染みの古書店へと向かった。
ハンスは街の役所を六十歳で定年退職して二年になる。ずっと独り身だったし、兄は遠方の小さな町のワイン農家に婿入りしたので、両親を見送ってからは一人になった。
ハンスは男しか愛せない。そのことをずっと隠して生きてきた。同性愛は禁じられているわけではないが、かなり少数派なので、奇異な目や白い目で見られやすいし、結婚はできない。ハンスには堂々と男の恋人をつくる勇気はなかった。両親にすら、男しか愛せないことを告げなかった。仕事と本が恋人なのだと笑って誤魔化していた。
春先に心臓の痛みで倒れた。なんとか一命は取り留めたが、心臓が弱っていて、あと数年ほどしか生きられないと医者から言われた。
ハンスは退院すると、自分が死んだ時のために家の中のものを処分し始めた。
なんとなくとっておいた若い頃に着ていた服から始め、使わなくなった道具や壊れてそのままにしていた魔導製品、両親の遺品の整理、そして書斎に置いている大量の本の処分。去年あたりから腰が痛くなりやすくなってしまったから、一度に多くの本は運べない。ハンスは毎日少しずつ馴染みの古書店へと足を運んで、大切にしていた本を売っていた。
長年通っている古書店の中に入ると、カウンターに座っている老爺が穏やかな笑みを浮かべた。口髭と顎髭を生やしている同年代の男だ。
ハンスは両手に持っていた本をカウンターに置くと、ふぅと息を吐き、少しずれていた眼鏡をくいっと上げた。
「やぁ。ハンス。今日もお疲れ様」
「ありがとう。リチャード。買い取りを頼むよ」
「今日の本も全部状態がいいなぁ。これなんて今では希少本じゃないか。ハンス。本当に買い取ってもいいのかい? これだけ状態がいいんだ。とても大切にしていたのだろう?」
「僕は独り身だからね。死んだ後に変な店で雑に扱われるよりも、ちゃんと信頼できる君の店で本を求める人の手に渡って欲しいんだ」
「そうかい。毎日毎日大変だろう? 明後日は店休日なんだ。甥っ子を連れて出張買い取りに行くのはどうだろう」
「それをしてもらえるのなら本当にとても助かるなぁ。長年かけて集めた本が多すぎて、ちょっと困っているんだ」
「今は本を読まないのかい?」
「読みたい本は図書館で借りて読むようにしているよ。家にある本を読むと、どうしても手放したくなくなっちゃうからね」
「なるほど。じゃあ、明後日の午前のお茶の時間に家に伺うよ」
「ありがとう。あ、住所を書くね」
「うん。目印になるものはある?」
「隣がパン屋さんなんだ。黄色い看板が目立つから、分かりやすいと思うよ」
「ちなみに、荷車がどれくらい必要になるかな?」
「さぁ? 積んでみないと分からないかな」
「君の家はお宝の宝庫だろうね」
目の前の老爺リチャードが楽しそうに笑った。
ハンスは売った本の代金を受け取ると古書店から出た。年甲斐もなく胸が高鳴っている。ハンスはもう十年近くリチャードに淡い恋心を抱いている。
切っ掛けはもう覚えていない。古書店の店主が代替わりする前から常連だった。リチャードとも代替わり前から顔見知りで、三十年ほど前に代替わりしてからは、本を買う時にぽつぽつと喋るようになった。いつもちょっとした世間話や本の話ばかりだったが、リチャードとの短い他愛のないお喋りが本当に楽しくて、本の品揃えのよさもあって、ずっとリチャードの古書店へ通っていた。
気づけば六十歳を過ぎた。この歳で恋が実るわけもない。ただ、このまま一人で死んでいくのも寂しい気がする。最後に少しだけ勇気を出してみようか。リチャードもずっと独り身だった。それもあって、なんとなく気が合っていたところもある。
もし、リチャードに告白をして、『気持ちが悪い』と白い目で見られてしまったら、その時はその時だ。疎遠になってしまうかもしれないが、諦めるしかない。
あと数年の命なのだ。最後に今までできなかったことに挑戦してみてもいい筈だ。
ハンスはどうやってリチャードに告白をしようかと考えながら、前を向いて軽やかな足取りで家へと帰った。
