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あなたに殺されるまでの100日間

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質素なベッドで惰眠を貪っていた名無しは、カツカツと微かに聞こえてくる足音で目を開けた。
名無しはゆるく口角を上げ、ふふっと小さく笑った。毎日毎日律儀なものである。自分を殺そうとした男に食事を運び、ついでに犯していくのだから。
名無しは物理的には存在しない男から与えられた首輪を指先でなぞった。毎晩男に犯されて、首を締められる。死ぬ一歩手前で、いつも男の手は離れていく。きっと名無しの首には、男の手形がついているだろう。此処に鏡が無いのが残念だ。男から与えられた痕が見たいのに。

名無しには名前がない。仕事の時は適当な名前を与えられるが、全て使い捨てだ。
名無しは暗殺を生業としている。物心ついた頃には、既に殺しを覚えていた。名無しは今まで失敗などしたことがない。今回、初めて暗殺に失敗した。いや、正確に言うと、わざと失敗した。

鉄の檻の向こうに現れた男を見て、名無しは、ほぅと小さく満足気に吐息を吐いた。男は今夜も来てくれた。
名無しは、冷たく整った男の顔をうっとりと見つめ、へらっと笑った。

男はこの国の宰相をしている。40代半ばの筈だが、10は若く見える。丁寧に撫で付けられた黒髪にはまばらに白髪が見えるが、理知的な深い蒼の瞳と歳の割に皺が少ない肌のせいか、若々しい印象を受ける。各パーツの造形と配置のバランスが素晴らしい美しく整った顔立ちは、若い頃はさぞ女達が寄ってきたことだろう。
『国の守護者』とも揶揄されている宰相フードリヒ・ラインシュタイートが、名無しを見つめ、不快そうに目を細めた。


「食事だ」

「どーも。毎日律儀ですねぇ。誰かに任せたらどうです?」

「お前に殺されてはかなわん」

「あはっ。そんなことしませんよー」

「どうだか」


名無しはへらへら笑いながら、邸の地下室の牢屋の中に入ってきたフードリヒを、寝転がったまま観察した。
本当に律儀なものである。毎日深夜が近い時間帯になるまで仕事をしているのに、フードリヒは必ず自分で名無しの食事を運んでくる。パンと果物、ワインだけの質素なものだが、其々、死罪が確定している囚人に食わせていいようなものではない。パンは貴族が食べるようなふかふかの白いパン、果物は瑞々しく、ワインも上等なものだ。
名無しはフードリヒが運んできたトレーの上を見て、ふふっと上機嫌に笑った。


「宰相閣下」

「なんだ」

「今日で38日目ですね」

「あぁ」

「お心は変わらないんで?」

「あぁ。100日間、お前を生かす。その間に、情報を吐けるだけ吐かせる」

「あはっ。俺が知ってる情報は全部吐きましたよー」

「どうだか」


フードリヒが牢屋の筈なのに何故かあるテーブルに食事が乗ったトレーを置き、無造作に名無しが寝転がっているベッドに近寄ってきた。食事はそれなりに上等だし、牢屋内も牢屋とは思えない程清潔でベッドやテーブルに椅子、簡易トイレの前には衝立まであるが、服は与えられていない。与えられているのは、物理的には存在しない首輪だけだ。
フードリヒが名無しの身体を跨ぎ、ペン胼胝がある節くれだった手を伸ばし、名無しの首を片手で掴んだ。


「先に尋問だ」

「あはっ。お待ちかねの楽しい時間の始まりですねー」

「黙れ」

「黙ってたら吐くものも吐けませんよ」


名無しの軽口を咎めるように、首に触れているフードリヒの手に力が入った。じわぁっと首を圧迫されて、息苦しさを感じる。ゾクゾクと興奮が背を駆け抜け、名無しはうっとりとした顔で、微かに熱を持っているフードリヒの瞳を見つめた。
名無しの想い人は本当にものすごく素敵だ。名無しはフードリヒの唇を素直に受け入れながら、クックッと喉で笑った。

