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鍛冶職人と弟子(自称)

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見習いを含めたら鍛冶職人として働いて早四十五年。齢六十にして、最近変なのに付きまとわれ始めた。

ガンナの朝は早い。日の出より少し前に起き出し、散歩がてら町外れの十年前に死んだ女房の墓へ行く。女房の墓につく頃には日が昇り始め、墓周りを掃除して、煙草を一本吸ってから家に帰る。

ガンナが自宅兼工房に帰ると、背筋がピンと伸びた四十半ばの精悍な男が家の前に立っていた。男はガンナに気づくと、パァッと顔を明るくさせ、元気に挨拶してきた。


「おはようございます!師匠!」

「師匠じゃねぇ。帰れ」

「今日もよろしくお願いします!師匠!」

「師匠じゃねぇ。帰れ」


ガンナは露骨に顔を顰めて、シッシッと男に向けて手を振ると、そのまま家の中に入った。しれっと男も一緒に入ってくる。げしっと男の足を蹴ってやっても、男は爽やかに笑うだけだ。
勝手知ったる他人の家といった風に、男が台所へ向かうのを見送って、ガンナは溜め息を吐きながら、ガシガシと頭を掻いた。

男は半年前までこの町の警邏隊の隊長をしていた。名前はキーナウだ。キーナウは何を考えたか、隊長にまで上り詰めた警邏隊を辞め、ガンナに弟子入りを志望してきた。鍛冶職人として、キーナウとの付き合いはそこそこ長かった。キーナウがまだ新人の頃から、キーナウの剣の手入れをしたり、キーナウに依頼されて、キーナウの剣を打ったりしていた。
鍛冶職人の修行を始めるには、年齢的に遅過ぎるし、何よりキーナウは、力はあるが不器用だ。ものになるとも思えない。
ガンナは何度も何度も何度も何度も断り続けているが、キーナウは諦めない。毎朝ガンナの家に来やがる。

ガンナはキーナウが勝手に作った大して美味しくもない朝食を食べると、今日の仕事を始めた。
キーナウは勝手についてきて、工房の邪魔にならない所で、ガンナの仕事ぶりを見ている。飯時前には、ふらっといなくなり、昼食や夕食を勝手に作り、一緒に食べてから、『また明日!』と笑って帰る。

キーナウは、何度も何度も何度も何度もガンナが断っても家に来て、『弟子だから』と勝手に家の事をしていく。不器用なりに一生懸命作ったというのが分かる料理を出されたら、食べるしかない。散らかり放題だった家の中は、少しマシになった。洗濯物が山のように溜まることもなくなった。
若干腹立たしいが、キーナウが来るようになって、ガンナの生活環境はかなりマシになった。女房が死んでからは酒ばかりを飲んでいたが、最近はキーナウが煩いから、少し酒を控えるようになった。
キーナウは本当に何がしたいのだろうか。ガンナにはよく分からない。
キーナウが干して陽の匂いがする布団にくるまり、ガンナは小さく溜め息を吐いて、眠りに落ちた。

今日も日課を済ませると、キーナウが家の前にいた。ガンナはそろそろ腹を割って話すべきかと思い、微妙な味付けの料理を無言で平らげると、お茶を淹れるキーナウに話しかけた。


「おい」

「なんです?」

「おめぇ、何がしてぇんだ」

「貴方の弟子になりたいだけですね」

「おめぇの歳じゃものになる頃には爺じゃねぇか。つーか、不器用過ぎて、ものにならねぇよ」

「それでも貴方の弟子になりたいんですよ」

「給金なんぞ払えねぇし、単なる趣味でやりてぇなら警邏隊に戻れや」

「趣味ではなく本業にしたいですね」

「無理だ」

「やってみなければ分かりません。それに貯金は十二分にありますから心配いりませんよ」

「鍛冶やってる奴は他にもいるだろ。何で俺なんだよ」

「貴方が好きだからですね」

「…………あ?」

「貴方の鍛冶に対する真摯な姿勢は、見ていて、とても気持ちがいい。尊敬に値します」

「……そらどうも」

「あと、俺は年上派なんですよね」

「あ?」

「奥さんが亡くなって、もう十年経つし、そろそろ口説いてもいいかと思いまして」

「は?」

「こっちは片思い歴二十年ですから。まぁ、気長に口説きます。あぁ。鍛冶職人になりたいのは本当ですよ。貴方の隣に立ちたい」

「……頭イカれてんのか。俺は爺だぞ」

「すこぶるいい男ですね」

「そんなん女房にも言われたことねぇわ」

「おや。ふーん。……貴方、俺の飯に文句言ったことがないじゃないですか」

「あ?」

「美味しくないでしょ。ぶっちゃけ」

「……作ってくれたもんに文句言う程恥知らずじゃねぇよ」

「そういうとこですよ」

「あ?」

「俺の愛が伝わるまで頑張りますので、早めに落ちてくださいね。あと、そろそろ鍛冶を教えていただけると嬉しいです」


キーナウが爽やかに笑った。
ガンナは頭を抱えて唸った。予想の斜め上どころじゃない話に、頭が痛くなってくる。
しかめ面をしているガンナにキーナウが笑って話しかけてきた。


「奥さんのことをまだ大事に想ってるのは知ってます。奥さんの場所を横取りしたい訳じゃない。ただ、奥さんの反対側に立ちたいだけですよ」

「…………俺のどこがいいんだ」

「あ、語ります?軽く三時間くらいかかりますけど」

「いらねぇ」

「おや。残念」

「キーナウ」

「はい」

「俺は男は無理だ」

「そこをなんとかするのが俺の頑張り次第ですね」

「阿呆か」

「まぁ、あれです。一緒に余生を楽しみましょうよ。最後まで貴方の側にいますから」


キーナウがあまりにも優しく微笑むものだから、ガンナはなんだかむず痒くなってきた。


「……勝手にしろ」

「はい。勝手にします」


ガンナはガシガシと頭を掻いて、冷めたお茶を飲み干した。

そんな話をした数日後、キーナウがガンナの家に引っ越してきた。より正確に言うと、大きな鞄一つだけを持って、ガンナの家に住み着いた。『嫁入り道具はこれだけで十分だから』と笑ったキーナウに、ガンナは呆れてものも言えなかった。

口説くとか言ってた割に、キーナウは特に何も言わない。ただ、ガンナの身の周りの世話をしたり、仕事ぶりを眺めているだけだ。
なんとなく絆されるまで、一年もかからなかった。
ガンナはキーナウに見送られるまで、なんだかんだで穏やかに幸せに過ごした。


(おしまい)
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