ーーーーーー
リチャードが甥っ子を連れてハンスの自宅に来る日がやって来た。
約束の時間ギリギリまで、書斎以外の部屋の掃除をひたすらしていた。元々そんなに散らかっていなかったのだが、少しでもリチャードにいい印象を与えたい。
ハンスはそわそわしながらリチャードの訪れを待ち、玄関の呼び鈴が鳴るといそいそと玄関に向かった。
リチャードと古書店の跡継ぎだという甥っ子フレッドを書斎に案内すると、二人揃って小さく歓声を上げた。
書斎は本がびっしり詰まった本棚しかない。どれだけの数の本があるのかは、ハンス自身も把握していない。
リチャードが楽しそうに笑って話しかけてきた。
「ハンス。すごいな。どれも状態がいいのは見なくても分かるよ。本当に素敵な書斎だ。どの本も大切にされてきたのが分かる。紙とインクの匂いが最高だね」
「ありがとう。運べるだけ運んでくれるかな」
「うん。フレッド。これだけ質のいい本ばかりなんだ。丁寧に扱うんだよ」
「分かってるよ。叔父さん」
リチャードとフレッドが手袋を着け、本棚から本を取り出し始めた。『こんなに希少本がある! 絶版本も多いな!』とリチャードがとても楽しそうにしている。ずっと大切にしていた本を丁寧に扱ってもらえて嬉しい。
査定をして買い取りリストを作成しながらの作業になった。一日ではとても終わらないので、次の店休日にも出張買い取りをしに来てくれることになった。
荷車にきれいな布を敷き、その上に本を丁寧に置いて、上からきれいな布をかけてから、リチャードとフレッドは笑顔で荷車を押して帰って行った。
二人を見送った後で、リチャードを飲みに誘えばよかったと思いついたが、それは今度でもいいだろう。まだまだ本はたくさんある。何度も家に来てくれるので、誘う機会はいくらでもあるだろう。
ハンスは少し数が減った本棚を眺めて、寂しい思いと共に、最後の挑戦にワクワクした。
庭に干していた洗濯物を取り込んでいると、道の方から名前を呼ばれた。聞き慣れた声にドキッと心臓が高鳴る。
洗濯物を持ったまま道の方へ行けば、リチャードがいた。
リチャードが穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「やぁ。ハンス。よかったら飲みに行かないかい? 今日はいいものばかりを見せてもらえて気分がいいんだ。よかったら付き合って欲しいな」
「喜んで。誘ってくれてありがとう。リチャード。でも、あんなに重労働した後なのに大丈夫なのかい?」
「慣れているからね。僕の馴染みの店でよかったら案内するよ。ワインは好きかな? ワインの品揃えがいい店なんだ」
「ワインは大好物だよ。ちょっと待ってて。洗濯物を置いてくるよ。あ、居間で待っていてくれるかな。散らかっているけど」
「ありがとう。急に来たのに悪いね」
「いや。本当にすごく嬉しい」
ハンスは本当に嬉しくて、はにかんで笑った。
リチャードを居間に案内してから、急いで残りの洗濯物を取り込み、居間で手早く畳んだ。
バタバタと出かける準備をして、リチャードと一緒に家を出る。楽な部屋着に着替えていなくてよかった。流石によれよれのシャツやゆるいズボン姿をリチャードに見られたくはない。今日はリチャードが来るからと、自分なりに精一杯お洒落していた。
リチャードと他愛のないお喋りをしながら歩いて向かった店は、小洒落た雰囲気の店だった。やはりお洒落しておいてよかった。
店内は落ち着いた雰囲気で、リチャードが慣れたように二人がけのテーブル席に座り、置いてあったメニュー表を差し出してきた。
「ここは魚料理が美味しくてね。僕のオススメはワイン煮込みかな。香草がすごく香りがよくて美味しいよ」
「じゃあ、それで。料理に合うワインを選んでもらってもいいかな」
「もちろん! 海老のオイル煮も頼もうか。ワインにもパンにも合うんだ」
「リチャードはワインに詳しいのかい?」
