大家族のお兄ちゃんは恋なんかしてる暇はない!

丸井まー(旧:まー)

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11:限界

 デイビッドに息抜きさせてもらってから一週間ほど過ぎた。
 今朝早くに祖父母は旅行に行ってしまった。『マグダラが疲れているから温泉にのんびり浸かってくる』と言って。
 マグダラは心配そうにしていたが、オースティンもシェンリーの世話に疲れていたのだろう。止める間もなく家から出ていった。
 疲れているのに旅行には行けるのかと思ったが、口には出さなかった。
 ドームは『いつものことだし、まぁなんとかなるだろー』と馬鹿みたいなことを言っていた。

 昼間にシェンリーをみる者がいないので、仕方がなく仕事を休んだ。
 夕方に泣いているシェンリーのおむつを替え、ぐずっているミアを宥めながら、寝ぐずりで泣いているシェンリーを抱っこしてあやしていると、居間にハルーアがやって来た。
 産後一か月は経っているのでハルーアにもシェンリーの世話をしてもらいたいが、シェンリーだけじゃなくて上の子達の世話もろくにしたことがない。期待するだけ無駄なので、ハルーアのことを気にせずシェンリーを寝かしつけようとしていると、ハルーアがぶすくれた顔で口を開いた。


「ちょっと。泣き声がうるさくて眠れないわ。ちゃんと世話をしなさいよ」

「……赤ちゃんは泣くものだし、なにより産んだのは母さんだろ」

「生んであげたんだから私にもっと感謝しなさい! さっさとシェンリーを泣きやませて! うるさいのよ! ミアも! いつもいつもうるさいわ! あなたがしっかり世話しないからでしょう!?」


 頭の中でぷつっと張り詰めていた糸が切れた気がした。
 リードは泣きやまないシェンリーをベッドに寝かせると、ハルーアと向き合った。


「自分の子どもの世話もしないでぽんぽん産むだけの無責任ババアのどこに感謝しろっていうわけ? 働かずに家のことも丸投げで何してんの?」

「なっ! 親に向かってなんてこと言うのよ! 稼ぎも悪いんだからあなたが家のこともするのは当たり前じゃない! 家のことがしたくないのなら身体を売ってもっと稼いできなさいよ! せっかくきれいに生んであげたんだし? それなりに売れるんじゃない?」

「……ははっ。母さんは僕のこと金蔓と家政婦としか思ってないんだ」

「だったら何よ」

「……こんな家出ていく。もう知らない」

「はぁ!? あなたが出ていったら誰が家事と子どもの世話をするのよ!」

「母さんがすればいいだけでしょ。……こんなクソみたいな家に生まれてこなければよかった」


 リードはぎゃーぎゃー喚くハルーアを放置して、バタバタと部屋に行き、仕事用の鞄にコツコツ貯めた貯金が入った財布を突っ込んだ。
 ヒステリックに喚いているハルーアと泣いている下の子達を無視して、無言で家から出た。

 行くところなんてない。ただ、今は家にいたくない。家事も子育てもうんざりだ。
 気づいたら涙が頬を流れていた。
 薄暗い道を当てもなく歩いていると、魔術協会の近くに来ていた。

 もうなにもかもどうでもいい。全部終わりにしたい。
 優しい人達に助けてもらった。そのお陰で少しマシになった気がしたが、もう限界である。

 リードはふらふらと魔術協会の敷地内に入り、中庭に向かった。
 中庭の木の下に膝を抱えて小さく蹲る。涙がとまらない。ぼんやりとした頭の中で、ふとデイビッドの顔が思い浮かんだ。
 今すぐ助けて欲しい。息が苦しくて仕方がない。身体が重いし、胸も苦しい。吐き気がして、今にも吐いてしまいそうだ。

 リードが蹲って泣いていると、足音が聞こえた。
 反射的にビクッと震えると、肩に触れられた。


「リード?」

「…………」

「おい! なにがあった!? 大丈夫か!?」


 側に近寄ってきたのはデイビッドだった。何か言いたいのに、何を言えばいいのか分からない。苦しくて、吐きそうで、口を開けない。
 デイビッドがリードの手を握ってほとんど無理矢理立たせ、リードの鞄を持ち、手を握ったまま歩き出した。
 リードは俯いたまま、ただ涙を流して歩いた。