名無しは組織に所属していた。組織の名前は知らない。名無しに殺しの技術を教えた男が、いつも名無しに仕事の指示を与えていた。フードリヒの暗殺を指示された名無しは、『アマーレ』という名前で、フードリヒの邸の執事見習いとして潜伏を始めた。
名無しは筆頭執事と共に挨拶をする為にフードリヒと初めて会った瞬間、衝撃を受けた。自分でも訳が分からない感情が勢いよく沸き上がり、どうやってフードリヒの前から立ち去ったのか、全く記憶になかった。こんなことは初めてである。数日かけて、できるだけ冷静に自分を分析してみて、これは一目惚れと呼ばれるものだと結論づけた。名無しは、フードリヒに恋をした。
執事見習いという立場だったが、名無しは少しでもフードリヒとの接点を増やそうと、積極的に仕事を請け負った。3ヶ月もすれば、フードリヒの朝の着替えを任せてもらえるようになった。着替えと言っても、出勤前に上着を着せるだけのものだが。毎朝、フードリヒの顔を近くで見られるだけで、自分でもどうかと思うくらい、胸が熱くなり、不思議な温かいもので心が満たされた。多分、『幸せ』というやつを感じていたのだろう。

フードリヒの暗殺の期限は、半年であった。フードリヒに信頼されるようになって油断させ、殺されたと周囲に悟られないように地味に殺す。それが名無しの仕事だ。暗殺の依頼主は、確証はないが、多分フードリヒの弟だ。事前に、フードリヒの身辺を探った時に、きな臭いものを感じた。フードリヒの弟は、幼い頃から兄であるフードリヒに異常な執着を持っていた。それに気づいたのか、フードリヒは弟を遠ざけ、王都から離れた領地へと送り、そのまま領地から出させないようにした。可愛さ余って憎さ百倍というものかもしれないし、単に自分が宰相や貴族の後継になりたいだけかもしれない。今の王は愚王と言ってもいい様な王で、愚かな王を支持して甘い汁を吸っている貴族達に弟がけしかけられたのかもしれない。
『国の守護者』と揶揄される程、フードリヒは宰相として、王ではなく国に仕えている。浪費家で色狂いの愚王でも、国としてそれなりに上手くいっているのは、フードリヒの働きによるものが大きい。フードリヒに心酔する者も大勢いるが、敵も非常に多い。
名無しは、自分の仕事が邪魔されないよう、愛おしい初恋の君を殺されないよう、こっそり他の暗殺者達を始末しつつ、フードリヒに誠心誠意仕え、じわじわと信頼を勝ち取っていった。

38日前。暗殺の期限がいよいよ明日へと迫り、名無しはしょうがないから、失敗してフードリヒに殺してもらおうと思った。暗殺者であることは辞められない。辞められる時が来るとしたら、それは死んだ時だけだ。約半年の間、初恋の君であるフードリヒの側にいられて、名無しはすごく幸せだった。フードリヒは最近は名無しにも話しかけてくれるようになり、たまに控えめな笑顔も見せてくれるようになっていた。
名無しは、寝室に入ったフードリヒを追いかけ、一緒に寝室に入り、目立つ大きさのナイフを片手に、『貴方を今から殺します!』と、警備の者達にも聞こえるように大きく叫んだ。結果、名無しは捕縛され、ひとまず邸の地下牢に入れられた。これで名無しは、拷問されて殺してもらえる。愛おしいフードリヒを自分の手で殺さずにすむ。名無しはとても満足して、ワクワクとした気持ちで、拷問してくる相手を待った。
現れたのは、まさかのフードリヒだった。フードリヒは、驚く名無しを犯し、名無しの首を締めながら、こう言った。『お前を100日間生かす。その間に吐けるだけ情報を吐いてもらおう。間抜けな暗殺者殿。お前が、お前程の者が、何故私を殺さなかった』
フードリヒに聞かれることは何でも答えてやりたいが、名無しが知っていることは実際少ない。暗殺に失敗した時の為に、事前に与えられる情報は必要最低限だ。暗殺組織の名前すら知らない。名無しはフードリヒに犯されながら、素直に聞かれたことを答えた。フードリヒを殺さなかった理由も、ちゃんと素直に答えた。フードリヒは信じていないようだったが。