「好きなだけで、そこまで詳しくはないかな。お高いワインには手が出せないしね。お手頃価格で美味しいワインを探すのが好きなんだ。この店は色んなワインを置いていて、値段も良心的なんだよ。料理も美味しいしね」
「なるほど。楽しみだな」
「期待していてよ。きっと君も気に入ってくれると思うよ」
近くに来た店員にリチャードが注文する様子を眺める。なんだか夢みたいだ。リチャードと一緒に食事を楽しめるだなんて。まるでデートみたいだなと思って、ハンスはじんわり熱くなった頬を誤魔化すように笑顔でリチャードに話しかけた。
運ばれてきた料理もワインも本当にすごく美味しかった。リチャードとたくさん本の話をして、とても楽しくて幸せな時間だった。
そこそこ遅い時間までのんびりワインを楽しむと、ハンスはご機嫌に会計をしてからリチャードと店を出た。
ふわふわとした心地よい酔いに気が大きくなっているハンスは、ほんのり顔が赤くなっているリチャードに声をかけた。
「リチャード。ちょっと飲み足りないから、よかったら僕の家で飲まないかい? とっておきのワインを出すよ。頂き物なんだけど、一人で飲むには勿体ないやつでね。一緒に飲んでくれると嬉しいな」
「それは是非とも。まだお喋りもしたいしね。お邪魔するよ」
「ありがとう。お気に入りのチーズも出すよ。きっとワインに合うと思う」
「ははっ。いいね。早速君の家に行こう」
ハンスは嬉しくてだらしなく笑った。リチャードとお喋りしながら家へと向かい、いそいそと台所へ行って、とっておきのワインとチーズ、ワイングラスを用意した。
居間のソファーに向かい合って座り、ワイングラスにワインを注ぐ。乾杯をしてからワインを口に含んだ。芳醇な香りが鼻に抜け、心地よい甘みが口の中に広がる。
一口飲んだリチャードがパァッと笑顔になった。
「これは美味しいな。銘柄を見せてくれるかな?」
「はい。どうぞ」
「へぇー。僕は知らない銘柄だ」
「遠方に住んでいる兄が作っているワインでね。退職祝いに送ってくれたんだ。特に出来がよかった年のものなんだって」
「王都では売ってないのかい?」
「残念ながらね。基本的には地元でしか手に入らないものなんだ」
「それは残念。あ、そうだ。ハンス。もしよかったら、君のお兄さんが住んでいる所へ旅行に行かないかい? そろそろ引退を考えていてね。君の本の買い取りまでしたら、フレッドに跡を継がせようと思っているんだ」
「いいね! 僕も兄さんの結婚式の時にしか行っていないから、久しぶりに兄さんの顔が見たいし。王都からなら乗り合い馬車で二週間ちょっとかかるけど大丈夫かい?」
「きっと大丈夫だよ。あ、魔導撮影機を持っていかなきゃ。王都から出たことがないからね。せっかくの旅行の記念を残したいな。君の家の本を全て買い取ったら旅行に行こう」
「うん。兄さんに手紙を書いておくよ」
「よろしく。ふふっ。ずっと仕事ばかりしていたから、なんだか老後の楽しみって感じでいいね」
「そうだね。僕も旅行は兄さんの結婚式の時にしただけだから、本当にすごく楽しみだ」
「葡萄畑が見てみたいなぁ」
「秋頃に行くかい? 多分その頃には買い取りも終わっているだろうから」
「うん。そのつもりで準備をしておくよ」
リチャードと一緒に旅行に行けるだなんて、嬉しくて舞い上がりそうだ。ハンスはニコニコ笑いながら、リチャードとのんびりワインとお喋りを楽しみ、夜遅くに帰っていくリチャードを見送った。
ーーーーーー
季節はすっかり秋になった。
ハンスはパンパンに膨れた鞄を片手に、リチャードと一緒に乗り合い馬車へと乗り込んだ。
リチャードは甥のフレッドに跡を継がせたばかりだ。お互いに年甲斐もなくワクワクしている。
王都を出て、馬車の窓から見える景色を眺めながらお喋りを楽しむ。どんどん景色が流れていく様子を見るのは新鮮で楽しい。リチャードも一緒だから二倍楽しい。
ハンスは浮かれてニコニコ笑いながら、リチャードとの会話を心底楽しんだ。
約二週間かけて兄が住む小さな町へ到着した。地味に腰と尻が痛むのだが、それも旅行の醍醐味の一つだと考えると、そう悪くはない。