 デイビッドの家に着くと、マリアンナが驚いた顔をした後で、ふわっと優しくリードの身体を抱きしめた。
 温かくて優しい匂いがする。リードが口を開けずにいると、マリアンナがリードの頭を優しく撫でた。


「よく頑張ったわねぇ。今は休みなさい。デイビッド。お風呂の準備をしてちょうだい。私は温かいミルクを作るから」

「うん。リード。飯は食えそうか?」


 リードは無言で首を横に振った。今は何を食べても吐いてしまうだろう。
 マリアンナに手を引かれて居間のソファーに移動し、俯いたまま涙が流れるままにしていると、マリアンナが隣に座ってマグカップを差し出してきた。
 受け取って、おずおずと一口飲むと、蜂蜜の甘い香りが鼻に抜け、優しい甘さが口の中に広がる。

 マリアンナがリードの背中を優しく擦ってくれる。マリアンナの手が優しくて、余計に涙が溢れてきた。
 どうしてリードの家族はこんなに温かくないのだろう。マグダラは家にいる時は優しいし、一緒に家事も育児もしてくれるが、頻繁に祖父と旅行に行ってしまう。

 リードが泣きながらちびちび温かいミルクを飲んでいると、マリアンナの反対側にデイビッドが座り、リードの背中に触れた。


「とりあえず風呂に入ってこいよ。着替え出しておいたから。風呂から出たら、まずは寝ろ。自然に起きるまで起こさないから」

「…………ん。……ごめん……」

「そこは『ありがとう』の方がいいかな」

「……ありがとう」


 デイビッドに手を引かれて風呂場へ移動し、泣きすぎてぼんやりする頭のまま服を脱いで浴室に入った。
 ふわっと柔らかい柑橘系の香りがする。多分、入浴剤なのだと思う。使ったことはないのだが、売っているところを見たことはある。

 頭と身体を洗ってお湯に浸かれば、じわぁっと強張っていた身体が解れていく感覚がした。
 ぽたっ、ぽたっと涙がお湯に零れ落ちる。
 自分は何をやっているのだろうか。デイビッドとマリアンナに迷惑をかけてしまっている。
 ぼーっとする頭の片隅で、いっそ自分で自分の始末をつけるのが一番楽なんじゃないかと思った。

 のぼせるギリギリまでお湯に浸かり、風呂から出ると、着替えが置いてあった。
 デイビッドの服なのだろう。楽なゆるめの服はリードには大きくて、だぼだぼになった。
 風呂に浸かっている間に涙はとまってくれた。今は泣きすぎて頭がガンガン痛む。

 脱衣場から出ると、すぐ側の壁にデイビッドが寄りかかっていた。
 デイビッドが無言でリードの手を握り歩き始めた。
 デイビッドの部屋に入ると、すぐにベッドに横になった。
 デイビッドがリードの目元にやんわりと手を乗せ、優しい声で囁いた。


「寝ちまえ。何も考えるな」

「…………うん」


 ほんのりデイビッドの匂いがする布団の中で、リードは静かに目を閉じた。

 ふと目覚めると、デイビッドの寝顔が目の前にあった。
 どれくらい寝ていたのか分からない。ぐっすり寝て少し冷静になると、家のことが心配になってきた。
 下の子達は大丈夫だろうか。ハルーアが子ども達の世話をするとは考えられないし、ドームだって当てにできない。ハルトや双子、フローラがいるが、心配でそわそわしてしまう。
 今すぐに家に帰った方がいいんじゃないかと思うのだが、同時に帰りたくないと思う自分がいる。

 どうしたらいい。自分はどうしたい。頭の中でハルーアに言われたことがぐるぐる回っていて、また吐き気がしてくる。
 じわっと涙が滲み出てきて、ぽろっと零れ落ちた。

 デイビッドの長い睫毛が微かに震えて、デイビッドが目を開けた。
 デイビッドがリードの身体をやんわり抱きしめて、ぽんぽんと背中を優しく叩いた。


「大丈夫だから、今は寝ろ」

「……でも……」

「いいから寝ろ。職場には休むって連絡済みだ」

「…………うん」 


 何も考えたくなくて、デイビッドの服を掴んで、温かい身体に擦り寄った。
 背中を優しくぽんぽんされていると、また眠気が襲ってくる。
 リードは大人しく目を閉じて、夢も見ないくらい深い眠りに落ちた。

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