それから毎日、フードリヒが名無しに食事を運んで犯しに来る。名無しはフードリヒに会えて、犯してもらえて、すごく嬉しいが、最近は少々フードリヒを心配している。毎日、夜遅くまで仕事をして疲れているのに、毎日名無しを犯して、フードリヒの身体は大丈夫なのだろうか。フードリヒに会いたいし、犯してもらいたいが、フードリヒの身体が本当に心配である。
今夜もフードリヒに犯され、首を締められながら、名無しはフードリヒが少しでも多く休息をとれたらいいなぁと思った。




-------
50日が過ぎると、フードリヒが執拗なまでに名無しの身体に痕をつけるようになった。名無しの痩せた身体を文字通り全身舐め回し、強く吸ったり、噛みついたりしてくる。犯された後は毎回フードリヒが名無しの身体を清めてくれるが、それでも風呂に入ったりはしていないので、名無しの身体は多分汚いと思う。一応それを毎日言っているのだが、フードリヒは止めるどころか、益々名無しの身体を舐め、痕をつけてくる。
まるでフードリヒに愛されているみたいだ。名無しとしては非常に嬉しくて、首を締められながらいつもこのまま死にたいと思うのだが、フードリヒは毎日名無しが死ぬ1歩手前で手を離し、名無しの中に精を吐き出す。酸欠で朦朧としている名無しの身体を濡れたタオルで清め、名無しの唇を吸い、うっすら血が出る程名無しの唇に噛みついてから、去っていく。
フードリヒの理知的な深い蒼の瞳の熱が日に日に増していっているような気がして、名無しは嬉しくて堪らない。

毎日犯されているせいで熱をもつアナルや腰が酷く痛み、名無しは殆どを寝て過ごしているが、起きている時はずっと夢想している。
フードリヒと明るい陽の下を一緒に歩けたら、どんなに素敵だろう。普通の人間のように、手を繋いで歩いたり、一緒に食事を楽しんだりできたら、どれだけ幸せだろう。フードリヒに『愛している』と言われたら、名無しはきっと泣いてしまう。死んでも叶うことがない願いだが、名無しはこの時になって初めて、『普通の人間』になりたいと思った。自分が暗殺者であることに疑問も不満も無かった。ただ、そうであるというだけだった。名無しは今更ながらに、自分だけの名前が欲しくなった。自分だけの名前をフードリヒに呼んでもらいたくなった。多くの人間が持っている『普通』が、欲しくて欲しくて堪らなくなった。

65日目。いつも通り律儀に現れたフードリヒに、名無しは頬をゆるめた。フードリヒは目の下の隈が濃くなり、疲れた顔をしていた。それでも来てくれたことが嬉しくて、でも、フードリヒの身体がとても心配になる。
今日は先に食事をさせてくれた。名無しは素直に食べながら、ベッドに座って名無しが食べる様子をじっと見ているフードリヒに話しかけた。


「宰相閣下」

「なんだ」

「お願いがあるんですけど」

「言ってみろ」

「俺に名前をつけてくださいよ」

「……名前?」

「自分だけの名前が欲しくなったんですよねー」

「……何故だ」

「貴方に呼んでもらいたいからですよ」

「…………」


フードリヒが眉間に深い皺を寄せた。ダメ元でねだってみたが、やはり駄目か。フードリヒが名無しに名前をくれて、呼んでくれたら、大喜びで死ねるのだが。
名無しはすぐに諦めた。フードリヒがわざわざ名無しの名前を考えてくれる筈もない。執着はされているような気がしないでもないが、別に愛されている訳ではない。それくらいは弁えている。
無言で難しい顔をしているフードリヒを眺めながら、名無しはもそもそと食事を終えた。

名無しが食事を終えても、フードリヒは無言のまま動かない。これは怒らせてしまったのだろうか。やはり、『普通の人間』ではない暗殺者の自分が、名前を欲するなど、烏滸がましいのだろう。
名無しがじっと難しい顔で少し俯いているフードリヒを見つめていると、フードリヒの深い蒼の瞳が真っ直ぐに名無しを見た。