リチャードがはしゃいだ様子で鞄から魔導撮影機を取り出した。
「ハンス。記念に一枚撮ろう。近寄って近寄って」
「い、いいよ。魔導撮影機で写真を撮るなんていつぶりだろう」
「ははっ! 旅先ではいっぱい撮ろう! 二人の思い出に」
「うん!」
ハンスはリチャードに寄り添って、リチャードが持つ魔導撮影機を見ながら笑みを浮かべた。なんだかすごく照れくさいが、嬉しくてドキドキする。
魔導撮影機のスイッチを押したリチャードが、魔導撮影機から出てきた一枚の写真を見せてきた。渋い赤色のマフラーを巻いたリチャードの笑みと、濃い緑色のマフラーを巻いたハンスのちょっと照れたような笑みが写っている。
ここ最近早くも冷え始めたから、前の村で二人ともマフラーを買ったばかりだ。
「ふふっ。ちょっと照れくさいな。僕ってこんなにお爺ちゃんになってたんだ」
「ははっ。すごくいい笑顔だよ。ハンス。大切に保管して持って帰らなきゃ」
「宿に荷物を置いたら、兄の家に案内するよ。手紙を送ったら、大歓迎だって返事が来てね。今が葡萄の収穫期だから、葡萄の収穫体験をさせてもらえるって」
「それは最高だ。楽しみだなぁ。ははっ。すっごくワクワクしてる」
「僕もだよ。なんだかちょっとしたことでも楽しいねぇ。旅行って」
「ハンスと一緒だから二倍楽しいかな」
「……僕もリチャードと一緒だから本当に楽しいよ」
リチャードがさらりと言った言葉が嬉しくて、心臓がドキドキと高鳴る。顔が赤くなっていないといいのだが。
ハンスはじんわり熱い顔を隠すようにマフラーに鼻先を埋め、宿屋へと向かった。
兄の家に行けば、記憶にあるよりも随分と歳をとった兄にとても大歓迎された。ずっと手紙のやり取りをしていたが、実際に会うのは二十年ぶりくらいだ。最後に会ったのは、相次いで病気で亡くなった両親の葬儀の時だった。
古いが暖かみのある家の中に招かれて、兄嫁や息子夫婦、孫達からも歓迎された。素朴だが美味しい昼食をご馳走になると、葡萄の収穫体験をさせてもらえることになった。
兄と楽しそうに笑いながら話すリチャードをチラッと見て、ハンスは胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
葡萄の収穫体験をさせてもらって、今年できたばかりのワインを貰ってから宿屋に引き上げた。
宿屋の共同風呂でのんびり疲れを癒やし、一階の食堂で夕食とワインを楽しんだ。
宿の者に頼んでワイングラスだけを借りて部屋に引き上げると、ハンスは兄から貰ったワインをグラスに注ぎ、ご機嫌なリチャードと乾杯をした。
ワインを飲んだリチャードがパァッと笑顔になり、楽しそうに笑った。
「二週間かけて来た甲斐があるなぁ。本当に美味しい。前に飲ませてもらったものもすごく美味しかったけど、新鮮な若いワインも本当に美味しいね」
「うん。こんなに美味しいワインを普段から飲めるなんて、この町の人が羨ましいよ。葡萄の収穫も楽しかったね」
「本当に! すごく新鮮だったよ。ハンス。ハンスさえよければ、この町以外にも一緒に旅行に行かないかい? 道中もすごく楽しかったし、君との思い出を増やしたいんだ」
「僕もリチャードと旅行するのが楽しいから大歓迎だよ。お金には困っていないし、二人で色んな所に行ってみようか。今度は海が見てみたいな。本の挿絵で見たことしかないから」
「海! いいね。次は海が見える町に行こう。……あー……ハンス」
「なんだい?」
「その……気持ち悪いと思われるかもしれないけど、思い切って言うよ。僕はハンスのことが好きなんだ。残りの人生を共に歩みたいと思っていて……」
ハンスは驚いて間抜けにぽかんと口を開けた。何を言われたのか一瞬理解できず、リチャードの言葉の意味を理解してからは一気に顔が熱くなり、心臓がバクバク激しく高鳴り出した。
「ぼっ! 僕もリチャードのことが好きで! あ、その……君と一緒に笑って寄り添っていたい。別れの瞬間まで、ずっと一緒にいたい」
「ハンス。受け入れてくれてありがとう。無理はしていない?」
「全くしてないよ! あの、元々僕は男しか愛せない方で……その! リチャードのこと、ずっと好きだったんだ」
「ははっ。同じだ。僕も男しか愛せない。それに、君に恋をしてもう十五年以上だよ。あー……手を握ってもいいかな?」
「ど、どうぞ」
「……すごく心臓がバクバクしてる。僕」
「あはっ。僕もだよ。リチャードの手は温かいね」
「君の手も温かいよ。あ、記念に一枚撮らないかい? 恋人になった記念とこれからの二人の旅路が始まる記念」
「いいね! あ、寝間着に着替えちゃってるけどいいかな」
「いいよ。自然体で写真を撮ろう」
「うん」
ハンスはベッドに腰掛けているリチャードの隣に移動した。リチャードが魔導撮影機を取り出し、ハンスの肩を抱いた。ドキッと心臓が高鳴る。ハンスはリチャードに寄り添って、魔導撮影機を見ながら満面の笑みを浮かべた。
魔導撮影機から出てきた写真を見て、ハンスはふふっと笑った。
「髭のお爺ちゃん二人の写真って、ちょっとおかしいね」
「そうかな? 君は髭がよく似合っていて本当に素敵だよ」
「ありがとう。君もずっと素敵だよ。若い頃も、もちろん今も」
「ははっ。なんだか照れくさくなってきたよ」
「僕もだよ。……もしよかったら、今夜は一緒に寝る?」
「喜んで!」
ハンスの提案にリチャードが満面の笑みで頷いた。
ワインを飲みきってから、一緒にベッドにくっついて横になる。リチャードに名前を呼ばれてリチャードの方を向けば、触れるだけのキスをしてくれた。顔が一気に熱くなる。
リチャードが照れたように笑いながら、ハンスの手を握った。
「明日は何をして過ごそうか」
「ワイン作りの見学ができたら、見学させてもらうのはどうかな」
「いいねぇ。すごく楽しそうだ」
「リチャード。いっぱい思い出を作ろう。二人で」
「うん。二人で残りの人生を楽しみきっちゃおう」
「二人ならきっと何処に行っても楽しいよ」
「そうだね。ははっ。ドキドキワクワクしちゃって寝れる気がしないや」
「ふふっ。僕も。眠くなるまでお喋りする?」
「うん。もっと君のことを教えてよ」
「うん。僕もリチャードのことがもっと知りたい」
ハンスはもぞもぞと寝返りを打ち、同じく寝返りを打ったリチャードと向かい合った。手を繋いで、今まで話したことがないことを含めて二人でこそこそ喋って、小さく笑いあった。
胸の中に広がる温かくて優しい幸せに、ハンスは穏やかに笑って、リチャードと共に眠りに落ちた。
ーーーーーー
ハンスはたくさんの写真を貼ってあるアルバムを眺めて、穏やかな笑みを浮かべた。どの写真を見ても、ハンスとリチャードの笑顔しかない。旅先の思い出を思い出しながらアルバムを眺めていると、マグカップを両手に持ったリチャードがやって来て、ハンスのすぐ隣に座った。
お礼を言って温かいミルクを受け取ると、リチャードがハンスの太腿の上のアルバムを見て、楽しそうに笑った。
「これは『剣の街』に行った時のものだね」
「うん。鍛冶屋が本当にたくさんあって新鮮だったよね」
「あと蒸留酒が美味しかった」
「そうそう。そろそろ次の旅行の計画を立てるかい?」
「いいね。図書館で旅行記を借りて、面白そうな所を探してみよう」
「うん。……僕は君の笑顔が一番好きだなぁ」
「どうしたんだい? 急に。僕もハンスの笑顔が大好きだけど」
「なんとなくかな。……どちらが先に逝っても、お互いに笑って見送りたいね」
「うん。それまでにもっともっと思い出と写真を増やしていこう。二人で過ごした記憶を大切にとっておけるように」
「うん! リチャード。君が好きだよ」
「僕もハンスが大好きだよ」
リチャードが唇に触れるだけのキスをしてくれた。お互いの口髭が触れ合って、少し擽ったい。
ハンスはリチャードと見つめ合って、穏やかに笑った。
(おしまい)
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