「ガーラン」

「へ?」

「ガーランはどうだ」

「えっと……」

「『守護者』のような意味を持つ」

「……そんな大層な名前をいただけるので?……えーと、俺如きには勿体無いんじゃないですか?」

「不服か」

「いやいや!!全然!!不服なんかじゃないですよー!!勿体無いなってだけで!!」

「……お前、他の暗殺者達を始末していただろう」

「あ、はい」

「何故だ」

「え?そんなの貴方を殺されたくなかったからですけど?」

「……それなら、別に的外れな名前ではない。確かにお前は私を守っていた」

「殺そうとしましたけどね」

「黙れ」

「すんませーん」


名無しは何度も、『ガーラン』と小さく口にした。じわじわと踊り出したい程の喜びが胸の中に広がっていく。名無しはもう名無しじゃなくなった。名無しはガーランになった。しかも、『国の守護者』と呼ばれているフードリヒとお揃いである。嬉しいどころではない。
へらへらとだらしなく笑っているガーランの首に、フードリヒの手が触れた。するりと優しく首を撫でられ、ゆるくガーランの細い首を掴み、軽い力で首を締められる。甘やかな息苦しさに、ガーランは小さく喘いだ。
フードリヒがガーランの首を締めながら、まるで恋人にするように、優しくガーランの唇にキスをした。唇を触れ合わせたまま、フードリヒが幻聴かと思えるような優しい声で囁いた。


「ガーラン」

「……はい」

「ガーラン」

「はい」


ガーランは嬉しくて嬉しくて、本当にこのまま今すぐ殺してもらいたいと、心の底から願った。こんなに幸せなまま死ねるなんて、最高過ぎる。
いっそ食いちぎってもらいたいと、ガーランが口を開けて舌を伸ばせば、フードリヒがガーランの舌を舐め、ぬるりと絡ませてきた。ゾクゾクッと微かな快感と堪らない興奮が背を走る。ガーランの舌を絡ませながら、フードリヒの舌がガーランの口内まで入ってきて、上顎を擦り、歯列をなぞり、頬の肉を舐めてくる。じわじわと強くなるガーランの首を掴んでいるフードリヒの手に、愛おしさしか感じない。
ガーランはうっとりと目を細め、幸せに浸りながら、今夜もフードリヒに全身を舐められ、痕をつけられ、犯され、首を締められた。





------
80日を過ぎた頃。犬のような体勢で犯されながら、ガーランはフードリヒに話しかけられた。


「何故、私を殺さない。お前ならばできるだろう」

「あっ、あっ、ははっ!だって、愛してる、もん」

「……どうだか」

「あっ!?あっあっあっ!ひっ!いっ!いっ!いくいくいくっ!!」

「イケ」

「~~~~っあぁぁぁぁっ!!」


ペニスに触れられることなく射精しているガーランの身体を、冷静沈着を絵に描いたような常からは想像できない程荒々しくフードリヒが揺さぶり、ガーランのアナルに自身のペニスを激しく抜き差ししてくる。強烈過ぎる快感が辛く、このまま死にたい程幸せである。ガーランが過ぎた快感に泣き叫ぶと、唐突にフードリヒが動きを止め、熱く疼いて緩んでいるガーランのアナルからペニスを引き抜き、貧相に痩せたガーランの身体をひっくり返した。
ひくっひくっと痙攣しているガーランの両足を大きく広げ、再びフードリヒがガーランのアナルにペニスを深く突っ込んだ。声も出せないガーランの首を片手で掴み、じわじわとガーランの首を締めながら、フードリヒが激しく腰を振り始める。苦しくて、気持ちよくて、苦しくて、幸せで、ガーランは笑みを浮かべながら、萎えたペニスから尿を漏らした。

フードリヒに身体を清められた後、朦朧としているガーランの頭を、フードリヒが優しく撫でた。目だけを動かしてフードリヒの顔を見れば、フードリヒが見たことがないような優しい顔をしていた。ガーランは嬉しくて、へらっと笑った。フードリヒの手が心地よくて、幸せで、ガーランはそのままストンと眠りに落ちた。

100日目。いつも通りやって来たフードリヒを、ガーランは笑顔で出迎えた。痩せ衰えた身体は上手く動かないが、まだ笑うことができる。約束の100日目だ。心待ちにしていた日が漸く訪れた。
今日はフードリヒは食事を持ってこなかった。ろくに身体を動かせないガーランの身体に跨り、ガーランの首を両手で掴むと、フードリヒが真っ直ぐにガーランを見つめた。


「何故、逃げなかった」

「あはっ。逃げる必要ないでしょ」

「お前ならば逃げられた筈だ」

「逃げないですよー」

「牢の鍵は常に開いていた」

「知ってます」

「……何故、逃げてくれなかった」

「貴方の手で死にたい。宰相閣下」

「……なんだ」

「愛してます」

「……どうだか」


フードリヒの顔が、何故か泣きそうに歪んだ。どうせなら最後にフードリヒの控えめな笑顔が見たかった。じわじわと力が入っていくフードリヒの手が愛おしくて、最後にフードリヒの顔を目に焼き付けようと、ガーランはじっとフードリヒを見つめて、笑みを浮かべた。
自分は間違いなくこの世で一番幸せな人間だ。
ガーランは最後の一瞬まで、初めて愛した男を見つめ続けた。







------
フードリヒは手元に届いた小さな箱を見つめ、無言で箱を開けた。白いピアスが、机の上に置いてある蝋燭の灯りに照らされて、鈍く光っている。
フードリヒは用意しておいた針を蝋燭の火で炙り、自分の耳に刺した。鈍い痛みと共に、耳朶に穴が開き、針を抜けばぬるりと微かに自分の血が指先を濡らした。両方の耳に穴を開けると、ピアスを着け、小さな鏡を眺める。それなりに上手く穴を開けられたと思う。フードリヒはピアスに触れながら、これの持ち主を思い浮かべた。

ガーランと名付けた暗殺者を殺した後、フードリヒはその死体から2本の歯を抜きとった。形のいい意外な程白い歯を、信頼の置ける職人に託し、ピアスに加工してもらった。
ガーランは不思議な男だった。初めて会った時は、地味で目立たない男だと思った。20代半ばで、執事見習いになるには少し歳がいっているが、それだけしか思わなかった。
ガーランが働き始めて2ヶ月程して、フードリヒは異変に気づいた。月に数度は誰かから差し向けられる暗殺者が来なくなっていた。調べさせてみれば、ガーランが働き始めてから、暗殺者が邸内や職場である王城に出没したことがない。微かに不審に思ったフードリヒは、ガーランを調べさせた。逆に不審に思う程、ガーランには不審な点が無かった。完璧過ぎる程平凡な出自の平凡な男だった。フードリヒは注意深くガーランを泳がせることにした。ガーランは、ただフードリヒを慕っていた。毎朝、上着を羽織らせる時は、頬を染めて嬉しそうにしていた。少し話しかけてやれば、満面の笑みで喜んでいた。
今にして思えば、フードリヒはガーランに絆されていたのだろう。
ガーランがフードリヒの暗殺をわざと失敗したのは、すぐに分かった。あんな稚拙な暗殺があるものか。よくよく調べさせれば、暗殺者だったと思わしき死体が邸の近辺からいくつも見つかった。警備は常に厳重にしてある。その警備の者達に気づかれないうちに他の暗殺者を始末できる者が、あんな下らないやり方で暗殺をする訳がない。理由が分からなかった。ガーランの背後も知りたかった。だから、100日生かすと決めた。100日としたのは、深い理由はない。ただ、それだけの時間があれば、とことんガーランに吐かせることができるだろうと思っただけだ。それに、切りがいい数字は気持ちがいい。気紛れのようなものだった。
苦痛を与える拷問よりも、快感による尋問の方が、きっと効率がいい。そう思ったから、フードリヒはガーランを犯した。ガーランは犯されているというのに、とても嬉しそうに笑った。フードリヒを愛していると言った。暗殺者の言う事など信用できない。しかし、フードリヒはそれから毎晩、どれだけ疲れていても、ガーランの元に通った。本当は分かっていた。ガーランは初日に全て吐いていたと。ただ、フードリヒがガーランに会い、触れたかっただけだ。普段は領地にいる事が多い妻への裏切りだと分かっていたが、止められなかった。

『ガーラン』と名付けた名無しだった暗殺者に、フードリヒはどうしようもなく執着した。一度暗殺者になった者が、普通の人間に戻れる筈がない。組織に処理されるのがオチだ。ガーランがフードリヒを愛しているのなら、フードリヒの手で殺してやろうと思った。フードリヒを守った報酬とほんの少しの情けのつもりだった。同時に、牢屋の鍵は常に開けておいた。ガーランが逃げてくれることを期待していた。ガーラン程の男ならば、もしかしたら組織の手から逃れられるかもしれないと。
フードリヒの期待は裏切られた。ガーランは決して逃げようとはしなかった。フードリヒの顔を見る度に嬉しそうに笑い、フードリヒが触れると本当に幸せそうな顔をしていた。

約束の100日目に、フードリヒはガーランを殺した。ガーランは最後まで笑っていた。ガーランの死に顔は、首を絞めて殺されたとは思えない程、穏やかに微笑んでいた。
フードリヒはガーランの死に顔を思い出しながら、ガーランの歯で作らせたピアスを指先で撫でた。ガーランが笑った時に見える爽やかな白い歯が好ましかった。弾けるような嬉しそうな笑顔が好ましかった。最後の最後まで笑っていたガーランが好ましかった。そして、同時に憎らしかった。ガーランはフードリヒを愛していると言っていたのに、フードリヒ自身を求めなかった。共に生きることを望まなかった。ガーランがフードリヒと生きたいと望めば、無理を通してでも生かすつもりだった。しかし、ガーランは死ぬことを選んだ。ガーランが誰にも害されることがないという安堵感と、ガーランがフードリヒと生きることを望まなかったという失望感と、自分でも理解できないガーランへの愛しさで、心がかき乱され、いっそ狂ってしまいたい程だ。

フードリヒはガーランの歯のピアスを寝る時でさえ、ずっと着けた。ガーランを地下牢に閉じ込めてから、時折、暗殺者が以前のようにやってくるようになった。暗殺者の捕縛の報告を聞く度に、自分が守られていたと感じた。それはガーランが歯しか残らなくなった今でも感じる。

ガーランを殺した数年後。
フードリヒはガーランの歯のピアスを指先で撫でながら、執事が用意したワインを飲み干した。暫くすると心臓を中心に激痛が走り、フードリヒは苦しみに心臓の辺りを掻き毟りながら、その場に倒れた。フードリヒの『守護者』はもう随分と前からいない。
フードリヒは震える手で自分の耳に触れ、いつものようにガーランに触れ、混濁していく意識の中、ガーランの笑みを思い浮かべた。
幸せそうに逝ったガーランの側に、これで自分もいけるのだろうか。ガーランに『愛している』と伝えることができるのだろうか。伝えることができたらいい。これまで『国の守護者』なんて揶揄される程必死に頑張ってきた自分に、それくらいの褒美があってもいいではないか。
そんなことを思いながら、フードリヒは物言わぬ骸になった。


(おしまい)
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みんなの感想(1件)

るか
2022.05.15 るか

こんなに短いお話なのに満足感がすごくてびっくりです。
もっともっとと思う気持ちもありますが、すごくいいお話でした。
これからも応援しております!

丸井まー(旧:まー)
2022.05.15 丸井まー(旧:まー)

感想をありがとうございますっ!!
本当に嬉しいです!!

嬉し過ぎるお言葉をいただけて、感無量であります!!
心の奥底からありがとうございますっ!!
初めて闇BLというものに挑戦してみました。
読むのは大好きなのですが、中々手が出せずにいました。シリアスなシーンを書いていると茶化したくなるという面倒な癖?がありまして(汗)
なんとか物語の締めくくりまで書くことができました。
私なりの闇BLをお楽しみいただけましたのなら、何よりも嬉しいです!!

お読み下さり、本当にありがとうございました!!

解除
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